事例でわかる[事業承継対策] 解決へのヒント 【第22回】 「増資時の「取引相場のない株式の評価」及び 「会社の税額」に与える影響」 太陽グラントソントン税理士法人 (事業承継対策研究会) マネジャー 公認会計士・税理士 岩丸 涼一 相談内容 私は、40年前にA社を設立後、製造業を営むA社の社長として経営をしてきました。設立以来、私がA社株式のすべてを所有しており、株式上場を考えたことはありませんでした。 【A社の直前期の情報】 昨今の経営成績は、売上規模や業種を考えると収益性が低い状況が続いています。ただし、創業より無配当の方針であったことから純資産は潤沢です。 私は今年70歳を迎えましたが、息子が副社長として10年以上私を支えてくれていますので、近い将来、息子に全株式を贈与し事業承継しようと考えています。 そのような中、副社長の発案により、収益性改善を目的とした10億円超のIT事業投資が取締役会で決議され、ファイナンスについては私の手元資金から10億円の増資を行うこととなりました。 本件増資により、今後の事業承継等で留意すべきことはありますでしょうか。 ■ □ ■ □ 解 説 □ ■ □ ■ [1] 「取引相場のない株式の評価」 非上場会社の同族株主等の株式の評価は、財産評価基本通達の「取引相場のない株式の評価」の原則的評価方式によります。具体的には、①類似業種比準価額方式、②純資産価額方式、③併用方式(①と②の併用)のいずれかの方法により評価することになります。どの方法を適用するかは、評価会社の会社規模(資産価額、従業員数及び取引金額)や評価会社が「特定の評価会社」に該当するかにより決定されます。 なお、A社は製造業なので、以下の「卸売業、小売・サービス業以外」の判定基準によります。 〈特定の評価会社〉 [2] 増資による社長の財産評価に与える効果 A社の従業員(現状100人)は70人以上であるため「大会社」に該当し、類似業種比準価額による株式評価を行うことになります。 増資により、社長個人の手元預金10億円がA社株式に変わりますが、通常、類似業種比準価額は純資産価額より低くなることが多く、結果として社長の個人財産の相続税評価額(現預金+A社株式)は増資により大きく引き下げられる可能性があります。 [3] 増資による株価評価に与える影響 増資により、特定の評価会社のうち「比準要素数1の会社」に該当する可能性については、留意が必要です。 本件増資後の資本金等は11億円(1億円+増資額10億円)となり、比準要素を算定する株式数は22,000,000株(11億円 ÷ 50円)となります。 A社は収益性の低い状況が続き、直前期の課税所得は0.1億円です。本件投資後も収益性が改善せず直前期の水準が継続した場合、比準要素のうち「利益金額」が0円となり(「利益金額」は1円未満切捨)、「比準要素数1の会社」に該当する可能性があります。 「比準要素数1の会社」の株価算定では純資産価額の75%を加味する必要があり、類似業種比準価額のみによる株式評価を行うことはできません。結果として株価は高くなることが一般的です。 なお、A社の純資産は潤沢ですので、「比準要素数1の会社」に該当するのを回避するために配当を行うことは、一考の余地があります。具体的には増資後に約500万円の配当を行うと、「配当金額」の比準要素を確保することができます。 ただし、配当を行い、かつ収益性が改善した場合は、株式評価の3つの比準要素(「配当金額」、「利益金額」及び「純資産価額(簿価)」)が高水準となり、一般的に株価は上昇しますので留意する必要があります。 [4] 増資による会社税額に与える影響 資本金等の増加により住民税均等割が増加することがあります。本件では、資本金等の区分が「1,000万円超~1億円以下」から「10億円超~50億円以下」に該当することとなり、支店数、従業者数によっては住民税均等割に大きな影響が生じる可能性があります。例えば、東京(23区内に本店所在、支店なし)を前提とすると、住民税均等割が20万円から229万円と年額209万円の増額となります。 また、増資により資本金が1億円超となる場合、事業税の税率変更、外形標準課税の適用があり、また、法人税の留保金課税が適用されることがあります。これらの影響を除外するために、増資と同時に無償減資を行い資本金を1億円まで減らすことが一般的です。 [5] 結論 増資は、「類似業種比準価額」算定上の株式数(1株当たりの資本金等の額を50円とした場合の株式数)を増加させます。A社のように収益性が低く、増資によって「利益金額」の比準要素が0円となった場合は株式評価に影響が生じます。 増資後、「利益金額」の比準要素を確保できるならば、社長の個人財産である預金がA社株式に形を変えることで一定の相続・事業承継対策になる可能性があります。対して、想定以上に収益性が改善した、もしくは配当を行い「配当金額」及び「利益金額」の比準要素が生じた場合は、A社の株価は上昇に転じる可能性があります。 したがって、本件増資は、今後の収益性改善予測及び配当政策、住民税均等割増税額を考慮していただく必要があります。 なお、「外形標準課税」や「留保金課税」を適用除外とするため、増資と同時に無償減資の手続を行い資本金の額を1億円まで減らす対応が一般的ですが、減資に際しては「株主総会の決議」及び「債権者保護手続」に一定期間が必要となりますので、決算期の時期についても留意する必要があります。 具体的な対策については、税理士等の専門家と相談の上、実行されることをお勧めします。 (了)
組織再編税制、グループ法人税制及びグループ通算制度の 現行法上の問題点と今後の課題 【第6回】 「グループ通算制度」 公認会計士 佐藤 信祐 10 グループ通算制度における帳簿価額修正 (1) 帳簿価額修正後の離脱法人の株式の帳簿価額が離脱法人の簿価純資産価額に相当することの妥当性 連結納税制度と同様に、グループ通算制度においても帳簿価額修正の制度が残されているが、帳簿価額修正後の離脱法人の株式の帳簿価額が離脱法人の簿価純資産価額に相当する金額となっている(法令119の3⑤)。その結果、例えば、P社がA社(簿価純資産価額2,000百万円)を6,000百万円で買収した後に、9,000百万円で転売した事案を想定すると、単体納税であれば6,000百万円であったA社株式の帳簿価額が2,000百万円に引き下げられてしまうため、P社における株式譲渡益が4,000百万円増加してしまうという問題がある。これは、のれんのある法人を買収し、数年後に転売するときに生じやすい問題であると言える。 その一方で、グループ通算制度に加入する時点で資産及び負債のすべてが時価評価されていれば、加入時のA社株式の帳簿価額とA社の簿価純資産価額は一致しているため、離脱に伴う帳簿価額修正後のA社株式の帳簿価額を離脱時のA社の簿価純資産価額としても問題にはならない。すなわち、帳簿価額修正後の離脱法人の株式の帳簿価額が離脱法人の簿価純資産価額に相当する金額とすることについては、それなりの合理性があるということが言える。 この点については、グループ通算制度の加入に伴う時価評価の対象から除外されることにより、加入時に評価益が計上されない事案があるという批判も考えられる。しかしながら、グループ通算制度の加入に伴う時価評価の対象から除外するためには、通算親法人との間の完全支配関係継続要件が課されており(法法64の12①三・四、法令131の16③)、通算グループから離脱しないことを前提に時価評価課税の対象から除外されていることから、グループ通算制度の加入に伴う時価評価課税の対象から除外される法人があったとしても、上記の結論が変わるものではない。 さらに、例えば、帳簿価額が10百万円未満であることを理由として(法令131の16①二、131の15①四)、グループ通算制度の加入に伴う時価評価の対象から除外される資産がある場合には、加入時のA社株式の帳簿価額とA社の簿価純資産価額は一致しないことになる。この点については、時価評価課税の対象資産を限定しているのは、制度の簡素化が理由であることから、上記の結論に弊害があるのであれば、グループ通算制度の加入に伴う時価評価課税の対象となる資産の範囲を拡大すべきということになる。 (2) 単体納税制度に帳簿価額修正を導入することの妥当性 M&Aにおけるストラクチャーの分析において問題となるのは、含み損益が二重に発生しやすいという点である。すなわち、被買収会社が保有する資産に含み益がある場合には、その株主が保有する被買収会社株式にも含み益があるということになり、被買収会社が保有する資産に含み損がある場合には、その株主が保有する被買収会社株式にも含み損があるということになる。それだけでなく、被買収会社において利益が生じた場合には、その株主が保有する被買収会社株式に含み益があるということになり、被買収会社において損失が生じた場合には、その株主が保有する被買収会社株式に含み損があるということになる。 その結果、被買収会社に900百万円の繰越欠損金がある場合において、含み損益のある資産がないときは、被買収会社の株主において900百万円の株式譲渡損を認識し、買収会社が被買収会社と合併することにより900百万円の繰越欠損金を引き継ぐことができるため、二重に損失を利用することができるということになる。 さらに、被買収会社において900百万円の利益が生じた場合において、含み損益のある資産がないときは、被買収会社の株主において900百万円の株式譲渡益が生じることから、被買収会社の株主において生じる株式譲渡益には、被買収会社において課税済みの利益が含まれているということが言える。 つまり、損失の二重利用や利益の二重計上の問題は、グループ通算制度を導入していなくても問題になることがあるため、単体納税制度に帳簿価額修正の制度を導入することについては一定の合理性が認められる。 さらに、受取配当金と株式譲渡損の両建てを狙った節税スキームは、平成22年度税制改正及び令和2年度税制改正によりある程度は防がれているが、完全に防がれているわけでもないのに対し、単体納税制度に帳簿価額修正を導入すれば、受取配当金に相当する金額だけ帳簿価額が引き下げられることから、受取配当金と株式譲渡損の両建てを狙った節税スキームを利用することはできなくなる。 その一方で、被買収会社の保有する資産の含み損益を維持したまま帳簿価額修正を行ってしまうと、含み損益が実現される前の簿価純資産価額により帳簿価額修正が行われることから、損失の二重利用や利益の二重計上の問題が生じてしまう。この点については、グループ通算制度からの離脱に伴う時価評価課税(法法64の13)の対象を拡充することにより解決することができる。 単体納税制度において帳簿価額修正の制度を導入するにしても、すべての事案に対して要求すべきではなく、グループ法人税制の対象となる法人に限定すべきである。そして、グループ通算制度に加入する時点で資産及び負債のすべてが時価評価されていれば、加入時のA社株式の帳簿価額とA社の簿価純資産価額は一致しているため、離脱に伴う帳簿価額修正後のA社株式の帳簿価額を離脱時のA社の簿価純資産価額としても問題にはならないとしたが、そうであるならば、グループ法人税制に加入した時点で時価評価課税の対象にするということも検討すべきであると考えられる。 この点については、オーナー企業に対するM&Aにおいて、事業譲渡を行ってから清算分配金を交付する手法を採用した場合には、被買収会社において事業譲渡益が課され、被買収会社の株主において配当所得が生じるのに対し、被買収会社株式を譲渡する方式であれば、被買収会社が保有する資産の含み益に対する課税がなされずに、被買収会社の株主において譲渡所得が生じるのみであるため、課税の公平が図られていないということが言える。もし、グループ法人税制に加入した時点で時価評価課税の対象にすることができれば、この点についての問題も解決することができるということが言える。 11 小括 第1回から第6回までは、組織再編税制、グループ法人税制及びグループ通算制度に対する筆者の問題意識をまとめた。第1回から第6回までの内容をまとめると下記のようになる。 なお、本来であれば、グループ通算制度についても、発行済株式又は出資の総数又は総額の3分の2以上に相当する数又は金額の株式又は出資を保有する関係にまで広げるべきであると考えているが、第2回で解説したように、この点について分析するためには、諸外国の租税法を分析する必要があるため、ここではその対象から除外している。 * * * 次回以降では、いったんアカデミックな議論から離れ、一つひとつの条文を検証しながら、組織再編税制、グループ法人税制及びグループ通算制度の現行法上の問題点について分析する予定である。 (了)
Q&Aでわかる 〈判断に迷いやすい〉非上場株式の評価 【第16回】 「〔第2表〕株式等保有特定会社外しの留意点」 税理士 柴田 健次 Q B社(倉庫業)とC社(建設業)を100%所有している社長が事業承継に伴い、社長の長男に株式を承継させるにあたり、株式交換によりA社を設立し、B社及びC社を子会社とした後に、A社設立後開業3年経過後に株式を長男に贈与する場合において、株式等保有特定会社に該当することを免れるためにA社が借入により収益物件を購入した場合には、株式等保有特定会社に該当しないものとして、一般の評価会社として類似業種比準価額と純資産価額を折衷させて評価しても問題ないでしょうか。 なお、A社は不動産賃貸業及びB社及びC社の財務管理、経営管理を行っていますが、従業員はいません。 A 株式等保有特定会社を免れるために資産を購入した場合には、その資産の購入はなかったものとして株式等保有特定会社に該当するかどうかを判定することとされているため、本問の場合には、株式等保有特定会社に該当し、純資産価額又は「S1+S2方式」(※)により評価することになります。 (※) 「S1+S2方式」について詳細は後述の③を参照。 ◆ ◆ ◆ ① 株式等保有特定会社の判定 課税時期における下記算式の割合が50%以上の場合には、株式等保有特定会社として、純資産価額又は「S1+S2方式」により評価することとされています(評価通達189(2)、189-3)。 株式等保有特定会社が規定された理由として、著しく株式等に偏っている会社については、原則的評価方式による評価額と適正な時価との乖離が問題になり、租税回避行為の原因ともなっていたため、平成2年の評価通達の改正により設けられました。 なお、評価会社が、株式等保有特定会社又は土地保有特定会社に該当する評価会社かどうかを判定する場合において、課税時期前において合理的な理由もなく評価会社の資産構成に変動があり、その変動が株式等保有特定会社又は土地保有特定会社に該当する評価会社と判定されることを免れるためのものと認められるときは、その変動はなかったものとして当該判定を行うものされています(評価通達189)。 ② 合理的な理由の判断基準 「合理的な理由があるかどうか」については、明確な判断基準はありませんが、租税回避行為の有無、資産購入と課税時期までの期間、長期的にも株式等保有特定会社に該当しないかどうか、原則的評価方式における評価額と株式等保有特定会社の評価額の差額、事業の必要性等を総合勘案して判断されるべきであると考えられます。 ③ 株式等保有特定会社の評価方法 評価通達189-3によれば、純資産価額による評価を原則としながらも「S1+S2方式」により評価することができるとされていますので、実務的にはいずれか低い価額により評価することになります。 「S1+S2方式」は、評価会社の財産の構成要素として株式等に係る部分(S2に対応する部分)と株式等以外の部分(S1に対応する部分)に分離して、株式等に係る部分(S2に対応する部分)は純資産価額のみで計算を行い、株式等以外の部分(S1に対応する部分)については、類似業種比準価額と純資産価額を折衷する方法により評価を行います。具体的には、評価明細の第7表及び第8表で評価することになります。 ☆実務上のポイント☆ 持株会社が形式的に株式等保有特定会社に該当しない場合においても、直前において資産構成に変動がないかを確認して、株式等保有特定会社に該当するか否かを判定する必要があります。 (了)
さっと読める! 実務必須の [重要税務判例] 【第64回】 「荒川民商事件」 ~最決昭和48年7月10日(刑集27巻7号1205頁)~ 弁護士 菊田 雅裕 (了)
〈ツボを押さえて理解する〉 仕訳のいらない会計基準 【第3回】 「会計基準のプロフィール紹介(前編)」 -日常的な会計処理に影響する会計基準- 公認会計士・税理士 荻窪 輝明 会計基準の具体的な内容に入る前に、それぞれの会計基準がどんな性格を持つのか、全体の中での大まかな把握や比較ができた方がよいでしょう。 そこで、今回から3回にわたって、会計基準のプロフィールを紹介していきます。紹介する順番には特に意味はありません。第2回「会計基準の世界を俯瞰する」で分けたジャンルを踏まえて、その会計基準がどのジャンルにどの程度の割合で属しているか、円グラフのイメージを付しました。あくまで個人の見解によるものですが、こちらも参考にしてください。 〔ジャンル属性の説明〕 * * * 次回も引き続き会計基準のプロフィールを紹介します。5つのジャンルのうち「」と「」を中心に見ていきます。 (了)
〔会計不正調査報告書を読む〕 【第105回】 第一商品株式会社 「第三者委員会調査報告書(2020年4月30日付)」 税理士・公認不正検査士(CFE) 米澤 勝 【第一商品株式会社第三者委員会の概要】 【第一商品株式会社の概要】 第一商品株式会社(以下「第一商品」と略称する)は、1972(昭和47)年11月、新設合併により設立。商品先物取引業及び貴金属の現物販売業を事業内容とする。売上高4,626百万円、経常利益1,129百万円、従業員数245名(いずれも2020年3月期実績)。JASDAQ市場上場。本店所在地は東京都渋谷区。会計監査人は監査法人アリア(2020年3月25日付で、海南監査法人が退任)。 【第一商品第三者委員会調査報告書の概要】 1 第三者委員会設置の経緯 第一商品は、農林水産省及び経済産業省(以下「監督官庁」という)から、平成27年3月期から令和2年3月期第1四半期の決算に係る会計処理において、回収不能な長期貸付金(12億円)の回収を装った不正経理及び当該回収に関連した不可解な取引並びに使途不明金発生の可能性があるとの指摘を受けた。 第一商品は、当該指摘を踏まえ、事実経緯の正確な把握には、より深度ある客観的な調査が必要であるとの認識に至り、当社とは利害関係を有しない独立した外部専門家である弁護士に調査を委嘱すること、並びに当該弁護士が必要と判断した調査を行うことにより、事実関係の解明、原因の分析及び再発防止策の提示を依頼することを3月11日開催の取締役会において決議した。 2 第三者委員会の調査方針 第三者委員会が検討した監督官庁による指摘内容は次のとおりである。 そのうえで、第三者委員会は、以下の事項を調査対象とする方針を採用した。 3 第三者委員会による調査結果の概要 (1) 本件の全体像 第三者委員会は、調査結果の概要として、以下のように全体像をまとめている。 (2) 架空の広告宣伝費による貸付金回収偽装の関与者 第三者委員会の調査では、2015年3月期以降に〈甲社〉に対して広告宣伝費の名目で支出した資金による本件貸付金を回収偽装することについて、これを認識していたのは村瀬元会長、取締役副会長の山中教史氏(報告書上は〈I氏〉。以下「山中副会長」と略称する)、正垣達雄代表取締役社長(報告書上は〈B氏〉。以下「正垣社長」と略称する)及び前川邦彦取締役経理本部長(報告書上は〈F氏〉。以下「前川取締役」と略称する)らといったごく一部の役員・幹部職員に限られ、取締役会で議論された形跡はなかった。 また、アンケート調査によると、第一商品本部の役職員のなかには広告宣伝費の異常性を認識していた者もいたことがうかがわれるが、何らかの指摘や内部通報を行うなどして対応した形跡は見当たらなかった。 (3) 貸付金の回収偽装が行われた経緯 第三者委員会の調査によれば、〈乙社〉に対する貸付金には、第一商品の株式が担保として差し入れられており、貸付金残高と担保株式の時価との差額全額が貸倒引当金として計上されていた。その後、2014年の年末になって、会計監査人である海南監査法人は、担保権を実行したうえで、貸付金残額について貸倒損失として処理するよう指導を行った。 これを契機として、村崎元会長の意向を受けた山中副社長と前川取締役等役員・幹部職員が中心となり、担保権の実行を回避して貸付金を処理するために、2015年3月期以降に本件貸付金の回収偽装に及んだことが認められる。 上記(2)の広告宣伝費を仮装して流出した資金1,826百万円のうち、1,171百万円が本件貸付金の回収の名目で当社に還流している(残額29百万円は表面的には担保権の実行により充当)。 (4) 委託者未収入金の回収偽装と補填の関与者 第三者委員会の調査によれば、2014年3月期と2015年3月期に行われた顧客の取引証拠金口座の資金を無断流用した委託者未収入金の回収偽装は、当時会長職にあった村崎元会長が収益目標の達成を厳しく求めていたことを受けて、委託者未収入金の貸倒引当金の戻入益による利益操作を意図して、当時の代表取締役社長であった山中副会長らが、関係者に直接指示する形で実施されており、山中副会長らは、業務部の担当者に内線電話により直接口頭で資金流用する顧客名や回収偽装の対象となる顧客名、金額等を具体的に指示し、当該担当者は、関係する支店の担当者に電話連絡で当該指示を伝達することにより、支店の担当者は、伝票上の処理だけで顧客の取引証拠金口座間の入出金の処理を行っていた。 他方、委託者未収入金の回収偽装により流用した顧客の取引証拠金取引口座への補填は、2016年10月に当社の代表取締役社長に就任した正垣社長の指示により行われている。正垣社長は、2015年3月期から開始されていた本件貸付金の回収偽装を目的として行われた〈甲社〉に対する広告宣伝費を仮装した支払いの金額を、社長就任後の2017年3月期から増額して裏金を捻出し、前経営陣の負の遺産ともいえる顧客の取引証拠金口座の流用の穴埋めとして補填を企図したことがうかがえる。 4 原因分析(報告書35ページ以下) 第三者委員会は、再発防止策の提言が調査目的に含まれていることも踏まえて、その前提となる原因分析の結果を次のようにまとめている。 第三者委員会が「ガバナンスの機能不全」の一因として挙げた「監査役による監視・監督機能の問題」について、見ておきたい。第一商品監査役会は、調査時には、常勤監査役2名と社外監査役2名で構成されており、常勤監査役の2名は内部からの登用である。一方の社外監査役については、第一商品の2019年3月期有価証券報告書では、次のような説明がなされていた。 ※第一商品「2019年3月期有価証券報告書」32ページ「社外役員の状況」より抜粋 ところが、第三者委員会の評価は大きく異なっている。第三者委員会は、現在の社外監査役2名は、「いずれも商品先物取引関連事業の経営や業務に携わった経験がないため、業界特有の知見に基づく指摘等は行われることがなく、また社外の目線から当社のトップダウン型の判断プロセスを是正しようとする動きがとられた形跡もない」と評価したうえで、さらに、「監査役監査の体制は、外形上は他の上場企業と比較しても遜色がないといえるが、監査役の取締役に対する監視・監督が機能していたとは言い難い」として、「ガバナンスの機能不全」として、本件の原因となったと分析している。 なお、2017(平成29)年6月に就任した常勤監査役浅野信行氏を除く3名の監査役は、令和2年6月26日開催の定時株主総会終結の時をもって退任している。 5 再発防止策等の提言(報告書38ページ以下) 第三者委員会は、上記の原因分析を前提に、再発防止策等を次のように提言している。 【調査報告書の特徴】 歴代経営陣により連綿と続けられてきた会計不正が監督官庁の立入検査により表面化した。長年、会計監査人を欺いてきた経営陣であったが、監督官庁の目はごまかせなかった。 2016年10月に就任した正垣社長は、過去の負の遺産を一掃するために尽力したのは間違いないのだが、その手段が「架空の広告宣伝費」を増額するというものであり、こうした社長の姿勢に異を唱える取締役・監査役もまた、存在しなかったようである。 その結果、第一商品は、「取締役内部監査室長」を代表取締役社長に抜擢する人事を、5月1日に公表する。後述するように、調査開始時に11名いた取締役は5名となり、4名の監査役も3名が退任、新たに2名が選任されて3名体制となって、少なくとも表面上は、経営体制は刷新されているようである。新しい経営陣は、東京証券取引所による「特設注意市場銘柄指定」、監督官庁による20日間の営業停止の行政処分という厳しい状況でのスタートとなった。 1 公認会計士等の異動 第三者委員会による調査が継続中の3月26日、第一商品は、「公認会計士等の異動に関するお知らせ」と題したリリースで、会計監査人である海南監査法人が、3月25日付で退任することを公表した。3月期決算の上場会社で、3月下旬になって会計監査人が退任するというのはきわめて異例であるが、退任理由は次のとおりである(引用文における括弧書きは、筆者による補足)。 次いで、第一商品は、4月3日、「公認会計士等の異動及び一時会計監査人の選任に関するお知らせ」をリリースして、監査法人アリアを一時会計監査人に選任したことを公表した。監査法人アリアは、6月26日開催の定時株主総会で、会計監査人に選任されている。 2 代表取締役及び役員等の異動 第一商品は、本件の調査開始後、4月1日、5月1日及び29日と複数回にわたって、取締役の異動についてのリリースを公表している。その結果、2019年3月期の有価証券報告書に名前のあった取締役11名のうち7名が辞任又は退任し、監査役4名のうち3名が退任している。 〈取締役・監査役の異動状況〉 ※画像をクリックすると、別ページで拡大表示されます。 (注1) 赤字は辞任を示す。 (注2) 青字は定時株主総会終結の時をもっての退任を示す。 なお、上記の表に記載のある取締役・監査役以外に、6月26日開催の定時株主総会で、社外取締役1名、社外監査役2名が選任されている。 3 不適切な会計処理に関する改善措置等 第一商品は、5月1日、「不適切な会計処理に関する改善措置等のお知らせ」をリリースして、第三者委員会による再発防止策等の提言を踏まえ、改善措置と経営体制を公表した。 改善措置としては、主に以下の4項目が挙げられている。 「コーポレート・ガバナンス体制の強化」では、経営における取締役及び執行役員の役割を明確化するとともに経営企画室及び内部監査室を取締役会の直轄部門とし、取締役会の意思決定及びガバナンス体制を補佐し、また、社外取締役の増強による取締役会への監視・監督機能を高めると説明している。 一方、「内部監査体制の強化」では、外部専門家を含めたコンプライアンス委員会を、取締役会から独立して設置して、取締役会による経営方針の策定や重要な意思決定に対して法規解釈に基づいた評価を実施するとともに、外部専門家をメンバーに加えることで社外の常識を重視し、利益相反状況を回避するとしている。 さらに、経営体制については、経営陣の責任の明確化のため、正垣社長をはじめ3名の取締役が辞任したこと、村瀬元会長との間で締結していた顧問契約を解除したこと、元代表取締役社長であった落岩邦俊氏が相談役を退任したことなど、刷新を図っている。 また、5月28日、第一商品は、「特別損失の計上に関するお知らせ」と題したリリースで、第三者委員会による調査及び過年度訂正処理に要した特別調査費用約172百万円が発生し、これを特別損失として令和2年3月期に計上することを公表している。 4 財務報告に係る内部統制の開示すべき重要な不備 第一商品は、6月19日付で、開示すべき重要な不備を記載する内部統制報告書を関東財務局長に提出したことを公表した。 リリースの中で、第一商品は、その原因について、「当社経営陣のコンプライアンス意識の欠如と、内部統制およびコーポレート・ガバナンスの機能不全等、全社的な内部統制が必ずしも十分に機能していなかったことにあると認識」しているとし、「第三者委員会からの指摘も踏まえ、これらの内部統制の不備が、財務報告に重要な影響を及ぼすこととなり、開示すべき重要な不備に該当すると判断」したことが明示されている。 5 東京証券取引所による特設注意市場銘柄指定及び上場契約違約金の徴求 7月10日、第一商品は、東京証券取引所から、特設注意市場銘柄の指定を受けるとともに、上場契約違約金2,000万円の支払いを求められたことを公表した。 その理由として、東京証券取引所は、第一商品は、第三者委員会の調査によって、長年にわたり歴代の代表取締役らが主導して、回収不能となっていた貸付金の回収偽装及び証拠金残高が不足した委託者に対する未収入金債権の回収偽装による貸倒引当金戻入益の過大計上、並びにこれらの偽装に用いる資金を捻出するための広告宣伝費の架空計上等の不適切な会計処理が行われていたことが明らかになった結果、第一商品は、決算短信等において上場規則に違反して虚偽と認められる開示を行い、2018年3月期及び2019年3月期では訂正によって各段階利益が赤字から黒字へ逆転することなどが判明したことは、投資者の投資判断に相当な影響を与える開示が適切に行われていなかったものであり、同社の内部管理体制等については改善の必要性が高いと認められることから、同社株式を特設注意市場銘柄に指定すると説明している。 また、こうした開示が行われた背景として、以下の点が認められるとしている。 6 8月7日付リリース「行政処分に関するお知らせ」 第一商品は、2019(令和元)年12月3日より実施された監督官庁の商品先物取引法及び犯罪による収益の移転防止に関する法律の規定に基づく立入検査の結果、8月7日、監督官庁より、行政処分が通知されたことを公表した。 (了)
税効果会計を学ぶ 【第14回】 「連結財務諸表固有の一時差異の取扱い②」 -子会社に対する投資に係る一時差異の取扱い- 公認会計士 阿部 光成 Ⅰ はじめに 今回は、連結財務諸表固有の一時差異の取扱い(連結財務諸表)のうち、子会社に対する投資に係る一時差異の取扱いとして、次のものについて解説する。 「連結財務諸表固有の一時差異」とは、連結決算手続の結果として生じる一時差異のことをいい、課税所得計算には関係しないものである(税効果適用指針4項(5))。詳細は本シリーズの【第4回】を参照願いたい。 文中、意見に関する部分は、私見であることを申し添える。 Ⅱ 子会社に対する投資に係る一時差異の取扱い 1 基本的な考え方 子会社に対し投資を行った時は、通常、親会社の個別貸借対照表上の投資簿価と当該投資の連結貸借対照表上の価額とは一致している(当該子会社株式の取得原価に含まれる取得関連費用を除く)。このため、連結財務諸表上、子会社に対する投資に係る一時差異は生じない(税効果適用指針103項)。 しかしながら、投資後に子会社が計上した損益、為替換算調整勘定、のれんの償却等により、子会社に対する投資の連結貸借対照表上の価額が変動する結果、親会社の個別貸借対照表上の投資簿価と当該投資の連結貸借対照表上の価額の間に差額が生じることになる(税効果適用指針104項)。 当該差額は、次の場合に親会社において納付する税金を増額又は減額する効果を有する。 このように将来の会計期間に親会社において納付する税金を増額又は減額する効果を有する場合、親会社の個別貸借対照表上の投資簿価と子会社に対する投資の連結貸借対照表上の価額との差額は連結財務諸表固有の一時差異に該当することになる(税効果適用指針104項)。 2 子会社に対する投資に係る連結財務諸表固有の一時差異の例示 子会社に対する投資に係る連結財務諸表固有の一時差異の例示として、次のものがあげられている(税効果適用指針107項)。 Ⅲ 子会社に対する投資に係る連結財務諸表固有の将来減算一時差異の取扱い 子会社に対する投資の連結貸借対照表上の価額が親会社の個別貸借対照表上の投資簿価を下回る場合、連結財務諸表固有の将来減算一時差異が生じる(税効果適用指針105項)。 子会社に対する投資に係る連結財務諸表固有の将来減算一時差異については、原則として、連結決算手続上、繰延税金資産を計上しない(税効果適用指針22項)。 ただし、次のいずれも満たす場合、繰延税金資産を計上する(税効果適用指針22項)。 なお、「負の値である場合の留保利益に係る連結財務諸表固有の将来減算一時差異の取扱い」については、税効果適用指針115項に規定されている。 Ⅳ 子会社に対する投資に係る連結財務諸表固有の将来加算一時差異の取扱い 子会社に対する投資の連結貸借対照表上の価額が親会社の個別貸借対照表上の投資簿価を上回る場合、連結財務諸表固有の将来加算一時差異が生じる(税効果適用指針106項)。 1 税効果適用指針24項以外の解消事由 子会社に対する投資に係る連結財務諸表固有の将来加算一時差異のうち、税効果適用指針24項に定めた解消事由以外により解消されるものについては、次のいずれも満たす場合を除いて、将来の会計期間において追加で納付が見込まれる税金の額を繰延税金負債として計上する(税効果適用指針23項)。 2 子会社の留保利益(税効果適用指針24項) 留保利益に係る連結財務諸表固有の将来加算一時差異については、通常、親会社は子会社の留保利益を配当金として受け取ることにより解消されることから、原則として、当該将来加算一時差異に係る繰延税金負債を計上することとなる。 このため、親会社が当該子会社の利益を配当しない方針を採っているなど、将来の会計期間において追加で納付する税金が見込まれない可能性が高い場合を除いて、繰延税金負債を計上することとなる(税効果適用指針108項)。 子会社に対する投資に係る連結財務諸表固有の将来加算一時差異のうち、子会社の留保利益(親会社の投資後に増加した子会社の利益剰余金をいう。このうち親会社持分相当額に限る)に係るもので、親会社が当該留保利益を配当金として受け取ることにより解消されるものについては、次のいずれかに該当する場合、将来の会計期間において追加で納付が見込まれる税金の額を繰延税金負債として計上する(税効果適用指針24項、109項~114項)。 親会社が当該子会社の利益を配当しない方針を採用している場合又は子会社の利益を配当しない方針について他の株主等との間に合意がある場合等、将来の会計期間において追加で納付する税金が見込まれない可能性が高いときは、繰延税金負債を計上しない(税効果適用指針24項)。 公認会計士・監査審査会による「監査事務所検査結果事例集(令和2事務年度版)」(2020年7月14日)の129ページでは、連結上の留保利益に対する税効果の検討に関して、次の指摘がなされているので、注意が必要である。 Ⅴ 子会社等に対する投資に係る連結財務諸表固有の一時差異の各項目の取扱い 税効果適用指針22項から24項に従って繰延税金資産又は繰延税金負債を計上する場合、当該繰延税金資産又は繰延税金負債は、次の場合を除いて、法人税等調整額を相手勘定として計上する(税効果適用指針27項、116項)。 (了)
ハラスメント発覚から紛争解決までの 企 業 対 応 【第7回】 「被害者からの請求及び裁判外の紛争解決手続における留意点」 弁護士 柳田 忍 ハラスメントの被害者が会社や加害者に対して請求を行う場合、外部弁護士を通じて交渉を申し入れたり、裁判外や裁判所における紛争解決手続を利用するなどの方法をとることが多い。 本稿においては、被害者からの請求の概要を説明したうえで、被害者が外部弁護士を通じて交渉を申し入れてきた場合や、裁判外の紛争解決手続を利用した場合の留意点等について説明する。 1 被害者からの請求 ハラスメントの被害者から会社に対してなされる請求としては、基本的には損害賠償請求が考えられる。損害賠償請求は、「不法行為責任構成」をとる場合と、「債務不履行責任構成」をとる場合があり、不法行為責任構成をとる場合は、会社自身の不法行為責任の追及がなされる場合(民法第709条)と、役員や従業員の不法行為について会社の責任の追及がなされる場合がある(使用者責任(民法第715条第1項)、代表者の行為についての損害賠償責任(会社法第350条))。 債務不履行責任構成をとる場合は、会社の安全配慮義務(労働者がその生命、身体等の安全を確保しつつ労働することができるよう、必要な配慮をする義務。労働契約法第5条)違反や職場環境配慮義務(労働者が良好な職場環境で就業することができるよう配慮する義務)違反が根拠となる。 不法行為責任構成と債務不履行責任構成の違いは、会社と被害者のどちらが立証責任の負担を負うかという点と消滅時効の点だと言われているが、立証責任の負担については、不法行為責任構成と債務不履行責任構成のいずれにおいても、事実上大きな差異はないと言われている。 また、消滅時効についても、令和2年4月1日施行の改正民法により、生命・身体への侵害に基づく損害賠償請求については不法行為責任構成と債務不履行責任構成のいずれによっても実質的には異ならないことになっている。 他方、被害者が会社自身の不法行為責任や債務不履行責任を追及する場合、会社の帰責性が要件になるのに対し、被害者が代表者の不法行為について会社の責任を追及する場合は、会社は、その選任監督の過失の有無を問わずに責任を負うことになり、また、被害者が使用者責任を追及する場合においても会社は実質的に無過失責任を負うこととされているため、役員や従業員の不法行為が認められる場合には、ほぼ自動的に会社の責任も認められることになる。 よって、会社が日頃から予防措置を徹底していても、役員や従業員がハラスメントに及んでしまえば、会社は責任を免れられないわけであるが、会社自身の不法行為責任や債務不履行責任が認められる場合は、単に使用者責任等が自動的に認められる場合に比べて、会社のレピュテーション(評判)に与える影響等が甚大であると思われることから、仮に役員や従業員が不法行為に及び、使用者責任等が認められてしまうにしても、会社自身の不法行為責任・債務不履行責任が認められることのないように注意すべきである また、ハラスメント事案の解決のために、ハラスメントの被害者の配置転換を行う場合があろうが(拙稿第4回「相談窓口の運用と発覚後の初期対応」参照)、その場合、被害者から会社に対して、配置転換先での就労義務がないことの確認を請求される場合もある。 なお、被害者から行為者に対する請求としては、不法行為に基づく損害賠償請求(民法第709条)が考えられる。 2 外部弁護士による交渉申入れ ハラスメントの被害者が会社に対して請求を行う場合、まずは外部弁護士を通じて書面でコンタクトしてくることが多い。裁判外紛争解決手続だけでは終局的解決に至らない場合が多く、裁判上の紛争解決手続によることは、被害者にとって金銭的にも精神的にも負担が大きいためであるが、ある言動がハラスメントに該当するか否かの判断は専門家にとっても難しい場合が多く、裁判上の紛争解決手続を利用した場合の結果の見通しが立てづらいことから、当事者同士の交渉により解決を図るといった理由もある。このような事情は会社側にとっても同様である場合が多いため、当事者間の交渉により解決を図ることは有益である。 ただし、交渉が実らずに、裁判上の紛争解決手続に移行した場合、会社側の裁判上の主張等が当事者間の交渉における発言等と異なると、被害者側にそれらの齟齬や変遷を指摘される可能性がある。齟齬や変遷がある主張等は一般的に信用性が低いと考えられていることから(拙稿第6回「ハラスメントの事実認定と加害者の処分等における留意点」参照)、当事者間の交渉における発言には十分に気をつける必要がある。 また、当事者間の交渉における相手方の発言を記録しておくと、後に裁判に移行した場合に、相手方の裁判上の主張等との齟齬や変遷が見られる場合にこれを指摘することにより、相手方の主張等の信用性を失わせることが可能となる。 3 裁判外の紛争解決手続 裁判外の紛争解決手続としては、都道府県労働局、都道府県労働委員会、労働情報センターや労働事務所によるものや、弁護士会の制度などがあるが、本稿では、特に多くの利用例が見られる都道府県労働局による紛争解決制度について説明する。 都道府県労働局による紛争解決については、都道府県労働局長による助言・指導(個別労働関係紛争解決促進法第4条等)や都道府県労働局長が設置する紛争調整委員会によるあっせん(個別労働関係紛争解決促進法第5条)や調停(男女雇用機会均等法第18条第1項等)等がある。 「あっせん」とは、個別労働関係紛争(労働条件その他労働関係に関する事項に関する個々の労働者と事業主との間の紛争)につき、あっせん委員が当事者双方の主張を聴き、調整を行い、話し合いを促進することにより紛争の解決を図る制度であり、「調停」とは、調停委員が、当事者から事情聴取を行い、聴取した事情をもとに調停案を作成して、調停案の受諾勧告を出すことにより紛争の解決を図る制度である。 あっせんは、個別労働関係紛争を広く対象とするが、一定の紛争についてはあっせんの対象外とされており、これらの紛争は調停により解決されることになる。あっせんも調停も非公開の手続であり、参加義務はなく、調停については調停案を受諾する義務もない。 セクハラやマタハラについては、あっせんの対象外とされており、調停により解決されることになる。また、パワハラについては、2020年6月1日の改正労働政策総合推進法(いわゆるパワハラ防止法)の施行後は、大企業についてはセクハラやマタハラと同様、あっせんの対象外となり、調停の対象となったが、中小企業については2020年4月1日まではあっせんにより、同日以後は調停により解決が図られることになった。 上記のとおり、会社にはこれらの手続に参加する義務はないが、参加した場合、裁判上の紛争解決制度による場合よりも低額の解決金をもって解決できる可能性がある(※)。 (※) 2014年に実施された調査における解決金額の中央値は、あっせんについては156,4000円、労働審判については1,100,000円、通常訴訟については2,301,357円(労働政策研究・研修機構「労働局あっせん、労働審判及び裁判上の和解における雇用紛争事案の比較分析」労働政策研究報告書No.174(2015))。 なお、調停について、2019年の法改正により、関係当事者の同意がなくても、ハラスメントの行為者の出頭を求めて意見を聴くことが可能となった点につき、留意が必要である。 (了)
〔一問一答〕 税理士業務に必要な契約の知識 【第10回】 「現行民法の施行と保証に関わるルールの変更点」 虎ノ門第一法律事務所 弁護士 鏡味 靖弘 〔質 問〕 令和2年4月1日の現行民法の施行により保証に関するルールが変わったと聞きましたが、具体的にはどういった点が変更されたのでしょうか。 〔回 答〕 民法改正により、主に個人根保証契約や事業に係る債務を主債務とする保証契約について大きくルールが変更されました。いずれも、保証人(特に個人)の保護拡充を目的としたものであり、主要な変更内容として以下のものが挙げられます。 ◆◆◆◆ 解 説 ◆◆◆◆ ※以下では、民法の一部を改正する法律(平成29年法律第44号)に基づく改正後の民法(令和2年4月1日施行)を「現行民法」といい、当該改正前の民法を「旧民法」という。 1 個人根保証契約に関わるルールの変更〔回答①〕 (1) 個人根保証 「根保証」とは、債権者と債務者との間の継続的な契約関係から現在及び将来にわたって発生する不特定多数の債務を包括的に保証するものをいい、法人ではなく個人が根保証をすることになるものを「個人根保証」という。 なお、根保証が継続的に発生する不特定の債務を保証するものである以上、どこかの時点で根保証の対象となる債務の範囲を特定する必要があるところ、この特定を「元本確定」という。後述する元本確定事由の発生又は元本確定期日の到来により元本は確定し、元本確定後に生じた主債務については根保証の対象外となる。 (2) 極度額の定めの義務付け【全ての個人根保証契約へ対象拡大】 旧民法においては、個人根保証契約のうち、主債務に貸金等債務(金銭の貸渡し又は手形の割引を受けることによって負担する債務をいう。以下同じ)が含まれる「個人貸金等根保証契約」についてのみ、保証の上限額である「極度額」の定めが義務付けられていた(旧民法465条の2)。 他方、現行民法においては、個人貸金等根保証契約のみならず、全ての個人根保証契約について極度額を定めることが義務付けられた。もし、個人根保証契約において極度額の定めがない場合は、当該個人根保証契約自体が無効となる(現行民法第465条の2)。 そして、この極度額については、例えば「3,000万円」などと明確に定められなければならない。「賃料6ヶ月分」といった定めも可能であると考えられるが、やはり具体的な金額で定めておく方が無難であろう。 (3) 元本確定事由【全ての個人根保証契約へ対象拡大】 元本確定事由とは、当該事由の発生により当該個人根保証契約の元本が確定すべきこととなる事由をいう。 従前は、個人貸金等根保証契約についてのみ、元本確定事由に関する規定が置かれていた(旧民法465条の4)。他方で、現行民法下においてはその範囲が拡大され、全ての個人根保証契約について元本確定事由が定められた(現行民法465条の4第1項)。 現行民法下における元本確定事由は以下のとおりである(現行民法465条の4。ただし、④⑤については個人貸金等根保証契約のみの確定事由である)。 (4) 元本確定期日【変更点なし】 元本確定期日とは、文字どおり、当該根保証契約においてその根保証の対象たる主債務の元本が確定すべき期日のことをいう。 現行民法でも元本確定期日に関する規定が置かれているが、これは個人貸金等根保証契約のみを対象としており、それ以外の個人根保証契約には適用されない(現行民法465条の3)。個人貸金等根保証契約における元本確定期日については、当該契約締結日から原則3年(最長5年)の制限に服するが、他の個人根保証契約に関してはこのような制限はない。この点は旧民法下においても同様であったため(旧民法第465条の3)、元本確定期日に関しては現行民法の施行に伴う変更点はないこととなる。 2 事業に係る債務についての保証契約に関するルールの変更〔回答②③〕 (1) 公証人による保証意思確認手続の新設 事業のために負担した貸金等債務を主債務とする保証契約又は主債務の範囲に事業のために負担した貸金等債務が含まれる根保証契約のうち、第三者たる個人が保証人(根保証人を含む。以下同じ)となる場合について、公証人による保証意思確認手続が新設された(現行民法465条の6ないし465条の9)。 公証人による保証意思確認手続とは、具体的には、保証人となろうとする者が保証しようとしている主債務の内容を具体的に認識していること、保証人が保証債務を負担し、主債務が履行されなければ自ら保証債務を履行すること等のリスクを十分に理解しているかどうかを公証人が確認する手続である。なお、保証意思確認手続は、当該保証契約締結の日前1ヶ月以内に行われる必要がある(現行民法465条の6)。 ただし、保証人となろうとする個人が以下の場合には、保証意思確認手続の履践は不要である(現行民法465条の9)。 保証意思確認手続の履践が必要な場合に、当該手続を経ずに締結された保証契約は無効となる(現行民法465条の6)。 (2) 保証契約締結時における情報提供義務の新設 事業のために負担した債務(貸金等債務に限らない)を主債務とする保証契約又は主債務の範囲に事業のために負担した債務が含まれる根保証契約のうち、委託を受けた個人が保証人になろうとするものについて、保証契約締結時の情報提供義務が新設された(現行民法465条の10)。 主債務者は、事業のために負担した債務の保証を個人に対して委託する場合、以下の情報を当該個人に対して提供しなければならない。 主債務者が上記情報提供義務に違反した場合(事実と異なる情報を提供した場合を含む)、以下の①②が満たされていれば、保証人は、当該保証契約を取り消すことができる。 3 保証一般に関するルールの変更〔回答④⑤〕 (1) 期限の利益喪失の場合における情報提供義務の新設 個人保証一般につき、主債務者が期限の利益を喪失した場合の債権者の情報提供義務が新設された(現行民法458条の3)。 債権者は、主債務者が期限の利益を喪失したときは、期限の利益喪失を知った時から2ヶ月以内にその旨を保証人に対して通知しなければならない。 もし、債権者が前記情報提供義務を怠った場合、債権者は、保証人に対し、期限の利益喪失時から通知の時までに生じた遅延損害金の支払を請求することができない。なお、主債務者が当該遅延損害金について支払義務を負うことは当然である。 (2) 主債務の履行状況に関する情報提供義務の明記 主債務者から委託を受けた保証一般(保証人が法人である場合も含む)につき、主債務の履行状況に関する債権者の情報提供義務が明記された(現行民法458条の2)。 債権者は、保証人から請求があったときは、主債務の元本、利息、違約金、遅延損害金その他当該主債務に従たる全てのものについて、以下の事項に関する情報を保証人に提供しなければならない。 4 ルール変更の基準時 以上に述べたとおり、現行民法の施行により保証契約に関して様々なルールが変更されたが、これら新ルールの適用の有無は、当該保証契約の締結時を基準に判断される(現行民法附則21条1項)。つまり、当該保証契約の締結時(保証契約が更新された場合は更新時)が令和2年4月1日以降であれば、前述の新ルールが適用されることとなる。 (了)