〔小説〕
『東上野税務署の多楠と新田』
~税務調査官の思考法~
【第9話】
「調査官の意地」
税理士 堀内 章典
《前回までの主な登場人物》
◆多楠調査官
東上野税務署に入って2年目、今回初めて調査部門である法人課税第5部門に配属。
◆新田調査官
多楠の調査指導役、調査はできるが、なぜか多楠には冷たく当たる、近づきがたい先輩調査官。
◆田村統括官
法人課税第5部門の責任者である統括官、定年まであとわずか、小太りで好人物。
◆法人課税第5部門のメンバー
・三浦上席調査官(淡路の調査指導役)
・小泉調査官(調査経験4年目、寡黙な調査官)
・淡路調査官(多楠と同じ調査1年目の女性調査官)
共通の思い
(前回までのあらすじ)
新田・多楠調査官は、急きょ田村統括官から御徒町駅の近くにあるすし屋を調査するよう指令される。初めての無予告調査に緊張する多楠、嫌な予感が脳裏をかすめた。そしてその悪しき予感が的中する。初動で社長を取り逃がしてしまい、新田が激怒、多楠は署に帰るよう厳命されてしまう。
- 会社名:有限会社 すし勢
- 納税地:台東区上野3丁目(店舗所在地)
- 社長:藤田 茂男(39歳)
- 自宅:文京区白山1丁目
- 業種:寿司業
- 決算:3月決算
- 売上:最終期 9,000万円
- 申告所得:最終期 ▲200万円(累積欠損金750万円)
- 役員報酬
社 長:藤田 茂男 年間600万円
取締役:今泉 ミキ(妹) 年間360万円 - 税理士:林 肇
- 調査着手前の内偵調査によると、店の営業時間は、ランチが11時30分から14時、夜は18時から深夜1時まで、休みは不定期となっていた。2週間前の金曜日20時過ぎに、内偵で店に入った田村と小泉、店は活況を呈していた。
11時過ぎ、東上野署に肩を落としながら帰ってきた多楠調査官を見て、田村統括官が驚いた。
「どうしたの多楠君、1人で帰って来たみたいだけど・・・」
「・・・・。」
「さっき小泉調査官から連絡があって、社長は捕まらなかったけど、社長の妹さんに協力してもらって、調査を進めていると報告を受けたばかりだよ・・・」
田村が心配そうに多楠のもとに来て、肩を落としている多楠の顔を覗きこんだ。
多楠は消え入りそうな声で、すし勢の出来事を田村に報告した。
「僕が悪いんです。みすみす社長を取り逃がしてしまい、調査担当者の小泉調査官に迷惑をかけ、指導役の新田調査官に恥をかかせたんですから・・・」
田村もさすがに何と言って慰めてよいか困りきった表情で
「多楠君、そんなに自分を責めないで、とにかく調査は進んでいるみたいだから、とりあえず今日は署内で仕事をしたらどうかね。」
うなずく多楠、自席に戻ると部門の皆が調査で出払っている中、一人机の中から書類を出し始めた。
多楠の目は虚ろ、そんな多楠を見つめる田村は、
“いやはや大変な一日になったものだ”
と内心頭を抱えていた。
▼ ▲ ▼
場面をすし勢に戻そう。
逃げた社長の藤田に替わって、取締役である妹ミキを粘って説得し、何とか調査を続行した小泉調査官と新田調査官であったが、ランチが始まる11半前までには、何としても店舗内の確認調査を終了させたかった。調査権限はあるとはいえ、極力調査先の営業を妨げないように配慮するのが任意調査の基本である。
小泉と新田は手際よく店、特に厨房奥の小部屋と会計を行う古いレジの周りを中心に調べた。
2人はまったく言葉を交わしていないが、調査官としての勘は同じものであった。
“確かに多楠が社長を取り逃がしたのは手痛いミスであった。しかし、社長が税務調査を察知して店から逃げ出したのには何らかの理由があるハズ。かなりの確率で不正、おそらく売上を誤魔化しているに可能性が高い。”
11時過ぎに確認が終了、奥の小部屋で小泉と新田がミキを相手に、簡単に事業概況の説明を求め、いくつかの質問をした。
聴けば、社長の藤田は根っからの寿司職人で、朝築地にネタを仕入れに行き、帰ってきて仕込みを行いランチ、そして休憩をはさんで夜のカウンターに立ち寿司を握る日々を送っているらしい。
仕事ぶりは真面目で、職人としての腕もなかなかのようであったが、一日一升以上は飲むという酒と2箱は吸うというタバコがたたり、昨年38歳の誕生日前、脳梗塞を起こして倒れたらしい。緊急入院後、幸い一命は取り止めたものの右半身にマヒが残った。
一方、ミキは小さい子供がいるので、ランチの時間帯と夜の8時から店に出て、接客と店を閉めた後の売上代金の集計を行い、釣り銭を除いた現金と売上伝票を兄に渡しているという。
兄は3年前に離婚した後生活が乱れ、体を壊したようで、兄の体を気遣うミキがしんみりと言う。
「兄にもしもの事があったら大変、若い職人さんじゃこの店はもたない。・・・残念だけど、店は閉めるしかないわね。」
▼ ▲ ▼
しばらくの沈黙の後、間合いを計りながら小泉がミキに質問した。
「小部屋の中にあったゴミ箱に、売上伝票のような紙が破られ捨てられていました。これがそうです。」
小泉は、ごみ箱に捨ててあった紙のかたまりをミキに見せた。
「・・・それは昨日とかの売上の伝票でしょう?」
すかさず小泉が聴く。
「ではなぜ、ごみ箱に捨ててあったんでしょう。」
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