澤村トッカンとの出会い、そして次の試練
暖かい日差しの中、足元でじゃれ合う2匹のミニチュアダックスフンドをあやしながら、昨日までの中身の濃い出来事を整理する多楠から、ふと大きなあくびが出た。
「しかし、なんて眠いんだ・・・。」
昨年法人課税第1部門に配属になったばかりのときも仕事に慣れるまでは毎日眠くて仕方がなかった多楠であったが、調査部門に配属になって・・・いや、新田さんと組んでいるからか、そのときの3倍くらい眠い日々が続いていた。
いつしか多楠は、公園で読もうと思って自宅から持ってきた法人税法のコンメンタールを枕に、ベンチで横になり居眠りをし始めた。コンメンタールの厚さが枕の替わりに、適度な硬さが快感へ。いくら休日とはいえ、現職の税務職員が公園のベンチで横になる様は何とも行儀の良いものではないが・・・・襲い来る・・・睡魔には・・・勝て・・・なかった・・・。
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夢の中、多楠の脳裏に現れたシーンは、昨日の夜、スナック『かわばた』であった。
京子ママ
「澤さん、本当に久しぶりね。今も竹橋税務署なの?」
“澤さん”と呼ばれている澤村トッカンは爽やかに笑って言った。
「そう3年目、もう完璧な窓際族だよ! はいこれ、ママにお土産!」
「あら“魚八の京粕漬け”、わたし大好物なの、うれしい!」
澤村は京子ママと少し話をした後、スタスタと奥のテーブルに向かった。
そこで待っていたのはもちろん新田である。
多楠からは暗くて新田たちの顔が見えないが、ときどき2人の笑い声が聞こえる。奥には2人しかいない。
多楠は驚いた。
“新田さんの笑い声、初めて聞いたな・・・”
入り口近くのカウンターに1人座り、奥の方を盛んに気にしている多楠を見て、京子ママが笑いながら言った。
「あの2人、仲がいいのよね。」
「2人は昔、三田税務署の特調のときの統括官と部下の調査官で、新田チャンを最初にこの店へ連れてきたのが澤さんなの。当時は毎日のようにこのお店に来ていたわ。今座っている席でいつもおしゃべりして、カラオケを歌っていたの。もう何年前になるかしら。」
京子ママから、特別調査部門の略称で税務職員しか知らないはずの“特調”という言葉があまりにも自然に飛び出したのにはびっくりした。
しかし、何よりも驚いたのは
“新田さんが笑うなんて・・・そんなこともあるんだ。”
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それから1時間もたたないうちに、奥から澤村が出てきて多楠の元へやってきた。
多楠は硬直した。
「やぁ、初めまして! 僕は竹橋署のトッカンで澤村と言います。君が多楠君だね。新田君とペアなんだって? 勉強になるだろう。諦めないで新田君について行けば、きっといいことがあるはずだよ。」
「は、はぁ・・・ありがとうございます。」
とうなずくしかない多楠であった。
澤村は人懐っこい笑顔を浮かべると
「じゃあママ、悪いけど、俺帰るね。」
京子ママ
「あらいやだ、せっかく来たのにもうお帰り?」
照れた様子の澤村。
「カナダに留学している娘にこれから電話しなきゃならないんだよ。あんまり酔っぱらってから電話すると叱られるからね。」
京子ママ
「あら、本当に娘さんなの?これからどこかの美女とデートじゃないの?」
澤村は照れくさそうに笑って言った。
「いやだな。本当だよ。また今度ゆっくり来るね。多楠君、ガンバって!じゃあ!」
多楠は、澤村が出て行く様子を呆然と見ていた。
“何ともせわしい人だ・・・”
残された新田がまた一人、カラオケを歌いはじめる声が聞こえた。
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多楠がまどろみから戻ると、公園の林を抜けて少し風が吹いてきた。頬を舐める2枚の生温かい舌にビックリして目を開ける多楠。魚眼レンズで見たように、2匹のダックスフンドの顔が目の前に大きく現れた。
多楠はあまりの可愛さに2匹の犬を一度に抱きしめると、むくっとベンチから起き上がり、公園内のジョギングコースへと向かって歩きはじめた。
県立公園である行田公園の隣には、広大な敷地に税務大学校東京研修所が建っている。
公園を抜け、研修所前の一方通行の小路を歩いて、里山の雰囲気がそこかしこに残っている船橋市近郊の畑の中の道を、多楠と短い脚の2匹のミニチュアダックスフンドがちょこちょこと歩いて行った。
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翌週の月曜日、淡路と昼食を終え席に戻った多楠は、田村統括官に呼ばれた。
田村の側には、すでに新田と小泉調査官が立っていた。
多楠はニヤけた表情を浮かべている田村を見て、少しの緊張を覚えた。最近わかってきたことだが、こんなときの田村は、たいてい何やら企てをしている。
田村は多楠が席までやって来るとおもむろに言った。
「多楠君、御徒町駅の近くにあるすし屋を調査してほしいんだ。小泉調査官の事案なんだけど、1人で無予告調査は難しいから、新田・多楠ペアに手伝ってほしいんだよ。」
「ハイ?・・・・・」
急な話で戸惑う多楠、
「多楠君、無予告調査は初めてかな。無予告調査も経験しておかないとネ。2人の先輩からよく教わるといいよ。じゃぁ新田君、小泉君の支援を頼むね。」
普段から物静かな小泉調査官が、2人に深々と頭を下げた。
「新田さん、多楠君、よろしくお願いします。」
3人はさっそく調査の打ち合わせに入った。
急に舞い込んできた事案、着手は明日の10時、なにやら気忙しく、緊迫した感じがしてきた。
多楠にとって初めてとなる無予告調査。
実は大きな試練が、多楠を待ち構えていた。
(続く)
この物語はフィクションであり、登場する人物や団体等は、実在のものとは一切関係ありません。
〔小説〕『東上野税務署の多楠と新田』は、毎月第1週に掲載されます。