令和5年分 確定申告実務の留意点 【第1回】 「令和5年分の申告から適用される改正事項」 公認会計士・税理士 篠藤 敦子 -はじめに- 令和5年分の確定申告の受付は、令和6年2月16日(金)から3月15日(金)まで行われる。還付申告は、令和6年2月15日(木)以前でも行うことができる。 なお、e-Taxを利用する場合は、令和6年1月4日(木)から3月15日(金)の間であれば、メンテナンス時間(3月11日を除く毎週月曜日午前0時~午前8時30分を予定)を除き、24時間(※1)申告書を送信することが可能である。 (※1) 1月4日(木)は8時30分から、3月15日(金)は24時まで 今回から3回シリーズで、令和5年分の確定申告に係る実務上の留意点を解説する。 第1回は、令和5年分の確定申告から変更となる次の事項を取り上げる。 なお、確定申告に係る下記の拙稿も併せてご参照いただきたい。 (注) 上記の記事については、掲載後の税制改正等により、解説内容が現在の規定に基づくものとは異なるケースがある。過年度の記事内に順次コメントを入れるので留意していただきたい。 【1】 控除対象となる国外居住親族の範囲の見直し 令和2年度税制改正により、令和5年分の所得税から扶養控除の対象となる国外居住親族の範囲の見直しが行われた。 見直しの詳細については、下記拙稿をご参照いただきたい。 扶養親族が国外居住親族である場合には、確定申告書第二表「配偶者や親族に関する事項」の「国外居住」欄の「 」に、国外居住親族の区分に応じて該当する数字(下記《表1》参照)を記入する。 なお、扶養親族が国外居住親族に該当し、年末調整において扶養控除又は障害者控除の適用を受けている場合には、「年調」に〇をつける。 《表1》 (注1) 「5」に該当する場合は、扶養控除の適用外である。 (注2) ①及び②の両方、②及び③の両方又は①~③のすべてに該当する場合は「3」を記入する。 (注3) ②に該当せず、①及び③の両方に該当する場合には、添付又は提示する書類が「留学ビザ等書類」であれば「2」を、「38万円送金書類」であれば「4」を記入する。 国外居住親族について確定申告で扶養控除の適用を受けるには、「親族関係書類」、「送金関係書類」(※2)を添付又は提示する必要がある(所法120③三)。 (※2) 「 」に「2」を記入した場合には「留学ビザ等書類」、「4」を記入した場合には「38万円送金書類」を添付又は提示する。外国語で作成されている書類の場合には、その翻訳文も必要である。 ただし、給与所得者や公的年金等の受給者が、源泉徴収又は年末調整の際に源泉徴収義務者に対して提出又は提示した書類については、確定申告書に添付又は提示する必要はない。 【2】 申告の利便性の向上 令和5年分の確定申告から、国税庁の確定申告書等作成コーナーにおいて、以下のサービスが開始される(令和6年1月上旬予定)。 ◎マイナポータル連携の範囲の拡大 令和5年分の確定申告からマイナポータル連携(※3)の対象に、「給与所得の源泉徴収票」、「国民年金基金掛金の控除証明書」、「小規模企業共済等掛金控除証明書(小規模企業共済掛金と個人型確定拠出年金掛金(iDeCo)に限定)」が加わる。 (※3) マイナポータル連携:マイナポータル経由で控除証明書等の必要書類のデータを一括取得し、各種申告書の該当項目へ自動入力する機能 ただし、「給与所得の源泉徴収票」については、給与等の支払者(勤務先)が税務署にe-Taxで源泉徴収票(マイナンバー、氏名(カナを含む)、住所、生年月日等の情報が漏れなく正しく入力されているもの)を提出している(※4)必要がある。 また、控除証明書については、証明書の発行主体がマイナポータル連携に対応している(※5)ことが前提となる。 (※4) 「給与所得の源泉徴収票」は、一定の提出基準を満たしたもののみ税務署に提出することとされている。なお、提出基準に該当しないものをe-Taxで税務署に提出している場合には、それもマイナポータル連携の対象となる。 (※5) マイナポータル連携に対応している発行主体は、国税庁の「マイナポータル連携可能な控除証明書等発行主体一覧」で確認することができる。 令和5年分の確定申告において、マイナポータル連携の対象となる控除証明書等をまとめると次のとおりとなる。 (注) が令和5年分の確定申告から対象となるもの。 なお、マイナポータル連携を行うには、事前の準備が必要となる。事前の準備については、下記の国税庁ホームページを参考にされたい。 【3】 その他 その他、令和5年から適用される改正事項として次のようなものがある。 (1) 特定非常災害の指定を受けた災害により生じた損失に係る純損失の繰越控除及び雑損失の繰越控除の特例の創設 (2) 給与所得者の特定支出控除の特例の改正(キャリアコンサルタントによる証明制度) (了)
相続空き家の特例 [一問一答] 【第48回】 (最終回) 「家屋の取壊し前の売買契約日を収入時期として申告した場合」 -家屋の取壊し時期と譲渡所得の収入すべき時期との関係- (令和6年(2024年)1月1日以後の譲渡) 税理士 大久保 昭佳 Q Xは、昨年2月に死亡した父親の家屋(昭和56年5月31日以前に建築)とその敷地を相続により取得した後に、買主側の希望によって敷地のみを売買対象として、家屋は売主側の責任で取り壊し、譲渡することとなりました。 売買契約を締結したのは昨年の10月で、本年の1月にその家屋を取り壊し、同年の2月にその敷地を引き渡しました。 相続の開始の直前までは父親がその家屋に1人暮らしをし、取壊し時までは空き家で、その敷地も相続の時から譲渡の時まで未利用の土地でした。 譲渡所得に係る申告に当たっては、売買契約日(契約日基準)である昨年分の収入として申告しようと考えています。 この場合、Xは、「相続空き家の特例(措法35③)」の適用を受けることができるでしょうか。 A 令和6年1月1日以後に行う譲渡であれば、売買契約の効力の発生の日を譲渡の日(契約日基準)として申告する場合であっても、その譲渡の時からその譲渡の日の属する年の翌年2月15日までの間に被相続人居住用家屋の取壊し等が行われていることから、「相続空き家の特例」の適用を受けることができます。 ●○●○解説○●○● 「令和5年度税制改正」前においては、「相続空き家の特例」の対象となる被相続人居住用家屋の全部の取壊し若しくは除却をした後又はその全部が滅失をした後に、被相続人居住用家屋の敷地を譲渡した場合には、この特例を受けることができることとされ、その譲渡の時までにその家屋が取り壊されていることが要件の1つとされていました。 この譲渡の時とは、原則として、資産の引渡しがあった日(引渡日基準)によりますが、売買契約の効力発生の日を譲渡の日(契約日基準)として申告しても差し支えないこととされています(所基通36-12)。 したがって、当該改正前は、本事例の場合のように「引渡日基準」によらず「契約日基準」により売買契約締結日の昨年10月を譲渡の時として申告している場合は、その譲渡の時まで家屋を取り壊していないことから、この特例を受けることができませんでした(【第34回】を参照)。 しかし、その被相続人居住用家屋を相続した相続人が高齢者である場合やその被相続人居住用家屋の所在地から遠隔地に居住している場合等においては、その譲渡の時までに上記の要件を満たす工事を行うことが負担となり、結果としてその被相続人居住用家屋が空き家のまま放置されるケースが考えられます。そのようなケースにおける負担を解消し、相続により取得した利用目的のない被相続人居住用家屋の譲渡を促すために改正が行われ、令和6年(2024年)1月1日からの譲渡については、その譲渡の時からその譲渡の属する年の翌年2月15日までの間に、その家屋が耐震基準に適合することとなった場合、又は、全部を取壊し若しくは除却・滅失をした場合は、特例の適用が受けられるようになりました。 本事例の場合は、その家屋の取壊し後の引渡し日(引渡日基準)によらず、取壊し前の売買契約日の昨年10月(契約日基準)を譲渡の時として申告しているものの、その譲渡の時からその譲渡の日の属する年の翌年2月15日までの間にその家屋の取壊しが行われていることから、「相続空き家の特例」の適用を受けることができます。 (連載了)
暗号資産(トークン)・NFTをめぐる税務 【第33回】 東洋大学法学部准教授 泉 絢也 5 マイニング所得と雑所得 マイニングに係る所得が、事業所得ではなく、雑所得に該当するとされた国税不服審判所令和4年1月7日裁決(裁決事例集未登載)について、国税不服審判所ホームページの裁決要旨を参考にしつつ、判断内容を確認する。 〈裁決要旨〉 (1) マイニングとは 暗号資産の基盤技術であるブロックチェーンのように、中央に台帳を管理する者がいない分散型台帳の場合、ネットワークの参加者が、新規のトランザクション(取引)について、不正や二重払いがないかなど、その正当性を検証・承認して、台帳にデータを追加する作業を行います。このような作業をマイニングという。 マイニングを行うマイナーは、マイニングを行う機械(マイニングマシン)を使ってマイニングを行い、報酬として、新規に発行された暗号資産を得たり、トランザクションを行ったユーザーから取引手数料を得たりする。 単独で行うソロマイニング、複数のマイナーが協力して行うプールマイニング(マイニングプール)などがある。大規模なマイニング施設はマイニングファームと呼ばれる。 暗号資産の中には、マイニング報酬が半減する時期(半減期)を設定し、インフレや価格下落の対策を行っているものがある。 (2) 事案の概要 投資コンサルタント会社の役員である請求人(納税者)が、個人として行っているアフィリエイト、リース、レンタル及びマイニングに係る各所得を事業所得として確定申告をした。 請求人は、原処分庁(課税庁)の調査を受け、その結果について、リース、レンタル及びマイニングに係る各所得については雑所得となる旨の説明を受けた。 その直後に、請求人は修正申告を行った。その内容は、上記原処分庁の説明の内容と異なり、アフィリエイトに係る所得のみを雑所得とし、アフィリエイトに係る接待交際費の一部を必要経費不算入とするものだった。 これに対して、原処分庁は、次の処分を行った。 請求人は、上記①の処分の一部の取消し、上記②の処分の全部の取消しを求めて、国税不服審判所に審査請求を行った。 この事案の争点は複数あるが、以下、マイニングに関するものだけを取り上げる。 (3) 基礎事実(請求人による仮想通貨のマイニングについて) 請求人は、経済産業大臣から、マイニングマシンを中小企業等経営強化法13条3項に規定する経営力向上設備等とする投資計画が同法施行規則8条1項2号及び同条2項2号の要件を満たすことの確認を受け、同月14日付で、当該マイニングマシンを経営力向上設備等とする経営力向上計画について、同法13条1項の規定に基づく認定を受けた。 請求人は、平成30年12月27日、N社(マイニングマシンの販売元の会社)からマイニングマシン100台を合計で税込38,880,000円(1台当たり税込388,800円)で取得した(以下、請求人が取得したマイニングマシンを併せて「本件マイニングマシン」という)。そして、同日、仮想通貨のマイニング業務を同社へ委託する契約を締結し、これにより収益を得るようになった(以下「本件マイニング」という)。 (4) 当事者の主張と争点 (※) その特定経営力向上設備等の取得価額から普通償却額を控除した金額に相当する金額の特別償却(即時償却)と取得価額の10%相当額の税額控除(一定の限度額あり)との選択適用ができる税制措置。ただし、令和5年度税制改正により、特定経営力向上設備等の対象からコインランドリー業又は暗号資産マイニング業(主要な事業であるものを除く)の用に供する設備等でその管理のおおむね全部を他の者に委託するものが除外されている(中小企業等経営強化法施行規則16②)。 (5) 審判所の判断 ア 審判所の判断枠組み 国税不服審判所令和4年1月7日裁決は、「ある経済的行為が『対価を得て継続的に行なう事業』によるものといえる場合、当該行為から生ずる所得は事業所得に該当する(所得税法第27条第1項、所得税法施行令第63条第12号)」とした上で、事業所得と雑所得を区別する判断基準について、次のように述べている。 また、本裁決は、このような業務から生ずる所得であっても事業所得に該当せず雑所得に該当する場合がありうるところ、当該所得が事業所得と雑所得のいずれに該当するかの判断においては、所得税法が、租税負担の公平を図るため、所得を上記のように分類し、その種類に応じた課税を定めている趣旨、目的に照らし、次の事情を総合考慮して、当該業務が事業というべきものか否かを客観的、実質的に判断すべきであるとしている。 イ 結論と理由 本裁決は、本件マイニングに係る所得は雑所得に該当する、と結論付けた。 本裁決は、本件マイニングに係る所得は、「対価を得て継続的に行なう事業」とはいえず、このような業務から生じる所得は事業所得に該当せず、かつ、事業所得以外の他のいずれの所得にも該当しないから、雑所得になると判断している。 なぜ、「対価を得て継続的に行なう事業」とはいえないと判断したのだろうか。 この点について、審判所は、次の①~③を考慮したうえで、次のとおり述べている。 個人が、マイニングによる節税効果を宣伝する事業者からマイニングマシンを購入したうえで、その運営や判断をその事業者等に委託している場合のそのマイニングに係る所得については、本裁決と同様に雑所得に該当するという判断がなされる可能性が高そうである。 なお、所得税法施行令63条12号は事業の範囲に「対価を得て継続的に行なう事業」を含めているところ、マイニング報酬がそもそも所得税法施行令63条12号でいう「対価」に該当するのかという点について、裁決では詳しい検討はなされていない。 (了)
「税理士損害賠償請求」 頻出事例に見る 原因・予防策のポイント 【事例129(法人税)】 税理士 齋藤 和助 《基礎知識》 ◆給与等の支給額が増加した場合の法人税額の特別控除(中小企業者等の特例)(措法42の12の5②) 中小企業者等が、平成30年4月1日から令和6年3月31日までの間に開始する各事業年度において国内雇用者に対して給与等を支給する場合において、その事業年度においてその中小企業者等の雇用者給与等支給額からその比較雇用者給与等支給額を控除した金額のその比較雇用者給与等支給額に対する割合が1.5%以上であるときは、その事業年度の控除対象雇用者給与等支給増加額の15%相当額の法人税額の特別控除が受けられる。ただし、法人税額の20%相当額が限度となる。 ◆雇用者給与等支給額(措法42の12の5③九) 法人の適用年度の所得の金額の計算上損金の額に算入される国内雇用者に対する給与等の支給額をいう。 ◆資産の取得価額に算入された給与等(措通42の12の5-4) 「所得拡大促進税制」における「給与等の支給額」は、当該事業年度の所得の金額の計算上損金の額に算入されるものが対象になる(発生ベース)のであるが、例えば、自己の製造等に係る棚卸資産の取得価額に算入された給与等の額や自己の製作に係るソフトウエアの取得価額に算入された給与等の額について、法人が継続してその給与等を支給した日の属する事業年度の「給与等の支給額」に含めて計算する(支給ベース)こととしている場合には、その計算を認める。 (了)
〈一角塾〉 図解で読み解く国際租税判例 【第34回】 「移転価格税制と住民訴訟(地判平7.3.6、高判平8.3.28)(その3)」 ~旧日米租税条約11条、25条1項、租税条約実施特例法7条、8条、国税通則法23条2項3号、同施行令6条1項4号~ 税理士 中野 洋 9 検討 (1) 本件日米合意の租税条約適合性 ◎適合しない課税の対象について(「条約」か「規定」か) 第一審判決では、「条約に適合しない課税」については、特に判示することもなく、前記6(1)②の判示のとおり、同条約における経済的二重課税に対して相互協議の申立てを行うことができるとした。 控訴審判決では、租税条約の「目的」や「常識」という概念により広く解し、「移転価格の調整によって生ずる経済的二重課税は、少なくとも租税条約の精神に反する」というOECD租税委員会の見解を根拠とした。 第一審、控訴審ともに、どの条項に適合しない課税をいうのかについて、具体的な判示をしておらず、これらの考え方によると、条約の目的や精神から経済的二重課税があれば、日米条約25条1項にいう「この条約に適合しない課税」ということになりかねない。では、その場合には寄附金による二重課税はどうなるのか。寄附金課税が国内立法であることから、寄附金課税を直接禁止する条項が租税条約に存在せず、特殊関連企業条項に違反しているわけではない点などから、相互協議の対象にはならないと考えられている(※13)。しかしながら、締約国間の経済的二重課税と広く解した場合には、相互協議の対象になると解さざるを得なくなる。 (※13) 国際税務研究グループ前掲(※12)書258頁。 そこで、経済的二重課税といった基準によって広く解釈するのではなく、具体的にどの条項に違反しているから「この条約の規定に・・・適合しない」(※14)といったアプローチが必要である。この点については「一方の締約国により独立企業の原則に基づく移転価格課税が行われた場合には、他方の締約国においてそれに対する対応措置が行われるまでは『適合しない課税』が存在することとなり、移転価格課税が相互協議の対象とされる直接の根拠は、経済的二重課税の存在そのものではなく『特殊関連企業条項に適合しない課税』である」(※15)という解釈が適切であろう。また、前記8(1)②の金子教授の解釈は、条約執行説を基礎に置くものであるが、同説の是非はさておき、「適合しない課税」を特殊関連企業条項との関係で整理しようとしている点に賛同する。 (※14) この点については、当時と現在の日米条約の国税庁資料にも表れている。例えば、当時の日米条約についての『租税関係法規集』国税庁(1998年)では、「この条約に適合しない」となっているのに対して、現在は「この条約の規定に・・・適合しない」となっている。 (※15) 国際税務研究グループ前掲(※12)書242頁~243頁。さらに「経済的二重課税が存在するから相互協議を行わなければならないのではなく、条約の規定に適合しない課税が存在するから相互協議を行い、それを回避することにより二重課税が結果的に排除されることになるのである」と続ける(同243頁)。 (2) 本件国税処分の適法性 第一審と控訴審の判示の違いとして、特例法7条は必要ではないと判示した第一審とは異なり、控訴審では、本件日米合意が特例法7条の施行後に成立していることから問題なしとした。さらに、控訴審判決は、特例法7条には対応的調整を遡ってなし得る期間についてなんらの制限がないとして、通常の更正の請求期限を経過した期間の対応的調整も可能であるとした。 当時においても国内的調整措置としては、既に国通法23条2項3号、国通令6条1項4号があった。これらの規定で十分であったかどうかについては「国税一般について、更正の請求の手続きを一般的に定めたものであり、これらに該当することを理由として更正の請求がなされた場合には、個々の税法の課税要件の実体規定に基づいて、その内容を吟味して判断すべきであり、この規定のみで直ちに更正の請求が認められるわけではない」(※16)とする見解がある。特例法7条もまた手続規定であり、実体規定ではないものの、このような理解に基づけば、第一審判決の見解は妥当ではなく、少なくとも特例法7条は必須であったと思われる。 (※16) 荻野豊『実務 国税通則法』大蔵財務協会(1994年)149頁 小松教授は「対応調整の直接的な法的根拠は、租税条約の相互協議条項に求めることになる。租税条約の相互協議条項に基づく対応調整の義務を履行するための国内法上の実施規定である特例法7条(対応調整)が導入された趣旨は、相互協議条項では具体的な調整の方法などについては必ずしも明らかになっているとは言いがたい。そこで、・・・我が国が行う対応調整についても国内法上の取扱いを明確にしようとしたもの」(※17)と述べている。 (※17) 小松芳明『国際租税法講義[増補版]』税務経理協会(1999年)269頁。この見解は、『昭和61年度版 改正税法のすべて』大蔵財務協会(1986年)214頁の特例法の改正の趣旨と同様のものである。このような対応的調整の直接的な法的根拠を相互協議条項に求める解釈は、日米条約25条2項及び4項が対応的調整の役割を果たす規定であるからであろう。2項では所得又は所得控除、税額控除その他の租税の減免の配分について、合意するように努めるため協議できる旨規定しており、4項では合意に達した場合、合意に従って租税の還付等を行う旨規定されている。 一方、谷口教授は、特例法7条を実体法との関係においても整理する。曰く「特殊関連企業条項を一方の締約国における移転価格課税の側面と他方の締約国における対応的調整の側面とを併有する規定であると考えると、特殊関連企業条項こそが対応的調整の実体法的根拠であり、しかも同条項は課税制限規範として国内で直接適用され、対応的調整を直接根拠づけると解されるから、7条の規定は、実体法的には特殊関連企業条項との関係で、手続法的には相互協議条項との関係でそれぞれ確認規定であると解すべきであろう」(※18)。なお、ここでいう特殊関連企業条項は、日米条約11条1項を指している。 (※18) 谷口勢津夫『租税条約論』太陽社(1999年)頁45頁 このような解釈は倉内氏の見解と共通の認識に立っている。倉内氏は「特殊関連企業条項(第一項)は、発生の経緯、置かれている位置から考えて、二重課税を回避するために課税権を配分する目的を担った規定という一面があると解される。したがって、この第一項により、課税権の配分を行うには独立企業の原則によるべきであることと、独立企業の原則に従って課税権の配分を行う限りにおいて、他方の国の課税権に優先することという効果が生じると解される。したがって、独立企業の原則に従った課税は他方の国の課税権に優先し、第二項がなくとも他方の締約国に対応的調整の義務を発生させる」(※19)としている。このような点を踏まえると、適合するかしないかの対象は、独立企業原則に適合するかしないか、というふうに言い換えることができる。 (※19) 倉内敏行「相互協議の対象について-「租税条約に適合しない課税」の解釈に関する一考察-」税務大学校論叢27号(1996年)169頁 最後に、対応的調整の定義について考えてみる。モデル条約の特殊関連企業条項(1項の独立企業原則による配分と2項の対応的調整)は、米国のIRC482条をなぞった規定である。そして、対応的調整は、所得振替防止の観点から、所得等を配分する際の他方の減額調整を指す。IRC482条は国内外を通じて適用される規定であるところ、国内取引の場合には、自動的な調整機能としての側面を有する。すなわち、一方の所得の増額に対応して、他方の所得を減額することであり、所得振替防止の観点からは、課税庁の権限において、他方の対応的調整を要件として、一方の所得を増額することが認められる(※20)。しかしながら、国際取引の場合には、国家間の利害が対立するため、自動的な調整というわけにはいかない。課税管轄が異なるため、他方の減額調整は、相互協議による合意と合意後の国内実施手続きの両方を含めた概念ということになる。 (※20) 増井良啓『結合企業課税の理論』東京大学出版会(2002年)187頁~190頁 国際取引における対応的調整は、実務手続きの観点からは、合意後の国内実施手続きを指すが、機能的な観点からは相互協議による合意を含めた概念ということができる。他方の減額調整は、手続的側面からは、相互協議における合意と合意後の国内実施手続に分けて考える必要があるところ、控訴審判決は混同していた。その原因はこの辺りにあるのではないかと考える。 10 総括 本件においては、特殊関連企業条項の独立企業原則に適合しない課税として、個別事案協議の申出を行い、合意に基づいて、対応的調整を行うという流れになる。したがって、日米条約25条1項の協議は、日米条約11条1項に適合しない課税を理由に行われるので、モデル条約9条2項の対応的調整に相当する規定の有無は何ら関係がないという理解となる。同規定は確認規定である。 租税条約における特殊関連企業条項と国内法との関係を整理すれば、筆者は制限効果説の立場から、特殊関連企業条項が両締約国の国内法を制限するという解釈に注目している(制限効果説に基づく特殊関連企業条項違反説(※21))。この説によると、特殊関連企業条項に適合しない課税は、この条項によって制限された締約国の国内法にも違反することになり、その違反の効力は、移転価格課税を行った一方の締約国のみならず、対応的調整をしない他方の締約国にも及ぶ。そして「一方の締約国の移転価格課税がこの独立企業原則に適合するものである場合には、他方の締約国が対応的調整義務を負う」ことになる(※22)。 (※21) 谷口前掲(※18)書116頁~117頁 (※22) 谷口前掲(※18)書111頁~114頁 本事案に関する村井正先生の一角塾の講評では「当時はラフな議論をしていたし、移転価格税制に関する誤解も多かった」という意見があった。諸外国(主に米国)に対する牽制として、あるいは、伝家の宝刀として導入すべし、という議論もあった(※23)。伝家の宝刀ということは滅多に抜くわけにはいかない。モデル条約9条2項を自動的調整規定と誤解していた可能性も否定できず、当時は、制度に対する理解も定着していなかったものと思われる(※24)。 (※23) 金子前掲(※5)書363頁~364頁 (※24) また、移転価格税制が導入される約7年前の解説本ではあるが、五味雄治・小沢進『日米租税条約逐条別解説[非売品]』日本租税研究協会(1979年)53頁によると、第11条(特殊関連企業)の冒頭に「本条項は、『特殊関連者の行為計算否認』を規定するものである」と解説している。また、第一審のXの主張においては「我が国においては・・・脱税防止等の観点から税務当局が企業全体の総所得を見直した上で必要な課税処分をすることができるという税制(移転価格税制)は採用されておらず」と述べており、導入前は脱税防止のための行為計算否認規定と理解されていた可能性もある。 11 終わりに この事件では「移転価格税制の適用によって、地方団体が莫大な税収を、その徴収からはるか後に失うこととなる可能性を示し・・・地方団体が関与する余地がなく、国の決定に一方的かつ全面的に拘束される(※25)」という点が詳らかになったが、このことは一方では、わが国で移転価格課税による増額更正が行われた場合、地方公共団体にとっては思わぬ税収となることを示唆しているし、納税者の立場から見れば、国税の増額更正処分に連動して、多額の地方税の追徴課税が生じることを意味している。 (※25) 渋谷雅弘『所得課税の理論と実務―移転価格と金融取引』有斐閣(1997年)181頁 本事案は移転価格税制の適用に付随する対応的調整についての問題であったが、移転価格課税に連動した付随的な課税という意味では、第二次調整という問題がある。本件の場合でいうと、米国子会社への輸出価格が独立企業間価格に比べて高額であるとして、課税上の取引価額を減額したわけだが、これはあくまで課税上の措置であり、実際の取引価格は減額されていない。米国は第二次調整を行う国であるため、実際の取引価格と課税上の取引価格の差額については、子会社から親会社に対して配当があったとして、みなし配当課税がされるはずである。また、相手国でみなし配当課税された源泉所得税は、わが国で外国税額控除の対象とならない。対応的調整によって、関連当事者間の経済的二重課税が解消されたと思ったら、別の二重課税が待ち受けているのである。しかも、第二次調整は国内法の問題であるとされているため、通常は、相互協議の対象とならない。わが国は第二次調整による課税を行わないことから、第二次調整による課税リスクは、相手国の国内法によって引き起こされる。 (了)
有価証券報告書における作成実務のポイント 【第2回】 史彩監査法人 パートナー 公認会計士 西田 友洋 今回は、有価証券報告書のうち、第一部【企業情報】第1【企業の概況】4【関係会社の状況】から5【従業員の状況】までの作成実務ポイントについて解説する。 なお、本解説では2023年3月期の有価証券報告書(連結あり/特例財務諸表提出会社/日本基準)に原則、適用される法令等に基づき解説している。 1 【関係会社の状況】の作成実務ポイント ここでの関係会社の範囲とは、連結子会社、持分法適用関連会社、親会社、その他の関係会社(提出会社が他の会社等の関連会社である場合における当該他の会社等)をいい、当連結会計年度の関係会社の状況について記載する。作成ポイントは、以下のとおりである。 (※1) 特定子会社とは、以下の特定関係のいずれか1つ以上に該当する子会社をいう。 ・提出会社の最近事業年度に対応する期間において、提出会社に対する売上高の総額又は仕入高の総額が提出会社の仕入高の総額又は売上高の総額の10%以上 ・提出会社の最近事業年度の末日において純資産額が提出会社の純資産額の30%以上に相当する場合(提出会社の負債の総額が資産の総額以上である場合を除く) ・資本金の額又は出資の額が提出会社の資本金の額の10%以上に相当する場合 (※2) 主要な損益情報等は、内部取引消去前の金額で記載することが考えられる。 【事例:東京汽船(株)2023年3月期の有価証券報告書】 ※画像をクリックすると別ページで拡大表示されます。 2 【従業員の状況】の作成実務ポイント 従業員の状況では、当連結会計年度末の従業員の状況を記載する。作成ポイントは、以下のとおりである。 〈「管理職に占める女性労働者の割合」、「男性労働者の育児休業取得率」、「労働者の男女の賃金の差異」について、法律と開示義務の関係〉 【事例:持田製薬(株)2023年3月期の有価証券報告書】 ※画像をクリックすると別ページで拡大表示されます。 【事例:(株)ミンカブ・ジ・インフォノイド2023年3月期の有価証券報告書】 ※画像をクリックすると別ページで拡大表示されます。 (了)
開示担当者のための ベーシック注記事項Q&A 【第18回】 「賃貸等不動産に関する注記」 仰星監査法人 公認会計士 竹本 泰明 Question 当社は連結計算書類の作成義務のある会社です。連結注記表及び個別注記表における賃貸等不動産に関する注記について、どのような内容を記載する必要があるか教えてください。 Answer 賃貸等不動産に関する注記は、重要性の乏しいものを除き、次の事項を記載することとされています。 ① 賃貸等不動産の状況に関する事項 ② 賃貸等不動産の時価に関する事項 なお、連結注記表を作成する株式会社は、個別注記表における注記を要しないため、連結計算書類の作成義務のある会社では個別注記表における当該注記は不要です。 ● ● ● 解説 ● ● ● 1 経団連のひな型による解説 経団連が公表している「会社法施行規則及び会社計算規則による株式会社の各種書類のひな型(改訂版)」(2022年11月1日)によれば、連結注記表、個別注記表それぞれ次のような注記が考えられます。 【連結注記表】 【個別注記表】 2 注記事項の解説 (1) 賃貸等不動産に関する注記の全体像 連結計算書類の作成義務のある会社を前提とした場合、連結注記表・個別注記表で記載すべき賃貸等不動産に関する注記事項は次のとおりです。なお、重要性が乏しい場合は注記を省略できます(会社計算規則第110条第1項)。 (※1) 連結注記表を作成する株式会社は、個別注記表における注記を要しません(会社計算規則第110条第2項)。 (2) 注記事項の解説 賃貸等不動産の時価に関する注記は、時価情報に対するニーズが拡大している等の背景を踏まえ、国際的な会計基準とのコンバージェンスを図る観点から求められるようになりました。 「賃貸等不動産」とは、棚卸資産に分類されている不動産以外のものであって、賃貸収益又はキャピタル・ゲインの獲得を目的として保有されている不動産(ファイナンス・リース取引の貸手における不動産を除く)をいいます。したがって、物品の製造や販売、サービスの提供、経営管理に使用されている場合は賃貸等不動産には含まれません。 それでは、実際の注記を見ていきましょう。 [三愛オブリ株式会社 2023年3月期 連結注記表] ※三愛オブリ株式会社「第92回定時株主総会の招集に際しての電子提供措置事項」8頁より抜粋。 [東急不動産ホールディングス株式会社 2023年3月期 連結注記表] ※東急不動産ホールディングス株式会社「第10回定時株主総会 その他の電子提供措置事項(交付書面省略事項)」23頁より抜粋。 * * * 次回の第19回は、「関連当事者に関する注記」をテーマに解説します。 (了)
税理士事務所の労務管理Q&A 【第17回】 「休日労働と代休、休日の振替」 特定社会保険労務士 佐竹 康男 法定休日に労働した場合は、35%以上の割増賃金を支払わなければなりません。 休日労働について代休付与や休日の振替で対応している事業所もあります。今回は、休日労働と代休や休日の振替との関係について解説します。 * * 解 説 * * 1 休日労働 休日は、原則として毎週1回以上与えなければなりませんが、4週間を通じ4日以上の休日を与える変形休日制を採用することも可能です。この法定休日に労働させた場合には、35%以上の割増賃金が必要となります。 〈法定休日に労働させた場合〉 法定休日を日曜日にした場合は、土曜日や国民の祝日など他の休日に労働しても休日労働にはなりません。したがって、土曜日の労働に対しては35%以上の割増賃金の支払いは必要ありません。ただし、その日の労働時間が8時間を超えた場合や、以下のとおり1週間の労働時間が40時間を超えた場合は時間外労働になりますので25%以上の割増賃金が必要になります。 〈法定休日以外の休日に労働させた場合〉 同じ休日でも法定休日とそれ以外の休日では割増率が違ってくるため、労使間で十分協議の上、就業規則で法定休日を規定してください。 2 休日労働と代休 休日労働をした場合は、後日代休を与えたからといっても、法定休日に労働したという事実は変わりませんので、35%以上の割増賃金を支払わなければなりません。 代休とは、実際に休日に労働させた後に、その代償として他の労働日の労働義務を免除することをいいますが、労働基準法では、代休について規定がありません。 代休を取った場合にその日の賃金をどうするかは、労使間で協議の上、定めることになります。有給でも無給でも構いません。 3 休日の振替 休日の振替とは、業務等の都合によりあらかじめ休日と定められた日を労働日とし、他の特定の労働日を休日とすることです。 例えば、以下のようにもともと休日であった日曜日をその週の水曜日と振り替えた場合、日曜日が労働日になり水曜日が休日になります。この場合、日曜日は休日ではないので、休日労働に対する割増賃金の支払義務は生じません。 〈日曜日と水曜日を振り替えて日曜日に労働させた場合〉 ただし、その日の労働時間が8時間を超えた場合や振り替えたことにより、その週の労働時間が40時間を超えるときは、時間外労働に対する割増賃金が発生します。 休日の振替を行う場合には、就業規則において、できるだけ休日振替の具体的な事由と振り替えるべき日を規定することが望ましく、また、振り替えるべき日については、振り替えられた日以降できる限り近接している日が望ましいとされています。 以下の就業規則例を参考にしてください。 〈就業規則例〉 (了)
〈一問一答〉 副業・兼業に関する担当者のギモン 【第7回】 「副業・兼業と従業員の健康管理」 弁護士法人東町法律事務所 弁護士 木下 雅之 ● ● ● 解 説 ● ● ● 1 労働者の健康管理 会社は、労働者が副業・兼業をしているか否かにかかわらず、労働安全衛生法第66条などの法令の規定に基づき、健康診断、長時間労働者に対する面接指導、ストレスチェックやこれらの結果に基づく事後措置等の健康確保措置を実施しなければならない。 この点、副業・兼業ガイドラインは、会社が労働者の副業・兼業を認めている場合の健康管理に関し、会社は、労働者に対して、健康保持のため自己管理を行うよう指示し、心身の不調があれば都度相談を受ける旨を伝えるとともに、副業・兼業の状況を踏まえ、必要に応じて法令が規定する内容を超えた健康確保措置を実施するなど、労使の話し合い等を通じ、副業・兼業を行う労働者の健康確保に資する措置を実施することが適当であると指摘している。また、副業・兼業を行う労働者の長時間労働や不規則な労働による健康障害を防止する観点から、働き過ぎにならないよう、自社での労務と副業・兼業先での労務との兼ね合いの中で、時間外労働の免除や抑制等を行うなど、それぞれの事業場において適切な措置を講じることができるよう、労使で話し合うことが適当であるとも指摘している(副業・兼業ガイドライン3(3)イ)。 2 使用者の安全配慮義務 労働者が過重労働に起因して死亡したり、うつ病に罹患して自殺したりするようなケースにおいて、これまでの裁判例は、会社の安全配慮義務違反による債務不履行責任を認めており、「使用者は、その雇用する労働者に従事させる業務を定めてこれを管理するに際し、業務の遂行に伴う疲労や心理的負荷等が過度に蓄積して労働者の心身の健康を損なうことがないよう注意する義務を負う」と判断されてきた(電通事件=最高裁平成12年3月24日判決民集54巻3号1155頁。なお、同判決は、不法行為責任の注意義務に関する判断であるが、その後の裁判例は、この注意義務と同一内容の義務を労働契約上の安全配慮義務として肯定している)。 また、労働契約法第5条は、「使用者は、労働契約に伴い、労働者がその生命、身体等の安全を確保しつつ労働することができるよう、必要な配慮をするものとする」と規定し、会社の安全配慮義務を法律上も明記している。 このような安全配慮義務の具体的な内容として、過重労働に起因する疾病・死亡・自殺等のケースにおいては、会社は、以下のような義務の履行を求められる。 3 副業・兼業と安全配慮義務 それでは、万が一、労働者が副業・兼業に伴う過重労働により健康を害した場合に、本業先の企業は、副業・兼業を認めていたという事情により、安全配慮義務違反の責任が認められたり、責任が重くなったりすることがあるのか。あるいは、副業・兼業を行う労働者が長時間労働や不規則な労働によって健康に悪影響を及ぼす可能性が想定されるような場合に、本業先の企業は、安全配慮義務の履行の一環として、副業・兼業の許可を取り消す義務を負うのであろうか。 この点、副業・兼業は、本来労働者の私生活における行為であるため、本業先の企業が当然にその中止等について指示する権限を有するものではない。また、そもそも安全配慮義務は、会社による管理支配が及ぶ状況があることを前提とするが、副業・兼業先における業務について本業先の企業の管理支配が及ぶわけでもない。加えて、副業・兼業は、基本的に労働者の自発的意思によって行われるものであり、安易な許可の取消しは、キャリア形成の観点から労働者が行った自己決定を否定する結果ともなりかねない。 これらの事情に加え、一般的な健康管理は、本来、労働者の自己責任によって行われるべきものであることも併せ考慮すると、仮に労働者が副業・兼業に伴う過重労働によって健康を害した場合であっても、副業・兼業を認めていたという事情をもって、当然に本業先の企業に安全配慮義務違反の責任が認められると解するのは相当でないように思われる。 他方で、本業先の企業として、労働者が実際に健康を害する高度の危険があると把握したような場合、例えば、健康診断やストレスチェック等における医学的知見をもとに当該労働者が疾病に至る高度の危険を有すると判断されるような場合には、上記①および②の義務の履行として、当該労働者に対するヒアリング等によって疲労の蓄積や体調悪化の原因・程度を把握するとともに、上記③および④の義務の履行として、労働時間や業務の軽減等の措置をとる義務が生じるものと解される。この場合、労働者の疲労の蓄積や体調悪化の原因が副業・兼業の業務状況にあると認められるときは、副業・兼業の許可を取り消す措置(【第4回】参照)を検討する必要がある場合もあろう。 副業・兼業ガイドラインも、副業・兼業の場合には、副業・兼業を行う労働者を使用するすべての使用者が安全配慮義務を負っているとしたうえで、副業・兼業に関して安全配慮義務違反が問題となり得る場合としては、使用者が、労働者の全体としての業務量・時間が過重であることを把握しながら、何らの配慮をしないまま、労働者の健康に支障が生じるに至った場合等が考えられるとしている(副業・兼業ガイドライン3(1)ア)。 (了)
事例で検証する 最新コンプライアンス問題 【第27回】 「中古車販売会社の保険金過剰請求事件 -現場の声が上がってこなかった理由」 弁護士 原 正雄 2023年7月25日、中古車販売会社のBM社が記者会見を開いた。事故車両の修理の際に意図的な損壊や不要な部品交換などを行って保険金を過剰に請求していた、その責任を取って社長が辞任する、という内容であった。BM社はその後、国土交通省からの自動車整備の事業停止処分や民間車検場の指定取消、金融庁からの保険代理店登録の取消に至った。 今回の不正はBM社のBP部門で生じたものであった。BPとは「bodywork & paint」すなわち鈑金塗装のことで、車両の修理を意味する。BM社の事業は中古車の買取・販売が中心であり、BP部門の売上はグルーブ全体の2~3%にすぎない。そうした部門でなぜ本件のような重大な問題が生じたのか。また、そうした重大な問題が生じていることについて、なぜ経営陣に報告が上がってこなかったのか。2023年6月26日付の特別調査委員会の調査報告書に基づいて以下分析する。 1 不正の内容 特別調査委員会のサンプルテストによれば、検証対象の約44%に不正の疑いがあった。また、アンケート(回答率97.9%)によれば、回答者の27.2%が「自ら不正に関与した」と回答し、17.8%が「他の者による不正を見聞きした」と回答した。BM社のBP部門において不正が蔓延していた状況が窺える。その手法は、以下のとおりであった。 (1) 損傷の確認 BM社は、損保会社から車両修理案件の紹介を受ける。BM社は、BP工場で修理車両を受け入れ、フロント(または工場長)が損傷を確認し、写真を撮影する。 ところがBP工場では、損傷の確認時に物理的に車体に傷を付け、修理範囲を拡大させることがあった。また、損傷がないのにあるように装う写真や、損傷を実際より広範囲に装う写真を撮影することなどもあった。 BM社では、損保各社との修理代の交渉を一括して行う部門として「PT」という部署があった。「PT」はBP工場からそうした写真などのデータ送信を受け、そのまま初期見積書を作成し、損保会社に送信していた。 (2) 鈑金作業・塗装作業 損保会社が初期見積書を確認した後、BP工場は初期見積書に基づき、修理や部品交換、塗装作業を行う。 ところが、BP工場では、不要な部品交換を行うことがあった。また、人力で牽引可能であるのに工賃が高額なタワー牽引を行うことがあった。さらに、タワー牽引をしていないのにしたと装う写真を撮影することなどもあった。 塗装においても、不要な塗装を行うことがあった。また、高機能塗装をしていないのにしたと装う写真を撮影することなどもあった。 (3) 損保会社との協定 修理後、「PT」はBP工場から修理状況の写真を受け取り、その内容を確認して協定見積書を作成し、損保会社に送付する。それに基づいて損保会社は保険金を支払う。 しかし、上記によってBM社は、協定において使用していない部品の費用や、実施していない作業の費用を計上し、過剰な保険金を請求していた。 2 不正の原因 上記の不正が行われた原因として、損保会社との交渉を一括して行う部署である「PT」の問題と、営業目標である「アット」の問題があった。 (1) 「PT」の問題 「PT」では、初期見積りが過大となる傾向にあった。初期見積りで想定しなかった修理が事後に追加になっても損保会社に認めてもらうことが容易ではなかった。そのため、追加修理が発生しないよう、当初から多めに見積もっていたからである。 これに対して、以前には「PT」が過大な初期見積りをしても、作業員が不要と判断して行わないことがあった。 しかし、「PT」では、わずか20名ほどの担当者で年間4万件超の協定を取り扱う。そのため、業務過多で連日の深夜業務を余儀なくされていた。実際の修理内容が初期見積りと異なると、「PT」担当者の作業が増え、負担をさらに高める。また、「PT」は、現場が修理内容を縮小することについて、行うべき修理を行わないもので手抜きである、と受け止めていた。そのため、BP本部は、BP工場に対して繰り返し、初期見積りどおりに修理するよう指示する旨の通達を行った。 結果として、現場であるBP工場では、初期見積りに記載がある以上、不要な作業でも行うべきである、という風潮が生じてしまったものと解する。 (2) 「アット」の問題 アンケートで「自ら不正を行った」と回答した従業員の58.6%が、不正を行った理由について「上司からの指示」と回答した。不正が行われた時期についても、回答者の19.6%が「特定の者が上司であった期間」を選択した。不正が上司の指示によって行われていたことが窺える。 上司が不正を指示した原因として、BP部門における「アット」という営業目標の問題があった。BM社では、修理案件1件当たりの工賃と部品粗利の合計金額を「アット」と呼んでいた。「アット」の目標値は、1件当たり14万円前後であった。「アット」目標未達の工場長は、強い非難を受ける。この点についてBP工場の従業員は「売上の低いフロントや工場長は、月末に近づくと、どうやって数字を達成するんだと詰められ、未達だとぼろくそに文句を言われていた」、「まともな職場ではおよそ使われない言葉で罵倒されることが日常的に行われていた」と述べている。 もっとも、修理案件の数は、損保会社からの紹介に左右される。工賃は、修理車両の損傷状況で決まる。そのため、現場の努力によって「アット」を向上させることは困難であり、現場のノルマとして「アット」目標を設定することは不合理であった。この点についてBP工場の従業員は「要するに過剰な初期見積りどおりに作業をすることを求めるものであるから、現場に不正を指示しているのだと思った」と述べている。 その結果、プレッシャーに耐え兼ねた工場長らが不正を行うようになり、工場長の転勤や工場長間の情報交換などを通じて全国30ヶ所のBP工場に伝播していった。 なお、「PT」は現車の確認はしておらず、BP工場からデータ送付された写真やチェックシートを見るだけである。そのため、損傷や作業等の不審な点にすぐ気付くことはできなかったようである。また、修理費用が高額な方がノルマ達成の観点からは望ましい、という事情もあった。結果として「PT」を通じてBP工場の不正が発見されることはなかった。 3 BM社における報告体制の問題 上述のとおり、BP工場では不正が蔓延しており、その原因はBM社の組織体制と経営方針にあった。ところが、特別調査委員会の調査では、A社長は、そうした不正を全く知らなかったと弁明した。 (1) 内部通報制度の不備 経営陣が不正を把握できなかった要因の1つに、内部通報制度が不十分であったという事情があった。 BM社では、ハラスメント事案に関する通報制度は整備されていた。そのため、ハラスメントについては相応の通報実績もあった。しかし、通報対象はハラスメント事案に限られている上、通報後の対応に関する規程も整備されていなかった。 (2) 従業員からの告発の黙殺 現場の声が上がってきても、経営陣が適切に対応していなかったという事情もあった。 2022年1月頃、S店BP工場の作業員H(A社長の甥)が、A社長に対して不正を告発するLINEメッセージを送信した。同メッセージには、証拠として不要な作業を指示するチェックシートの写真等も添付されていた。そのため、A社長は、同メッセージ等をBP部長であるFに転送し、調査するよう指示した。 もっとも、H作業員は以前からS店BP工場のG工場長に不満を持ち、度々苦情を申立てていた。A社長とF部長は、今回の告発もその延長だろうと先入観を抱いてしまった。その結果、F部長は当該工場を訪問したものの、実質的な調査を行わなかった。F部長が行ったのは、H作業員と話をしてG工場長に協力するよう求め、G工場長との話し合いをさせるという対応であった。そうした対応は、F部長からA社長にもLINEメッセージで「Hさん自身反省してGさんに協力すると言って頂きました。Gさんも含め、三人でHさんの思いとGさんの思いと、話し合いを行い、蟠りを解きました」と報告された。 上記について特別調査委員会は、特段の調査もせずにH作業員を懐柔して黙らせたものであって、もみ消しとも言いうる状況であった、と評価している。 (3) 現場の声を拾い上げようとする姿勢の欠如 以上のとおりBM社の経営陣は、現場の声を拾い上げることができなかった。これは、BM社の経営陣に、現場の声を聞きたいという意識がなかったからであった。経営陣は全国のBP工場を巡回していたが、清掃が行き届いているか等を点検するだけで、現場の声を聞くという姿勢は示してこなかった。経営陣の側から従業員に歩み寄らなければ、現場の悩みや不正の情報を吸い上げることはできない。特別調査委員会は、経営陣が現場の実情に全く気付いていなかったとすれば、そのこと自体が深刻な問題である、と評価している。 今回の問題が発覚した後、特別調査委員会は、BP工場従業員へのアンケートやヒアリングを実施した。その際にA社長は、全対象者に向けて「全てを洗いざらい申告してほしい」とのメッセージを出した。その結果、不正についての申告などが数多く寄せられたとのことである。経営陣が歩み寄りの姿勢を見せれば、BM社においても現場の声が上がってくることが分かる。 4 結語 本件の教訓として、経営陣が現場の声に耳を傾ける姿勢を示すことがいかに大切か、ということがある。そうした姿勢を見せれば、現場からは声が上がってくる。 現場の声を聞く姿勢を示す方法の1つとして、経営陣が現場を視察するときは、現場の従業員に積極的にヒアリングをすべきである。 また、内部通報制度を誠実に運用するとのメッセージを発することも重要である。経営陣が内部通報制度について真摯なメッセージを発すれば、不正などに直面した従業員が内部通報制度を利用する可能性は飛躍的に高まる。 今回の事案はBM社に固有の特殊事案ではない。あらゆる会社に該当し、起こり得る問題である。経営陣は、経営上の重要な課題の1つとして、現場の声を拾い上げることができる体制を構築すべきである。 (了)