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[無料公開中]神田ジャズバー夜話 「5.ジンクスのようなもの」

筆者:山本 博一

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この店にもいくつかジンクスのようなものがある。

その1、後で来ると言って来るやつはいない。
「すいませーん、後で来ようと思ってるんですが、へえ、いい店ですね」
「はい、まあ」
「じゃあ、後で来まーす」
「はーい」一応返事をしておく。が、そんなことを言って来たためしはない。私はそいつが帰ると扉の外に塩をまく。

その2、ビル・エバンスの『ワルツ・フォー・デヴィ』をかけると客が来る。
客が来そうな時間にかけているからだといってしまえばジンクスでもなんでもないが、常々神仏は信じないといっておきながら、何度も実績があるので、客がいないと心細くなりかけてしまう。
一応、仮説として「二軒目でゆったり飲むには管楽器はうるさく、ボーカルは好き嫌いが別れるので、ピアノトリオぐらいが丁度いい。しかもジャズ好きには聞き覚えのある『ワルツ・フォー・デヴィ』ならば入り易いのではないか」と考えてはいる。

その3、昼間客が多いと夜は少ない。
昼間は喫茶店として営業している。客は一日に2、3人がいいところ。コーヒーは客単価が安いので私の労働時間(ほとんど待機時間だが)を時給に直すと200円ぐらいにしかならない。それでも昼間から音を流していると(外へも別のスピーカーで流れている)通りがかりの人が店の存在に気付き、夜の来店に繋がることが多いので広報宣伝活動を主な目的として営業している。
たまに5人、ときには10人ということがあり、そんな日の夜は客が少ない傾向がある。昼間5人目が来ると夜の心配をする。これは対処の仕様がない。いつものようにただじっと待つだけだ。

「エバンスにするか」その夜もまだ客は来ていなかった。
それまで好きで聴いていたバド・パウエルをビル・エバンスに代えた。
ドアが開き、新聞屋の桑原さんが入ってきた。桑原さんには以前『ワルツ・フォー・デヴィ』のジンクスの話をした。桑原さんもケニー・バレルの『ミッドナイト・ブルー』を聴くと必ずなにか悪いことがあるそうだ。
「やっぱり、誰もいないね」
「え、なんでそう思ったんですか」
「『ワルツ・フォー・デヴィ』がかかってるからさ」

そして今夜は珍しく客が沢山入っている。店内には「『ワルツ・フォー・デヴィ』が流れている。そこへ桑原さんが来た。
「あれ、マスターどうしたの、いっぱいじゃない」
「『ワルツ・フォー・デヴィ』でこれだけ入って来たんですよ」
「うそ!」
そう嘘です。『ワルツ・フォー・デヴィ』はリクエストされたのです。

【今夜の一曲】
ウォーキング・アップ/ビル・エバンス
Walking Up / Bill Evans [How My Heart Sings!]

そんなわけで『デヴィ』は聴き飽きた。私がエバンスで一番好きなのはこの曲。それもこのアルバムのもの。左手のニュアンスが不思議でとてもいい。モントルーのライブではビートにつられて左手が普通に弾いてしまいつまらない。ドルフィならライブに限るが、エバンスはスタジオ録音の方がいい。

(了)

「神田ジャズバー夜話」は、毎月最終週に掲載します。

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筆者紹介

  • 山本 博一

    (やまもと・ひろかず)

    1956年2月29日、東京都江戸川区生まれ。同在住。
    2007年2月に脱サラして神田の地下にジャズバーを開店。困窮しながらも6年を経て継続中である。
    著書に、桑原聡氏と共著2010年「酒とジャズの日々」(医療タイムス 社2010年)がある。

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