〈判例・裁決例からみた〉 国際税務Q&A 【第19回】 「恒久的施設の判定はどのように行われるのか」 公認会計士・税理士 霞 晴久 〔Q〕 非居住者又は外国法人が我が国で事業活動を行う場合の課税関係はどのように判断されるのでしょうか。 〔A〕 我が国国内法の規定及び我が国が締結する租税条約の規定に従い、非居住者又は外国法人が国内に有するとされる恒久的施設に帰属する所得に対し課税されます。 ●●●〔解説〕●●● 1 恒久的施設の意義 恒久的施設(Permanent Establishment。PEと略される)は、我が国所得税法及び法人税法では、非居住者又は外国法人の次の①から③に掲げるものをいうとされている(所法2八の四、法法2十二の十九)。 我が国は従前、事業所得について、非居住者又は外国法人が恒久的施設を有する場合、総合主義(恒久的施設がある場合は全ての国内源泉所得に課税)を採用していたが、平成26年度税制改正において当該恒久的施設に帰属する所得についてのみ課税する方式(帰属主義)に変更した(※1)。 (※1) ただし、我が国が諸外国と締結してきた租税条約では、従前から帰属主義に準拠していたため、上記改正は、両者の不一致を解消し、国際ルールに平仄を一致させたものといえる。 さらに、平成30年度税制改正では、BEPSプロジェクト及び2017年版OECDモデル租税条約の改定を受けて、恒久的施設認定の人為的回避の防止のため、従前より恒久的施設の範囲から除外されていた「準備的・補助的活動」(※2)について、以下の詳細な規定が置かれた(所令1の2⑤)。 (※2) 所得税法施行令1条の2第4項は、「準備的・補助的活動」について、次のように定めている。 ① 商品の保管、展示、又は引渡しのためにのみ施設を使用すること ② 商品の在庫を保管、展示、又は引渡しのためにのみ保有すること ③ 商品の在庫を他の者による加工のためにのみ保有すること ④ 事業のための商品の購入又は情報を収集するためにのみ一定の場所を保有すること ⑤ その他の活動のためにのみ一定の場所を保有すること ⑥ ①~④の活動とその他の活動を組み合わせた活動のためにのみ一定の場所を保有すること なお、恒久的施設は、我が国が締結する租税条約においても当然規定されているが、我が国税法と異なる定めが置かれているときは、その租税条約に定めるところに従うことになる(所法162①、法法139①)。 恒久的施設の該当性が争われた裁判例は少ないが、以下ではインターネット販売倉庫事件を取り上げる。 2 過去の裁判例 《インターネット販売倉庫事件》(※3) (※3) (第一審) 東京地裁平成27年5月28日判決 TAINS:Z265-12672 (控訴審) 東京高裁平成28年1月28日判決 TAINS:Z266-12789 (上告審) 最高裁平成29年4月14日第二小法廷判決(不受理) TAINS:Z267-13011 (1) 事案の概要 所得税法上の非居住者として、米国から本邦に輸入した自動車用品を、インターネットを通じて専ら日本国内の顧客に販売する事業を営んでいたX(原告・控訴人・上告人)が、処分行政庁から、事業の用に供していた日本国内のアパート及び倉庫(以下「本件アパート等」)は、日米租税条約5条の規定する「恒久的施設」に該当し、Xには本邦において所得税を納税すべき義務があるとして、所得税の決定処分等を受けたことに対し、本件アパート等は恒久的施設に該当せず、Xは本邦において所得税を納税すべき義務はないとして、本件各処分の取消しを求めた事案である。 (2) 租税条約の規定 日米租税条約5条1項は、「この条約の適用上、『恒久的施設』とは、事業を行う一定の場所であって企業がその事業の全部又は一部を行っている場所をいう」と規定し、同2項で「恒久的施設」の例示として(c)事務所や(e)作業場を挙げている。また同4項は、「1項から3項までの規定にかかわらず、『恒久的施設』には次のことは、含まないものとする」として、「(a)企業に属する物品又は商品の保管、展示又は引渡しのためにのみ施設を使用すること、〔中略〕(e)企業のためにその他の準備的又は補助的な性格の活動を行うことのみを目的として、事業を行う一定の場所を保有すること」を列挙している。 すなわち、日米租税条約によれば、専ら在庫の保有のみを行う施設等であるか、その活動が事業の主たる過程において準備的・補助的といえるものである場合には、恒久的施設と判定されることはないことになる。ちなみに、日米租税条約5条の文言は、OECDモデル租税条約と同一の規定振りとなっている。 (3) 裁判所の判断 Xは、米国から日本に輸入した自動車用品を本件アパート等で保管し、インターネットを通じて専ら日本国内の顧客に販売する事業を営んでいたことから、本件アパート等は日米租税条約5条4項の(a)又は(e)に該当すると主張したため、本件第一審の東京地裁は、「本件アパート等は、日米租税条約5条の規定する恒久的施設に該当するか否か」という争点につき、以下のように認定した。 ① 日米租税条約5条1項該当性について ② 日米租税条約5条4項各号該当性について ③ 小括 以上から、東京地裁は、本件アパート等は日米租税条約5条1項に規定する恒久的施設に該当すると判示した。本件は、Xにより控訴されたが、控訴審である東京高裁は、本件各処分はいずれも適法であるとして、Xの請求を棄却した。Xはさらにこの判断を不服とし上告したが、最高裁は上告不受理とした。 (4) その他の判示事項 Xはまた、OECDの検討チームが、2012年の報告書でOECDモデル租税条約5条4項(a)ないし(d)について、同項(e)の「準備的又は補助的な性格を有する活動」であることを要しないとの解釈を示しているとし、本件アパート等は「保管」「引渡し」のためにのみ使用されていたから日米租税条約5条4項(a)に該当し、「恒久的施設」に該当しないとも主張していたが、東京地裁は、2012年報告書が従来の解釈の変更を提案したからといって、本件各係争年における日米租税条約5条4項の解釈につき、2012年報告書に従わなければならないということはできないと判示した(なお、本件控訴審によれば、2016年時点ではこの提案はOECDモデル租税条約に反映されていないことが確認されている)。 ところで、本件の争点3(本件アパート等が恒久的施設に該当する場合において、日米租税条約7条に基づき課税できる所得の範囲は何処までか)について東京地裁は、「日米租税条約7条2項及び3項に基づき本件擬制企業(筆者注:恒久的施設のこと)に配分されるべき国内源泉所得を算定するに当たっては、本件アパート等が本件販売事業において担っている役割・機能を前提とすべきであるところ、本件アパート等は、〔中略〕本件販売事業における唯一の販売拠点(事業所)としての役割・機能を担っていたというべきである。したがって、日米租税条約7条2項及び3項に基づき本件擬制企業に配分されるべき国内源泉所得は、日本国内にある本件擬制企業が、本件アパート等を販売拠点(事業所)として事業活動(販売活動)をした場合において取得したとみられる利得であるというべきである」と判示している。 本件では、Xが帳簿書類の提出を拒絶した等の事情から、恒久的施設に配分されるべき所得金額を実額で計算することができないため、処分行政庁が、Xが日本の居住者であった平成16年分の所得率を使用して推計課税を行ったことの是非も争われたが、東京地裁は、平成16年分と本件各係争年分において、本件販売事業の基本的内容に変化がないことから、処分行政庁による推計の方法には合理性があるとした。 (了)
租税争訟レポート 【第61回】 「監査役に対する損害賠償請求訴訟~会計限定監査役の任務懈怠 (最高裁判所令和3年7月19日判決)」 税理士・公認不正検査士(CFE) 米澤 勝 【判決の概要】 【事案の概要】 本件は、株式会社である上告人が、その監査役であった被上告人に対し、被上告人がその任務を怠ったことにより、上告人の従業員による継続的な横領の発覚が遅れて損害が生じたと主張して、会社法423条1項に基づき、損害賠償を請求する事案である。 【判決の概要】 1 原審である東京高等裁判所が確定した事実関係 2 原審である東京高等裁判所の判断 原審である東京高等裁判所は、上記の事実関係に基づき、監査の範囲が会計に関するものに限定されている監査役(会計限定監査役)は、会計帳簿の内容が計算書類等に正しく反映されているかどうかを確認することを主たる任務とするものであり、計算書類等の監査において、会計帳簿が信頼性を欠くものであることが明らかであるなど特段の事情のない限り、計算書類等に表示された情報が会計帳簿の内容に合致していることを確認していれば、被上告人はその任務を怠ってはいないとして、上告人の請求を棄却した。 3 最高裁判所の判断 原審の判断について、最高裁判所は、次のように理由を述べて、裁判官全員一致の意見で、「原判決を破棄する」「本件を東京高等裁判所に差し戻す」という判決を出した。 最高裁判所は、まず、監査役の役割について、以下のように判示した。 その上で、監査役監査について、計算書類などが各事業年度に係る会計帳簿に基づき作成されるものであり、会計帳簿は取締役等の責任の下で正確に作成されるべきものであるとしても、監査役は、会計帳簿の内容が正確であることを当然の前提として計算書類等の監査を行ってよいものではなく、会計帳簿が信頼性を欠くものであることが明らかでなくとも、計算書類等が会社の財産及び損益の状況を全ての重要な点において適正に表示しているかどうかを確認するため、会計帳簿の作成状況等につき取締役等に報告を求め、又はその基礎資料を確かめるなどすべき場合があるというべきであると判示した。 さらに、会計限定監査役にも、取締役等に対して会計に関する報告を求め、会社の財産の状況等を調査する権限が与えられていることなどに照らせば、会計限定監査役についても、上記の監査役の責務が異なるものではないとし、会計限定監査役は、計算書類等の監査を行うに当たり、会計帳簿が信頼性を欠くものであることが明らかでない場合であっても、計算書類等に表示された情報が会計帳簿の内容に合致していることを確認しさえすれば、常にその任務を尽くしたといえるものではないと判示した。 最高裁判所は、こうした理由を述べた上で、被上告人はその任務を怠ってはいないとした原審の判断には、判決に影響を及ぼすことが明らかな法令の違反があることから、原判決は破棄を免れないとすると同時に、被上告人が任務を怠ったと認められるか否かについては、上告人における本件口座に係る預金の重要性の程度、その管理状況等の諸事情に照らして被上告人が適切な方法により監査を行ったといえるか否かにつき更に審理を尽くして判断する必要があり、また、任務を怠ったと認められる場合にはそのことと相当因果関係のある損害の有無等についても審理をする必要があるから、本件を原審に差し戻すこととするという結論を述べた。 4 草野耕一裁判官による補足意見 草野耕一裁判官は、差戻審が、被上告人が任務を怠ったか否かを検討するに当たっては、次の点に留意すべきと考えるという補足意見を述べている。 5 裁判所ホームページで公開されている「判示事項」と「裁判要旨」 裁判所ホームページでは、次のとおり、「判示事項」と「裁判要旨」が公開されている。 【解説】 従前では、下級審の判決であるものの、本件最高裁判決と類似の事案で、多数の判決では、会計限定監査役に任務懈怠があったとはいえないとする判断が示されてきていた。そうした点からすれば、本件最高裁判決は、会計限定監査役の任務懈怠を厳しく追及するものといえる。 とはいえ、原審では争点の1つとなっていた、会計限定監査役を狙い撃ちにした格好の損害賠償請求について、本件最高裁判決は一切触れておらず、差戻し控訴審が、原審の判断時に問題とした「信義則違反」「権利の濫用」といった争点に、改めてどのような判断を示すのか、注目されるところである。 1 本件最高裁判決に至るまでの過程(※1) (※1) 本項の記述は、TKCローライブラリー「新・判例解説Watch◆商法No.129 会計限定監査役の任務懈怠と会社に対する損害賠償責任」(明治大学教授/受川環大)を参考にしている。 (1) 第1審判決(千葉地方裁判所平成31年2月21日) 第1審被告(本件被上告人)の任務懈怠を認めて、横領金額5,763万円を限度として、第1審原告(本件上告人)の請求を認容した。 なお、第1審判決では、被告(本件被上告人)が、公認会計士及び税理士の資格を有していたことから、一般的な監査役の善管注意義務の水準よりも高い監査手法を採る義務があったと判示していた。 (2) 控訴審(原審)判決(東京高等裁判所令和元年8月21日) 控訴審である東京高等裁判所は、原判決を一部取り消す判断を示して、控訴人(本件上告人)の請求を棄却する判断を示した。 (3) 原審判決で問題になった信義則違反 原審は、控訴人(本件上告人)が、歴代の又は現在の取締役及び監査役に対する損害賠償請求をせずに、会計限定監査役であった被控訴人(本件被上告人)に対してのみ、損害賠償請求を行っていることについて、信義則違反、権利の濫用であると判示していた。 こうした争点については、本件最高裁判決は全く触れておらず、差戻し控訴審での判断が注目されるところである。 2 これまでの裁判所の判決例 本件最高裁判決と同様、公認会計士及び税理士の資格を有する会計限定監査役が、経理担当従業員の横領事件を発見できなかったことが任務懈怠に当たるとして、損害賠償を請求した事件の判決を参照したい。 【判決の概要】 (1) 事案の概要 本件は、原告が被告に対し、被告は、原告の顧問税理士・会計士として決算書の作成と申告代理業務だけでなく経営指導も委任し、特に平成6年以降は、原告代表者は経理担当従業員の不正の可能性を指摘したのであるから、その不正の発見に努めるべきであったものであり、また、少なくとも平成10年9月に原告の監査役に就任した以降は不正発見も職務上当然の業務内容であったのに、その委任事務を怠り、また監査役の義務に違反し、よって、経理担当従業員による横領行為を発生させたものであるから、本件不正行為によって生じた原告の損害を賠償すべきであるとして、その支払いを求めた事案である。 (2) 裁判所の判断 福岡地方裁判所は、それぞれの争点について、以下のように判示して、原告の主張を棄却する判決を言い渡した。 まず、(1)の「顧問契約の種類と業務内容」については、原告と被告との間の顧問契約は、平成6年8月から平成13年7月末までの間、税理士としての顧問契約を締結したものであり、その業務内容は税理士としての決算書の作成から申告税務代理までであったと認めるのが相当であり、被告の顧問契約における業務内容には経営指導はそもそも含まれておらず、経営指導や不正の発見等についての具体的な委任がなされたことを認めるに足りる証拠はなく、原告の主張は採用できない。 次いで、(2)の「被告の顧問契約に基づく責任」については、そもそも原告と被告との顧問契約が税理士としての決算書の作成から税務申告にとどまり、不正行為の摘発等は含まれていなかったこと、したがって、被告の顧問としての業務も税務資料作成に必要な限度でなされていたこと、被告の作業の実体は基本的に原告における経理担当者として実質的責任を任されていた経理担当従業員作成の資料を前提とする手順となっていたこと、経理担当従業員は不正行為が発覚しないように伝票や帳簿等を改ざんしていたこと等の諸事情を考慮すると、被告に税理士としての顧問契約に基づく債務の不履行があったとまで断定することはできない。 最後に、(3)の「監査役としての責任」については、被告は、平成10年9月1日に原告の監査役に就任したが、監査役としての報酬はゼロで、被告の立場は従前と特段の変更はなく、原告や原告代表者から就任に際して具体的な監査方針等についての依頼はなく、被告に対して、原告の経理における不正発見を職務上の義務として要望されたことはないことから、被告の監査役としての職務内容に経理関係における不正発見という任務が含まれていたと認めることはできず、被告が経理担当従業員による不正行為を発見できなかったとしても、それにつき監査役としての義務違反を理由とする損害賠償義務を認めることはできない。 (了)
〔中小企業のM&Aの成否を決める〕 対象企業の見方・見られ方 【第27回】 「「中小PMIガイドライン」を積極活用しよう」 ~その2:失敗事例から学ぶ②~ 公認会計士・税理士 荻窪 輝明 《今回の対象者別ポイント》 買い手企業 ⇒M&Aの目的や、PMIにかけられる経営資源等に応じて、「中小PMIガイドライン」の必要な取組を参照する。 売り手企業 ⇒M&Aの目的や、PMIにかけられる経営資源等に応じて、「中小PMIガイドライン」の必要な取組を参照する。 支援機関(第三者) ⇒支援先の企業が円滑に事業を引き継ぎ、M&Aの目的やシナジー効果等を実現するために必要な助言ができるように、「中小PMIガイドライン」を参照する。 その他の対象者 ⇒M&Aの目的や、PMIにかけられる経営資源等に応じて、「中小PMIガイドライン」の必要な取組を参照する。 〇 PMIに起因する失敗事例 前回は、2022年3月17日に中小企業庁が公表した「中小PMIガイドライン」の中から、PMIに起因する失敗事例のうち「経営統合」の領域に関する事例を取り上げ、対応上のポイントを紹介しました。今回も、前回に続いて本ガイドラインに掲載されている失敗事例を見ていきます。 (1) 「業務統合」に関する失敗事例 (注) 本ガイドラインには失敗例に対する取組例が示されていますが、本稿では割愛し、私見ですがこのような失敗を回避ないしは防ぐためのポイントを簡単に紹介します。以降の失敗例についても同様です。 ① 許認可事業に気を付ける いずれの失敗例も中小企業のM&Aではよくあるケースです。このうち、許認可については、支障があると統合後の事業継続に影響を及ぼします。 などの検討を怠らないのはもちろんですが、必要に応じて行政書士などの専門家をあらかじめ関与させた上で、手続きなどに漏れのないように備えておきましょう。 ② 売り手の業務の継続性を可能な限り確保する M&Aを行った場合に限らず、誰かが退職すると、一部の業務ができなくなる、滞る、遅くなるなどのケースは珍しくありません。 といった場合には、十分な引継ぎが期待できる一部のケースを除いては、M&A後の損失、喪失をある程度覚悟しなければなりません。業務・取引の一部や、一部の担当者による業務内容がこうしたケースに該当しないかどうかを確認しておきましょう。 また、確認した結果、M&A後に見積もられる最大損失ないしは喪失がどの程度に上るのか、可能であれば事前に試算をしておくとなおよしです。なぜならば、M&A後に、対象業務のキーパーソンが残る保証はないからです。 さらに、リスクを抑えることばかり考えるのでなく、リスクをなるべく低減するために対策できることとできないことを切り分けて、最大損失(喪失)を回避するために最低限何をしておくべきかの優先順位を考えるのがより賢明です。諦められる領域や分野を認識しておけば、M&A後に注力するべきことと、そうでないことがはっきりし、損失(喪失)を最小限に抑えることが可能になります。 ③ 役員に加えて従業員派遣を検討する 中小企業のM&Aでは、買い手も中小企業である場合が多く、M&Aに関わる買い手の人材が不足している可能性が高いので、実際には対応が難しいかもしれませんが、可能な限り、売り手に派遣する人員を増やすことで、売り手役員や従業員の退職に伴う事業引継ぎリスクを減らせる場合があります。 (2) 「信頼関係構築」に関する失敗事例① 本ガイドラインには、取組のポイントとして「譲渡側経営者へ敬意をもって接する」「譲渡側経営者の役割や在籍期間等についてM&A成立前に概ね合意しておく」とありますが、まさしくそのとおりです。 これらの失敗例から、M&Aが機械的に行われる金銭等を対価とした単なる取引ではないと学ぶことができます。売り手(譲渡側)の感情を置き去りにしてしまっては、M&Aを成功させられないでしょう。 ① 社外の取引先と接する気持ちで対応する 買い手からすれば、M&A後の売り手は別会社であっても同じグループの人たちですから、つい、社内の人材と思って接してしまったり、売り手に対して強い立場で上から接するのが当然と思い込んだりする方もいるかもしれませんが、それは決してあってはならないことです。 取引先や取引相手との信頼関係を長年にわたって大切にしながら構築していく過程と同様に、買い手と売り手との関係も徐々に醸成されていくもの(急に信頼を得られるはずがない)ですから、売り手の信頼を獲得するためには、買い手が自社(買い手自体)の経営をするよりも、更に大きなパワーを要するのが当然との認識が必要です。 ② 事がうまくいくかは売り手の経営者次第 良くも悪くも、売り手は売り手経営者(もしくは、多くの場合、売り手経営者の配偶者など特定の親族も含まれる)によって成り立っています。裏を返せば、売り手経営者やその配偶者などが納得しない限り、売り手自体も、売り手の従業員も動かないと思った方がよいくらいです。 たとえ、売り手の経営者が引退を予定していたとしても、売り手経営者を含めて大切なパートナーとして迎えるわけですから、ぞんざいな扱いをしてしまってはM&A後の経営に支障が出るのは当然です。ある意味で、新たな取引先と関係を構築するかのように、相手を尊重しながら接し続けることでしか信頼は獲得できません。 このように、信頼関係構築の業務領域についての失敗例を見ると、経営統合や業務統合に比べて「人」の要素が強く、相手あっての対応が必要な分、長年にわたる関係構築への努力が欠かせないほか、力の入れ具合も相当重要になってくるとわかります。 買い手は買い手の立場からしか物事を見ることができないかもしれませんが、「もし自分が売り手の立場だったら、買い手がどのような接し方であれば順応しやすいか」というように、相手の立場になって考えてみる、これが、案外成功への近道なのではないでしょうか。 * * * 次回もPMIに起因する失敗事例を取り上げながら対応のポイントを説明します。 (了)
不動産の電子契約化に関する改正ポイント 【第2回】 (最終回) 「電子契約の基礎知識と改正への対応」 司法書士法人F&Partners 司法書士 北詰 健太郎 司法書士 奥村 圭祐 【第1回】では、今回の改正の概要について解説を行った。【第2回】では、税理士が顧客から電子化への相談を受けた場合に適切な助言を行えるように、電子契約に関する一般的な解説と整えるべき体制等について解説を行う。 1 「電子契約」とは 「電子契約」の解釈には様々なものがあるが、一般的に契約内容を書面ではなく、パソコン等で作成した電子ファイルにまとめたものだと理解されている。 契約の成立自体は、法令による定めがない限り口頭でも成立する。契約書を作成する趣旨は、事後に紛争になった場合に備えて証拠とするためである。 2 「押印」と「電子署名」 契約書には、当事者が契約内容を理解したうえで締結したことを明らかにする趣旨で、記名押印を行うことが多い。裁判になった場合にも、当事者の記名押印がある場合には、契約書に証拠としての力を認める取扱いが、法律、判例等によりなされている(民事訴訟法第228条1項・4項、最判昭和39年5月12日判決)。 電子契約の場合、「押印」に代わる処置として「電子署名」を行うことになる。この「電子署名」の理解のされ方についても様々なものがある。クレジットカード決済などに際して、タブレット端末に署名を行うことを電子署名と理解している人もいれば、電子ファイルに印鑑の印影のイメージを貼り付けたものを電子署名と理解している人もいる。 これらの解釈も間違いとはいえないが、電子署名については「電子署名及び認証業務に関する法律」(電子署名法)において定義がなされている(電子署名法第2条)。簡単にいえば、電子契約書などの電子文書が「誰によって作成されたのか(本人性)」「改ざんされていないか(非改ざん性)」を技術的に確認できるものが、電子署名法における「電子署名」である。電子署名法の要件に該当する電子署名であれば、契約書に実印で押印をして印鑑証明書を添付したときと同様に、電子契約に強い効力を持たせることができる。 電子署名を行うためには、印鑑における印鑑証明書にあたる「電子証明書」を発行する認証局(認証事業者)に、予め電子証明書を発行してもらう必要がある。 3 電子契約の方式 電子契約には、電子署名の方法により大きく分けて以下の2つの方式がある。 (1) 当事者署名型 当事者署名型とは、契約の当事者が、自ら認証局から発行を受けた電子証明書に基づき電子署名を行う方式である。この方法には電子契約成立の事実を立証しやすいというメリットがあるが、当事者双方が電子証明書を取得しなければならず、コストと手間がかかるため現状ではあまり普及していない。 【当事者署名型】 (2) 立会人型 立会人型とは、契約当事者自身は電子署名を行わず、電子契約サービスの提供事業者が、電子契約の立会人として電子契約書に電子署名を行う方式である。契約当事者自身が電子証明書の発行を受けていない場合でも利用できる。利便性が高いため、現在様々なサービスが開発され、普及が進んでいる。 【立会人型】 4 今回の改正への対応 (1) 宅建業法の改正に関する部分について 本改正に対応した国土交通省令の公表にあわせて、重要事項説明書等を電磁的方法により提供する方法及び電磁的方法によることにつき、承諾を得る方法について、以下の表の通り具体例が明らかにされた。 (※) 国土交通省「重要事項説明書等の電磁的方法による提供及びITを活用した重要事項説明実施マニュアル」参照 これまで行われた社会実験等の動きを踏まえると、各種電子契約サービスを提供する事業者が、行政から示された情報をもとに、改正された宅建業法に対応したサービスを提供していくものと思われる。税理士としてもこれらの動きを注視しておく必要があるだろう。 (2) 借地借家法の改正に関する部分について 宅建業者のほか、個人オーナーにも影響がある借地借家法の改正については、電子契約への切り替えを検討したいところである。電子契約のメリットとしては印紙代が節約できることに加えて管理のしやすさがある。税理士としても、契約書の確認が必要な場合に、円滑に提供を受けられることにつながると考えられる。 現在、各種電子契約サービス事業者がサービスを提供しており、これらの事業者と連携を図っていくことも重要だといえるだろう。 (連載了)
空き家をめぐる法律問題 【事例39】 「所有者不明土地・建物管理制度を利用した所有権の取得方法」 弁護士 羽柴 研吾 - 事 例 - 当社は土地を集約するため一帯の土地の取得を進めていますが、その中に所有者の不明な空き家と土地があります。調査をしたところ、土地は株式会社Aの単独所有名義、建物は株式会社A、B、Cの共有名義(各共有持分1/3)で登記がされています。 B、Cは建物の売却に賛成していますが、株式会社Aの登記簿上の住所に本店や事務所はなく、代表者も行方不明のため売買契約を締結できずにいます。このような場合に、所有者不明土地や所有者不明建物管理制度を利用することはできますか。 1 所有者不明の土地・建物の管理制度と民法改正 所有者の不明な土地や建物(以下「所有者不明土地等」という)は、所有者による適切な管理を期待しにくいという問題だけでなく、実際に所有者と連絡をとることができないため、所有者不明土地等の取得を希望する者にとって大きな支障となることがある。このことは所有者不明土地等が共有となっており、一部の共有権者が不明な場合にも同様に当てはまる。 このような場合に、令和3年4月の改正で民法に規定された所有者不明土地管理制度や所有者不明建物管理制度を利用することも考えられる。改正された民法等は原則令和5年4月1日から施行されることになっている。なお、便宜上、改正前の民法を「改正前民法」と表記し、改正後の民法を「改正後民法」と表記する。 2 管理人選任の申立要件 改正民法は、所有者不明土地管理制度を改正後民法第264条の2から同法第264条の7に規定し、その多くを所有者不明建物管理制度に準用しているため(同法第264条の8)、その解釈には共通するものが多い。もっとも、両制度は別個のものであるから、土地と建物の両方に管理人を選任したい場合、個別に申し立てる必要がある。 所有者不明土地等の利害関係者は、所有者不明土地等の所有者を特定するために必要な調査を行い、調査を尽くしても確認できないような場合は、所有者不明土地等の管理人の選任申立てを行うことができる(改正後民法第264条の2、同法第264条の8)。所有者不明土地等が共有されており、一部の共有者が不明の場合にも、当該共有持分について同様の選任申立てを行うことができる(同条)。 ここでいう利害関係は法的な利害関係である必要がある。所有者不明土地等が適切に管理されていないことによって不利益を受けている者や受けるおそれがある者が含まれることに争いはないが、問題は、所有者不明土地等の取得を希望する者のように、申立時点において、具体的な権利義務関係を有しない者も利害関係者に含まれるかである。 売主の地位にある所有者不明土地等の所有者は、売買契約の申込みを受けても、これに応じる義務を負わないため、所有者不明土地等の取得を希望する者は、法的な利害関係を有しないとも考えられる(大分家審昭和49年12月26日家月27巻11号41頁。この事案では結論的には申立人が不在者に対して損害賠償義務を負う可能性があることを理由に利害関係が認められている)。 一方で、所有者不明土地管理制度等の趣旨は、不適切な管理状態を解消することにあり、この趣旨に反しないのであれば柔軟な解釈を採る余地はあるように思われる。現に、立法担当者において、「民間の購入希望者については、その購入計画に具体性があり、土地の利用に利害があるケースなどでは、利害関係人と認められる。」ことが示されており(松村秀樹=大谷太編著「Q&A令和3年改正民法・改正不登法・相続土地国庫帰属法」(2022年・きんざい)172頁)、不在者財産管理人の場合に比べて利害関係が広めに認められることもあるように思われる。 3 建物の取壊しと費用負担 (1) 建物の取壊しが認められる場合 所有者不明土地管理人と同様に、所有者不明建物管理人は、当該建物の保存行為や性質を変えない範囲内で利用又は改良を加える行為を行うことができる。また、家庭裁判所の許可を得れば、処分行為を行うこともできる(改正後民法第264条の8)。このように、所有者不明建物管理人の権限に処分行為が含まれていることから、家庭裁判所の許可を得れば建物を取り壊すことも可能である。 問題は、どのような場合に建物を取り壊せるかである。所有者不明建物管理制度の主たる目的は不適切な管理状態を解消することにあり、建物の取壊しは所有者に対する権利侵害の程度も大きいため、建物の取壊しが認められるのは例外的な場合に限定される。具体的には、「所有者の帰来・出現可能性のほか、建物の価値、建物の存立を前提とした場合の管理に要する費用と取壊しに要する費用の多寡、建物が周囲に与えている損害又はそのおそれの程度など」(前掲・松村=大谷195頁)を踏まえて判断されることになる。 (2) 建物の解体費用と負担者 建物の解体を予定して申立てをする場合、所有者不明建物管理人の申立人は、申立時点において、裁判所から解体費用相当額を予納金として納付することを求められると考えられる。また、建物を解体し、土地を更地で売却することが想定されているような場合には、予納金の納付に代えて、土地の売却代金を建物の解体費用に充てる方法も考えられる。 もっとも、所有者不明土地管理人は所有者に対して善管注意義務を負うため(改正後民法第264条の5)、土地の売却代金を別人が所有する建物の解体費用に充てることは善管注意義務違反となり得る。そのため、このような処理ができるのは土地と建物が同一の所有者であるような場合に限られると考えられる(この場合、裁判所によって土地と建物に同一の管理人が選任されることになる)。 4 本件について 所在調査の結果、株式会社Aの登記簿上の本店所在地に本店や事務所がなく、代表者も行方不明であることから、土地の所有権と建物の共有持分権を対象に、所有者不明土地管理人と所有者不明建物管理人の選任申立てをすることが考えられる。申立人には利害関係が求められるところ、B、Cから建物の売却の同意を得ているなど具体的に計画が進んでいる状況であれば利害関係が認められる可能性はある。 本件では土地を集約する目的があり、当初から建物を取り壊すことが想定されているため、申立前の時点において、株式会社Aの代表者の帰来の可能性、建物の経済的価値、建物の客観的状態や、維持費用と取壊費用の見積額等を事前に調査し、家庭裁判所から取壊しの許可を得られる見込みを検討しておく必要がある。 また、一般的には、所有者不明建物管理人の手続の一環として、申立時点で解体費用相当額を予納金として納付することを求められるが、土地の所有者と建物の共有持分権者が同一であることから、予納金の納付に代えて、土地と建物に関して同一の管理人が選任され、土地の売却代金から解体費用を支出させる方法が採られることもある。この事例においては、いずれの方法によっても申立人が実質的に解体費用を負担することになる。 (了)
事例で検証する 最新コンプライアンス問題 【第22回】 「電機メーカーでの品質不正 -過去の点検で不正を発見できなかったのはなぜか」 弁護士 原 正雄 M電機では、2016年、2017年、2018年と3度にわたり、グループ全体を対象に品質不正あぶり出しの点検を実施した。ところが、M電機は3度も点検をしていたにもかかわらず不正の全てを発見することができず、その後も多くの不正の発覚が続いている。 前回(第21回)は、なぜM電機で不正が起きたのか、その原因について検討した。本稿では、M電機が3度にわたる点検を実施したのに、なぜ不正を発見できなかったのか、その理由について検討したい。 以下、M電機が発見できなかった長崎製作所での不正を取り上げ、分析していく。 1 長崎製作所での品質試験の不正 長崎製作所では、以前から以下の不正を行っていた。 2 3度の点検と長崎製作所の対応 (1) 2016年度点検 ① 点検の経緯と内容 2016年4月、国内自動車メーカーによる軽自動車の燃費試験データ改ざんが発覚した。M電機の当時の社長は、同様の不適切行為がM電機にもないか確認するよう命じた。当時の社長は、経営者として正しく危機意識を有していた。 本社の品質保証推進部長が、事業本部や製作所等の品質保証推進責任者宛てに「データ不正操作のリスクに関する点検について」と題する依頼文書を発出した。同文書は、データ不正操作の発生リスクについて点検するよう指示するものであった。 ただ、同文書は、対象製品の選定方法や具体的な点検方法について定めていなかった。そのため、各事業本部や拠点が独自に点検を行うことになった。 ② 長崎製作所の対応 長崎製作所も、2016年度点検に取り組んだ。当時、設計課や品質管理課の課長らは、長崎製作所に上記不正があることを認識していた。しかし、冷房能力試験や防水試験の不実施については、是正には大規模な設備投資が必要で、生産スケジュールを維持するうえでも現実的ではなく、是正しようがない問題と考えていた。そのため、大事になることを恐れて問題として取り上げなかった。 また、その他の品質試験での不正については、JIS規格などと同等以上の試験を行っているので問題ない、と結論付けてしまった。 長崎製作所は、点検シートに「〇」(リスクなし)と記載した。M電機は、2016年度点検では長崎製作所の不正を発見することができなかった。 (2) 2017年度点検 ① 点検の経緯と内容 2017年、M電機が製造したエレベーターに国土交通大臣認定の仕様への不適合があること等が発見された。これは、2016年度点検を経ていたにもかかわらず、そこで発見できなかった不正であった。M電機の経営陣は、2016年度点検が不十分であったことを知り、再度の点検を命じた。 点検を指示する依頼文書は、2016年度点検と異なり、本社の品質保証推進部長に加え、経営企画室副室長も連名で発出された。また、法務・コンプライアンス部も関与することとされた。これは、点検の重要性を全社に伝えるためであった。 同文書には具体的な点検方法等が定められ、点検項目として以下も記載されていた。 これらは、長崎製作所で当時行われていた不正にも通じる項目であった。そのため、本来であれば、不正発見に資するはずあった。 ② 長崎製作所の対応 長崎製作所は、2017年度点検に取り組んだ。ところが、このときも設計課や品質管理課の課長らは、上記不正を取り上げなかった。冷房能力試験や防水試験の不実施については、是正しようがない問題であると考えたからとのことであった。その他の不正についても取り上げなかった。 当時の品質管理課の管理職は「JISに準拠した試験を実施できていないことについては当然思い至った。しかし、『品質には問題がない』、『言い出しにくい』という思いもあり、問題はないと回答した」と述べている。 長崎製作所は、報告書には「改善の余地」欄は全て「なし」又は「対象外」と記載した。品質不正の有無についても「なし」と記載した。M電機は、2017年度点検でも長崎製作所の不正を発見することができなかった。 (3) 2018年度点検 ① 点検の経緯と内容 2018年2月、M電機の完全子会社であるT社が製造していた産業機器用ゴム製品の一部に、契約仕様で定めた規格値への不適合があることが発見された。これは、2016年度点検と2017年度点検を経ていたにもかかわらず、発見できなかった不正であった。 T社では、それらの点検に際して技術部がこの不正を指摘したにもかかわらず、報告書を取りまとめた品質保証部長が当該不正の記載を削除してしまっていた。この事実に危機感を持ったM電機の経営陣は、改めて2018年度点検を実施することにした。 点検を指示する依頼文書は、2017年度点検よりも上位の役職である経営企画室長(担当役員)と生産システム本部長(担当役員)の連名で発出された。経営上の重大事項であり、不適切行為を出し切る最後の機会であるということを全社に伝えるためであった。 具体的な点検方法は、本社品質保証推進部の担当者が原案を作成し、社長も議論に加わって決定した。M電機の社長が経営者として強い危機感を有していたことが分かる。その結果、点検においては以下の内容の点検を実施することが決まった。 ② 長崎製作所の対応 (ア) 品質管理課からの報告 長崎製作所は、2018年度点検に取り組んだ。このとき、品質管理課は、上記①~⑤の問題の中から、以下の2つの問題を抽出した。 (イ) 課長らによる会議 関係各課の課長らは、車両空調システム部長へ説明する内容について会議を開催した。会議では、車両空調システム部長に報告するのが上記①と②だけでよいのかが議論された。 その結果、車両空調システム部長に対しては、上記①と②に加えて、念のため、以下の2つの問題も追加して説明することになった。 他方、⑤その他の複数の品質試験での不正は取り上げないこととなった。 (ウ) 課長らによる車両空調システム部長への説明 課長らは、車両空調システム部長に対して、以下の4つの問題を報告した。 報告を受けた車両空調システム部長は、課長らとの間で、上記4つの問題を長崎製作所長にそのまま報告する必要があるのかについて議論した。 課長らは「上記③と④は問題ないので報告不要」という結論に落ち着かせたいと考えていた。これに対して、車両空調システム部長は当初、上記③と④を報告から外すことについて躊躇を示した。しかし、課長の一人が事実に反して「仕様書には反していないので不正ではない」と主張した。情報システム部長は、最終的にはそれを受け入れ、上記③と④を報告から外すことを決めた。 (エ) 車両空調システム部長から製作所長への説明 上記議論での結論を受けて、車両空調システム部長は、長崎製作所長に対して、以下の2つのみを報告した。 (オ) 製作所長から社会システム事業本部への説明 報告を受けた長崎製作所長は、社会システム事業本部に対して上記①と②を報告した。 (カ) 社会システム事業本部の担当者から本部長への説明 上記①と②について報告を受けた社会システム事業本部の担当者らは、以下のとおり対応した。 まず、①設計変更の際の試験不実施については、問題視する必要はないと考え、本部長に報告しなかった。他方、②冷房能力試験での実測値ではない数値を記載していたことについては、本部長に報告した。ただし、不正ではないという意見を付したうえでのことであった。 (4) 3度にわたる点検についての小括 上述のとおり、長崎製作所には、以前から以下の①~⑤の問題があった。 ところが、2016年度点検と2017年度点検においては、課長らがこれらの不正を報告しなかった。 2018年度点検では、課長らは、一応は①~④について部長に報告を上げたものの、⑤については報告しなかった。しかも、課長らは、「部長レベルより上には①と②のみ報告すればよい」と強く主張した。その結果、最終的に本部長が報告を受けたのは②のみであった。しかも、不正ではないとの結論を付しての報告であった。 M電機では、経営陣が徹底した点検を命じても、現場の課長レベルで事実上情報が遮断されてしまっていたこと、さらにはそれより上のレベルでも情報が削ぎ落とされてしまったことが分かる。 3 原因と背景 上述のとおり、M電機では、3度にわたる点検にもかかわらず、経営陣に不正についての情報が上がってこなかった。その原因と背景について、以下検討する。 (1) ミドル・マネジメント(主に課長クラス)の脆弱性 長崎製作所の課長らは、2016年度点検と2017年度点検を経たにもかかわらず、品質不正を報告しなかった。2018年度点検では、課長らは、上記①と②の問題しか報告しなかった。 課長らには、経営陣の危機感や真剣度合いは伝わっていなかった。課長らは、品質不正を根絶するという経営陣の決意を共有できておらず、経営と現場をつなぐというミドル・マネジメントとしての役割も果たしていなかった。 当時の社長は、自らが関与した2018年度点検を振り返り「想定外だったのは、課長が不正を隠蔽したことである。当時は、M電機の課長にまでなった従業員が不正を隠蔽することはないだろうと思っていた」と述べる。 (2) 本部・コーポレートと現場との距離・断絶 課長らが問題を報告しなかった背景には、本部・コーポレートと情報共有することの意義を理解できていなかったという事情が存在する。 その結果、課長らは、本部・コーポレートが問題解決のために支援してくれるという実感を持てていなかった。現場の従業員が「総点検で(本部・コーポレートに)報告したところで、『報告ありがとう。それでは、あなたたちで改善してね』と言われるだけなので報告する意義がないと考えていた」などと述べているとおりである。 M電機は、事業分野に応じて事業本部を設置している。各事業本部は、大きく3つの部門に分かれる。製造を担う製作所、販売を担う販売事業部、そしてコーポレート(事業本部内の人事や経理、コンプライアンス等)を担う本部である。ただ、本部の人員は、20~30名程度であって、事業本部全体から見れば比較的小規模なため、製作所の課長らは「本部が現場を支援してくれる」とは考えていなかったようである。 (3) 「製作所・工場」あって「会社」なし 品質不正行為が長期間温存され、かつ過去3回の点検で抽出されなかった原因・背景をさらに深掘りすれば、製作所や工場といった単位で閉鎖的な組織が形成されているという事情がある。 M電機では、事業本部をまたぐ人事異動はほとんど行われていない。事業本部内の異動も、多くは最初に所属した製作所内、工場内で行われる。かつ、課長に就任するまでは、異動しても担当製品が変わらない。従業員は、長年にわたって同じ製作所・工場で勤務を続け、仲間を作る。その結果、従業員らは、長年勤務して仲間がいる製作所・工場に強い帰属意識を持つ。愛着を持つのも、担当製品が対象である。 M電機において、現場の従業員が帰属意識を持っているのは、M電機という「会社」ではなかった。「事業本部」でさえもなかった。帰属意識の対象は、「製作所・工場」であった。 M電機は、製作所や工場、さらに事業(製品)について、全て個別に損益を管理していた。損益が悪ければ、時には当該事業(製品)から撤退することもあった。従業員にとって、点検で正しい報告をすることは、自分が担当する事業(製品)の損益を悪化させ、自らが帰属して愛着を有する事業(製品)からの撤退を招きかねない行為であった。 2016年度以降実施された点検は「会社」を守るために行われた。しかし、「会社」に帰属意識を持たない従業員にとっては、それは自らが帰属する「製作所・工場」の安寧を乱す活動と受け止められた面もあったとのことである。 4 結論 以上のとおり、M電機では、3度にわたる点検にもかかわらず、現場から不正の報告が上がってこなかった。 その原因は、経営陣の認識が甘かったことにあるわけではない。経営陣は正しく危機感を持ち、強い決意をもって、不正についての点検を実施している。また、点検の方法が不十分だったわけでもない。2016年度点検では点検方法が曖昧だったという事情はあるものの、その後はかなり細かく点検項目を設定している。 M電機で現場から不正の報告が上がってこなかった主たる原因は、課長らが、経営と現場をつなぐというミドル・マネジメントとしての役割を果たしていなかったことであった。課長を始めとするミドル・マネジメント層は、品質不正を根絶するという経営陣の決意を共有できていなかった。 その背景には、本部・コーポレートが問題解決のための支援をしてくれるという信頼を得られていなかったという事情が存在する。また、課長らが帰属意識を持っているのは、M電機という「会社」ではなく、「製作所・工場」であったという事情も存在する。 ここで私たちが教訓とすることができるのは、以下の2点である。 まず、本部・コーポレート部門を充実させ、現場から頼りにされる組織にすることが必要である。頼りにされない本部・コーポレート部門には、報告が上がってこないからだ。 また、現場の従業員が「会社」に対する帰属意識を持てるようにする必要がある。そのための取組みの1つとして、部門をまたいだ人事ローテーションは有効である。また、研修や社内報、各種行事などを通じて「会社」という視点を持ってもらうよう工夫する。 こうした体制は一朝一夕に実現できることではない。コンプライアンスを確立するには、地道かつ堅実な一歩を重ねていく必要がある。 (了)
〈小説〉 『所得課税第三部門にて。』 【第57話】 「借入金利子の取得費算入の可否」 公認会計士・税理士 八ッ尾 順一 浅田調査官は、先ほどから受話器を握っている。 机の上には、最高裁平成4年7月14日判決(三輪田事件)のコピーが置かれている。 「・・・すみませんが・・・この前の税務調査とは、関係ないのですが・・・今度、自宅を売却するときの譲渡所得について、お聞きしたく・・・」 「・・・その借入金の利子は・・・取得費に算入することはできないのですが・・・」 浅田調査官は、机上の判決文を見ながら、答えている。電話の相手は、以前、浅田調査官が調査に行った納税者である。その税務調査は、納税者が修正申告をすることによって、既に終わっている。 納税者は、税務調査の時の対応と打って変わって、へりくだった言葉遣いである。 浅田調査官は、受話器を持ちながら、最高裁の判決文の一部を読み上げる。 「・・・このように、最高裁は、不動産の使用開始の日までの借入金利子については、所得税法38条1項の資産の取得に要した金額に該当するとしている・・・」 浅田調査官は、最高裁の判断をそのまま納税者に伝えたのである。 「・・・しかし・・・」 浅田調査官は、受話器を置いてから、しばし思案顔になる。 そのとき、中尾統括官が声をかける。 「何を深刻な顔をしている?」 いつの間にか、中尾統括官が浅田調査官の前に立っている。 「・・・」 浅田調査官は、黙って、最高裁の判決文を見せる。 「・・・この最高裁の考え方に基づいた・・・国税庁のタックスアンサー(No.3264 借入金の利子が取得費になるとき)があるだろう・・・」 中尾統括官が浅田調査官の顔を見る。 「そのタックスアンサーにも、最高裁の判断と同じことが述べられている」 中尾統括官は、浅田調査官に国税庁のホームページを開くようにと指示する。 「もっとも、このタックスアンサーは、最高裁の判断をそのまま記載しているだけなのだが・・・」 中尾統括官は、苦笑いをする。 「・・・しかし、私は、不動産を購入するために借入れをし、その借入金は、その資産を取得するために直接要したものですから、借入金にかかる利子は、所得税法38条1項の『その資産の取得費に要した金額』を構成するものと考えるのが妥当だと思うのですが・・・そして、借入金利子を支払うということは、担税力の減殺要素を構成し、他の所得の税負担との衡平を考慮すれば、キャピタルゲインから、当然、控除すべきなのでは・・・」 浅田調査官は、借入金利子について、いわゆる「積極説」を支持しているのである。 「ただ、最高裁は、不動産の使用開始後は、帰属利益が発生し、その利益と借入金の利子が対応することから、使用開始後の支払利息については、キャピタルゲインから控除しないという考え方(中間説)を取っている」 中尾統括官は、浅田調査官から罫紙を借りて、立ちながら、図を描く。 「・・・しかし・・・不動産を取得するために借入れをしなければならないという実質的な関連性があり、資産の取得のために合理的な必然性があれば、使用開始後の支払利息についても、未使用期間の借入金利子と同様に取得費として、認めてもよいと思う」 浅田調査官は、思案顔になる。 「・・・もっとも、その考え方と全く反対の使用開始の前後を問わず、借入金利子について、取得費として一切認めないという『消極説』もある・・・これについては、不動産の購入に要する支出に充てるための資金を他から借り入れたことによって支出するものであるから、不動産の購入との関係では、あくまでも間接的な支出に過ぎないと・・・」 中尾統括官の説明を聞きながら、浅田調査官は「・・・ということは、借入金利子は不動産を取得するために直接必要とした支出ではないということですか・・・」とつぶやく。 (つづく)
《速報解説》 JICPAが金商法監査における監査役等との 適時・適切なコミュニケーション実施の重要性について注意喚起 ~監査の最終段階でのコミュニケーション実施事項として経営者確認書の草案等を例示~ 公認会計士 阿部 光成 Ⅰ はじめに 2022年5月25日、日本公認会計士協会は、「金融商品取引法監査における監査役等とのコミュニケーション(監査の最終段階)について」を公表した。 これは、金融商品取引法監査における監査役等との適時かつ適切なコミュニケーションの実施の重要性について注意喚起するものである。 文中、意見に関する部分は、私見であることを申し添える。 Ⅱ 主な内容 会社法監査と共に同一の被監査会社に対して金融商品取引法監査を実施している場合、監査対象や監査報告日が異なるため、金融商品取引法監査に関する監査上の重要な発見事項(監査基準委員会報告書260「監査役等とのコミュニケーション」14項)についても監査役等とのコミュニケーションが必要となる。 金融商品取引法監査における監査の最終段階で監査役等へのコミュニケーションを実施する事項として、次のことが例示されている。 監査の最終段階としては、金融商品取引法の監査報告書の提出日前が考えられている。 また、次の事項に注意する。 (了)
2022年5月26日(木)AM10:30、 プロフェッションジャーナル No.471を公開! - ご 案 内 - プロフェッションジャーナルの解説記事は毎週木曜日(AM10:30)に公開し、《速報解説》は随時公開します。
谷口教授と学ぶ 税法基本判例 【第14回】 「要件事実論的解釈の意義と限界」 -消費税帳簿等不提示事件・最判平成16年12月20日判時1889号42頁を素材として- 大阪学院大学法学部教授 谷口 勢津夫 Ⅰ はじめに 第8回では、税法における目的論的解釈に関連して課税減免規定の限定解釈について検討し、目的論的解釈のいわば「外縁」において裁判官による法創造が厳格な要件の下で許容される余地があることを論じた(拙著『税法基本講義〔第7版〕』(弘文堂・2021年)【46】も参照)。 裁判官による法創造は、そもそも、文理解釈が納税者に対して著しく不当・不合理な結果をもたらす場合には、租税法律主義の内容を形成する司法的救済保障原則(前掲拙著【27】)によって要請されると考えるべきである(同【44】、拙著『税法創造論』(清文社・2022年)119頁以下[初出・2021年]参照)。 このように、裁判官による法創造は、租税法律主義の下でも、許容ないし要請される場合があると考えるところであるが、今回は、法解釈とりわけ民事実体法の解釈において創造的機能を発揮する要件事実論が、税法とりわけ課税要件法の解釈についても妥当するかどうか、妥当するとしてそこに限界はないのか、という問題を検討する(要件事実論の法創造機能(後記Ⅲ2参照)を租税回避否認規定に関して検討したものとして前掲拙著『税法創造論』332頁以下[初出・2016年]参照)。 この問題を検討するに当たって、素材として消費税帳簿等不提示事件に関する最判平成16年12月20日判時1889号42頁(以下「平成16年最判」という)を取り上げる。この事件では、消費税法(平成6年法律第109号による改正前)30条7項にいう「帳簿又は請求書等を保存しない場合」と同法(平成12年法律第26号による改正前)同項にいう「帳簿及び請求書等を保存しない場合」の「保存」(以下「帳簿等の『保存』」という)の意義が争点となったが、この争点については、下級審裁判例において判断が分かれていた。しかも、私法上の法律構成による否認論(谷口教授と学ぶ「税法の基礎理論」第8回、前掲拙著『税法基本講義』【73】以下参照)と並んで、要件事実論が税法の分野で本格的に議論されたところである(その議論について増井良啓「帳簿不提示と消費税の仕入税額控除」判評486号2頁(判時1676号164頁)、今村隆『課税訴訟における要件事実論〔3訂版〕』(日本租税研究協会・2022年)173頁等参照)。 Ⅱ 帳簿等の「保存」の意義に関する平成16年最判の解釈 1 多数意見の解釈 平成16年最判は、仕入税額控除の適用について、4日前に示された最判平成16年12月16日民集58巻9号2458頁(以下「別件平成16年最判」という)を参照して、次のとおり判示した(下線筆者)。 この判示によれば、帳簿等の「保存」とは、「法30条7項に規定する帳簿又は請求書等(・・・・・・)を整理し、これらを所定の期間及び場所において、法62条に基づく税務職員による検査に当たって適時に提示することが可能なように態勢を整えて」されている保存をいうことになる。この解釈は、別件平成16年最判の採用する解釈と同じものであり、「これを文脈から離れた『保存』の語の一般的な意味と比較すればその一部に限定して解釈していることになる」(髙世三郎「判解」最判解民事篇平成16年度(下)792頁、807頁)ことから、縮小解釈に属するものとみてよかろう。 このような縮小解釈は、次の2つの東京地裁判決すなわち①東京地判平成10年9月30日訟月46巻2号865頁(以下「平成10年東京地判」という)及び②東京地判平成11年3月30日訟月46巻2号899頁(以下「平成11年東京地判」という)が示した解釈(これと同じ解釈を採用した他の裁判例については髙世・前掲「判解」800-801頁参照)と基本的に同じものと解される(今村・前掲書178頁参照)。 2 滝井反対意見 別件平成16年最判は民集登載判例であるが、今回、民集に登載されていない平成16年最判を敢えて素材として検討することにしたのは、滝井繁男裁判官の反対意見(以下「滝井反対意見」という)に注目したからである。これは次のとおり述べている(下線・傍点筆者)。 滝井反対意見は、このように、多数意見の解釈(縮小解釈)それ自体に反対しているのではなく、その解釈が帳簿等の不提示をもって原則として(不提示に正当な理由がない場合に)「これを保存しなかったものと同視するに帰着する」ことに反対しているのである。このことは、滝井反対意見が多数意見の解釈を、筆者のいう「要件事実論的解釈」(課税要件法を、解釈によって、「立証責任の分配という視点」を踏まえた「裁判規範」すなわち裁判上の推論ルールとして再構成あるいは場合によっては「補正」しようとする見解に基づく解釈。前掲拙著『税法基本講義』【55】参照)の枠内で「要件事実論的縮小解釈」と理解していることを意味するものと解される。 滝井反対意見が説く、帳簿等の不提示と保存しなかったものとの「同視」論は、次の見解(三木義一「消費税仕入税額控除要件についての再論」北野弘久先生古稀記念論文集刊行会編『納税者権利論の展開』(勁草書房・2001年)559頁、570頁。下線筆者)が説く、要件事実の「すり替え」論と基本的に同じ問題意識に基づくものと解される。 なお、滝井反対意見について付言しておくと、同意見は、仕入税額控除を課税要件そのものとはみておらず、「消費税の制度の骨格をなすものであって、消費税額を算定する上での実体上の課税要件にも匹敵する本質的な要素とみるべきもの」と理解しているが、この理解は妥当である。というのも、課税要件は納税義務の成立要件であるところ、税額控除は、一般に、成立した納税義務の消滅原因の1つである免除のうち、納税義務の成立と連動する特殊な形態での免除であり、税法の体系上は、課税要件法の領域には属さないものの租税実体法の領域には属すると考えるべきものであるからである(前掲拙著『税法基本講義』【95】参照)。筆者も多数意見の解釈をこのような意味で「要件事実論的縮小解釈」とみて、以下の検討を行うことにする。 Ⅲ 要件事実論的解釈の限界 1 法30条7項の要件事実論的縮小解釈 ところで、法30条7項の要件事実論的縮小解釈について特に注目すべきは、平成11年東京地判である。この判決については、「租税法規の解釈論に対して、要件事実の観点から新風を吹き込むもの」(増井・前掲論文6頁)や「要件事実論を駆使した見事な判決」(今村・前掲書176頁)といった評価がみられるが、その先駆けとして、同じ裁判官(裁判長裁判官富越和厚・裁判官團藤丈士・裁判官水谷里枝子)による平成10年東京地判は、前記Ⅱ1の引用判示(①)に「そして」で続けて「この意味での保存の有無は課税処分の段階に限らず、不服審査又は訴訟の段階においても、主張、立証することが許されるものというべきである。」と判示した上で、次のとおり判示していた(下線筆者)。 ここでは、課税処分の段階では提示されていなかった帳簿等が訴訟の段階で提出されている場合でも、課税処分段階での帳簿等の提示拒否は「保存しない場合」に該当することを推認させる事情であると判断されているが、平成11年東京地判はこの判断を要件事実論の観点から更に精緻化し、次のとおり判示した(下線筆者)。 平成11年東京地判は、「租税関係法令を含め行政法規は行政手続を念頭において規定される結果、訴訟上の要件事実の分類を意識した表現が用いられていない場合もあるものと解される」と述べつつも、法30条7項については、上記の引用どおり、「『法律要件分類説の再生』ともいうべき画期的な判決」(今村・前掲書176頁)と評される判断を示したのである。 2 要件事実論の法創造機能の意味と問題性 平成16年最判(及びそこで参照されている別件平成16年最判)における「保存」の意義に関する解釈(縮小解釈)が、平成10年東京地判及び平成11年東京地判におけるそれと基本的に同じものであることについては既にⅡ1で述べたが、平成16年最判は、少なくとも判決文上は、平成10年東京地判及び平成11年東京地判とりわけ後者とは異なり、要件事実論的解釈について踏み込んだ判断を示していない。 ただ、既にⅡ2でみたように、滝井反対意見は多数意見の解釈(縮小解釈)に、「これ[=帳簿等の不提示]を保存しなかったものと同視するに帰着する」として反対しているが、その反対は、そのような要件事実論的縮小解釈が「法解釈の限界を超える」と考える立場に立脚するものと解される。滝井反対意見がそのような立場に立っていることは、次の説示(下線・傍点筆者)からも窺われる。 ここで述べられている立場は、法30条7項の解釈において要件事実論に一定の有用性を認めつつも(上記引用中の1つ目の下線部参照)、平成11年東京地判の要件事実論的縮小解釈(前記1の2つ目の囲み)を「法文上の根拠」なしに更に推し進めその法創造機能を過度に承認することは許されない、とするものであると解される。 そもそも、要件事実論は、民事実体法の解釈を通じて主張立証責任の観点から民事実体法を裁判規範(裁判上の推論ルール)として再構成する機能を有するが、「要件事実論が実体法の解釈学に影響を及ぼしたことも否定することができない。」(原田和徳「要件事実の機能-裁判官の視点から」伊藤滋夫編『民事要件事実講座 第1巻』(青林書院・2005年)70頁、87頁)のである。筆者は要件事実論のそのような機能を「要件事実論の法創造機能」と呼ぶことにしている(前掲拙著『税法創造論』332頁[初出・2016年]参照)。 課税要件法の要件事実論的解釈も同様の機能を有する。というのも、「実体法は、権利の体系として構成され、ある一定の事実関係があるときは、ある一定の法律的に意味のある効果が発生するという形で構成されている。」(原田・前掲論文79頁)ところ、課税要件法も、課税要件が租税法律の枠内ではあれ、民事実体法の法律要件と同じく、権利(租税債権)義務(租税債務)の成立要件であるという点で、民事実体法と同様に構成されているといえるからである(前掲拙著『税法基本講義』【54】参照)。 要件事実論の法創造機能は、民事実体法について裁判規範(裁判上の推論ルール)の定立(創造)だけにとどまらず、その裁判規範が実体法に「投影」されて実体法を「創造」したのと同じ結果に帰着することをも含むものである。課税要件法の要件事実論的解釈も同様の機能を有するが、この機能は、租税法律主義の下での厳格な解釈の要請に反し許容されない(前掲拙著『税法創造論』355頁[初出・2016年]参照)。滝井反対意見が多数意見に対して「これ[=帳簿等の不提示]を保存しなかったものと同視するに帰着する」と述べるのは、まさに要件事実論的縮小解釈の実体法創造機能を問題にするものと解される。 この点に関する滝井反対意見の問題意識は、別件平成16年最判に関する調査官解説(髙世・前掲「判解」)から読み取ることができるように思われる。同調査官解説は、帳簿等の「保存」の意義について別件平成16年最判の解釈(すなわち平成16年最判の多数意見の解釈)を示し(髙世・前掲「判解」804頁)、その上で次のとおり述べている(805頁。下線・傍点筆者)。 滝井反対意見は、前述のとおり、多数意見の解釈(縮小解釈)に、「これ[=帳簿等の不提示]を保存しなかったものと同視するに帰着する」として反対し、そのような要件事実論的縮小解釈は「法解釈の限界を超える」と述べているが、そこで説いている、帳簿等の不提示と保存しなかったものとの「同視」論は、上記調査官解説が説いている、法30条7項の命題と法58条の命題との「対偶」論を多数意見が前提にしているとの理解に基づくものであると解される。 もしそのような「対偶」論が純粋に論理則に従って何らの前提なしに成り立つ考え方であれば、滝井反対意見の「同視」論は多数意見に対する反対の論拠としては妥当でないことになろうが、しかし、前記調査官解説の説く「対偶」論は、純粋に論理則に従って何らの前提なしに成り立つ考え方ではなく、次の引用(髙世・前掲「判解」806頁。下線・傍点筆者)にみられるような現行税法に内在する一定の価値判断を前提とする考え方である。 つまり、前記調査官解説の説く「対偶」論は、法30条7項にいう「保存しない場合」を「申告納税制度の趣旨、仕組み、法62条、68条1項の各規定」の中に「的確に位置付けて解釈する」ことにより得られる「法58条の場合と同様」の「前提」の下でのみ、成り立つ考え方であると解される。 そうすると、前記調査官解説の説く「対偶」論は、別件平成16年最判の解釈(すなわち平成16年最判の多数意見の解釈)の法的根拠を「申告納税制度の趣旨、仕組み、法62条、68条1項の各規定」の中に見出していることになろうが、滝井反対意見は、その法的根拠が文言による表現に匹敵するほどの明確性をもって一般に認識可能であるとはいえず、したがって、それを「法文上の根拠」とは認めなかったが故に、そのような解釈に対して「法解釈の限界を超える」として反対したものと解される。 要するに、滝井反対意見は、要件事実論的縮小解釈の実体法創造機能に対して「法解釈の限界」を明確に示し歯止めをかけたものとして、租税法律主義の下で高く評価すべきものであるといえよう。 Ⅳ おわりに 今回は、消費税帳簿等不提示事件に関する平成16年最判を素材にして、特に多数意見と滝井反対意見とを対比しながら、法30条7項にいう「保存」の意義に関する要件事実論的縮小解釈の限界を検討した。 一般に、「要件事実論は、必然的に論理的かつ緻密な検討を要する」(原田・前掲論文86頁)と説かれるが、平成16年最判の要件事実論的縮小解釈も、これが法30条7項の命題と法58条の命題との「対偶」論を前提にしていると解する場合には、一見すると、論理則に従った緻密な解釈であるかのように思われる。 ただ、論理解釈が「解釈の対象たる法規の体系的連関を考慮しながら行われる解釈」(田中成明『現代法理学』(有斐閣・2011年)467頁)であり(その意味で体系的解釈ともいわれる)、「法規相互の体系的連関は、究極的には目的論的判断によって確定されなければならないことが多い」(同467-468頁)といわれるように、上記の「対偶」論を前提とするという意味での一種の論理解釈も、純粋に論理則に従った解釈ではなく、前記の「申告納税制度の趣旨、仕組み、法62条、68条1項の各規定」の体系的連関を確定する目的論的判断を基準にして行われる解釈であると考えられる。 そうすると、平成16年最判の要件事実論的縮小解釈は、一種の目的論的解釈であるが、その基準となるべき目的論的判断が文言による表現に匹敵するほどの明確性をもって一般に認識可能であるとはいえない以上、「法解釈の限界」を超え法創造の領域に踏み込んだものと考えざるを得ない。滝井反対意見は、正当にも、このことを明らかにし、租税法律主義の下での厳格解釈を説くものとして高く評価すべきものである。 なお、滝井反対意見に対するこのような評価は、別件平成16年最判に関する前記調査官解説も認めざるを得なかったようであるが(髙世・前掲「判解」806頁参照)、それでも、同解説は、下記のとおり述べ(同807頁。下線筆者)、国民の予測可能性・法的安定性の確保の有無について検討した上で、別件平成16年最判の解釈(縮小解釈)が「国民にとって不意打ちになるとは考え難い」(同808頁)、「租税法律主義に反するものではない」(同)と述べている。 しかし、これは「強弁」ともいうべき言説である。「そのような解釈が国民にとって不意打ちになるかどうか」を租税法律主義の観点から判断する場合、税法の枠内で申告納税制度や記帳義務等に関する国民の認知・理解の状況を問題にするだけならまだしも、なぜ、私的取引等の局面における国民の経験・取引観念に照らし、さらには国民の法感覚・法感情にまで訴えて検討する必要があるのか、理解し難いところである。 敢えてその理由を推測すれば、前記調査官解説は法30条7項の命題と法58条の命題との「対偶」論に拘泥しすぎたが故に、「論理則のワナ」ともいうべき思考の隘路から抜け出せなくなり、「強弁」を重ねたのではないかと思われる。確かに、対偶は論理学の命題の1つではあるが、しかし、前記調査官解説の説く「対偶」論は、純粋に論理則に従って何らの前提なしに成り立つ考え方ではなく、前記の「申告納税制度の趣旨、仕組み、法62条、68条1項の各規定」の体系的連関及びそこに含まれる価値判断を前提にして初めて成り立つ考え方であることは、既にみたように、同解説自体も認めているところである。ただ、同解説はそのことを正面から認めたわけではなく、あくまでも「対偶」論を前提とし、もって論理則に従った解釈をいわば「装う」ことに拘ったが故に、思考の隘路に陥ったのではないかと思われるのである。 同様の問題は、税法の分野で要件事実論が本格的に議論された、私法上の法律構成による否認論の場面(前記Ⅰ参照)でも、みられる。私法上の法律構成による否認論は、経験則の中に租税回避目的を混入させ(租税回避目的混入論。これについては拙著『租税回避論』(清文社・2014年)39-43頁[初出・2004年]参照)、もって租税回避目的という経済的な動機・意図を重視した(経済的)実質主義的事実認定を行いながらも、経験則に従った事実認定を「装う」ことで租税法律主義との抵触を回避しようとするものである。この点について筆者は次のとおり説いてきたところである(前掲拙著『税法基本講義』【74】。下線筆者。同『租税回避論』129頁[初出・2005年]も同旨)。 このように、私法上の法律構成による否認論も、純粋に経験則に従って何らの前提なしに成り立つ考え方ではなく、上記のような一定の価値判断を前提にして初めて成り立つ考え方であると考えられるが、そうではなく純粋に経験則に基づく推論を「装う」が故に、経験則の中に租税回避目的に対する一定の価値判断を混入させる租税回避目的混入論という思考の隘路に陥ったのではないかと思われる。ここに「経験則のワナ」が看取される。 いずれにせよ、要件事実論は、以上で明らかにしてきた「論理則のワナ」や「経験則のワナ」に囚われる危険性を孕むものである以上、税法の解釈適用から解釈適用者の価値判断を極力排除し、もって法律に基づく課税を貫徹しようとする租税法律主義の支配する税法の分野では、慎重に用いることが強く要請されると考えるところである。 (了)