公開日: 2015/06/04 (掲載号:No.122)
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〔小説〕『東上野税務署の多楠と新田』~税務調査官の思考法~ 【第9話】「調査官の意地」

筆者: 堀内 章典

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社長の帰還

小泉と新田は社長の自宅から引返して食事をとった後、30分ほど前から店の前で様子をうかがっていた。その間、藤田社長らしき人物は戻って来なかった。

時間になり2人が店に入ると、ミキと税理士の林が待っていた。

いかにも育ちが良さそうな感じの林税理士に対し、小泉は調査に入った経緯、午前中の調査の経過を説明した。聞けば林の父親も税理士で、息子の林は3年ほど前に税理士試験にやっと合格したらしい。現在37歳で父親と二人三脚で税理士事務所の業務をしているとのこと。無予告調査について苦情を言うこともなく、小泉と談笑をしながら、社長の藤田が戻るのを奥の小部屋で待っていた。

ミキも林税理士が来たからか、午前中に比べ少し落ち着きを取り戻していた。2人の調査官と林にコーヒーを出し、店の出入り口を気にしながら言った。

「早く帰って来ないかしら、いったいどこに行ったんでしょう。兄さんったら・・・」

林税理士が預かっていたすし勢の総勘定元帳を調べたり、午前中の続きで聴取り調査を行っているうちに、時計は4時を回っていた。そろそろ調べることもなくなり、話も尽きかけたころ、店の出入り口に右足を引きずる一人の男がヌッと現れた。

昼間から酒を飲んでいるのか顔が赤黒く光っている、とにかく尋常な顔色ではない。

「・・・ミキ、今帰った。」

驚くミキ
「兄さん!どこに行っていたの? 税務署の人がお待ちかねよ。」

小泉と新田はすかさず藤田社長に来意を告げ、身分証明証を提示した。

藤田は身分証明証に目をやることもなくソッポを向きながら
「税務署? 何しに来たんだ。俺は何も悪いことなんてしちゃいない。」

ミキが言う
「だって兄さん、急にいなくなるんだもの。なぜ逃げたの?」

藤田
「何、逃げた?俺が?? 俺は逃げてなんかいない。急に用を思い出したから出かけただけだ。それの何が悪い。」

酒臭い息を吐きながら我を張る藤田を前に、先行きが怪しまれた。

たしかに藤田社長はどう見ても体の具合が悪そうだ。現在39歳のはずだが、多楠が言っていたように、60歳代、しかも後半の老人に見える。長年の飲酒や喫煙が招いた結果なのか。

小泉調査官は思った。

“多楠君がこの社長を老人に見誤ったのもよくわかる。この間、内偵調査のときに社長はカウンターの中ですしを握っていたはず。あのとき、一見老人に見えるこの目の前の男が39歳の社長だとは自分ですら考えも及ばなかった。ベテランの寿司職人くらいの感じで見ていた。”

“カウンター越しの藤田は、はつらつと元気に寿司を握っているように見えた。それが職人気質なのか。”

そんな思いを巡らせながら、小泉が切り出した。
「社長、現金出納帳と売上帳はどうしましたか。」

藤田
「出納帳? そんなもの知らねぇ。」

そんなはずはないと食い下がる小泉に、知らないと言い続ける藤田、ここで新田が口を開いた。

「知らないわけがないでしょう。妹さんは今朝までこの小部屋にあったと言っています。」

それを聞いた藤田は、シワだらけの顔の中にあって埋もれそうな小さな目を、これ以上開けられないぐらい大きく見開いて言った。

「そうだ! 捨てた、捨てたんだよ!」

新田は表情を変えずに続ける
「どこに?」

藤田社長
「・・・忘れた。酔っぱらってたから・・・」

このやり取りに呆れ顔のミキと林税理士であったが、小泉と新田はけっしてあきらめない。2人して懸命に社長を諭す。

「捨てるはずがない。社長、ちゃんと答えてください。」

実は、一般的に藤田のような職人が調査で最も手強い相手なのだ。怖いもの知らず、まして酔っぱらっているからまともな会話にならない。

▼   ▲   ▼

東上野税務署、庁舎の外はすっかり日が暮れていた。

4時過ぎに小泉調査官から藤田社長が店に現れたといったん連絡が入り、一度は安堵した田村と多楠であったが、その後5時半ごろ再び田村の携帯電話に小泉から連絡が入った。

「お疲れ様、田村です。」

「何? これから社長と一緒に自宅に帳簿を取りに行くだって? 自宅は文京区白山・・・わかった。気をつけて、夜も遅くなるし、調査先の営業もあるから早めに切り上げて、ご苦労様。」

多楠は田村の電話でのやり取りを聞いて思った。

“どうやら新田さんと小泉さんは帳簿を確認するために、藤田社長の自宅に向かうらしい。・・・これは長期戦になるな。”

6時ごろまで2人を気遣っていた淡路調査官であったが、子供の保育園のお迎えがあるからと帰って行った。三浦は所用があるとのことで5時過ぎに早々と帰っていた。

時刻はとうに午後8時を回っていた。昼は狭い庁舎の中で大勢の人がひしめく東上野税務署であったが、今は閑散としている。3階の法人課税部門には田村統括官と多楠、あとわずかの職員しか残っていない。副署長室で待機している安倍、法人課税部門の総責任者である法人課税第1部門の柳沢統括官と部下数名、あとは2階の総務課の職員ぐらいである。

田村も多楠も、夕食をとっていない。多楠はというと、今日一日、まったく仕事が手につかなかった。

新田の鬼のような顔が脳裏に焼きついて離れない。

社長の自宅に向かった2人はその後どうなったんだろうと気がかりな多楠、長い沈黙と静寂が続く。

人気がなくなった税務署の庁舎はすっかり静まり返っていた。

そのとき、田村の携帯電話が鳴った。

それは小泉からの電話であった。

(続く)

この物語はフィクションであり、登場する人物や団体等は、実在のものとは一切関係ありません。

〔小説〕『東上野税務署の多楠と新田』は、毎月第1週に掲載されます。

〔小説〕

『東上野税務署の多楠と新田』

~税務調査官の思考法~

【第9話】

「調査官の意地」

税理士 堀内 章典

 

前回までの主な登場人物》

多楠調査官
東上野税務署に入って2年目、今回初めて調査部門である法人課税第5部門に配属。

新田調査官
多楠の調査指導役、調査はできるが、なぜか多楠には冷たく当たる、近づきがたい先輩調査官。

田村統括官
法人課税第5部門の責任者である統括官、定年まであとわずか、小太りで好人物。

法人課税第5部門のメンバー
・三浦上席調査官(淡路の調査指導役)
・小泉調査官(調査経験4年目、寡黙な調査官)
・淡路調査官(多楠と同じ調査1年目の女性調査官)

 

共通の思い

前回までのあらすじ)

新田・多楠調査官は、急きょ田村統括官から御徒町駅の近くにあるすし屋を調査するよう指令される。初めての無予告調査に緊張する多楠、嫌な予感が脳裏をかすめた。そしてその悪しき予感が的中する。初動で社長を取り逃がしてしまい、新田が激怒、多楠は署に帰るよう厳命されてしまう。

  • 会社名:有限会社 すし勢
  • 納税地:台東区上野3丁目(店舗所在地)
  • 社長:藤田 茂男(39歳)
  • 自宅:文京区白山1丁目
  • 業種:寿司業
  • 決算:3月決算
  • 売上:最終期 9,000万円
  • 申告所得:最終期 ▲200万円(累積欠損金750万円)
  • 役員報酬
    社 長:藤田 茂男 年間600万円
    取締役:今泉 ミキ(妹) 年間360万円
  • 税理士:林  肇
  • 調査着手前の内偵調査によると、店の営業時間は、ランチが11時30分から14時、夜は18時から深夜1時まで、休みは不定期となっていた。2週間前の金曜日20時過ぎに、内偵で店に入った田村と小泉、店は活況を呈していた。

11時過ぎ、東上野署に肩を落としながら帰ってきた多楠調査官を見て、田村統括官が驚いた。

「どうしたの多楠君、1人で帰って来たみたいだけど・・・」

「・・・・。」

「さっき小泉調査官から連絡があって、社長は捕まらなかったけど、社長の妹さんに協力してもらって、調査を進めていると報告を受けたばかりだよ・・・」

田村が心配そうに多楠のもとに来て、肩を落としている多楠の顔を覗きこんだ。
多楠は消え入りそうな声で、すし勢の出来事を田村に報告した。

「僕が悪いんです。みすみす社長を取り逃がしてしまい、調査担当者の小泉調査官に迷惑をかけ、指導役の新田調査官に恥をかかせたんですから・・・」

田村もさすがに何と言って慰めてよいか困りきった表情で
「多楠君、そんなに自分を責めないで、とにかく調査は進んでいるみたいだから、とりあえず今日は署内で仕事をしたらどうかね。」

うなずく多楠、自席に戻ると部門の皆が調査で出払っている中、一人机の中から書類を出し始めた。

多楠の目は虚ろ、そんな多楠を見つめる田村は、

“いやはや大変な一日になったものだ”

と内心頭を抱えていた。

▼   ▲   ▼

場面をすし勢に戻そう。

逃げた社長の藤田に替わって、取締役である妹ミキを粘って説得し、何とか調査を続行した小泉調査官と新田調査官であったが、ランチが始まる11半前までには、何としても店舗内の確認調査を終了させたかった。調査権限はあるとはいえ、極力調査先の営業を妨げないように配慮するのが任意調査の基本である。

小泉と新田は手際よく店、特に厨房奥の小部屋と会計を行う古いレジの周りを中心に調べた。

2人はまったく言葉を交わしていないが、調査官としての勘は同じものであった。

“確かに多楠が社長を取り逃がしたのは手痛いミスであった。しかし、社長が税務調査を察知して店から逃げ出したのには何らかの理由があるハズ。かなりの確率で不正、おそらく売上を誤魔化しているに可能性が高い。”

11時過ぎに確認が終了、奥の小部屋で小泉と新田がミキを相手に、簡単に事業概況の説明を求め、いくつかの質問をした。

聴けば、社長の藤田は根っからの寿司職人で、朝築地にネタを仕入れに行き、帰ってきて仕込みを行いランチ、そして休憩をはさんで夜のカウンターに立ち寿司を握る日々を送っているらしい。

仕事ぶりは真面目で、職人としての腕もなかなかのようであったが、一日一升以上は飲むという酒と2箱は吸うというタバコがたたり、昨年38歳の誕生日前、脳梗塞を起こして倒れたらしい。緊急入院後、幸い一命は取り止めたものの右半身にマヒが残った。

一方、ミキは小さい子供がいるので、ランチの時間帯と夜の8時から店に出て、接客と店を閉めた後の売上代金の集計を行い、釣り銭を除いた現金と売上伝票を兄に渡しているという。

兄は3年前に離婚した後生活が乱れ、体を壊したようで、兄の体を気遣うミキがしんみりと言う。

「兄にもしもの事があったら大変、若い職人さんじゃこの店はもたない。・・・残念だけど、店は閉めるしかないわね。」

▼   ▲   ▼

しばらくの沈黙の後、間合いを計りながら小泉がミキに質問した。
「小部屋の中にあったゴミ箱に、売上伝票のような紙が破られ捨てられていました。これがそうです。」

小泉は、ごみ箱に捨ててあった紙のかたまりをミキに見せた。

「・・・それは昨日とかの売上の伝票でしょう?」

すかさず小泉が聴く。
「ではなぜ、ごみ箱に捨ててあったんでしょう。」

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連載目次

筆者紹介

堀内 章典

(ほりうち・あきのり)

税理士
株式会社SKC代表取締役
堀内税理士事務所所長
東京新宿相続サロン主宰

昭和54年3月学習院大学経済学部卒
昭和54年4月東京国税局採用
33年間、国税局及び税務署に勤務
税務署24年(うち特別国税調査官7年)
国税局資料調査課6年
税務大学校簿記会計担当教育官3年
平成24年9月税理士開業
株式会社SKC設立、現在に至る。

◆株式会社SKC&堀内税理士事務所公式サイト
http://skc.jp.net/
~会社の節税、税務調査対策情報が満載~

◆東京新宿相続サロン
http://souzoku-salon.net/
~相続税の節税、納税、税務調査対策情報が満載~

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