〔会計不正調査報告書を読む〕 【第177回】 いわき信用組合 「特別調査委員会調査報告書(公表版)(2025年10月31日付)」 税理士・公認不正検査士(CFE) 米澤 勝 【いわき信用組合特別調査委員会の概要】 【いわき信用組合の概要】 いわき信用組合は、1948(昭和23)年7月31日設立。設立時の名称は江名町信用組合。 1966(昭和41)年9月、いわき信用組合に名称変更。自己資本22,976百万円、預金残高204,164百万円、貸出残高121,586百万円。組合員数は41,810名で、その出資金は15,864万円である。経常収益は3,495百万円、経常利益は230百万円。 福島県いわき市内に14店舗、福島県双葉郡双葉町に1店舗を有している。常勤役職員数は185名。本店所在地は福島県いわき市(令和6年3月31日現在)。 会計監査人は、2019年6月まではEY新日本有限責任監査法人、同年7月以降は鈴木和郎公認会計士事務所及び公認会計士鈴木一徳会計事務所。 いわき信用組合が2024(令和6)年11月15日に設置した第三者委員会(以下、単に「第三者委員会」と略称する)は、調査報告書において、いわき信用組合で発覚した不祥事について、次のように事実認定を行った。 【特別調査委員会による調査報告書の概要】 1 特別調査委員会設置の経緯 いわき信用組合は、2024年(令和6年)9月に投稿された「元信用組合職員」を名乗る者によるSNSへの書込みを契機とする内部調査により、いわき信用組合において、長年にわたって組織的に無断借名融資が繰り返されるなどしていたことが判明したことから、同年11月15日、一連の不祥事件(無断借名融資等の不正融資の継続及びその組織的隠蔽並びに当組合元職員2名による着服横領及びその組織的隠蔽)の事実関係の調査、原因分析、再発防止策の提言等を目的とする第三者委員会を設置し、2025年(令和7年)5月30日、第三者委員会から調査報告書の提出を受け、同日、その公表版を公表した。 しかし、いわき信用組合は、第三者委員会報告書において、第三者委員会による調査に対するいわき信用組合の協力姿勢に強い疑義を示された上、一連の不祥事件の実態解明に向けて、更なる調査を行う必要がある旨指摘されたことから、上記調査に対する誠実な対応を欠いたことを猛省するとともに、可能な限りの実態解明を図るべく、同年6月13日付け総代会において選任された役員による新たな経営体制の下で第三者委員会報告書における指摘を踏まえた徹底調査を実施することとして、同月30日、いわき信用組合と利害関係のない外部専門家から構成される特別調査委員会を組成し、調査を委嘱した。 特別調査委員会は、調査に当たり、独立性を確保し、実効的な調査を実現するため、以下の事項をいわき信用組合と合意した。 2 特別調査委員会が認定した不正融資の概要 特別調査委員会は、いわき信用組合元役員らによって繰り返されていた不正融資について、迂回融資、無断借名融資及び水増し融資の3類型に分類して、その内容を次のように説明している。 (1) 迂回融資 いわき信用組合においては、融資限度額との関係等で当組合から特定の個人・法人(実質的な融資先)に対する融資を実行することが困難である場合に、別の個人・法人(名目上の融資先)を経由(迂回)して実質的な融資先に資金提供することを目的として、名目上の融資先を債務者として実行する不正な融資(迂回融資)が行われていた。 迂回融資は、名目上の融資先に対する融資実行につき、融資先の承諾を得て実行されるものであるから、いわき信用組合と名目上の融資先の間に債権債務を発生させるものであり、会計上も、名目上の融資先を債務者とすることを前提として貸倒引当金の計上を検討する必要がある。 なお、特別調査委員会の調査の結果、迂回融資実行金額は2,213百万円であった。 (2) 無断借名融資 いわき信用組合においては、江尻次郎氏(元会長。以下「江尻氏」という)をはじめとする一部の元役員らによって、特定の個人の承諾を得ないまま、当該個人を債務者名義とする融資(手形貸付又は証書貸付)の名目で当組合の資金を不正に支出すること(無断借名融資)が繰り返されていた。 無断借名融資は、名義を無断借用された個人が関与することなく実行されるものであるから、当該個人と組合の間に金銭消費貸借契約に基づく債権債務を発生させるものではなく、いわき信用組合は、債務者名義の個人から、無断借名融資実行によって不正に支出された資金を回収することはできない。 無断借名融資によって不正に支出された組合の資金は、江尻氏の意向を踏まえながら、一部の元役員の判断に基づき、反社に対する提供資金、融資限度額を超えている大口融資先に対する提供資金、別の無断借名融資の利払いや返済のための資金等に当てられていた。 したがって、組合への返済義務(無断借名融資の実行による組合の損害を賠償する義務)は、江尻氏をはじめとする元役員が負うべきものであるから、会計上、無断借名融資による不正支出については「役員貸付」として計上するのが相当である。 なお、特別調査委員会の調査の結果、無断借名融資実行金額は25,260百万円であった。 (3) 水増し融資 いわき信用組合においては、元役員の交友者の関係会社等に対する融資の実行に際し、融資金額を水増しして融資を実行した上(水増し融資)、元役員が、債務者から、水増し分の全部又は一部を現金で受け取ることがあり、元役員に交付された水増し分の現金は、反社への提供資金、無断借名融資の利払いや返済のための資金等として費消されていた。 水増し融資は、水増し分も含めて債務者の承諾を得て実行されるものであるから、債務者は、いわき信用組合に対し、水増し分を含む融資実行金額の全額についての返済義務を負うが、会計上は、融資実行金額の一部が、組合役員への交付(組合役員への環流)を前提とする水増しであったことを考慮しながら、貸倒引当金を計上する必要がある。 なお、特別調査委員会の調査の結果、水増し融資からの還流金額は151百万円であった。 3 特別調査委員会の調査による新たに判明した事実―反社会的勢力に対する利益供与 (1) 反社からの不当要求に対する支払開始の経緯 特別調査委員会は関係者へのヒアリングを次のようにまとめている。 1992年(平成4年)から2001年(平成13年)までの間、理事長であった鈴木勇夫氏の時代には、金融機関が、総会屋をはじめとする反社との関係を断ち切ることは必ずしも容易ではない状況にあった。そのような時代背景の下、当時の組合の状況を知る江尻次郎氏や鈴木丈夫氏によれば、以下のとおり、遅くとも1990年代には、いわき信用組合においても、反社に該当するというべき者に対する資金提供が断続的に繰り返されていたことがうかがわれる。 鈴木勇夫氏の理事長就任当初から、組合の理事の中には、暴力団関係者との交友関係を有し、融資の実行等に際してその便宜を図る者が存在しており、暴力団関係者との交際を続けるうちに弱みを握られるなどして、金銭の支払を要求される者もいた。 また、1994年(平成6年)頃には、組合本部や鈴木勇夫氏らの自宅周辺等において、全国規模の右翼団体により、勇夫氏をはじめとする当時の当組合幹部の素行や、当組合と暴力団関係者の癒着を激しく糾弾する旨の街宣活動が繰り返されるなどの事態が発生し、当時、組合β支店の大口融資先であったΣ氏が、鈴木勇夫氏らに対し、組合と右翼団体の仲介役を務める旨申し出るとともに、街宣活動を中止させるための解決料の名目で3億円超の現金の支払を要求し、鈴木勇夫氏らは、これに応じて、当組合の資産からΣ氏に3億円超の現金を支払ったとのことである。 (2) 反社会的勢力に支払われた金額の推定 特別調査委員会は、組合の一部の元役員らは、遅くとも1994年(平成6年)頃から、少なくとも2016年(平成28年)頃までの間、Σ氏をはじめとする反社からの脅しに屈して、反社に対する現金の支払等を断続的に繰り返してきたとまとめたうえで、2004年(平成16年)11月に江尻次郎氏が理事長に就任して以降の反社に対する支払金額につき、江尻氏は、「合計10億円前後に上ると思う」と説明していることを挙げたうえで、その説明は不合理なものではなく、不正融資によって捻出された現金のうち10億円前後の現金が反社からの不当要求に対する支払に当てられたと考えられると結論づけている。 4 不正融資によって捻出された資金の使途および流出先 (調査報告書39頁、図表4以下) 特別調査委員会は調査の結果、不正融資実行金額の流れを次の図のように解説。反社会的勢力へ流れた金員については949百万円としている。 なお、特別調査委員会調査報告書では、第三者委員会調査報告書で「X1社グループ」と呼称されていた融資先について、「X2社グループ」と呼称が改められているが、本稿では、第三者委員会調査報告書と同じく「X1社グループ」と表記している。 5 原因分析、再発防止策等 (調査報告書42頁以下) 特別調査委員会は、冒頭、第三者委員会は、一連の不正融資の発生原因につき詳細な検討を行った上、幅広い再発防止策の提言を行っているので、その内容につき全く異存はなく、本報告書において、第三者委員会報告書における指摘事項に重ねて原因分析や再発防止策について詳論することはしないと述べた。 そのうえで、今回の調査によって明らかになった反社会的勢力への利益供与について、いわき信用組合においても、反社会的勢力に対する基本方針が定められ、その方針の下、反社会的勢力対応管理規程、反社会的勢力認定先に対する取引管理内規、反社会的勢力対応マニュアル等の反社排除に向けた規程類は整備されている。 さらに、業務システムには、反社やこれに類する者のデータベースが登録されており、当該データベースを活用することにより、業務システム上で反社情報等との照合を実施し、預金取引や融資取引の実行の可否を判断している。 また、当該データベースは、警察当局から提供される凍結口座情報や全国銀行協会から提供される反社会的勢力者情報のみならず、いわき信用組合の担当部署において把握した反社情報のリストなどから構成されるところ、現在、組合独自リストにおいて、反社又はその疑いがある者、それらの関係者として登録されている者は170先に上る。 このように、いわき信用組合においても、反社排除に向けた規程類や体制は整備されているにもかかわらず、元役員らは、基本方針に反して、反社というべき者からの度重なる不当要求に対し、法的対抗措置を講じることなく、一部の役員の間だけの秘密事項としながら反社に対する支払を繰り返していた。 反社からの不当要求に対する元役員らによる従前の対応は、反社排除に向けてどれだけ立派な規程や体制を整備しようとも、経営陣の意識が低ければ、画餅に帰すことを顕著に示すものといえる。 特別調査委員会は、反社排除や不当要求への断固たる対応を実現する上で何よりも重要なのは、経営陣を中心とした全役職員の意識を高く保つことであり、現役員らにおいては、本件を契機として、反社排除等に向けた強い覚悟をもつことはもとより、速やかに、外部専門家による相談・通報窓口を設置した上、全職員に対し、反社の関連が疑われる取引が漫然と実行・継続されているような事態を認知した場合には、臆することなく、当該窓口に通報することを強く推奨する等して、相互監視の下、全役職員の意識改革を図ることが肝要であると再発防止策をまとめている。 【調査報告書の特徴】 本連載【第170回】で取り上げたいわき信用組合の第三者委員会調査報告書は,調査に半年以上の期間を費やし、213頁に及ぶ大部の調査報告書をまとめながらも、約10億円と推定されている使途不明金については、調査しきれなかった。いわき信用組合は、6月13日に新理事長に就任した金成茂氏の下、6月30日になって、本稿で取り上げた特別調査委員会の設置と、業務改善計画書の提出を公表した。 特別調査委員会調査報告書公表日である10月31日付で、いわき信用組合は、理事長名で「特別調査委員会の調査等により判明した不祥事件について(ご報告とお詫び)」を公表し、その最後に、次のように述べて、旧経営陣ら関係者に対する、刑事責任及び民事責任の追及、損害賠償請求等の必要な措置を進めるなど厳正に対処することを表明している。 1 金融庁による行政処分 金融庁は、10月31日、「いわき信用組合に対する行政処分について」をリリースして、協同組合による金融事業に関する法律第6条第1項において準用する銀行法第26条第1項に基づく命令を発出する行政処分を行ったことを公表した。 命令の内容は次のとおりである。 処分の理由について、金融庁のリリースでは、次のように説明している。 2 金融庁による行政処分に基づく業務改善計画書 いわき信用組合は、6月30日、「業務改善命令に対する業務改善計画書の提出について」をリリースして、5月29日付の業務改善命令に基づく「業務改善計画書」を、東北財務局に提出したことを公表した。 また、上記1に掲げる金融庁による行政処分を受けて、その提出期限である11月14日に、「業務改善計画書」を改定して提出したことを公表した。 11月14日付の業務改善計画書は、6月30日に東北財務局に提出した業務改善計画書に加筆し、または項目を追加したものであるため、本稿では、6月30日付業務改善計画書をベースに、11月14日において追加された項目を朱書きで示しておきたい。 3 反社会的勢力遮断への取り組みプラン いわき信用組合は、業務改善計画書提出と同日、「反社会的勢力遮断への取り組みプラン」をリリースして、いわき信用組合におけるコンプライアンス上の最重要課題と位置づけている反社会的勢力等との取引遮断について、「反社会的勢力との関係を遮断し、不当な要求に毅然として対応する強靭な組織を構築する」ことを目的に、次のようなプランを公表した。 いわき信用組合が、反社会的勢力との遮断を図ることができるかどうかについては、すでに取引のある反社会的勢力(その疑いのある組織や個人を含む)との絶縁をどうするかにかかっていると思われるが、本リリースでは、2025年11月より、反社会的勢力との預金取引をはじめ一切の取引関係の解消を図ること、既存の融資取引に関しては、こちらも2025年11月中に、預金保険機構の特定回収困難債権買取制度を活用して解消を図ることが説明されている。 (了)
有価証券報告書における作成実務のポイント 【第17回】 史彩監査法人 パートナー 公認会計士 西田 友洋 今回は、有価証券報告書のうち、特例財務諸表提出会社の個別財務諸表(附属明細表を除く)の作成実務ポイントについて解説する。 なお、本解説では2025年3月期の有価証券報告書(連結あり/特例財務諸表提出会社/日本基準)に原則、適用される法令等に基づき解説している。 1 個別財務諸表 個別財務諸表として、貸借対照表、損益計算書、製造原価明細書・売上原価明細書、株主資本等変動計算書を記載する。 (1) 貸借対照表 (2) 損益計算書 (3) 製造原価明細書・売上原価明細書 【事例:(株)シーボン 2025年3月期の有価証券報告書】 (4) 株主資本等変動計算書 2 継続企業の前提に関する事項 本連載の【第8回】をご参照ください。 3 重要な会計方針 重要な会計方針の注記は、計算書類と同様に注記することができる。 4 重要な会計上の見積り 5 会計方針の変更 6 未適用の会計基準等 連結財務諸表を作成している場合、記載不要である。 7 会計上の見積りの変更 会計上の見積りの変更に関する注記は、計算書類と同様に注記することができる。 8 表示方法の変更 表示方法の変更に関する注記は、計算書類と同様に注記することができる。 9 追加情報 本連載の【第10回】をご参照ください。 10 貸借対照表関係 貸借対照表関係注記では、貸借対照表に関係する注記を記載する。記載項目としては、以下が挙げられる。 11 損益計算書関係 損益計算書関係注記では、損益計算書に関係する注記を記載する。記載項目としては、以下が挙げられる。 12 有価証券関係 連結財務諸表を作成している場合、有価証券のうち子会社株式について、以下の事項を注記する。ただし、重要性の乏しいものについては、注記を省略することができる。 【事例:(株)トライアルホールディングス 2025年6月期の有価証券報告書】 13 税効果会計関係 14 企業結合等関係 本連載の【第13回】をご参照ください。 15 収益認識関係 収益認識関係注記として、以下を記載する。 16 重要な後発事象 本連載の【第16回】をご参照ください。 (了)
〔業種別Q&A〕 労使間トラブル事例と会社対応 【第10回】 「店舗における転倒事故と安全配慮義務」 〈流通・小売業・卸売業〔Q5〕〉 弁護士法人 ロア・ユナイテッド法律事務所 パートナー弁護士 織田 康嗣 【Q】 当社は、スーパーマーケットを運営する企業です。今般、従業員がバックヤードから商品を運ぶ際に、床が濡れていたため、転倒する事故が発生してしまいました。会社が責任を負う場合はあるでしょうか。 【A】 濡れた床面を清掃せずに放置するなどして、企業の安全配慮義務に違反する場合には、損害賠償責任を負う場合があります。従業員の負傷だけでなく、店舗に訪れた顧客が負傷するケースもあり、顧客との関係でも損害賠償責任を負う場合があります。 ▲ ▼ ▲ 解 説 ▲ ▼ ▲ 1 小売業における労災事故 小売業においては、転倒事故や、バックヤードにおいて挟まれる、衝突するなどの事故、重いものを持ち上げる際に腰を痛めるといった事故が発生することがある。小売業では、接客だけでなく、バックヤードにおける搬入・搬出作業等の多岐にわたる作業があり、様々な労災事故が生じ得る。 また、小売業においては、店に来訪した顧客が転倒するなどして、怪我を負うことがある。顧客は労働者ではないので労災ではないが、顧客に対する損害賠償責任も生じ得る点に注意が必要である。 重篤な事故が生じ、従業員や顧客に後遺障害が残るような事態になれば、高額な損害賠償責任を負う可能性があるし、企業イメージの低下による売り上げ減少や、人材確保に悪影響が生じる懸念もある。小売業に限るものではないが、労災事故または第三者に対する事故の防止は、企業にとって重要なテーマとなる。 2 責任の法的根拠 企業が負う可能性のある責任の根拠としては、以下が挙げられる。 (1) 従業員が怪我をした場合(労災) 安全配慮義務とは、使用者が労働契約に伴い、労働者がその生命・身体等の安全を確保しつつ労働できるよう、必要な配慮をする義務をいう(労働契約法5条)。店舗等で勤務する従業員が労災事故に遭った場合、例えば、安全マニュアルを策定していなかった、床の水濡れを放置していた、重量物の棚積みを安全確認なしに行わせていたなど、安全配慮義務違反があったとして、損害賠償責任を追及されることが想定される(民法415条)。 (2) 顧客が怪我をした場合 顧客が店舗の床が濡れていたり、床への落下物(例:野菜くず、飲料等)が原因で転倒して怪我をした場合、店舗を運営する企業に対し、損害賠償責任を追及することが考えられる。 この場合の法的構成としては、①不法行為責任(民法709条)、②土地工作物責任(土地の工作物の設置または保存に瑕疵があることによって他人に損害を生じさせた場合の責任、民法717条)、③債務不履行責任(利用客との契約関係があるか、契約関係がないとしても、社会的接触に入った当事者間の信義則上の義務として生じ得る責任、民法415条)が考えられる。 3 労災認定 店舗内で従業員が業務中に怪我をした場合、業務上災害として、労災認定されることがある。 労災保険から保険給付が行われた場合、その給付額は会社が支払うべき損害賠償額から控除し得るが(損益相殺)、労災保険給付は主に逸失利益や治療費の一部を補償するものであり、慰謝料は補償の対象外となる。そのため、慰謝料に係る損害賠償請求に対し、労災給付による損益相殺を主張することはできない。 なお、労災認定は、厚生労働省の基準に従って行われ、基本的に、業務災害として認定されるには、①業務遂行性(労働者の負傷等が使用者の支配下にある状態で発生したこと)及び②業務起因性(業務と労働者の負傷等の間に一定の因果関係が認められること)の要件を充足する必要がある。 さらに、個々の災害ごとに詳細な認定基準を示しているものもあり、例えば、腰痛に関する労災認定基準においては、①災害性の原因による腰痛と②災害性の原因によらない腰痛に分けて、認定要件を定めている。具体的には、以下のとおりである。 【腰痛の労災認定基準】 4 裁判例 (1) 従業員の怪我に関する事例 〇東京高判令和4年6月29日判タ1510号176頁 飲食店の従業員が、雨で濡れた外階段を裏面が摩耗したサンダルで降りる際に転倒し、負傷した事故に関する事例である。裁判例は、以下のように認定し、本件階段に滑り止めの加工をしたり、降雨の際は滑りやすい旨注意を促したり、裏面が摩耗していないサンダルを用意したりするなどの安全配慮義務を認め、損害賠償義務を認めている(ただし、従業員側にも過失があったとして、40%の過失相殺を認めた)。 (2) 顧客の怪我に関する事例 〇東京地判令和3年7月28日 LLI/DB 判例秘書登載 スーパーマーケットに買物に訪れた際に、生鮮野菜売場の床が水浸しのまま放置されていたため足を滑らせて転倒し、左肘を骨折した事例において、店舗側の損害賠償責任を認めている(ただし、顧客側にも過失があったとして、20%の過失相殺を認めた)。 〇東京高判令和3年8月4日判タ1501号90頁 上記とは逆に、店舗側の損害賠償責任を否定した事例も存在する。例えば、スーパーマーケットのレジ前通路に落ちていた天ぷらを踏んで転倒したという事例において、以下のように述べて、店舗側の損害賠償責任を否定している。 5 おわりに 上記の裁判例をみてもわかるように、企業の責任の有無は、個々の事案における具体的事情により、求められる安全配慮義務等の内容も変わり得る。また、多くの事案において、負傷した従業員や顧客側の過失も問題となっており、過失相殺の論点も生じることが多いと言える。 企業としては、まずは災害防止に向けた取り組みを行うことが重要である。小売店店舗における代表的な災害防止活動として、4S活動が考えられる(整理・整頓・清掃・清潔)。商品の陳列に関するルールを決めて、正常か異常か一目で分かるようにしておいたり、従業員の動線が確保されているか確認するなど、店舗ごとに必要なチェックポイントを確認しておくべきである。必要な事項をマニュアル化したり、チェックシートを作成するなどして、災害防止の活動に努めるべきである。 万が一、店舗で事故が発生したとしても、こうした災害防止教育の実施は、安全配慮義務履行の主張の一つになり得るところ、口頭での指導だけでなく、書面で残っていれば、立証の際にも活用しやすいので、積極的に検討するべきである。 (了)
〔検証〕 適時開示からみた企業実態 【事例111】 KeePer技研株式会社 「(変更)公開買付への応募及び特別利益(投資有価証券売却益)の計上に関するお知らせ」 (2025.10.24) 公認会計士/事業創造大学院大学教授 鈴木 広樹 1 今回の適時開示 今回取り上げる開示は、KeePer技研株式会社(以下「KeePer技研」という)が2025年10月24日に開示した「(変更)公開買付への応募及び特別利益(投資有価証券売却益)の計上に関するお知らせ」である。 株式会社ソフト99コーポレーション(以下「ソフト99」という)が2025年8月6日に「MBOの実施及び応募の推奨に関するお知らせ」を開示し、ソフト99の経営陣によるMBO(経営陣による企業買収)の一環として、堯アセットマネジメント株式会社(以下「堯アセットマネジメント」という)がソフト99に対するTOB(株式公開買付け)を実施するとしていた(以下、このTOBを「ソフト99経営陣によるMBO」という)。 KeePer技研は2025年8月15日に「公開買付への応募及び特別利益(投資有価証券売却益)の計上に関するお知らせ」を開示し、そのソフト99経営陣によるMBOに応募するとしていたのだが、今回の開示では、それを変更し、ECMマスターファンドSPV3によるソフト99に対するTOB(以下「エフィッシモによるTOB」という)に応募することにしたという。 2 公開買付応募契約は有効か? KeePer技研は、堯アセットマネジメントとの間で、ソフト99経営陣によるMBOに応募するという公開買付応募契約を締結しているのだが、次のような理由により、取締役全員一致でエフィッシモによるTOBへの応募を決定したという(「本MBO公開買付け」はソフト99経営陣によるMBO、「本対抗公開買付け」はエフィッシモによるTOB)。 ソフト99経営陣によるMBOの買付価格が2,680円であるのに対して、エフィッシモによるTOBの買付価格が4,100円であるため、ソフト99経営陣によるMBOに応募した場合よりも、エフィッシモによるTOBに応募した場合の方が、3,817百万円多くの株式売却益を得られる(ソフト99は2025年10月17日に「(訂正)「MBOの実施及び応募の推奨に関するお知らせ」の一部訂正に関するお知らせ」を開示し、買付価格を2,465円から2,680円に引き上げたのだが、買付価格が2,465円の場合、株式売却益の差額は4,394百万円に上っていた)。 直近の当期純利益が4,888百万円のKeePer技研にとって、3,817百万円の違いは極めて大きい。ソフト99経営陣によるMBOへの応募は合理的ではないし、仮に応募した場合、KeePer技研の経営陣は、3,817百万円の収益を逃すことになるため、株主代表訴訟を起こされる可能性がある。 堯アセットマネジメントは、KeePer技研に対して、公開買付応募契約に違反したことを理由にして損害賠償請求を行うかもしれない。しかし、ソフト99経営陣によるMBOへ応募した場合にKeePer技研の経営陣に生じたかもしれない株主代表訴訟による損害を補償する用意があったのだろうか。そうでないとしたら、公開買付応募契約はかなり不合理であるといえるだろう。 3 重要な取引先だったら? KeePer技研はソフト99の株式を約12%保有しているのだが、両社の関係が深いため、以前から保有していたというわけではない。ソフト99の株式を取得したのは、つい最近である。 KeePer技研は2025年3月10日に「株式会社ソフト99コーポレーション(証券コード:4464)株式の買い集め行為に該当する株式取得に関するお知らせ」を開示し(適時開示ではなくホームページ上での開示)、市場外での相対取引によりソフト99の株式を取得している(ソフト99も、2025年3月11日に「主要株主の異動に関するお知らせ」を開示)。 なお、ソフト99は2025年3月18日に「主要株主の異動に関するお知らせ」を開示し、シンプレクス・アセット・マネジメント株式会社がソフト99の株式を売却したとしているのだが、その売却した株式の数は、KeePer技研が取得した株式の数とまったく同じである。おそらく、シンプレクス・アセット・マネジメント株式会社が、ソフト99と事業内容が類似するKeePer技研に対して、ソフト99株式の取得を持ちかけたのだろう。 KeePer技研にとって、ソフト99は重要な取引先であり、ソフト99の経営体制の維持が重要だということであれば、ソフト99経営陣によるMBOへ応募するといった選択もあり得たかもしれないが、そうではなかった。 4 自由な経営を求めたはずが ソフト99とKeePer技研は事業内容が類似しており、競合関係にあるといえる。もしかすると、ソフト99の経営陣は、競合のKeePer技研に株式を取得されたため、支配されるのではないかという危機感を抱き、MBOを考えたのかもしれない。しかし、そのMBOが呼び水となり、エフィッシモによるTOBを招いてしまった。 本稿執筆時点(2025年11月10日)では結果が出ていないが、ソフト99経営陣によるMBOは成立せず、エフィッシモによるTOBが成立する可能性が高いだろう。そうなった場合、ソフト99の経営陣は、自由な経営を求めてMBOを実施したにもかかわらず、極めて不自由な経営を強いられることになってしまう。 ソフト99は2025年9月25日に「ECMマスターファンドSPV3による当社株式に対する公開買付けに関する意見表明(反対)のお知らせ」を開示し、ソフト99の企業価値向上に資するものとは認められない等の理由により、エフィッシモによるTOBに反対意見を表明している。 しかし、ソフト99の株主にとっては、同社株式を売却したら、同社とは関係なくなるため、同社の企業価値が向上するか否かはどうでもいいのである。同社株主にとって重要なのは買付価格の高低だけである。 上場を維持する負担が以前より増したため、MBOを選択する上場会社が増えている。しかし、その場合はリスクも十分考慮する必要があるだろう。求めていた結果とは真逆の結果がもたらされる可能性があることを、今回の事例は示している。 (了)
《速報解説》 ASBJ、「防衛特別法人税の会計処理及び開示に関する当面の取扱い(案)」等を公表 ~会計処理等について地方法人税と同様に行う旨を規定~ 公認会計士 阿部 光成 Ⅰ はじめに 2025年11月20日、企業会計基準委員会は、「防衛特別法人税の会計処理及び開示に関する当面の取扱い(案)」(実務対応報告公開草案第72号)を公表し、意見募集を行っている。 2025年3月31日に成立した「所得税法等の一部を改正する法律」(令和7年法律第13号)において、「我が国の防衛力の抜本的な強化等のために必要な財源の確保に関する特別措置法」(令和5年法律第69号)が改正され、防衛特別法人税が創設された。 公開草案は、防衛特別法人税の取扱いについて、法人税等会計基準等の見直しに係る改正後の会計基準等とは別に、実務対応報告を公表することで短期的な対応を行うものである。 意見募集期間は2026年1月20日までである。 文中、意見に関する部分は、私見であることを申し添える。 Ⅱ 防衛特別法人税に関する会計処理 防衛特別法人税に関する会計処理については、地方法人税と同様に行うものとして、法人税等会計基準の定めに従う(7項)。 Ⅲ 税効果会計に関する会計処理 防衛特別法人税について、繰延税金資産及び繰延税金負債の計算に用いる税率は、地方法人税と同様に取り扱うものとして、「税効果会計に係る会計基準の適用指針」(企業会計基準適用指針第 28号)46項の定めに従う(8項)。 法定実効税率(税効果適用指針4項(11))については、地方法人税率と同様に防衛特別法人税率を考慮して算定する(9項)。 Ⅳ 開示 防衛特別法人税に関する表示については、地方法人税と同様に行うものとして、法人税等会計基準の定めに従う(13項)。 上記のほか、グループ通算制度を適用する場合の会計処理なども規定されている。 Ⅴ 適用時期等 2026年4月1日以後開始する連結会計年度及び事業年度の期首から適用する。 (了)
2025年11月20日(木)AM10:30、 プロフェッションジャーナル No.645を公開! - ご 案 内 - プロフェッションジャーナルの解説記事は毎週木曜日(AM10:30)に公開し、《速報解説》は随時公開します。
日本の企業税制 【第145回】 「ガソリン暫定税率廃止に関する6党合意」 一般社団法人日本経済団体連合会 経済基盤本部長 魚住 康博 11月5日、自由民主党、立憲民主党、日本維新の会、国民民主党、公明党、日本共産党の与野党6党は、8月から協議を続けていたガソリン税及び軽油引取税の暫定税率の廃止について合意に至った。 自由民主党からは小野寺五典税制調査会長、立憲民主党からは重徳和彦税制調査会長、日本維新の会からは梅村聡税制調査会長、国民民主党からは浜口誠政務調査会長、公明党からは赤羽一嘉税制調査会長、日本共産党からは辰巳孝太郎衆議院国会対策副委員長の6名が合意文書に署名し、昨年から続くガソリン暫定税率の与野党協議に一定の結論が出された。 〇 政治情勢の変化 遡れば、令和7年度税制改正の議論が行われていた2024年12月、自由民主党、公明党、国民民主党の間で三党税調協議が進められ、12月11日に3党の幹事長同士による合意文書が作成された。そこでは、「いわゆる『ガソリンの暫定税率』は、廃止する」と明記されるとともに、「具体的な実施方法等については、引き続き関係者間で誠実に協議を進める」こととされていた。 また、与党の令和7年度税制改正大綱では合意文書の引用に続いて、「自由民主党・公明党としては、引き続き、真摯に協議を行っていく」と記載した上で、自動車関係諸税の見直しについては、車体課税・燃料課税を含む総合的な観点から検討し、産業の成長と財政健全化の好循環の形成につなげていく旨とともに、車体課税については令和8年度税制改正において結論を得ることとされていた。 今年3月には、税制改正法案に関する国会審議において、「揮発油税及び地方揮発油税の『当分の間税率』は廃止に向けた検討を速やかに行うとともに、その廃止に当たっては、流通への影響や関係事業者の事務負担等に配慮するとともに、国及び地方公共団体の財政に悪影響を及ぼすことがないよう、安定的な財源を確保するなど必要な措置を講ずるものとすること」との附帯決議が行われた。 その後、7月の参議院議員選挙を経て8月から、自由民主党、立憲民主党、日本維新の会、国民民主党、公明党、日本共産党の与野党6党による協議が続けられていたが、事務負担や安定財源等をめぐる結論が出ない状態であった。 転機となったのは、自由民主党の総裁選挙を経て高市早苗新総裁が誕生したことが挙げられる。自由民主党執行部や閣僚の顔ぶれに大きな変化が生じる中、自由民主党税制調査会についてもメンバーの交代が行われ、公明党による連立政権の離脱と日本維新の会との連立合意を含めた政治情勢の変化が与野党協議にも影響を与えたと思われる。 〇 与野党6党による合意文書 〇 残された論点 今後、残された論点として、安定財源や現場の事務負担に関する議論の深掘りが行われることとなる。 現状で自動車関係諸税は、国・地方を合わせて5兆8,027億円の税収で、そのうち車体課税が2兆7,076億円、燃料課税が3兆951億円となっている。車体課税の内訳としては、自動車重量税が7,153億円、自動車税が1兆6,551億円、軽自動車税が3,372億円である。燃料課税の内訳としては、揮発油税等が2兆1,874億円、軽油引取税が8,997億円、石油ガス税が80億円である。そのうち、暫定税率による税収は、揮発油税等が1兆205億円、軽油引取税が4,793億円の合計1兆4,998億円である。 合意文書に記載のとおり、徹底した歳出改革等の努力による財源捻出を前提としつつ、国際競争力の確保、実質賃金の動向等を見極めながら、法人税関係租税特別措置の見直し、極めて高い所得の負担の見直し等の税制措置が検討され、令和7年末までに結論が出されることから、今月から来月にかけて税制調査会で議論されると見込まれる。 また、流通の現場において問題が生じると考えられるのは、蔵出し課税として製油所から油槽所に移転する際に暫定税率で課税されているガソリンの在庫分が、補助金の支給停止後に販売される場合である。そのため、事業者が在庫量を計測した上で税務申告を行う際に本則税率との差額相当分を控除(還付)する仕組みを講じることで、混乱を回避することが考えられている。 (了)
〈ポイント解説〉 役員報酬の税務 【第76回】 「不相当に高額な部分の判断につき加重平均法を採用した事例」 税理士 中尾 隼大 ○●○● 解 説 ●○●○ (1) 不相当に高額な部分の金額に係る判断についての裁判所の傾向 役員給与の過大性判断、つまり不相当に高額な部分の金額があるかどうかの判断については、法人税法34条2項及び法人税法施行令70条1号イによって、「当該役員の職務の内容、その内国法人の収益及びその使用人に対する給与の支給の状況、その内国法人と同種の事業を営む法人でその事業規模が類似するものの役員に対する給与の支給の状況等」に鑑みた判断が行われることとなっている。しかし実際に、少なくとも更正処分の場面では、専ら同業類似法人の支給状況に照らした判断が行われていると思われる。 そのような中、近年の裁判例においては注目すべき事例がいくつか現れており、このような形式的判断に変化の兆しが見え始めていると思われる。具体的には、残波事件(※1)に始まり、1.5倍事件(※2)、マレーシア中古車輸出業事件(※3)という注目事例がある。これらの事例からは、裁判所が役員の実際の職務状況等に鑑みた検討を試みようとした姿勢が垣間見えると思われる。 (※1) 最高裁平成30年1月25日決定(税務訴訟資料268号順号13118)。(※3)までの事例については、【第59回】等参照。 (※2) 東京地裁平成29年10月13日判決(税務訴訟資料267号順号13076)、東京高裁平成30年4月25日判決(訟務⽉報65巻2号133⾴)。なお、1.5倍のくだりは高裁では削除されている。 (※3) 東京地裁令和2年1月30日判決(判例タイムズ1499号176⾴)。 ここで、更正処分の時点において、課税庁側が同業類似法人の支給状況を基礎とした上で、役員の職務状況に鑑みて加重平均法によって一定の調整を行った事例があるため、以下にその概要について触れる。 (2) 課税庁が更正処分の時点で加重平均法を採用した事例 このように、更正処分の時点で同業類似法人の支給状況を基礎として加重平均法による調整が行われた事例として、東京地裁令和5年3月23日判決・東京高裁令和6年1月18日判決・最高裁令和6年12月12日決定がある(※4)。 (※4) 地裁:税務訴訟資料273号順号13836。高裁:金融・商事判例1693号36頁。最高裁:判例集等未登載、TAINS:Z888-2704。 この事例は京醍醐味噌事件と呼ばれており、ファブレス事業が卸売業に当たるとして同業類似法人の抽出を行うことは合理的だと示されたこと、そして不相当に高額な部分の金額とされた金額が他社事例に比して極めて高額であったためにメディア等にも注目された事例である。このように、この事例に注目すべき点はいくつかあるが、ここでは加重平均法を中心に取り上げる。 本件裁判例につき、納税者の売上高や売上総利益は減少傾向にあり、かつ経常利益がマイナスとなっていた他、平成28年9月期に30億円を超える株式売却益を計上したにもかかわらず経常利益は32億円の赤字であった。また、納税者が甲・乙・丙に対して支給していた役員給与の額は以下の通りである。 このうち、乙に関しては甲の実弟であり、納税者のベトナムでの新規事業進出を乙が担当して検討するに当たり、現地の課税関係を調査したところ想定と異なったために進出自体をペンディングしていたという事実がある。そのような中で、平成28年9月期における取締役会にて、ベトナム新規事業からの収益は生まれないままに月2億5,000万円の役員給与を支給することを決議している。 課税庁側は、更正処分時には加重平均法を採用していたが、その後は平均額法による主張に差し替えている。しかし、地裁は、甲と丙を対象に「本件類似法人の役員給与最高額の平均額に一定の加重をすることが相当であると判断して、原告と本件類似法人との間に存する偏差を調整するために、法人税法施行令70条1号イにおいて適正給与額の判断要素として規定している『事業規模』の指標に当たるものとして売上高、『収益』に当たるものとして改定営業利益及び個人換算所得・・・を勘案要素として考慮した本件算式(筆者注:加重平均法)を用いて算出したことは合理的である」と示した。併せて、乙については、上記の事情を背景に加重平均法を認めなかった。これに対し高裁では、上記の通り「事業規模」について地裁の判断を否定する判断が示されている。 (3) 本件裁判例の意義 本件裁判例の地裁においても加重平均法が認められたのは、残波事件に端を発し、役員の適正報酬のあり方について議論が盛んになってきた結果であると評価する意見がある(※5)。 (※5) 渡辺充「役員給与の損金不算入-京醍醐味噌事件-」税理66巻(2023)12号213頁。 この意見は、高裁において、納税者が役員個々の職務上の能力を最大考慮要素として判断すべきと主張したことを予測した上で、高裁が「役員の職務上の能力は、『事業規模』(法人税法施行令70条1号イ)を示すものには該当しない」と示したことが残波事件よりもさらに後退した判断であるという批判につながっている(※6)。ここでは、役員給与税制についていよいよ立法論的解決を図るべきであるとも指摘がなされている。この点、同業類似法人から導かれる支給額について「平均額か最高額かまたは加重平均法を用いたかどうかが問題ではなく、卓越した業績をあげる役員の業績を測るのに適しているかどうかが重要である」との指摘もある(※7)。 (※6) 渡辺充「京醍醐味噌事件【控訴審判決】」税理67巻(2024)14号73頁以下。 (※7) 赤坂高司「役員給与の不相当に高額な部分の金額-京醍醐味噌事件-」税理68巻(2025)6号90-92頁。このような場合には「同業類似法人を抽出して適正役員給与額を算出する方法を採用せずに、当該役員の職務内容から不相当に高額な部分があるかどうかを判断すべき」との指摘がなされている。 このように、本件裁判例は、高裁に対する批判がある他、同業類似法人の情報を基礎とすること自体に対する批判も生じている。 これに対して、実務上の観点からは、財務内容と役員給与の支給額のバランスが取れていなかったことこそ更正処分を招いた要因であると思われる。というのも、当該納税者は、マレーシア中古車輸出業事件と同様に、法人の財務内容の悪化に比して役員給与の額が極めて高額であったことに加え、平成28年9月期において株式売却益と役員給与の額を相殺しようとしたということは見て取れる。 そのような中で乙を含めて高額な役員給与を支給しようとすれば、課税庁から指摘を受けるのは当然であるといえる。なお、そのような状況であっても、課税庁は、不相当に高額な部分の金額の判断において更正処分時点で加重平均法を採用したという点に特徴があるため、課税庁も役員の経営能力等に焦点を当てようとしたという背景があったのではないかと思われる。 したがって、本件裁判例から分かる教訓としては、現行の役員給与税制においては、改めて財務内容と役員給与の額のバランスに留意しておくべきであることがいえるだろう。 (了)
国家安全保障から見る令和7年度及び近年の税制改正 -防衛特別法人税等の企業への影響- 【第9回】 公認会計士・税理士 荒井 優美子 32 仮装経理に基づく過大申告の場合の更正に伴う防衛特別法人税額の還付の特例 法人税では、仮装経理に基づく過大申告について内国法人が修正経理を受け入れ、過大申告をした事業年度の更正が行われた場合、減額された法人税額は原則として還付されず(仮装経理に基づく過大申告の場合の更正に伴う法人税額の還付の特例)、5年繰越控除が行われる(法法135、70)。ただし、更正の日の属する課税事業年度開始の日前1年以内に開始する各課税事業年度の確定法人税額がある場合や、5年繰越控除で控除しきれなかった金額は還付される(法法135)。 このような法人税の取扱いを踏まえて、仮装経理防衛特別法人税額(仮装経理に基づく過大申告をした事業年度の更正が行われた場合に減額された防衛特別法人税額)についても、原則として還付されず(防衛特別法人税額の還付の特例)(防衛財確法39①、防衛特法令18①)。防衛特別法人税額の還付の特例の適用があったときは、その更正に係る仮装経理防衛特別法人税額が防衛特別法人税額から控除される(防衛財確法20)。 仮装経理防衛特別法人税額が還付されるのは、以下の場合とされ、いずれの還付金についても、還付加算金が付される(防衛財確法39、通法58)。 33 連帯納付責任 法人税法で規定されている納税義務の連帯納付責任に対応し、防衛特別法人税でも同様の規定を設けている。通算法人(グループ通算制度の適用法人)は、他の通算法人との間に通算完全支配関係がある期間内に納税義務が成立した、他の通算法人の各課税事業年度の法人税について、連帯納付責任を負い、防衛特別法人税についても同様とされる(防衛財確法41①一)。 受託者が2以上ある法人課税信託に係る受託法人は、その法人課税信託に係る法人税について連帯納付責任を負い、防衛特別法人税についても同様とされる(防衛財確法41①二)。 34 税務調査に係る質問検査権 法人税及び地方法人税の税務調査に係る質問検査と同様に、防衛特別法人税の調査についても、以下の者に対して、質問し、事業に関する帳簿書類その他の物件を検査し、又はその物件の提示若しくは提出を求めることができるとされる(防衛財確法42①、通法74の2①二)。 35 罰則 法人税法における罰則と同様の罰則(ほ脱犯、無申告ほ脱犯、申告書不提出犯、中間申告書虚偽記載犯、検査忌避、両罰規定等)が定められている(防衛財確法44~48)。 36 通算法人に係る取扱い 防衛特別法人税における通算法人の取扱いについては、法人税において規定されている通算法人の取扱いに対応する規定のほかに、防衛特別法人税の計算についてのみ設けられた通算法人の取扱いの規定がある。 法人税において規定されている通算法人の取扱いに対応する規定には、①通算子法人の課税事業年度、②仮決算をした場合の法人税の中間申告書の提出、③災害等による中間申告書・確定申告書の提出期限の延長、④清算中の内国法人の確定申告、⑤電子情報処理組織による申告の特例、⑥通算法人の連帯納付責任、⑦青色申告の取消し、⑧通算税効果額の取扱い、⑨電子情報処理組織による申請等、がある。 防衛特別法人税の計算についてのみ設けられた通算法人の取扱いの規定には、⑩基礎控除額の計算と、⑪通算法人に係る外国税額控除額の計算がある。 ① 通算子法人の課税事業年度 防衛特別法人税の課税事業年度は、法人の2026年4月1日以後開始事業年度である(防衛財確法11)が、通算子法人の場合は、通算親法人の2026年4月1日以後に開始する事業年度内に開始する事業年度である(防衛財確法11)。 法人税の課税期間について、通算子法人の事業年度が通算親法人の事業年度と異なる場合には、通算親法人の事業年度とすることとされており(法法14)、防衛特別法人税の基準法人税額の計算期間と一致させるために、通算子法人について法人税の課税期間とされている。 【通算子法人の課税事業年度】 (出典:財務省ホームページ「令和7年度税制改正の解説」) ② 仮決算をした場合の法人税の中間申告書の提出 法人税中間申告書を提出すべき法人は、法人防衛特別法人税の中間申告書を提出することとされている(防衛財確法21①)。通算子法人の通算承認の効力が生じた日が通算親法人の事業年度開始の日以後6月を経過した日以後であるときは、通算承認の効力が生じた日の属する事業年度について法人税中間申告書の提出義務がないため、防衛特別法人税の中間申告書の提出義務もない。 法人税中間申告書の提出義務のない通算法人が、以下の場合に法人税の仮決算による中間申告書を提出した場合には、仮決算による防衛特別法人税の中間申告書の提出義務がある(防衛財確法22①)。ただし、前期の法人税額の2分の1の全通算法人分の合計額より仮決算による法人税額の全通算法人分の合計額の方が大きい場合は除かれる。 ③ 災害等による中間申告書・確定申告書の提出期限の延長 法人税では、通算法人の災害等による中間申告書・確定申告書の提出期限の延長を認めている(法法72の2、75の3)。通算法人の防衛特別法人税中間申告書又は確定申告書の提出期限が指定された期日まで延長された場合には、他の通算法人についても、提出期限が延長されたものとみなされる(防衛財確法23、26、防衛特法令6、8)。 ただし、その指定された期日が他の通算法人の防衛特別法人税中間申告書又は確定申告書の提出期限前の日である場合は除かれており(防衛特法令6、8)、通算グループの各通算法人の防衛特別法人税中間申告書又は確定申告書の提出期限は、各通算法人が申告期限として指定された日のうち最も遅い日まで一律に延長されることとなる。 ④ 清算中の内国法人の確定申告 清算中の内国法人につきその残余財産が確定した場合には、当該内国法人の当該残余財産の確定の日の属する事業年度終了の日の翌日から1月以内(当該翌日から1月以内に残余財産の最後の分配又は引渡しが行われる場合には、その行われる日の前日まで)に法人税の申告書を提出する義務がある(法法74②)。 ただし、当該内国法人が通算法人である場合には、その通算子法人の残余財産の確定の日の属する事業年度の法人税の確定申告書の提出期限(2月(ないしは延長月数を加えた月数)以内)、とされている。 防衛特別法人税についても、清算中の内国法人の確定申告期限は同様であり(防衛財確法25②)、通算子法人の残余財産の確定の日の属する事業年度の防衛特別法人税の確定申告書の提出期限とされている。 (続く)
相続税の実務問答 【第113回】 「人身傷害保険金に対する相続税課税」 税理士 梶野 研二 [答] 相続人であるあなたが支払いを受けた人身傷害保険金2,000万円は相続税法の規定により相続により取得したものとみなされ、非課税金額500万円を控除した残額(1,500万円)が相続税の課税対象となります。 ● ● ● ● ● 説 明 ● ● ● ● ● 1 みなし相続の規定 被相続人の死亡により、相続人等が取得する保険金については、一般的、、、に、被相続人の遺産には含まれず(注)、したがって、保険金の支払いを受ける相続人等が相続又は遺贈により取得するのではなく、相続人等が固有の権利として取得するものと解されています。 (注) 保険契約の受取人が「相続人」となっているとき、あるいは「被相続人」自身が保険金受取人となっているときには被相続人の遺産に含まれるとの見解もあることから、「一般的に」としました。 相続税は相続又は遺贈により取得した財産に対して課税されますので、被相続人の相続開始を契機として取得した財産であっても、それが相続又は遺贈により取得したものでなければ相続税の課税対象とはならないはずです。 しかしながら、相続又は遺贈により取得した財産のみを相続税の課税対象とすると、相続人等が被相続人の死亡により取得する死亡保険金などの財産であって、実質的には相続により取得するのと同様の結果となるにもかかわらず、これらの財産には相続税が課されないこととなり、課税上の不公平が生じることとなります。そのため、相続税法では、相続又は遺贈により取得した財産以外の財産であっても一定の財産については相続又は遺贈により取得したものとみなして相続税の課税対象としています。 例えば、相続税法は、被相続人の死亡により相続人等が、損害保険契約(保険業法第2条第4項に規定する損害保険会社と締結した保険契約その他の政令で定める一定の契約をいいます)の保険金で、偶然な事故に基因する死亡に伴い支払われるものを取得した場合において、その保険料を被相続人が負担していたときには、その保険金は、その保険金の受取人が相続(その者が相続人である場合)又は遺贈(その者が相続人ではない場合)により取得したものとみなして、相続税の課税対象としています (相法3①一)。 2 人身傷害保険 ところで、多くの自動車保険では、契約の特約条項として人身傷害保険がセットされています。人身傷害保険が付保されている自動車保険契約では、その保険に加入している本人、その家族又は同乗者(これらの者を「被保険者」といいます)が自動車事故により①傷害を受けた場合、②後遺症が残った場合又は③死亡した場合には保険金が支払われます。保険金額は、葬儀費用、精神的損害及び逸失利益などを基に、契約に定められた限度額の範囲内で算定されます。これらのうち、③の被保険者の死亡による保険金の支払いを受けた場合(保険料の負担者が被相続人であるときに限ります)には、この保険金は、原則として、相続税法第3条第1項第1号の規定に基づき、保険金の支払いを受けた者が相続又は遺贈により取得したものとみなされて、相続税の課税財産に含まれることとなります(注)。 (注) ただし、保険金額のうち損害賠償金の性格を有する金額がある場合には、当該金額を除いた金額が、相続税の課税対象となります(平成11年10月18日課審5-1ほか「人身傷害補償保険金に係る所得税、相続税及び贈与税の取扱い等について(平成11年10月4日付照会に対する回答)」(以下、国税庁回答)といいます)参照)。 3 令和7年10月30日最高裁第一小法廷判決 被相続人甲が車両を運転中に自損事故を起こして死亡し、人身傷害保険金が支払われることとなった場合において、甲の子である乙(相続を放棄しています)が、当該車両に係る自動車保険契約の保険者である上告人(保険会社)に対し、当該保険契約に適用される普通保険約款中の人身傷害条項(以下「本件人身傷害条項」という)に基づく甲の人身傷害保険金の請求権を自らが取得したと主張し、人身傷害保険金の支払を求めて提起した訴訟において、令和7年10月30日に、最高裁判所第一小法廷は、次のように述べ、この人身傷害保険金の請求権は、被保険者の相続財産に属するものと解することが相当であるとの判断を示しました(以下、この判決を「最高裁判決」といいます)。 本件人身傷害条項によれば、人身傷害保険金は人身傷害事故により生ずる損害に対して支払われるものとされ、本件人身傷害条項の柱書きは、保険金請求権者を「人身傷害事故により損害を被った」者とする旨を定めている。また、本件人身傷害条項では、人身傷害保険金を支払うべき損害の額について、損害項目に応じて、これを実費、あるいは、損害の程度等を踏まえた特定の方法により算定される額としており、人身傷害保険金の額は、人身傷害事故により生ずる具体的な損害額に即して定まるものとされている。そして、損害を填補する性質の金員の支払等がされた場合は、当該金員の額を控除するなどして人身傷害保険金を支払うものとされている。これらの点からすれば、本件人身傷害条項において、人身傷害保険金は、人身傷害事故により損害を被った者に対し、その損害を填補することを目的として支払われるものとされているとみることができる。 そして、本件人身傷害条項では、人身傷害事故により被保険者が死亡した場合においても、精神的損害につき被保険者「本人」等が受けた精神的苦痛による損害とする旨の文言があり、逸失利益につき被保険者自身に生ずるものであることを前提とした算定方法が定められていることからすれば、死亡保険金により填補されるべき損害が、被保険者自身に生ずるものであることが前提にされているといえる。 以上のような本件人身傷害条項の文言、本件人身傷害条項の他の条項の文言や構造等に加え、保険契約者の通常の理解を踏まえると、本件人身傷害条項は、人身傷害事故により被保険者が死亡した場合を含め、被保険者に生じた損害を填補するための人身傷害保険金の請求権が、被保険者自身に発生する旨を定めているものと解すべきである。本件人身傷害条項中のただし書は、死亡保険金の請求権について、被保険者の相続財産に属することを前提として、通常は法定相続人が相続によりこれを取得することになる旨を注意的に規定したものにすぎないというべきである。 4 最高裁判決の判示から生ずる相続税における問題点 人身傷害補償保険に係る保険金に対する課税関係については、上記2の(注)の国税庁回答により、国税当局の見解が示されているところですが、最高裁判決の判示内容からは、次のような相続税等の課税上の疑問点を指摘することができます。これらの点について、今後、どのように考え方の整理されるのかが注目されます。 5 ご質問の場合 最高裁判決を踏まえれば、ご質問の人身傷害保険金2,000万円の請求権は、相続税法第3条第1項第1号に規定されるみなし相続財産ではなく、亡くなられたお父様の本来の相続財産として相続税が課税されることとなるのではないかとの疑問が生じます。 しかしながら、同様の保険金請求権が、相続財産なのか、あるいは相続人等が原始的に取得する相続人等の固有の財産なのかという点に関しては、従前より両方の学説があるところです(上記1の(注))。その点をも踏まえたうえで、課税上の疑義の生じることのないよう、相続税法は、被相続人の死亡に伴い相続人等が支払いを受ける保険金については、保険契約に基づいて保険金受取人である相続人等が原始取得したものであると整理し、みなし相続財産として課税する旨を定めたものと考えられます。 そうしますと、最高裁判決を契機に、今後、新たな規定又は取扱いが示されれば格別、現時点では、これまでどおりみなし相続財産として取り扱うことが相当であると考えられます。 したがって、あなたが支払いを受けた2,000万円の人身傷害保険金は、相続人であるあなたが相続により取得したものとみなして、非課税金額500万円を控除した残額(1,500万円)を相続税の課税対象とすればよいと考えます。 (了)