〔実務で差がつく!〕 相続時精算課税制度Q&A 【第2回】 「父からの贈与につき相続時精算課税を選択し期限内申告をした後に、母からの贈与が申告漏れになっていたことが判明した場合の対応」 税理士 徳田 敏彦 【Q】 甲は令和6年7月に父から現金1,500万円の贈与を受けた。 甲は相続時精算課税制度を適用するため、令和7年3月の贈与税申告において相続時精算課税を選択して期限内申告を済ませた。 その後、令和7年7月になり、令和6年中に母から500万円の贈与を受けていたことが判明した。 母からの贈与については、令和5年に贈与があり、その際に相続時精算課税選択届出書を提出済みである。 この場合に贈与税の修正申告はどうなるのか。 父から贈与を受けた部分の特別控除額や納税額に影響はあるのか。 【A】 修正申告が必要となる。 父からの贈与についても基礎控除額に異動が生じ、適用される特別控除額にも異動が生じる。 ◆ ◇ ◆ 解 説 ◆ ◇ ◆ 〈期限内申告〉 〈修正申告〉 (※1) 基礎控除額110万円×父からの贈与1,500万円÷(父からの贈与1,500万円+母からの贈与500万円)=825,000円 (※2) 基礎控除額110万円×母からの贈与500万円÷(父からの贈与1500万円+母からの贈与500万円)=275,000円 (※3) 特別控除額2,500万円は、期限内申告書に控除を受ける金額その他必要な事項の記載がある場合に限り適用を受けることができるため、本事例では母からの贈与には適用できない(相法21の12①)。 (※4) 父の令和6年分の特別控除額の適用額は14,175,000円 (※5) 母の令和6年分の特別控除額の適用額は0円 今回の事例のように、期限後に他者からの贈与が判明し、両者からの贈与につき相続時精算課税を選択している場合の修正申告については留意が必要である。 期限後に贈与が判明した部分について修正申告をすることは気づきやすいが、期限内申告を済ませている部分についても基礎控除額、特別控除額に変動が生じる。 今までは修正申告で基礎控除額が変動する(減少する)ということがなかったため、見落としやすいので留意が必要である。 あわせて特別控除額が変動する点にも留意が必要である。 相続時精算課税の特別控除額2,500万円は、期限内申告書に控除を受ける金額その他必要な事項の記載がある場合に限り適用を受けることができる(相法21の12①)。 また、相続時精算課税の適用を受ける財産について、その記載がなかったことについてやむを得ない事情があると税務署長が認めるときは、その記載をした書類の提出があった場合に限り、特別控除の適用を受けることができるとされている(相法21の12③)。 つまり、母からの贈与については、期限内申告書に控除を受ける金額その他必要な事項の記載がないため、本事例では特別控除額は適用できない。 一方、父からの贈与については期限内申告書に特別控除額を受ける記載があるため、やむを得ない事情があると税務署長が認める場合には、修正申告において増加する課税価格にも特別控除が適用できる。 本事例とは前提が異なるが、母からの贈与について過去に相続時精算課税選択届出書の提出がなければ、母からの贈与については暦年課税で修正申告をすることになる(その場合、父からの贈与についての期限内申告部分への影響はない)。 (了)
〈適切な判断を導くための〉 消費税実務Q&A 【第12回】 「消費税の歴史の長いEUなどで蔓延する不正「カルーセルスキーム」とは?」 税理士 石川 幸恵 【Q】 日本の消費税と同様の付加価値税(VAT)のある国々では、カルーセルスキームという不正スキームがあると聞きましたが、これはどのような仕組みの不正なのでしょうか。また、日本においても同様の不正が起こる可能性はあるのでしょうか。 【A】 カルーセルスキームというのは「納税なき仕入税額控除」を意図的に生じさせ、国庫から不正に還付を得るスキームです(図参照)。EUでは年間500億ユーロの被害が生じているといわれています。 1 カルーセルスキームの典型例 関係するのは4者です。ミッシングトレーダー、バッファー、ブローカー、導管と呼ばれます。導管は国外に所在します。 ミッシングトレーダーにはペーパーカンパニーや休眠会社などが利用され、無申告、不納付または倒産などにより納税義務を果たさないまま消失します。これにより実際には納税されていないにもかかわらず、還付だけが行われることになります。 1回転するごとに10の消費税が国庫から不正に還付され、繰り返すことでより多くの不正利益を得ようとします。 商品は輸送や保管のコストがかからない小さなものが利用されます。例えば、貴金属や携帯電話などの電子機器です。EUではCO2排出枠のような無形財が用いられたこともありました。 2 各国によるカルーセルスキームへの対抗策 カルーセルスキームへの対抗策として、ターゲットとされやすい商品を非課税または免税とする、国内取引にリバースチャージを導入して消費税を売上先に渡さず、譲渡した者が納付するなどの対策が取られています。 また、不正な事業者に対してはインボイス発行事業者の登録を取り消すことで不正な仕入税額控除を防ぐ対策も講じられています。 3 日本における現状と対策 EU各国に比べると消費税率が低いことなどにより、典型例のようなカルーセルスキームが広まっている状況ではありません。 しかし、金の密輸のようなカルーセルスキームに近い形態の不正もあり、税関による取締強化、金地金の取引に関する消費税手続きの厳格化(消法30⑪⑫)などが図られています。 ◆ ◆ 解 説 ◆ ◆ カルーセルスキームの具体的な手口や対策は【A】に示したとおりである。【解説】では、このスキームの根本的な問題点と、今後、制度にデジタル技術を取り入れることで実現できるかもしれない対策について紹介する。 1 カルーセルスキームの問題点 納税なき仕入税額控除は、取引の流れの中で、いずれかの事業者が納付を怠れば生じてしまうものである。日本においては、インボイス制度に経過措置が設けられており、免税事業者からの課税仕入れについても一定割合は仕入税額控除できる(インボイスQ&A問113)ため、取引の流れの中に免税事業者がいると、適法に納付なき仕入税額控除が発生することとなる。 しかし、カルーセルスキームが問題なのは、当初から意図的に納税なき仕入税額控除を生じさせようとしていることや、取引の循環が繰り返されることなどが挙げられる。 2 デジタルを活用した対策の試み 電子インボイスを利用した取引情報の報告義務化は不正対策として効果が見込まれている。さらに新たな技術の活用を模索する国もあり、EUや中国ではブロックチェーン技術の活用が進められている。 中国の深セン市では2018年よりVATのブロックチェーン電子インボイスが試験的にスタートしている。ブロックチェーン電子インボイスの最大の特徴は取引の追跡が可能で、固有の変更不可能な番号が付与されることから、カルーセルスキームを抑制する効果があるとのことだ。 現状、日本の消費税における仕入税額控除の要件は、帳簿の記載と書類やデータを本店等所在地に保存すること(消法30⑦⑧⑨)であるが、こうした動きを踏まえると、将来的にはブロックチェーン技術などを活用したデジタル空間での保存・管理も視野に入るかもしれない。技術動向についても継続的に情報収集していく必要があろう。 (了)
国際課税レポート 【第17回】 「実効関税率2.3%から17%へ」 ~トランプ関税と輸出企業の関税・移転価格戦略~ 税理士 岡 直樹 (公財)東京財団上席フェロー はじめに:トランプ関税が変える国際貿易の風景 4月、米トランプ政権は国際緊急経済権限法(IEEPA)に基づき全輸入に一律10%のベースライン関税を導入し、貿易赤字の大きい国に個別の上乗せを開始した。これとは別に、3月末には通商拡大法232条に基づき自動車・自動車部品に25%の関税を発動した。 日本は7月23日に、相互関税と232条を合わせ関税率を原則15%に抑える枠組みに合意。8月7日から相互関税の適用が始まり、細目は後続の大統領令で調整中となっている。 【表1】各国の「相互関税」の税率(2025年8月11日現在) (※) カナダ、メキシコで関税率0%が適用されるのは、NAFTAを改訂した米、カナダ、メキシコ3ヶ国の自由貿易協定が適用される品目が対象。 (出所) JETRO「米国トランプ政権の関税政策の要旨」ほかより筆者作成。本表は簡略化しているので、実務の参考とする場合には個別の情報を確認されたい。適用開始時期が未定の項目を含む。 国際貿易・多国籍企業のグローバルサプライチェーン戦略において、一般的に、関税はそれほど重要な存在ではなかった。2024年の米国の関税実効税率は2.3%にすぎなかったが、2025年8月には15.8%になったとの推計がある。トランプ関税は、国際貿易の風景を一変させている。 米国が日本からの多くの品目に15%の関税を課せば、米国に輸入される日本製品の価格は関税分だけ上昇する。販売店がこのコストを吸収できない場合、販売価格は引き上げられ、その結果、日本製品の米国市場における競争力は低下する。 自動車・自動車部品は、従来の2.5%関税から大幅に引き上げられるため、利益が大幅に圧迫される可能性がある。和食ブームで輸出が増えた日本酒も、2%程度が15%になれば打撃だ。相互関税によるコスト増を回避するため、部品の調達先を米国に移す、関税引上げの影響を回避する契約を検討する、米国内での生産を増やすなど、グローバルサプライチェーンの見直しを検討する必要が生まれる。 以下では、トランプ関税が米国市場に進出している日本企業にとっての課税、なかんづく、移転価格税制と関税の問題に絞って留意点を整理してみたい。 グローバルサプライチェーン:典型的な製造モデル 業界の特徴と典型的な製造モデルの概要は以下のようにまとめることができる。 【表2】業界の類型と典型的な製造モデル (注) IMMEX制度(旧マキラドーラ)は、IMMEXプログラムに登録した企業が、原材料・部品・機械設備などを保税で輸入し、製品化又は加工後に輸出することを可能とする制度である。 (出所) Tax Notes(2025.8.1)「Tariffs, Trade and Transfer Pricing:A Guide to Navigating Economic Uncertainty」Table 1を改変のうえ筆者作成 自動車の例をとると、日本の多くのメーカーが完全製造子会社を持つほか、マキラドーラ(IMMEX)制度を利用している。 製造モデルと移転価格・関税評価への影響(一般的な例) 以下では、典型的な製造モデルの類型ごとに、移転価格・関税評価の水準に与える影響をまとめてみた。 【表3】越境取引と移転価格・関税評価の水準(一般例) 関税評価は、委託製造業者等と米国販売子会社の間の移転価格により決定される。 国外関連取引(クロスボーダー取引)における関税と法人税(移転価格課税)の関係を考えると、一般的に、輸入品の対価が高い方が法人税(移転価格)を圧縮することができる一方、関税負担は高くなるというトレードオフの関係にある。輸入品の対価を高くすることにより法人税の額が減少している場合には移転価格税制(租税特別措置法第66条の4)や寄附金規定(租税特別措置法第66条の4第3項)により是正することができる。 米国の関税制度の概要 関税の納税義務者、課税ベース(取引価格)、納付の流れについて次にまとめる。輸入者に納付義務があり、課税標準は「取引価格」に一定の調整がなされた金額である。 1 関税の納税義務者 ― 合衆国法典 19 U.S.C. §1484(貨物の輸入申告) 2 関税の課税ベース「取引価格」― 19 U.S.C. §1401a(関税評価額) 3 関税納付の流れ ― 19 U.S.C. §1505(関税の納付) 関税と移転価格(法人税)の関係に留意せよ トランプ関税の企業への影響としては、価格・収益性(マージン圧力)の問題がある。トランプ関税分が転嫁され、米国販売価格に反映した場合、日本の輸出企業の価格競争力が削がれる。また、関税分を販売価格に転嫁できない場合にはその分米国の取引先の利益が圧縮される。 トランプ関税により米国取引先企業の利益が圧縮される程度は、クロスボーダーの「取引価格」(移転価格と連動する)評価が大きいほど大きくなる関係にある。一般的にいって、委託加工(Toll)、委託製造(Contract)、製造子会社(Full-fledged)の順に利益部分が大きくなり、「取引価格」が膨らむため、それだけ相互関税の影響を大きく受ける可能性がある。これまで、関税はそれほど気にしなくてもよいレベルの存在だった。しかしこれからは違う。トランプ関税にどう対応するかは、多国籍企業のグローバル戦略にとって重要なポイントになった。 緊急避難的対応の税務リスクに注意 実務では、米国の取引先の営業利益の減少を阻止する、あるいは補填するため、日本の輸出企業が取引先の関税について負担することも一部では行われているようだ。こうした緊急避難的な対応において踏まえておくべき日本での寄附金課税のリスクは以下のとおりである。 米国の関連者が輸入者として負担する米国の輸入関税を日本の輸出企業が負担した場合、日本において「国外関連者への寄附金」(租税特別措置法第66条の4第3項)として否認(全額損金算入できない)される可能性が高い。 また、米国の取引先が非関連者である場合であっても、関税肩代わりが価格調整(値引き)や販売促進支出等として妥当でないと判断された場合、寄附金(法人税法37条に定める「金銭その他の資産又は経済的な利益の贈与又は無償の供与」)として一定額を超える部分の金額は損金の額に算入されないことになる。 米国ではどうか。輸入者が関税を在庫原価に算入した後、非関連の売主から当該関税相当額の補填が購入対価の調整に該当する場合、米国の税務当局(IRS)は仕入原価(販売に対応する部分)の減額を求める可能性がある。対価調整に該当しない場合(例:広告・役務の対価等)は収益計上を要求され得る。どちらの場合も結果として、当期の課税所得は増えることになる(米国歳入規則 26 CFR §1.471-3(b)(「在庫の原価」)ほか参照)。 おわりに 2025年8月12日、日経平均株価は4万2,718円(終値)の市場最高値で引けた。背景には、米国が日本向け関税の「二重適用(タリフ・スタッキング)」を行わない方針と自動車関税の引下げのための大統領令の準備を示したこと、さらに対中追加課税適用開始の90日延期が重なり、不確実性が後退して輸出企業の業績懸念が和らいだことがあるとされる。 もっとも、米国側の正式な発動時期や詳細は不透明で、企業経営にとっての不確実性は続く。追加関税拡大への不安が一定程度後退しても、サプライチェーンの不確実性が解消したとは言えない。 第2次トランプ政権下の国際貿易の動向は、グローバルに展開する多国籍企業にサプライチェーン再検討を迫っている。それは、地理的なルートを変更するというだけの意味ではない。トランプ関税を意識した契約の在り方も対象になる。関税評価と移転価格設定の関係が鍵となる。移転価格は関税の課税ベースになり得る一方、両制度の評価手法は常に一致しているわけではない。総合的な最適化が必要である。トランプ関税が登場したことで、従来より関税評価の重要性は増している。 米国は1人当たりGDP約8.9万ドル、人口約3.4億人の巨大市場で、日本企業にとって不可欠である(日本は約3.4万ドル)。不確実性が残る今こそ、複数シナリオで事業計画を検証すべきだろう。 (了)
〔会計不正調査報告書を読む〕 【第172回】 株式会社オルツ 「第三者委員会調査報告書(公表版)(2025年7月25日付)」 税理士・公認不正検査士(CFE) 米澤 勝 【株式会社オルツ第三者委員会の概要】 【株式会社オルツの概要】 株式会社オルツ(以下「オルツ」と略称する)は、2014(平成26)年11月、「PAI(パーソナル人工知能)」の開発を目的に設立。デジタルクローン、P.A.I.の開発を最終目的とした要素技術の研究開発とそれらを応用した製品群(Communication Intelligence 「AI GIJIROKU」等)展開、AIソリューションの提供事業を主たる事業とする。 国内に連結子会社3社を有する。売上高6,057百万円、経常損失△2,413百万円、資本金2,298百万円。従業員数は75名(いずれも訂正前の2024年12月期連結実績)。本店所在地は東京都港区。会計監査人は、監査法人シドー横浜事務所(以下、「監査法人シドー」と略称する)。 オルツの新規上場に至る経緯を調査報告書から引用する。 【第三者委員会による調査報告書の概要】 1 第三者委員会設置の経緯 オルツは、2025年4月初旬より、証券取引等監視委員会による調査を受けており、これを端緒として確認を進めたところ、オルツが販売する「AI GIJIROKU」の有料アカウントに関し、一部の販売パートナー(オルツにおいて、「スーパーパートナー」と称する地位にあった販売店であり、以下「SP」という)から受注し、計上した売上について、有料アカウントが実際には利用されていない等、売上が過大に計上されている可能性を認識した(以下「本件疑義」という)。 「AI GIJIROKU」は、オルツが開発し2020年1月に提供を開始したプロダクトであり、オルツは本件疑義に関する事実関係を明らかにするべく、調査の専門性及び客観性を確保した調査が必要と判断し、2025年4月25日開催の取締役会にてオルツと利害関係を有さない弁護士及び公認会計士から構成される第三者委員会を設置する旨の決議を行った。 2 第三者委員会による調査結果の概要 第三者委員会は、調査の結果、オルツは、2021年6月頃から2025年3月までの間、主としてSPに対して販売したAI GIJIROKUのライセンスについて、アカウント発行の実態を伴わない売上を計上した事実を認定し、オルツは、SPに対する売上代金を回収するために、A社、Q社、O社及びN社(以下、4社を総称して「本件広告代理店」という)に対しては広告宣伝費の支払名目で、X社及びY社(以下、2社を総称して「本件研究開発業者」という)に対しては研究開発費の支払名目で、それぞれ資金を支出し、当該資金については本件広告代理店を経由する形でSPに対して支払い、最終的にSPから支払を受けることにより、オルツが売上代金を回収していた事実を確認した(当該売上の計上から当該売上代金の回収までの一連の流れを総称して、以下「本件SPスキーム」という)。 また、第三者委員会は、オルツは、本件SPスキームを実行するにあたり、「代理店事務フロー」または「SP事務フロー」と称する Google スプレッドシートを作成、更新することにより資金の移転状況を管理しており、SP事務フローは、オルツが本件SPスキームによって予定されたとおりの売上を作るという目的のもと、遺漏なくスケジュールどおりに資金移動を実行させるための手段・方法であり、オルツから出金があった後の、各SPと本件広告代理店・本件研究開発業者との実際の資金移動の状況については、オルツを資金の出発点及び帰着点とした第三者間の資金移転についても、SP事務フローにおいて予定されたとおりのものとなっていたことを合理的に推認することができるものと判断した。 第三者委員会によって架空であると認定された金額は、2021年12月期から2024年12月期までの4事業年度における売上高11,908百万円、広告宣伝費と研究開発費については、2022年12月から2024年12月期までの3事業年度において、それぞれ11,557百万円、1,313百万円となっている。売上高については、上場直前期の2023年12月期実績の91.0%が、2022年12月期実績の91.3%が架空売上であると認定した。 3 原因分析(調査報告書92ページ以下) 第三者委員会は調査の結果、オルツにおいて、2021年6月頃から2025年3月まで、主として SPに対して販売したAI GIJIROKUのライセンスについて、アカウント発行の実態を伴わない売上を計上していた事実について、次のとおり、原因の分析を行っている。 ここでは、「会計監査人らに対するオルツの説明・対応が不適切であった」と第三者委員会が認定した、前任の会計監査人であるAW監査法人が契約解除に至った経緯とオルツによる虚偽の説明について、事実関係を見ておきたい。 AW監査法人の契約解除の経緯について、第三者委員会は次のようにまとめている。 第三者委員会は、経営トップによる虚偽の説明や回答について、「経営トップに求められる「誠実性」が欠如していた」と結論づけている。 もう一つ、オルツが新興AI企業に区分されることに基因する原因分析として、第三者委員会は、「最先端の事業に対するバイアス等の可能性」という項目において、オルツが、スタートアップ企業として華々しい受賞歴を持つことや、著名な教授を顧問に迎える等、高い社会的信用力が付与された企業であるという外観を呈していたこと、「最先端の事業」にカテゴライズされるオルツの事業が本件SP取引に関連する者等(社外取締役、監査役、会計監査人やステークホルダー等)にとって造詣が深かったとはいい切れないこと、本件SP取引に関連する者等にとって、オルツが(最先端の)事業を遂行するうえでどのようなスキームが適切であり、どのような研究開発や広告展開が必要となるのかについて正確に把握しきれなかった可能性、あるいは、オルツの事業に過度な期待があったために、その妥当性や合理性の判断にバイアスがかかっていた可能性は完全には否定できないことなどを列挙して、本件疑義が発覚されにくい状況が作出されていた可能性はあるものと思料するとまとめている。 4 再発防止策の提言(調査報告書99ページ以下) 第三者委員会が提言した再発防止策は次のとおりである。 最優先課題として、第三者委員会は、「抜本的な組織改革」を挙げて、その理由として、「経営トップに対する牽制機能の強化や内部統制上の機能及び権限の見直し、企業風土の改善といった方策は、本件における再発防止策の一要素にはなり得るとしても、それ自体が直ちに抜本的な解決につながるものではなく、問題の本質を捉えたものとはいい難い」としたうえで、オルツにおいては、「抜本的な組織改革、経営改革が必要であること」を提言し、さらに、「経営トップから、誠実性をもって新たに健全な組織として生まれ変わるという覚悟、コンプライアンス態勢に対する意識改革について、社内向けにメッセージを発信し、もって、全ての役職員において、今後二度と同様の行為を発生させないこと、また、仮に発生した場合には厳正な対応を行うことを強く自覚することが肝要である」とまとめている。 オルツは、第三者委員会による調査報告書公表と同日に、代表取締役社長の米倉千景氏の辞任を公表する(※1)とともに、後述するように、本稿執筆時点までに、東京裁判所から民事再生手続きの開始決定が出されており(※2)、9月3日開催予定の臨時株主総会で、すべての取締役が退任し、新しい取締役3名の選任が予定されている、つまり図らずも「抜本的な組織改革」を実現することから、本稿では、その他の再発防止策の提言内容については、項目を挙げておくにとどめたい。 (※1) 2025年7月28日「代表取締役の異動に関するお知らせ」 (※2) 2025年8月6日「民事再生手続き開始決定に関するお知らせ」 【調査報告書の特徴】 2024年10月10日、オルツの上場時の初値は570円だった。12月2日に上場来最高値である823円まで上昇した後、2025年に入っても、第三者委員会の設置を公表するまでは400円台の株価を維持していたが、本稿執筆時点である8月8日の終値は15円。AIブームに乗じ、多くの個人投資家の期待を担ってきた新興AI企業は、上場から1年もたたずに上場廃止、さらには民事再生手続き開始決定と、経営破綻にまで追い込まれた。 本稿では、調査報告書公表後の経緯を追うと同時に、会計監査人、循環取引に加担していた広告代理店およびベンチャーキャピタルのそれぞれについて、オルツの会計不正にかかる責任について考察したい。 1 上場廃止等の決定 2025年7月30日、東京証券取引所は、「上場廃止等の決定:(株)オルツ」をリリースして、オルツ株式を8月31日付で上場廃止とすることを公表した。上場廃止理由については、「新規上場申請に係る宣誓書において宣誓した事項について重大な違反を行った場合に該当するため」としたうえで、理由の詳細を次のように開示している。 2 民事再生手続き開始申立て 同日、オルツは、「民事再生手続き開始申し立てに関するお知らせ」をリリースした。 リリースの中で、オルツは、民事再生手続き開始決定に至った理由として、第三者委員会による調査の結果、不適切な会計処理があることが明らかになったことから、事業価値の毀損が進むとともに、財務状態の悪化が深刻となる恐れがあり、自力での再建が困難な状態に陥っているとして、スポンサー支援による再生を目指すとともに、不適切な会計処理に起因して発生する可能性のある債務の公平かつ適切な対応を企図したものであると説明している。 負債総額は2025年6月30日現在で約24億円。 申立てを受けた東京地方裁判所は、8月6日付で、民事再生手続き開始決定を行った(※3)。 (※3) 2025年8月6日「⺠事再生手続開始決定に関するお知らせ」 3 臨時株主総会招集通知 オルツは、8月9日、「臨時株主総会招集ご通知」をリリースした。 議案は「取締役3名選任の件」のみであり、取締役候補者として、経営企画部部長の浅沼 達平氏(第三者委員会の調査において事務局員に任命されている)、執行役員保坂文哉氏及びCTO西村祥一氏の氏名が記載されている。 4 会計監査人の責任 会計監査人である監査法人シドーが、オルツの会計不正を見逃したことについて、日本公認会計士協会は、8月8日、「当協会の調査について」というプレスリリースを公表した。全文を引用しておきたい。 名指しこそ避けているものの、本リリースが監査法人シドーについて、公認会計士協会が調査を行っていることは明らかであり、協会としても、重大な会計不祥事と認識していることが推察できる。 調査報告書上では、「AW監査法人」と表記されている、監査法人シドーの前任監査法人について、日本経済新聞は、「大手監査法人の1社とみられる」と報じている。それが事実であれば、大手監査法人が「循環取引の懸念」を示した取引について、後任の監査法人シドーは、広告代理店を使ったSPスキームの一部は変更されていたとはいえ、監査報告書に無制限適正意見を表明したことになる。 監査法人シドーが公表している「監査品質のマネジメントに関する年次報告書{報告対象期間:2024年1月1日~12月31日}」によれば、同法人のパートナーである公認会計士は9名、上場している監査対象会社はオルツを含めて4社ということである。 監査法人シドーの会計監査に瑕疵があったかどうかは、公認会計士協会の調査や金融庁の公認会計士・監査審査会による審査による判断されることとなるが、監査法人シドーによる無限定適正意見によって、主幹事証券会社の大和証券はもちろん、株主であり、取締役会にオブザーバー参加していた大手ベンチャーキャピタルも、不審に思うことなく、上場が申請され、経営トップによる虚偽の説明があったとはいえ、上場審査も通過することとなった。 5 循環取引に加担した広告代理店の責任 第三者委員会調査報告書によれば、オルツが架空売上を計上するために編み出したSPスキームにおいて、当初は複数の広告代理店を利用し、広告代理店から資金を提供させることによってSPからオルツが売掛金を回収するというものであったが、前任の会計監査人であったAW監査法人の「循環取引」の指摘を受け、監査法人シドーの会計監査人就任に当たってこのスキームを改め、広告代理店を「A社」に一本化しているとのことである。 オルツの新規公開時の有価証券報告書によれば、2023年12月31日現在において、株式会社ADKマーケティング・ソリューションズに347百万円を超える未払金残高を有していることから、「A社」が株式会社ADKマーケティング・ソリューションズまたは同社の持株会社である株式会社ADKホールディングスの傘下会社であるとの推測は成立するものと思われる。 第三者委員会の調査報告書によれば、2021年6月上旬ころA社及びB社名義で作成された販売プロモーション体制図では、A社がオルツから受領した「PR協力費」の一部をWeb施策としてプロモーションを行い、その残りを「PR協力費」や事務局費の名目でB社に支払うことや、オルツとB社がAI GIJIROKUのセールスパートナー契約を締結して、B社が、A社から支払われた資金を原資としてオルツにサービス利用料を支払うこと等が記載されていたことが判明しており、A社の担当者であるt氏及びB社の代表取締役であるv氏の協力なしには、オルツのSPスキームが成立しなかったことは明らかである。なお、B社は、オルツの新規公開時の有価証券報告書で開示されている取引実績から、株式会社ジークスであることが判明している。 本稿執筆時点において、株式会社ADKホールディングス及び株式会社ADKマーケティング・ソリューションズは、本件について、リリース等を出していないようだが、担当者がオルツの会計不正を知っていながらこれに加担し、粉飾決算により株式上場を果たしたうえで経営破綻したオルツの株主である投資家に多額の損害を与えたことについて、法的責任はともかく、どう考えているのか、説明する責任があるのではないか。 6 VC・社外取締役の責任 オルツには多くのベンチャーキャピタル(VC)が出資しているが、中でも、VC大手のジャフコグループ株式会社(報告書上の表記は「AP社」。以下「ジャフコ」と略称する)は、高原瑞紀氏(報告書上の表記は「q氏」)が2018年12月から社外取締役として就任しており、オルツの2024年12月期有価証券報告書によれば、ジャフコの投資事業有限責任組合はオルツ株式の7.04%を有する第3位の大株主である。 社外取締役であった高原瑞紀氏は、2018年12月にオルツの取締役に就任してから2024年6月に退任するまで、オルツ経営者の職務執行を監視監督する立場にあり、ジャフコでも現在「西日本支社長パートナー」の要職にあって、スタートアップ投資・成長支援に多くの経験・実績を有しているとのことである。2024年6月の退任は、オルツが上場申請を終えたため、社外取締役としての役割を果たしたとの判断であったと思料できるものの、AW監査法人の監査契約打ち切りといった上場準備の中での障害をどのように考えていたのか、また、本件SPスキームの異常性に気づかなかったのかなど、疑問が残るところである。 さらに国内大手のVCであるジャフコが出資するだけでなく社外取締役を派遣しているという事実は、他のVCにとってもオルツへの投資に安心感を与え、出資を誘引する結果となったであろうことは想像に難くない。投資は自己責任であることは言うまでもないが、ジャフコは、大株主としてオルツの経営監視が十分でなかったことをどのように考えているのか。問題ないということであれば、その論拠を説明すべきであろう。 (了)
連結会計を学ぶ(改) 【第2回】 「連結の範囲・支配の概念」 公認会計士 阿部 光成 Ⅰ はじめに 連結財務諸表は、支配従属関係にある2つ以上の企業からなる集団(企業集団)を単一の組織体とみなして、親会社が当該企業集団の財政状態、経営成績及びキャッシュ・フローの状況を総合的に報告するために作成するものである(「連結財務諸表に関する会計基準」(企業会計基準第22号。以下「連結会計基準」という)1項)。 【第2回】では、連結財務諸表の範囲を決定するための親会社と子会社の定義について解説する。 文中、意見に関する部分は、私見であることを申し添える。 Ⅱ 親会社と子会社 前述のとおり、連結財務諸表は、支配従属関係にある2つ以上の企業からなる集団(企業集団)に関する財務諸表なので、「支配」の概念がポイントになる。 連結会計基準は支配の概念を中心にして、親会社及び子会社などについて、次のように定義している(連結会計基準5~6項、8項)。 【企業】 会社及び会社に準ずる事業体をいい、会社、組合その他これらに準ずる事業体(外国におけるこれらに相当するものを含む)を指す。 【親会社】 他の企業の財務及び営業又は事業の方針を決定する機関(株主総会その他これに準ずる機関をいう。以下「意思決定機関」という)を支配している企業をいう。 【子会社】 ① 上記の「親会社」の定義における「他の企業」をいう。 ② 親会社及び子会社又は子会社が、他の企業の意思決定機関を支配している場合における当該他の企業も、その親会社の子会社とみなす(いわゆる孫会社。「連結財務諸表における子会社及び関連会社の範囲の決定に関する適用指針」(企業会計基準適用指針第22号)17項)。 【連結会社】 親会社及び連結される子会社をいう。 また、「連結財務諸表の用語、様式及び作成方法に関する規則」は、次の用語について定義している(連結財務諸表規則2条1号、4~6号、4条1項1号)。 【連結財務諸表提出会社】 法の規定により連結財務諸表を提出すべき会社及び指定法人をいう。 【企業集団】 連結財務諸表提出会社及びその子会社をいう。 【連結会社】 連結財務諸表提出会社及び連結子会社をいう。 【連結子会社】 連結の範囲に含められる子会社をいう。 【非連結子会社】 連結の範囲から除かれる子会社をいう。 基本的なイメージは次の図のとおりである。 Ⅲ 支配の概念 1 持株基準と支配力基準 1997(平成9)年6月に改訂された「連結財務諸表原則」以前の連結原則では、子会社の判定基準として、親会社が直接・間接に議決権の過半数を所有しているかどうかにより判定を行う「持株基準」が採用されていた。 これに対して、1997(平成9)年6月に改訂された「連結財務諸表原則」では、①議決権の所有割合が100分の50以下であっても、その会社を事実上支配しているケースもあること、②国際的には、実質的な支配関係の有無に基づいて子会社の判定を行う「支配力基準」が広く採用されていたことを踏まえ、子会社の判定基準として、議決権の所有割合以外の要素を加味した「支配力基準」を導入し、他の会社(会社に準ずる事業体を含む)の意思決定機関を支配しているかどうかという観点から、連結会計基準は設定されている(連結会計基準54項)。 2 支配の概念の具体的な適用 連結会計基準は、「他の企業の意思決定機関を支配している企業」とは、次の企業をいうとしている。ただし、財務上又は営業上もしくは事業上の関係からみて他の企業の意思決定機関を支配していないことが明らかであると認められる企業は、この限りでない(連結会計基準7項)。 より具体的な規定については、「連結財務諸表における子会社及び関連会社の範囲の決定に関する適用指針」(企業会計基準適用指針第22号)などに規定されているので、これらについては次回以降で解説する。 【他の企業の意思決定機関を支配している企業】 (了)
〔まとめて確認〕 会計情報の月次速報解説 【2025年7月】 公認会計士 阿部 光成 Ⅰ はじめに 2025年7月1日から7月31日までに公開した速報解説のポイントについて、改めて紹介する。 具体的な内容は、該当する速報解説をお読みいただきたい。 なお、四半期ごとの速報解説のポイントについては、下記の連載を参照されたい。 Ⅱ 新会計基準関係 次のものが公表されている。 〇 「後発事象に関する会計基準(案)」等 (内容:後発事象に関する会計処理及び開示について規定するもの。意見募集期間は2025年9月12日まで) Ⅲ サステナビリティ情報関係 次のものが公表されている。 ① 金融審議会「サステナビリティ情報の開示と保証のあり方に関するワーキング・グループ」中間論点整理 (内容:サステナビリティ情報の開示と保証のあり方について検討したもの) ② サステナビリティ情報開示・保証業務特別委員会「サステナビリティ情報開示・保証のあるべき姿の検討 -サステナビリティ情報の信頼性確保に向けて-」 (内容:サステナビリティ情報開示、サステナビリティ保証業務に関する論点について検討したもの。日本公認会計士協会) ③ JICPAサステナビリティ能力開発シラバスの改訂 (内容:公認会計士に求められるサステナビリティ関連の能力開発に関する包括的な指針。日本公認会計士協会) ④ サステナビリティ能力開発協議会報告書「JICPAサステナビリティ専門プログラムの開始に向けて」 (内容:「JICPAサステナビリティ能力開発シラバス」に沿って、「JICPAサステナビリティ専門プログラム」を開発する。日本公認会計士協会) Ⅳ 監査法人等の監査関係 監査法人及び公認会計士の実施する監査などに関連して、次のものが公表されている。 ① 「2025年度品質管理レビュー方針」 (内容:品質管理レビューの方針を示すもの) ② 「2024年度 品質管理レビュー事例解説集Ⅰ部・Ⅱ部」 (内容:固定資産の減損、繰延税金資産の回収可能性、棚卸資産の評価などについての改善勧告事項について解説している) ③ 監査事務所検査結果事例集(令和7事務年度版) (内容:公認会計士・監査審査会による監査事務所の検査で確認された指摘事例等を取りまとめたもの) ④ 中小事務所等施策調査会研究報告第10号「第1四半期又は第3四半期の四半期決算短信に含まれる四半期連結財務諸表等に関する表示のチェックリスト」の改正 (内容:2025年6月30日時点で施行されている法令や会計基準等に対応して改正) Ⅴ 監査役等の監査関係 監査役等の実施する監査などに関連して、次のものが公表されている。 〇 「会計監査人非設置会社の監査役の会計監査マニュアル(第3版)」 (内容:前回の改定以降の環境変化に即するように記載内容を改定) (了)
従業員の解雇をめぐる企業対応Q&A 【第12回】 「障害者を解雇する際の判断基準」 弁護士 柳田 忍 【Question】 頻繁に単純なミスを繰り返し、指導を繰り返しても改善しない従業員Aに対して退職勧奨の面談を実施したところ、従業員Aから「自分は発達障害である。」と告げられました。 従業員Aが退職勧奨を拒絶した場合は解雇を実施するつもりだったのですが、このような状況下で解雇を実施してよいか、迷っています。障害を有する従業員の解雇を実施すべきか否かの判断基準を教えてください。 【Answer】 ①障害の特性の把握及び障害者の意向の確認並びに②これらを踏まえた改善の機会の提供を行っていること、③②を超える措置が使用者にとって過重な負担となるといえることなどが基準となります。 ご質問のように、解雇直前に従業員の障害が明らかになった場合には、全従業員への一斉メール送信、書類の配布、社内報等の画一的な手段により、合理的配慮の提供の申出の呼びかけを行っていたこともポイントになります。 ◆ ◇ ◆ 解 説 ◆ ◇ ◆ 1 はじめに 2024年12月、民間企業に雇用される障害者数が21年連続で過去最高を更新した旨が厚生労働省から公表されたが(※1)、障害者雇用の増加に伴い、障害(特に発達障害)を持つ従業員に対する退職勧奨や解雇について、筆者が依頼者から受ける相談件数も増加している。 (※1) 厚生労働省「令和6年 障害者雇用状況の集計結果」 障害者であっても、希望、能力、適正等を十分に踏まえて障害の特性に応じた活躍の場を与えられるべきであるし、障害者であることを理由とした解雇が許されないことは言うまでもない。障害者を解雇してはいけないというわけではないが、障害者の権利の侵害や不当な差別に当たらないよう、注意する必要がある。 そこで、本稿においては障害者に対する解雇のポイントについて説明する。 2 障害者の解雇と合理的配慮の提供義務 (1) 障害者の差別禁止と合理的配慮の提供義務 事業者は、雇用のすべての段階において、障害者を障害があることを理由に差別してはならず(差別の禁止・障害者雇用促進法34条及び35条)、また、障害の特性に応じて合理的な配慮の措置を講じなければならない(合理的配慮の提供義務・同法36条の2及び36条の3)(※2)。 (※2) 具体的な内容等については厚生労働省の「障害者差別禁止指針」及び「合理的配慮指針」参照 対象となる障害者は、身体障害、知的障害、精神障害(発達障害を含む。)その他の心身の機能の障害があるため、長期にわたり、職業生活に相当の制限を受け、又は職業生活を営むことが著しく困難な者を指す(同法2条1号)。 合理的な配慮の提供義務は、障害者の有する能力の有効な発揮の支障となっている事情を改善するために講じられるものであり、採用後の段階においては、障害の特性に配慮した職務の円滑な遂行に必要な施設の整備、作業方法の改善、就業時間等の配慮、援助を行う者の配置等の措置を内容とする。 また、合理的配慮の提供義務は、事業者に対して過重な負担となる場合は免除される(同法36条の2但書及び36条の3但書)。 過重な負担に該当するか否かは、事業活動への影響の程度のほか、実現困難度、費用・負担の程度、企業の規模、企業の財務状況、公的支援の有無等を総合勘案して、個別に判断することになる(合理的配慮指針第5.1)。 (2) 障害者と解雇権濫用法理 従業員を解雇するためには、客観的に合理的な理由と社会的相当性が認められる必要があり(解雇権濫用法理)、勤務成績や勤務態度の不良を根拠とした解雇において客観的に合理的な理由と社会的相当性が認められるためには、(ⅰ)雇用契約上の労務提供義務の不履行に至っているといえるほどに労務提供能力や適格性が欠如している、ないし、雇用契約を継続することが困難なほどに信頼関係を破壊する程度の規律違反がある場合で、(ⅱ)指導や教育訓練、配置転換や休職などによっても改善等が期待できず、解雇を回避することが難しいといえる必要がある(本連載【第2回】参照)。 上記は障害者の解雇についても当てはまるが、合理的配慮に基づいた指導や雇用継続のための努力がなされなければ、上記を満たさないおそれがあることに注意が必要である。 3 障害を持つ従業員の解雇の判断基準 以下を満たさない場合、障害を持つ従業員の解雇は無効となる可能性がある。よって、障害を持つ従業員の解雇に際しては、以下を満たすことを確認すべきである。 (1) ①及び②について 上記①及び②は、合理的配慮に基づいた指導や雇用継続のための努力がなされたか否かを判断基準とするものであるが、以下の裁判例が参考になる。 (2) 上記③について 上記のとおり、合理的配慮の提供義務は、使用者にとって過重な負担になる場合は免除される。 以下の裁判例に照らすと、例えば、当該障害者の勤務成績上の問題等を解消するために他の従業員の援助が常時、ないし、かなりの時間提供される必要があるといった事情があれば、「過重な負担」が認められる可能性があるということになる。 (3) 上記④について 上記④は、採用後に従業員の障害が明らかになった場合を想定したものである。 事業主は障害者の障害を知らない場合でも合理的配慮義務を負うが、事業主が必要な注意を払ってもその雇用する労働者が障害者であることを知り得なかった場合には、合理的配慮の提供義務違反を問われない(※3)。 そして、「全従業員への一斉メール送信、書類の配布、社内報等の画一的な手段により、合理的配慮の提供の申出を呼びかけている場合」には「必要な注意」を払っているものと考えられている(※4)。 (※3) 厚生労働省「合理的配慮指針」第2.2 (※4) 厚生労働省「障害者雇用促進法に基づく障害者差別禁止・合理的配慮に関するQ&A【第三版】」Q1-5-2 すなわち、定期的に全従業員への一斉メール送信、書類の配布、社内報等の画一的な手段により、合理的配慮の提供の申出の呼びかけを行っていれば、本事例のように、採用後に従業員の障害が明らかになったとしても、それまでの間の合理的配慮の提供義務を免れることになる。つまり、合理的配慮を踏まえた改善指導等を行っていなくても、解雇の有効性が認められる可能性があることになる。 (了)
〈Q&A〉 税理士のための成年後見実務 【第21回】 「成年後見制度の改正」 ~法定後見開始の要件、効果等の見直し~ 司法書士法人F&Partners 司法書士 北詰 健太郎 【Q】 成年後見制度の改正議論では、かなり大きな改正が行われるため制度の枠組み自体を学びなおす必要があると聞きました。どのように変わっていくのでしょうか。 【A】 本人の判断能力の程度に応じて後見、保佐、補助という3類型に区分された支援を行うという現行の枠組み自体の見直しも含めた議論がなされています。「成年後見人」「保佐人」「補助人」という支援者の名称や役割自体も変更される可能性があります。現行の成年後見制度に対する認識自体を改め、新たに理解しなおすことも求められます。 ● ● ● ● 解 説 ● ● ● ● 1 現行の法定後見の開始の要件と改正の理由 現行の成年後見制度では、本人の判断能力の程度に応じて家庭裁判所の審判により後見、保佐、補助の3類型いずれかの支援を行うとされています。 現行の制度は社会に定着しており、判断能力の低下した本人の保護や取引の安定に寄与していますが、本人の自己決定権を制約しているという内外の批判や、一度制度の利用が開始すると、実態として本人が死亡するまで終了させることができない運用になっているといった批判から見直しがされることになりました。 2 改正の方向性 「民法(成年後見等関係)等の改正に関する中間試案」では、法定後見制度の枠組み、開始要件及びその効果等として次のいずれかを採用する案が出ています。 甲案は現行の枠組みを維持しつつ、現行制度では後見類型の支援を受けるとされている者(意思能力を欠く状態が通常である者)であっても、保佐や補助の類型の支援を受けることを許容することや法定後見に期間を設けることで、現在問題とされている点について改善を目指す案です。 乙1案は、現在の枠組みを見直して、家庭裁判所が必要性を認めたうえで、請求者の請求により「保護者」に対して特定の法律行為について個別に必要となる同意権・代理権を付与する案です。なお中間試案では「保護者」という表現が使われていますが、改正後には制度の枠組みが変更されることに伴って、本人の支援者である「成年後見人」「保佐人」「補助人」という用語が変更される可能性もあります。乙1案では仮に現行制度においては後見類型による支援が行われる者であっても、保護者に対して包括的な代理権が与えられるわけではなく、あくまで個別に必要な権限を与えることになります。現行制度でいうところの補助に近い考えといえるかもしれません。 乙2案は、乙1案をベースとしつつ現行制度において後見類型の支援が行われる者については、保護者に一定の代理権等の権限を付与する案です。後見類型の支援が必要となる者については、かなり広範な範囲において支援が必要になるところ、個別に権限付与の判断を行っていると手続的コストが負担となることなどが乙2案の提案の理由となっています。 3 どの改正案が採用されるのか 現時点ではどの改正案が採用されるかは不明ですが、筆者個人としては甲案が採用される可能性は低いのではないかと考えています。乙1案、乙2案が採用された場合、制度利用にあたっては本人のために必要となる保護者の権限を慎重に判断する必要があるほか、取引相手が制度の利用者である場合には、どのような行為について保護者の同意や代理を必要とするのかをしっかりとチェックする必要があります。現行の制度からは大きく変わることを前提に改正動向に注視していく必要があります。 (了)
2025年8月7日(木)AM10:30、 プロフェッションジャーナル No.630を公開! - ご 案 内 - プロフェッションジャーナルの解説記事は毎週木曜日(AM10:30)に公開し、《速報解説》は随時公開します。
monthly TAX views -No.150- 「日本売りを招かない金融・財政政策を」 東京財団 シニア政策オフィサー 森信 茂樹 今回の選挙での最大の争点は物価高対策だったが、選挙戦後半に外国人問題が浮上した。前者(物価対策)は財政ポピュリズムの下で消費税や所得税減税を主張する国民民主党を飛躍させ、後者(外国人問題)は外国メディアから極右とレッテルを張られた反グローバリズムの保守政党である参政党の躍進につながった。財政ポピュリズムと保守主義・反グローバリズムが結び付いた形で力を持ってきたことが大きな特色だ。 保守主義は本来、「小さな政府」や「財政健全性」を重視する思想だが、参政党は国民の支持を得ようと、既成政党やエリート(財務省等の官庁)、さらには言語・文化・生活習慣の違いからくる外国人との摩擦をSNSで訴えるだけでなく、財源なき消費税減税を訴えるなど財政ポピュリズムにも傾倒した。このような財政ポピュリズムと反グローバリズムの合体は欧州や米国でも生じている現象だ。 * * * さて物価高対策だが、物価高に追いつかない賃金上昇(実質賃金の目減り)からくる生活苦への対応として減税や給付が選挙で争点となった。しかし現下のインフレの原因は、グローバルインフレが円安により加速されたもので、円安の背景にある金融政策や、弛緩した財政規律による財政悪化から来るインフレ懸念が問われるべきである。アベノミクス以降の経済政策の総括をきちんと行うことが必要だ。消費税減税や給付といった小手先の近視眼的な対応策は、需要を喚起させるという点で物価対策としては逆効果になりかねない。 私なりにアベノミクスの総括をすると、以下のようになる。 異次元の金融緩和は円安・株高をもたらし、景気回復や雇用の改善につながった。一方で、有効な成長戦略は打たれず潜在成長率は低迷し、一人当たり賃金も伸び悩んだ。結局異次元金融緩和では2%の物価目標を実現することができず、財政規律の弛緩という弊害が残った。つまり「デフレはマネー現象だからマネー供給を増やせばデフレは解消される」というリフレ派の主張した処方箋は効果がなく副作用が残されたということである。消費税を2度引上げ、幼児教育の無償化などに振り向けたことは若者世代の支持を引き留めたが、所得格差、資産格差はともに拡大し、中間層の二極化が生じた。 その後コロナ禍や2022年のウクライナ戦争を機にグローバルインフレが生じ、低金利を続ける金融政策からくる円安と相まって、今日わが国のインフレ率は3%前後のインフレを3年以上続けている。金融政策の正常化は始まったものの、今回の日銀の政策決定会合でも金利の引上げは行われず実質金利はマイナスの水準にあり、円安の要因となっている。 財政政策はどうか。インフレにより税収は増加してきたものの、いまだ財政目標であるプライマリーバランス黒字化は未達成である。SNSや政治の世界では、アベノミクス以来のリフレ的な考え方が、MMT(現代貨幣理論)と結託しながら残っている。 このように現在のインフレの根源をたどっていくとアベノミクスの金融政策と財政政策に行き着く。参議院選挙では、昨今の物価高への対応として、このような政策議論が行われる必要があった。 日銀が金融正常化のスピードを遅らせる状況の下で、恒久財源なく消費税減税やガソリン税暫定税率の廃止などの財政拡張政策を行えば更なる円安(ひいてはインフレ)を招く可能性がある。 この政策の是非を判断するのは、わが国国民ではなく、「神の手」といわれる国債市場(マーケット)ということになる。しかし市場というのは「神」ではなく「グリードな投資家・投機家の集団」である。彼らの作るナラティブやストーリーが市場を動かし一般投資家からマネーを収奪しているというのが本質である。 そうである上、不透明な政治枠組み、意思決定機能の弱体化の中で、国際投機筋の餌食になるような安易な財政ポピュリズムに基づく消費税減税だけは避けなければならない。更なるインフレや日本売りを招かないためにも。 (了)