酒井克彦の 〈深読み◆租税法〉 【第104回】 「節税義務が争点とされた事例(その7)」 中央大学法科大学院教授・法学博士 酒井 克彦 Ⅰ 事案の概要 1 概観 本件は、Xら(原告)の相続税申告に関し、税理士Y(被告)が、借入金債務の存在を念頭に置かないまま遺産分割協議書作成の事務を行ったことから、その結果、相続税法上の配偶者控除を限度額いっぱいに利用できず過大な相続税の納付等をすることになったとして、XらがYに対して損害賠償請求を行った事案である。 2 具体的事実 Xらは、税理士であるYに対し、平成6年2月頃、被相続人亡Aに関する相続税の申告手続を依頼した。その際、XらはYに対し、相続人間には遺産分割を巡って何らの紛争もないこと、別件の相続税の支払も残っているので、Xらとしては、今回の相続税額をできる限り低くしてもらいたいと考えていることを伝えた。 その後、Yは、相続税の申告手続の前提として、遺産分割協議書案を作成し、相続人全員の押印を得て、これを相続税の申告に使用した。 Xらは、Yが、かかる相続税申告書類を作成するに際し、2億円余の住宅金融公庫からの借入金債務の存在を念頭に置かないまま遺産分割協議書作成の事務を行った結果、相続税法上の配偶者控除を限度額いっぱいに利用できないこととなったと主張した。 Ⅱ 争点 Yが亡Aの相続税の申告手続を行った際に、借入金債務の存在を念頭に置かないまま遺産分割協議書作成の事務を行い、相続税法上の配偶者控除を限度額いっぱいに利用できないこととなったことにつき、Yの過失が認められるか否かが争点である(かかる行為に過失があったとした場合のXらの損害の額については本稿では触れない。)。 Ⅲ 判決の要旨 東京地裁平成10年9月18日判決(判タ1002号202頁)は、次のように、Yの職務上の義務を認めている。 その上で、Yが、「Xらにとってより有利な遺産分割の案がありうることを提示ないし助言しなかった」として、Yには過失があると示す。 もっとも、東京地裁は、次のように「配偶者控除が限度額いっぱい〔ママ〕使えるような遺産分割を勧めることが税理士の職務上の注意義務であるということはできない」とはしているものの、本件におけるYの過失は否定できないと判示した。 Ⅳ 検討 Xらは、Yが遺産分割協議書作成に際して、住宅金融公庫からの借入金債務の存在を念頭に置いていなかったために、借入金全額をX1が負担するものとした結果、相続税法上の配偶者控除を限度額いっぱいに利用できなかったとして、Yを相手取り、これに基づく損害賠償を請求したのである。 これに対して、本件判決は、Yは、Xらが当面の相続税の額をできる限り少なくしてもらいたいとの希望を持っていることも承知していたのであるから、対価を得て税務事務を行うYとしては、Xらが遺産分割協議をする際の資料ないし選択肢の一つとして、借入金債務の存在を念頭に置いて、その場合にX1の配偶者控除をできる限り多く使えるような遺産分割協議の方法はどうであるかについて、遺産分割協議書案の提示又はそれに代わる助言をすべき職務上の義務があったといえるとしている。 すなわち、Yには、配偶者控除をできるだけ多く適用し得るような遺産分割協議の方法についての助言義務があったというのである。 そもそも、租税法の規定には、いくつかの許容された処理方法の中から、納税者がいずれかを選択して適用し得る場面がある。例えば、所得税法や法人税法であれば、棚卸資産の評価方法の選択や、青色申告の承認申請を行うか行わないかといった選択、消費税法であれば、簡易課税と本則課税のいずれを選択するかなど、納税者による選択の余地が認められている場面も多い。 いずれも法定されたものである以上、どの選択肢を採用した結果であっても、租税法上の適正な申告であることに変わりはないわけであるが、それを前提として、より租税負担の軽減される方法を選択すべきであるという意味での税理士の節税義務が論じられることがある。 他方、それとは別に、本件のように、租税法上の選択適用とは異なる領域において、より納税者の租税負担を軽減できるような方策があれば、それを納税者に助言することも、租税の専門家たる税理士に求められるという意味での節税義務が論じられることがある。本件はこの領域の議論であり、Yが税理士として、「Xらにとってより有利な遺産分割の案」を提示すべきであったか否かに焦点が当てられている。 このような場合は、節税義務というよりは、より積極的な事実行為に対するアドバイスが求められるものであり、それを職務上の義務としているという点では、「節税措置義務」という方がより本質を突く表現であると思われる。 税理士に、かような事実行為に対する、いわばコンサルタント的な意味における助言義務まで求めるとする考え方には、疑問の声も惹起されよう。租税専門家たる税理士は、申告納税制度の趣旨に則って適正な課税を実現する専門家であり、納税者の利益最大化に寄与しなければならないとする職務上の義務を、果たして税理士法から導出できるのであろうか。 そのような疑問に対して、一律の明解な解答は提示しづらい。これは、当事者間における委任契約の契約内容に沿って個々に検討をしなければならない問題であろう。すなわち、ここでは、当事者間において締結された契約の解釈問題が所在するというべきである。そして、その判断においては、当事者間における委嘱が締結された当時の状況や、当事者の意思などが総合的な判断材料となると解される。 この点、本件でいえば、他の別件相続税の支払も残っているので、「Xらとしては、今回の相続税額をできる限り低くしてもらいたいと考えていることをYに伝えた」という点や、Yが、「相続人間に遺産分割に関する争いがなく、Yの助言を受け入れうる態勢にあることを承知しており、また、Xらが当面の相続税の額をできる限り少なくしてもらいたいとの希望を持っていることも承知していた」と認定されている。かような事実認定が、Yの「助言をすべき職務上の義務」の肯定へと繋がったものと解すべきであろう。 したがって、このような節税措置義務ともいうべき助言義務が肯定され得るとしても、それは個々の事例ごとの契約内容によって異なるものと解されるのであるから、本件判決を杓子定規に解釈し、租税専門家たる税理士には事実行為に対する助言義務が求められるとか、一般的に節税措置義務が要求されると解するのは早計であるというべきであろう。 (了)
〔令和4年3月期〕 決算・申告にあたっての税務上の留意点 【第2回】 「「デジタルトランスフォーメーション(DX)投資促進税制の創設」 「カーボンニュートラル投資促進税制の創設」 「繰越欠損金の控除上限の特例の創設」」 公認会計士・税理士 新名 貴則 令和3年度税制改正における改正事項を中心として、令和4年3月期の決算・申告においては、いくつか留意すべき点がある。第1回は「中小企業の設備投資を支援する措置の延長等」及び「中小企業経営資源集約化税制(中小企業事業再編投資損失準備金)の創設」について解説した。 第2回は「デジタルトランスフォーメーション(DX)投資促進税制の創設」、「カーボンニュートラル投資促進税制の創設」、及び「繰越欠損金の控除上限の特例の創設」について解説する。 1 デジタルトランスフォーメーション(DX)投資促進税制の創設 令和3年度税制改正において、「デジタルトランスフォーメーション(DX)投資促進税制」が創設されている。 デジタルトランスフォーメーションとは、デジタル技術を活用した企業変革のことであり、これに必要なデジタル関連投資を促進するために、この税制が設けられた。 ① 制度の概要 青色申告書を提出する法人が、認定事業適応計画に従ってソフトウェア等の取得等をして事業に供用した場合に、30%の特別償却又は税額控除(3%又は5%)を認める制度である。 ② 認定要件 次の要件について主務大臣の認定を受ける必要がある。 ③ 適用要件 当該税制を適用するためには、具体的には次の要件を満たすことが必要である。 ④ 税制優遇措置 取得等をして事業に供用した情報技術事業適応設備及び事業適応繰延資産の額(300億円が限度)について、30%の特別償却又は税額控除(3%又は5%)が認められる。 (※1) クラウドシステムへの移行に係る初期費用 (※2) ソフトウェア・繰延資産と連携して使用するものに限定 (※3) グループ企業外の事業者とデータ連携をする場合 ⑤ 適用期間 この改正は、「産業競争力強化法等の一部を改正する等の法律」の施行日(令和3年8月2日)から適用される。したがって、令和4年3月期決算申告においては適用が開始されている。 2 カーボンニュートラル投資促進税制の創設 令和3年度税制改正において、「カーボンニュートラル投資促進税制」が創設されている。 カーボンニュートラルとは、二酸化炭素をはじめとする温室効果ガスの「排出量」から、植林、森林管理などによる「吸収量」を差し引いて、合計を実質的にゼロにすることを意味する。 「2050年カーボンニュートラル」という目標を達成するために、脱炭素化のための設備投資を促進する税制が創設された。 ① 制度の概要 青色申告書を提出する法人が、認定事業適応計画に従って生産工程効率化等設備又は需要開拓商品生産設備の取得等をして事業に供用した場合に、50%の特別償却又は税額控除(5%又は10%)を認める制度である。 ② 適用要件 当該税制を適用するためには、具体的には次の要件を満たすことが必要である。 ③ 税制優遇措置 取得等をして事業に供用した生産工程効率化等設備及び需要開拓商品生産設備の額(500億円が限度)について、50%の特別償却又は税額控除(5%又は10%)が認められる。 〈生産工程効率化等設備〉 (※) エネルギーの利用による環境への負荷の低減に著しく資するものである場合 〈需要開拓商品生産設備〉 ④ 適用期間 この改正は、「産業競争力強化法等の一部を改正する等の法律」の施行日(令和3年8月2日)から適用される。したがって、令和4年3月期決算申告においては適用が開始されている。 3 繰越欠損金の控除上限の特例の創設 大胆な企業変革への取組を後押しするため、令和3年度税制改正において、繰越欠損金の控除上限の特例が創設された。 認定事業適応事業者である青色申告法人は、令和2年4月1日から令和3年4月1日までの期間内の日を含む事業年度で生じた欠損金について、翌期から最大5年間、100%控除が認められる。 ただし、控除前所得の50%を超える部分については、投資額を上限として控除できることに注意が必要である。 この改正は、「産業競争力強化法等の一部を改正する等の法律」の施行日(令和3年8月2日)から適用される。したがって、令和4年3月期決算申告においては適用が開始されている。 (了)
〔疑問点を紐解く〕 インボイス制度Q&A 【第11回】 「インボイス制度での仮払消費税等の仕訳入力」 税理士 石川 幸恵 【Q】 税抜経理方式で経理処理をしています。仮払消費税等の額については、会計ソフトに自動的に拠っていますので、端数処理の違いにより取引先から交付された請求書等と1円程度のずれが生ずる場合もあります。 インボイス制度が導入されたら、仮払消費税等はインボイスの記載どおりに入力しなければならないのでしょうか。 (※) 適格請求書発行事業者以外の事業者からの仕入れについては、今回は割愛します。 〔ポイント〕 (1) インボイス制度導入後、仕入税額の計算方法は「積上げ計算」が原則となります。 (2) 積上げ計算では、交付された適格請求書の記載に基づく請求書等積上げ計算のほか、帳簿積上げ計算も認められますから、これまでと入力方法を変える必要はないと考えられます。 * * * 【A】 (1) 仕入税額の計算方法の主な変更点 ① 原則 インボイス制度導入後、仕入税額の計算方法は「積上げ計算」が原則となります。 具体的な計算方法は下記(2)にて詳述します。 ② 現行の計算方法での原則は? 現行の区分記載請求書等保存方式では、割戻し計算が原則です。 インボイス制度導入後も仕入税額の計算方法を割戻し計算とすることもできますが、売上税額を割戻し計算している場合に限られます(インボイスQ&A問115)。 ③ 積上げ計算をするためには? 事業者が税抜経理方式を採用しているのであれば、期中、請求書等に記載された消費税額等を「仮払消費税等」として積み上げ、その仮払消費税等に基づいて申告書を作成するのがシンプルであると考えられます。 そこで、積上げ計算のために、「仮払消費税等を適格請求書等の記載のとおりに入力しなければならないのか」、「消費税額等が記載されていない適格簡易請求書を受け取った場合はどうしたらよいのか」という疑問が生じます。 積上げ計算では、適格請求書等の記載どおりの消費税額に基づく計算(請求書等積上げ計算)の他、帳簿積上げ計算も認められますから、これまでと入力方法を変える必要はないと考えられます。 (2) 積上げ計算について 積上げ計算には次の①と②の方法があり、併用が認められます。 (3) 実務的な対応 ① 適格請求書の交付を受けた場合 次のいずれかの方法で会計ソフトに仕訳入力をします。 (※) 帳簿積上げ計算を行う場合でも、消費税額等の記載の漏れた適格請求書は適格請求書として不備となりますので、取引先に差し替えてもらう必要があると考えられます。 ② 交付を受けた適格簡易請求書に消費税額等の記載がない場合 適格請求書に基づいて、税率の異なるごとに区分した税込金額を入力し、仮払消費税等については、会計ソフトの自動計算に拠ります。 (了)
金融・投資商品の税務Q&A 【Q72】 「国外に転居した後に行ったFX取引についての課税関係」 PwC税理士法人 金融部 ディレクター 税理士 西川 真由美 ●○ 検 討 ○● 1 非居住者に対する課税の範囲 所得税法上、「非居住者」とは、居住者以外の個人をいいます。「居住者」とは、国内に住所を有し、又は現在まで引き続いて1年以上居所を有する個人とされ、1年以上の予定で海外赴任した場合には、一般的には非居住者に該当することになると考えられます。 個人が稼得する所得が日本において課税の対象範囲に含まれるか否かは、その個人の課税上のステータス(居住者であるか、非居住者であるかなど)により異なります。居住者については、原則として、日本国内だけではなく国外で稼得した所得も課税対象になりますが、非居住者については、国内源泉所得のみが日本において課税されることになります。 この国内源泉所得には、恒久的施設帰属所得のほか、国内にある資産の運用又は保有により生ずる所得、国内にある資産の一定の譲渡により生ずる所得、組合契約に基づく分配金などが含まれ、所得税法第161条にその範囲が規定されています(国内源泉所得の範囲については、【Q46】参照)。 2 非居住者が稼得するFX取引に係る所得に対する課税関係 FX取引は、デリバティブ取引に含まれ、金融商品取引法上の、売買の当事者が将来の一定の時期において金融商品及びその対価の授受を約する売買であって、当該売買の目的となっている金融商品の転売又は買戻しをしたときは差金の授受によって決済することができる取引(先物取引)に該当すると解されます。また、一般的なFX取引としては、市場デリバティブ取引、店頭デリバティブ取引の両方が行われています(金融商品取引法第2条第21項第1号又は第22項第1号)。 2021年12月24日に閣議決定された「令和4年度税制改正の大綱」において、非居住者又は外国法人がクロスボーダーで行う金融商品取引法上の市場デリバティブ取引及び店頭デリバティブ取引の決済により生ずる所得(デリバティブ所得)は、恒久的施設等に帰属するものを除いて、国内源泉所得である「国内にある資産の運用又は保有により生ずる所得」に該当しないことを法令上明確化することとされました。 これを受けて、2022年1月7日に、国税庁より、「クロスボーダーで行うデリバティブ取引の決済により生ずる所得の取扱いについて」が公表されました。その中で、上記の、非居住者又は外国法人が稼得するデリバティブ所得が国内資産の運用・保有所得に該当しないという取扱いは、今般の公表時期にかかわらず、過去に稼得されたデリバティブ所得についても適用され、これまでに国内源泉所得に該当するものとして納税を行っていた非居住者又は外国法人については、更正の請求を行うことができるとされています。 3 本件へのあてはめ 2021年に仕事の関係で国外に転居したとのことですので、海外に居住する期間が1年以上の予定である場合には、日本を出国する時から非居住者に該当することになると考えられます。転居後も国内の証券会社の口座を使ったFX取引を継続しているということですので、当該FX取引から生ずる所得が、非居住者にとって課税対象となる国内源泉所得の範囲に含まれるのか否かが問題となります。 ここで、「令和4年度税制改正の大綱」及びそれを受けて国税庁が公表した上記2の取扱いによれば、非居住者が行うクロスボーダーで行う金融商品取引法の市場デリバティブ取引及び店頭デリバティブ取引の決済により生ずる所得は、国内源泉所得に該当しないこととして取り扱うとされています。国外転居後は非居住者となり、かつ、日本の証券会社を通じて行うFX取引はクロスボーダーで行う市場デリバティブ取引又は店頭デリバティブ取引に該当するものと考えられますので、その所得は国内源泉所得として取り扱われないものと考えられます。 したがって、国外転居後に稼得したFX取引に係る所得は日本において課税対象となる所得の範囲に含まれず、確定申告する必要はないと考えられます。 (了)
〔事例で解決〕小規模宅地等特例Q&A 【第23回】 「被相続人が老人ホームに入居する直前に居住していなかった宅地等がある場合の特定居住用宅地等の特例の適否」 税理士 柴田 健次 [Q] 被相続人である甲は、A宅地及び家屋を所有し、その家屋に1人で居住していましたが、相続開始の5年前に有料老人ホームに入居しました。老人ホームの入居前の状況が次のそれぞれの場合において、特定居住用宅地等に係る小規模宅地等の特例の対象にならないものはありますか。 相続人は長男と長女の2人ですが、長男が遺産分割協議によりA宅地及び家屋を取得しています。長男は、別居親族の要件(前回参照)を満たしているものとします。 【老人ホーム入居前から相続開始までの状況】 [A] ②のケースについては、特定居住用宅地等に係る小規模宅地等の特例(以下単に「特例」という)を受けることができませんが、①のケースについては、他の要件を満たせば特例の適用を受けることができます。 ◆ ◆ ◆[解説]◆ ◆ ◆ 1 特定居住用宅地等の範囲 特定居住用宅地等は、相続開始の直前において被相続⼈⼜は当該被相続⼈と⽣計を⼀にしていた当該被相続⼈の親族(以下「被相続人等」という)の居住の⽤に供されていた宅地等に該当することが必要となりますが、相続開始の直前において被相続人の居住の用に供されていなかった宅地等であっても、下記の要件を満たす場合には、その被相続人が居住の用に供されなくなる直前まで被相続人の居住の用に供されていた宅地等については、被相続人の居住の用に供されていた宅地等に該当することとされています(措法69の4①、措令40の2②③、措規23の2②)。 2 老人ホーム入居前における被相続人の生活の拠点の判定 上記1に記載の通り、被相続人が老人ホーム等に入居等している場合で一定の要件を満たしている場合には、老人ホーム等に入居等をしたことにより居住の用に供されなくなる直前まで被相続人の居住の用に供されていた宅地等については、被相続人の居住の用に供されていた宅地等に該当するものとされています。したがって、老人ホーム等の入居直前において被相続人の居住の用に供されていた宅地等が特例の対象になります。すなわち、老人ホーム等の入居直前において、「生活の拠点」がA宅地以外の場合には特例を受けられないことになります。 生活の拠点については、第19回で解説していますが、「被相続人等の居住の用に供されていたかどうかは、基本的には、被相続人等が、その宅地等の上に存する建物に生活の拠点を置いていたかどうかにより判定すべきものと考えられ、その具体的な判定に当たっては、その者の日常生活の状況、その建物への入居目的、その建物の構造及び設備の状況、生活の拠点となるべき他の建物の有無その他の事実を総合勘案して判定する」とされています。 本問の場合の生活の拠点の判定は、下記の通りとなります。 3 本問への当てはめ 〔①の場合〕 上記1の要件を満たし、かつ、老人ホーム入居前における生活の拠点がA宅地となりますので、他の要件を満たせば特例の適用を受けることができます。 〔②の場合〕 上記1の要件は満たしますが、老人ホーム入居前の生活の拠点が長女の自宅でありA宅地とは認められませんので、特例の適用を受けることができません。 ★実務上のポイント★ 被相続人が老人ホームに入居している場合には、上記1に記載の老人ホームの3要件だけではなく、老人ホーム入居前の生活の拠点がどこにあったのかについても確認することが重要となります。 (了)
〔顧問先を税務トラブルから救う〕 不服申立ての実務 【第10回】 「口頭意見陳述をする場合の留意点」 公認会計士・税理士 大橋 誠一 1 口頭意見陳述の規定を置く趣旨 再調査の請求においても審査請求においても、書面によるやりとりをもって判断機関と両当事者が主張内容を共有することにより、攻撃防御の確保など充実した審理に資するという書面主義を前提としている。 しかし、必ずしも法律や争訟に明るくない審査請求人に対して、書面のみの手段によって自らの主張を尽くさせることは、権利救済のハードルを自ずと高くすることにもなり、一方で、自らの主張の意図を口頭で補充させることは、原処分庁や判断機関の理解を促進するものであるともいえる。 そこで、再調査の請求及び審査請求において口頭意見陳述の規定を置くとともに、申立てがあった場合には、審理機関はその機会を与えなければならないこととされている。 なお、連載【第4回】において、再調査の請求段階における口頭意見陳述を取り上げているが、審査請求段階のそれとは制度が若干異なる(審査請求人の権利の観点から充実している)ことから、本稿では独立した回次として実務的な運用面を含めて詳述する。 2 口頭意見陳述の申立て (1) 口頭意見陳述の申立書を提出する 口頭意見陳述を行う場合には、審理手続の終結までの間に、以下の様式の申立書を担当審判官に提出することになるが、担当審判官が指定される前の段階で提出する(例えば、審査請求書に添付する)こともできる。 (2) 審査請求人の選択 上記の申立書の様式から、審査請求人は、以下の選択が可能である。 口頭意見陳述は担当審判官が期日及び場所を指定して全ての審理関係人を招集して行われるため、陳述の場には原処分庁も出席していることになるが、原処分庁担当者が出席していると、審査請求人が緊張して思うような陳述ができないと懸念することも想定して、担当者の出席は審査請求人が選択できることとしている。 また、行政不服審査法第31条が、その第5項において、申立人による処分庁に対する発問権を認めていることとの整合性に鑑み、審査請求人による原処分庁に対する発問権を認めている。 この点、原処分庁に応答義務を課する国税通則法の規定はないところ、全ての審理関係人を招集して行う趣旨等を踏まえると、質問に対して原処分庁が適切に回答すべきものであることは当然であり、敢えて応答義務を規定する必要はなかった(※)と整理されている。 (※) 中川一郎・清永敬次編『コンメンタール国税通則法』(税法研究所、1989)4659~4660頁において「平成25年6月21日付の総務省の「行政不服審査制度の見直し方針」第2の3(審理手続)の〔説明〕」の総論の該当部分を引用している。 3 口頭意見陳述を開催するまでの手続 申立書が提出されると、担当審判官は、具体的に以下の手続を経て口頭意見陳述を開催する。 (1) 日程調整 主宰する担当審判官とその補佐をする分担者(国税審査官)の出席は必須であり、その事件について指定されている参加審判官2名も出席するのが通常であるが、これらの計4名は、事件ごとにそれぞれ異なる構成となるため、まずは国税不服審判所内部の日程調整と会場(国税不服審判所の会議室で行われることが通常である)の確保を行う必要がある。 そして、審査請求人本人及び代理人に加えて、原処分庁の出席を希望する場合には原処分庁担当者の日程調整を併せて行うことになるが、具体的な日程は、(2)の準備期間を踏まえて、申立書を収受した時点から概ね1ヶ月程度先に設定されることが多い。 出席予定者全員について、日程についての了解が得られた場合には、担当審判官名で口頭意見陳述の招集通知が送付される。 (2) 陳述内容・質問内容の事前送付 当日は、審査請求人が何を言い出すかわからない、いわゆる「ぶっつけ本番」で開催されることはなく、担当審判官から事前に陳述内容と原処分庁に対する質問内容の要旨の提出依頼がある。 これは、担当審判官が事前に内容を把握することによって、 ことが目的であるが、 といった目的もある。 この陳述内容・質問内容の事前送付と原処分庁による回答準備の余裕をみて、1ヶ月程度先に設定されることになる。 4 口頭意見陳述当日の進行 (1) 配置 担当審判官・参加審判官2名・分担者の国税不服審判所側の計4名を正面とし、審査請求人側と原処分庁側が対面ないし国税不服審判所側を向いて「V」の字になるように配席されるのが通常である。 〈口頭意見陳述の配席図〉 (2) 原処分庁側の参加者 原処分庁は税務署の所属職員による調査の場合は税務署長であるが、税務署長本人が出席することはなく、各課税第1部門に所属する不服申立担当調査官(通常は上席調査官)が出席する。 しかし、原処分庁の実質的な司令塔は国税局の審理課であり、不服申立担当調査官に加えて、審理課の税目別の主査(税務署の統括官級)と実査官が当日のみの併任辞令を受けて出席するのが通常である。 (3) 当日の進行順 進行は担当審判官が行い、当日の出席者の紹介の後に、審査請求人又は代理人から、事前に提出された内容に基づく陳述を行う。 この際、新たな内容の陳述を行いたい場合には、要旨を担当審判官に述べた上で、担当審判官から陳述の許可を受けることによって行う。 陳述内容は、担当審判官又は分担者が口頭意見陳述録取書に取りまとめ、審査請求人及び代理人に内容を確認した上で署名させる。 その後、原処分庁に対する質問を希望した場合には、審査請求人又は代理人による原処分庁に対する質問と原処分庁担当者による回答のやりとりがある。 具体的には、国税不服審判所には「YouTubeチャンネル」が開設されており、「審判所ってどんなところ?【国税不服審判所】」という39分29秒の動画の17分30秒の辺りから、口頭意見陳述についてドラマ仕立てで描かれているため、事前に参考にするのが望ましい。 5 審査請求人側の留意点 (1) 調査をした担当官本人は出席しない 税務調査を担当した調査官本人を同席させて担当審判官の面前で苦情を申し出たいことが口頭意見陳述の動機であることが多い。 しかし、苦情は取消しを求める原処分の要件事実との関係性が希薄であり、担当審判官に陳述・質問を許可されない可能性が高いことに加え、上述のとおり、出席する原処分庁担当者は不服申立て関係の担当官であって、税務調査を担当した調査官本人が出席することはまずないと心得ておいた方が良いだろう。 (2) 訴訟のような対審構造ではない 原処分庁に対して直接質問をすることができるものの、口頭意見陳述はあくまで審査請求人と担当審判官とのやりとりが原則であって、その場で原処分庁との直接の討論が期待できるものではなく、陳述後の書面のやりとりで展開されることになる。 (3) 回答内容に過度の期待を持たない 原処分庁に対して質問をしたものの、審査請求人が期待するような踏み込んだ回答でない(紋切り型の回答である)ことも多く、その場で「更問い」をしたとしても、原処分庁はあらかじめ準備した回答を超える内容の回答をする可能性は薄い。 これについては、当日までに質問内容を吟味することによって、真に回答させたい内容を引き出すような工夫を検討しなければならないだろう。 (了)
さっと読める! 実務必須の [重要税務判例] 【第72回】 「ガーンジー島事件」 ~最判平成21年12月3日(民集63巻10号2283頁)~ 弁護士 菊田 雅裕 (了)
〔会計不正調査報告書を読む〕 【第122回】 和光市 「和光市職員による不祥事の再発防止に関する調査報告書(2021年12月22日付)」 税理士・公認不正検査士(CFE) 米澤 勝 【和光市職員による不祥事の再発防止に関する第三者委員会の概要】 【事案の概要】 2019年6月13日、埼玉県警は、和光市企画部審議監の東内京一容疑者(55)を、生活保護受給者から福祉事務所が預かっていた1,200万円のうち、200万円をだまし取った詐欺容疑で逮捕した(※1)。 (※1) 以下の記述は、「シルバー産業新聞2019年7月10日号」の記事をもとに構成し、一部、筆者が加筆している。 事件が発覚したのは、2018年11月頃。4年前まで生活保護を受給していた80代女性の親族から、和光市が保管する女性の現金1,200万円について問合せが寄せられ、この問合せを受けて、12月3日に市福祉事務所職員が、東内京一教育部長(2015年当時は保健福祉部長兼福祉事務所長)を保管中の生活保護受給者の現金を着服した疑いがあるとして市に内部通報(公益通報)したことをきっかけとする。 その後、和光市は12月7日に顧問弁護士2人を調査員として、東内容疑者はじめ関係者を個別に調査した結果、年明けの2019年1月23日に、当該行為を事実と認定。詐欺罪に当たるとして松本武洋市長が朝霞警察署に告発状を提出し、即日受理されていた。 和光市は、2018年末の内部通報から内部調査を経て2019年1月の市の告発、さらに4月の異動、6月13日の逮捕に至るまでの一連の状況については一切公表せず、一握りの幹部職員にしか知らされていなかった。 逮捕された6月13日付で、和光市のサイトに掲載された「市職員の不祥事について」と題する松本市長のコメントは次のとおりである。 逮捕された東内京一容疑者は、国が「理想型」とし、全国から視察が殺到する和光市の地域包括ケアシステム、いわゆる「和光モデル」の生みの親とされている。 【調査報告書の概要】 1 第三者委員会設置の経緯 「和光市職員による不祥事の再発防止に関する第三者委員会」(以下「第三者委員会」又は「委員会」と略称する)が設置されるきっかけとなった不祥事を起こした東内京一氏(以下「元市職員」と略称する)は、昭和57年4月、和光市職員となり、平成24年10月1日から平成30年3月31日までの間は、保健福祉部長の職にあった。元市職員は、保健福祉部長であった平成24年12月頃から詐欺、横領、窃盗を繰り返していたが、平成30年11月、市民からの市役所に対する問合せをきっかけに、元市職員の不祥事が発覚し、令和元年6月13日に逮捕された。 この事件の発覚を機に、和光市とは利害関係を有さない第三者による調査及び再発防止策の提言を目的として令和元年7月25日に第三者委員会が設置された。 2 調査期間が2年5ヶ月に及んだ理由 第三者委員会は、報告書の冒頭で、調査期間が長くなった理由を次のように説明し、「調査期間には空白の期間が生じている」と結んでいる。委員会の開催日程を確認すると、令和2年5月20日から令和3年7月29日までの間、委員会は開催されておらず、再開時期から判断すると、下記(3)に掲げる事務局の体制整備を待っていたことが推認できる。 3 元市職員による不正の手口(調査報告書9ページ以下) 第三者委員会が、第一審判決における事実認定に基づいて明らかにした元市職員の不正の手口は、詐欺、業務上横領及び窃盗の計7件の刑事犯罪であった(※2)。 (※2) 第三者委員会はこのほかにも2件の民事事件(損害賠償請求事件)も調査の対象にしているが、本稿では、こちらは、事件の性格が異なるため割愛する。 (1) 詐欺 元市職員が、平成27年1月~11月にかけて、認知症の生活保護受給者から預かった現金748万円余りをだまし取っていたもので、元市職員は、被害者の甥から、和光市に照会があり、市が調査を開始すると、流用を隠蔽するため、当時の部下に現金251万円余りを渡し、保健福祉部のロッカーに入れるように指示するとともに、当時の部下に現金500万円を渡し、当時の部下が誤って現金を自宅で保管していたと関係者に言うように依頼していた。 (2) 業務上横領 元市職員が保健福祉部長兼福祉事務所長であった平成28年3月頃、福祉政策課の職員から、認知症の被害者夫妻には財産管理能力がない状態であるが、同夫妻の身元保証を行っていた事業者が破綻するとの報告を受けたため、元市職員は、成年後見人が決まるまでの間、現金を預かるよう職員に指示をし、職員は、同年3月31日に被害者夫妻から現金300万円、通帳及びキャッシュカードを預かった。元市職員は、現金及び通帳等を当時の市長の指示で弁護士事務所に預けると職員に説明してこれを受け取り、横領した。 (3) 窃盗 元市職員は、上記(2)の事件の被害者である認知症夫妻の口座から、キャッシュカードにより、合わせて6,500万円を引き出した。 また、平成14年12月当時、保健福祉部長寿あんしん課統括主査として、成年後見制度、給付、福祉相談業務を担当していた元市職員は、統合失調症である被害者の担当となったため、入院費用等の支払いのほう助のため、同人のキャッシュカードを預かり、和光市の権限で同課のロッカーに保管し、被害者の入院費用等に充てるため、被害者本人と一緒にキャッシュカードを用いて現金を引き出しており、キャッシュカードの暗証番号を被害者本人から聞き出していた。その後、保健福祉部長兼福祉事務所長となっていた元市職員は、平成24年12月14日から平成30年12月5日までの間に21回にわたり、被害者に無断で同人のキャッシュカードを用いて現金自動預け払い機から現金430万円を窃取していた。 4 発生原因の分析(調査報告書14ページ以下) 第三者委員会は、不正のトライアングル仮説に基づき、元市職員の「動機」「機会」及び「正当化」について、判決文をもとに分析を試みているので、その内容を検討したい。 (1) 動機 第三者委員会は、不正のトライアングルの「動機」について、「人が不正を働かざるを得ないようなプレッシャーやインセンティブの存在が認識されていることを意味している」としたうえで、判決では、元市職員の犯行動機として、収入に見合わない生活を維持するための買い物やクレジットカードのローン返済が挙げられているとし、さらに、現金の費消目的に関する検察官からの質問に対して、自家用車の購入を認めていることを指摘した。そのうえで、「地域包括ケアシステムの和光モデルを主導する立役者として、外部への講演やマスコミに取り上げられる機会が多くなったことが、元市職員に自らを良く演出するため、より多くの金銭を手にしたいというプレッシャーないしはインセンティブを生じさせたものと考えるのは自然」であるという動機の存在が想定できるとしている。 (2) 機会 次いで、第三者委員会は、不正のトライアングルの「機会」について、「人が不正を実行可能であり、かつ、それを隠蔽することが可能と認識する状況を意味している」としたうえで、まず、元市職員が、実行可能であると認識していたと考えられる状況として、 を挙げるとともに、不正を隠蔽可能と認識していたと考えられる状況として、 を挙げている。そのうえで、このような「機会」を創り出していた要因は、市の組織運営に係る内部統制を無効化する問題が存在し、内部統制が機能していなかったことにあると考えられるとして、次の3点を指摘している。 (3) 正当化 最後に、第三者委員会は、不正のトライアングルの「正当化」について、「人が不正を行ったとしても、それが許容されると正当化する理由の存在を意味している」としたうえで、元市職員が、地域包括ケアの「和光モデル」を作り上げた第一人者という「名声」により、「市や国に貢献しているのだから、多少のことを行っても許されるべき」という考えを持つに至ったものとの想定に基づき、元市職員自身が法令などを踏まえて業務を実施するという事務遂行の姿勢を欠くに至ったと分析している。 (4) 原因分析のまとめ 第三者委員会は、「考察」として、原因分析を次のようにまとめている。 すなわち、元市職員が不祥事を起こした背景には、和光市が置かれていた環境と、急速に発展拡大していく市勢にキャッチアップすることができていない組織風土が存在したこと、そして、和光市を全国にアピールする存在として登場した元市職員とそれを利用するインセンティブを持った市との間で共依存関係が成立し、不正の「機会」を創り上げるとともに、その不正を「正当化」してしまうに至ったものと結論づけている。 5 再発防止策の提言(調査報告書21ページ以下) 第三者委員会は、再発防止策の提言として、次の9項目を挙げている。 再発防止策としてはめずらしい「職員の資質向上」の内容を確認しておきたい。 第三者委員会は、「不正に対する懐疑心、論理的思考力を職員の資質として身につけておく必要がある」ことが、不正の手口から明らかになったとしたうえで、「法令、職位、業務性質等などに照らして不正や誤謬が発生しないかを個々の職員が論理的に判断できる思考力を養う必要がある」として、研修制度の見直し、職員昇任試験制度の充実、幹部候補職員の育成等を、再発防止策に係る取り組みとして挙げている。 さらに、職員の業務遂行にある程度余裕がなければ職員の資質向上は図られないという考えから、職員の時間外勤務を削減するとともに、市業務の一部民間委託及び市職員の定数増の検討を行うべきであると提言している。 【調査報告書の特徴】 市役所幹部、しかも高齢者介護の世界では有名人でもあった職員を詐欺の容疑で県警に告発した松本武洋市長は、2021年4月、職員の不祥事の責任を取って辞職し、次の市長選挙には出ないことを表明した。 選挙の結果、後任には、「松本市政の継承」を掲げた柴崎光子氏が就任した。そして、第一審判決が出るのを待って、とりまとめが行われ、公表されたのが本調査報告書である。地裁判決の概要と、柴崎新市長が打ち出した再発防止策を確認しておきたい。 1 不正のトライアングル仮説における「正当化」の範囲の拡大 第三者委員会は、元市職員の不祥事を分析するにあたって、すでに述べたように「不正のトライアングル仮説」に依拠しているのだが、一点、気になったのが「正当化」の範囲の拡大解釈である。 すなわち、第三者委員会は、元市職員が、自らの「名声」によって、「市や国に貢献しているのだから、多少のことを行っても許されるべき」と、自ら不正行為を正当化しているとしてしたあとで、さらに、「正当化」の要素は、元市職員の周囲の関係者に対しても影響を及ぼしているものとして、当時の市長・市の幹部にとって、元市職員の存在が大きなものであったという想定に基づき、元市職員の暴走を「大目に見る」といったバイアスが働いてしまうことは避けがたかったかもしれないと指摘している。 さらに、周囲の市職員も、元市職員によるパワーハラスメントを恐れるあまり、とりあえず指示に従っておけば自らには責任は生じない、という意識が醸成されてしまった可能性があると述べ、それぞれの立場における「正当化」が、現状を積極的に改革することに繋がらず、元市職員を「モンスター化」させてしまったのではないかとの見解を表明している。 第三者委員会の視点は興味深いものではあるのだが、「不正のトライアングル仮説」を提唱したドナルド・クレッシー(Donald R. Cressey)の考え方からは少し逸脱しているのではないかと思料する。クレッシーは、正当化を「すでに犯した窃盗行為を正当化する際の後づけの手段ではなく、犯罪を引き出すための必要不可欠な要素である(※3)」と指摘していたのであり、市長、市の幹部職員や元市職員の部下などの「正当化」は、まさに「後づけの手段」に過ぎないのではないかというのがその理由である。 (※3) 八田進二監修、一般社団法人日本公認不正検査士協会編『企業不正対応の実務Q&A』(同文館出版、2011年)5ページ。 2 さいたま地方裁判所2021年9月17日判決の概要 本件は控訴中であり、判決文そのものを読むことはできないので、判決内容を伝える埼玉新聞の記事の一部を引用しながら、裁判所の判断を見ておきたい(埼玉新聞2021年9月18日「悪質・・・市民から7,978万円詐取した和光市元幹部に懲役7年」参照)。 さいたま地方裁判所の中桐圭一裁判長は、被告人に懲役7年(求刑・懲役10年)の刑を言い渡した。その判決理由では、「自力で財産を管理できない市民から不正な手段で現金を引き出した行為は重大」と説明したうえで、被害総額は約7,978万円と高額な上に、だまし取った金を高額な買い物や高級車の購入、住宅・自動車ローンや消費者金融の返済などに充て、「福祉行政の責任者という立場を利用して、自己の利益を図った非常に悪質な犯行」と述べた。 さらに被告人を詐欺罪に問うことができるかどうかが争点とされた、生活保護受給者から計約748万円をだまし取ったとする起訴内容については、「地方自治法や和光市の会計規則で保管現金の管理責任者は部下の社会福祉課長であり、被告に管理権限がなかったことは明らか」として、業務上横領罪ではなく、詐欺罪が成立すると認定して、弁護側の「(被告には)部下から受領権限があり、適正に管理しようとする意思はあり、業務上横領罪が相当」という主張を退けたということである。 3 和光市による再発防止策 第三者委員会から調査報告書を受領した和光市の柴崎光子市長は、次のようなコメントを市のサイトに掲載している(和光市ホームページ「和光市職員による不祥事の再発防止に関する第三者委員会調査報告書について」)。 柴崎市長は、本件不祥事の責任をとる形で辞職した前市長の後、2021年5月に、市長に当選しているため、おそらくは、これまでのしがらみに囚われずに、再発防止策の策定を指示できたのではないかと思料するが、その内容は次のとおりである(「和光市・不祥事の再発防止にかかる対応方針」参照)。 「市長の任期内に実施」とかなり長い期間をとった3つの項目は、「副担当制度」を導入するためには、「職員定数」を増加することが不可欠であり、また「外部人材の登用」も含めて、その実現のためには、市議会での予算の審議・承認をはじめ、手続上のハードルが相当高いことを自認していることが原因かと思料するが、それにしても、まだ3年以上の任期を残している現状を考えると、いささか悠長であるとの印象を持ってしまう。 (了)
〔まとめて確認〕 会計情報の月次速報解説 【2022年1月】 公認会計士 阿部 光成 Ⅰ はじめに 2022年1月1日から1月31日までに公開した速報解説のポイントについて、改めて紹介する。 具体的な内容は、該当する速報解説をお読みいただきたい。 Ⅱ 新会計基準関係 企業会計基準委員会から、「企業会計基準等における「廃止」についての考え方」が公表されている。 これは、企業会計基準等において記載している「廃止」の文言の意味を明確化し、新たな企業会計基準等の適用関係を示すものである。 Ⅲ 監査法人等の監査関係 監査法人及び公認会計士の実施する監査に関連して、次のものが公表されている。 ① 「金融審議会公認会計士制度部会報告-上場会社の監査品質の確保と公認会計士の能力発揮に向けて-」(内容:上場会社の監査を担う監査事務所の規律の在り方、公認会計士の能力発揮・能力向上に向けた環境整備など) ② 監査・保証実務委員会実務指針第103号「訂正報告書に含まれる財務諸表等に対する監査に関する実務指針」の改正」(公開草案)(内容:監査基準委員会報告書720「その他の記載内容に関連する監査人の責任」に関連する後発事象への対応など) ③ IT委員会研究報告第34号「IT委員会実務指針第4号「公認会計士業務における情報セキュリティの指針」Q&A」の改正(内容:リモートワークの定着化により想定される課題への対応など) ④ 監査・保証実務委員会実務指針第104号「イメージ文書により入手する監査証拠に関する実務指針」(内容:企業の取引情報の電子化の一層の加速が見込まれることなどに対応した監査人の指針) ⑤ 「AI等のテクノロジーの進化が公認会計士業務に及ぼす影響」(内容:AI等のテクノロジーの進化が公認会計士業務に及ぼす影響の研究) (了)
ハラスメント発覚から紛争解決までの 企 業 対 応 【第23回】 「少人数の会社・部署におけるハラスメント対応策のポイント」 弁護士 柳田 忍 【Question】 当社は全社員数が十数人の小さな会社です。先日、社員Aから、「上司Bからハラスメントを受けている」との相談を受けました。早速事実確認を行い、ハラスメントの事実が確認できたらしかるべき処分を行いたいと考えていますが、気をつけるべき点があれば教えてください。 【Answer】 少人数の会社や部署においては、事実調査において被害者や目撃者の協力が得られにくいという問題や、被害の拡大や再発を防止するために被害者と加害者を隔離することが難しいといった問題があります。これらに対する対応策としては、ヒアリングにおけるオープンクエスチョンの活用やダミーのヒアリングの実施、在宅勤務制度の活用などが考えられます。 1 はじめに 少人数の会社や部署におけるハラスメント事案の対応策を講じるに際して特に問題となるのが、①事実調査を行おうとしても被害者や目撃者からの協力を得られない場合が多いという点と、②被害の拡大や再発を防止するために被害者と加害者を隔離することが困難であるという2点である。 以下、それぞれの問題点のポイントについて説明する。 2 ①の問題点(被害者らの協力が得られない)のポイントについて (1) 問題の所在 ハラスメント事案においては、原則として加害者に対するヒアリングも行うことになる。その際に、問題とされている具体的な言動を挙げて加害者の言い分を聞くことになるが、被害者や目撃者が、「当該言動に関する発言者が自分(被害者や目撃者)であったことを伝えないでほしい」と希望することが多い。これが、少人数の会社や部署におけるハラスメント事案になると、被害者や目撃者が、自分が発言者であることを伝えることだけでなく、当該言動自体の有無等について加害者にヒアリングすることすらも嫌がることが多いことが特徴である。 すなわち、被害者や目撃者が、「加害者に対するヒアリングにおいて具体的な言動を挙げて質問をすると、自分(被害者・目撃者)が申告者であることが加害者に知れて、加害者から報復を受けるから嫌だ」と主張するのである。このような場合は、まずは、以下のポイントを被害者や目撃者に説明し、説得を行うことになる。 被害者の中には、(目撃者の証言があれば)加害者のヒアリングは不要であると考える者がいる。しかし、加害者に弁明の機会を与えずに懲戒処分を行った場合、懲戒処分は無効となる可能性が高く(拙稿【第15回】参照)、また、その場合、会社の責任が認められる可能性もある。よって、そのような被害者に対しては、加害者のヒアリングの必要性を説明し、納得を得るよう試みるべきである。 また、被害者が会社に対して、「私(被害者)が加害者から報復を受けないことを約束してほしい」と希望することも多い。会社としては、加害者の言動をコントロールできない以上、上記b及びcを約束することで納得してもらえるよう、被害者を説得することになる。 (2) オープンクエスチョンやダミーのヒアリングの活用 被害者や目撃者が上記のような抵抗を示した場合の加害者に対するヒアリングの実施方法としては、加害者に対してオープンクエスチョンを行うという方法がある(拙稿【第5回】参照)。オープンクエスチョンとは、「職場で何か問題がありませんか」といった、相手の回答範囲を制約しないタイプの質問であり、調査担当者がどの件に着目しているのかを相手に察知されにくくする効果がある。 このようなヒアリング方法では問題となる事案に関する発言を得られないのではないかという懸念もあろうが、筆者がヒアリングを行った経験上、オープンクエスチョンの方法が功を奏することは多い。加害者においても少なからず問題の言動の自覚があることが多く、(聴取者が弁護士であることもあって)この機会に弁明しておこうと考えるようである。 なお、加害者が複数の事案について言及を行うことも多く、その場合には、問題の事案以外の事案についてもヒアリングを行うことを忘れないようにしなければならない(その他の職場環境の問題を見過ごさないためでもあるし、会社が問題の事案について調査を行っていることを加害者に気づかれないためでもある)。 更に、加害者の他、ランダムに数人の社員を選び、これらの社員に対して、「社内の職場環境における問題点について調査を行っている」という建て付けで、いわばダミーのヒアリングを併せて行うことにより、会社が加害者に対してフォーカスしていることを加害者に知られることなくヒアリングを行うことが可能となり、被害者や目撃者への報復のおそれを低減することもできる。 3 ②の問題点(被害者と加害者の隔離が困難)のポイントについて ハラスメントの事実調査が終了する前であっても、取り急ぎ、被害の拡大を防ぐために、被害者と加害者の職場を引き離す等の対策が必要になる場合があるし(拙稿【第4回】参照)、ハラスメントの存在が明らかになった場合に、再発防止措置として、加害者や被害者の配置転換を行うことが必要となる場合もある(拙稿【第6回】参照)。 しかし、従業員数が少ない会社の場合、被害者と加害者の間の業務上の接点を完全になくすことが難しい場合が多く、また、被害者と加害者の勤務場所を分ける物理的な余裕がないことも多いであろう。一方、従業員数が少ない部署の場合は、被害者又は加害者を他の部署に配置転換することを検討するべきであるが、被害者ないし加害者のスキル等の観点から他の部署に異動させることが難しい場合もあるであろう。このような場合には、被害者と加害者が業務上接する場面に極力他の従業員を関与させるなどすることが考えられる。 また、コロナ禍において多くの会社において導入されたであろう在宅勤務制度を利用して、被害者と加害者の出勤日をずらすといった手段も有用である。もっとも、在宅勤務については、リモート会議におけるハラスメントに注意する必要があるため、被害者と加害者の間でリモート会議が行われるような場合には、他の従業員も参加させるなどの予防策も検討に値する。 (了)