公開日: 2026/10/29 (掲載号:No.692)
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実務家による実務家のためのブックガイド -No.6- 外山滋比古 著『乱読・乱談のセレンディピティ』

筆者: 石王丸 香菜子

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※この記事は会員以外の方もご覧いただけます。

実務家による実務家のための

ブックガイド

-No.6-

外山滋比古 著

『乱読・乱談のセレンディピティ』

 

〈評者〉

公認会計士 石王丸 香菜子

 

本書は、専門書ではない。しかし、専門家に効く本である。

専門家には、知識の蓄積が求められる。たとえば監査基準は、監査人について、「職業的専門家として、その専門能力の向上と実務経験等から得られる知識の蓄積に常に努めなければならない」としている。これは、監査を行う会計士に限った話ではないだろう。税理士、弁護士、会社の経理・法務担当者、あるいは経営に関わる人々にとっても、知識を更新・蓄積していくことは欠かせない。

しかし、知識には副作用もある。

知識が増えるほど、すでに持っている枠組みだけで物事を処理したくなる。蓄積された知識の型にはめ込むことで、かえって重要な点を見落とすこともある。
詰め込まれすぎた専門知識は、ともすると、思考の風通しを悪くする。外山氏の言葉を借りれば、「知的メタボリック・シンドローム」である。

もう一つ、監査基準の言葉を引いておきたい。

監査基準は、監査人に対し、「職業的専門家としての正当な注意を払い、懐疑心を保持して監査を行わなければならない」としている。

ここでいう「正当な注意」や「懐疑心」には、先入観を持たずに事実を確認する、証拠を吟味する、他者の説明をうのみにしない、矛盾があれば立ち止まる、といった姿勢が含まれる。これもまた、監査人に限らず、専門的な判断を担う人にとって欠かせないものだろう。

こうした姿勢を保つには、知識だけでなく、バランス感覚がいる。

「たしかにそうかもしれない。しかし、別の見方はないか」「説明は通っているように思えるが、どこか引っかかる」。――そのように、一歩引いて物事を見る感覚である。一種の嗅覚に近い側面があるかもしれない。

このような力は、専門書を熟読し、知識を蓄積するだけで身につくものではないように思う。

そこで、「乱読」である。

目的を決めずに読む。風のように読み散らかす。気になった本を手に取り、気になったところを読み、合わなければ途中で離れる。読み終えたとしても、内容をすべて覚えている必要はない。読み捨ててもよい。頭の中に、少し散らかったまま置いておく。

すると、いつか、それまで別々に存在していたものが、不意につながることがある。専門外の本で知った考え方が、目の前の事象を別の角度から見るきっかけになる。何気なく読んだ一節が、思わぬところで現実と結びつく。

乱読は、専門知識の代わりになるものではない。けれども、知識のまわりに風を入れ、思考を動かしてくれる。専門家が専門の内側に閉じこもらないための、静かな寄り道である。

乱読に並んで、本書で外山氏が勧めるのが、「乱談」である。

同じ専門の者同士で話しているだけでは、新しい考え方や見方にはつながりにくい。異なる分野の人たち、専門の違う人たちが、思ったことを自由に述べ合う。目的を決めず、結論を求めず、境界にこだわらずに交流する。

こうした乱談は、固定化された思考に、新しい発想や発見、思いがけない揺れを与えてくれる。

近年では対話型のAIが台頭しているが、AIとの対話は、多くの場合、自分が投げた問いから始まる。その意味では、人との会話に比べて偶然性が入り込みにくい。AI時代において、人と話すことの価値は小さくなるのではない。むしろ、その価値があらためて見えてくるのかもしれない。

現代の専門家を取り巻く環境は、複雑さを増している。

会計、税務、監査、法務、経営。どの分野でも、基準や制度は細かくなり、実務は高度化している。知識の更新を怠れば、すぐに置いていかれる。

その一方で、いま起きている変化は、専門分野の内側だけでは完結しない。たとえば、サステナビリティ情報開示の進展は、財務情報と非財務情報の境界を揺さぶっている。AIは、企業の業務の在り方を大きく変えつつある。これまでの知識が、これからもそのまま通用するとは限らない。

こうした時代には、専門知識を深めるだけでは足りない。専門の外にも目を向けること。知識を蓄えながら、その外側にあるものにも触れること。ときには答えの出ない会話に身を置くこと。
それは、一見すると寄り道である。

しかし、その寄り道にこそ、専門家の思考をしなやかにするものが含まれている。乱読も、乱談も、そのような知的な寄り道である。

本書は、乱読や乱談の効能を、肩の力を抜いた語り口で伝えてくれる。知識は増えているのに、発想が硬くなっていると感じたとき。効率よく学ぶことに、少し疲れたとき。そのようなときに手に取ってみるとよい一冊である。

(了)

〔書籍情報〕

「実務家による実務家のためのブックガイド」は不定期連載です。

※この記事は会員以外の方もご覧いただけます。

実務家による実務家のための

ブックガイド

-No.6-

外山滋比古 著

『乱読・乱談のセレンディピティ』

 

〈評者〉

公認会計士 石王丸 香菜子

 

本書は、専門書ではない。しかし、専門家に効く本である。

専門家には、知識の蓄積が求められる。たとえば監査基準は、監査人について、「職業的専門家として、その専門能力の向上と実務経験等から得られる知識の蓄積に常に努めなければならない」としている。これは、監査を行う会計士に限った話ではないだろう。税理士、弁護士、会社の経理・法務担当者、あるいは経営に関わる人々にとっても、知識を更新・蓄積していくことは欠かせない。

しかし、知識には副作用もある。

知識が増えるほど、すでに持っている枠組みだけで物事を処理したくなる。蓄積された知識の型にはめ込むことで、かえって重要な点を見落とすこともある。
詰め込まれすぎた専門知識は、ともすると、思考の風通しを悪くする。外山氏の言葉を借りれば、「知的メタボリック・シンドローム」である。

もう一つ、監査基準の言葉を引いておきたい。

監査基準は、監査人に対し、「職業的専門家としての正当な注意を払い、懐疑心を保持して監査を行わなければならない」としている。

ここでいう「正当な注意」や「懐疑心」には、先入観を持たずに事実を確認する、証拠を吟味する、他者の説明をうのみにしない、矛盾があれば立ち止まる、といった姿勢が含まれる。これもまた、監査人に限らず、専門的な判断を担う人にとって欠かせないものだろう。

こうした姿勢を保つには、知識だけでなく、バランス感覚がいる。

「たしかにそうかもしれない。しかし、別の見方はないか」「説明は通っているように思えるが、どこか引っかかる」。――そのように、一歩引いて物事を見る感覚である。一種の嗅覚に近い側面があるかもしれない。

このような力は、専門書を熟読し、知識を蓄積するだけで身につくものではないように思う。

そこで、「乱読」である。

目的を決めずに読む。風のように読み散らかす。気になった本を手に取り、気になったところを読み、合わなければ途中で離れる。読み終えたとしても、内容をすべて覚えている必要はない。読み捨ててもよい。頭の中に、少し散らかったまま置いておく。

すると、いつか、それまで別々に存在していたものが、不意につながることがある。専門外の本で知った考え方が、目の前の事象を別の角度から見るきっかけになる。何気なく読んだ一節が、思わぬところで現実と結びつく。

乱読は、専門知識の代わりになるものではない。けれども、知識のまわりに風を入れ、思考を動かしてくれる。専門家が専門の内側に閉じこもらないための、静かな寄り道である。

乱読に並んで、本書で外山氏が勧めるのが、「乱談」である。

同じ専門の者同士で話しているだけでは、新しい考え方や見方にはつながりにくい。異なる分野の人たち、専門の違う人たちが、思ったことを自由に述べ合う。目的を決めず、結論を求めず、境界にこだわらずに交流する。

こうした乱談は、固定化された思考に、新しい発想や発見、思いがけない揺れを与えてくれる。

近年では対話型のAIが台頭しているが、AIとの対話は、多くの場合、自分が投げた問いから始まる。その意味では、人との会話に比べて偶然性が入り込みにくい。AI時代において、人と話すことの価値は小さくなるのではない。むしろ、その価値があらためて見えてくるのかもしれない。

現代の専門家を取り巻く環境は、複雑さを増している。

会計、税務、監査、法務、経営。どの分野でも、基準や制度は細かくなり、実務は高度化している。知識の更新を怠れば、すぐに置いていかれる。

その一方で、いま起きている変化は、専門分野の内側だけでは完結しない。たとえば、サステナビリティ情報開示の進展は、財務情報と非財務情報の境界を揺さぶっている。AIは、企業の業務の在り方を大きく変えつつある。これまでの知識が、これからもそのまま通用するとは限らない。

こうした時代には、専門知識を深めるだけでは足りない。専門の外にも目を向けること。知識を蓄えながら、その外側にあるものにも触れること。ときには答えの出ない会話に身を置くこと。
それは、一見すると寄り道である。

しかし、その寄り道にこそ、専門家の思考をしなやかにするものが含まれている。乱読も、乱談も、そのような知的な寄り道である。

本書は、乱読や乱談の効能を、肩の力を抜いた語り口で伝えてくれる。知識は増えているのに、発想が硬くなっていると感じたとき。効率よく学ぶことに、少し疲れたとき。そのようなときに手に取ってみるとよい一冊である。

(了)

〔書籍情報〕

「実務家による実務家のためのブックガイド」は不定期連載です。

連載目次

「実務家による実務家のためのブックガイド」

筆者紹介

石王丸 香菜子

(いしおうまる・かなこ)

公認会計士
石王丸公認会計士事務所

1979年生まれ。
2002年一橋大学商学部卒業。
2001年から2005年まで、監査法人トーマツ(現有限責任監査法人トーマツ)に勤務。
2005年から石王丸公認会計士事務所。

環境省認定制度 脱炭素アドバイザー アドバンスト

【著作】
・『管理会計でわかる! 上手な「値上げ」の仕方・考え方』

みんながいつでも監査論を学習できるお役立ちサイト【みんなの監査論】を運営しています。
会計士試験にも役立つ無料コンテンツを掲載しています。

石王丸公認会計士事務所のホームページでは、会計に関する情報やテキストを随時掲載しています。
 ⇒ http://ishiomaru.com/

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