国税審査官エイトの勤務日誌
~ある国税不服審判所の記録~
お天気の葛本審査官①

公認会計士・税理士 八ッ尾 順一
大阪国税不服審判所は、合同庁舎の13階にある。13階の全てのフロアーが審判所である。なお、合同庁舎の1階から3階までが税務署で、4階から12階は国税局である。夜遅くなっても、国税局の窓だけは明るい。
永途がエレベーターに乗ろうとすると、後ろから、中年の男が駆け足でエレベーターに滑り込んでくる。
細身で、メガネをかけた男は、ニヤニヤ笑いながら、永途に「えらい、良い天気ですね」と声をかける。
永途は、中年の男に、軽く頷く。
13階で、エレベーターが止まると、中年の男も永途の後に続いて出る。
「・・・審判所の方ですか?」
永途は、振りかえると、男に尋ねる。
「・・・はい、審理部の葛本といいます・・・」
そう言うと、中年の男は、傍らにある審理部のドアを開けて、中に入った。
審理部は、納税者である審査請求人と直接に会うことはなく、各合議体がそれぞれ作成した議決書の内容をもう一度見直す、いわゆる「審理」という作業を行う部署である。
永途が第二部の座席に着くと、もう、黒田は分厚い資料を読んでいる。
「おはようございます」
永途が声をかけると、黒田は老眼鏡を外して、大きく頷く。
黒田は、税務署で「酒類指導官」をしていた。
酒類指導官というポストは、統括官クラスである。昔は酒税は、間接税部門であったが、平成元年に消費税が導入されることによって、税務行政組織の中で、直接税と間接税との区分は廃止となり、直接税の法人税部門や所得税部門も間接税の消費税を担当することになった。

「・・・あの・・・葛本さんという人・・・審理部にいるんですか?」
永途が尋ねる。
「・・・葛本・・・ああ、お天気の葛本か・・・」
黒川は、急に笑い出した。
そしてすぐ、黒田は、笑いをこらえるように「えらい、良い天気ですね・・・と尋ねられただろう」と永途に訊く。
永途は、黒田の笑う顔を見ながら、頷く。
「・・・葛本は、朝、人に会うときには、必ずその言葉を使うのだ・・・えらい、良い天気ですね・・・」
黒田は、よほどおかしいのか、まだ、笑っている。
「・・・あの・・・天気の悪いときでも・・・そう言うのですか?」
黒田は、ようやく笑いを止めて、「・・・いや、そのときは・・・黙っている」と答える。
永途は、エレベーターで会った葛本の顔を思い出しながら、「えらい、良い天気ですね」と呟いてみる。
黒田は、笑いが止まると、真剣な顔をして、「・・・しかし、葛本は、とても頭が良い・・・税務大学校で、金時計を貰っている・・・」と言う。
「・・・専門の税は何ですか?」
永途が尋ねる。
「・・・ぼくと違って、法人税だよ・・・」
酒税専門の黒田は、すねたように言う。
「・・・酒税なんで、税理士になっても、何の役にも立たない・・・」
黒田は不満そうに言う。
「・・・しかし・・・税理士の資格は、もう持っているのでしょ・・・」
永途が尋ねる。
「・・・ああ、持っているよ・・・10年前にね・・・」
そう言うと、黒田は、傍らに置いてある税務六法を取り出し、税理士法8条1項10号イを広げる。
次に掲げる者で、官公署における国税若しくは地方税に関する事務を管理し、若しくは監督することを職務とする職又は経験を必要とする事務を処理することを職務とする職として財務省令で定めるものに在職した期間が通算して5年以上になるもののうち、国税審議会の指定した研修(財務省令で定める要件を満たす研修のうち、国税審議会が税理士試験の試験科目のうち会計学に属する科目について前条第1項に規定する成績を得た者が有する学識と同程度のものを習得することができるものと認めて指定したものをいう。)を修了した者については、会計学に属する科目
イ 第4号から第6号までに規定する事務に従事した期間が通算して23年以上になる者
(太字:筆者)
「・・・ぼくはね・・・審判所に配属されて良かったと思う・・・酒税だけでなく、法人税や所得税なども・・・勉強できるからね・・・君のように、もっと若いときに審判所に来ていればなおさら良かった・・・」
永途も大きく頷く。そのとき、背後から大きな声が聞こえてきた。
「おはよう」
剛速球の田中審判官である。
永途は、振りかえると、大きな声で「おはようございます」と言った。
(つづく)
この物語はフィクションであり、登場する人物や団体等は、実在のものとは一切関係ありません。
「〈小説〉『国税審査官エイトの勤務日誌』~ある国税不服審判所の記録~」は、不定期の掲載となります。















