従業員の解雇をめぐる企業対応Q&A 【第5回】 「解雇と裁判手続(労働審判・仮処分・通常訴訟)及び解決金額の目安」 弁護士 柳田 忍 1 はじめに 解雇された労働者が解雇処分に対して不満を抱く場合であっても、いきなり裁判手続を選択することは少なく、まずは合意での紛争解決を目指して会社に対して交渉が持ちかけられることが多いが、会社との交渉が決裂した場合等において、被解雇者が裁判手続を選択することがある。本稿では、被解雇者が解雇の効力を争う場合に会社に対してなされる請求の概要と、これを実現するために被解雇者が採用する可能性がある主な裁判手続の概要及び注意点などを説明する。 2 被解雇者の会社に対する請求 被解雇者が解雇の効力を争う場合に、会社に対してなされる可能性のある主な請求は以下のとおりである。 (1) 労働契約上の地位の確認請求 解雇が無効であれば、被解雇者は引き続き従業員としての地位を有することになるので、その地位を確認するための請求がなされる可能性がある。 被解雇者が他の会社等に再就職している場合、元の会社における就労意思を放棄したとみなされて地位確認請求が認められない場合があるが、被解雇者においても生活のために再就職せざるを得ないという事情があることから、単に再就職したという事実があるだけで必ず就労意思が否定されるわけではないことに注意が必要である。 (2) 金銭的請求 ① 未払賃金請求 解雇がなされるとその時点からの賃金が支払われなくなるが、解雇が無効であれば、被解雇者は解雇時点以降も引き続き従業員としての地位を有することになるので、その間、支払われるべき賃金が支払われなかったことになる(被解雇者は、解雇時点以降労務を提供していないが、それは会社が被解雇者による労務提供を不当に拒絶したためであるということになるから、会社は賃金支払義務を負うことになる・民法536条2項)。 ② 損害賠償請求 被解雇者が復職を希望せず、地位確認請求を行わない場合、解雇時点以降の労働契約上の地位が確認されないことになるため、その間の未払賃金支払債務も認定されないことになる。このようなケースでは、被解雇者から会社に対して損害賠償請求(違法な解雇がなされなければ得られたであろう賃金相当額の逸失利益の請求)がなされることがある。 ③ 慰謝料請求 解雇に伴う精神的苦痛について損害賠償請求(慰謝料請求)がなされることがある。労働者にとって解雇されることは一般に精神的な苦痛を伴うものではあるが、解雇が無効であるからといって慰謝料請求が認められるわけではなく、解雇の違法性が著しいような例外的場合に限って認められる傾向にある。 ④ その他 被解雇者が解雇の効力を争う場合、実は上司からパワハラを受けており、被解雇者の勤務成績や勤務態度が不良であったのは上司からのパワハラが原因で本来のパフォーマンスを発揮できなかったためである、といった主張がなされるとともに、パワハラを理由とした損害賠償請求がなされる場合がある。また、サービス残業を強要されていた、支払われるべき賞与が支払われなかった、等の主張や支払請求などが併せてなされる場合もある。 これらについては、実際にパワハラやサービス残業の強要の事実があり、被解雇者は従業員としての地位が認められる間は地位を失うことを恐れてそのような主張をしなかったものの、解雇されたことを契機に主張することがあり得るので、事実確認を行ったうえで対処する必要がある。 3 裁判手続 解雇された労働者が選択し得る主な裁判手続としては、労働審判、仮の地位を定める仮処分及び通常訴訟があり、それぞれの手続の概要は以下のとおりである(詳細は拙稿「ハラスメント発覚から紛争解決までの企業対応」【第8回】及び【第9回】ご参照)。 被解雇者がどの手続を選択するかについては、以下のような傾向が見られるように思われる。 4 解決金の額 会社にとって最大の関心事の1つは、合意により解決する場合、解決金の額がどれくらいになるか、という点であろう。 使用者には、雇用する高年齢者について、65歳までの雇用確保措置が義務づけられていることから(高年齢者雇用安定法9条)、仮に労働契約上の地位が認められる場合、期間の定めのない雇用契約については、他に解雇事由や退職事由が認められなければ、65歳まで雇用が継続される合理的な期待があることになる。よって、被解雇者側の解決金の希望額の最大値は解雇時から65歳までの賃金相当額ということになるが、このような最大値をベースに解決金額を検討してしまうと、解決金額が著しく高額になることになる(実際、他の法律事務所の弁護士が、依頼者に対して定年までの賃金相当額をベースに解決金額として数千万円単位の金額をアドバイスしたのを目撃したことがある)。 しかし、実務上はそこまで高額な解決金を支払わなくても解決に至る場合がほとんどである。 例えば、独立行政法人労働政策研究・研修機構(JILPT)の統計(※)によると、令和2年から3年までの2年間に、労働審判手続における調停・労働審判(785件)及び労働関係民事通常訴訟上の和解(282件)で終局した解雇等紛争事案の解決金額については以下のとおりであり、解決金の額を検討する上で参考になると思われる。 (※) 独立行政法人労働政策研究・研修機構「労働審判及び裁判上の和解における雇用終了事案の比較分析」(労働政策研究報告書No.226・2023年) なお、筆者の経験上、裁判手続に移行する前は上記よりも低額の解決金で解決に至るケースが多い。 (了)
〈Q&A〉 税理士のための成年後見実務 【第14回】 「成年後見開始の審判の取下げ」 司法書士法人F&Partners 司法書士 北詰 健太郎 【Q】 顧問先企業の創業者の方が認知症を患われたので、成年後見開始の審判申立てを家庭裁判所にしました。候補者は後継者でもある創業者の息子さんです。 しかし、創業者の資産が多額であることなどから息子さんが成年後見人にはなれない可能性が出てきました。専門家が成年後見人に選任されると、家族の方が何かとやりにくくなるのではないかと心配しています。申立てを取り下げれば成年後見制度は開始しないのでしょうか。 【A】 成年後見開始の申立てをすると、取下げには家庭裁判所の許可が必要になります。希望していた候補者が成年後見人に選任されないからといって、申立人側で勝手に取下げを行うことはできません。申立てをするにあたっては慎重な判断が必要となります。 ● ● ● ● 解 説 ● ● ● ● 1 身内は成年後見人になれない? 成年後見開始の審判申立てにあたっては、申立人において候補者を立てることができます。筆者の経験上、身内を成年後見人の候補者とすることを希望される方が多いですが、最終的に誰を成年後見人とするかは家庭裁判所が決定することになります。申立人が希望した候補者が成年後見人になるのではなく、司法書士等の専門家が選任されることも多いといえます。 どのような場合に専門家が選任されるかについては、明確な基準が示されているわけではありませんが、以下のような事情がある場合には専門家が選任される傾向にあるようです。 (※) 成年後見開始の審判の申立てには、本人について成年後見制度を開始すること及び候補者についての親族の意見書を添付するため、親族間に争いがあるかが家庭裁判所にも分かることになります。 ご相談の事例のように、企業の創業者と後継者という関係では、例えば自社株の承継にあたって創業者から後継者へ贈与が行われるなど利益相反関係が生じる可能性があります。よって専門家が選任される可能性は高く、申立てにあたっては希望する候補者以外が選任される可能性もしっかりと説明しておく必要があったといえます。 2 申立ての取下げは家庭裁判所の許可が必要 成年後見制度は認知症等を患った本人の保護のために利用される制度です。成年後見開始の審判が申し立てられたということは、保護を必要だと考えられている人が存在しているということであり、申立てを受け付けた家庭裁判所としてもしっかりと判断をする必要があります。そのため、一旦された申立てを取り下げるためには家庭裁判所の許可が必要とされているのです。 成年後見人に希望した候補者が選任される可能性が低いことが分かったため、申立てを行った後に取り下げたいという要望が寄せられることは実際にあるようです。成年後見制度が開始すると本人の財産管理のあり方も大きく変わることになるため、しっかりと顧客にも理解してもらったうえで申立てを行う必要があります。 (了)
《速報解説》 電子帳簿等保存制度(電子取引データの保存制度)の見直し ~令和7年度税制改正大綱~ 税理士・公認不正検査士(CFE) 米澤 勝 1 はじめに 令和6年12月20日に与党より公表された「令和7年度税制改正大綱」(以下「大綱」と略称する)は、その後閣議決定された。本稿では、「納税環境整備」の1つとして大綱に記載された「電子帳簿等保存制度の見直し」について、その概要をまとめたい。 なお、「電子帳簿等保存制度の見直し」は、令和9年1月1日以降に適用される。 2 電子帳簿等保存制度の見直し まず、見直し内容を確認するため、大綱より次のとおり該当箇所を取り上げる(括弧書き等一部省略。大綱100頁)。 3 見直しの目的と背景 (1) 現行の電子申告データ保存制度 現行制度では、所得税、法人税及び消費税における電子取引を行った場合には、一定の要件に従って、電子取引データを送受信・保存しなければならず、こうした電子取引データは、複製・改竄等が容易であるという特性があり、電子取引データに関連する隠蔽・仮装行為については、重加算税を10%の割合で加重することとしている(電帳法8⑤)。 (2) 現在の電子帳簿保存をめぐる課題と改正による効果 経済社会のデジタル化への対応と納税環境整備に関する専門家会合(第1回)に財務省が提出した説明資料「税務手続のデジタル化」において、デジタル社会にふさわしい仕組みとしてのデジタルシームレスの構築を必要とする背景が次のように説明されている。 資料では、現在、取引発生時に書面やPDFで取引データがやり取りされていることに基因して、手作業による会計処理が主流になっている実務に、デジタルデータによるシームレスな会計処理を行うことによって、事業者に見込まれる効果を次のように説明している。 さらに、税務行政に対して見込まれる効果は次のとおりである。 そして、資料では、事業者や税務当局のみでなく税理士、支援機関、金融機関などが連携してデジタル化を進めていくことで、社会全体として効率化が進んでいくのではないかとまとめている。 こうした状況を背景に、国税庁長官が定める基準に適合するデータ連携可能なソフトを使用し、かつ、一定の要件に従った保存が行われている電子取引データについては、重加算税の10%加重の対象から除外するとともに、所得税の青色申告特別控除の控除額65万円の適用要件である、①優良な電子帳簿の保存又は②電子申告の利用のほかに、一定の要件を満たすシステムの利用と電子取引データの保存を行っている者に適用できるよう、改正を行うものである。 4 まとめ 以上のポイントをまとめると、次のとおりとなる。 なお、本改正は、令和9年1月1日以後に適用することとされている。 (了)
《速報解説》 法人課税信託に係る所得税の課税の適正化 ~令和7年度税制改正大綱~ 税理士 中尾 隼大 自由民主党及び公明党により令和6年12月20日に「令和7年度税制改正大綱」が公表され、その後閣議決定されている。今回の大綱には、いわゆる法人課税信託に係る所得税の課税の適正化について盛り込まれたため、本稿ではそのポイントを解説したい。 (1) 従来の問題点 現在は、法人課税信託、つまり受益者等の存しない信託を設定した後、受益者等が指定された場合において、その受益者等は受託法⼈から信託財産の帳簿価額(簿価)を引き継ぐこととされており、かつ、その引継ぎにより⽣じた経済的利益について課税されないとされている(所法67の3①②)。 この規定により、①役員等の個人が法⼈課税信託に⾦銭を信託し、②受託者が新株予約権を購⼊した後、③受託者が権利⾏使をして取得した株式を、④役員等を受益者に指定して(この時点で法人課税信託ではなくなる)、⑤役員等の個人に株式を交付することにより、税負担の軽減を行うことができていた。つまり、受益者となった役員は、交付を受けた株式を譲渡時まで課税を繰り延べると同時に、分離課税を適⽤することができていた。 〈問題点のイメージ〉 (※) 「自由民主党税制調査会資料」(令和6年12月12日)より抜粋の上、一部加工 (2) 税制改正大綱に盛り込まれた内容 次の要件を満たす信託を「特定法人課税信託」と呼び、その信託財産に属する一定の株式について、受益者が指定されて法人課税信託に該当しないこととなった時の価額により取得したものとみなしてその受益者が株式を取得した日の属する各年分の各種所得を計算するものとされた。なお、その株式の帳簿価額に相当する金額は、その各種所得の計算上、総収入金額に算入しない。 〈株価のイメージ〉 (※) 「自由民主党税制調査会資料」(令和6年12月12日)より抜粋 (3) 適用時期 今回の大綱に盛り込まれた内容には適用時期が明記されていないため、今後の法案等で示される時期に注目したい。 (了)
2025年1月9日(木)AM10:30、 プロフェッションジャーナル No.601を公開! - ご 案 内 - プロフェッションジャーナルの解説記事は毎週木曜日(AM10:30)に公開し、《速報解説》は随時公開します。
monthly TAX views -No.143- 「続く「103万円の壁」議論、カギは税収弾性値と自然増収」 東京財団政策研究所研究主幹 森信 茂樹 今年は、衆議院予算委員会で令和7年度予算が通過する2月下旬頃に大きな政治的イベントが予想されている。103万円の壁問題について、国民民主党は178万円を目指して政府案の123万円からさらなる引上げを求めるが、日本維新の会の教育無償化と両天秤にかける自民党がどう対応するのか、夏の参議院選挙も見据え、ギリギリの駆け引きが行われる。 国民民主党の玉木代表は、自らのX(旧Twitter)や高橋洋一氏との対談でおおむね次のようなことを語っており、それが178万円まで引き上げる財源の根拠となっている。 玉木氏が「財源」と主張するのは、当初予算の税収見積もりと実績との差額で、一般に「自然増収」とか「税収の上振れ」と呼ばれるものだ。筆者が予算書などで調べた結果は以下の表のとおりである。確かに、玉木氏の言う2021年度以降の数字はおおむね正しい。 しかし、2019年度は4.1兆円のマイナス、2020年度は2.7兆円のマイナスであることには対談では言及していない。おそらく意図的に触れなかったのであろう。 筆者が財務省主税局で税収見積もりの実務責任者を務めた経験から言うと、税収見積もりに際し担当者がまず考えることは、赤字(当初見積もりより下振れ)を出さないということである。赤字の規模が大きければ歳入欠陥となる。したがって先行き見通しが不透明な時期は、見積もりはどうしても慎重になり、その結果、税収の上振れが出やすい。 また年度後半に補正予算が組まれることが常態化しており、その時の財源として税収の上振れ分も期待されるので、さらに慎重になる。最近では、防衛予算のスキームに「決算剰余金の活用」が入れられたため、あらかじめ剰余金を出すような当初の税収見積もりをするプレッシャーは一層増加しているのではと考えたりする。 つまり、自然増収とか税収の上振れと呼ばれるものの実態は、このような要因が積み重なった結果として生じるもので、過去の実績を見るとプラスもあればマイナスもあり、恒久財源ではありえない。これがあるから恒久的に7~8兆円の減収を生じさせる178万円の引上げが可能だとする議論はあまりにも実態とかけ離れている。 もう1つは税収弾性値だ。これはGDPが1%伸びると税収が何%伸びるかという比率だが、玉木氏は、「過去28年間の税収弾性値の平均は2.7程度」としている。しかし、これも信頼性に欠ける発言だ。 税収の内訳を見ると、消費税収が31.8%、法人税収が24.5%、所得税収が29.7%(令和7年度予算)となっている。消費税は消費支出を課税ベースとし、法人税は法人所得を課税ベースとする比例税率で、消費支出や法人所得は基本的に経済成長に連動するので、税収弾性値は1程度と見積もることになる。 一方所得税は累進税率なので、インフレによるブラケットクリープを見込めば、1を上回り、1.5程度にはなる可能性があるが、その税収に占める割合は30%弱だ。税収全体を平均すると、税収弾性値は1を若干上回る程度と考えることが常識である。過去の2とか3といった数値は、名目成長率の低いデフレ時代の異常値というべきだろう。 ちなみに財務省の税収見積もりでは、税収弾性値は用いていない。各税目ごとに前年度税収を基に、政府経済見通しで示される生産、消費、所得の見通しを踏まえ、企業ヒアリングなども行いつつ積算している。 * * * 予算審議の過程で、上述のような数値(エビデンス)に基づいた議論が行われることを望みたい。 (了)
令和6年分 確定申告実務の留意点 【第2回】 「定額減税の適用における同一生計配偶者・扶養親族のチェックポイント」 公認会計士・税理士 篠藤 敦子 本連載第1回で解説したとおり、今回の定額減税の減税額は、納税者本人と同一生計配偶者及び扶養親族の数に応じて算出される。ただし、減税額計算の人数に含める納税者本人、同一生計配偶者及び扶養親族は、いずれも居住者であることが要件とされている(措法41の3の3②)。 以下、定額減税の適用における同一生計配偶者及び扶養親族に関するチェックポイントを解説する。 【1】 同一生計配偶者に関するチェックポイント 減税額を計算するときの人数に含める配偶者は、同一生計配偶者(居住者のみ)である(措法41の3の3②)。同一生計配偶者とは、納税者と生計を一にする合計所得金額48万円以下の配偶者(青色事業専従者等は除く)をいう(所法2①三十三)。 合計所得金額については、2ヶ所以上から給与等の支払いを受けている場合にはすべてを合計した給与所得により判定し、複数の所得がある場合にはすべてを合計して判定する。 〈減税額計算の人数に含める配偶者〉 同一生計配偶者の定義には、納税者本人の所得に関する要件はない。よって、納税者本人の合計所得金額が1,000万円を超えるため、同一生計配偶者について配偶者控除の適用を受けることができない場合でも、その配偶者が居住者であれば減税額計算の人数に含まれることとなる。 なお、令和6年の中途で死亡した配偶者の場合には、死亡時の現況で同一生計配偶者に該当するかどうかを判定する。 【2】 扶養親族に関するチェックポイント 減税額計算の人数に含める親族は、扶養親族(居住者のみ)である(措法41の3の3②)。扶養親族とは、納税者本人と生計を一にする合計所得金額48万円以下の配偶者以外の親族(青色事業専従者等は除く)をいう(所法2①三十四)。 合計所得金額については、2ヶ所以上から給与等の支払いを受けている場合にはすべてを合計した給与所得により判定し、複数の所得がある場合にはすべてを合計して判定する。 〈減税額計算の人数に含める親族〉 扶養親族の定義には、親族の年齢に関する要件はない。よって、扶養控除の対象とならない年齢16歳未満の扶養親族も減税額計算の人数に含まれることとなる。 なお、令和6年の中途で死亡した親族の場合には、死亡時の現況で扶養親族に該当するかどうかを判定する。 * * * 次回(第3回)は、定額減税を中心に、確定申告実務に関する留意点をQ&A方式で解説する予定である。 (了)
〈令和6年度税制改正〉 更正の請求による仮装隠蔽行為の重加算税賦課・消費税受還付犯の適用 公認会計士・税理士 大橋 誠一 令和6年度税制改正において、納税環境整備の適正化の一環として、以下の内容が盛り込まれた。 上記①②ともに「更正の請求による」とあるところ、更正請求書は納税申告書の範囲に含まれておらず、納税申告書の提出がなければ、行政罰である重加算税も刑事罰である不正受還付の懲役刑・罰金刑も科すことができなかった。 今般の税制改正によって、仮想隠蔽行為に基づく更正請求書の提出及び虚偽の更正請求書の提出による消費税等の不正受還付については、納税申告書を提出した場合と同様の制裁を科すことが可能となった。 1 更正の請求による仮装隠蔽行為の重加算税賦課 (1) 従前の規定 国税通則法第68条(重加算税)第1項は、重加算税の課税要件として、「納税者がその国税の課税標準等又は税額等の計算の基礎となるべき事実の全部又は一部を隠蔽し、又は仮装し、その隠蔽し、又は仮装したところに基づき納税申告書を提出していたとき」と規定していた。 ここでいう納税申告書とは、国税通則法第2条(定義)第6号において「申告納税方式による国税に関し国税に関する法律の規定により次(略)に掲げるいずれかの事項その他当該事項に関し必要な事項を記載した申告書」をいう旨規定しており、同法第23条(更正の請求)第3項に規定する「更正請求書」はこれに該当しない。 そのため、従前は、納税者が事実を隠蔽し、又は仮装し、その隠蔽し、又は仮装したところに基づき更正請求書を提出していたときには、重加算税を賦課することができなかった。 (2) 税務行政を取り巻く環境 平成23年12月の国税通則法の改正により、更正の請求期間が1年から5年に延長されたことに伴い、その改正前と比べて更正の請求の処理件数が増加しており、隠蔽・仮装に基づく更正請求書が含まれる可能性が認識されていた。 一方、税務当局では限られた人員等で効果的・ 効率的な税務調査の運営を行うこととなり、更正の請求の全件に対して、反面調査を行う等の実地調査と同等の事務量を投下した調査を行うことには限界があることから、隠蔽・仮装に基づく更正の請求による納税義務違反の発生を調査により未然防止することが困難な事例が把握されるようになった。 そのため、こういった税務行政の環境の変化に対応し、更正の請求に係る仮装隠蔽行為を未然に抑止するための制度上の対応が課題とされていた。 (3) 問題提起 税額を確定させるための手続である納税申告書の提出と税額を減少させるための手続である更正請求書の提出の違いは、少なくとも仮装隠蔽行為をした場合におけるペナルティの水準として取扱いに差を設ける必要はなく、むしろ、申告秩序を維持する観点からは、納税申告書の提出と同様に、更正請求書の提出においても重加算税の賦課の対象とする必要があるという議論が政府・与党においてなされていた。 (4) 税制改正内容 国税通則法第68条第1項及び第2項に規定する重加算税の適用要件に、「隠蔽し、又は仮装したところに基づき更正請求書を提出していたとき」という趣旨の文言が追加された。 また、地方税法第71条の15(利子割に係る納入金の重加算金)をはじめとする地方税法の各条文に規定されている重加算金の適用要件に、「隠蔽し、又は仮装した事実に基づいて更正請求書を提出したとき」という趣旨の文言が追加された。 (5) 適用時期 上記(4)の改正は、例えば、国税については、令和7年1月1日以後に法定申告期限等が到来するものについて適用され、同日前に法定申告期限等が到来したものについては従前どおりである。 したがって、例えば、通常、所得税については令和6年分から、法人税については10月決算法人の場合には令和6年10月決算期分から、それぞれ適用される場面が生じ得る。 2 更正の請求による消費税受還付犯の適用 (1) 従前の規定 消費税法第64条第1項第2号は、「偽りその他不正の行為により第52条(仕入れに係る消費税額の控除不足額の還付)第1項又は第53条(中間納付額の控除不足額の還付)第1項若しくは第2項の規定による還付を受けた者」を10年以下の懲役若しくは1,000万円以下の罰金に処する旨を規定するとともに、同条第2項は、この未遂、すなわち、還付を受けずとも申告書を提出した段階において罰する旨をそれぞれ規定している。 消費税法制定時は「5年以下の懲役若しくは500万円以下の罰金」であったところ、平成22年6月1日以後の違反行為から現行の量刑となり、また、平成23年8月30日以後の違反行為から未遂罪が追加された。 ここでいう「偽りその他不正の行為」は、国税通則法、所得税法及び法人税法において用いられているそれと同義であるとされている。 なお、従来の懲役刑と禁錮刑を一本化して「拘禁刑」を創設する改正刑法が令和7年6月1日に施行される予定である。 (2) 問題提起 消費税法第52条第1項及び同法第53条第1項は、それぞれ「申告書の提出があった場合において」と規定しており、国税通則法第23条第3項に規定する更正請求書の提出はこれに該当しない。 そのため、従前は、納税者が偽りその他不正の行為に基づき更正請求書を提出していたときには、罰則を科すことができなかった。 しかし、税額を確定させるための手続である申告書の提出と税額を減少させるための手続である更正請求書の提出の違いは、少なくとも偽りその他不正の行為をした場合におけるペナルティの水準として取扱いに差を設ける必要はなく、むしろ、申告秩序を維持する観点からは、納税申告書の提出と同様に、更正請求書の提出においても罰則の対象とすることが必要であるという議論が政府・与党においてなされていた。 (3) 税制改正内容 消費税法第64条第1項第2号に規定する受還付犯の罰則の対象に、「偽りその他不正の行為により、更正の請求に基づく更正により還付を受けた場合」という趣旨の文言が追加された。 また、受還付未遂犯の対象についても、「更正の請求書の提出に基づく場合」という趣旨の文言が追加された。 (4) 適用時期 上記(3)の改正は、税制改正法が公布された令和6年3月30日から起算して10日を経過した日である令和6年4月9日以後にした違反行為について適用され、同日前にした違反行為については従前どおりである。 国民に不利益を与える法律、特に刑罰を科する法律などは、原則として、即日施行にしないようにし、周知等のために必要な日数を確保しているところ、罰則を早期に実効ならしめる趣旨から、その日数は最低限度の10日間と設定されたものと考えられる。 (了)
法人税の損金経理要件をめぐる事例解説 【事例70】 「使用人に対する決算賞与の損金算入時期」 拓殖大学商学部教授 税理士 安部 和彦 【Q】 私は、九州地方のある県庁所在地に本社を構え家具の製造販売及び輸出入等の事業を営む株式会社X(資本金3億円で3月決算法人)において、総務部長を務めております。 九州地方は昔から家具製造が盛んな地域で、当社も自社製造の家具を地元向けのみならず全国各地に販売して業績を伸ばしてきました。ところが最近、わが国の家具業界は衰退しているのではないかという見方が根強くあります。確かに少子高齢化や人口減少が進むわが国において、新築住宅の着工数が減少し、特に大型家具の需要が縮小しているのは事実であると思われます。そのような経済情勢の中、家具業界全体の売上も減少傾向が見られますが、これだけで業界全体が衰退していると判断するのは、必ずしも妥当とはいえません。 例えば、ニトリのような業界の大手企業は、低価格で高品質な家庭用の家具を提供することで幅広い層から支持を得て業績を伸ばしています。これらの大手企業は、商品の企画から製造、販売までを一貫して行うことでコストを削減し、競争力を高めています。また、当該企業は法人向けの事業を強化し、オフィス家具や店舗用家具などの需要に応えることで新たな収益源を確保しています。さらに、高級家具市場では、海外ブランドの企業が高いデザイン性や機能性に優れた製品を提供することで、特定のニッチ市場をターゲットにし、高い収益力を確保しています。 そのような中、わが社は、地域密着型の家具製造・販売企業として独自の価値を提供するというマーケティング戦略を採っています。すなわち、地元のニーズに合わせたオーダーメイド家具や修理サービスなどを提供することで、地域の、法人を含む幅広い顧客からの信頼を得るべく必死で生き残りを図っているところです。 さて、そのようなわが社に最近税務調査が入り、新たな頭痛の種となっております。国税局の調査官によれば、従業員に対する決算賞与につき、政令に定める要件を満たしていないとして、損金算入が認められなかったのです。決算期末までに人事部が賞与の支給を全従業員に通知しており、債務が確定しているにもかかわらず、損金算入を認めないのは不当だと思うのですが、税法上どのように考えるのが正当なのでしょうか、教えてください。 【A】 法人が使用人に対して支給する給与は、法人税法上、人件費として原則全額損金に算入されますが、そのうちの賞与については、その損金の算入時期が問題となります。すなわち、支給日が決算期の翌期に到来し、当期(決算期)末時点では未払いの使用人に対する賞与については、損金の算入時期が当期か翌期か判然としないケースがあります。法人税法第22条第3項第2号でいう債務確定主義に照らせば、当期末に債務が確定している部分の金額については、当期の損金に算入できるはずですが、実際には、法人税法施行令第72条の3第2号の要件を満たさない限り、実際に支払った日の属する翌期の損金に算入されることとなります。 ■ ■ ■ 解 説 ■ ■ ■ (1) 従業員に対する賞与の意義 従業員(使用人)に対する労働の対価としての賃金は、毎月の給料(月給ないし月例賃金)のほかに、賞与や退職金が支払われることが多い。このうちの賞与は、学説上、賃金後払的性格があるとされるほか、その態様に応じ、従業員の貢献に対する功労報償的性格や、将来の労働に対する勤労奨励的性格、企業業績の収益分配的性格といった様々な性格があることが指摘されている(※1)。 (※1) 水町勇一郎『労働法(第10版)』(有斐閣・2024年)238頁参照。 多くの企業では、賞与の支払いを就業規則により定めている(労基法89四)。ただし、その支給の前提となる具体的な支給率や額について使用者の決定や労使の合意・慣行がない場合に、賞与請求権が発生するかが問題となるが、裁判例の多くは、具体的な額の決定がない場合には、賞与請求権も具体的には発生しないものとしている(※2)。 (※2) 水町前掲(※1)書239頁参照。 賞与については、就業規則等に支給日在籍要件を定めているケースが多いが、その意味合いについては、賞与の具体的性格により異なるものとされている。すなわち、将来の勤労を促すために過去の勤務成績等にかかわらず在籍者に一定額を支払う勤労奨励的性格が強い賞与については、支給日在籍要件は合理的といえるが、従業員の過去の勤務成績や会社の業績等を考慮して支給額が決定される賃金後払的性格のものや収益分配的性格のものについては、支給日に在籍しなかったという事実だけで賞与を支給しないというやり方は合理性を欠くと解されている(※3)。 (※3) 水町前掲(※1)書240頁参照。 (2) 法人税法上の使用人に対する決算賞与の取扱い 使用人賞与と債務の確定の関係が争点となった同様の事例は、既に本連載の【事例55】でも取り上げている。すなわち、使用人に対する決算賞与につき、事業年度末において未払いであっても、債務が確定している部分の金額があれば、その金額は債務確定主義により当期の損金に算入されるはずである。しかし、法人税法施行令で掲げる各要件を満たさない限り、実際に賞与を支払われた日の属する事業年度の損金に算入されることとなる(法令72の3)。 施行令によれば、事業年度末において未払いであっても、以下の要件を全て満たす場合には、使用人にその支給額の通知をした日の属する事業年度に損金に算入される(法令72の3二)。 上記のうち、②は債務確定主義の観点からは大きな制約となり得る要件といえる。なぜなら、仮に債務が確定していても、事業年度終了の日の翌日から1ヶ月以内に賞与が支払われない限り、損金に算入されないからである。この点については、大阪高裁平成21年10月16日判決・訟月57巻2号318頁(本連載【事例55】の控訴審)では、上記施行令の規定により実際の支給日より前の時点をもって損金の額に算入することができる場合を限定したとしても、法人税法第22条第3項第2号の定める基準(債務確定基準)に反するものではない、としている。 (3) 決算賞与の損金算入時期が争われた事例 それでは本件と同様に、決算賞与の損金算入時期が争われた事例(東京地裁平成24年7月5日判決・税資262号-137(順号11987)、TAINSコード:Z262-11987)について、以下で確認してみたい。 ① 事案の概要 本件は、昭和63年11月1日に設立された室内清掃用器具の製造販売及び輸出入等を目的とする株式会社である原告が、未払いの各期の決算賞与及びこれらに係る法定福利費を各事業年度の損金の額に算入して法人税の各確定申告を行ったところ、四谷税務署長から、各決算賞与及びこれらに係る各法定福利費は各決算賞与の支払われた日の属する事業年度(原告の申告した各事業年度の翌事業年度)の損金の額に算入されるものであるとして、法人税の各更正処分及び各過少申告加算税賦課決定処分を受けたことに対し、これを不服として法人税の各更正処分(確定申告に係る所得金額及び納付すべき税額を超える部分に限る)及び各過少申告加算税賦課決定処分の取消しを求める事案である。 原告は、以下の表のとおり、平成18年3月10日に、平成18年1月期(原告の平成17年2月1日から平成18年1月31日までの事業年度をいう)の決算賞与として、従業員7名に対し、合計120万円を、平成20年3月31日には平成20年1月期の決算賞与として、従業員10名に対し、合計218万円を、平成21年3月13日には平成21年1月期の決算賞与として、従業員12名に対し、合計893万8,990円をそれぞれ支払った。 〇 決算賞与の支給 ② 事案の争点 本件の争点は、本件各決算賞与を本件各事業年度の損金に算入することができるかどうかである。 ③ 裁判所の判断 なお、本件は控訴されず確定している。 ④ 本裁判例から学ぶこと 法人税法第22条第3項第1、2号の定める基準(債務確定基準)の下で確定していたといえるような未払賞与であっても、同法施行令第72条の3の要件を満たさない限り損金算入できないという問題は、まず同施行令の規定が法人税法第22条に対する「別段の定め」でないという点を確認する必要がある。すなわち、裁判所は「本件政令は、同法22条3項の技術的、細目的事項を定めることを目的として、同法65条の委任に基づいて制定されたものと認められる」のであり、施行令第72条の3の規定は第22条の別段の定めではないことを明確にしている。 その上で、施行令第72条の3の規定が法人税法第22条第3項第1、2号の定める「債務確定基準」を実質的に狭め、限定する結果となったとしても、裁判所は「同法65条による委任の範囲を逸脱するものではない」としている。なぜなら、「本件政令(中略)は、平成10年法律第24号による法人税法の改正により使用人賞与の損金算入についての賞与引当金制度が廃止されたのを受けて、我が国における使用人賞与支給の実情を踏まえた上で、同法22条3項2号の定める債務確定基準に従って、我が国に多く見られる使用人賞与の支給態様に即してその損金算入時期を具体的に定めるとともに、これを使用人賞与一般についての統一的な基準として規定することにより、課税の明確性、統一性を図ったものということができる」のであるから、と判示している。 大阪高裁平成21年10月16日判決・訟月57巻2号318頁(本連載【事例55】の控訴審)では、当該問題につき、「課税の公平」を確保するという観点から租税法律主義違反とまでは言えない、としており(※4)、本裁判例のように「課税の明確性、統一性」(課税要件明確主義)を重視した理由付けとはやや異なるものの、実質的には同じことを言っているのではないか(特に「公平性」と「統一性」は同義と思われる)と筆者は理解しているが、いかがであろうか。 (※4) 渡辺徹也『スタンダード法人税法(第3版)』(弘文堂・2023年)101頁参照。 なお、本裁判例においては、「平成20年1月期には、正社員のみならず、嘱託社員に対しても決算賞与が支払われているところ、当該嘱託社員については、他の正社員と異なる計算方法を用いて原告代表者によって具体的な金額が決定されている」ことから、「決算賞与の総額及び各従業員に対する具体的な支給金額のいずれについても、本件各事業年度の終了の時点においては確定しているとはいえず、本件各事業年度の終了後において、原告代表者による決算賞与の総額の決定及びその指示に基づいて原告の経理職員が具体的な支給金額を決定することにより初めて本件各決算賞与の額が決定され、本件各決算賞与に関する債務が成立し、確定した」というべきであり、債務確定基準に照らしても各事業年度の終了の時点における損金算入が認められないこととなる。 (4) 本件へのあてはめ 法人が使用人に対して支給する給与は、法人税法上、人件費として原則全額損金に算入されるが、そのうちの賞与については、その損金の算入時期が問題となる。すなわち、支給日が決算期の翌期に到来し、当期(決算期)末時点では未払いの使用人に対する賞与については、損金の算入時期が当期か翌期か判然としないケースがある。法人税法第22条第3項第2号でいう「債務確定主義」に照らせば、当期末に債務が確定している部分の金額については、当期の損金に算入できるはずであるが、実際には、法人税法施行令第72条の3第2号の要件を満たさない限り、実際に支払った日の属する翌期の損金に算入されることとなる。 (了)
〈判例・裁決例からみた〉 国際税務Q&A 【第48回】 「使用料に係る源泉地の判定」 公認会計士・税理士 霞 晴久 〔Q〕 特許権等の使用料の源泉地国判定において使用地主義を採用し、当該特許を使用した製品の製造行為と販売行為が異なる国で行われる場合、どのように判断するのでしょうか。 〔A〕 事例判決であるものの、米国の特許侵害が問題となった事件において、当該特許権の使用地は、対象製品の製造が行われた日本ではなく、販売が行われた米国であるという考え方が示されました。 ●●●〔解説〕●●● 1 国内源泉所得に該当する工業所有権等の使用料 (1) 国内法の規定 所得税法161条1項11号は、国内において業務を行う者から受ける次の①~③に掲げる使用料又は対価で当該業務に係るものは国内源泉所得に該当すると規定している。 (※1) ここでいう用具とは、車両及び運搬具、工具並びに器具及び備品をいう(所令284①)。 上記にいう「当該業務に係るもの」とは、国内において業務を行う者に対し提供された上記①~③の資産の使用料又は対価で、当該資産のうち国内において行う業務の用に供されている部分に対応するものをいうとされる(所基通161-33前段)。一般に、所得の源泉地を定める法規則を「ソース・ルール」と呼ぶが、上記のとおり、我が国国内法は、使用料の源泉地をその支払の起因となった工業所有権等を使用する場所とする、いわゆる「使用地主義」を採用している。 上記により国内源泉所得と判定された使用料の支払者は、当該使用料の受取人である非居住者又は外国法人が我が国国内に恒久的施設を有しないか、有していても当該使用料が同施設に帰属しない場合、20.42%の税率(※2)で所得税及び復興特別所得税を源泉徴収しなければならない(所法169、170)。 (※2) 支払を受ける非居住者又は外国法人の居住地国と我が国との間で租税条約が締結されている場合には、条約上の限度税率により軽減される(実施特例法3の2)。 (2) 租税条約の規定 一方で、所得の源泉地を判定するソース・ルールには、使用料支払の債務を負う者の居住地を当該所得の源泉地とする考え方があり、これを債務者主義と呼ぶが、我が国が締結する租税条約では、使用料について債務者主義を採用している例が存在する(※3)。 (※3) 例えば日印租税条約12条6項。 すなわち、債務者主義を採用する租税条約が適用される場合、使用料の支払の起因となった工業所有権等の使用地にかかわらず、その支払者が日本の居住者又は内国法人であった場合には、租税条約上、国内源泉所得に該当することになる。つまり、国内法上の源泉規定では国内源泉所得とはならない国外業務に係る使用料が国内源泉所得に該当するケースや、その逆となるケースが生じうることになる。この点、所得税法162条1項は、国内源泉所得について、国内法と異なる定めがある場合には、租税条約の定めを優先する旨規定している(「源泉置換規定」と呼ばれる)。 日米租税条約は使用料のソース・ルールについて、かつては使用地主義を採用していた時期があった(1971年日米租税条約6条(3))が、現在では特に所得源泉の規定を置いていない(現行日米租税条約12条)。以下では、日米租税条約が使用料について使用地主義を採用していた当時、我が国内国法人が米国法人に支払った特許権を巡る紛争の和解金が我が国の国内源泉所得に該当するかがが争われたシルバー精工事件について検討する。 2 過去の裁判例 《【第一審】東京地裁平成4年10月27日判決(昭和63年(行ウ)第191号)》(※4) 《【控訴審】東京高裁平成10年12月15日判決(平成4年(行コ)第133号)》(※5) 《【上告審】最高裁平成16年6月24日判決(平成11年(行ヒ)第44号)》(※6) (※4) TAINSコード:Z193-7002 (※5) TAINSコード:Z239-8296 (※6) TAINSコード:Z254-9678 (1) 事件の概要 本件は、事務用機器の製造販売等を営む内国法人X(原告・被控訴人・被上告人)が、米国販売子会社を通じ米国にプリンター等を輸出していたところ、米国法人C社から特許侵害で訴えられ和解金を支払ったことについて、税務署長Y(被告・控訴人・上告人)が、同和解金は国内源泉所得の使用料であるとして所得税の納税告知処分等を行ったことから、それを不服として提訴した事件である。 Xは、自己の開発した技術を用いて日本国内で製造したプリンター等(以下「本件装置」という)を米国販売子会社を経由して米国内及び中南米地域において販売していたところ、C社は、昭和58年3月から9月にかけ、自社製品の米国内市場占有率が低下した事態に対処するため、米国国際貿易委員会(ITC)に対し、Xを含む日本企業を相手方として、同製品の米国内への輸入差止めの申立てをしていた。本件は、当時のいわゆる日米貿易摩擦の激化により、ITCによる不利な決定が下されることを懸念したXが、C社による和解交渉に応じたことが背景にある。Xは、昭和58年11月、C社との間で米国特許権に関する両社間のすべての未解決の紛争を解決することを目的として和解契約(以下「本件契約」という)を締結し、本件契約に基づき、源泉徴収税額を控除することなく、昭和58年12月に40万米ドルを、昭和59年4月に36万米ドルをそれぞれ支払った(これらを併せて「本件各金員」という)。 なお、C社は米国特許につき、本件契約の締結と並行して、日本国内でも登録(昭和63年1月)している。 (2) 争点 本件各金員の国内源泉所得該当性(※7)。 (※7) Xは、本件各金員は、米国特許に基づく米国での本件装置の販売に対するものであり我が国の国内源泉所得に該当しないと主張したのに対し、Yは、本件装置を世界中のどこでも製造してよいという本件契約の条項から、本件各金員は、Xの我が国における契約締結時のC社の我が国での特許出願に係る出願権の対価に当たるとして、国内源泉所得に該当すると主張した。さらにYは、控訴審において、本件各金員は技術導入の対価であるとも主張した。 (3) 裁判所の判断 第一審の東京地裁は、契約の具体的内容に照らして判断すると、対価の主要な部分は米国での販売に係る紛争解決金や米国での販売許諾のロイヤルティの前払金であると認められることから、国内源泉所得に該当しないとして納税者の主張を認めた。Yはこれを不服として控訴したが、高裁でもXが勝訴し(※8)、Yは上告した。しかし、最高裁は以下のように判示して、Yの上告を棄却し、Xの勝訴が確定した。 (※8) ただし、第一審及び控訴審の解釈と判断は異なっている。 ① 本件契約及び本件各金員の意義について ② 本件契約の適用範囲 ③ 結論 3 検討 上告審では、2名の裁判官が反対意見を表明している。そこでは、①米国内においてのみ排他的効力を有する本件米国特許権を直接侵害する立場にあるのは、米国子会社であってXではないこと、②C・X間の未解決の紛争とは、米国内における本件装置の販売等に係るものに限らず、米国以外の国における本件装置の製造及び米国以外の国で製造した本件装置を米国内で販売することに係るものも含むものであること、③本件契約によれば、本件各金員は、Xが我が国において本件装置の製造、販売をしてこれを米国へ輸出するまでの行為をその対象として捉えており、その額は、米国内における本件装置の販売等の数量及びその価格を基準とするものではなく、Xが我が国で販売した本件装置で米国内での販売等に供されるものの数量及びその販売価格を基準としていることから、本件各金員は、Xが我が国において本件装置を製造し、その販売をするについての本件米国特許権の内容を成す技術等の実施許諾に対する使用料であるから国内源泉所得に当たると述べている。 そもそも、使用地主義の考え方は、源泉地国外にサブライセンスされた場合に二重課税を排除する効果はある(所基通161-33参照)ものの、本件のように国を跨いで製造行為と販売行為が行われる場合等、使用地を明確に判断することが困難なことは少なくなく、法的安定性にもとり源泉徴収制度になじみにくいとされている(※9)。使用地の判定において、製造行為と販売行為のどちらに比重が置かれるべきかは、明確な判断基準を欠くが、少なくとも最高裁は、上記2(3)の③のとおり、「本件各金員は、米国内における本件装置の販売等に係る本件米国特許権の使用料に当たる」と判示し、特許権の実施はあくまで販売行為に力点が置かれるものであるとの見方(※10)を示したものといえる(※11)。 (※9) 宮崎裕子「外国法人に対する使用料と源泉地」『租税判例百選[第6版]』(有斐閣・2016年)133頁は、「本件も使用地主義に潜むかような困難が表面化した事案の一つであり、本件でも、本件各金員が何の対価かの判断を巡る本件契約の解釈が困難を極めるものであったことは、第1審、控訴審においてそれぞれ異なる解釈と判断がされたこと、上告審においても2名の裁判官が、(中略)技術等の使用許諾に対する使用料であるから国内源泉所得に当たるとする反対意見を述べていることからも容易に窺うことができる」と述べている。 (※10) 宮崎・前掲(※9)は、「一般論として製造が販売より根源的であるとは必ずしも言えず、(略)、何らかの別の判断基準を示し得ない限り使用地主義の運用上の困難を克服することは難しい。」と述べている。 (※11) 木村浩之編著、野田秀樹・佐藤修二著『対話でわかる国際租税判例』(中央経済社・2022年)96頁は、「本件の使用料は日本での製造を含めた実施権の許諾であることから、日本にも源泉があると解する余地はあるが、製造はあくまでも手段であってその目的は販売であり、販売の場所における実施許諾こそが本質的な対価であると考えれば、最高裁の判断は妥当といえる。」と述べている。 ところで、上記1(2)で述べたとおり、現行日米租税条約では使用料につき源泉地国では一律免税とする規定が置かれているため、日米間で、今後本件同様の問題が生じることはない。なお、使用料の源泉地国免税規定は、現在のOECDモデル条約でも同様であり、近年の我が国との条約改定時にも同様の取扱いとしている例が多い(※12)。 (※12) 宮崎・前掲(※9)では、英国、フランス、オランダ、スイス、スウェーデン、ドイツとの条約改定時に導入されたとしている。 (了)