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法人税 税務 税務・会計 解説 解説一覧

貸倒損失における税務上の取扱い 【第33回】「法人税基本通達改正の歴史②」

貸倒損失における税務上の取扱い 【第33回】 「法人税基本通達改正の歴史②」   公認会計士 佐藤 信祐   前回、解説したように、昭和25年度にシャウプ勧告に基づいて貸倒準備金制度が導入されるとともに、法人税基本通達において、貸倒損失の明確化が図られた。 しかし、それだけで問題は解決されたわけではなく、「売掛債権の償却の特例等について(昭和29年7月24日直法1-140)」と題する通達が公表され、現在の個別評価金銭債権に係る貸倒引当金の原型ともいえる「債権償却引当金」が導入されるに至った。 以下では、本通達の具体的な内容と、昭和25年度税制改正から昭和29年度の上記通達導入までにおける貸倒損失の考え方について解説を行うこととする。   2 昭和29年個別通達の導入 まず、昭和29年3月6日に「会社更生法の適用を受けた会社に対して債権を有する者の課税上の特例について(昭和29年3月6日直法1-33、直所1-10)」が公表された。 その後、同年7月24日に「売掛債権の償却の特例等について(昭和29年7月24日直法1-140、直所1-77)」が公表された。なお、同年3月6日に公表された「会社更生法の適用を受けた会社に対して債権を有する者の課税上の特例について」は本通達の公表により廃止されることになった。このうち、「売掛債権の償却の特例等について」については、後述する昭和30年改正通達とともに、本稿の末尾に記載しているため、興味のある読者は一読されたい。 このような通達が公表された経緯については、 とのことである。 「売掛債権の償却の特例等について」は、1年を超える期末売掛債権の取扱いと、債権の貸倒れの特例の2つに大きく分かれている。 前者については1年以上こげつきとなっている売掛債権のうち利益部分について未収差益勘定として損金の額に算入することを認めるものであり、現在の法令通達には見られない規定である。当該未収差益勘定の取扱いについては、昭和39年度に本通達の内容が法人税基本通達に繰り入れられる際に廃止されることになる。 これに対し、後者については、同通達第1の二の2において、債権償却引当金勘定として処理することが明らかにされているが、その後、昭和39年度の法人税基本通達の改正により債権償却特別勘定に衣替えされた後に、平成10年度の税制改正により個別評価金銭債権に対する貸倒引当金として取り扱われることになる。 本通達の趣旨について、昭和35年当時、国税庁調査査察部調査課長であった松井静郎氏は ことから、一定の事由が生じた場合には、「直ちにその者に対する債権の2分の1を貸倒として損金に算入する特例」を認めることとしたためであると説明されている(『法人税の実務』600頁)。 なお、実際の通達を見てみると、貸倒れとなる金額が明らかに2分の1を超えることと認められるときは、所轄国税局長の承認を得て、当該超える金額についても、損金の額に算入することが認められており、その手続きについては、昭和29年12月7日付で「売掛債権の償却の特例等に関する通達の実施に伴う承認事務の取扱について」と題する通達が公表されている。 また、同通達第1の二の1において2分の1を計上することができる一定の事由が定められているが、その内容として、会社更生法、和議法(現在の民事再生法)、会社整理、特別清算、破産等が掲げられており、現在の個別評価金銭債権に対する貸倒引当金のうち、2分の1について貸倒引当金を計上することを認める規定(法令96①三)の原型ともいえるものが掲げられている。 さらに、同通達第1の二の4においては、弁済までの据置期間が5年を超えるものについて、損金の額に算入することを認めており、現在の個別評価金銭債権に対する貸倒引当金のうち、弁済までの据置期間が5年を超えるものについて貸倒引当金を計上することを認める規定(法令96①一)の原型ともいえるものが掲げられている。 しかしながら、現在の法人税法施行令96条1項2号に掲げる「債務超過の状態が相当期間継続し、かつ、その営む事業に好転の見通しがないこと、災害、経済事情の急変等により多大な損害が生じたことその他の事由により、当該金銭債権の一部の金額につきその取立て等の見込みがないと認められること」に相当するものは見当たらず、この点については本連載において解説する予定であるが、昭和42年度の法人税基本通達の改正により導入されることとなる。 このように、現在の個別評価金銭債権に対する貸倒引当金の原型ともいえる通達が公表されたが、昭和30年度に改正がなされた。債権償却引当金勘定についてのみ解説を行うと、昭和30年度の主な改正内容としては、以下のものが挙げられる。 債権償却引当金は未収差益勘定と異なり、利益部分についてのみ損金処理を行うものでないことから、売掛債権に限られるものではないが、その債権の種類の明確化を図り、「債権(売掛金、貸付金、前貸金等貸倒準備金勘定の設定の対象となる債権をいい、債権及び抵当権によつて担当されている部分を除く。)」が債権償却引当金勘定の対象となることが明らかにされた。 債権から担保物の価額を控除した金額が債権償却引当金勘定の対象となるが、担保物の価額は債権償却引当金を設定しようとするときの価額であることが明らかにされるとともに、当該担保が2番抵当であるときは、貸倒れの処理をしようとするときにおける当該担保物の価額から1番抵当によって担保されている債権の価額を控除した金額を当該担保物の価額とすることが明らかにされた。 債権金額について債権償却引当金勘定に繰り入れた金額があるときは、当該弁済は、まず債権償却引当金勘定に繰り入れた部分の債権金額以外の部分の債権金額から受けたものとみなして取り扱うことが明らかにされた。 このように導入された債権償却引当金勘定については、昭和39年度において、法人税基本通達に繰り入れられ、債権償却特別勘定と名前を変えることになる。 債権償却引当金勘定の特徴としては、法令の根拠なく導入されたものであり、通達により緩和措置を図ったということにある。当然のことながら、租税法律主義の観点からは問題となるため、平成10年度税制改正により個別評価金銭債権に対する貸倒引当金として法令に取り込まることになるが、当時の文献においても、「部分貸倒れを実質的に認めた」ように書かれているものもあり、平成10年度税制改正後においても、金子宏教授他多くの学者によって、現行法上の解釈としても、部分貸倒れが認められるべきであるとする主張がなされるに至っている。 次回においては昭和39年度の法人税基本通達による債権償却特別勘定の導入について解説を行う予定である。 (了)
#100(掲載号)
#佐藤 信祐
2014/12/25
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経理担当者のためのベーシック税務Q&A 【第22回】「雇用関連税制と税額控除」

経理担当者のための ベーシック税務Q&A 【第22回】 「雇用関連税制と税額控除」   仰星税理士法人 公認会計士・税理士 草薙 信久     1 制度の概要 新たに従業員を雇用したり、従業員への給与を増額した場合には、経済産業省が所管する所得拡大促進税制や厚生労働省が所管する雇用促進税制が適用となり、税額控除を受けることができます。こられの制度の概要は、次に掲げる表に示すとおりであり、適用要件にいくつかの相違点があります。 (※1) 基準雇用者割合:当期の雇用者増加数÷前期末の雇用者総数をいいます。 (※2) 給与等支給額:当期の所得の計算上、損金の額に算入される給与等で、雇用者に対して支給するものをいいます。 (※3) 基準事業年度:平成25年4月1日以後に開始する事業年のうち最も古い事業年度開始の日の前日を含む事業年度をいいます。 (※4) 給与等支給額の増加割合:適用1~2年目は2%以上、3年目は3%以上、4~5年目は5%以上となります。 (※5) 比較給与等支給額:前期の給与等支給額+(前期の給与等支給額×基準雇用者割合×30%) (※6) 平均給与等支給額:年間の給与等支給額÷(月別給与等支給対象者数×月数) (※7) 平成23年4月1日から平成25年3月31日までの間に開始する事業年度は20万円となります。 所得拡大促進税制は、給与等支給額が増加していることが要件となりますが、新規雇用は必要ありません。また、事前の届出や事後の確認が不要なため、事業年度末に適用の可否を検討することができ、使い勝手が良い制度といえます。 一方、雇用促進税制は、給与等支給額が増加していることは要件となっていませんが、新規雇用が必要です。従業員を新たに採用する可能性がある場合には、適用年度開始後2ヶ月以内にハローワークに雇用促進計画書を提出しておくことをお勧めします。 なお、これらの制度は、どちらか一方との選択適用となります。雇用促進税制について事前の届出を行った場合でも所得拡大促進税制を選択することはできますので、事業年度の終了時に、どちらの税制を適用した方が有利かを比較検討することができるように準備しておきましょう。   2 所得拡大促進税制の適用に際しての留意点 (1) 給与等支給額の増加割合 平成26年度税制改正により、当初の基準事業年度と比較した給与等支給額の増加割合5%以上の要件が緩和され、給与等支給額の増加割合は、適用1~2年目は2%以上、適用3年目は3%以上、適用4~5年目は5%以上となりました。 3月末決算法人の場合、次に掲げる表に示すとおりです。なお、3月末決算法人の適用1年目については、平成26年度税制改正に伴う経過措置の特例があります。 (※) 経過措置:平成26年3月期に平成26年度税制改正前の旧規定の適用を受けておらず、平成26年度税制改正後の新規定の要件をすべて満たすときは、平成26年3月期を新規定の適用年度とみなした場合の税額控除相当額については、平成27年3月期の税額控除限度額に上乗せされます。 (2) 継続雇用者 平均給与等支給額の計算については、前期より増加しているかどうかを比較する際に、当期及び前期の2年間にわたって在籍している継続雇用者に対する給与等支給額とその人数で計算するように緩和されています。したがって、前期に在籍していない新規採用者は、当期の平均給与等支給額の計算から除かれます。同様に、当期に在籍していない前期の退職者は、前期の平均給与等支給額の計算から除かれます。 なお、平均給与等支給額の計算に限っては、雇用保険の一般被保険者に該当する者に対して支給したものとなります。一方、当期の給与等支給額が、基準年度と比較して一定割合以上増加しているかどうか及び前期の給与等支給額以上であるかどうかの判定に際しては、雇用保険の一般保険者に該当しない者も含めますので、留意が必要です。   3 雇用促進税制の適用に際しての留意点 (1) 雇用促進計画 適用年度の開始後2ヶ月以内に、雇用促進計画を作成し、本社・本店を管轄するハローワークに提出します。その後、適用年度終了後2ヶ月以内に、本社・本店を管轄するハローワークで雇用促進計画の達成状況の確認を求めます。達成状況の確認を受けた雇用促進計画の写しを確定申告書等に添付して、税務署に申告します。 なお、ハローワークでは、提出された書類を預かり雇用促進計画の達成状況を確認しますが、4~5月は確認に1ヶ月程度要しますので、確定申告期限に間に合うように送付することが必要です。 (2) 会社都合による離職者 雇用促進税制の適用要件の一つに、当期と前期に、会社都合による離職者がいないことがあります。会社都合による離職者とは、人員整理、事業の休廃止等による解雇や会社の退職勧奨等による任意退職が含まれます。   4 まとめ 所得拡大促進税制は、労働分配率の増加を税制面で支援する制度であるのに対して、雇用促進税制は法人の雇用拡大を税制面で支援する制度です。したがって、新規事業の立ち上げや業容拡大等、雇用者の人数が増加する場合には、雇用促進税制の方が有利となる可能性が高まります。 いずれの税制が適用できるかどうか、法人の採用を含む人件費計画を検討の上、雇用促進税制を適用することができそうな場合には、適用年度開始後2ヶ月以内に本社・本店を管轄するハローワークへ雇用促進計画を提出することを忘れないようにすることが肝要です。 (了)
#100(掲載号)
#草薙 信久
2014/12/25
会計 収益認識 税務・会計 解説 解説一覧 財務会計

フロー・チャートを使って学ぶ会計実務 【第12回】「工事完成基準と工事進行基準」

フロー・チャートを使って学ぶ会計実務 【第12回】 「工事完成基準と工事進行基準」   仰星監査法人 公認会計士 西田 友洋   【はじめに】 今回は、工事完成基準と工事進行基準の会計処理について解説する。 工事完成基準と工事進行基準の会計処理は以下の6つのSTEPで検討することになる。 ※各ステップをクリックすると、それぞれのページに移動します。 ※画像をクリックすると、別ウィンドウでPDFが開きます。 (次ページ【STEP1】へ進む) (前ページ【はじめに】へ戻る) 工事契約の収益認識基準としては工事完成基準と工事進行基準がある(企業会計基準第15号「工事契約に関する会計基準」(以下、「基準」という)6(3)(4))。 工事契約に関して、工事の進行途上において、工事の進捗部分の成果の確実性が認められる場合には工事進行基準を適用する。成果の確実性が認められない場合には工事完成基準を適用する(基準9)。 そのため、工事完成基準と工事進行基準を選択するために成果の確実性が認められるかどうかを検討する必要がある。 具体的には、成果の確実性が認められるには① 工事収益総額、② 工事原価総額、③ 決算日における工事進捗度の3つについて信頼性をもって見積ることができなければならない(基準9)。したがって、この3つについて信頼性をもって見積ることができるかどうかを検討する必要がある。また、当初の成果の確実性と翌期以降の成果の確実性に分けて検討する必要がある。 ※画像をクリックすると、大きい画像が開きます。   (1) 当初の成果の確実性 ① 工事収益総額、② 工事原価総額、③ 決算日における工事進捗度について検討する。 ① 工事収益総額 工事収益総額について信頼性をもって見積るためには以下の2つの条件を満たす必要がある。 (ⅰ) 工事の完成見込みが確実であること 信頼性をもって工事収益総額を見積るための前提条件として、工事の完成見込みが確実であることが必要である。具体的には、施工者に当該工事を完成させるに足りる十分な能力があり、かつ、完成を妨げる環境要因が存在しないことが必要である(基準10)。 工事の完成見込みが確実であれば、下記(ⅱ)を検討する。確実でなければ、工事完成基準を適用するため【STEP2】を検討する。 (ⅱ) 対価の定めがあること 工事収益総額について信頼性をもって見積るためには、工事契約において当該工事についての「対価の定め」があることが必要である。「対価の定め」とは、当事者間で実質的に合意された対価の額に関する定め、対価の決済条件、決済方法に関する定めをいう。 対価の額に関する定めには、対価の額が固定額で定められている場合のほか、その一部又は全部が将来の不確実な事象に関連付けて定められている場合がある(基準11)。 ② 工事原価総額 工事原価総額(材料費、外注費、労務費、経費)について信頼性をもって見積ることができるかどうかを検討する。工事原価総額について信頼性をもって見積るためには、工事契約に関する実行予算等や工事原価等に関する管理体制の整備が不可欠である(基準50)。 工事原価総額について信頼性をもって見積ることができれば、下記③を検討する。信頼性をもって見積ることができなければ、工事完成基準を適用するため【STEP2】を検討する。 ③ 決算日における工事進捗度 決算日における工事進捗度を見積る方法を決定し、信頼性をもって見積ることができるかどうか検討する。決算日における工事進捗度とは、工事契約に係る認識の単位に含まれている施工者の履行義務全体のうち、決算日までに遂行した部分の割合である(基準35)。また、決算日における工事進捗度は原価比例法等の、工事契約における施工者の履行義務全体との対比において、決算日における当該義務の遂行の割合を合理的に反映する方法を用いて見積る(基準15)。 決算日における工事進捗度としては、原価比例法(決算日における工事進捗度を見積る方法のうち、決算日までに実施した工事に関して発生した工事原価が工事原価総額に占める割合をもって決算日における工事進捗度とする方法)を採用することが多いが、原価比例法以外にも、より合理的に工事進捗度を把握することが可能な見積方法があり得る(基準6(7)、15)。 決算日における工事進捗度を見積る方法として原価比例法(【STEP3】参照)を採用している場合と原価比例法以外の方法を採用している場合で検討過程が異なる。 (ⅰ) 原価比例法を採用している場合 決算日における工事進捗度を見積る方法として原価比例法を採用する場合、上記②の要件が満たされていれば、通常、決算日における工事進捗度も信頼性をもって見積ることができる(基準13)。 成果の確実性が認められるため、工事進行基準を適用する。次は【STEP3】を検討する。 (ⅱ) 原価比例法以外の方法を採用している場合 原価比例法以外の方法を採用する場合は、決算日における工事進捗度が信頼性をもって見積ることができるかどうかを検討する必要がある。 例えば、工事の進捗が工事原価総額よりも直接作業時間とより関係が深い場合には、直接作業時間比率を採用することになる。そして、この場合、当期の直接作業時間の正確な集計及び総直接作業時間等について信頼性をもって見積ることができるかどうかを検討する必要がある。 決算日における工事進捗度について信頼性をもって見積ることができれば、成果の確実性が認められるため、工事進行基準を適用する。この場合、【STEP3】を検討する。 信頼性をもって見積ることができなければ、工事完成基準を適用するため【STEP2】を検討する。   (2) 翌期以降の成果の確実性 当初は成果の確実性が認められなかったが、翌期以降に成果の確実性が認められる場合がある。また、当初は成果の確実性が認められていたが、翌期以降に成果の確実性が認められなくなる場合がある。このような場合には、以下のような検討が必要となる。 ① 当初は成果の確実性が認められなかったが、翌期以降に成果の確実性が認められる場合 当初は成果の確実性が認められなかったため工事完成基準を適用している工事契約について、その後に工事が進捗し、工事の完成が近づいたことによって成果の確実性が増した場合でも、そのことのみを理由として、工事完成基準から工事進行基準に変更することはできない(企業会計基準適用指針第18号「工事契約に関する会計基準の適用指針」(以下、「適用指針」という)3前段)。 ただし、工事収益総額等、工事契約の基本的な内容が定まらないこと等の事象の存在により、成果の確実性が認められないと判断されていた場合で、その後に当該事象の変化により、成果の確実性が認められることとなったときには、その時点より工事進行基準を適用する(適用指針3後段)。 ② 当初は成果の確実性が認められていたが、翌期以降に成果の確実性が認められなくなった場合 事後的な事情の変化により成果の確実性が失われた場合には、その後の会計処理については工事完成基準を適用する。この場合、原則として過去に遡って修正する必要はない(適用指針4)。 (次ページ【STEP2】へ進む) (前ページ【STEP1】へ戻る) ※画像をクリックすると、大きい画像が開きます。 工事完成基準における工事収益と工事原価は以下のように会計処理を行う。 工事収益については、工事が完成し、目的物の引渡しが行われた時(2つの要件を満たした時)に損益計算書に計上する。 工事が完成するまでにかかった工事原価(材料費、外注費、労務費、経費)は「未成工事支出金」等の勘定科目で資産に計上し、工事が完成し、目的物の引渡しが行われた時(2つの要件を満たした時)に損益計算書に計上する(基準18)。 《設例1》 【前提条件】 【会計処理】 【X1期/期末】 【X2期/期首】 【X2期/期末】 工事収益及び工事原価の検討後は、【STEP5】を検討する。 (次ページ【STEP3】へ進む) (前ページ【STEP2】へ戻る) 工事進行基準における工事収益と工事原価は以下のように会計処理を行う。 工事収益総額、工事原価総額及び決算日における工事進捗度を合理的に見積り、これに応じて当期の工事収益及び工事原価を損益計算書に計上する。 発生した工事原価のうち、未だ損益計算書に計上されていない部分は「未成工事支出金」等の勘定科目で資産に計上する(基準14)。 工事進行基準では工事収益総額、工事原価総額、工事進捗度を合理的に見積った上で、工事収益及び工事原価を計上することになる。ここでは原価比例法を採用している場合を前提に解説する。 ※画像をクリックすると、大きい画像が開きます。   (1) 工事収益総額の見積り 【STEP1】(1)で工事収益総額は把握しているため、ここでもその金額を用いる。   (2) 工事原価総額の見積り及び決算日までに発生した工事原価の集計 工事契約に関する実行予算等をもとに工事原価総額を見積る。また、決算日までに発生した工事原価を集計する。決算日までに発生した工事原価を集計する際には①間接費及び②請求書締日後から期末日までに発生した工事原価の2点に留意が必要である。 なお、発生した工事原価が工事原価総額との関係で、決算日における工事進捗度を合理的に反映しない場合には、これを合理的に反映するように調整が必要となる(基準56)。 ① 間接費 各工事に直接紐付けられる材料費、外注費、労務費、経費のみならず、各工事に直接紐付けられない労務費、経費の間接費についても配賦計算を行い各工事に集計する必要がある。 配賦計算は実際作業時間等を配賦基準として行うことが考えられる。ただし、月次で実際作業時間等をもとに配賦計算することは困難なため、月次では予定配賦単価に実際作業時間等を乗じた金額を配賦額(予定配賦額)とすることが考えられる。 そして、決算日に実際発生額と予定配賦額の差額を計算し、その差額を工事原価(損益計算書)に計上するか、又は、配賦計算を行い未成工事支出金と工事原価(損益計算書)に按分することが考えられる。 ② 請求書締日後から期末日までに発生した工事原価 月次では請求書をもとに工事原価(未成工事支出金)を計上する場合もあると考えられるが、決算日までに発生した工事原価の集計においては、請求書の締日後から期末日までに発生した工事原価も集計する必要がある。 また、期末日後に到着する請求書を待ってから決算作業を行うと、決算作業に遅れが生じる可能性がある。迅速な決算作業を進めるために請求書の到着を待たずに実行予算、工事の工程表、現場の作業日報等をもとに発生工事原価を集計することも考えられる。   (3) 決算日における工事進捗度の見積り 上記(2)で見積もった工事原価総額及び集計した決算日までに発生した工事原価をもとに工事進捗度を算定する。   (4) 工事収益及び工事原価の算定 当期に計上する工事収益と工事原価を算定し、損益計算書に計上する。 《設例2》 【前提条件】 【会計処理】 【X1期/期末】 (※1) 1,000×工事進捗度 500/800=625 【X2期/期首】 【X2期/期末】 (※2) 1,000×工事進捗度 (500+300)/800-前期までに計上した売上625=375 (次ページ【STEP4】へ進む) (前ページ【STEP3】へ戻る) ※画像をクリックすると、大きい画像が開きます。 工事の追加や削減、工事内容の変更、対価の変更が行われた場合、工事収益総額、工事原価総額又は決算日における工事進捗度の見積りを変更する。見積りが変更されたときは、変更が行われた期にその影響額を損益として会計処理する(基準16)。 (次ページ【STEP5】へ進む) (前ページ【STEP4】へ戻る) ※画像をクリックすると、大きい画像が開きます。 工事契約について、工事原価総額等(工事原価総額のほか、販売直接経費がある場合にはその見積額を含めた額)が工事収益総額を超過する可能性が高く、かつ、その金額を合理的に見積ることができる場合には、その超過すると見込まれる額(以下「工事損失」という)のうち、当該工事契約に関して既に計上された損益の額を控除した残額を、工事損失が見込まれた期の損失として処理し、工事損失引当金を計上する(基準19)。 当初は、工事損失が見込まれなかったが、工事の途中段階で工事損失が見込まれることとなった場合には、その時点で工事損失引当金を計上する。 (次ページ【STEP6】へ進む) (前ページ【STEP5】へ戻る) ※画像をクリックすると、大きい画像が開きます。 工事契約においては以下の事項を注記する(基準22)。 なお、計算書類では上記(3)及び(4)の注記は必ずしも求められていない。 *   *   * 以上、5つのステップをまとめたフロー・チャートを再掲する。 ※画像をクリックすると、別ウィンドウでPDFが開きます。 (了)
#100(掲載号)
#西田 友洋
2014/12/25
中小企業会計 会計 税務・会計 解説 解説一覧 財務会計

〔事例で使える〕中小企業会計指針・会計要領《賞与引当金》編 【第4回】「役員賞与引当金」

〔事例で使える〕中小企業会計指針・会計要領 《賞与引当金》編 【第4回】 「役員賞与引当金」   公認会計士・税理士 前原 啓二   はじめに 平成18年の会社法施行以前は、利益処分により役員賞与を支給するのが一般的で、このような役員賞与は未処分利益の減少として処理されていましたが、会社法施行以後は、費用として処理することに変わりました。 《賞与引当金》編の最後となる今回は、定時株主総会により承認される役員賞与の会計処理についてご紹介します。   1 当期末、定時株主総会決議時X2年5月29日及び支給時X2年6月10日の仕訳 〈当期末〉 〈定時株主総会決議時X2年5月29日〉 〈支給時X2年6月10日〉 役員報酬は、確定報酬として支給される場合と業績連動型報酬として支給される場合がありますが、職務執行の対価として支給されることには変わりがなく、会計上はいずれも費用として処理されます。役員賞与は、業績連動型報酬と同様の性格であると考えられるため、費用として処理することとされました(役員賞与に関する会計基準)。 役員賞与を費用処理する時期は、発生した会計期間です。当期の職務に係る役員賞与を期末後に開催される株主総会の決議事項とする場合には、当期末においては、その支給は株主総会の決議が前提となるので、その決議事項とする額又はその見込額を、役員賞与引当金に計上します(中小企業会計指針51、役員賞与に関する会計基準)。   2 決算書の金額 〈当期損益計算書〉 〈当期末貸借対照表〉   3 損益計算書の当期純損益から法人税申告書の課税所得を算出する際の加算・減算調整 〈当期法人税申告書別表四〉 〈当期法人税申告書別表五(一)〉 税務上、役員給与は、所定の要件を満たす定期同額給与、事前確定届出給与、利益連動給与(法法34、法令69)のいずれかに該当しなければ、損金に算入することができません。 この設例のケースでは、このいずれにも該当しないため、役員賞与引当金を計上した事業年度や役員賞与を支給した日の属する事業年度ともに、損金不算入とされます。 〈翌期法人税申告書別表四〉 〈当期法人税申告書別表五(一)〉 (《賞与引当金》編 終了)
#100(掲載号)
#前原 啓二
2014/12/25
会計 税務・会計 解説 解説一覧 財務会計 IFRS

IFRSの適用と会計システムへの影響 【第4回】「サブシステムへの影響(後編)」

IFRSの適用と会計システムへの影響 【第4回】 「サブシステムへの影響(後編)」   公認会計士 小田 恭彦   (総勘定元帳システムへの影響) 【前編】  《財務諸表の表示》  《セグメント情報》 《過年度遡及修正》 「過年度遡及修正」とは、過去の決算書に誤りがあった場合に、過去に遡って財務諸表を修正することです。以前は、過去の財務諸表における誤りが発見された場合、今期の財務諸表で前期損益修正として当期損益の中で調整する方法が示されていました。 この過年度遡及修正もIFRSとのコンバージェンスのひとつとして、2011年4月から日本基準にも採用されるようになりました。なお、この基準は連結財務諸表だけでなく、個別財務諸表にも適用されます。 過年度遡及修正が生じた場合、単純に考えると、総勘定元帳システムに保存されている過年度分のデータに対し修正仕訳を入れる方法が思い浮かびます。この処理をすることにより、過年度修正がそれ以降の事業年度の総勘定元帳データに反映されます(図1)。 〈図1〉 過年度遡及修正はそれ以降の年度に反映 ちなみに、この処理を行うための前提として、各事業年度のデータが「繰越残高」を通じて連動している必要があります。最近のパッケージシステムのほとんどが、過去の事業年度に対して仕訳を計上した場合には、リアルタイムないしは手作業による繰越処理を実施することにより、次年度以降の残高に反映される仕組みになっています。 一方で、パッケージシステムではなく企業が独自に開発した会計システムの場合、年度確定処理をした時点で残高は確定され、確定後は修正できない構造になっているものが多いかと思います(そもそも過年度遡及修正は想定していないので)。その場合は、この方法は採用できません。また、大前提として、過年度遡及修正したい事業年度のデータが元帳システムに保存されていることが必要です。 実際には、一度確定して開示や税務申告を行った財務諸表の数値の元となる総勘定元帳は保存しておく必要があります。よって、総勘定元データの本番データを直接修正することは、実務的には行われません。ただし、システムによる集計機能を活用するために総勘定元帳データのコピーを作成し、そのコピー環境の中で数値の集計作業を行い開示情報の基礎としたうえで、対確定申告や確定決算のため、過年度修正の累積影響額は当期に調整されることになろうかと思います(図2)。 〈図2〉 オリジナルデータには手を加えずコピーデータを使って集計 その他の方法としては、総勘定元帳そのものをコピーするのではなく、対象事業年度以降の財務諸表のサマリー版を別の総勘定元帳システムに登録し、そこで数値を作成するという方法もあろうかと思います。もちろん過年度遡及修正の内容が簡単なものであれば、システム外で、表計算ソフトなどで数値を作成することもあろうかと思います。   債権債務管理システムへの影響 「債権債務管理システム」とは、売掛金、受取手形、前受金などの残高を得意先別、取引明細別に管理するサブシステムです。総勘定元帳システムへは仕訳連携が行われ、債権債務管理モジュールの残高と総勘定元帳の勘定残高の整合が担保されることになります。 いま、売掛金などの債権を例に説明しましたが、買掛金でも基本的には同じ考え方ですので、以降は債権をベースに説明します。 債権に関する計上、換算、決済及び評価が日本基準とIFRSで異なる場合、債権債務管理システムの中で両者を区別して管理する必要があります。また、それに対する仕訳についても、複数元のそれぞれ(日本基準元帳、IFRS元帳)に反映される必要があります(図3)。 〈図3〉 債権債務管理システムと総勘定元帳システムとの連携 ただ、債権債務管理に関しては日本基準とIFRSのギャップはさほど多くないこともあり、債権債務管理システムでここまでの機能を持ち合わせているものはさほど多くないと思います。 よって、このような機能がない場合には、債権債務管理システムは日本基準で運用しIFRSとの差分はシステム外で計算したうえで、総勘定元帳システムのIFRS元帳に対して直接仕訳を計上する対応になろうかと思います(図4)。 〈図4〉 債権債務管理システムで複数評価等が対応できない場合   固定資産管理システムへの影響 「固定資産管理システム」とは、有形無形固定資産やリース資産の減価償却、評価、ロケーションなどを管理するサブシステムです。総勘定元帳システムとの間では仕訳を通じ、固定資産管理システムの残高と総勘定元帳の勘定残高の整合が担保されることになります。 固定資産管理モジュールも債権債務管理システムと同様に、資産にかかるオンバランスの要否、減価償却計算、評価などが日本基準とIFRSで異なる場合、システムの中で両者を区別して管理することができる必要があります。また、それに対する仕訳についても複数元帳のそれぞれに反映される必要があります(図5)。 〈図5〉 固定資産管理システムと総勘定元帳システムとの連携 なお、固定資産やリース資産ついては、IFRSが議論になる以前から複数の減価償却計算が可能であったり(管理会計用、税法用、オンバランス用など)、会計処理上はオフバランス処理(資産計上せずに費用処理)だが現物管理の点から資産台帳には計上することが必要であったりと、1つの事実(資産)に対し複数の償却や評価ができる機能を従来から持っていました。 よって、IFRS対応に関してもこの機能をベースにした対応が行われており、いわゆる「IFRS対応固定資産管理システム」と呼ばれるシステムは、大小さまざまなものがすでに市販され利用されています。 *   *   * なお本文中、意見に関する部分は私見であることを申し添えます。  (了)
#100(掲載号)
#小田 恭彦
2014/12/25
労働保険 労務 労務・法務・経営 雇用保険

最新!《助成金》情報 【第7回】「雇用関連助成金の活用(その7)《労働者の職業生活と家庭生活を両立させる制度導入に関する助成金》」

最新!《助成金》情報 【第7回】 「雇用関連助成金の活用(その7) 《労働者の職業生活と家庭生活を両立させる制度導入に関する助成金》」   特定社会保険労務士 五十嵐 芳樹   《両立支援等助成金》 この助成金の目的は、労働者の職業生活と家庭生活の両立制度導入や女性の活躍推進に取り組む事業主を助成することで、雇用継続や女性の活躍促進を図ることであり、次の4種類がある。 (1) 目的 この助成金は、事業者内保育施設を設置運営する事業主等に費用の一部を助成することで保育施設の設置を促進させ、職業と家庭の両立を図り雇用継続を実現させることを目的とする。 (2) 事業所内保育施設の要件 この助成金の支給対象となる「事業所内保育施設」の主な要件は次のものとなる。 (3) 支給額 (4) 手続の流れ (5) 活用のポイント この助成金は、子を養育する社員を継続して一定人数雇用する業種や職種の事業所では、仕事と育児の両立による雇用継続だけでなく、新規採用時の労働条件上も特に有効と思われる。また、複数の事業主が共同して保育施設を設置運営する共同事業主や事業主団体も対象となるため、同様の状況にある複数の事業主や事業主団体は検討してみる価値は高いと思われる。   (1) 目的 この助成金は、就業規則で子育て期の労働者の短時間勤務制度を規定し労働者に利用させた事業主を助成することで、育児短時間勤務制度を普及させることを目的とする。対象となる労働者とは、利用開始時に小学校3年生修了までの子を養育する労働者をいう。 (2) 対象措置 この助成金の対象となる子育て期短時間勤務制度の要件は次のものである。 (3) 支給額 (※)5年間、1事業主当たり延べ10人(中小企業は5人)を上限とする。 (4) 手続の流れ (5) 活用のポイント 子育て期の労働者の希望が多い短時間勤務制度を導入すれば、現在及び将来の子育て期の社員の雇用継続に有効となるだけでなく、将来働きながら子育てを希望する求職者にとり魅力的な労働条件となり人材採用にも効果があるため、雇用継続や人材採用のため短時間勤務制度の導入を検討する事業主にとっては特に有効と思われる。ただし、業務の適正な運営には業務処理の協力体制構築や代替人員確保がポイントなる。   [Ⅰ] 代替要員確保コース (1) 目的 この助成金は、育児休業者の代替人員を確保し育児休業取得者を現職復帰させた事業主を支援することで、育児休業の取得と現職復帰しやすい環境を整備し雇用継続を図ることを目的とする。 (2) 育児休業の要件 (3) 代替要員確保の要件 (4) 支給額 (5) 手続の流れ (6) 活用のポイント この助成金は、育児休業取得者の業務処理が困難なため代替人員を確保する必要がある職場では特に有効と思われる。また、代替人員を確保することで子育て期の社員にとっては育児休業の取得と原職復帰がしやすい環境となる。代替人員の確保の際は、職務内容や勤務場所などに加えて育児休業取得者の職場復帰の計画に合わせて契約期間を定める必要がある。   [Ⅱ] 期間雇用者継続就業支援コース (1) 目的 この助成金は、有期契約労働者(期間雇用者)について、通常労働者と同等の育児休業の取得と休業終了後は原職復帰を認め、かつ職業と家庭の両立支援の研修等を実施する事業主を支援することで、期間雇用者の継続就業を実現させることを目的とする。 (2) 育児休業の要件 (3) 両立支援研修の要件 (4) 支給額 (※)1事業主当たり延べ5人を上限とする (5) 手続の流れ (6) 活用のポイント 期間雇用者は、有期労働契約を更新して5年を経過すると無期契約の申込権が発生することを踏まえて、育児休業の取得希望のある優秀な期間雇用者を通常の労働者として継続して雇用したい場合は、特に有効と思われる。   (1) 目的 この助成金の目的は、男女均等な雇用機会と待遇確保の問題改善の数値目標を公表し、改善研修を実施し数値目標を達成した事業主を支援することで、継続勤務を希望する女性労働者が就業意欲を失わずにその能力を伸長・発揮できる環境を推進することである。 (2) 対象措置 この助成金は、次のすべてを実施した場合に支給される (3) 支給額 (4) 手続の流れ (5) 活用のポイント 女性管理職登用等など女性の活用が進んでいる企業は成長しているとのデータもあり、この助成金は女性の活用や登用を全社的に進めようとする企業にとっては特に有効と思われる。 また、数目標を公表することで対外的に公約することにもなり、就職希望者だけでなく社会的な企業イメージの向上も期待できる。半面目標が達成できない場合はダメージも大きくなる。  (了)
#100(掲載号)
#五十嵐 芳樹
2014/12/25
労働基準関係 労務 労務・法務・経営

介護事業所の労務問題 【第4回】「懲戒問題と突然の退職問題」

介護事業所の労務問題 【第4回】 (最終回)  「懲戒問題と突然の退職問題」   クロスフィールズ人財研究所 代表 社会保険労務士 三浦 修   1 セクハラ・パワハラ問題と懲戒 最近は、介護事業所からもセクハラ・パワハラの相談を受けるケースが増えている。 介護事業所におけるセクハラについては、日常の業務において入居者と身体の接触があるため実態が不透明になってしまう面もあるかもしれない。またパワハラについては、終日同じ施設内で業務を行っていることによりストレスが蓄積されるという点もあるのかもしれない。 このような介護事業所特有の原因に端を発するセクハラ・パワハラ等の可能性が潜在的に存在している、ということを理解しておく必要がある。 まずセクハラに関しては、通常の勤務に加え前回も触れたように、夜勤中のハラスメント(環境型・対価型)、また他の業種と同様に職場外でのセクハラも考えられる。 パワハラについても、介護業界特有の話ではないが多く存在している。介護業界は従業員間のコミュニケーションが重要な業界のひとつだが、ミスコミュニケーションによりストレスを感じ、パワハラ等に発展することも考えられる。 しかし、どちらにしても懲戒や解雇の問題に発展する恐れのあることなので、事業所としては、早めに予防策を考え、問題が起こらないようにしなければならない。 セクハラ・パワハラの対策としては、以下のようなことを想定し、検討してみてはいかがだろうか。 ① コンプライアンス研修 管理職、一般職員に対して、それぞれコンプライアンス研修を行い、ハラスメントがなぜ起こるのかを検討し、起こらないようにするために何を理解し、意識すれば良いかなどを周知する。ガバナンスの観点からは、就業規則や職場のルールブック等の作成と周知により、服務と懲戒への理解をしてもらう。研修と同時に行うとより効果的である。 ② 従業員間のコミュニケーション促進 ミスコミュニケーションが起きないよう、定期的なコミュニケーションを従業員間相互で取れるように、経営者・管理者が積極的にコミュニケーション促進のための施策を行う。例えば、定期的な懇親会やレクリエーション、職員旅行などが考えられる。 介護保険法から考えられる問題点 あるデイサービスの生活相談員に対し、パワハラによる懲戒で、出勤停止処分を行おうとした時の話である。本来であれば処分を行うべきであったところ、出勤停止とした場合に代わりになる介護職員、すなわち生活相談員の資格要件である社会福祉士・介護福祉士等の資格保有者がいなかったため、人員基準の関係上、懲戒を課すことができなかった。 本来であれば労働法に従って、また本人の反省のため、事業所の秩序を守るために企業のガバナンス上の問題から懲戒を行うべき時にも、人員基準があるため対処できない場合がある、というのも介護事業所の特徴と言えるだろう。   2 突然の退職問題 介護事業所でよくある問題の1つとして、突然の退職問題が挙げられる。 職員が突然退職を申し出る業界特有の理由、問題としては、以下のようなものがある。 なお、その他介護業界に限らない一般的な退職理由としては、「職場の人間関係に問題があったため」、「理念や運営の在り方に不満があったため」、「他に良い仕事・職場があったため」、「収入が少なかったため」、といった理由が挙げられる。 出所:(公財)介護労働安定センター「介護労働の現状について(平成25年度介護労働実態調査)」 職員が突然退職した場合の問題としては、業務の引き継ぎや年休の問題などがあるが、特に介護事業所で問題となるのは、突然の退職による次の採用までの事業そのものに対する影響がとても大きいことである。 つまり第2回でも触れたように、他の業界のように募集・採用がスムーズに行えず、その間の人員不足が非常に大きな問題となりやすいのだ。 介護保険法から考えられる問題点 弊所の顧問先の介護事業所でも、職員の突然退職による問題は発生することがある。 退職したのが一般の職員であればまだしも、あろうことかデイサービス事業所の管理者が引継書のみを残して突然退職し、「こんな無責任なことは絶対許せない」と使用者も憤慨した、というケースもあった。ただ、そういったケース以上に問題となるのが、突然退職した職員が人員基準に影響し、かつ資格要件のある生活相談員であったケースである。社会福祉士、介護福祉士、介護支援専門員等の資格所有者、または通算4年以上常勤で通所介護事業所に従事した者でないと生活相談員として認められない。退職者以外に基準を満たす職員がいない時は、新たに採用するしかない。 もし採用がうまくいかず、生活相談員がいないままとなってしまった場合には、介護報酬が請求できない事態にも陥りかねないのである(各地域のローカルルールにより差はある)。 職員の突然の退職が問題となるのは介護事業所に限った話ではないが、このように介護報酬の請求ができない、というような他の業界以上に大きな問題になりかねないのが介護業界の特徴といえる。 介護事業所の労務管理上、こういった問題に対して事前に対策を行う上で、介護保険法と介護事業所の特性を正しく理解しておくことは、非常に重要なことなのである。 (連載了)
#100(掲載号)
#三浦 修
2014/12/25
労務・法務・経営 法務

事例で検証する最新コンプライアンス問題 【第3回】「エアバッグの『リコール』事件」

事例で検証する最新コンプライアンス問題 【第3回】 「エアバッグの『リコール』事件」   弁護士 原 正雄     1 T社の沿革 T社は、1933年、織物製造の会社として創業した会社である。1960年、日本初の2点式シートベルトの製造販売を開始し、以来、チャイルドシートなど自動車安全部品の開発、製造、販売に取り組み、1990年には、エアバッグの製造販売を開始している。 T社は、1983年に米国に生産拠点を設けて以来、海外に多数の拠点を設け、積極的に世界展開している。T社は、現在、世界のエアバッグ市場で第2位、約2割のシェアを有しており、多くの自動車メーカーにエアバッグを供給している。   2 発生事故の内容 報道によれば、不具合が発生しているのは「インフレーター(膨張装置)」という名称の部品である。インフレ―ターは、内部にガス発生剤(火薬)を備え、ガスを発生させる。衝突を検知するセンサーからの情報で、ガス発生剤に着火し、瞬時にガスを発生してエアバッグを膨らませる。 本件では、ガス発生剤の着火時に異常燃焼が起こり、インフレ―ターの金属容器が破裂して金属片が飛び散る、という事故が報告されている。2014年12月16日までに、米国とマレーシアで5件の死亡事故があったと報道されており、T社はそのうち3件について謝罪している。また、日本国内でも、4件の異常破裂事故や、廃車作業中の異常破裂が報告されている。   3 本件の原因 T社は、リコール対象2,000万台のうち約6割について、欠陥の存在を認めている。T社の説明によれば「生産の立ち上がり期の不具合」とのことである。 T社は、1990年代から、米国やメキシコに製造拠点を設立していた。当時は、自動車メーカーが海外進出を進めていた時代であった。そうした中、2000年頃、米国やメキシコの工場で、問題となったエアバッグが製造された、とのことである。 具体的には、T社米国工場でガス発生剤を製造した際、成形の圧力が不十分であった。そのうえ、メキシコ工場では、ガス発生剤が湿度の高い場所に放置された。そのため、ガス発生剤が湿気を吸って膨らみ、表面積が想定よりも大きくなったことで、異常燃焼が発生した。 現在、事故発生が報告されているのは、高温多湿の地域に限られている。なぜ高温多湿の地域だと事故が発生しやすいのか、低温地域や乾燥地域では事故が発生しないと言い切れるのか、などについては、未だ明らかにされていない。   4 大規模リコールに至る経緯 (1) 最初のリコール 2008年、本件に関連する最初のリコールが実施された。対象は約4,000台であった。その後の2009年5月、米国オクラホマ州で、エアバッグを原因とする死亡事故が発生した。報道によれば、最初の死亡事故である。 さらに2013年4月、複数の自動車メーカーがリコールを宣言した。対象台数380万台という初の大規模リコールである。その後も、マレーシアや米国フロリダ州で死亡事故が発生し、五月雨式にリコールが追加され、2014年12月には、全世界で累計2,000万台に達するリコールに至ってしまう。 その間、米運輸省高速道路交通安全局(NHTSA)は、自動車ユーザーに対して「直ちにリコールに応じるように」とする異例の要請を公表するとともに、自動車メーカーに対してリコールを全米に広げるよう指示したことを公表した。しかし、T社は、「代替部品の供給力が限られているため、危険性高い地域を優先する」として、リコールを南部に限定すると回答した。 (2) 米国での追及 2014年11月20日、米上院商業科学運輸委員会が、公聴会を開催した。委員会は「2004年に欠陥に気付いていたのに公表を怠ったのではないか」、「2008年に最初のリコールをしているが、欠陥に気付いてからリコールまでに時間がかかったのはなぜか」と追及した。 T社は、最初に不具合を把握したのは2005年5月である、と反論した。また、その時点で、エアバッグ破裂を自動車メーカーに伝えたものの、現物を入手できなかったため試験を行うには至らなかった、その後に別の事故が発生したため2007年に試験を開始し、2008年に最初のリコールをするに至った、と説明した。 こうした推移を受けて、日本でも、翌21日、国交相がT社に対して調査報告をするよう直接に指示をした。また、同月24日、国交省は、自動車メーカーに早期修理を指示した。その時点で、リコール届出車の42%が未修理という状況であった。 2014年11月26日、NHTSAは、T社に対して全米規模のリコールを要請する書簡を送付し、12月2日までに対応しなければ制裁金(1台7,000ドル)を科すと通告した。これに対して、T社は、「多湿地域以外で回収されたエアバッグでは破裂は見られない」、「代替部品の供給力が限られているため、危険性高い地域を優先する」として、全米規模のリコールは不要であるとの見解を示した。また、自動車メーカーのリコール実施について「全面的に協力する」と回答しつつ「リコールは自動車メーカーがすべき」との原則論に基づき、リコール実施を明言しなかった。 2014年12月3日、米上院商業科学運輸委員会は、再度の公聴会を開催した。T社は、あらためて多湿地域を優先してリコールする旨を明らかにした。そこで、NHTSAは、強制リコール手続を開始する旨を表明した。米メディアは、「想定外の事態」と報道した。 (3) 自動車メーカーによる自主リコール 他方、自動車メーカーH社は、T社の対応とは異なる経緯をたどった。12月3日開催の同じ公聴会で、同社は、自主リコールを全米に拡大する旨を明らかにした。その結果、同社のリコール対象は280万台から600万台に拡大した。この点について、同社幹部は「信頼を失うのが怖い」と説明している。 全米でリコールが拡大している状況を受けて、翌4日、日本でも、国交省が原因未解明の段階でリコールを指示する方針を表明した。国交相は「原因の特定を待つと、時間があまりにもかかりすぎて不安が広がる」と説明した。これを受けて、自動車メーカーも、国交省に自主リコールを通知した。 2014年12月現在、リコールは、全世界で、累計2,000万台に達している。しかし、未修理率が50%近いとの報道もある。国交省の担当幹部によれば、「通常、回収率は3ヶ月で70%が目標」とのことであるから、リコール完了に向けた道のりは、まだまだ途上である。   5 リコール法制の特徴 (1) 米国 米国では、不具合の原因が特定されていなくても、自動車メーカーは、国家交通自動車安全法などに基づいて、原因究明を目的として自動車を自主回収する「調査リコール」を行うべきとされている。NHTSAが自動車メーカーに調査リコールを命じることもある。米国では、不具合の原因が分からなくてもリコールを行うことは一般的である。 米国でリコール制度が厳格化したのは、1996年6月に発生した自動車横転事故と、その後に続いた同種事故に遡る。 それらの事故では、横転の原因が自動車本体にあるのか、タイヤにあるのか、が争点となった。公聴会で自動車メーカーは「タイヤに原因がある」と主張した。他方、日系タイヤメーカーは、自動車メーカーが取引先であったこともあり、原因不明の段階では自動車メーカーに責任があるとの態度を取らずに、日本人CEOが公聴会で被害者に対する「お悔やみの言葉」を述べたことが、米メディアによって「非を認めた」と報道された、という事件である。この事件が契機となり、2000年11月、米国で「トレッド法」と呼ばれる法律が成立し、リコール制度が大幅に変更されたのである。 その後、2003年7月には、自動車メーカーに対し、死傷事故が発生した場合に、NHTSAに「早期警戒報告」をするよう義務付ける改正もなされている。 (2) 日本 日本では、自動車メーカーは、自動車の不具合について原因が設計または製作の過程にあると認められた場合、事前に国土交通大臣に届け出て、リコールその他の改善措置をしなければならない(道路運送車両法63条の3)。また、国交省は、自動車の不具合について原因が設計または製作の過程にあると認めるときには、自動車メーカーに対して、リコールその他の改善措置を勧告できる(道路運送車両法63条の2)。 ということは、自動車の不具合の原因が設計または製作の過程にあるかどうか不明の段階では、道路運送車両法の定めるリコールの対象ではない。このことが、米国でのリコールの拡大に比して、日本でのリコール拡大が遅れた理由である。 しかし、今般のエアバッグ問題では、国交省は、自動車メーカーが原因究明を目的として自動車を自主回収する「調査リコール」を採用することを公表した。これは、法令外の法的拘束力がない行政指導であって「異例の措置」である。   6 本件の検証 本件は、対応に時間を要し、米世論から大きな批判を浴びた。 当初、T社は、「リコールは自動車メーカーがすべき」との原則論に立っていた。他方、自動車メーカーは、T社に任せるしかない、とのスタンスであった。 また、T社のエアバッグは、多数の自動車メーカーが採用し、全世界のシェア2割を有していた。大量調達でコスト削減という観点から、複数の自動車メーカーが同一のエアバッグを採用していた。結果として、関連当事者があまりに多く、他社の動向を見ながら対応したため、対応が遅れたという経緯もある。 さらに、T社にとって、あまりに事態が拡大しすぎた。T社としては、リコールのための代替部品の供給が確保できない中でリコールの範囲を拡大するのは、容易な決断ではない。原因不明の段階で法的責任を認めてよいのか、という問題もある。 リコールの範囲を確定できなかった理由として、T社が、いつ製造したインフレーターに問題があったのかを特定できなかったことも重大な要因である。 本件は、ガス発生剤の成形の圧力が不十分であった。その原因は、米国工場の生産ラインで不良品を選別する機能を起動し忘れていたことが理由である。ところが、T社米国工場では、当該機能のオンオフの記録は、当時、手書きであった。そのため、記録の正確性に疑義が生じてしまった。現に、記録上は不良品選別機能がオンになっていた期間中に製造されたガス発生剤についても事故の報告があった。そのため、T社は、当該機能のオンオフを持ってリコールの範囲を限定する、ということができなかったようである。 T社は、重い決断を迫られた。具体的な原因や発生機序が不明確なことが、さらに決断を難しくさせた。たしかに、企業にとって、リコールは重い決断である。しかし、企業は、非常事態の発生が予測される場合、関係者に「警告」を発して被害を最小化する義務を負っている。 本件はT社だけの特殊事案ではない。各社担当者は、自社が同じ状況に置かれた場合にどのように判断するか、日常から考えておく必要がある。 (了)
#100(掲載号)
#原 正雄
2014/12/25
労務・法務・経営 経営

現代金融用語の基礎知識 【第13回】「多議決権種類株式」

現代金融用語の基礎知識 【第13回】 「多議決権種類株式」   事業創造大学院大学 准教授 鈴木 広樹   1 多議決権種類株式とは まず種類株式とは、普通株式の反対の意味の言葉である。すなわち、普通株式とは、会社法の規定どおりの権利が備わった株式であるのに対して、種類株式とは、会社法の規定とは異なる権利が備わった株式であり、会社は定款に定めることにより種類株式を発行することができる。例えば、配当が優先的に支払われる株式や、議決権がない株式などであり、会社法は9種類の種類株式を定めている(会社法108条1項)。 そして、多議決権種類株式とは、文字どおり多くの議決権が備わった株式である。普通株式には原則1個の議決権が備わっているが(会社法308条1項)、多議決権種類株式には複数の議決権が備わっているのである。 多議決権種類株式は、会社が上場する際、創業経営者による会社支配を維持するために、彼らに発行されることが多い。有名な事例をあげると、米国のグーグルやフェイスブックの創業経営者には多議決権種類株式が発行されているし、中国のアリババの創業経営者にも発行されている。アリババは当初香港市場に上場する計画だったが、香港証券取引所が多議決権種類株式の発行を認めなかったため、米国市場に上場することにした。 日本の証券取引所も、上場会社による多議決権種類株式の発行を一応認めている。今年の3月に東京証券取引所のマザーズ市場に上場したサイバーダインは、多議決権種類株式を同社の創業経営者に発行しており(注)、その経営者による同社の株式の所有割合は約4割なのに、議決権の所有割合は約9割となっている。 ただ、無制限に多議決権種類株式の発行を認めているわけではなく、それにより創業経営者による会社支配を維持することが、株主共同の利益の観点から必要であると認められること等が必要であるとされている(東京証券取引所「上場審査等に関するガイドライン」Ⅱ6.(4))。   2 すべての株主が賢明とは限らない? 上述のサイバーダインは、その創業経営者に多議決権種類株式を発行する理由について次のように述べている(同社第10期有価証券報告書「第一部企業情報 第4提出会社の状況 1株式等の状況 (1)株式の総数等 ②発行済株式」)。なお、山海嘉之氏は同社の代表である。 株主の中には、その会社の技術を悪用したいと考える者がいるかもしれないし、また、長期的な視野に立った経営などには関心がなく、もっぱら短期的な利益追求のみに関心を示す者もいるだろう(これは非常に多い)。 会社の経営がそうした株主の影響を受けたのでは、かえって株主共同の利益にマイナスになるだろう。そうした株主の議決権は制限し、逆に、会社のことをよく理解し、会社の長期的な成長を望む株主(創業経営者は通常これに該当)には、他の株主よりも多くの議決権を与えた方が、株主共同の利益になるはずである。そのように考えれば、創業経営者への多議決権種類株式の発行は正当化されることになる。   3 コーポレートガバナンス改革の流れに逆行? 多くの創業経営者は、上場後も会社支配を維持したいと思うはずである。そこで、この多議決権種類株式の発行を認める条件を緩めるべきだという意見が出てくる。そうした意見を正当化するのは、上述のとおり、創業経営者による会社支配の維持が株主共同の利益になるというものである。 しかし、コーポレートガバナンスの原則に立ち戻って考えてみてほしい。上場後は、それまでのプライベート・カンパニーではなくパブリック・カンパニーとなる。業績が悪く、株主の要望に応えられない場合などにおいては、経営者は責任をとる必要がある。そうした原則を変えていいのだろうか。 現在、わが国では、日本版スチュワードシップ・コードや日本版コーポレートガバナンス・コードなど、日本の上場会社のコーポレートガバナンスの質を向上させるための取組がなされている。上場会社に多議決権種類株式の発行を安易に認めることは、そうしたコーポレートガバナンス改革の流れに逆行するのではないだろうか。 創業経営者による会社支配を一定期間維持すべき場合は、確かに会社の事業内容などによってあるかもしれない。しかし、それはあくまで例外であり、それに該当するのは限られるはずである。創業経営者への多議決権種類株式の発行の可否は、やはり慎重に判断されなければならないだろう。  (了)
#100(掲載号)
#鈴木 広樹
2014/12/25
読み物 連載

〔小説〕『東上野税務署の多楠と新田』~税務調査官の思考法~ 【第3話】「売上急増、所得低調」

〔小説〕 『東上野税務署の多楠と新田』 ~税務調査官の思考法~ 【第3話】 「売上急増、所得低調」 税理士 堀内 章典     準備調査 7月の異動から早くも1月が経過し、お盆休みもあっという間に終わってしまった。 いよいよ今日から、調査部門が税務調査の最盛期に入る。 お盆休み中一斉に休暇をとる調査部門の調査官は、里帰りや家族サービスなど各々の時間を過ごし、十分に英気を養ったあと、人事評価の裁定期間となる12月まで、調査に没頭するのである。 多楠調査官はというと、異動後、税務大学校そして城東地区の税務署が持ち回りで行う調査1年目研修で1月ほどを費やしていた。 あの部門での顔合わせ、その後の赤羽のスナック「かわばた」での新田の奇異な立ち振る舞いは、多楠にとって強烈なインパクトとして残ったのは事実であるが、今となるとはるか以前に起きた出来事のように思えた。 その後、新田とは仕事上の最小限しか会話をしていない。 これから“あの”新田と一緒に仕事をするかと思うと、気が重くなる多楠であった。 ▼   ▲   ▼ お盆休み明け、久々に8時に出勤した多楠は淡路と共に、税務署の若手職員がしているように部門全員の机を拭いていた。 窓際に背を向けての配置されている田村統括官のデスク、その前に少しスペースを置いて統括官と同じ向きで配置されている三浦上席のデスク、Tの字形に三浦上席側から見ると、デスクの左側に新田調査官と多楠調査官、右側に小泉調査官と淡路調査官が縦に配置されている。新田と小泉、多楠と淡路がそれぞれ正面向かい合った配置になっている。 机拭きも終わりかけたころ、ポツポツと部門のメンバーが出勤してきた。 「やぁやぁ、多楠君元気?田舎に帰ったのはいいけど電車が混んで7時間立ちっぱなし、休暇にならなかったよ。」といつもの明るい調子の三浦上席。 最後から2番目に来たのは田村統括官 「みんな出勤しているかな。お盆休み中事故はなかったよね。何かあったら今からでもいいからチャンと報告してね。じゃないと私の責任になってせっかくの退職金が減額になるんだから。」 いつものように出勤時刻8時45分ギリギリに来たのは新田であった。 周りに聞こえるか聞えないかというような小さな声であいさつをした新田は、さっと自席についた。 ほぼ同時に始業のベルが鳴り、調査官たちのそれぞれの仕事が始まった。 ▼   ▲   ▼ 多楠は明日から調査に入る有限会社金杉商店の準備調査を始めた。準備調査とは、調査に着手する前に調査官が行う作業で、調査法人の3年から5年間のPL及びBS主要科目の推移を所定の様式にひろい出し、さらに不審な資料情報の確認、過去の調査事績などから調査のポイントを洗い出して、想定される不正計算や課税もれなどを事前に把握する重要な作業である。 前回の調査が5年前とすれば、それ以後5年間の取引の適否をわずか数日間の調査で判断する、極めて限られた時間で行うシビアな作業が税務調査なのだ。調査で会社に臨場する期間は会社の規模にもよるが、税務署の一般部門が投下する日数は2~3日が標準である。 まして、一般部門(注)の調査官の年間調査件数は30数件、限られた時間で件数をこなし、不正計算や課税もれを把握しなければならないのが税務調査である。 調査官のメンツ、他の調査官との競争など、とにかく12月まで、調査官はひたすら走り続けるのである。 そこで重要になってくるのが準備調査というわけである。 準備調査をしっかりと行い、調査する項目のポイントを絞り、会社に臨場、代表者などから概況を聴取し、限られた時間で何を調べるかをさらに絞り込み、効果的な調査をする。忙しくて満足に準備調査もしないで調査に行く調査官もいるが、それは会社のことをよく知らずに丸腰で調査に行くようなものであり、手を抜くのは簡単だが、調査結果もおのずとしれたものになりかねない。 多楠は新田から、最初から最後まで初めての準備調査を任されていた。 お盆休み前から少しずつ研修の合間をぬって作業はしていたが、着手の前日に新田に準備調査書を提出するのではちょっと遅すぎる。 三浦上席と淡路調査官のチームは、“万年上席”を自称する三浦が端正な顔立ちの淡路とのペアということで俄然張り切っていた。三浦と淡路は席が離れていたが、三浦は自席に淡路を呼び、準備調査書の記入の仕方から調査の進め方などを親切丁寧に教えていた。ただし、何度も呼びつけられるので、淡路も多楠に向かって思わず細い眉をひそめて苦笑いをしたこともあった。 一方の新田と多楠チームはどうかというと、新田の事案でありながら準備調査はすべて多楠にお任せ、アドバイスなど一切なかった。 初めての準備調査と研修過多で遅々として作業が進まず、準備調査が遅れに遅れた多楠であるが、新田相手に言い訳をしても始まらないと自分に言い聞かせ、午前11時、最後のチェックを終え、恐る恐る新田に準備調査書を提出した。 新田は、準備調査書の上りがギリギリになったことについては一切触れず、調査書をパラパラめくりながら、多楠へ顔を向けることなく言った。 「この会社の問題点、一言でいうとなんだ。」 (やはりそうきたか。) 多楠は先日までの調査1年目研修で習ったとおりに答えた。 「売上がここ5年間で急増していますが、申告所得金額が毎年2,000万円くらいで低調です。」 すると新田はすかさず言った。 「売上急増、所得低調? ・・・まったく調査のポイントが絞られていないな。お前は単に、ここ5年間の調査会社の実態を言っているに過ぎない。」 「えっ・・・」 多楠は言葉に窮した。 研修でも『売上急増、所得低調の会社は要注意』と講師であるベテラン調査官が言っていた。しかも、金杉商店の前回調査時の準備調査書にも同じ文言が書いてあったのである。 (自分の説明が足りないことは何となくわかったが、何が足りないのか・・・しかも一言でいうとなると・・・。) 大学で会計学や租税法もそれなりに勉強してきた多楠にとって、まったく理解しがたい新田の一言であった。 (僕は新田さんに嫌われているんだ。きっとそうに違いない。) 新田はそれ以上、多楠を問い詰めることはなかった。準備調査を手元に置くと、多楠が作成したPL及びBS主要科目の推移に見入っていた。 (次ページへ) (前ページへ) 調査着手 翌朝、ギラギラした太陽が照りつける厳しい残暑の中、午前10時に金杉商店の前に立つ多楠と新田。 多楠が先に会社の事務所受付で近くにいた社員と見られる女性に用件を言うと、しばらくして受付のドアが開き2人の男が現れた。 作業着を着た社長の森本と半袖シャツ姿の税理士の尾崎であった。 2人は会社の応接室に案内された。 尾崎税理士 「暑い中ご苦労様です。今回はお2人で調査ですか。よろしくお願いいたします。」 ここは本来先輩の新田が応える場面であり、税理士の尾崎も見た目年長の新田に向かって声をかけているのだが、新田は応えようとしない。 しかたなく多楠 「私が新人調査官なものですから、新田調査官に付いて指導を受けているのです。」 尾崎 「そうですか。税務署もベテランが退職し、若手の調査官が増えて調査技法を伝授するのが大変らしいですね。」 そんな導入の会話から事業の概況まで、多楠は前日に新田から指示されたとおり、いかにも新人調査官というぎこちなさの中、たどたどしい概況聴取を進めていった。 前回の調査では父和夫が社長で鉄男は専務取締役であった。その調査にも鉄男は父和夫と共に立ち会ったが、現在和夫は第一線を退き調査に立ち会っていない。税理士は同じく尾崎である。社長の森本鉄男は色黒の職人といった顔つきをしていて、受け答えもハッキリしており、いかにも江戸っ子という雰囲気であった。 ▼   ▲   ▼ 森本は自らの事業について、矢継ぎ早に語り出した。 「うちのような実質個人商店は、人がやらないことをやらないと儲かりません。」 「大手の工場の作業工程で発生したアルミやステンレスの切れっぱしを安い値段で買い取って、ひとつひとつ丁寧にバリを切り取るなど地味な作業をし、加工して再度既定の部材として販売する。誰もこんな仕事をしたいとは思いません。だから利益になるんです。」 「毎年利益は出しているんですが、鋼材の買い入れを安くするために現金で仕入をしています。一方の鋼材の売上は原材料の業者間取引では手形が原則、ほとんどが90日サイトの手形になっており、毎月資金繰りで頭を悩ませています。」 「オヤジの父親の代からこの商売をしていますが、なぜかこの事業は加工する作業員が10名を超えると目が行き届かなくなるせいか採算が悪くなる。だから今もベテランの職人が8名で作業をしているんです。」 11時を過ぎようとする頃、多楠の要領を得ない事業概況の聴き取りが一段落したので、作業場を見せてもらうことにした。事務所の隣にある作業場は昼間でも薄暗く、冷房もあまり効いておらず、まさに灼熱の世界であった。部材を切断する機械の甲高い音、旋盤のうなる音が響く中、金属が焼け付くときの独特の臭いが漂う過酷な作業場で、確かに8名の作業員が黙々と作業をしていた。 その作業場でどのような作業が行われ、どのような流れで作業が進められているのか、額に汗しながら森本は、騒音の中途切れ途切れで聞き取りにくい声ではあったが丁寧に説明をした。 70歳にはなると思われる尾崎税理士が真っ先に悲鳴を上げ、クーラーの効いた事務所に引き上げようと提案、一行は20分ほどの作業場の確認を終え事務所に戻った。 ヤレヤレという表情の尾崎税理士、手拭いで顔を拭う森本社長、汗でシャツがびっしょりの多楠の横で、唯一汗もかかないのが新田であった。 ここで初めて新田が口を開いた。 それは多楠も想定外の一言であった。 「社長にお伺いします。売上がここ5年間で急増していますが、所得金額が毎年2,000万円くらいで低調です。なぜですか?」 多楠は自分の耳を疑った。 『売上急増、所得低調』 (昨日僕が言った答えと同じだ。 それは答えになっていない、単に会社の5年間の実態を言っているだけに過ぎないと一蹴したじゃないか。 なぜ同じフレーズを社長に質問するんだ!) しかし、社長の森本は、多楠とはまったく異なる感覚で新田に対面していた。 森本は、先ほどから脈絡のない、たどたどしい質問をしてくる多楠に少々イライラしながらも、傍らでさりげない態度ながら鋭い眼光の新田がただならぬ存在であることを見抜いていた。 森本は金杉商店に入る前、父親のコネで10年ほど中堅どころの鋼材卸会社に勤務、主に営業を担当していた。その後、金杉商店に入社し10年ほどで専務に就任、以来上場会社の工場が多い仕入先の役員の接待から、一癖二癖ある業界仲間や鼻息の荒い若い衆を相手に丁々発止のやり取りをしてきた森本には、直感的に人を見る目が備わっていた。 “コイツは要注意だ。” その新田から初めて聞いた声が「売上急増、所得低調の理由」。 前回の調査にも立ち会っており、調査とはどういうものか経験済みの森本も、いきなり発せられた素朴な質問に答えを窮してしまった。 「え~と、あの、その・・・。」 江戸っ子らしさがなくなり口ごもる森本を、新田はじっと見つめていた。 (続く)
#100(掲載号)
#堀内 章典
2014/12/25

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