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〔会計不正調査報告書を読む〕 【第131回】東京産業株式会社「特別調査委員会調査報告書(2022年7月28日付)」
〔会計不正調査報告書を読む〕 【第131回】 東京産業株式会社 「特別調査委員会調査報告書(2022年7月28日付)」 税理士・公認不正検査士(CFE) 米澤 勝 【東京産業株式会社特別調査委員会の概要】 【東京産業株式会社の概要】 東京産業株式会社(以下「東京産業」と略称する)は、1942年4月設立(設立時の社名は大和機械株式会社)。東京建材工業株式会社への商号変更を経て、1947年7月、三菱商事株式会社機械部有志が経営権を譲り受ける形で東京産業株式会社に商号を変更し、同年10月に一般産業機械及び器具類の国内販売、輸出入を業とする機械専門商社として新発足。各種機械・プラント・資材・工具・薬品などの国内販売及び貿易取引を主たる事業内容とする。売上高58,872百万円、経常利益2,625百万円、資本金3,443百万円。従業員数312名(2022年3月期実績)。三菱重工業株式会社が発行済株式の14.85%を所有する筆頭株主である。本店所在地は東京都千代田区。東京証券取引所プライム市場上場。会計監査人は有限責任あずさ監査法人東京事務所(以下「あずさ監査法人」と略称する)。 【特別調査委員会調査報告書の概要】 1 特別調査委員会設置の経緯 東京産業は、2022年1月17日から開始した東京国税局による税務調査の過程において、営業第三本部プラントインフラ機器部国際インフラ課所属(当時)のX氏が関与する一部取引について、4月下旬に、取引の実体に疑義のある売上等が存在する(本件架空取引疑義)との指摘を受け、社内調査を実施したところ、販売取引の一部において計上根拠の確認できない取引があったほか、一部の仕入先に対して実体の伴わない送金を行っていたことが判明した。 これに伴い、東京産業は、2022年3月期決算において、実体が伴わないと考えられる売上高及び売上原価についてはこれを取り消すとともに、支払済の金額528百万円については回収可能性が現時点では見込まれないことからその全額について貸倒引当金を計上し、貸倒引当金繰入額を特別損失として処理した上で、同年5月13日付でこれを適時開示した。 また、X氏から提示を受けた通帳履歴データを調査したところ、多額の現金による入出金 が判明し、X氏による横領の可能性を含んだ資金流出の疑義(本件資金流出疑義)が認識された。 こうした、不適切な売上処理及び資金流出の疑義(本件疑義)に対し、東京産業は、これらの事実経緯及び会計上の影響額等の正確な把握には、より広範かつ深度ある調査が必要な状況にあると判断し、特別調査委員会を設置して、本件架空取引疑義、本件資金流出疑義及びこれらに類似する事象の有無の調査並びに東京産業の財務諸表への影響額の算定、原因究明及び判明した事実を踏まえた再発防止策の検討のため、調査を委嘱した。 2 特別調査委員会の調査により判明した不正の概要 特別調査委員会は、X氏による不正行為を「架空取引疑義」と「資金流出疑義」とに分けて調査を行っている。「架空取引疑義」の多くは、海外インフラ事業を仮装した架空循環取引で、架空循環取引における資金の一部がX氏及びX氏の配偶者個人名義の預金口座に入金されているというのが「資金流出疑義」である。 (1) 架空取引疑義の概要 特別調査委員会は、架空取引疑義の概要を次のように説明している。 調査対象期間にX氏が起票した売買約報告書に対する悉皆調査を行った結果、実体のない資金移動が実行され、架空の売上高及び売上原価が計上されていた。これらは、案件ごとの利益確保のために行われた原価の付替や他社への立替払いの依頼を発端として、その清算のために架空取引が創出され、その偽装のため、多数の実体のない資金移動が行われたものである。 こうした行為はいずれも基本的にX氏個人により考案、実行されており、東京産業の組織的関与を示す証拠は発見されなかったものの、X氏の同僚であったA氏は、架空取引のための書類の作成や入出金の依頼などにおいて、深く関与していることが認められた。しかし、A氏の架空取引等への関与は、自ら積極的・能動的に行ったものではなく、X氏の指示どおり作業を行ったものにすぎず、消極的・受動的なものであった。 なお、特別調査委員会がまとめた、X氏による架空取引等が売上高、売上原価及び売上総利益に与える影響額については、次のとおりである。 〈架空取引等の金額的影響〉 (2) 資金流出疑義の概要 次いで、特別調査委員会は、資金流出疑義の概要を次のように説明している。 調査の結果、東京産業から支出された資金の一部について、X氏が個人的に関係を持つ不詳先に対する資金流出が行われていたことが判明し、その一部がX氏個人に還流していた可能性が極めて高いという結論となった。 これらは、上記の架空取引等において架空仕入代金として支払われた資金について、X氏の指示により、別の一ないし複数の架空取引を通じて資金流出先に資金を移動させることによって実行されたものである。 特別調査委員会は、東京産業から流出した資金約6億6千万円のうち、X氏及びX氏の配偶者の口座への現金入金額約3億円が、複数の会社を通してX氏に還流した資金である可能性について否定できないものと思料するとまとめている。 (3) 損益に対する影響額 東京産業は、5月13日、2022年3月期決算短信の公表と同時に「特別損失の発生に関するお知らせ」をリリースしており、一部の仕入先に対して実体の伴わない送金を行っていたこと、送金済の金額については回収可能性が現時点では見込まれないことから、特別損失に貸倒引当金繰入額528百万円を計上したことを公表している。 3 原因分析(調査報告書52ページ以下) 特別調査委員会は、原因分析にあたって、「本件架空取引等については、基本的にはX氏個人により単独で考案、実行されたものである」と結論を述べたうえで、その動機について、X氏本人又はその周辺への資金流出を行うためであった可能性が高い一方で、取引の赤字を隠して案件を成功裏に進める、取引先との関係を良好にして更なる案件獲得につなげる、ひいてはX氏が開拓した新事業であるワ事業を当社の主力事業として根付かせるといった側面があったことは否定できないとしている。 そのうえで、本件架空取引等が行われ得た背景としての社内の原因について、次の6項目を列挙している。 ここでは、特別調査委員会が指摘している「X氏の立場の特殊性」と「ひとり商人文化の負の側面」について、分析を確認しておきたい。 特別調査委員会による調査の結果、X氏の業務姿勢には著しい問題があったものの、X氏は問題行為を根本的に改めることはなく、社内では、こうした態度が許容されていた。その理由としては、X氏が開拓した海外インフラ事業では、X氏の営業面での貢献度に関する依存度が高く、さらに、X氏の入社時の上司がのちに上級役員となっていたことから、X氏の課内での立場が聖域化し、その結果、真正でない書類による取引申請、必要書類なしでの取引申請、直属の上司への報告の懈怠などの手段により本件架空取引等が実行しやすく、またその露見を防ぐ形になったものといえるという結論を導いている。 次いで、「ひとり商人」文化の負の側面について、特別調査委員会は、各営業担当者が自己の案件に一貫して責任を負う「ひとり商人」文化が東京産業の社風にあり、業務フローも、成約から受渡までのプロセスを一人の担当者が一気通貫で行うことを前提として設計されているとしたうえで、X氏が手掛ける海外インフラ事業は、調達業務の煩雑性が高いことによる担当者の負担の増加や、売り先・買い先とも多数の取引先と自由度の高い付き合いが発生する中で不正リスクが高まる危険性などのデメリットがあるにもかかわらず、本件架空取引等においては、組織的な管理ができておらずX氏任せにしている形跡が多くみられ、牽制機能が十分に働いていなかったことが窺えることから、既存のビジネスと性質が異なる事業において、「ひとり商人」文化の負の側面が強調され、本件不正行為等の遠因となったものと指摘している。 4 再発防止策の提言(調査報告書56ページ以下) 特別調査委員会は、上記の原因分析を踏まえて、再発防止策として次の6項目を提言している。 ここでは、特別調査委員会が、本件不正行為等の遠因となったと指摘した「ひとり商店」の文化の負の側面を軽減するために必要であるとした「組織的な統制、管理のための仕組みづくり」を見ておきたい。特別調査委員会は、具体的には、次のような提言を行っている。 さらに、特別調査委員会は、本件架空取引等の発見の遅れの原因として内部監査が軽視されていた点があったことから、現場部門では、内部監査による指摘事項の発生原因を究明し、これを考慮した形で是正を行うべきであり、一方、内部監査部門においても、指摘事項について改善状況をより深く注視していくことを求めている。そのためには、営業関連の論点に主眼が置かれている印象を受ける現在の監査から、法的リスクや会計リスク等についてもより一層深度ある監査とすべきであり、内部監査部門の人員の充実が必要不可欠であると提言を結んでいる。 【調査報告書の特徴】 三菱重工業株式会社が筆頭株主であり、電力会社をはじめとする大手の安定的な取引先を有する老舗機械商社である東京産業で、東京国税局による税務調査の過程で発覚した架空取引は、首謀者による横領事件へと拡大した。事件発覚当時、営業第三本部プラントインフラ機器部国際インフラ課に所属していたX氏は、2009年4月入社。赤字商談隠しのための原価付け替えから不正をスタートして、業績向上を仮装するための架空売上を創出し、さらには、自身の預金口座に多額の金員を出捐させるまでに至ったのか。特別調査委員会による調査結果では、X氏の動機については必ずしも詳らかにはならなかった。 1 不正関連損失の計上 東京産業が7月29日に公表した「第112期有価証券報告書」によれば、2022年3月期において、売上高1,166百万円及び売上原価1,093百万円を取り消すとともに、不正事案により生じた損失808百万円を不正関連損失として特別損失に計上しているということである。不正関連損失の明細は明らかにされてはいない。 既に記したとおり、東京産業が5月13日に公表した「2022年3月期決算短信」の段階では、特別損失として、貸倒引当金繰入額528百万円が計上されており、損失増加分は283百万円である。 2 会計監査人であるあずさ監査法人の対応 東京産業の「第112期有価証券報告書」では、会計監査人であるあずさ監査法人による無限定適正意見の附された監査報告書が添付されている。その中では、監査上の主要な検討事項として、「架空循環取引により不正に計上された売上の修正処理の適切性」が挙げられており、あずさ監査法人は、監査上の対応として、以下のように説明している。 特別調査委員会による「ヒアリング対象者一覧」にはあずさ監査法人は含まれていないが、調査状況の説明を受け、質問し、調査報告書を閲覧しているとのことであるが、会計監査手続の中で、架空循環取引が発見できなかったことに関して、特別調査委員会及びあずさ監査法人がどのように判断しているのかについては言及がない。 3 なぜ内部通報制度は機能しなかったのか 調査報告書11ページに、東京産業の「内部通報制度」に関する説明がある。 東京産業では、2022年6月の改正公益通報保護法施行前は、内部通報に係る正規の規定はなく、社内通達として「公益通報取扱内規」があり、同内規では、内部通報について「従業員等からの組織的または個人的な法令違反行為等に関する相談または通報」の受付窓口はコンプライアンス協議会事務局(総務人事部人事課長)とされていたが、過去10年間の当該内規に基づく内部通報件数はゼロであった。2022年6月1日には、改正公益通報保護法の施行に伴い、正規規定として「内部通報に関する内部規定」が制定、運用されているが、本報告書日現在までの内部通報件数はゼロであった。 さらに、特別調査委員会が6月22日に設置・運用した情報提供窓口への情報提供もゼロであった。 X氏の同僚であったA氏は、特別調査委員会によって、「架空取引のための書類の作成や入出金の依頼などにおいて、深く関与していることが認められる」と評されているのだが、調査報告書には、A氏がなぜ上司に相談したり、内部通報を行ったりといった行動に出なかったのかについての言及はない。 こうした事象からは、東京産業においては、内部通報制度が機能しづらい組織風土が存在するのではないかという推察が成り立つのではないか。そこで、特別調査委員会による再発防止策に加えて、「なぜ、内部通報窓口が機能しなかったのか」を検討したうえで、改正公益通報保護法の施行に伴って正規規定とした「内部通報に関する内部規定」の運用を実効性のあるものにすることが必要であることを附言したい。 4 役員報酬の自主返上に関するお知らせ 東京産業は、2022年8月29日、「役員報酬の自主返上に関するお知らせ」をリリースして、「この度の事態を重く受け止め、経営責任を明確化するため」に、次のとおり、役員報酬を自主返上することを公表した。 なお、同リリースでは、東京産業は、「調査報告書を踏まえた再発防止策を策定中であり、策定次第速やかに開示いたします」とのことであるが、本稿執筆現在(10月7日)、東京産業による再発防止策は開示されていない。 (了)
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〔まとめて確認〕会計情報の月次速報解説 【2022年9月】
〔まとめて確認〕 会計情報の月次速報解説 【2022年9月】 公認会計士 阿部 光成 Ⅰ はじめに 2022年9月1日から9月30日までに公開した速報解説のポイントについて、改めて紹介する。 具体的な内容は、該当する速報解説をお読みいただきたい。 Ⅱ 企業価値関係 経済産業省の「サステナブルな企業価値創造のための長期経営・長期投資に資する対話研究会(SX研究会)」が「伊藤レポート3.0(SX版伊藤レポート)」と「価値協創ガイダンス2.0」を公表している。 「サステナビリティ・トランスフォーメーション」(SX)の実践の重要性及びSXの実現に向けた具体的な取組、ガイダンスについて述べている。 Ⅲ 人的資本関係 内閣官房の非財務情報可視化研究会が「人的資本可視化指針」を公表している。 指針は、特に人的資本に関する資本市場への情報開示の在り方に焦点を当てており、既存の基準やガイドラインの活用方法を含めた対応の方向性について包括的に整理した手引きである。 Ⅳ 人権尊重のためのガイドライン関係 日本政府が「責任あるサプライチェーン等における人権尊重のためのガイドライン」を策定している。 欧米を中心に人権尊重を理由とする法規制の導入が進み、企業として取組の強化も求められていることもあり、わが国において、サプライチェーンにおける人権尊重の取組に関する業種横断的なガイドラインを作成するものである。 Ⅴ 監査法人等の監査関係 監査法人及び公認会計士の実施する監査などに関連して、次のものが公表されている。 ① 倫理規則実務ガイダンス「倫理規則に関するQ&A」(非保証業務以外の項目)の仮公表(内容:非保証業務以外に関する項目を対象にして、改正倫理規則の適用上の留意点を示す) ② 倫理規則実務ガイダンス「倫理規則に関するQ&A」(非保証業務等に関する項目)(公開草案)(内容:非保証業務等に関する項目を対象にして、改正倫理規則の適用上の留意点を示す) (了)
労働基準関係
労務
労務・法務・経営
ハラスメント発覚から紛争解決までの企業対応 【第31回】「ハラスメントの懲戒処分の勘所」
ハラスメント発覚から紛争解決までの 企 業 対 応 【第31回】 「ハラスメントの懲戒処分の勘所」 弁護士 柳田 忍 【Question】 ハラスメント事案の行為者に対して、懲戒処分を科すべきか否か、懲戒処分を科すべきとしてどの種類の懲戒処分を科すべきかについて、判断に迷うことがよくありますが、判断のポイントなどはありますか。 【Answer】 懲戒処分を実施するべきか否かや、いかなる種類の懲戒処分を科すべきかは、非違行為が犯罪行為に該当するなど重大なものか、行為者に対して事前に注意・指導を行うなどして改善の機会を与えたか等の基準に照らして判断することがポイントになります。 ● ● ● 解 説 ● ● ● 1 ハラスメントと懲戒処分 懲戒処分とは、企業秩序に違反した労働者に対して科される制裁罰であり、使用者が一方的に行うものである。懲戒処分の行使が認められるためには、労働契約法上の根拠が必要であり、労働協約や個別の労働契約、就業規則等に懲戒の種別及び事由を定めておく必要がある。 また、懲戒処分を行うためには、労働者の非違行為が就業規則等に定めた懲戒事由に該当し、かつ、懲戒処分が対象労働者の行為の性質及び態様その他の事情に照らして、客観的に合理的な理由があり、社会通念上相当であると認められなければならない(労働契約法15条)。 ハラスメント防止措置の一環として、ハラスメントを行ってはならない旨の方針を明確化し、ハラスメントの行為者については、厳正に対処する旨の方針や対処の内容を就業規則等の文書に規定することが求められているため、多くの企業の就業規則等において、各種ハラスメントは懲戒事由として定められているものと思われる。 問題は、ハラスメント行為が懲戒事由に該当するとしても、懲戒処分に客観的に合理的な理由があり、社会通念上相当であると認められるか否かという観点から、懲戒処分を行ってもよいものか、懲戒処分を行うとしてもどの種類の懲戒処分を行うべきか、という点である。 非違行為に照らして懲戒処分が重すぎる場合は、客観的に合理的な理由を欠き、社会通念上相当であると認められず、懲戒処分が無効になる。一方、非違行為に照らして懲戒処分が軽い場合には、基本的にはその処分の有効性が争われることはなく、また、仮に争われたとしても、当該懲戒処分の有効性は否定されないであろうが、今後の同種事案の懲戒処分に影響を与えるおそれがある。すなわち、懲戒処分の規定は従業員に公平に適用されなければならず、同種事案には同程度の懲戒処分が科されなければならないという原則があり、同種事案に照らして不当に重い処分は無効となる可能性があるのである。 よって、下手に軽い懲戒処分を行うと、今後、同種事案の行為者に対して重い懲戒処分を科すことが困難となる可能性があるので、懲戒処分を行う際には、重すぎず、軽すぎないよう、慎重な判断が必要となる。 2 懲戒処分を実施するか否かの判断基準 まず、そもそも懲戒処分を実施するべきか否かで判断に迷うことも多いであろうが、以下の全てないし多くを満たす場合は、懲戒処分を実施しないという判断も合理的ではないかと思われる。 上記①については、ある言動がハラスメントに該当するか否かは、当事者の関係、当該言動がなされた状況、当該言動の態様等、様々な要素を考慮して判断されるものであり、ある言動がハラスメントに該当するか否かを決めることは簡単ではないことが多い。しかし、例えば、殴る、蹴る、物を投げつけるといった有形力の行使、「クビにしてやる」、「死ね」といった暴言、相手に性行為を強要する行為、女性の胸や臀部などを触る行為などは、どのような状況でなされたとしても問題になる可能性が高いであろうことに異論はないであろう。このような言動がなされたか否かが、まずは、懲戒処分を行うべきか否かの判断基準となり得る。 上記②については、事前に改善の機会が与えられた(が改善せず、再びハラスメント行為に及んだ)か否かが懲戒処分の有効性を判断する要素となり得るため、行為者が過去にハラスメント行為に及んで注意・指導等を受けたか否かも、懲戒処分を行うべきか否かの判断基準となり得る。 上記⑦については、被害者が精神疾患等を発症したか否かはあくまで結果に過ぎないことではあるし、ハラスメント(だけ)が原因で精神疾患等を発症したかも定かではない場合もある。しかし、被害者がハラスメントを受けたタイミングで精神疾患等を発症した場合、当該精神疾患等はハラスメントに起因すると推測されることが一般的であるし、精神疾患等を発症するほどのハラスメントが行われたことの推測が働くため、懲戒処分を行うべきか否かの判断基準となり得る。 上記⑧について、行為者が業務過多のストレス等によりハラスメント行為に及ぶケースがよく見られる。この場合は、ハラスメントの責任は会社側にもあると評価することも可能であり、必ずしも行為者のみを責められない場合もあろうことから、行為者を懲戒処分の対象としないという判断もあり得る。 上記⑨については、主に、被害者の勤務態度が著しく悪かったり、行為者を挑発したりしたため、行為者がかっとなってハラスメント行為に及んだ場合などが考えられる。被害者側に非があるからといって、ハラスメント行為が認められなくなるわけではないが、行為者に制裁を科すべきかという観点からは、考慮に入れる余地がある。 3 懲戒処分の種類を決める判断基準 一般に、軽い順から、譴責、減給、出勤停止、懲戒解雇といった種類の懲戒処分を規定しているケースが多いものと思われるが、懲戒処分をするべきであると判断した場合、譴責・減給といった比較的軽めの処分にするか、出勤停止といった比較的重めの処分にするか、懲戒解雇という最も厳しい処分にするかで迷うこともあろう。この場合の判断基準は以下のとおりである。 まず、懲戒解雇は労働者にとって死刑宣告に等しいとも言われる厳しい処分であるから、これを行うことができるのは限られた場合となる。例えば、非違行為が、殴る、蹴るといった暴行罪(刑法208条)・傷害罪(同204条)、脅すといった脅迫罪(同222条)、性行為を強要するといった強制性交等罪(同177条)、暴行又は脅迫を用いて体に触るといった強制わいせつ罪(同176条)等、犯罪行為に該当する場合には懲戒解雇処分とすることに客観的に合理的な理由や社会通念上の相当性が認められることが多いであろう。 また、上記のとおり、事前に改善の機会が与えられた(が改善せず、再びハラスメント行為に及んだ)か否かは懲戒処分の有効性を判断する重要な要素となり得るところ、特に懲戒解雇のような重い処分については、事前に改善の機会が与えられていない場合は、無効となる可能性が高い(T大学事件(東京地判平成27年9月25日労経速2260号13頁)は、行為者と被害者が少なくとも外面的には良好な人間関係を保っており、行為者の言動により被害者が深刻な被害感情を持っていることに行為者が思い至らなかったとしてもやむを得ないこと等からすると、より軽い処分を経て改善・更生の機会を与えないまま、大きな経済的損失を伴う停職処分を科したことは社会通念上相当性を欠く旨判示し、2ヶ月の停職処分を無効とした)。 よって、基本的には、過去に注意・指導や懲戒処分を受けて改善の機会を与えられた場合でなければ、懲戒解雇を選択するべきではないということになる(もっとも、犯罪行為のような、改善の機会を与えられるまでもなく悪質であることが明らかな非違行為については、改善の機会が与えられていなくても、懲戒解雇が有効になる余地がある)。 一方、出勤停止については、出勤停止処分の期間中は無給となるため、その期間次第では労働者に大きな不利益を与えるものとなり、労働者から処分無効の主張がなされるリスクが高いものであるから、譴責・減給とするか、出勤停止とするかについても慎重な判断が必要となる。原則として、事前の注意・指導等がない非違行為については、出勤停止処分を科さないことが安全であるといえよう。 (了)
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《編集部レポート》 第48回日税連公開研究討論会が東京で開催~3年ぶりの会場開催、ライブ配信とのハイブリット化も実現~
《編集部レポート》 第48回日税連公開研究討論会が東京で開催 ~3年ぶりの会場開催、ライブ配信とのハイブリット化も実現~ Profession Journal 編集部 2022年10月7日(金)、日本税理士会連合会(神津信一会長)は、第48回日税連公開研究討論会を開催した。 昨年は新型コロナウイルスの影響を受けライブ配信のみでの実施となったが、本年は来場者全員に抗原検査キットを配布するなど徹底した感染対策の下、3年ぶりに会場での開催となった。また、同時にライブ配信も行うことで、遠方からも視聴可能なハイブリット化を実現した。 公開研究討論会は、税理士による研究成果の発表、討論の過程を通じて、税制・税務行政及び税理士業務の改善・進歩並びに税理士の資質の向上を図るとともに、本会が行う研修事業に資することを目的として実施する、との理念の下、毎年開催されているもの。 今回の担当は、東京税理士会が第一部テーマ「税制の歪みを糺(ただ)す」、第二部テーマ「人生100年時代における資産形成と税制のあり方」というテーマで発表を行った。 当日は全国から税理士が集い、研究発表の成果へ熱心に耳を傾け、来賓として小池百合子東京都知事が来場、冒頭に祝辞を述べられたほか、河野太郎デジタル大臣からもビデオメッセージが届いた。 当日の研究発表の模様は、後日、日税連HP(会員専用ページ)から視聴できる。 (東京会の発表の様子) (了)
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《速報解説》 国税庁、副業収入等の「雑所得」の範囲を明確化する改正通達を公表~本業・副業による判定ではなく「帳簿書類の保存の有無」で所得区分を判定~
《速報解説》 国税庁、副業収入等の「雑所得」の範囲を明確化する改正通達を公表 ~本業・副業による判定ではなく「帳簿書類の保存の有無」で所得区分を判定~ 公認会計士・税理士 篠藤 敦子 令和4年10月7日、国税庁は、雑所得の範囲について明確化を図る趣旨で、「「所得税基本通達の制定について」の一部改正について(法令解釈通達)」を公表した。 本改正は、令和4年8月に募集したパブリックコメントの結果を受け、当初の改正案を一部修正した内容となっている。 なお、改正の趣旨及びパブリックコメント募集時の改正案の概要等については、下記拙稿をご参照いただきたい。 【1】 パブリックコメントの実施結果 令和4年8月1日から31日まで実施された本改正に対するパブリックコメントの募集には、7,059通もの意見が提出された。 意見の内容を集約すると、次の6つに区分される。提出された主な意見を記載する。 (注) パブリックコメントの結果及び意見の詳細については、「「所得税基本通達の制定について」(法令解釈通達)の一部改正(案)(雑所得の例示等)に対する意見公募の結果について」における「意見公募の結果について」をご参照いただきたい。 【2】 パブリックコメントを踏まえた改正通達の内容 パブリックコメントにおける意見を踏まえ、最終の改正通達は、当初の改正案から一部修正されたものとなっている。 (注) アンダーラインを付した部分が修正部分であり、強調部分は筆者による。 上記の表のとおり、修正前は、「副業、かつ、収入金額300万円以下の場合には、反証がない限り、業務に係る雑所得と取り扱う」とされていたが、修正後(公表された改正通達)は、本業・副業による判定ではなく、「帳簿書類の保存の有無」で所得区分を判定することとされた。 参考までに、国税庁から公表されている「パブリックコメントからの変更点」を引用する。 〈パブリックコメントからの変更点〉 【3】 適用時期 【1】に示したように、適用時期を遅らせるべきとの意見も提出されているが、所得区分は確定申告書の提出時期に判断するものであることから、遡及適用には当たらないこと、また、そもそも事業所得者には記帳・帳簿書類の保存が義務付けられているので、納税者に影響を及ぼすとは考えられないことから、当初の予定どおり、改正後の取扱いは令和4年分以後の所得税について適用される。 【4】 注意点 改正後の通達では、事業所得と業務に係る雑所得の区分については、過去の判例(※)に基づいて社会通念で判定することが原則である。 (※) 最大判昭和56年4月24日、東京地判昭和48年7月18日。 取引を帳簿書類に記録し、かつ、記録した帳簿書類を保存している場合には、社会通念での判定において事業所得に区分されると考えられるが、取引を記録した帳簿書類を保存している場合であっても、次のような場合には、事業と認められるかどうかを個別に判断することになる。 (了)
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《速報解説》 株主総会資料の電子提供制度に関する「会社法施行規則等の一部を改正する省令案」がパブコメに~株主に交付する書面に記載することを要しない事項について改正~
《速報解説》 株主総会資料の電子提供制度に関する「会社法施行規則等の一部を改正する省令案」がパブコメに ~株主に交付する書面に記載することを要しない事項について改正~ 公認会計士 阿部 光成 Ⅰ はじめに 令和4(2022)年10月7日、法務省は、「会社法施行規則等の一部を改正する省令案」を公表し、意見募集を行っている。 株主総会資料の電子提供制度が2022年9月1日に施行されている。同制度では、株主は、電子提供措置の対象となる事項を記載した書面の交付を請求することができるとされている(会社法325条の5第1項)。 一方、電子提供措置の対象となる事項のうち法務省令で定めるものの全部又は一部については、交付する書面に記載することを要しない旨を定款で定めることができるとされている(会社法325条の5第3項)。 省令案は、この電子提供制度における書面交付請求をした株主に交付する書面(以下「電子提供措置事項記載書面」という)に記載することを要しない事項に関して改正するものである。そのほか、いわゆるウェブ開示によるみなし提供制度の対象事項についても同様の見直しを行い、また、形式的整備を含む所要の改正も行っている。 意見募集期間は2022年11月7日までである。 文中、意見に関する部分は、私見であることを申し添える。 Ⅱ 主な改正の内容 1 電子提供措置事項記載書面に記載することを要しない事項 事業報告に記載又は記録すべき事項のうち役員の責任限定契約に関する事項、事業の経過及びその成果、対処すべき課題、補償契約に関する事項及び役員等賠償責任保険契約に関する事項、貸借対照表及び損益計算書に記載又は記録すべき事項並びに連結貸借対照表及び連結損益計算書に記載又は記録すべき事項を、電子提供措置事項記載書面に記載することを要しない事項とする(会社法施行規則95条の4第1項2号~4号)。 2 いわゆるウェブ開示によるみなし提供制度 いわゆるウェブ開示によるみなし提供制度についても、上記1に掲げる事項と同様の事項について、インターネット上のウェブサイトに掲載し、そのウェブサイトのURL等を株主に通知すれば、当該事項に係る情報が株主に提供されたものとみなすものとする(会社法施行規則133条、会社計算規則133条)。 いわゆるウェブ開示によるみなし提供制度の特例措置に関する経過措置の規定を削除する(「会社法施行規則及び会社計算規則の一部を改正する省令」(令和3年法務省令第45号)附則2条ただし書)。 Ⅲ 施行期日 公布の日から施行する予定である。 ただし、いわゆるウェブ開示によるみなし提供制度に関する改正規定は、令和5年3月1日から施行することを予定している。 (了)
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《速報解説》 会計士協会が研究報告として「フォレンジック業務に関する研究」を公表~リスクの概要、必要な能力・知見等、業務支援事例等を切り口に取りまとめる~
《速報解説》 会計士協会が研究報告として「フォレンジック業務に関する研究」を公表 ~リスクの概要、必要な能力・知見等、業務支援事例等を切り口に取りまとめる~ 税理士・公認不正検査士(CFE) 米澤 勝 日本公認会計士協会(経営研究調査会)は、2022年9月14日の常務理事会の承認を受けて、経営研究調査会研究報告第69号「フォレンジック業務に関する研究」を、同月30日に公表した。 この研究報告は、フォレンジック業務を行う会計事務所等の実務及び業務開発に資するため、改めて整理を行い、主に「リスクの概要」「必要な能力・知見等」「業務支援事例」といった切り口から取りまとめを行ったものであると紹介されている。 本稿では、公表された研究報告の概要を紹介することとしたい。 1 目次 研究報告は61ページに及んでおり、目次の大項目は以下のとおりである。 研究報告では、「フォレンジック業務の全体像」を最初に定義したうえで、フォレンジック業務が必要とされるリスクを、「不正・不祥事リスク」「国際法規制違反リスク」「契約違反リスク」「訴訟リスク」及び「関連業務情報漏えいリスク」の5類型に分類し、「国際法規制違反リスク」以外のそれぞれの類型について、「リスクの概要」「業務に必要な主な能力・知見等」及び「主な業務支援事例」を解説する内容となっている。 また、「国際法規制違反リスク」については、その内容を「贈収賄法関連法規制」「競争法関連法規制」及び「マネー・ローンダリング及びテロ資金供与防止関連法規制」の3種類の規制に分類して、それぞれの規制について、「リスクの概要」「業務に必要な主な能力・知見等」及び「主な業務支援事例」を解説している。 2 研究報告の目的とフォレンジック業務における注意点 (1) 研究報告の目的 会計事務所等によるフォレンジック業務は、我が国では 2003年頃より開始され、特に不正調査を行う公認会計士は、不正調査にとどまらず、不正による影響の大きさを評価し、損害額を試算し、訴訟や保険請求等を含むその後の是正措置の戦略策定をサポートすることまで広範な範囲の業務を行ってきている。 研究報告は、こうした経験や知見を有した委員らがこれまでの経験や、海外のメンバーファームの経験も参考に、会計事務所等が実施するフォレンジック業務について、実務事例をできる限り交え改めて整理を行うこととし、今後フォレンジック業務を行う会計事務所等の実務及び業務開発に資することを目的としている。 (2) フォレンジック業務における注意点 研究報告では、会計事務所等が、フォレンジック業務を行う場合において倫理面で特に注意が必要な点として、「誠実性」「客観性・独立性等」「職業的専門家としての能力及び正当な注意」「守秘義務」及び「職業的専門家としての行動」の5項目を挙げている。 この中では、フォレンジック業務における会計事務所等の職業的専門家として必要な能力として、「主に対象業界・企業等及び事業の特徴や特殊性の理解、会計・税務、内部統制や業務フロー、不正調査アプローチと調査手法、損害額や影響額の算定、組織的業務の実施、更には業務の効果的実施に対する経験と専門的知識など」を列挙していることを取り上げておきたい。こうした能力と知見は、5つの類型に分類したリスクについてのフォレンジック業務を行ううえで、ベースとなるものであることは言うまでもない。 3 フォレンジック業務の全体像 研究報告では、経営研究調査会研究報告第51号「不正調査ガイドライン」における不正調査技術を引用する形で、次のようにフォレンジック業務の全体像をまとめている。 前出の「不正調査ガイドライン」における「仮説検証のための主な調査手続」では、上記の4項目に加えて、「(5) 反面調査」と「(6) 不正調査の調査手続と調査範囲」という項目が説明されていることを附記しておく。 4 不正・不祥事リスク(Fraud and Misconduct Risks)関連業務 研究報告の具体的内容について、5類型に分類されたリスク関連業務のうち、会計事務所等によるフォレンジック業務の中心であると考える「不正・不祥事リスク関連業務」に関する解説を見ておきたい。 (1) リスクの概要 研究報告では、「コンプライアンス意識の高まりにより、不正・不祥事に対する企業等の対応そのものがその後の企業等の存続を左右することもある」としたうえで、具体的には、企業等で会社資産の横領が発覚した場合には、企業等は直接・間接に金銭的な被害を受けることになり、その金額が高額となれば、事業に影響を及ぼすことになるし、金額的には事業に著しい影響がない場合であっても、不正・不祥事の発生が表ざたになることで、企業等の管理体制が問われ社会的信頼が失墜し、企業価値が毀損してしまうことが考えられるとそのリスクを説明している。 そのうえで、フォレンジックチームによる不正・不祥事リスク関連業務は、企業等が直面する不正・不祥事リスクの予防及び発見、調査及び是正措置の一部又は全部として実施することになるとしている。 (2) 業務に必要な主な能力・知見等 研究報告では、不正・不祥事リスク関連業務に必要な主な能力・知見等として、次の3項目を挙げている。 「会計不正の特性の理解」では、会計不正の予防及び発見、調査及び是正措置の策定にあたっては、不正の手口を正しく理解することが必要であり、とくに不正調査では、十分な証拠による裏付けが必要であることは言うまでもないが、会計不正を調査する過程では、会計不正が発生していないことの検討も試みるべきであると説明されている。 (3) 主な業務支援事例 研究報告では、不正・不祥事リスク関連業務における「主な業務支援事例」として、次の7つの事例が報告されている。 (了) ↓お勧め連載記事↓
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monthly TAX views -No.117-「どうなる「財源三兄弟」」
monthly TAX views -No.117- 「どうなる「財源三兄弟」」 東京財団政策研究所研究主幹 森信 茂樹 霞が関で「財源三兄弟」と呼ばれている課題がある。「こども政策」、「GX(グリーントランスフォーメーション)」、「防衛費」の3つである。いずれも、相当規模の予算措置が必要な政策・事業で、財源をどう調達するのかという共通の問題がある。 * * * 「こども政策」は「経済財政運営と改革の基本方針」(骨太の方針2022)で、「社会全体での費用負担の在り方を含め幅広く検討」とされた。既存の社会保険料に上乗せするアイデアや、かつて小泉進次郎氏が担いだ「こども保険」などのアイデアが出始めている。しかし、社会保険料を引き上げるという考え方に対しては、「税に代わる安易な財源の調達手段」という強い批判が予想され、年末までの合意形成は容易ではない。 次にGX(グリーントランスフォーメーション)だ。政府はすでに10年間で20兆円の政府投資について、「財源の裏付けを確実に確保すること」を条件にコミットしており、GX経済移行債(仮称)という名称の「つなぎ国債」が検討されている。 つなぎ国債というのは、「将来の財源」の確保を前提に出す国債なので、「将来の財源」をあらかじめ決めておく必要がある。経産省は、炭素税、排出量取引などのカーボンプライシングの導入や、再生可能エネルギー発電促進賦課金(FIT、固定価格買取制度)の見直し(上乗せ)などの議論を行っている。しかし、経済界や家計の負担増につながる20兆円もの財源を、短期間で合意することができるのかという疑問がある。 最後は「防衛費」で、これが最大の課題だ。ロシアのウクライナ侵攻を契機にわが国をとりまく安全保障環境が激変した。世論も一気に、防衛費を増やさなければ、という流れになった。岸田首相は5月の日米首脳会談で日本の防衛力の抜本的な強化を表明し、自民党は、7月の参院選で、「NATO(北大西洋条約機構)諸国の国防予算の対 GDP 比目標(2%以上)を念頭に5年以内での防衛費増を目指す」と公約した。 現在わが国の防衛費は5.4兆円(GDP比1%)だが、NATO基準では、海上保安庁の予算なども含むので、わが国の防衛費は1.24%になる。それを5年間で2%に増やすというと、単純計算で毎年7、8,000億円ほど増額する必要がある。 政府は有識者会議を立ち上げ、「必要となる防衛力の内容」、「予算規模」、「財源」の3つの論点の議論を始めた。 近代国家の戦費調達の歴史を振り返ると、1799年に英国はナポレオン戦争の戦費調達のために世界最初の所得税が導入され、1914年の第一次世界大戦時に本格的な所得税となった。米国でも1814年対イギリス戦争のため所得税が提案され、その後南北戦争で導入された。わが国でも所得税法が誕生したのは、富国強兵による国力増強のための1887年である。戦費調達は、広く国民が負担すべき費用という考え方の下で所得税を財源としてきた。 防衛は、その対価を払わなくてもサービスを受けることができる公共財で、その受益は広く個人や企業に及んでいる。全員が「受益」している公共サービスである。その費用は個人や法人など幅広い主体が「会費」として公平に負担すべきものではないか。これは財政論というより、哲学の問題である。増税が経済に与える影響を緩和するため、負担を「薄く・長く」するような工夫は必要だろう。 2011年の東日本大震災の復旧・復興についてその財源は、「次の世代に負担を先送りすることなく、今を生きる世代全体で連帯し負担を分かち合うことを基本とする」として長期にわたる付加税としたことを思い出したい。 現下の状況に鑑みると、防衛費の増強は必要だろう。防衛費というブラックボックスの中身を国民に分かりやすく示しつつ、わが国の経済・財政の身の丈にあった規模を議論してほしい。 * * * 以上、岸田政権は、支持率が低下する中、大変な予算編成作業が待っている。英国のように、財政リスクをまき散らし市場の信頼を失うようなことのないような対応をお願いしたい。 (了)
