2025年6月12日(木)AM10:30、 プロフェッションジャーナル No.622を公開! - ご 案 内 - プロフェッションジャーナルの解説記事は毎週木曜日(AM10:30)に公開し、《速報解説》は随時公開します。
谷口教授と学ぶ 国税通則法の構造と手続 【第37回】 「国税通則法105条(104条、106条~113条の2)」 -執行不停止原則とその例外- 大阪学院大学法学部教授 谷口 勢津夫 国税通則法105条(不服申立てと国税の徴収との関係) 1 はじめに 国税通則法第8章(不服審査及び訴訟)第1節(不服審査)第1款は、不服審査に関する「雑則」を定めている。今回は、「雑則」で定められている諸規定(104条~113条の2)のうち、本連載における筆者の問題関心の中心にある国税通則法の「構造」(第1回とりわけ同3参照)と深く関連すると思われる「不服申立てと国税の徴収との関係」に関する同法105条の規定について、執行不停止原則とその例外を検討する。 その検討に入る前に、執行不停止原則(税通105条1項本文)に係る用語について、それぞれの意味を確認しておくと、次の解説がされている(志場喜徳郎ほか共編『国税通則法精解〔令和7年改訂・18版〕』(大蔵財務協会・2025年)1310頁。武田昌輔監修『DHCコンメンタール国税通則法』(第一法規・加除式)4877頁も参照)。 2 執行不停止制度の沿革 執行不停止原則は、国税通則法制定前は、国税徴収法(昭和34年法律第147号。昭和37年法律第67号による改正前のもの)166条3項で「再調査の請求」(国税通則法制定後の「異議申立て」の前身)について、同法167条4項で「審査の請求」について定められていたが、当時の制度とその実際の運用について税制調査会「国税通則法の制定に関する答申の説明(答申別冊)」(昭和36年7月。以下「昭和36年答申別冊」という)127-128頁は次のとおり述べていた(下線筆者)。 税制調査会は執行不停止制度の改正について、「異議の対象となっている処分の性格及び執行停止に伴う影響を具体的に考察する見地から」(「昭和36年答申別冊」129頁)、「処分によって実現が意図される行政目的と不服申立人の利益との衡量において」(同頁)、基本的には当時の(訴願法に代わる)行政不服審査法案の原則によることとしつつ「税務争訟の特殊性に着目して」(同頁)次の基本的立場(同頁)を示した。 この基本的立場に立つ税制調査会「国税通則法の制定に関する答申(税制調査会第二次答申)」(昭和36年7月)24-25頁を受けて国税通則法84条が定められたが、この規定に基づく「不服申立てと国税の徴収との関係」に関する制度は、国税不服審判所創設の直接の基礎となった税制調査会「税制簡素化についての第三次答申」(昭和43年7月。以下「昭和43年税制簡素化答申」という)53頁でも次の理解・評価(下線筆者)に基づき維持されることとされた。 国税通則法84条は昭和45年改正(昭和45年法律第8号)により条名が「第105条」に変更され、国税不服審判所の創設に伴う所要の改正(後記4の④⑤参照)を施されたほか、その後の若干の改正を経て、現行同法105条となっている。 3 執行不停止原則の根拠とその例外の性格 不服申立てにおける執行不停止原則は、既にみたとおり、「行政の運営を不当に阻害する結果となる虞れ」(「昭和36年答申別冊」127頁)や「濫訴の弊」(同頁)の防止を根拠にして、「処分によって実現が意図される行政目的と不服申立人の利益との衡量において」(同129頁)立法政策的に定められたものであると解される。 もっとも、かつては、「行政処分一般の実効力ないし執行力を理由として執行不停止を原則とすべきであるとする説」(「昭和36年答申別冊」129頁)があった(田中二郎『行政法総論』(有斐閣・1957年)276頁は行政行為の「自力執行力」の意味で「実効力」という語を用いていたが、今村成和=雄川一郎『国家補償法・行政争訟法』(有斐閣・1966年)198頁[雄川執筆]はこれを「公定力」として理解していたようである。塩野宏『行政法Ⅰ〔第6版補訂版〕行政法総論』(有斐閣・2024年)174-175頁、宇賀克也『行政法概説Ⅱ 行政救済法〔第7版〕』(有斐閣・2021年)300頁も参照)。しかし、その後、その説は次のような理解(今村=雄川・前掲書198頁[雄川執筆])に基づき克服されたと考えられる。 ただ、行政法学説においては、それにとどまらず、次のとおり執行停止原則を説く見解(今村成和=畠山武道(補訂)『行政法入門〔第9版〕』(有斐閣・2012年)215-216頁。下線筆者)が「少なくない」(宇賀・前掲書66頁)といわれている。 この見解に照らして国税通則法上の執行不停止原則(105条1項本文)を検討してみると、「昭和36年答申別冊」の前記の根拠は、国税不服審判所長に対する審査請求については妥当するのに対して、税務署長等に対する再調査の請求については妥当しないように思われる。というのも、国税不服審判所が執行機関から分離された裁決機関であり準司法機関であることを考慮すると、その機能に関する見直し機能説(松沢智『新版 租税争訟法―異議申立てから訴訟までの理論と実務―』(中央経済社・2001年)34頁等参照。この説が妥当でないことについては第35回3参照)の立場に立つのでなければ、税務署長等による処分は審査請求の段階では「最終的なもの」となっていると考えることができるのに対して、再調査の請求の段階では、不利益変更の禁止(税通83条3項但書)の制限に服するものの、「まだ最終的なものとなっていない」と考えることができるからである。なお、このように考えると、「昭和36年答申別冊」の前記の根拠と同様の根拠が、今日でも、取消訴訟の提起に係る執行不停止原則の根拠として説かれていること(芝池義一『行政救済法』(有斐閣・2022年)146頁参照)は容易に理解できよう。 もっとも、国税通則法上の執行不停止原則の根拠について再調査の請求と国税不服審判所長に対する審査請求とを区別して議論することには、立法政策的にみて、実益は余りないように思われる。というのも、国税通則法は、行政不服審査法(25条1項)と同様、執行不停止原則を定めているが、しかし、行政不服審査法(同条2項~4項)と比べて広く執行停止措置を定めており、当該各措置に関しては、次の4の最後に述べるように、実質的には執行停止原則を採用したものとみてよいように思われるからである。次の4では、まず、国税通則法が「例外的に」定める執行停止措置についてみておくことにしよう。 4 国税通則法上の「例外的」執行停止措置 国税通則法上の執行停止措置は次のとおりである。すなわち、①換価の停止(税通105条1項但書)、②再調査審理庁又は国税庁長官(以下「再調査審理庁等」という)による徴収の猶予・滞納処分の続行停止(同条2項)、③再調査審理庁等による差押えの猶予・解除(同条3項)、④国税不服審判所長による徴収の所轄庁に対する徴収の猶予・滞納処分の続行停止の要求(同条4項)、⑤国税不服審判所長による徴収の所轄庁に対する差押えの猶予・解除の要求(同条5項)である。 上記の各措置のうち、執行不停止原則(税通105条1項本文)に対置されるべき本来的な執行停止措置は、①換価の停止である。これは、「差押えまでの執行を認めて国庫の利益を確保し、換価手続の執行停止により、納税者が不服を認容された場合、回復できない損害を受けないように、国庫と納税者の利益との調整を図つたもの」(中川一郎=清永敬次編『コンメンタール国税通則法』(税法研究所・加除式[1989年追録第5号加除済])KA976~1050頁[中川一郎執筆]。「昭和36年答申別冊」127頁も参照)であり、不服申立人の権利利益を保護するために、不服審査機関(再調査審理庁等及び国税不服審判所長)の判断によらず、原則として執行停止を認める措置であり、滞納処分のうち換価以後の手続について執行停止原則を採用したものといえよう(宇賀・前掲書302頁のほか、中川=清永編・前掲書K339頁[清永敬次執筆]も参照)。 これに対して、①以外の執行停止措置は、不服審査機関の判断に基づく執行停止措置であるが、これを個別的にみておこう。まず、再調査審理庁等に対する不服申立てにおいては、②徴収の猶予・滞納処分の続行停止は、再調査審理庁等が「必要があると認める場合には」(不服審査基本通達(国税庁関係)105-2参照)、再調査の請求人等の申立てにより又は職権で、「国税の徴収」(税通第3章第2節)すなわち「納税の請求」(同節第1款。納税の告知、督促等)及び「滞納処分」(同節第2款)を猶予すること、又は「滞納処分手続を申立てがされた時点で固定すること」(武田監修・前掲書4881頁)を意味する。 また、③差押えの猶予・解除は、再調査の請求人等が担保を提供して、滞納処分による差押えをしないこと又はその解除をすることを求めた場合において再調査審理庁等が「相当と認めるときは」(不服審査基本通達(国税庁関係)105-3参照)その求めに応じ徴収の所轄庁に差押の猶予・解除を命じなければならないこと(税通令37条1項)を意味する。 次に、国税不服審判所長に対する審査請求においては、④徴収の所轄庁に対する徴収の猶予・滞納処分の続行停止の要求は、国税不服審判所長が「必要があると認める場合には」、審査請求人の申立てにより又は職権で、国税の徴収の猶予又は滞納処分の続行停止を徴収の所轄庁に求めることができることを意味し、その法律効果として、徴収の所轄庁はその求めに応じなければならない(税通105条6項)。 また、⑤徴収の所轄庁に対する差押えの猶予・解除の要求は、審査請求人が徴収の所轄庁に担保を提供して、滞納処分による差押えをしないこと又はその解除をすることを求めた場合において国税不服審判所長が「相当と認めるときは」(不服審査基本通達(国税不服審判所関係)105-2参照)、差押えの猶予・解除を徴収の所轄庁に求めなければならないこと(税通令37条1項)を意味し、その法律効果として、徴収の所轄庁はその求めに応じなければならない(税通105条6項)。 以上の各措置は、確かに、執行不停止原則(税通105条1項本文)との関係では「例外的」執行停止措置として性格づけられるべきものではあるが、しかし、「処分の執行が差押えに止まり、また、担保の提供によりそれをも免れうるものとすること」(「昭和43年税制簡素化答申」53頁)という国税通則法制定当初からの基本的立場(前記2参照)を継承した措置として、実質的には執行停止原則を定めたものとみてよいように思われる。 上記の基本的立場は、税制調査会が「税務争訟の特殊性に着目して」(「昭和36年答申別冊」129頁)示したものであるが、ここでいう「税務争訟の特殊性」は、税務争訟が、処分の手続的違法が争われる場合を除き、納税義務という一種の金銭債務(法定金銭債務)の存否及び範囲をめぐる争訟であり、その対象となる金銭債務それ自体は担保の実行による代替的履行が可能な債務であることを意味するものと解される。 このような「特殊性」をもつ税務争訟については、執行不停止原則を厳格に貫く必要性は大きくなく、むしろ処分の執行停止を原則とする方が合理的かつ妥当であるという立法政策的判断が、前記の基本的立場の基礎にあるものと考えられる。そのような判断は、裁決機関としての国税不服審判所における審査請求についても、再調査の請求の場合と基本的に同様に妥当するであろうし、そのための担保措置が前記の④及び⑤において国税不服審判所長から徴収の所轄庁への要求とこれに対する徴収の所轄庁の応答義務(税通105条6項)という形で具体化されていると考えるところである。 (了)
〔実務で差がつく!〕 相続時精算課税制度Q&A 【第1回】 「令和6年以降の贈与で、申告期限内に相続時精算課税選択届出書のみを提出した後に申告漏れの財産があった場合又は評価誤りがあった場合の対応」 税理士 徳田 敏彦 ◇◆◇連載開始にあたって◇◆◇ 令和6年から改正された「相続時精算課税制度」がスタートした。しかし、まだまだ運用が定着した状況ではなく、国税庁も新たに関連する質疑応答事例等を発表している段階である。 そこで本連載では、税理士が相続時精算課税制度を選択する際の留意点に加え、選択した後での修正等の留意点も踏まえ、具体的な事例を用いたQ&A形式で、改正された「相続時精算課税制度」を解説するものとする。 * * * 【Q】 甲は令和6年7月に父から現金100万円の贈与を受けた。甲は相続時精算課税制度を適用するため、令和7年3月の贈与税申告において贈与金額が相続時精算課税に係る基礎控除額以下であることから「相続時精算課税選択届出書」のみを提出した。 その後、令和7年4月になり、甲は令和6年中に父から別途500万円の贈与を受けていたことが判明した。 この場合に贈与税の申告、納税はどうなるのか。 【A】 期限後申告を行う。 ただし、贈与税の計算は相続時精算課税を選択した場合の計算となるが、相続時精算課税制度の特別控除額2,500万円を控除できないため、基礎控除額110万円のみを控除して贈与税を算出する。 ◆ ◇ ◆ 解 説 ◆ ◇ ◆ 今回の事例のように令和6年以後の贈与で贈与金額が基礎控除額110万円以下の場合には「相続時精算課税選択届出書」のみを提出して、申告期限内に贈与税の申告書を提出しないケースが発生する。 このような場合に、申告期限後に申告漏れ財産があった場合や評価誤りがあった場合の取扱いに留意が必要である。 1 申告漏れ財産があった場合の対応(本事例) 相続時精算課税選択届出書を期限内に提出しているので、同じ特定贈与者(本事例では父)からの贈与財産で申告漏れの財産については相続時精算課税を適用して計算する。その場合、特別控除額2,500万円は控除できるのか。 相続時精算課税の特別控除額2,500万円は、期限内申告書に控除を受ける金額その他必要な事項の記載がある場合に限り適用を受けることができる(相法21の12①)。 また、相続時精算課税の適用を受ける財産について、その記載がなかったことについてやむを得ない事情があると税務署長が認めるときは、その記載をした書類の提出があった場合に限り、特別控除の適用を受けることができるとされている(相法21の12③)。 つまり、特別控除額2,500万円は原則として期限内申告が要件である。 そのため、今回の事例のように、相続時精算課税選択届出書のみを提出していて期限内申告書を提出していないケースでは、特別控除は適用できずに期限後申告(相続時精算課税)を行うことになる。 〈期限後申告での贈与税〉 (※) 翌年に繰り越す特別控除額は2,500万円のままである。 2 期限内申告において評価誤りがあった場合の対応 今回の事例とは異なるが、期限内申告において贈与財産の評価に誤りがあった場合はどうなるのか。 前提として、本事例と同様に申告期限においては贈与金額が基礎控除額以下のため「相続時精算課税選択届出書」のみを提出しているが、その資産について評価誤りがあり、贈与金額が基礎控除額を超えることが判明した場合である。 相続時精算課税の適用を受ける財産について、その記載がなかったことについてやむを得ない事情があると認められる場合には特別控除が適用できるとされているが、そもそも、特別控除額は贈与税の期限内申告書を提出した場合に限り適用することができる。 そのため、このような同一資産の評価誤りの場合でも、相続時精算課税選択届出書のみが提出され、期限内申告書が提出されていないケースでは特別控除額は適用できないことに留意が必要である。 (了)
事例でわかる[事業承継対策] 解決へのヒント 【第69回】 「遺留分の問題」 太陽グラントソントン税理士法人 (事業承継対策研究会) パートナー 税理士 西田 尚子 相談内容 私は、不動産賃貸業を行うX社(非上場)の代表取締役です。X社の株式は私が100%保有しています。 私には、配偶者はいませんが、長男Aと次男Bの2人の子供がいます。Aは自分で起業したY社を営んでおり、Y社の業績はとても好調です。Aは私以上に十分な財産を所有しており、私に相続が起きた場合にも遺産を受け取るつもりはないと言っています。 将来的にX社の経営はBに任せ、私の財産については、一部を公益財団法人Zに寄附して社会貢献活動に活用し、残りを全てBに相続させたいと考えています。 そろそろ遺言書を作成しようと思い、弁護士に相談したところ、そのような遺言書を作成すると遺留分の問題が生じるため、事前の対策を考えておいた方がよいとアドバイスされました。遺留分の問題とはどういうことでしょうか。教えてください。 ■ □ ■ □ 解 説 □ ■ □ ■ [1] 遺留分の概要 遺留分とは、兄弟姉妹以外の法定相続人に対して最低限保証された「相続財産の取り分」をいいます。相続時点の財産の価額に生前に贈与した一定の財産の価額を合計して、遺留分の基となる財産の価額を算定し、遺留分割合を乗じて計算します。 遺留分の財産を受け取っていない相続人は、遺留分を侵害した相手に対して「遺留分侵害額請求」を行うことができます。遺留分侵害額請求がされた場合には、受遺者、受贈者の順に遺留分侵害額を金銭で負担しなければなりません。 遺留分侵害額請求権は、相続開始の事実と自分の遺留分が侵害されていることを知った日から1年、あるいは、それらを知らなくても相続開始の日から10年を過ぎるまでに行使しなければ、時効で消滅します(民1042~1049)。 遺留分の制度や侵害額の算定については、【第45回】「遺言書の効力と遺産分割協議、遺留分における留意点」をご参照ください。 [2] 遺留分対策 (1) 主な対策の概要 遺留分の対策としては、遺留分の放棄(民1049)や中小企業における経営の承継の円滑化に関する法律の規定による遺留分に関する民法の特例(除外合意・固定合意)により遺留分侵害額を無くす、または減らしておくことが考えられます。 (2) その他の対策 ① 生前贈与 法定相続人以外への贈与は、贈与する側とされる側の双方が遺留分権利者に損害を加えることを知って行うものでない限り、1年経てば遺留分の対象とならないため、早めに公益財団法人等への寄附を行う、法定相続人以外の孫等へ贈与を行うことが考えられます。 ② 養子縁組 法定相続人の数を増やすことによって、1人あたりの遺留分は減少します。 ただし、養子にも遺留分が認められることになりますので、養子が遺留分を主張したり、実子が養子縁組を無効として訴えるなど、争いの種となる可能性があります。 ③ 生命保険金の活用 生命保険金は相続財産ではなく、原則として特別受益にも該当しません。 ただし、多額の生命保険金を活用することによって、共同相続人間で著しい不公平が生じる場合には、特別受益に準じた取り扱いがなされます。 ④ 死亡退職金の活用 死亡退職金は相続財産には含まれません。会社の退職金規程を作成して、受取人を決めておくことができます。また、退職金の支払により会社の株式評価額を下げる効果もあります。 [3] 結論 ご質問の場合、Aが父親の財産を相続するつもりがないと言っているからといってAの遺留分を侵害する遺言書を残した場合、例えばAの財産状況が悪化する、Aが先に亡くなりその子が代襲相続人になるなど、のちに状況が変わった場合には、AまたはAの代襲相続人から遺留分侵害額請求を受ける可能性があります。 AとBの遺留分割合はそれぞれ1/2×1/2=1/4ですので、遺留分算定基礎財産が12億円の場合、AとBの遺留分は各3億円になります。Aが遺留分侵害額請求を行った場合、遺言書に特に指定が無ければ、BとZは取得した財産の割合に応じて、Aに対して遺留分侵害額の3億円を現金で支払わなければならなくなります。 遺留分侵害額は、金銭で支払いをしなければならないため、相続財産の現預金や相続人固有の預貯金で支払いができない場合には、不動産や株式を売却して資金を捻出しなければならなくなります。 遺留分侵害額請求に備えるために、Aに遺留分放棄手続きを行ってもらうことや、X社の株式について、生前にBに贈与を行って除外合意や固定合意の手続きを行っておくこと、公益財団法人への寄附を早めに行うことなどの対策を検討しておかれることが考えられます。 実際の具体的な対策については、弁護士・税理士等の専門家と相談の上、実行されることをお勧めします。 (了)
Q&Aでわかる 〈判断に迷いやすい〉非上場株式の評価 【第55回】 「従業員持株会から同族株主が株式を取得した場合の留意点」 税理士 柴田 健次 Q 甲は昭和55年にA社(発行済株式総数600株)を資本金30,000,000円で設立し、菓子パンの製造業を営んでいます。平成26年に民法上の組合として従業員持株会を組成し、自己の所有する株式数600株のうち、240株については配当優先無議決権株式に転換し、額面である@50,000円で従業員持株会に譲渡しました。平成26年から配当優先無議決権株式の配当については、額面に対して10%の配当を継続して行っていますが、甲の所有している普通株式については配当を行っていません。 甲は令和9年10月1日に70歳になるタイミングで退職を考えており、後継者は長男を予定していましたが、長男が令和3年4月1日に新型コロナウイルスの感染が原因で死去してしまったため、後継者もいなく、また、新型コロナウイルスの影響も受け、A社の売上及び利益は減少し、従業員の退職も相次ぎ、従業員持株会の存続が難しくなっています。将来的には、A社を解散又はM&Aによる売却も検討しています。 甲は従業員持株会の解散をし、従業員持株会の株式を甲の配偶者に1株50,000円で譲渡させたい意向です。甲は、総務部長であり従業員持株会の理事長でもある乙に従業員持株会の解散について相談し、乙は臨時会員総会を開催し、従業員持株会を解散することについて組合員全員の同意を得ました。 令和6年11月1日に従業員持株会の解散を行い、清算手続きにおいて令和6年12月1日に従業員持株会の株式は甲の配偶者に譲渡がなされ、その後、従業員持株会は令和7年2月に清算を行い、従業員持株会の会員は出資持分に応じて配分を受け取っています。 A社は9月決算であり、毎年の配当の基準日は9月30日であり、令和6年の配当の効力発生日は令和6年12月26日です。例年通り、配当優先無議決権株式については1株5,000円の配当を行っています。 ■A社株式の所有状況の推移 (※1) 普通株式、1株につき1議決権 (※2) 配当優先無議決権株式 上記のような株式の推移がある場合において、甲の配偶者は著しく低い価額で株式を譲り受けたとして、相続税法7条における贈与税の課税は生じるのでしょうか。 配当優先無議決権株式は額面の10%の配当を行っており、資本金等は30,000,000円ですので配当還元価額は50,000円となります。甲の配偶者は従業員でもなく役員にも該当しません。甲の配偶者は議決権も有していないことから配当還元価額が適用できる株主として贈与税の課税関係は生じないと考えてもいいのでしょうか。 A社の会社の規模区分は中会社の大に該当し、特定の評価会社には該当しません。 令和6年12月1日時点における配当優先無議決権株式に係る第4表「類似業種比準価額等の計算明細書」及び第5表「1株当たりの純資産価額(相続税評価額)の計算明細書」は、それぞれ下記の通りとなります。 A 甲の配偶者は中心的な同族株主に該当しますので、原則的評価方式が適用される株主に該当します。甲の配偶者は著しく低い価額で株式を譲り受けたとして、時価(40,418,400円)と取得対価(12,000,000円)との差額に対して贈与税の課税がされることになります。 ◆ ◆ ◆ 1 従業員持株会について 事業承継における株式の承継対策として、従業員持株会に株式を所有させる手法があります。民法上の組合として従業員持株会を組成すると共に社長の所有している株式を配当優先株式に転換し、その配当優先株式を従業員持株会に譲渡します。従業員持株会は、同族株主以外の株主に該当しますので、配当還元価額である特例的評価方式が適用できる株主になります。なお、議決権の低下や少数株主の権利にも配慮し、実務上は無議決権株式とすることが少なくありません。 社長としては配当還元価額で従業員持株会に譲渡をすることにより、株式の評価額が配当還元価額による売却手取額となり、社長の相続対策になると共に安定株主の確保につながります。従業員としては配当収入を収受することになると共に経営参加意識の向上が図られます。 従業員持株会を民法上の組合とした場合には、会員に直接所得が帰属するパススルー課税となるため、従業員持株会が配当を受領した場合には、出資持分に応じて構成員に配当所得が課税されます。配当所得の場合には、配当控除もあり、従業員にとって有利な所得になりますので、通常は民法上の組合として従業員持株会を組成することが一般的です。 従業員持株会のメリットとデメリットをまとめると下記の通りとなります。 (※1) 安定株主確保のために従業員が退職する際には、従業員持株会が持分を買い取る旨を規約に定めます。 (※2) 社長及び後継者一族は、最低でも3分の2以上の議決権数を確保する必要があるため、それよりも多くの議決権を従業員持株会に譲渡する場合には、配当優先無議決権株式に転換してから譲渡する方法が一般的です。 従業員及び利益が減少しない前提の場合には、従業員持株会の組成はメリットが大きい制度です。しかしながら、経営の悪化により配当ができない場合や従業員が減少していく場合には従業員持株会の存続が難しくなりますので、注意が必要です。 従業員持株会の解散事由は下記の通りとなっています(民法682)。 2 配当優先株式の評価 配当優先株式とは、普通株式に比べて剰余金の配当を優先的に受ける権利を持つ株式のことをいいます。配当について優先・劣後のある株式を発行している会社の株式については、配当金の多寡により株式の価額も異なりますので、株式の種類ごとにそれぞれ評価明細書を作成する必要があります。 具体的には下記の通り計算します。 (1) 類似業種比準方式(第4表) 配当金の多寡により1株当たりの年配当金額Ⓑが異なるため、株式の種類ごとに第4表を作成します。なお、1株当たりの年利益金額Ⓒ及び1株当たりの純資産価額Ⓓについては、配当の優先・劣後による影響はないため、普通株式と同じ金額になります。 (2) 純資産価額方式(第5表) 純資産価額方式で評価する場合には、配当金の多寡は評価の要素となっていないことから、配当優先の有無にかかわらず、財産評価基本通達 185《純資産価額》の定めにより評価します。 したがって、株式の種類を問わず、第5表は普通株式と同じ評価明細になります。 (3) 配当還元方式(第3表) 配当還元方式による価額については、株式の種類ごとに実際に受け取った配当金を基に計算するので、それぞれの株式の種類ごとに明細書を作成する必要があります。 本問の場合における配当優先無議決権株式に係る第3表「一般の評価会社の株式及び株式に関する権利の価額の計算明細書」における配当還元方式による価額の計算は、下記の通りです。 3 無議決権株式の評価 無議決権株式とは、株主総会において議決権が行使できない株式をいいます。 株主の判定では議決権の数に含めないで取り扱うことになります。 無議決権株式の評価については、原則として議決権の有無にかかわらず株式の価額は同額となりますが、原則的評価方式が適用される株主については、納税義務者の選択適用によって下記の条件の下に、議決権のない株式については5%を減額した金額とし、議決権のある株式については減額した5%に相当する部分を加算して株式の価額を求めることも認められています。 【選択適用を受けるための条件】 本問の場合には、相続又は遺贈により株式を取得していませんので、上記の5%の調整計算を行うことはできません。 4 買主個人の課税関係 個人から個人に非上場株式を譲渡した場合において、課税上問題となるのは買主のみなし贈与課税となります。売主にとっては、売買価額が譲渡対価とされるため、課税上問題になることはありません。 買主である個人は、著しく低い価額で譲り受けた場合には、時価と対価との差額に対して贈与税の課税がなされます(相法7)。みなし贈与課税の場合の「時価」は、原則として、財産評価基本通達を基にその算定がなされます。これは、個人間の売買においては、所得税法59条1項の適用がなく、相続税法22条は、相続、遺贈又は贈与により取得した財産の価額は、原則として、当該財産の取得の時における時価による旨を定め、財産評価基本通達1(2)(時価の意義)では、「財産の価額は、時価によるものとし、時価とは、課税時期(中略)において、それぞれの財産の現況に応じ、不特定多数の当事者間で自由な取引が行われる場合に通常成立すると認められる価額をいい、その価額は、この通達の定めによって評価した価額による。」とされているため、相続税法7条の時価も、原則として、財産評価基本通達に基づき算定されます。 5 買主個人の株主判定 著しく低い価額で譲り受けた場合における買主個人の株主判定は、株式取得後の議決権割合等に基づき株主判定を行う必要があります。 同族株主がいる場合の株主判定は、下記の通り行うことになります。 【同族株主がいる場合の株主判定の手順】 本問の場合には、筆頭株主グループ及び甲の配偶者の属する同族関係者グループの議決権割合は50%超です。甲の配偶者の議決権割合は5%未満で役員には該当しませんが、甲の配偶者は中心的な同族株主に該当しますので、原則的評価方式が適用される株主に該当します。 6 買主個人における1株当たりの価額 A社の会社の規模区分は、中会社の大となりますので、1株当たりの価額は下記の通りとなります。 ただし、課税時期である令和6年12月1日において配当期待権が発生しており、取得した株式は配当落ちの価額となりますので、修正後の株式の価額は下記の通りとなります。 配当優先無議決権株式に係る第3表「一般の評価会社の株式及び株式に関する権利の価額の計算明細書」における原則的評価方式による価額は、下記の通りとなります。 7 贈与を受けた価額 甲の配偶者は時価と対価との差額に対して贈与税の課税がされます。 贈与を受けた金額は下記の通りです。 ☆実務上のポイント☆ 従業員持株会から同族株主が株式を取得した場合には、相続税法7条におけるみなし贈与の課税問題が生じます。同族株主以外の株主が配当還元価額で取得した場合には、みなし贈与の課税問題は生じませんので、買主を誰にするかについて検討することが重要です。 (了)
〈適切な判断を導くための〉 消費税実務Q&A 【第10回】 「デジタルインボイスの基本とTax reportingの国際動向」 税理士 石川 幸恵 【Q】 デジタルインボイスは「業務の効率化に資する仕組み」という認識でしたが、海外ではインボイスに含まれる情報の一部が税務当局に報告されていると聞きました。日本でも同じような取り組みはされるのでしょうか。 【A】 欧州各国やASEAN各国ではデジタルインボイスの義務化や、インボイスに含まれる情報の一部を税務当局に報告するTax reportingの義務化が進みつつあります。 日本では現在のところTax reportingに関する具体的な議論は進んでいませんが、諸外国での動きを見れば、日本でも導入に向けた議論が出てくるのは自然な流れといえるでしょう。 また、申告書作成事務の効率化、調査・徴収の効率化、さらには課税の公平の実現といったメリットもあることから、今後Tax reportingの導入に向けた検討が始まる可能性はあると考えられます。 ◆ ◆ 解 説 ◆ ◆ デジタルインボイスは、消費税インボイス制度や電子取引データ保存に対応するためだけのものではない。しかしながら、消費税インボイス制度や電子取引データ保存とほぼ同時期に話題にのぼるようになり、これらの制度の運用を補完する側面もあるため、事業者を中心にしばしば混同されがちであった。 本稿では、デジタルインボイスについて、広く請求業務全体の効率化に資する仕組みであることを念頭に、その本質と今後の展望について整理していきたい。 1 デジタルインボイスとは (1) 請求書のPDFファイル送信では業務効率化が不完全である理由 請求書をPDFファイルに変換し、電子メールに添付して送付する方法はデジタルインボイスではなく、電子インボイスに分類される。この方法でも郵便代の削減といった効果は期待でき、日本の企業全体で年間5,913億円(※1)の郵便代が削減されるという試算もある。 (※1) 佐藤智裕「消費税の申告手続のデジタル化に関する一考察-Real-time reportingを活用した記入済申告書を中心として-」税大論叢106号(2022年) しかしながら、受け取った側でPDFファイルを開いて内容を確認し、自社の業務フローに従って支払処理を行い、会計ソフトに入力する手間がかかる。場合によっては印刷が必要となり、ペーパーレス化に役立たないとも言えよう。また、売手においても「請求書を送って完了」とはならず、入金の確認や請求情報との突合せを人手を介して行わなければならない。 このようにPDFファイルによる請求書のやり取りは業務の一部が電子化されているに過ぎず、業務効率化の余地はまだ残っている。 (2) デジタルインボイスによる解決 業務の真の効率化を図るためには次のような仕組みが理想である。 これを実現するにはPDFのような「人が読むことを前提としたファイル」ではなく、コンピュータが読み取り、自動処理できる構造化データが必要となる。さらに、異なるシステム同士でもデータのやり取りが可能となるようデータの標準化も欠かせない。 日本においてこの標準的な請求データの仕様として採用されているのが「Peppol」である。 この「標準化」の考え方は、電子メールに例えるとわかりやすいだろう。送り手と受け手が異なるメールソフトを使っていても電子メールを相互に送受信できるのは、電子メールの仕様が標準化されているためである。 一方で、異なるメッセンジャーアプリ同士やメッセンジャーアプリと電子メールの間ではやり取りができないこともある。Peppolという標準化された請求データを送受信することにより、異なる業務システムや会計ソフトであってもデータ連携が可能となるのである。 (3) 既存のEDIとPeppolの関係 Peppolが標準仕様として登場する以前から、多くの企業がEDIを利用して請求データを電子的にやり取りしてきた。製品に特化した業界EDIも各種あり、筆者の知るところでは、ある消耗品に関わるメーカー、卸、小売、物流業者などがEDIによって受発注や在庫のデータをやり取りしているとのことである。 このような背景から「既存のEDIの仕様もPeppolに統一しなければならないのか」という疑問がデジタル庁に寄せられたというが、デジタル庁は「Peppolに置き換える必要はない」と回答している。 ただし、業界EDIを越えて異なるネットワーク間でデータをやり取りする場合に向けて、Peppolの仕様にデータを変換する機能の実装は1つの選択肢となり得るという。 2 諸外国におけるTax reportingの取り組み (1) Tax reportingとは Tax reportingとは、「売手が買手に対し発行する/したインボイスそのもの又はそのインボイスに含まれる情報の一部を税務当局に報告すること」をいう。 (2) 諸外国におけるTax reportingの取り組み 税法の法令順守(Tax Complianceの向上)や納期限までに正しく納付すること(Tax Gapの解消)を目的として、欧州各国やASEAN各国においてTax reportingの義務化が進みつつある。 (3) 日本における動向 現在のところ、日本においてはTax reportingについて具体的な議論はない。 3 記入済の消費税申告書の提供も視野に (1) Real-time reportingと記入済み申告書の提言 税務大学校の論叢(※2)では、記入済の消費税申告書の提供が提言されている。 (※2) 前掲(※1)参照。 諸外国に見られるようなデジタルインボイスの義務化及び、Real-time reporting(※3)を導入し、これらにより収集した情報を基に事業者に申告書データを提供するという構想である。 (※3) Real-time reportingとは、Tax reportingを報告の頻度や内容によって分類した仕組みの1つで、「売手がインボイスを発行する都度、取引の情報を税務当局に報告する仕組み」とされている。Tax reportingには他に、一定の期間の取引をまとめて報告するVAT listingやインボイスを発行する都度税務当局に提供し、事前承認を得るClearance e-invoicingなどがある。どのような頻度、内容とするかは各国によって考え方が異なる。 (2) 実現に向けた制度設計上の課題 もっとも、実現に向けては多くの課題が存在する。詳細に検討したわけではないが、少し考えただけでも申告書作成時に判断すべき下記のような事項が想起される。 前述した論叢には「国税庁が提供したものをそのまま提出できるようにすることが望ましい」とあるが、現実には小規模な一部の事業者に限られるであろう。 (3) 期待される効果と今後の展望 上記(2)のように課題は多いが、Tax reportingを活用した記入済み申告書には以下のようなメリットもある。 このように納税者、税務当局の双方においてデジタル化による業務効率化が期待できるため、近い将来、日本でもTax reportingに関する議論が始まると考えられる。 (了)
国際課税レポート 【第15回】 「2025年トランプ税制改革」 ~加速する「アメリカ回帰」~ 税理士 岡 直樹 (公財)東京財団政策研究所主任研究員 減税・歳出削減パッケージ法案 2025年5月22日、米国下院は、第2次トランプ政権の優先課題の実現に向けた減税・歳出削減パッケージ法案を、賛成215、反対214のわずか1票の差で当初予定より早く可決した。 この法案は「One Big Beautiful Bill Act(大きく美しい1つの法案)」と呼ばれ、米議会予算局(CBO)によれば、今後10年間で歳出を1.25兆ドル削減する一方、歳入は3.67兆ドル減少すると見込まれている。その結果、差し引きで財政赤字は2.4兆ドル拡大し、米国の債務残高はGDP比で123.8%に達する見通しである。なお、CBOは2025年末時点の債務残高を29兆ドル、GDP比101.7%と推計している。 法案は、7月4日の独立記念日までの成立を目指して上院で審議中である。最大の焦点は、法案による財政赤字の拡大に対する懸念だ。一方でCBOは、関税収入によって少なくとも2.8兆ドルの赤字削減が見込まれるとも試算している。トランプ政権及び議会共和党指導部は、関税収入によって予算パッケージによる財政赤字の拡大は相殺されると主張しており、赤字拡大の批判を回避しようと努めているようだ。 〇トランプ予算パッケージ法案(抜粋) (出所) Joint Commettee on Taxation(JCX-26-25)他より筆者作成 外国の不公正な税制への対抗規定 国際課税に関する規定として、本パッケージ法案は、内国歳入法に新たに第899条を追加することとしている。この規定は、他国による「不公正な」課税措置に対抗するために導入されたものである。 この「対抗規定」は、2025年1月21日に下院歳入委員会のジェイソン・スミス委員長が、同委員会の共和党議員とともに提出した「米国雇用・投資保護法案(H.R.591)」の内容をさらに精緻化したものとなっている。 〇制度の骨子:差別的な外国の納税者に対する税率が引き上げられる場合 (出所)H.R.1(119th Congress)In The House of Representatives 〇主要な項目 (出所)H.R.1(119th Congress)In The House of Representatives 「対抗規定」を巡り広がる懸念 ロイター通信(2025年6月10日)によれば、「対抗規定」は米国への投資及び雇用に潜在的に大きなリスクをもたらすとして、内容の見直しを求めるロビイング活動がすでに始まっているという。世界の投資家は、証券、融資、預金など、総額約40兆ドルに上る米国資産を保有しており、新たな課税措置の波及効果を懸念する一部の投資家は、詳細が明らかになるまで米国への投資計画を一時的に保留しているとされる。 トランプ政権の高官は、上院議員らに対し、この規定が成功すれば実際に適用されることはなく、米国が「差別的な税」とみなすUTPR(軽課税所得ルール)やデジタルサービス税を導入している欧州諸国から政策変更を引き出すことになる、と説明しているとも伝えられる。 しかし、合同租税委員会(Joint Committee on Taxation)は、この規定により今後10年間で1,163億ドルの歳入増が見込まれると試算している。それなりの規模の歳入が生まれることが明示されていることから、単なる政治的メッセージにとどまらず、立法者の本気度がうかがえる内容となっている。 国際課税制度に詳しいミンディ・ハーツフェルド(Mindy Herzfeld)教授は、この規定は上院における修正を経たうえで、最終的に成立する法律にも残る可能性が高いとの見解を示している。同教授は、第899条が、OECD主導の15%グローバル・ミニマム課税や、デジタル経済課税の解決策として提唱されてきた「利益A」に関する多国間条約の進展に対して、大きな障害となる点を指摘する。 さらに、同教授は、この規定は単に他国による米国企業への差別的な税に対する報復措置であるにとどまらず、「議会の意思を反映せずに国際的な税制合意を交渉した国際機関、ならびに多国間交渉の場においてこれを主導してきた米財務省に対しても、(将来にわたり)強い警告を発している」ことが明白であると強調している(※)。 (※) Mindy Herzfeld「One Big (Not So) Beautiful Way to Discourage International Investment」Tax Notes(2025.6.2) 「対抗規定」は日本にとって新たなリスクとなるか 2023年のデータによれば、日本の対外直接投資先のうち、米国は104兆円で全体の約30%を占めており、投資先として群を抜いている。また、米国から見た対内直接投資においても、日本は6,800億ドル超で5年連続の国別首位となっている。 こうした中、日本は、米国の法律において「差別的な税」と明示されたUTPR(軽課税所得ルール)を、令和7年度税制改正により導入し、2026年4月1日以後に開始する会計年度から適用することとしている。 形式的には、日本の個人や法人が新たに創設されるIRC第899条に基づく追加課税の対象となる可能性も否定できない。仮に、米国がグローバル・ミニマム課税への対抗措置として内国税の税率を引き上げた場合、これまで米国に多額の投資を行ってきた日本企業にとっては、極めて重大な問題となる。 一方で、強引ともいえる課税措置によって対米投資のインセンティブが損なわれれば、米国側にも極めて大きなダメージが生じる。日米の経済関係は、相互に他国では代替できないほど密接かつ特別なものである。 では、米国による課税を回避することは、日本にとって難しいことなのだろうか。「対抗規定」のターゲットはDSTやピラー2(UTPR)を導入した欧州であり、日本ではないが、今後必要があり、得策と判断されれば、UTPRの適用を停止すれば済む話である。 UTPRは、グローバル・ミニマム課税の導入を全ての国、特に EU域内タックスヘイブン国や米国に15%グローバルミニマム税(IIRやQDMTT)の導入を促すために、OECD及び欧州諸国が考え出した仕組みであるとも言える。EUは「指令(Directive)」により加盟国にUTPRの導入を義務づけており、指令の修正には全会一致が必要なことから、制度変更のハードルが極めて高い。そのため、EU各国はUTPRの実施に固執している。 しかし、米国議会がこれほどまでに強く反発している状況下で、今後、日本があえて同制度を導入する合理性は乏しいと判断される局面があるかもしれない。 ミンディ・ハーツフェルド教授も、IRC第899条の適用は「3つの指定日」のうち最も遅い日からとされていることから、UTPRの臨時停止措置を講じることによって、デジタルサービス税(DST)を導入していない国であれば、税率引上げを回避できる可能性があると指摘している。 “ディール”を前提とする関税交渉とは異なり、米国による追加課税を防ぐ方法はむしろシンプルである。必要が生じた場合には、ハーツフェルド教授が示唆するように、この選択肢(UTPRの停止)を躊躇すべきではないだろう。 (了)
暗号資産(トークン)・NFTをめぐる税務 【第69回】 東洋大学法学部教授 泉 絢也 (4) 権利義務の帰属主体の不存在 以下、Uniswapの利用場面を念頭に流動性供給開始が課税イベント(含み損益に対する課税の契機となる事象)であるかを検討する。 暗号資産の移転によって、暗号資産の処分権が暗号資産の移転先に移転するためには、移転先として権利義務の帰属主体の存在が必要である。しかしながら、DEXを利用する場合、(流動性供給者であるLP以外に)プールにある暗号資産の管理者というべき「者」は存在せず、暗号資産の移転先として権利義務の帰属主体になりうる者が存在しないことがあるため問題となる(本連載第65回の26(3)参照)。 (※) Napkin AIを利用して筆者作成 流動性供給開始からスワップユーザーが出現する前までに、(LP以外に)DEXのプールにある暗号資産の管理者や処分権者の候補となる者が存在せず、取引当事者として権利の帰属主体になりうる者が存在しないこと(※1)を所与のものとすると(※2)、 LPが流動性供給のためにプールに暗号資産を移転したとしても、暗号資産に係る権利それ自体の移転は観念できない。 (※1) 仮に存在する場合には、寄託や消費貸借等に該当することを念頭に置いて後述するWBTCへのラップと同様の観点から課税イベント該当性を検討することになるのではないか。 (※2) DEXやDAOが税法上の法人に該当する余地を完全に否定することを含意するものではない。また、スマートコントラクトのコードにLP以外の者がトークンの移転を受けることができる関数が含まれていたり、何らかの形でアップグレーダビリティが確保されている場合があることに注意が必要である。 よって、その暗号資産に係る権利の処分権者(保有者)の変更という意味におけるトークンの譲渡も観念できない。 流動性供給を解除すれば暗号資産が返却されることを考慮するとLPが単純に当該暗号資産に係る権利を放棄したと解することも難しい。 譲渡がないとすれば、仮に、流動性を供給したことと引き換えに取得したLPトークンを収入とみなした場合でも、それは権利の移転に係る対価ではない。ここでは、LPトークンはDEXのスマートコントラクトで発行されるものであり、スワップユーザーから移転されるものではないことを理解しておく必要があろう。 このように、 LPが流動性供給を開始した時点では、暗号資産の移転先としてその処分権に係る権利の帰属主体になりうる者が存在しないため、その処分権が移転することはありえず、よって流動性供給の開始は暗号資産の含み損益に係る課税イベントではないと解される。 他方、 LPは流動性供給開始後において権利義務の帰属主体であるスワップユーザーがプール内に存在する暗号資産を自身が保有する暗号資産と交換すること、これによりその処分権がそのスワップユーザーに移転することを前提として流動性供給していることに着目することで、流動性供給開始時点を課税イベントとして捉える見解を導くことはできないであろうか。 しかしながら、単に流動性を供給しただけでは、スワップユーザーとの間で交換がなされたことにはならないし、LPは自由に流動性供給を解除して暗号資産を自分のウォレットに取り戻すことができることから、流動性供給の開始に対して、税法上、処分権の移転に準じた評価を与えることには無理があるという批判が考えられる。 流動性供給の開始時点は、暗号資産の保有者(ここではLP)に対して、それまでに発生した値上がり益に課税ができる最後のチャンスであるとはいい難いという観点から(岡村忠生「所得の実現をめぐる概念の分別と連接」論叢166巻6号103頁参照)、このような批判を下支えすることもできよう。 また、基準としての明確性が確保されないことを考慮すると、処分権がいつ移転したかという基準を緩めることには直ちには賛同し難い。 (5) 課税イベントの候補 以上の議論を踏まえて、流動性供給開始以外のもので、流動性供給した暗号資産の含み損益に係る課税イベントの候補を検討しておく。 次の点を考慮すると、そもそも、流動性供給者であるLPとスワップユーザーとの間における私法上の法律関係を考慮する場合、両者間で暗号資産の交換契約が成立しているかという疑問に行き着く。 (※3) イーサリアムブロックチェーンにおいてコントラクトアドレスとは、スマートコントラクトがブロックチェーン上にデプロイされた際に割り当てられる固有の識別子である。例えば、DEXは、ブロックチェーン上にデプロイされたスマートコントラクトを通じてサービスを提供する。DEXに暗号資産を送付する際、利用者は、送付元として自身のプライベートウォレット(外部所有アカウント)、送付先としてDEXのコントラクトアドレスを指定することで、DEXとのやりとりを実行する。外部所有アカウントとは、スマートコントラクトが管理するコントラクトアカウントと異なり、いわば「人」が管理し、秘密鍵によって制御されるアカウントである。 ここではスマートコントラクトの法律関係に関する日本法における議論を詳しく取り上げることはできないが、例えば、次のとおり、スマートコントラクトのみを介したやりとりを通じて、関係者間に何らかの契約が成立すると考えることは難しいのではないかという見解がありえよう。 基礎となる契約や取引等の法律関係に影響を与えることが多いものの、スマートコントラクトの法律関係等に関する議論は発展途上であり、今後の議論の進展が期待される状況である。 もっとも、LPとスワップユーザーとの間で個別の交換契約を観念できないとしても、LPは交換によりスワップユーザーに移転される暗号資産のうちその割合的持分に対応するものを移転したとみて、その交換時点をLPが保有していた暗号資産に係る含み損益の課税イベントと解する見解がありうるのではないか。 この見解は、課税関係の文脈では、当事者が互いに暗号資産の処分権を移転したという事実上の交換があり、これによって、両者は新たに得た暗号資産を処分できるようになることに着目することで得られるものである。 このような見解は、上記のとおり、プールへの暗号資産の移転に当たり、LPやスワップユーザー以外に権利義務の帰属主体がいないことや、流動性供給のためにプールに暗号資産を移転したとしてもその処分権の移転は観念できないと捉えることと親和的である。 仮に交換契約の成立を観念できないとしても、スワップユーザーが交換により取得した暗号資産の処分権はLPが元々有していたものを、同一性を保持したまま承継したものであると理解し、スワップユーザーは契約以外の原因でその処分権を承継取得(※4)したなどと構成できるのであれば、上記見解を後押しすることができるかもしれない。このように第一次的には上記見解を支持し得る。 (※4) その取得した権利の根拠がその権利を前に有した者の権利にあるのではなく、その取得によってその権利が原始的に(原初的に)成立する場合の権利取得を原始取得といい、取得した権利の根拠がその権利を前に有した者の権利にあり、その権利を同一性を維持したまま取得する場合の権利取得を承継取得という(我妻榮ほか・前掲書473頁参照)。 他方、上記見解に対しては、実務的及び理論的観点からもう少し検討する余地もある。 例えば、繰り返し行われLPによる暗号資産の流動性供給やスワップユーザーによる暗号資産の交換によってプール内の暗号資産の数量や各LPの持分割合は常に変化しており、交換の都度、すべての取引、とりわけLPの持分に対応する暗号資産の数量・時価を把握して税務処理することを求められると、実務は回らないか、そもそも正確なデータの入手に窮する可能性がある。 次に、理論面について、仮に、各LPとの関係において、「スワップユーザーがプールに移転したトークンの総量のうちそのLPに割り当てられる分」を、「そのプールからスワップユーザーに移転されたトークンの総量のうちそのLPの持分に対応する分をスワップユーザーに移転したこと」に対する対価として、所得税法36条の収入に当たると解することができるとしても、 LPが流動性を解除する前においてその収入すべき権利が確定しているといえるか(権利確定主義)、あるいは利得を管理支配しているといえるか(管理支配基準)という問題がある。 このような問題視覚は、プールにあるトークンはLPごとに分別管理されておらず、LPは不特定多数の者によって提供されているプール内のトークンの割合的持分を有しているにすぎないこと及びLPとスワップユーザーとの間で個別の交換契約を観念できないことを前提としている。 プールにあるトークンは流動性を解除しない限り、LPのウォレットに移転することはできないし、プール内のトークンの数量・時価は常時変化していることを考慮すると、いまだ未実現の損益にすぎないという反論もありそうである。 これに対しては、例えば、次の点を考慮することにより、LPはスワップユーザーによる交換時に新たなトークンの処分権を得る、利得を管理支配しているなどと再反論することが考えられる。 もっとも、交換時ではなく課税年度終了時に、流動性供給開始時点と終了時点のトークンの数量の差に着目して含み損益の計算を行うなどの簡便的な取扱いも実務面に配慮した現実的な対応として候補に挙がるかもしれない。ここでは、国税庁「NFTに関する税務上の取扱いについて(FAQ)」の問8で示されたブロックチェーンゲーム報酬に係る簡便法の採用を参考とした議論を展開する余地がある。 あるいは、国内の損益計算ソフトが採用しているように、流動性供給開始は課税イベントとしない一方、その解除を課税イベントとする対応も候補となりうる。実行容易性はいうまでもないが、例えば、解除によって最終的にLPに割り当てられるトークンの数量が確定し、その移転を受けるため、この時点で利得を管理支配するに至ったと主張することもできるかもしれない。 DEXのスマートコントラクト内のトークンに対する管理支配をどのように捉えるかが1つのポイントとなる。上記の流動性供給開始は課税イベントとしない一方、その解除を課税イベントとする対応は、少なくとも他の課税イベントの候補と比較する限りではユーザーの感覚に最も合うように思われる。 もちろん、いずれの対応についても、現行法の解釈論で採用しうるか、立法的手当てが必要かという問題は残る。また、流動性供給と課税イベントに係る上記の議論は、スマートコントラクト、DAOやDEXに関する私法上の法律関係という税法以前の問題に係る議論の進展に左右される。 ところで、 LPトークンは、単なる預かり証であるため課税イベントではないという見解を耳にすることがある。 日本法に照らすと、LPトークンは、割合的持分を表章するにすぎず、他者に譲渡可能であり、DEXによっては運用して報酬を稼得可能であり、FT(ファンジブルトークン)のみならずNFTに該当するものもあれば、資金決済法上の暗号資産(決済2⑭)、金融商品取引法上の集団投資スキーム持分(金商2②五)や電子記録移転権利(金商2③括弧書)に該当する可能性がある(斎藤創=浅野真平「Uniswap/DEX/AMM と日本法」3頁(2020.11.5改訂))。 このため、単なる預かり証であると評価することは躊躇されるが、いずれにしても、流動性供給開始の課税イベント該当性は、これまで検討してきた観点を踏まえて判断されることになる。 (了)
〔まとめて確認〕 会計情報の月次速報解説 【2025年5月】 公認会計士 阿部 光成 Ⅰ はじめに 2025年5月1日から5月31日までに公開した速報解説のポイントについて、改めて紹介する。 具体的な内容は、該当する速報解説をお読みいただきたい。 なお、四半期ごとの速報解説のポイントについては、下記の連載を参照されたい。 Ⅱ 法令関係 次のものが公表されている。 〇 「特定目的信託財産の計算に関する規則」等の改正(案) (内容:「リースに関する会計基準」(企業会計基準第34号)等を受けたもの。意見募集期間は2025年5月29日まで) (了)
従業員の解雇をめぐる企業対応Q&A 【第10回】 「中途採用者に対する退職勧奨及び解雇のポイント」 弁護士 柳田 忍 【Question】 当社の従業員Aについてご相談があります。当社はAの職歴等に照らしてAが当社の業務に関する高いスキル等を有することを期待して中途採用しましたが、Aは当社が期待したとおりのパフォーマンスを上げていません。 また、Aには、周りの従業員に対して高圧的に接してトラブルを起こすといった問題も見られます。 よって、Aに退職してほしいと考えていますが、Aに退職してもらうために注意すべきポイントを教えてください。 【Answer】 従業員Aに対して退職勧奨を実施する場合は、Aのそれまでの経験やスキル等に対する自負を尊重したやりとりを行うことがポイントになります。 Aを解雇する場合は、Aには特定の業務に関する能力だけでなく、マネジメント能力やコミュニケーション能力が不足していることを解雇の理由とすることになると思いますが、まずはそれらの能力があることがAとの雇用契約の内容になっているかどうかを確認することがポイントになります。 ◆ ◇ ◆ 解 説 ◆ ◇ ◆ 1 中途採用者に対する退職勧奨 従業員を退職させることを検討する場合に、実務上、まずは退職勧奨が実施されることが多いことは、本連載【第6回】において論じたとおりであるが、これは中途採用者についても当てはまる。 特に、(あくまで筆者の経験に基づく感想ではあるが、)中途採用者は自分の経験やスキル等に自負があることが多かったり、転職慣れしていることなどから、その会社では自分の経験やスキル等を活かせないと悟ると、比較的スムーズに退職勧奨を受け入れて次の転職先を探すことが少なくないように思われる。 なお、中途採用者の多くが自分の経験やスキル等に対して自負を持っていると思われることに照らすと、会社は当該中途採用者の経験やスキル等自体を否定するものではなく、あくまで会社が求めているスキルや仕事のやり方に合致しないだけであり、当該中途採用者がもっと活躍できる場所が他にあると思う、といった方向で話を進めるのがよいのではないかと思われる(ただし、当該中途採用者が退職勧奨に応じなかった場合に解雇のプロセスに進む可能性がある場合には、会社が当該中途採用者のスキル等に全く問題がないと評価していると見られないよう、表現等に注意すべきである。)。 2 中途採用者の解雇 従業員Aが退職に合意しない場合に従業員Aを退職させるためには解雇を検討せざるを得ない。この点、従業員Aには特定の業務に関する能力だけでなく、マネジメント能力やコミュニケーション能力の不足が見られるようなので、これらの点を解雇の理由とすることが考えられる。 (1) 特定の業務に関する能力不足を理由とした解雇 本連載【第2回】において説明したとおり、解雇は客観的に合理的な理由及び社会的相当性が認められなければ無効となり、勤務成績や勤務態度の不良に基づく解雇においては、雇用契約上の労務提供義務の不履行に至っているといえるほどに労務提供能力や適格性が欠如しており、指導や教育訓練、配置転換等によっても改善等が期待できず、解雇を回避することが難しいといえる必要がある。 このことは、中途採用者の解雇についても同様であるが、中途採用者は特定の業務について高い能力・スキルを有することを前提として採用されることから、能力不足が判明した場合、新卒採用者の場合と比較すると解雇の有効性が認められるハードルは低くなる。例えば、新卒採用者については能力不足が判明した場合であっても、改善指導等を経てもなお能力不足等が解消されないといった事情がなければ解雇が無効となる傾向にある。 一方、中途採用者はそもそも高い能力・スキルを有することが前提であることから、新卒採用者に対して求められるほど改善の機会を与えることは要求されない。 また、職種限定合意(本連載【第7回】参照)が認められる場合はもちろんのこと、そうでない場合においても、中途採用者については一定の職種やポジションにおいてパフォーマンスを発揮することが期待されて雇用されることから、新卒採用者ほどに配転等の機会を与えることが求められるわけではない。 もっとも、以上は、中途採用者に高い能力・スキルがあることが契約内容になっていることが前提であり、単に会社が一方的にそのような期待をしているというだけでは当てはまらない。 よって、会社においては、募集要項や雇用契約書、採用過程でのコミュニケーションの内容などに照らして、中途採用者に高い能力・スキルがあることが契約内容となっているかを確認する必要がある。 (2) マネジメント能力・コミュニケーション能力等の不足を理由とした解雇 一般に、コミュニケーション能力や協調性の欠如、上司への反抗的態度なども解雇事由となり得る。社会人経験を持つ中途採用者については、業務上の能力やスキルだけでなく、他の従業員とうまくやっていく高いコミュニケーション能力やマネジメント能力を有することを前提に採用されることが多いことから、業務上の能力やスキルの欠如・不足を理由とする解雇と同様、これらを理由とする解雇についても比較的緩やかに認められる傾向にある(以下裁判例参照)。 筆者の経験上、解雇の対象となる中途採用者には、業務上の能力やスキルに関する問題点もさることながら、自分のスキルや経験に自信があるあまり、自分の仕事の進め方に固執して会社に反抗したり、他の従業員とのコミュニケーションがうまくいかないといった問題が見られるケースが(新卒者と比較すると)多いように思われる。よって、中途採用者の解雇に際して、場合によっては、マネジメント能力やコミュニケーション能力等の問題点について重点を置いて主張を展開することも考えられる。 (了)