「税理士損害賠償請求」 頻出事例に見る 原因・予防策のポイント 【事例131(所得税)】 税理士 齋藤 和助 《基礎知識》 ◆中小事業者が機械等を取得した場合の特別償却(措法10の3①②) 青色申告者である中小事業者が、平成10年6月1日から令和7年3月31日までの期間内に、製作後事業の用に供されたことのない特定機械装置等を取得し又は特定機械装置等を製作して、これを国内にある指定事業の用に供した場合には、その事業の用に供した日の属する年の年分における事業所得の金額の計算上、その特定機械装置等の償却費として必要経費に算入する金額は、通常の償却費の額とその取得価額の30%との合計額以下の金額でその中小事業者が必要経費として計算した金額とすることができる。 なお、償却不足額については、1年間繰り越して必要経費に算入することができる。 (了)
固定資産をめぐる判例・裁決例概説 【第34回】 「一括取得した土地・建物の売買代金の按分方法として、 鑑定評価に基づく積算価格比率による按分が認められた事例」 税理士 菅野 真美 ▷土地と建物を一括取得した場合の取得価額の按分方法 土地と建物を一括取得して、それぞれの価額がいくらなのかが契約書に記載されていない取引がある。この場合、売買代金をなんらかの基準で土地と建物に配賦することになる。 建物を事業の用に供する場合は、減価償却費を通じて長期間にわたって購入対価を必要経費処理できるが、土地は必要経費処理をすることができない。毎期の所得税や法人税の納税負担を軽減したいならば、減価償却費を増額させるために建物の取得価額により多くの売買代金を負担したいと考える傾向がある。しかし、いきすぎた建物への取得価額の配賦については、否認されるケースがある。 課税庁は、多くの場合、土地と家屋の固定資産税評価額の比率で按分を行う。本連載【第24回】「購入した不動産の内訳について契約書に記載された金額に基づくか、固定資産税評価額による按分額に基づくかで争われた事例」では、契約金額で定められた家屋の金額が著しく高額であったことから固定資産税評価額の比率で按分した価額が是認された。 また 本連載【第32回】「土地・建物一括譲渡の場合における対価の区分について鑑定評価額に基づく按分が認められた事例」においては、課税庁は固定資産税評価額の比率による按分を主張したが、地裁は、所在する地域の時価が上昇傾向にある場合は、将来予測価値が適切に反映される鑑定評価による按分を認めた。この鑑定評価による按分が認められたのは納税者の申し出により裁判所が鑑定を行ったことも要因の1つと考えられる。 今回も、土地と建物を一括取得した事例で、鑑定評価による積算価格比率が認められた裁決事例を検討する。 ▷どのような事例か 納税者(法人)は、平成30年から令和元年にかけて、3つの土地・建物を一括購入し、代金を支払った。この土地・建物の取得価額の按分について、それぞれの土地の取得年分の路線価に地積を乗ずることによって土地の売買代金を算定した後、売買代金の総額からこの金額を差し引いて建物の売買代金を算定する方法(本件差引法)で土地と建物の取得価額を導き出し、それに基づいて確定申告をしたところ、課税庁は固定資産税評価額の比率で按分して土地と建物の売買代金を算定(本件固定資産税評価額比按分法)し、導かれた建物の取得価額に基づいて減価償却費を計算して更正処分を行った。 この処分を不服とした納税者は再調査の請求をしたが、棄却されたため、審査請求したのが本事案である。 土地・建物の売買代金等は以下のとおりである。 ▷納税者の主張 納税者は、これらの土地や建物の按分について、本件差引法を用いて申告した。審査請求において納税者は、路線価が土地の相場をおおむね反映していることから、土地の売買代金相当額の算定方法として合理的な本件差引法を用いるべきとする主位的主張を行った。 また、予備的に建物1の売買代金相当額の算定にあたっては、「本件見積額等比按分法」を、建物2と建物3の売買代金相当額の算定にあたっては「本件積算価格比按分法」を用いるべきと主張した。 この「本件見積額等比按分法」とは、建物1の再建築価格として工事見積額を56,700,000円(本件見積額)として、その5%を乗じて計算した額と、土地1の査定価格8,700,000円の価額比で按分して売買代金相当額を算定する方法である。 これを用いるべき理由として、査定価格は土地の時価を示すものであり、本件見積額は再建築価格を示し、未償却残高(取得価額の5%)を法人税基本通達9-1-19で時価と認めていることからすれば、本件見積額の5%相当額が建物の時価として妥当だからとした。なお、他の者が出した本案件の改築見積額は35,750,000円だった。 また、「本件積算価格比按分法」は、鑑定評価のうち建物は原価法で積算価格を求め、土地は取引事例比較法により積算価格を求め、土地と建物の積算価格と当時の消費税等相当額を加算した額との価額比率で按分して売買代金相当額を算定する方法である。 これを用いるべき理由として、各鑑定は的確な判断力を有する専門家が行ったもので、データや実情に即したものであり、資産の個別的な事情が反映されたものだからとした。 ▷課税庁の主張 課税庁は、いずれも本件固定資産税評価額比按分法を用いるべきと主張した。 この理由は、固定資産税評価額は、算出機関も算出時期も同一だから、同一時期の時価を反映したものであり、中古物件の場合、按分比率に本件固定資産税評価額比按分法を用いることは、簡易、迅速に土地、建物の売買代金相当額を把握できるからだとした。 ▷審判所の判断は 審判所は、次のとおり本件物件1については、本件固定資産税評価額比按分法を是認し、本件物件2、3については本件積算価格比按分法を是認した。 本件差引法について、路線価は地価公示価格と同水準の価格の80%程度を目途として設定されるから、売買代金に反映される土地の価額が低くなる一方、建物の価額が高額となるから不均衡が生じ、合理的とは認められないとしている。 * * * 今回の裁決事例で、甘い見積額に基づく本件見積額等比按分法での算定は認められなかったが、本件積算価格比按分法は認められた。 これは、この按分法の対象となった建物について改修工事を行っており、それが固定資産税評価額には反映されていなかったからである。このように不動産に特殊な事情がある場合は、鑑定評価による按分が是認される傾向にあるのだろうか。 (了)
〈一角塾〉 図解で読み解く国際租税判例 【第38回】 「日本ガイシ事件 -立地特殊優位性がもたらす利益の取扱いについて- (高判令4.3.10)(その2)」 ~租税特別措置法66条の4第1項、第2項1号ハ、同施行令39条の12第8項1号ハ~ 税理士 井藤 正俊 (3) 検討その3~分割要因の決定 本判決については、次の2点を評価する意見がある(※11)。第1は、「重要な無形資産以外の利益発生要因であっても、残余利益において考慮することを認めていることから」、重要な無形資産以外の利益発生要因は基本的利益、重要な無形資産は残余利益「の二分法を排除し、事案に応じた利益分割法の方法を提示した意味がある」点である。 (※11) 南繁樹「移転価格-残余利益分割法に関する新判断-東京高裁令和4年3月10日判決(上)」国際税務Vol.42 No.8(2022年)81頁 第2は、「判示は、特定の要因が利益発生に貢献していると認定される以上、基本的利益又は残余利益のいずれかにおいては考慮されなければならないことを示唆している」ことである。この2点については、筆者も大変注目すべき点であるものと考える。なぜなら、「従来の二分法においては、ある要因が基本的利益では評価されにくいが、重要な無形資産以外の要因であることから残余利益においても考慮されず、結果としていずれからも抜け落ちる可能性があった」(※12)ものを拾い上げることになるからである。 (※12) 前掲(※11)に同じ ただ、従来の二分法で「抜け落ちる可能性があった」ものが、結果的に、残余利益を構成することになるとする点には注意を要するものと考える。なぜなら、本事件では、それらは、分割対象利益の発生に寄与した程度を推測するに足る要因(分割要因)と共に、残余利益の分割として、日本の法人と国外関連者とに配分されることになったからである。このことは、RPSMの計算構造上、不可避的な問題であるものの、熟考を要しよう。 そもそも、従来の二分法による重要な無形資産の残余利益部分と、「抜け落ちる可能性があった」ものとを、同一水準の分割要因で按分してよいかという、本質的な問題が生じていると考えられるからである。換言すれば、「抜け落ちる可能性があった」ものについては、判決では、「本件超過利益の発生メカニズム」であり、「要するに、〔1〕EU市場におけるセラミックス製DPFの需要の急増、〔2〕本件国外関連者によるEU市場への早期の参入、〔3〕■〔伏字〕、並びにこれによってもたらされた2社寡占状態の継続による高いシェアの維持及び■、〔4〕売上高の増大に伴う規模の利益、〔5〕生産効率の向上を利益発生要因とするものである。」(※13)とする。本主張のうち、〔4〕は経済学が示す規模の経済(※14)の考えに基づくものであるが、他については、実態を踏まえた指摘事項と捉えられる。 (※13) 地裁判決「事実及び理由」の「第3の3」 (※14) 高裁判決において裁判所の判断の中では「規模の利益」と表している。 なお、本事件にあっては、原審の段階から、複数の国立大学大学院経済学研究科教授による意見書が提出され、裁判所において検討が行われている(※15)。判決文の「別紙」において意見書の要旨は分かるものの、全文を確認することは残念ながらできない。そのため、「別紙」においてすでに検討済みの内容もあるのかもしれないが、以下では、裁判所が認定した「本件超過利益の発生メカニズム」に関する事項について、筆者の考えを述べたい。あらかじめ要点を述べれば、経済学が示す規模の経済(利益)を把握し得たのであれば、あえてRPSMを用いることなく、直接、国外関連者に配分し得たのではないかとの疑問である。 (※15) 地裁判決(別紙6)原告の主張の要旨 ① 規模の経済(利益) 上記の〔4〕の主張は、経済学において、企業の長期平均費用曲線は、〈図表2〉に示すように、その生産数量の増加とともに1個当たり生産コストが逓減することを根拠に置いているものと考えられる。いわゆる規模の経済である。このような考え方は、古くから示されているものでもある(※16)。 (※16) 例えば、志田明『ミクロ経済学』富士書店(1986年)75-76頁 〈図表2:短期平均費用曲線(SAC)と長期平均費用曲線(LAC)の関係〉 例えば、志田明東京経済大学名誉教授によれば、長期平均費用曲線(LAC)が右下がりになるのは、生産要素を分割したのでは、同じ能率を維持できないような、生産要素の分割不可能性があるからであり、規模の経済が出尽くすと、長期平均費用曲線は水平な線に転じる。右下がりから水平に変わる臨界点は、生産の最小最適規模と呼ばれると説明されている(※17)。 (※17) 前掲(※16) 本判決は、経済学者の意見書などを勘案し、規模の経済があると認定したものと言えよう。そしてまた、規模の経済こそが、判決の主眼を成すものと捉えられよう。なぜなら本事件は、Yが製造するDPF製品が特殊であることから排ガスのEuro規制に適合し、寡占市場を形成させ、増産のための工場設備投資を誘引し、最終的に、Yに規模の経済による利益をもたらしたという構造だからである。 つまり、規模の経済の一点に、あらゆる取引事象を収斂させていった。そして判決では、当該利益をRPSMを用い配分するうえで、分割要因として超過減価償却費なる新たなコンセプトを導き、配分することにもなったのである。 ただ、筆者としては、規模の経済を認識し得たのであれば、規模の利益の金額算定が可能であったのではないのか、との疑問を抱く。なぜなら、経済学上の通常のアプローチでは、Yの短期費用曲線、それに基づく短期平均費用曲線が求められ、長期の費用曲線などの分析が行われ、現に、Yの生産量が費用曲線の右下がりの部分にあると特定されて、はじめて規模の経済が認識されるからである(※18)。 (※18) 規模の利益の捉え方について疑義を呈した論文として勝野晃「規模の利益が独立企業間価格の算定に与える影響について(東京高裁令和4年3月10日判決)」国際税務Vol43 No.10(2023年)78-87頁があり、注目に値する。 そこで以下では、仮に、経済学的アプローチが採られた場合、金額算定が可能であったのではないかとの前提を置きつつ、裁判で採用された内容の検討を試みたい。 ② コスト構造の検討 本判決の特徴の1つは、裁判所が、納税者Xが主張したコスト構造の分析を受け入れたことであろう。そのうえで、「基本的減価償却費」が算定され、それらから導かれる「超過減価償却費」が分割要因として採用されるに至った(※19)。 (※19) 前掲(※7)において、大野教授は、判決の意義として、「市場の寡占によって超過利益が生じている事例において、当時の措置法通達にとらわれない解釈を示した初めての裁判例である」(55頁)と述べている。また、「裁判所が、課税当局の行った移転価格課税につき、法令の適用誤りを理由として取り消すのではなく、裁判所の判断で所得金額を再計算した初めての事例である」(59頁)との2点を挙げている。 ただ、実務のうえで、移転価格分析において、対象企業が資本集約型か労働集約型かなどの検討を行うことはあるものの、何をもって資本集約型とするかの判断基準は定かでない(※20)。たしかに、TPMの選定の局面、機能リスクの分析、それらに基づく比較対象取引の抽出・選定において考慮することはあっても、金額算定し、当該数値を定量分析に反映するという実務は、あくまでも筆者の感覚であるが、これまで殊更強調されてはこなかったと思われる。 (※20) ガイドライン(2017年版及び2022年版)パラグラフ2.92及び2.103において、「資本集約的」なる用語が用いられている。いずれも、移転価格算定方法の取引単位営業利益法の適用に当たっての「営業利益算定に当たっての分母」に関する考え方を示したものであり、それらにおいても、どのような水準であれば資本集約的と考えるかなどの基準等は示されていない。 その点から本判決は、課税庁にとっては、大きな課題が課されたことになろう。つまり、課税庁が調査を行う際には、無形資産でないものの、LS/LSAが発生原因と考えられる超過収益が存在しないかを考慮しつつ、仮に超過収益が発生していると考えられた場合、その要因がいかなる費用に基づくものかの当たりを付け、国外関連取引当事者ばかりか、比較対象取引の検討においても、その候補となる企業のコスト構造分析をもする必要があることを意味するからである。 その点、LSに関する先行する裁判例としてホンダ事件がある。ただ、ホンダ事件の場合、マナウス税恩典という明白なLSを対象とし、その点の差異調整を行えばよかったと考えられなくもない。一方、本件では、寡占市場を前提とした事業に係るLSAを、本件判決で繰り返し述べられる「重要な無形資産とそれ以外の要因とが共に複数の利益発生要因として重なり合い、相互に影響しながら一体となって超過利益(残余利益)が発生したと認められる」状況の中、XとY各々のコスト構造の分析ばかりか、地理的・物理的に情報収集が困難な比較対象取引(企業)についても、同様の分析をする必要があり、作業の困難さがより増したと言えるのである。 ③ 「通常の利益」の比較対象取引の財務データの使用 本判決においては、残余利益の分割要因の金額算定として、基本的利益を算定した比較対象取引5社の数値を用いていることも特徴の1つに挙げられる。裁判所が本件解決のために採用した苦心の1つと捉えられる。ただ、基本的利益の算定に用いられた比較対象取引を、残余利益の分割要因の金額算定に用いることが、はたして合理的か否かの疑問がある。 1つの考え方として、基本的利益の算定に適した比較対象取引であることから、検証対象との関係から見れば、当該5社は超過利益を除いた部分にあっては、「同種又は類似」(※21)であると考えられることから、差異部分があるとすれば、超過収益をもたらす何らかであると解されるとの発想があろう。また、別の考え方として、当該5社は、あくまでも基本的利益の算定に用いられた単なる比較対象取引であり、そのことをして、他の何かを保証するものではないという考え方があろう(※22)。 (※21) 租税特別措置法施行令39条の12第8項1号ハ (※22) 地裁判決の「(別紙5)被告の主張の要旨」において、「残余利益分割法における基本的利益の算定方法は、米国財務省規則の利益比準法(以下「CPM」という。)の考え方を採り入れたものである。CPMは、営業利益率を検証する方法であり、その理論的基礎は、『自由で競争的な市場においては営業利益率はいずれ収束するはずであり、標準以下の営業利益率しか得られない企業の存立は資本市場が許さない。』という近代経済学の考え方であり、産業セグメント別又は法人単位で営業利益率を比較すれば足りる。」とあることから、原処分庁の考え方は、本文に示す後者の立場にあるものと推測される。ただし、基本的利益について、別紙5にある考え方を採用した場合、法令上、「同種又は類似」とあることとの整合性が問題視され、他の論点を惹起するものと考えられる。 〈図表3:基本的減価償却費/超過減価償却費の考え方〉 この点、課税庁は後者の立場に立ち、原審において、「超過減価償却費の計算(その基礎となる基本的減価償却費の算定方法)に関し、本件比較対象法人は基本的利益の算定における営業利益率の比較のために抽出された企業であり、売上高に対する減価償却費の割合については、営業利益率とは異なり、自由で競争的な市場において一定の標準的な割合に収束するという理論的な裏付けがあるとはいえないから、・・・・・・相当でない旨を主張する」が、裁判所は、「これに代わるものとして更に的確な推測を可能とする情報が得られない以上、本件比較対象法人における売上高に対する減価償却費の割合に基づき基本的減価償却費を算定するという上記の計算方法は、合理性を有する」と斥け、〈図表3〉で示すように、5社の減価償却費の平均売上高減価償却費を採用したわけである。 ここでの疑問は、平均値を下回っている比較対象取引と、平均値を上回る比較対象取引とでは、コスト構造が異なると言えるのではないかという点である。 例えば、〈図表3〉のCのように、平均売上高減価償却費を下回っていたとしても、5社により導かれた基本的利益率に係る売上高営業利益率に達しているのであれば、減価償却費以外の他の費用項目が達成に寄与していると考えられるのではないだろうか。その逆も、然りである。 あくまでも当該5社は、各々独立の企業であり、減価償却費のみに焦点が当てられ、コスト構造上の他の類似性などは加味されていない(※23)。そのため、はたして減価償却費のみで、LS/LSAとの間の因果関係を見出せるのかとの疑問が生じるのである(※24)。 (※23) 納税者Xは原審(別紙6)「エ」において、「OECDガイドラインは、残余利益分割法の基本的利益の算定において会計的な利益指標を重視し、会計的利潤の水準である営業利益指標は様々な要因によって影響を受けることを指摘しており、会計的利潤の水準である営業利益指標は均等化しないという立場をとっている。」と主張したが、残余利益の分割要因の選択のうえで、問題がないと考えてよいのかが疑問である。 (※24) 卸売販売に係る売上高販管費率と営業利益率との相関性を検討するなどし、比較対象取引の選定基準に用いることを検討したものとして、A.E. RODRIGUEZ「Examining Unintended Effects from Using The SG&A Intensity Ratio to Screen Wholesalers」Tax Management Transfer Pricing Report Vol. 9,No.21(2001年)PP804-809がある。 また、一企業の費用構成は多様であり、その間の比率(本判決にならえば売上高に対する各費用勘定の比率)は一様ではない。そのため、平均値で捉えきれないところはないかが疑問となる。また、5社といったわずかな数ではなく、より多くの数を母集団とし、それらから求められる数値を用いることが考えられる(※25)。なぜなら、わずか5社の実績値では、変動幅が大きく発現する可能性があるからである。 (※25) 本件抽出基準と同様に、ORBIS登載のEU加盟国企業のうち、業種コード3714(自動車部品・付属品製造業)に該当する法人を抽出し、該当業種に属する法人の売上高減価償却費率を求め、それらに異常値を排除できる統計手法の四分位法を用いて計算することも考えられる。 〈図表4:比較対象法人における売上高に対する減価償却費の割合(平均値)〉 本判決の場合、〈図表4〉に示すとおり、平成19(2007)年は、平均値は3.07%であるのに対して、最も乖離の大きい平成21(2009)年は3.65%であり、その差は0.58%である。これを分割要因に金額換算した場合、国外関連者Yの売上高が判決では不明であるものの、仮に売上高が100億円であるとした場合、5,800万円の差が生じることになる。 民間が提供するデータベースによれば、国外関連者NGK CERAMICS POLSKA SP. Z O.O.の売上高は年々増加傾向にあり、データの取れる2016年3月期の売上高は約623億円、直近の2021年3月期で約851億円である(※26)。課税が行われた2006年から2009年の各売上高は不明であるものの、仮に2016年3月期の売上高の半分としても、0.58%の差は1億7,400万円のインパクトとなる。当該金額のインパクトをどう捉えるかは、当初の課税に用いられた分割要因の金額に占める相対評価となるものと思われるが、単なる差として捉えるには大きいのではないだろうか。ただ、それも、あくまでも感覚的なものである。 (※26) NGK CERAMICS POLSKA SP. Z O.O.の2016年3月期の売上高は2,086,531,600ポーランド・ズロチである。また、2016年3月31日の為替相場29.87円(公表仲値(TTM)。三菱UFJリサーチ&コンサルティング提供)であったことから、それらを用い計算した。 そこで、客観的な指標としての統計的手法を用いるのはどうであろうか。具体的には、採用5社を選定したように、ORBIS登載のEU加盟国企業であり、かつ、業種コード3714(自動車部品・付属品製造業)で抽出を行うのである。事業規模の相違に基づく差異を回避するために、売上高に一定の金額基準を置いてもよい。そのうえで、超過収益を生む重要な無形資産の形成等がないことの条件として、売上高R&D比率が1%未満であることなどの基準を設けるのもよいであろう。このようにして売上高減価償却費率を算定したうえで、四分位法により中央値を求め、当該数値と国外関連者の当該値との差から導かれる数値を、本判決でいうところの「超過減価償却費」としてみなし、分割要因として用いる方法が考えられる。 以上のアプローチは、いわゆる大数の法則から合理的だと言えなくもないであろう(※27)。 (※27) 納税者Xは原審(別紙6)「ウ」において、米国財務省規則の利益比準法(CPM)などの考え方の採用について否定する意見を述べている。 ④ 減価償却費の特性に基づく検討 会計学では、減価償却については、固定資産の取得原価を、使用可能期間の効用の消費分を費用化し、配分する手続であるとされる(※28)。減価償却を行うには、「取得原価」「残存価額」「耐用年数」の3つの要素が必要となる(※29)。 (※28) 伊藤邦雄『新・現代会計入門(第3版)』日本経済新聞出版社(2018年)336頁 (※29) 前掲(※28)337頁 当該固定資産の費用化については、「棚卸資産は消費量の把握が比較的に容易なのに対し、固定資産はその把握が困難である。なぜなら、固定資産は、商業であれば経営活動の遂行のために、また製造業における工場設備であれば製品の製造のためというように、とにかく企業の収益獲得のために使われることは疑いないが、それは全体として使用されるのであって、部分的に減少するものではないからである(工業、油田、森林などの消耗性資産は例外)。そこで、固定資産については、その取得原価を基礎にして、これを一定の償却方法によって当該資産の使用期間に割り当てて効用の費消分(expired usefulness)を費用化するのである。これを減価償却という。したがって減価償却は費用配分の手続であって、資産評価の手続ではない。ましてや利益調節弁であってはならない。(中略)減価償却の主目的は、適正な費用配分を行うことによって、毎期の損益計算を正確ならしめることになる」(※30)と古くから認識されている。換言すれば、減価償却の意義は、「適正な損益を計算するために、恣意的な方法ではなくて、一般に認められた所定の方法によって、計画的・規則的に行われなければならない。このような減価償却を正規の減価償却という。」(※31)とされる。 (※30) 中村忠『新訂現代会計学』白桃書房(1983年)86頁 (※31) 飯野利夫『財務会計論〔3訂版〕』同文舘(1993年)第7章2頁 つまり、固定資産の減価償却の計算は、損益計算の平準化を意図していると一般に考えられているのである。これは、財務分析で複数年度の比較を可能とする、今日的な要求にも合致する。 これらのことを考慮した場合、判決において、「本件国外関連者による初期の設備投資は、本件製品の量産を開始しEU市場に参入するために不可欠なものであった。また、追加の設備投資は、本件国外関連者が自動車メーカーの要求する本件製品の生産能力を確保するために不可欠であったものであるが、かかる生産能力の確保がされたために、本件国外関連者は自動車メーカーとの間で長期の契約期間による供給契約を締結することができ、2社寡占状態を継続させて高いシェアを維持するとともに■ことができたのであるから、これらの利益発生要因との関係でも、追加の設備投資による貢献は重要なものであったといえる。そして、これら初期及び追加の設備投資(本件設備投資)は、本件製品の生産構造につき資本集約度を高めるものであり、損益分岐点を大きく超える売上高が得られたことと相まって規模の利益をもたらしたという点でも、重要な貢献をしたものである。このように、本件国外関連者による本件設備投資は、本件超過利益をもたらした複数の利益発生要因に関して重要な貢献をしているものと認められるから、本件設備投資に係る減価償却費につき、上記(3)の原告の研究開発費及び本件国外関連者の■部門費と同等のウエイトにより、残余利益の分割要因とするのが相当である。」とするのは、減価償却の機能との関係でいかがなものであろうか。 減価償却費として費用化されている額は、あくまでも期間損益を平準化するために計画的・規則的に行われたものである。その平均値を用いた超過減価償却費が、超過利益への貢献であるとされるのには、違和感を覚える。そこで仮に、「他の複数の利益発生要因が重なり合い、相互に影響しながら一体となって残余利益(超過利益)」の一部を、別途、計算によって特定できるのであれば、それに越したことはないのではなかろうかと考えるのである。この点については、下記⑧の「(ⅰ) 複合的な要因の分析とその数値化」において後述するものとしたい。 ⑤ 営業利益が資産にウェイト付けされる利益水準指標(PLI)の適用の可否 わが国の移転価格税制は、営業利益が資産にウェイト付けされたPLIを採用していない。一方、ガイドラインにおいては、早くからこれを認めている(※32)。筆者としては、様々な理由から、わが国においてもPLIの1つとして採用すべきものと考えている(※33)。 (※32) 1995年のガイドラインにおいては、パラグラフ3.26において、「取引単位営業利益法は、納税者が一つの関連取引(中略)から実現する適切な基準(例えば原価、売上げ、資産)に対する営業利益(中略)を調べるものである。」として、すでに容認している。その後、2010年版において、「第2章 移転価格算定方法」に「B.3.4.3 営業利益が資産に対してウェイト付けされている場合」が設けられ、その使用をはっきりと認めている。最新となる2022年版ガイドラインにおいても同様である(該当パラグラフは2.103-2.104)。 (※33) 井藤正俊「取引単位の観点から見るわが国移転価格税制の諸課題」第44回日税研究賞入選論文集(2021年)77-81頁 しかしながら、わが国の現行法令に規定されていない以上は、租税法律主義の観点からは、営業利益が資産にウェイト付けされたPLIを用いることは、通常、できないものと考える(※34)。このことを前提としたとき、ストックとしての固定資産をフローとして費用化させた減価償却費を分割要因として用いることに問題はないかとの疑問を抱く。 (※34) 相互協議を前提とした二国間事前確認(APA)事案などが例外的に考えられる。 これについては、減価償却費は、あくまでも分割要因であり、それ自体をベンチマークとして一定の利益を付加しているのではなく、用いている局面が異なるとの見方があろう。判決は、この立場に立っていることは明らかである。だが、超過減価償却費の概念の本質は、基本的減価償却費を超える部分が、通常の利益を超える、すなわち超過利益を生じさせると見るのであれば、理屈のうえでは、超過減価償却費をベンチマークとして、超過利益の一部を形成するものとみなしていると考えられないだろうか。このように考えたとき、上記の④で述べた視点と相まって、疑問を覚えるものである。 ⑥ 他勘定の考慮 裁判所は、超過収益に対するYの貢献として、超過減価償却費を分割要因に追加したが、そもそも、どうして減価償却費に着目し、追加したのだろうか。 この点について、原審でXは、「大規模な設備投資により多額の減価償却費が生じることとなった本件国外関連者における費用構造等についても考慮されるべき」と主張し、「資本集約度が高い本件製品の生産構造」であることを再三述べている。そしてまた、同観点から、課税庁が選定した比較対象取引(企業)に比較性がない旨、指摘している(※35)。 (※35) 原判決中、「(東京大学大学院経済学研究科教授)は、・・・・・・本件国外関連者は売上高の伸び以上に利益が増加する収穫逓増型企業の特徴を強く示しているのに対して、本件比較対象法人は売上高の伸びほどには利益が伸びない収穫一定型企業の特徴を有していることが明らかにされた。」とされる。 さらに、「労働力に比して資本設備をより多く用いる資本集約度が高い生産構造においては、生産費用のうち固定費(生産量の大小にかかわらず発生する一定の費用)の占める割合が相対的に大きい」ことから、具体的な「資本集約度を示す指標として、〔1〕「減価償却費/総営業費用比率」、〔2〕「原材料・部品費/総営業費用比率」、〔3〕「減価償却費/原材料・部品費比率」及び〔4〕「有形固定資産/売上高比率」を計算し、かつ、売上高が1単位増加した場合に増加する総営業費用(費用増加率)を計算して、各企業群における資本集約度と費用増加率を分析」(※36)するなど、減価償却費と有形固定資産に着目した主張を展開している。 (※36) 原審判決(別紙6)「第2基本的利益の算定方法の適否について」「2 比較可能性について」「(2) 比較可能性の要素」「ウ 費用構造」(オ) 会計学においては、古くから、費用の種類によっては、費用性支出があり、これは資本的支出と収益的支出とに区分されるという考え方がある。これによれば、収益的支出は、「支出の対価たる財貨または役務が支出年度に消滅してしまうような支出である。(中略)これに対して、支出の対価たる財貨または役務が1会計年度以上にわたって役立ち消滅するような支出を資本的支出という」(※37)とされる(※38)。 (※37) 前掲(※30)61頁 (※38) わが国の法人税法では、修繕費と資本的支出の振り分けについては、法人税法65条を受け、法人税法施行令132条にて、次のとおり規定しており、これに基づき処理を行うものとされている。 Yが従うポーランドの法人所得税法において、減価償却費の計上は、基本的にわが国と類似している(※39)ことから、単に減価償却費のみならず、例えば、修繕費等の扱いをどのように考えるかが問題となろう。仮に、リース資産を用い製造業を行っている場合などは、貸借対照表上、オフバランスになっている恐れがある。よって、オンバランス上の有形固定資産の比率のみでは、実態の誤認識が生じかねなくもない。 (※39) 日本貿易振興機構(JETRO)のホームページ「ポーランド」の情報によれば、ポーランドの法人税法上、減価償却額とその償却期間は、減価償却法と年間減価償却率に基づいて行われる。減価償却は原則、税務上の耐用年数に基づき定額法が採用される(最終検索2022年11月6日)。 ひと口に資本集約型(※40)といっても多様であり、他の事案においては、減価償却費の費用項目のみでは不十分な場合もあるかも知れない。この点については、次回の「4 今後の実務への影響~本判決の射程」で触れたい。 (※40) ガイドライン(2022年版)においても、「資本集約的な活動(capital-intensive activities/asset-intensive)」という用語は3箇所のパラグラフ(2.92、2.93、2.103)において用いているものの、その定義付けは行われてはいない。 ⑦ 分割要因のウェイト付け 本件においては、納税者の研究開発費と国外関連者の特定部門の部門費を、それぞれ分割要因(以下、「当初分割要因」という)として用いていた。本判決において、当初分割要因と、分割要因に追加した超過減価償却費とのウェイト付けについては、「設備投資の本件超過利益発生への寄与は、[納税者]の重要な無形資産及び本件国外関連者の重要な無形資産と比較しても、その利益発生の結果に対する重要性や直接性において決して劣らないものであるといえること」(※41)などの理由から、同等のウェイトにより、残余利益の分割要因とするのが相当であると判示された。 (※41) 原判決「事実及び理由」の第3の6(4)ア(ア) そもそも何らかの分割要因を他の分割要因とともに用いることは、残余利益の配分割合において相対化させることを意味する。仮に、100の支出が国外関連者にあっても、日本の法人に400の支出があれば、全体では500となり、国外関連者の残余利益への貢献は20%となり、配分される残余は20%相当となる。これが仮に、国外関連者の支出が100と同じであっても、日本の法人の支出が900となれば、国外関連者の残余利益への貢献は10%となる。そして、どちらの例においても残余利益が等しく1,000であったのなら、前者は200、後者は100の残余利益が配分されることになる。 これは、国外関連者と日本の法人との異なる貢献を、本質的には異質な無形資産を用いながらも、残余利益という1つのバスケットに放り込んだことにより生じる。こうした計算構造の大前提として、国外関連者と日本の法人との1の支出は、あたかも同値と評価されていることに他ならない。この点は、RPSMの機能を考えるうえで極めて重要な点と言える。 経済学は、貨幣の役割の1つとして、「情報が不完全な市場で、取引費用を節約し交換を促進する役割をはたす」(※42)要因を、古くから挙げている。また、会計の基本前提として、「貨幣的評価の公準」が求められ、「これは、すべての会計行為が貨幣単位によって行われるという前提である。(中略)裏を返せば、貨幣で評価できないものは、たとえそれが企業活動のために重要な役割を果たす要素であっても、会計の対象にはなりえないことを意味している。」(※43)とされる。 (※42) 前掲(※16)101頁 (※43) 前掲(※28)75頁 そもそも超過収益を生む重要な無形資産を扱うとき、費やされる1を、それぞれが等価と見てよいのか、という本質的な問題がある。費やされる1のウェイト付けをどうするのか、という問題と言ってよい。ただ、XあるいはYが計上する費用を、属性を維持させながら為替換算を行い通貨を同じくしたうえで、貨幣にて費用を示すほかに、現代会計にあっては方途はなく、これに従い、RPSMの計算も成り立っているのである。 この問題を、本件に限ってまず述べれば、判決が「相互に影響しながら一体となって残余利益(超過利益)が得られること」を前提にしていることから、1つのバスケットにXの試験研究費とともに放り込んだのだと見ることもできよう。そうすることが、貨幣の役割や、貨幣的評価の公準にかなった処理となっていると思料され得るのかもしれない。 しかし、その一方で、総費用曲線などの分析が可能であり、また、次の「⑧ 財務分析によるアプローチの検討」で示すように、「相互に影響しながら一体となって残余利益(超過利益)が得られ」た部分の利益のみを抽出可能であれば、それを用いるに越したことはないであろう。そして、判決の事実関係であるとの前提に立てば、Yに当該利益を直接に帰属させればよい。 そもそもRPSMは、DCF法のように、重要な無形資産そのものを評価するTPMではない。そのため、重要な無形資産を分割要因との関係でウェイト付けすることが、土台不可能だと見ることもできよう。ただ、本件のように、配分可能な利益について金額算定できるのであれば、当該利益については、RPSMの超過利益の発生に貢献した当事者にストレートに帰属させる方が、より理にかなったやり方になるのではないかと考えるものである。 ⑧ 財務分析によるアプローチの検討 これまで上記の①から⑦までにおいて述べてきたことは、判決において、「超過利益は必ずしも重要な無形資産のみによってもたらされるとは限らず、また、重要な無形資産だけではなく、これと共に他の複数の利益発生要因が重なり合い、相互に影響しながら一体となって残余利益(超過利益)が得られることがある」ことに依拠する。具体的には、「引用する原判決の『事実及び理由』の第3の2の認定事実(以下単に「認定事実」という。)及び同第3の3の『本件超過利益の発生メカニズムの検討』において説示された事情」による。これらの事情を踏まえると、本件超過利益の発生に関し、「本件設備投資が『重要な無形資産』に匹敵する程度の価値(重要性)を備え、超過利益獲得に寄与する(相関関係のある)ものとして重要な貢献をしたといえることは明らかである。」との控訴審の判断に基づく。ならば、「認定事実」と「本件超過利益の発生メカニズムの検討」の結果は、究極的には、「規模の利益」に収斂するのではないか、との疑問を筆者は持ち、①の冒頭でも述べたところである。言うなれば、もし規模の利益を、金額として把握可能であれば、あえて残余利益として把握する必要もなく、Yに直接配分すればよいのではないかと考えるのである。 そこで以下では、その点について、考察をはかるものである (ⅰ) 複合的な要因の分析とその数値化 判決では、「認定事実」と「本件超過利益の発生メカニズムの検討」の結果、他の複数の利益発生要因が重なり合い、相互に影響しながら一体となって残余利益(超過利益)が得られるとして、分割要因として「超過減価償却費」を算定し、Yの分割要因の総額に当該金額を毎期加算し、残余利益の分割に反映している。 しかし、すでに上記の「④ 減価償却費の特性に基づく検討」で述べたように、減価償却費は、損益計算上、売上高と紐づけ可能な直接費ではなく、期間損益計算の観点からその計上が認められる費用項目である。そのため、財務分析を行う上などから、計画的・規則的に費用化しているものと捉えられるのが一般的である。よって、超過減価償却費と残余利益の形成とは、因果関係が必ずしも明白とまでは言い切れないであろう。 そこでもし、相互に影響しながら一体となって発生した残余利益(超過利益)部分を直接的に認識できるのであれば、それに越したことはないものと考えられる。 X及びYは、製造業を営んでいる。一般に、それら業種の事業者は原価管理を行っている。判決が、「初期及び追加の設備投資(本件設備投資)は、本件製品の生産構造につき資本集約度を高めるものであり、損益分岐点を大きく超える売上高が得られたことと相まって規模の利益をもたらしたという点でも、重要な貢献をしたものである。」と述べるように、資本集約度が高い事業者の場合、とりわけ原価管理は厳密に行われているのが、筆者のこれまでの経験である。それだからこそ、損益分岐点が分かり、ひいては規模の利益がもたらされたと判断できるわけでもある。 このことを具体的に見れば、Yは、直接原価計算を採用しており、製造に係る固定費が分かり、限界費用、その裏側の限界利益を把握しているということである。 一方、当該製品の市場における需要やその変動について見れば、原審において、「本件各事業年度当時、EU市場におけるマーケットシェアは、イビデングループ(イビデン株式会社・・・・・・を頂点とするグループ)と原告グループとでほとんどを占めており、原告グループのシェアは■■%程度であった。イビデングループでは、フランス及びハンガリーに設立した各社(・・・・・・「イビデン・ヨーロッパ」・・・・・・)がSiC-DPFの製造を行い、原告グループでは、ポーランドにおける本件国外関連者が本件製品の製造を行っていた(以下、EU市場における本件国外関連者及びイビデン・ヨーロッパによる寡占状態を「2社寡占状態」という。)」とあり、製品は自動車部品であることを考慮すれば、製品販売数量などのデータは、比較的容易に入手できるものと考えられる。なぜなら、日本自動車工業会(JAMA)に匹敵する組織として、欧州自動車工業会(ACEA:European Automobile Manufacturers Association)が存在するからである。JAMAがそうであるように、ACEAは、リコールの問題もあることから、月単位で、車種ごとにデータの管理を行っており、当該データを入手することが可能である。そうすれば、当該製品の総需要も自ずと把握できるはずである(※44)。 (※44) 総需要の把握が可能であれば、統計的手法等により需要曲線を導出し、経済学でいうところの生産者余剰等の余剰分析も可能となる。その結果、より具体的に、Yの利益部分が特定可能になるものと考えられる。 以上の情報をもとに、いわゆる損益分岐分析やその応用となるCVP分析(※45)を行うことは比較的容易であり、これにより規模の利益の金額算定ができよう(※46)。そうであれば、わざわざRPSMを用い、規模の利益との因果関係が必ずしも明白ではない超過減価償却費を用いて計算するまでもなかったのかもしれない。そして、判決が認定したように、Yのみの貢献に起因するのであれば、算定された規模の利益の額をYに与えれば済むはずである。 (※45) CVP分析は、岡本清『原価計算〔3訂版〕』国元書房(1980年)506-512頁においてすでに紹介されるなど、損益分岐分析と同じく古く、同書では「第8章 損益分岐分析とCVP分析」として紹介され、現在では当該事項は一般的であると思料される。 (※46) 規模の利益の算定方法の1つとしては、原審の被告の主張(別紙6)によれば、「SiC-DPFのほぼ全てを本件国外関連者とイビデン・ヨーロッパのみで製造販売していた(2社寡占状態)」とあることから、2社による完全な寡占ではないものと考えられる。そこで、イビデン・ヨーロッパ以外にも販売を行っている企業の利益を「通常の利益」と捉え、当該会社の財務データの固変分解により損益分岐点分析や、回帰分析により総費用が求められよう。加えて、当該分析結果をもとに、ACEAから各社の販売数量を入手すれば、当該会社の操業度が把握可能となる。当該操業度を基準値とし、Yとの乖離幅を規模の経済がもたらした利益と考え、Yの損益分岐点分析に基づき超過利益を算定することが可能ではないかと思料される。 また仮に、原価管理において、固定費・変動費の区分(いわゆる、固変分解)が厳密に行われていない場合は、複数事業年度の製造原価報告書などのデータを用い、統計的手法の1つである回帰分析(※47)を用いて固変分解を行えばよい。ついてはそれらの結果を利用し、損益分岐分析を行い、規模の利益の金額を計算する方法も採り得たものと思料される。 (※47) 原判決によれば、回帰分析については、納税者が、東京大学大学院経済学研究科教授に依頼し、本件国外関連者と本件比較対象法人の事業の類似性の有無について、資本集約度の相違の検討に当たり用いている。 (ⅱ) 法令への当てはめ 上記(ⅰ)で示した方法が、わが国の移転価格税制上、どのTPMの適用となるのかが問題になるかもしれない。これについては、いくつか考えられよう。本判決を前提に考えれば、1つは、RPSMに準ずる方法(租税特別措置法施行令39条の12第8項7号)に該当するものとして扱うことが考えられる。あくまでも残余利益のうち、別途、規模の経済に係る利益のみを把握し、XとYの分割割合を0対100で分割することから、RPSMそのものではないが、準ずる方法と考えるわけである。 いま1つは、TPM適用以前の問題として扱うものである。つまり、最初からYの合算利益には含めず、TPMの埒外で金額計算を行い、Yにいわば直課するのである。 ただし、事案によっては、必ずしも分割割合が0対100とは限らない。そのような場合は、結局、通常のRPSMの適用を受け、他の分割要因による超過収益と一緒に残余利益を構成することになる。そのため、分割要因の特定、それを加味した場合の分割の相対化の問題が依然として残ることになろう。このような問題には、今後、事案の蓄積により検討を重ね、解決をはかる他は方法がないものと思料する。 ((その3)へ続く)
四半期報告書制度廃止に伴う開示実務のポイント 【前編】 史彩監査法人 パートナー 公認会計士 西田 友洋 2023年11月20日に「金融商品取引法等の一部を改正する法律」(令和5年11月29日法律第79号)が成立し、四半期報告書制度が廃止することが決定した。 本稿では、前後編の2回にわたって四半期報告書制度の廃止に伴う開示実務のポイントを解説する。なお、本執筆時点では多くのルールが公開草案の段階であることから、確定していないものについては、公開草案をもとに解説している。そのため、今後ルールが確定次第、情報を入手して確認していただきたい。 1 四半期報告書制度廃止に係るルールの公表 四半期報告書制度廃止に関して、関係各所から様々なルールが公表されている。 (1) 金融庁 (2) 東京証券取引所 (3) 日本公認会計士協会 (4) ASBJ 2 四半期報告書制度の廃止 「金融商品取引法等の一部を改正する法律」が可決され、上場会社においては、2024年4月1日以降に開始する会計期間に係る1Qと3Qの四半期報告書が廃止となり、決算短信のみ開示する。 例えば、2024年9月期決算の場合、3Qの四半期報告書が廃止される。2025年3月期決算の場合、1Qと3Qの四半期報告書が廃止される。 一方、2Qは四半期報告書から半期報告書に名称が変わり、特定事業会社以外の上場会社の場合はレビューを受け、特定事業会社(銀行、保険会社等)の上場会社の場合は監査を受け開示する。四半期(連結)財務諸表は半期(連結)財務諸表へと名称が変わる。 また、2Qにおいては決算短信も開示する。2Qの決算短信は、1Qと3Qの決算短信の名称との連続性を踏まえて、半期ではなく第2四半期(中間期)決算短信と名称が変わり、四半期(連結)財務諸表は中間(連結)財務諸表へと名称が変わる。 (出所:東京証券取引所「四半期開示の見直しに関する実務の方針」8頁) 【実務上のポイント】 1Qと3Qの四半期報告書がなくなるため、レビューもなくなる。そのため、年間の監査スケジュールについて、今までどおりでよいのか、それとも見直しが必要なのか、監査人と協議する必要がある。 〈決算期ごとの改正の適用時期〉 (出所:東京証券取引所「(参考)改正規則の適用時期」) 3 半期報告書の開示内容 2Qの半期報告書の開示内容は改正前と基本的に同様である。ただし、財務諸表等規則と連結財務諸表規則の体系が以下のとおり改正される。改正前は、年度、四半期、中間でそれぞれ財務諸表等規則と連結財務諸表規則が定められていたが、改正後は、財務諸表等規則と連結財務諸表規則に一本化され、半期報告書の開示についても財務諸表等規則と連結財務諸表規則に規定される。 また、上場会社等(特定事業会社以外)が作成する中間(連結)財務諸表は、レビューを受けるため第1種中間(連結)財務諸表と呼び、それ以外が作成する中間(連結)財務諸表は、監査を受けるため第2種中間(連結)財務諸表と呼ぶことになる。 (※) 非上場会社(特定事業会社以外)は、原則、第2種中間(連結)財務諸表で作成するが、第1種中間(連結)財務諸表も選択可能である。 4 決算短信の開示内容 1Qと3Qの決算短信では、以下の下線部分の改正が行われる。 【実務上のポイント】 セグメントについては、今までも決算短信で開示している会社が多いと考えられ、四半期報告書では必ず開示している。また、キャッシュ・フローに関する注記も今までも四半期報告書で開示している。そのため、実質的な負担の増加はないと考えられる。 2Qの決算短信については、1Q及び3Qの決算短信で追加される事項について、「開示の義務付けはせず、速報性と投資者ニーズを踏まえ、各社の判断」で開示することになる。 〈決算短信のひな型の改訂〉 2Qの決算短信のひな型は、以下のように改訂される。 (出所:東京証券取引所「(参考)決算短信・四半期決算短信作成要領等(暫定版)履歴付き」37頁、39頁) 1Q及び3Qの決算短信のひな型は、以下のように改訂される。 (出所:東京証券取引所「(参考)決算短信・四半期決算短信作成要領等(暫定版)履歴付き」55頁、56頁) 5 決算短信のレビュー (1) レビューの有無 1Qと3Qは四半期報告書を開示しないが、決算短信は開示する。1Qと3Qの四半期報告書が廃止されると保証が付された財務諸表が開示されないことになるが、1Qと3Qの決算短信に対する監査人のレビューは原則、任意である。 ただし、会計不正等により、財務諸表の信頼性確保が必要と考えられる場合(具体的には、以下のaからeのいずれかに該当する場合)に、1Qと3Qの決算短信に対して監査人によるレビューが義務付けられる。 (注1) dとeについては、財務諸表の信頼性の観点から問題がないことが明らかな場合として、東京証券取引所が認める場合を除く。 (注2) aからdの要件該当後に提出される有価証券報告書及び内部統制報告書において、aからdのいずれにも該当しないこととなった場合には、レビューの義務付けを行わない。 (2) 決算短信レビューの保証 改正前の四半期報告書及び改正後の半期報告書は、適正表示の枠組み(※)に基づくレビューであるが、1Qと3Qの決算短信のレビューは、準拠性の枠組み(※)に基づくレビューを想定している。 (※) 適性表示の枠組み及び準拠性の枠組み 「適正表示の枠組み」は、その財務報告の枠組みにおいて要求されている事項の遵守が要求され、かつ、以下のいずれかを満たす財務報告の枠組みに対して使用される。 「準拠性の枠組み」は、その財務報告の枠組みにおいて要求される事項の遵守が要求されるのみで、上記①及び②のいずれも満たさない財務報告の枠組みに対して使用される。 決算短信では、追加情報の規定がないため、準拠性の枠組みが想定される。 適性表示と準拠性でレビュー報告書の文言は多少変わるが、保証水準は変わらない。レビュー報告書のイメージは下記より確認できる。 (【後編】に続く)
開示担当者のための ベーシック注記事項Q&A 【第20回】 「1株当たり情報に関する注記」 仰星監査法人 公認会計士 竹本 泰明 Question 当社は連結計算書類の作成義務のある会社です。連結注記表及び個別注記表における1株当たり情報に関する注記について、どのような内容を記載する必要があるか教えてください。 Answer 連結注記表・個別注記表それぞれで、①1株当たりの純資産額、②1株当たりの当期純利益(損失)金額を記載する必要があります。 また、当期又は当期末日後において株式併合又は株式分割をした場合には注書きが必要です。 ● ● ● 解説 ● ● ● 1 経団連のひな型による解説 経団連が公表している「会社法施行規則及び会社計算規則による株式会社の各種書類のひな型(改訂版)」(2022年11月1日)によれば、連結注記表、個別注記表それぞれ次のような注記が考えられます。 【連結注記表・個別注記表】 ※経団連のひな型で、連結注記表・個別注記表どちらも同じ記載例が示されています。 また、当期又は当期末日後において株式併合又は株式分割をした場合、当期の期首に株式併合又は株式分割をしたと仮定して1株当たり当期純利益を算定し、その旨を記載する必要がありますが、その場合の記載例も経団連のひな型に示されています。 【連結注記表 -株式の分割をした場合の記載例-】 ※個別注記表の場合は、「当連結会計年度」が「当事業年度」となります。 2 注記事項の解説 (1) 1株当たり情報に関する注記の全体像 連結計算書類の作成義務のある会社を前提とした場合、連結注記表・個別注記表で記載すべき1株当たり情報に関する注記事項は次のとおりです(会社計算規則第113条)。 (2) 注記事項の解説 上場会社(有価証券報告書)の場合は、1株当たりの当期純利益の金額だけでなく、その算定の基礎や潜在株式調整後1株当たり当期純利益の金額に関する情報なども注記しなければなりませんが、会社計算規則ではこれらの定めはなく、上記(1)①~③のみを記載すれば足ります。 なお、「1株当たり当期純利益に関する会計基準」第30-2項において、株式併合又は株式分割を行った場合の期中平均株式数の算定方法(表示する財務諸表のうち、最も古い期間の期首に当該株式併合又は株式分割が行われたと仮定して算定する)が定められており、注記に際してもその旨を記載して注意喚起しなければならないことから、(1)③の注記事項が求められています。 それでは、実際の注記を見ていきましょう。 [西松建設株式会社 2023年3月期 連結注記表] ※西松建設株式会社「第86期定時株主総会 その他の電子提供措置事項(交付書面省略事項)」21頁より抜粋。 [日本郵船株式会社 2023年3月期 連結注記表] ※日本郵船株式会社「第136期定時株主総会 その他の電子提供措置事項(交付書面省略事項)」17頁より抜粋。 [株式会社オリエンタルランド 2023年3月期 連結注記表] ※株式会社オリエンタルランド「第63期その他の電子提供措置事項」26頁より抜粋。 * * * 次回の第21回は、「重要な後発事象に関する注記」をテーマに解説します。 (了)
計算書類作成に関する “うっかりミス”の事例と防止策 【第44回】 「金融商品時価情報のレベル別時価のクロスチェック」 公認会計士 石王丸 周夫 1 「15,515」とすべきが「115,515」に 計算書類にはうっかりミスがつきものです。 実際、こんなミスが起きています。 金融商品の時価情報における金額の記載ミスで、「15,515」と記載すべきところを「115,515」としてしまったというものです(【事例44-1】)。おそらくは単純なミスです。 こうしたミスは人間である以上、経験や知識の多い少ないにかかわらず、誰しも避けることができないものですが、それゆえに、ミスを防止することより開示前にミスを見つけ出すことが求められます。今回はその方法について解説します。 では、早速、事例を見ていきましょう。 【事例44-1】 時価の合計金額の入力ミス。 (出所) ラオックスホールディングス株式会社「「第47期定時株主総会招集ご通知」の一部訂正について(2023年3月13日)」 【事例44-1】は、連結注記表の「金融商品に関する事項」の記載でのミスです。「金融商品に関する事項」の記載内容は、他の注記項目と比べて量が多く、【事例44-1】に示したのはその一部にすぎません。 【事例44-1】の箇所は、「金融商品の時価のレベルごとの内訳等に関する事項」という部分に当たります。金融商品の時価について、その時価の性質を3つに分類して情報提供しています。今回は単純な入力ミスと考えられるため、時価のレベルとは何かといった説明は割愛しますが、【事例44-1】は時価の性質に基づいた内訳表(レベル別時価の内訳表)であると捉えておけば十分でしょう。 その内訳表について、資産計の金額を間違えてしまったというミスです。この事例の会社は、2023年3月8日に本事例を含む定時株主総会招集ご通知の電子提供を開始し、2023年3月13日に当該誤記載の訂正を公表しています。 2 このミスを見つける方法~計算チェック~ このミスを見つける方法は複数あります。 第1は計算チェックです。【事例44-1】で間違えた箇所は合計の数値でした。したがって、できあがったこの注記について、電卓で計算チェックをすれば、合計が合わないことにより異常がすぐに発覚します。 教科書的には、この計算チェックは、注記を作成した本人が実施した上で、作成者とは別の人がダブルチェックとして実施することになります。 「2回も計算チェックの機会があれば、開示前に見つけることができたのではないだろうか」と思いたくもなりますが、実務的にはそう簡単ではありません。 なぜなら、レベル別時価の内訳表の完成が他の箇所より遅れることが考えられるからです。その場合、レベル別時価の内訳表のみ空欄で、他はすべて完成しているという状態の途中稿が存在します。その段階でいったん計算チェックを実施し、その後にレベル別時価の内訳表を追加入力して完成させると、レベル別時価の内訳表の計算チェックが抜け落ちてしまう可能性があります。 ダブルチェック担当者に至っては、そもそも計算チェックまでは行わないことも多いのではないでしょうか。計算チェックは注記作成者が当然実施しているものと思って目を通すという可能性が高そうです。 こういうことは組織での作業ではよくあることです。 3 このミスを見つける方法~クロスチェック~ そこで第2の方法が求められます。クロスチェックです。 クロスチェックについては、この連載で何度も解説してきたとおり、開示書類一式の中で同じ項目、数値が複数箇所で記載されている場合に、それらの整合性を確認するというチェックです。 金融商品の時価に関しては、以下のようなクロスチェックが可能です。総括表と内訳表の整合性チェックです。 (出所) ラオックスホールディングス株式会社「第47期定時株主総会招集ご通知(2023年3月15日、電子提供措置の開始日2023年3月8日)」より筆者作成 今回のミスは、「15,515」を「115,515」と入力してしまう単純なミスでした。そのようなミスが2つの表で同時で起きてしまうことは考えにくく、上のようなチェックを行えば、不一致による異常として検出される可能性が高いはずです。 このクロスチェックに関する留意点についても述べておきます。 ここでは2つの表を上下に並べて掲載していますが、実際の開示資料上は、これらの表は「金融商品に関する事項」の注記内の少し離れたところ(異なるページ)に掲載されています。そして、これらの2つの表の間には、やや長めで少々わかりにくい表現の文章が記述されているので、そちらに気を取られてしまうかもしれません。そうなってしまうと、不一致があっても気がつかない可能性があります。 したがって、この注記に関しては、上に示したクロスチェック箇所を覚えておき、意識的に整合性を確認する習慣をつけておく必要があります。それでも、クロスチェックは計算チェックより労力が少ないので、忙しい中でも実施可能だと考えられます。 〈今回のまとめ〉 「金融商品の時価のレベルごとの内訳等に関する事項」の合計値について、金融商品の時価等の総括表と突合する習慣をつけましょう。 (了)
賃上げ実施に伴う企業の労務上の留意点Q&A 【第1回】 「ベースアップ検討の際の3つのポイント」 ~昇給原資・目的・理由~ 社会保険労務士 富山 直樹 【Q】 物価の高騰に伴い、弊社でもベースアップを検討していますが、ベースアップを行う場合、会社として留意すべきポイントはあるでしょうか。 【A】 次の3点が主な留意点としてあげられます。 ① 昇給原資 ② 目的 ③ 理由 なお、以下で上記の留意点につきそれぞれ詳しく解説します。 ●○ 解 説 ○● ① 昇給原資 例えば、筆者がクライアントの社長より「従業員Aの給料を24万円から5万円上げて29万円にしたい」と相談を受けたとする。 この場合、昇給原資は単純に5万円×12ヶ月の年間60万円では足りない。 昇給に伴い、会社が負担する保険料も増額することはご存じの方も多いだろうが、具体的にどのくらい上がるのか。東京都の一般事業会社でAが40歳未満として計算すると、今回のケースでは下記のようになる。 ※上記につき2024年2月現在の保険料率にて計算 つまり、今回の内容でAの給与を月5万円昇給させると、給与のほかに社会保険料・雇用保険料の支払いだけで、年間約11万円が追加で必要となる。 社長の希望は「Aの給料を5万円昇給させたい」なのか、それとも「Aの昇給原資が年間60万円あるので還元したい」なのかを正確に確認しておきたい。 もし社長の希望が、後者の「昇給原資が年間60万円あるので還元したい」であった場合、単純にAの給料を5万円昇給させると、昇給原資を上回り赤字となってしまう恐れがある。 そのため、安易に「〇〇円昇給」というのではなく、昇給原資に対して、昇給額と同時に社会保険料・雇用保険料の上昇についても留意する必要がある。 ② 目的 上記質問によれば、昇給の理由は、昨今の「物価の高騰」に伴うものである。大企業でも「インフレ手当」というような形で従業員の生活を補助するために導入を進めている会社も存在する。 一時金として賞与に上乗せするような形で支給する場合は、事務作業の負担も少ない。 しかし、月額給与に手当として支給する場合は注意が必要である。 まず、就業規則(賃金規程)を改定し、インフレ手当についての記載をする必要がある。そして、インフレ手当の内容について記載をする際には「支給事由」を記載しなければならない。 具体的には「物価の高騰が落ち着いたらどうするのか」、「そもそも物価高騰の判断基準をどうするのか」といった内容である。また、一時的に支給するのであれば「その期間はいつまでなのか」といった内容も必要となる。 あくまで「物価の高騰」に伴って一時的に従業員の生活を助けることが目的であれば、一時金として賞与に上乗せするような形で支給することが、会社にとって負担の少ない方法であると考える。 また、「物価の高騰」もさることながら、そもそものベースアップを実施するにあたっても、その実施する目的をハッキリさせることが重要である。次の「③ 理由」に関係する内容なので、以下において併せて解説する。 ③ 理由 上記②と続く内容であるが、結論を先に述べると、昇給の目的と理由をハッキリさせ、従業員と共有することが重要である。 わかりやすくするため、2023年に起きたスポーツの出来事で具体的に解説する。 2023年は、プロ野球において阪神タイガースが1985年以来の日本一を達成した。シーズンが始まる前に監督の岡田彰布氏は球団に「バッターがフォアボールを獲得した際の年俸査定を上げてくれ」と依頼し、その情報を選手にも共有した。 プロ野球選手は1年間の成績や1つ1つのプレーについて細かく査定がなされ、ポイントを付けられ来年度の年俸が決定する。つまり、岡田監督の依頼はその「査定項目を変更し昇給理由としてくれ」というものである。 球団及び監督としては、 となったわけである。 もちろん優勝の要因はこの1つの項目だけではないだろうが、選手の昇給の理由と球団の目的がwin-winの関係で相乗効果を生んだのは確かである。 何よりも重要なのは、岡田監督が査定項目の変更(昇給理由)と目的を選手と共有したことで、選手のフォアボール獲得数は前年比で大幅に上昇し、目指す方向性が一致したことである。 では、一般企業であればどうであろうか。具体的な理由と目的を例として挙げるなら、次のような内容が往々にして考えられるだろう。 上記のようなケースでも更に明確にするために、公務員や大企業で見られるような「『等級・号俸』による給与表を作り勤続年数ごとに昇給していくような制度を整えることで可視化する」ことや、「会社の増益や個人の営業・売上成績、仕事の貢献度に対しどのような数字で従業員に還元するのかを明示する」といった手法も有効である。 * * * 余談となるが、過去に筆者も昇給理由を示され、泣きそうなほど喜び、仕事に力が入った想い出がある。 筆者は新卒から10年間、銀行に勤めた。毎年昇給は4月1日と決まっており、必ず所属長との面談が行われていた。勤務年数による昇給に加え、日ごろの仕事に対する評価もこの場で伝えられていた。 今でも忘れられないのが8年目の面談である。通常、10年目頃までは大きな問題がなければ毎年少しずつ昇給し、職階の等級も1つずつ上がっていくような給与体系であった。 しかし、筆者は年子で子供が生まれ、前年、前々年と2年連続で育児休業を取得しており、両年とも4月1日は不在であったため昇給がなく給料は据え置きとなっており、等級も同期の普通の職員と比べて2等級遅れていた。 その年も、育休から復帰したのが前年4月末であったので約1ヶ月不在にしていた期間があり、子育て時間短縮勤務も利用していたため、これまでの例からすれば昇給は望めない状況であった。しかし、結果は3年ぶりに昇給し、同じく3年ぶりに等級も上がったのである。 当時の上司のコメントは次のような内容であった。 本人はニコニコ、そして非常に軽い口調で話していたが、筆者は非常に嬉しかった想い出として何年たっても忘れられずにいる。同時にこのような評価を頂戴したことを意気に感じ、より一層仕事に精を出した。 従業員にとっては、昇給の際のこのような言葉が、その後の人生に大きく残るものになることも考えられるであろう。 (了)
税理士事務所の労務管理Q&A 【第18回】 「労働条件の明示のルール変更」 特定社会保険労務士 佐竹 康男 労働者を雇用したとき等には、労働条件において書面等で明示しなければならない事項(絶対的明示事項)がありますが、令和6年4月1日から、その明示事項に新しい項目が追加されます。今回は、労働条件の明示のルール変更について解説します。 * * 解 説 * * 1 労働条件の明示義務 使用者は、労働契約締結の際に、労働者に対して、賃金、労働時間その他一定の労働条件を明示しなければなりません。このうち必ず明示しなければならない事項を絶対的明示事項といい、書面での明示(⑤のうち昇給については除きます)が必要です。 〈労働契約締結時における絶対的明示事項〉 この労働条件の明示は、労働契約締結時に行わなければなりませんが、期間の定めのある労働契約(以下「有期労働契約」といいます)の契約期間満了後の契約更新時の場合も含まれます。したがって、有期労働契約の場合、労働契約締結時のみならず、契約更新のタイミングでも労働条件の明示が必要となります。 2 改正により追加される項目 改正により、明示を要する事項が追加されます。追加された明示事項は、以下のとおり、全労働者を対象とするものと、有期労働契約を締結した労働者(有期契約労働者)を対象とするものに分類できます。 〈改正の対象者と追加される項目〉 (1) 就業場所・従事する業務の変更の範囲の明示 労働契約締結時等には、雇入れ又は契約更新時の就業場所と担当業務の内容を明示しなければなりませんが、改正後はそれらに「変更の範囲」が加えられ、将来の配置転換等で変更が予想される就業場所・担当業務の範囲まで明示しなければなりません。 【例】 (2) 有期労働契約の更新上限の明示 有期労働契約の締結時又は契約更新時に、更新上限(通算契約期間又は更新回数の上限)の有無と、その内容(具体的な期間や回数)の明示が必要となります。 【例】 また、この更新上限を新設又は短縮するときは、事前に有期契約労働者に詳しい理由を説明する必要があります。 (3) 無期転換申込機会の明示 有期労働契約には、無期転換ルールがあります。これは同一の使用者との有期労働契約が繰り返し更新され、それを通算した契約期間が5年を超える場合、その契約期間中の有期契約労働者からの申込みにより、契約期間終了日の翌日から期間の定めのない労働契約(無期労働契約)に転換されるものです。 〈無期転換ルール(有期労働契約期間が1年の場合の例)〉 今回の改正により、申込みができる権利(無期転換申込権)が生じたタイミング以降、契約更新のタイミングごとに「無期転換への申込みが可能であること」を明示する必要があります。 (4) 無期転換後の労働条件の明示 無期転換申込権が生じる更新のタイミングでは、上記(3)の「無期転換申込機会の明示」と併せて、「無期転換後の労働条件」も明示する必要があります。 また、「無期転換後の労働条件」を決定するに当たり、他の正社員とのバランスを考慮した事項(業務の内容、責任の程度、異動の有無・範囲など)について、有期契約労働者に説明するよう努めなければなりません。 3 労働条件明示書面の整備 今回の改正は、上記2の〈改正の対象者と追加される項目〉のとおりですが、雇用形態にかかわらず、労働条件明示の整備が必要になります。労働条件が不明確な場合は、労働者とのトラブルの原因になります。 施行日(令和6年4月1日)までに、「労働条件通知書等に今回追加された項目が記載されているか。無期転換ルールが適用される有期契約労働者を雇用しているか」を確認しておきましょう。 (了)
能登半島地震の被災地で必要な法務アドバイス 【第1回】 「不動産の権利証を紛失・滅失したとき」 司法書士法人F&Partners 司法書士 北詰 健太郎 〇はじめに 令和6年1月1日に発生した能登半島地震は、被災地に大きな被害をもたらした。報道を通じて被災地の状況を知るにつれ、筆者を含め、多くの国民が心を痛めている。 さまざまな形での復興へ向けた協力が考えられるが、今般、本誌プロフェッションジャーナルとしても被災地の復興に役立つ情報発信を行っていきたい旨の依頼を編集部より受け、寄稿を行うことになった。 今回の寄稿では、震災に関連して生じうる法務上の問題について、参考になる情報をコンパクトにまとめて紹介する。 被災者の方々には心よりお見舞い申し上げるとともに、本稿が少しでも復興の役に立つことを祈りながら筆を執るものである。 1 不動産の権利証を紛失しても所有権が失われるわけではない 筆者の過去の経験上、大きな自然災害が発生した際には、家屋の倒壊や火災の発生を原因として、不動産の権利証を紛失・滅失してしまったという相談を寄せられることがある。令和6年能登半島地震でも、多くの家屋に損害が出ており、同様の相談が寄せられる可能性がある。 まず本稿の読者の方々へ理解していただきたいのは、仮に自宅の権利証を紛失・滅失してしまっても、直ちに問題が生じるものではないということである。 所有する不動産の土地建物について、しっかりと登記申請を行っていれば、登記簿に「所有者」として明記されており、権利は保護されている状態にある。 つまり、権利証を紛失・滅失しても、それだけで所有権が失われてしまうものではない。 2 不動産の権利証を紛失して困るケースと対処法 そもそも不動産の権利証とは、正式には「登記識別情報」又は「登記済証」といい、所有権移転登記や抵当権設定登記が申請された場合に、所有権を取得した者や抵当権者に対して法務局が発行する。 不動産の権利証が必要になるのは、不動産の所有者が売却を行う場合(記載例①)や、抵当権者が担保を抹消する場合(記載例②)など、権利証を持つ者が「登記義務者」として登記申請に関与する場合である。 【記載例①:登記記録「甲区」】 【記載例②:登記記録「乙区」(抵当権設定の登記記録)】 すなわち、これらの登記申請を行う場合に、登記義務者から権利証を添付書面の1つとして提出させることにより、所有者や抵当権者が本当に登記申請に関与したかを確認する本人確認の資料としているのである。 もし、権利証を失くしていれば、登記申請に必要となる添付書面が提出できないことになり、登記申請の障害となる恐れがあるが、代替手段が用意されている。それは主に「事前通知制度」と「本人確認情報」である(不動産登記法23条)。 事前通知制度とは、権利証が提供できない場合に、法務局が登記義務者に対して、登記申請がなされた旨等の通知を行い、登記義務者から登記申請の内容に間違いがない旨の届出があった場合には、権利証の提出がなくとも登記を行う制度である。 また、本人確認情報とは、司法書士等が登記義務者に対して本人確認を行い、本人に間違いない旨を証明する書面を作成し、権利証の代わりとする制度である。 権利証は大切な書類ではあるが、紛失・滅失した場合のリスクを正しく理解し、対処することが重要である。 (了)
〔検証〕 適時開示からみた企業実態 【事例90】 株式会社グッドスピード 「取締役の辞任及び役員報酬の減額に関するお知らせ」 (2024.1.30) 公認会計士/事業創造大学院大学教授 鈴木 広樹 1 今回の適時開示 今回取り上げる開示は、株式会社グッドスピード(以下「グッドスピード」という)が2024年1月30日に開示した「取締役の辞任及び役員報酬の減額に関するお知らせ」である。同社は2024年1月4日に「第三者調査委員会の調査報告書受領に関するお知らせ」を開示しており、そこで示された調査結果の責任を取るため、取締役3名が辞任し、代表取締役社長の加藤久統氏(以下「加藤氏」という)の役員報酬を3ヶ月間50%減額することにしたというのである。 2 不適切な保険金請求について「公表」は? グッドスピードは2023年8月23日に「当社に関する一部報道について」を開示している。その全文は次のとおりである。 同社は、翌日の2023年8月24日に適時開示ではなくホームページ上に「過去の保険金請求に関する自主調査の経過報告ならびにお客様専用相談窓口設置のお知らせ」を開示し、「自主調査」の結果、不適切な保険金請求が見つかったとした。 その後、今度は「社内調査委員会」を設置し、その調査結果を「適時開示」した。2023年10月20日に開示した「過去の保険金請求に関する社内調査委員会による調査報告のお知らせ」がそれであり、その「4.その他」には次のような記載がある。この開示では調査結果が簡潔に示されているだけであり、調査報告書は添付されていない。「公表すべき内容が判明した場合には速やかに公表」するとしていたが、「公表」には後ろ向きのようである。 また、「3.今後の予定」の記載は次のとおりである(下線は筆者による)。 「社内調査委員会」による調査もやめて、「自主調査」に移るとしているが(ホームページ上での開示を「公表」とする感覚もいかがかと思われる)、本来であれば、「社内調査委員会」ではなく「第三者調査委員会」を設置し、調査すべき事案のはずである。そうでなければ、「客観性を担保」するのは難しいだろう。「自主調査」の結果も、「公表すべき事項を確認した場合には、適時適切に開示いたします」としているが、本当に「公表」するのだろうか。 3 第三者調査委員会の目的 不適切な保険金請求について触れたが、今回の開示における取締役辞任と加藤氏の役員報酬減額の理由となった第三者調査委員会による調査結果は、これではない。上述のとおり、グッドスピードは不適切な保険金請求を調査するための第三者委員会を設置していない。 同社はまず2023年9月29日に「調査委員会設置のお知らせ」を開示しているが、その「1.調査委員会の設置」の記載は次のとおりである。 第三者調査委員会の調査対象は、不適切な「保険金請求」ではなく、不適切な「会計処理」である。なお、監査法人からの指摘は2023年9月14日とされているが、この開示はその約2週間後に行われている。グッドスピードは第三者委員会の設置に難色を示したのかもしれない。同社の不適切な保険金請求への対応を見ると、そう思わざるを得ない。 そして、「2.調査委員会の目的について」の記載は次のとおりである(下線は筆者による)。 同社の不適切な保険金請求への対応や、不適切な会計処理の疑義を伝えた際の対応から、監査法人は同社に対して不信感を持ち、不適切な会計処理の内容を伝えなかったのだろう。なお、その監査法人は後に辞任することになる(2024年2月1日開示「会計監査人の異動及び一時会計監査人の選任に関するお知らせ」)。 4 加藤氏は認識していなかったのか? 「第三者調査委員会の調査報告書受領に関するお知らせ」に添付された「調査報告書」では、売上の先行計上が行われていたことが明らかにされている。その責任を取って、取締役が辞任し、加藤氏の役員報酬を減額したというのだが、今回の開示の「4.役員報酬の減額」には次のような記載がある。 加藤氏は売上の先行計上を認識していないとされているが、「調査報告書」には次のような記載がある(43頁。下線は筆者による)。「A1氏」は「加藤氏」のことである。 また、次のような記載もある(66頁)。なお、調査の過程で、グッドスピードから加藤氏に対して、取締役会の承認を経ずに一時的な金銭の融通等が行われていたことが明らかになっている。 このように指摘されているにもかかわらず、加藤氏は「調査報告書で指摘された売上の先行計上を認識して」いないとして、3ヶ月間50%の役員報酬減額を「妥当と判断」するというのは、理解し難い。 5 今後 今回の開示の「5.その他」には次のような記載がある。 「調査が完了しましたら速やかに公表」、「調査の目途が付いたうえで、改めて公表」としているが、本当に「公表」するのだろうか。また、「関連当事者取引の調査結果によっては、本件内容について今後変更の可能性がございます」としているが、その調査結果次第では加藤氏に対して役員報酬減額以上の制裁を科す可能性があるということなのだろうか。 「調査報告書」の「第7章 再発防止策」の最初には次のように記載されている(73頁)。上述のとおり「A1氏」は「加藤氏」のことであり、「GS社」はグッドスピードのことである。 第三者調査委員会の委員の思いが表れているようである。ただし、加藤氏は同社の創業者であり、現時点において同社の議決権を半数近く所有している(同社が2023年12月29日に開示した「親会社以外の支配株主の異動に関するお知らせ」によると、議決権は52.54%から49.78%に)。現状のままでは、同社の上場を維持すること自体の適否が問われるだろう。 (了)