公開日: 2013/08/22 (掲載号:No.32)
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活力ある会社を作る「社内ルール」の作り方 【第1回】「権利と義務で統治することの限界」

筆者: 下田 直人

活力ある会社を作る

「社内ルール」の作り方

【第1回】

「権利と義務で統治することの限界」

 

特定社会保険労務士 下田 直人

 

連載にあたって

皆様の会社でも、人が増えるにつれ、また、様々な価値観を持つ社員が増えるにつれ、社内を活性化させるためにどのような社内ルールを構築すべきか悩まれている企業も多いと思われる。
価値観が多様化する今日では、社員をひとつにまとめるための効果的な社内ルールの構築が急務となってきている。

そこで、本連載では「活力ある会社を作る社内ルールの作り方」について解説していきたい。

 

〈組織にはルールが必要〉

複数の人間がひとつの場所でひとつの目的に向かって同じ方向を見るには、一定のルールが必要となってくる。
ルールがなければ、それぞれの人が自分なりの考えに基づいて行動することになり、一定基準以上の高い成果を継続的に上げつづけることが難しくなるからだ。
集団を効率的、効果的に動かすには、ルールが存在し、また、そのルールが社員に理解されている必要がある。

この理解というプロセスに極めて重要なのが、「文書によるルールの明文化」である。

 

〈就業規則の必要性〉

社内ルールと言うと、皆さんは、何をイメージするだろうか。

おそらく、「就業規則」が思い浮かぶのではないだろうか。

就業規則は、労働基準法上では、従業員が10名以上いる事業場では労働基準監督署への届出と社員への周知が義務付けられている。また、労働契約法という法律では、就業規則が定められ、社員に周知されていれば、その内容が労働契約の一部となるとも言っている。

つまり、就業規則は、社内で発生する会社と社員との間の権利と義務をはっきりさせるものである。したがって、会社は、就業規則を根拠に、社員に命令することができるのだ。また、労使間でトラブルが生じた際には、解決の根拠となるものでもある。

仮に就業規則が社内に存在しないということは、各社員と細かな労働契約を結ばない限り、会社の規律に従わせることなどが難しくなる。
つまり、就業規則がないということは、社内統治ができなくなる恐れがあるということだ。

昨今では、「問題社員対策」として事細かな内容を就業規則に定める傾向にある。
前述のとおり、就業規則に様々な禁止規定や義務規定を設けておけば、それを根拠に社員を拘束することができるからだ。
これは、ある意味においては、重要なことであり、否定するものではない。実際に、トラブルメーカー的な者がいることも事実だ。

したがって、何はさておき、会社は、規模や業種に関係なく、自社実情にマッチした就業規則をきちんと作成しておくことが必要になってくる。

 

〈就業規則重視が行き過ぎると〉

しかしながら、一方で次のような考えも、筆者の頭の中には駆け巡る。

このやり方を追求していくと、問題が起きれば、それに対応する新たな規則を作ることになり、規則がどんどん肥大化していってしまう。

つまり、きりがなくなってしまうのだ。

筆者が学生の頃は、全国の学校で「変な校則がある」と話題になった。
その中には「男子生徒と女子生徒は1メートル以上離れて歩かなければならない。」といった極めておかしなものがあったのを記憶している。想像するに、このような校則も何か問題が起こり、その対処として決められたものであろう。

問題への対処療法としてのルール作りが極端に行きついてしまうと、規則が戦略的にしかけるツールではなくなってしまう。肥大化したルールは、業務の生産性を上げるために求められる一定の基準ではなく、問題が起きた時に会社が都合よく罰することができるようにすることを目的とした、経営的には極めて後ろ向きのツールにしかならない。

 

〈規則は何のために必要か?〉

ここで一度原点に立ち返りたいのであるが、そもそも、なぜ規則が必要なのか?

筆者は、会社にとって規則が必要な理由は、「生産性の向上」にあると思っている。一定のルールを作ることによって、「非効率な時間が少なくなる」「社員が安心して働くことができ、仕事に集中できる」「離職率が下がる」そのようなことに寄与するのが規則なのではないかと考えている。

「生産性向上」という視点から考えると、規則は、読んで理解できる程度のボリュームにしておかなければならない。そうはいっても、入社から退社まで社内で起こりうることに対応するルールを決めれば、そこそこのボリュームにはなり、すべてを理解しておくことは至難の業と思われる。

そうなると、就業規則の細かい部分を読まなくても、「うちの会社ならこういうことが求められるだろう」「こういうことは禁止されるだろう」と、ある程度の予想が付けられるようにしておく必要がある。

 

〈規則でないもので統治するとしたら?〉

では、それらの予想は、何が根拠となるのであろうか。

これについて筆者は、自社の企業文化やコア・バリューなど、会社が大切にする価値観が根拠になりうると考えている。
つまり、自社の企業文化やコア・バリューがきちんと明文化されたものとして存在し、その方針と就業規則の内容が同じ方向を向いているのであれば、規則の細部を読み込まなくても大方の方向は間違えないのである。

「企業文化」や「コア・バリュー」というと、何だか堅苦しくて難しいようなものに感じとられてしまうが、実はそんな難しいものではない。特に、オーナー企業で社長の話が伝わりやすい中小企業ではなおさらだ。

最初のうちは、
「社長が大切にしていることで、いつも口酸っぱく言っていること」
「社長が考える社員の幸せ」
「これだけは譲れないもの」
そういったものを少し整理して、文書にするだけでも立派なコア・バリューになると思う。

 

〈権利と義務で統治することの限界〉

インターネットの発達により、誰でも簡単に多くの情報にアクセスできる時代になってきているのは周知のとおりである。こんな時代に、会社にとって都合のいい就業規則を作り、それに社員を従わせようとしても、難しくなってきている。

つまり、「アラブの春」がインターネットの威力により国家を転覆させたように、会社にとってだけ都合がいいルールは、いとも簡単に社員にそっぽを向かれてしまう時代に突入している事実を認識する必要がある。

例えば、就業規則で副業を禁止していた場合、「規則があるということだけをもって、すべての副業を禁止できない」という事実を、今ではインターネットを通じ誰でも簡単に知ることができてしまう。

権利義務関係での話になっていくと、どうしても会社の方が不利になってくる。
権利は持っているから必ず行使しなければならないものではなく、行使しなくてもいいのだ。誰でも真の情報を簡単に手に入れられる時代になったからこそ、会社は、権利義務の関係ではないところで労使関係を構築していくことが、重要になってきていると筆者は考える。

そして、権利と義務は、突き詰めるほど窮屈な組織になってくる。
窮屈な組織では、皆の発想が「何をやるべきか」ではなく「やってもよい」という発想に陥りがちになる。

世の中がダイナミックに動く時代では、「やってもよい」という消極的な判断が横行する組織では、発展は難しくなってくると思われる。それよりも、自分たちの価値観を基準に照らし合わせ「やるべきか否か」で行動していく組織の方が発展する。

また、価値観が明確になると、変な行動をとる社員がいた場合に、就業規則がその人間を許さないのではなく、周囲がその人間を許さなくなる。つまり、権利義務の関係でその人間が組織から排除されるのではなく、周囲がその人が組織に存在することを許さなくする。
そうなると就業規則は基本的な原則が載せられ、最後のジャッジメントの時に念のために、確認だけすればいいものになってくる。

*  *  *

以上、見てきたとおり、これからの社会では、最終的には価値観で社内統治することを目指していくべきであると筆者は考える。しかし、前述のとおり、その前提としては、社内ルールとしての就業規則が存在していることである。

次回以降では、こんな時代の就業規則のあり方について考えていきたい。

(了)

「活力ある会社を作る「社内ルール」の作り方」は、毎月第1週・3週の掲載となります。

活力ある会社を作る

「社内ルール」の作り方

【第1回】

「権利と義務で統治することの限界」

 

特定社会保険労務士 下田 直人

 

連載にあたって

皆様の会社でも、人が増えるにつれ、また、様々な価値観を持つ社員が増えるにつれ、社内を活性化させるためにどのような社内ルールを構築すべきか悩まれている企業も多いと思われる。
価値観が多様化する今日では、社員をひとつにまとめるための効果的な社内ルールの構築が急務となってきている。

そこで、本連載では「活力ある会社を作る社内ルールの作り方」について解説していきたい。

 

〈組織にはルールが必要〉

複数の人間がひとつの場所でひとつの目的に向かって同じ方向を見るには、一定のルールが必要となってくる。
ルールがなければ、それぞれの人が自分なりの考えに基づいて行動することになり、一定基準以上の高い成果を継続的に上げつづけることが難しくなるからだ。
集団を効率的、効果的に動かすには、ルールが存在し、また、そのルールが社員に理解されている必要がある。

この理解というプロセスに極めて重要なのが、「文書によるルールの明文化」である。

 

〈就業規則の必要性〉

社内ルールと言うと、皆さんは、何をイメージするだろうか。

おそらく、「就業規則」が思い浮かぶのではないだろうか。

就業規則は、労働基準法上では、従業員が10名以上いる事業場では労働基準監督署への届出と社員への周知が義務付けられている。また、労働契約法という法律では、就業規則が定められ、社員に周知されていれば、その内容が労働契約の一部となるとも言っている。

つまり、就業規則は、社内で発生する会社と社員との間の権利と義務をはっきりさせるものである。したがって、会社は、就業規則を根拠に、社員に命令することができるのだ。また、労使間でトラブルが生じた際には、解決の根拠となるものでもある。

仮に就業規則が社内に存在しないということは、各社員と細かな労働契約を結ばない限り、会社の規律に従わせることなどが難しくなる。
つまり、就業規則がないということは、社内統治ができなくなる恐れがあるということだ。

昨今では、「問題社員対策」として事細かな内容を就業規則に定める傾向にある。
前述のとおり、就業規則に様々な禁止規定や義務規定を設けておけば、それを根拠に社員を拘束することができるからだ。
これは、ある意味においては、重要なことであり、否定するものではない。実際に、トラブルメーカー的な者がいることも事実だ。

したがって、何はさておき、会社は、規模や業種に関係なく、自社実情にマッチした就業規則をきちんと作成しておくことが必要になってくる。

 

〈就業規則重視が行き過ぎると〉

しかしながら、一方で次のような考えも、筆者の頭の中には駆け巡る。

このやり方を追求していくと、問題が起きれば、それに対応する新たな規則を作ることになり、規則がどんどん肥大化していってしまう。

つまり、きりがなくなってしまうのだ。

筆者が学生の頃は、全国の学校で「変な校則がある」と話題になった。
その中には「男子生徒と女子生徒は1メートル以上離れて歩かなければならない。」といった極めておかしなものがあったのを記憶している。想像するに、このような校則も何か問題が起こり、その対処として決められたものであろう。

問題への対処療法としてのルール作りが極端に行きついてしまうと、規則が戦略的にしかけるツールではなくなってしまう。肥大化したルールは、業務の生産性を上げるために求められる一定の基準ではなく、問題が起きた時に会社が都合よく罰することができるようにすることを目的とした、経営的には極めて後ろ向きのツールにしかならない。

 

〈規則は何のために必要か?〉

ここで一度原点に立ち返りたいのであるが、そもそも、なぜ規則が必要なのか?

筆者は、会社にとって規則が必要な理由は、「生産性の向上」にあると思っている。一定のルールを作ることによって、「非効率な時間が少なくなる」「社員が安心して働くことができ、仕事に集中できる」「離職率が下がる」そのようなことに寄与するのが規則なのではないかと考えている。

「生産性向上」という視点から考えると、規則は、読んで理解できる程度のボリュームにしておかなければならない。そうはいっても、入社から退社まで社内で起こりうることに対応するルールを決めれば、そこそこのボリュームにはなり、すべてを理解しておくことは至難の業と思われる。

そうなると、就業規則の細かい部分を読まなくても、「うちの会社ならこういうことが求められるだろう」「こういうことは禁止されるだろう」と、ある程度の予想が付けられるようにしておく必要がある。

 

〈規則でないもので統治するとしたら?〉

では、それらの予想は、何が根拠となるのであろうか。

これについて筆者は、自社の企業文化やコア・バリューなど、会社が大切にする価値観が根拠になりうると考えている。
つまり、自社の企業文化やコア・バリューがきちんと明文化されたものとして存在し、その方針と就業規則の内容が同じ方向を向いているのであれば、規則の細部を読み込まなくても大方の方向は間違えないのである。

「企業文化」や「コア・バリュー」というと、何だか堅苦しくて難しいようなものに感じとられてしまうが、実はそんな難しいものではない。特に、オーナー企業で社長の話が伝わりやすい中小企業ではなおさらだ。

最初のうちは、
「社長が大切にしていることで、いつも口酸っぱく言っていること」
「社長が考える社員の幸せ」
「これだけは譲れないもの」
そういったものを少し整理して、文書にするだけでも立派なコア・バリューになると思う。

 

〈権利と義務で統治することの限界〉

インターネットの発達により、誰でも簡単に多くの情報にアクセスできる時代になってきているのは周知のとおりである。こんな時代に、会社にとって都合のいい就業規則を作り、それに社員を従わせようとしても、難しくなってきている。

つまり、「アラブの春」がインターネットの威力により国家を転覆させたように、会社にとってだけ都合がいいルールは、いとも簡単に社員にそっぽを向かれてしまう時代に突入している事実を認識する必要がある。

例えば、就業規則で副業を禁止していた場合、「規則があるということだけをもって、すべての副業を禁止できない」という事実を、今ではインターネットを通じ誰でも簡単に知ることができてしまう。

権利義務関係での話になっていくと、どうしても会社の方が不利になってくる。
権利は持っているから必ず行使しなければならないものではなく、行使しなくてもいいのだ。誰でも真の情報を簡単に手に入れられる時代になったからこそ、会社は、権利義務の関係ではないところで労使関係を構築していくことが、重要になってきていると筆者は考える。

そして、権利と義務は、突き詰めるほど窮屈な組織になってくる。
窮屈な組織では、皆の発想が「何をやるべきか」ではなく「やってもよい」という発想に陥りがちになる。

世の中がダイナミックに動く時代では、「やってもよい」という消極的な判断が横行する組織では、発展は難しくなってくると思われる。それよりも、自分たちの価値観を基準に照らし合わせ「やるべきか否か」で行動していく組織の方が発展する。

また、価値観が明確になると、変な行動をとる社員がいた場合に、就業規則がその人間を許さないのではなく、周囲がその人間を許さなくなる。つまり、権利義務の関係でその人間が組織から排除されるのではなく、周囲がその人が組織に存在することを許さなくする。
そうなると就業規則は基本的な原則が載せられ、最後のジャッジメントの時に念のために、確認だけすればいいものになってくる。

*  *  *

以上、見てきたとおり、これからの社会では、最終的には価値観で社内統治することを目指していくべきであると筆者は考える。しかし、前述のとおり、その前提としては、社内ルールとしての就業規則が存在していることである。

次回以降では、こんな時代の就業規則のあり方について考えていきたい。

(了)

「活力ある会社を作る「社内ルール」の作り方」は、毎月第1週・3週の掲載となります。

連載目次

筆者紹介

下田 直人

(しもだ・なおと)

特定社会保険労務士
社会保険労務士事務所エスパシオ代表

2002年に開業し、全国の中小企業を顧問先に持ち、人事労務のアドバイス、就業規則の作成、人事制度の構築などを行っている。
特に、単なる法的なアドバイスに留まらず、人間の心理面にも着目し、組織が活性化する労務管理のあり方を提案することをモットーとしている。
また、経営者のパーソナルコーチとして、定期的なコーチングにより経営ビジョンの明確化、経営計画の達成などにも成果を上げている。
その他に、全国の商工会議所や業界団体などで年間20回程度のセミナーを行っている。

【主な著書】
・『優良企業の人事・労務管理』(PHP)
・『勝ち組企業の就業規則』(PHP)
・『嫌われ上司になっても部下に教えたいルール』(中経出版)
など

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