〔小説〕
『東上野税務署の多楠と新田』
~税務調査官の思考法~
【第1話】
「定期異動」
税理士 堀内 章典
税務署に定期異動の日がやってきた。
毎年7月10日に行われる定期異動は、国税の年中行事で税務署によっても異なるが、例年3割程度の職員が異動するのが通例である。
平均すると、職員一人がひとつの署に在籍するのは3年、ということになる。
今年の東上野税務署の定期異動は職員210名のうち74名。74名とは東上野署から国税局や他の税務署に異動する人の数であり、多楠調査官のように、署内の法人課税第1部門から法人課税第5部門に異動する人は含まれない。
昨年私立大学を卒業し、国税専門官で国税局に採用された多楠は、3ヶ月の税務大学校和光校舎での研修を経て、昨年7月、東上野署に配属された。24歳、褐色の肌、身長175㎝、幼いころから水泳で鍛えた体育会系の青年である。
1年間は法人課税第1部門において、会社税務である法人税、消費税、源泉所得税などの内部事務を担当、縁の下の力持ち的な仕事を経験した。
そして今年は晴れて念願の調査部門への配属になった。
定期異動の数日前、法人担当副署長の安倍から法人課税第5部門に配属されるとの内示を受けた。
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多楠には、5部門の中で気になっている先輩調査官がいた。
その調査官の名は、新田。
法人課税全部門は同じフロアにあるため、新田調査官と上司の田村統括官が勤務時間中よく大きな声を張り上げてやりあっている姿をこの1年間、多楠はよく目にした。
この新田と田村が5部門メンバーの残留組であった。
田村と多楠は内部事務の関係で会話をする機会が多かった。定年まであとわずかと聞いている田村統括官は小太りで人当たりが良く、多楠にも気さくに声をかけるなど、多楠は田村が直属の自分の上司になることで安心していた。
一方、気になるのは新田である。
小柄で細身、眼光がやたら鋭く、1部門の先輩から聞いたところによると、自分より8歳年上32歳。
多楠は、新田とは普段からあいさつを交わす程度。しかも、あいさつをしても、いつも面白くなさそうにソッポを向きながらあいさつを返す新田に対して、多楠は良い印象を持つことができなかった。
副署長から内示を聞いた多楠は、そのあとこっそり5部門へ、同じ部門になったということであいさつに行った。
田村はいつもどおりの笑顔で、
「期待しているよ、多楠君。頑張ってね。君は若手でウチの署のホープだからね。」
と言葉をかけられた。
一方の新田は
「・・・・・。」
いかにも関心がないといった感じで、軽くうなずく程度であった。
多楠は気が重くなった。
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さらに追い打ちをかけるような出来事があった。
異動日当日、5部門の自席に座った多楠を見るなり、すかさず田村がいつもの笑顔で多楠を呼んだ。しかも新田にも声をかけた。
さっそく何事かと思って田村のデスク前に立った多楠と新田に対し、田村が改まった声で
「多楠君、君は専科生(国税専門官のこと)で去年税務署に配属なったばかりだから、会社の調査は初めてだよね。調査1年目の調査官には必ず指導育成する先輩調査官を付けることになっている。
その指導役を新田調査官にお願いすることになった。
新田君はこの署に来る前、築地税務署で特別調査部門に所属していて、だいぶん事績を挙げた人だから、新田君に調査を教わればいろいろ勉強になると思うよ。」
(注) 特別調査部門とは、不正計算が想定される会社を対象に深度ある調査を行う部門であり、東上野署をはじめ都内の大きな税務署に配置されている。
「新田調査官、そんなわけで多楠君の面倒を見てあげて。」
新田はいつもどおり無表情のまま
「で、いつまで指導すればいいんですか。」
いかにもやりたくないという質問のように多楠は感じ取れた。
田村
「副署長からは特に言われなかったが、とりあえず半年間、今年の12月までかな。
いずれにしても新田君、よろしくね。
多楠君、いろいろと教わるといいよ。良い機会だから。」
“確かに新田調査官は田村統括官が言うように、頭が切れて調査ができそうだ。”でも、自分に対する冷たい態度、変人のような振る舞いの新田と半年間も付き合わなければいけないのかと思うと、さらに落ち込み、この先が不安になる多楠であった。
(続く)
この物語はフィクションであり、登場する人物や団体等は、実在のものとは一切関係ありません。
「東上野税務署の多楠と新田」は、毎月最終週に掲載されます。