電子書類の法律実務Q&A 【第5回】 「電子メールやLINEでの一方的な連絡による退職は有効か」 弁護士法人 咲くやこの花法律事務所 弁護士 池内 康裕 〔Q〕 当社の就業規則では、「退職しようとする者は、退職する1ヶ月前までに、退職願を直筆又は記名押印入りにて提出しなければなりません。」としており、電子メールやLINE(その他SNS含む)での退職を認めていませんが、次のようなケースの場合、それぞれどうすればよいでしょうか。 〔A〕 退職には、①従業員が一方的な意思により雇用契約を終了させる「辞職」と②従業員と企業が合意により雇用契約を終了させる「合意解約」の2種類があります。 【ケース①】は、「辞職」と判断される可能性が高いと言えます。就業規則に違反してLINEで辞職していますが、就業規則所定の手続が遵守されていない場合も、辞職の効力を否定できません。そのため、仮に会社が退職を認めなくても、退職のLINEを送られた日から2週間を経過することによって、雇用契約は終了することになります。 【ケース②】は、「合意解約」の申出と判断されることを前提に検討すべき事案です。退職届は提出されていませんが、会社が承認すれば有効な合意解約となります。注意が必要なのは、合意解約の場合、会社が退職を承諾するまでの間、従業員の都合で退職を撤回することができる点です。退職してほしい従業員から合意解約の申出があった場合、会社としては速やかに退職を承諾する旨の連絡をするのがよいです。 ● ● ● ● 解 説 ● ● ● ● 1 「辞職」と「合意解約」 以下の(1)から(3)では、【ケース①】と【ケース②】を検討するうえで、前提となる知識を確認しておきたい。 (1) 退職には「辞職」と「合意解約」の2種類がある 退職とは、従業員が自発的に雇用契約を終了させることであり、以下のとおり、「辞職」と「合意解約」の2種類がある。 (2) 「辞職」と「合意解約」の違い 「辞職」か「合意解約」の違いを確認しよう。 まず「辞職」は、従業員の一方的な意思で雇用契約を終了させるものなので、従業員の都合で撤回することはできない。本件でも、「もう出社できません。退職します。」という電子メール(以下、単に「メール」という)やLINEでの連絡が「辞職」であれば、従業員の都合で撤回できないということになる。 他方、「合意解約」の場合、従業員と企業が合意により雇用契約を終了させるものなので、会社が承諾しなければ、退職の効力は発生しない。そのため、会社が承諾するまでに、従業員が「退職するのをやめます」と会社に連絡をすれば、退職を撤回することができる。退職が撤回された場合、会社はその従業員を退職させることはできなくなる。 そのほか「辞職」と「合意解約」では、退職の効果が発生する時期も異なる。「辞職」の場合は民法627条1項により、2週間で退職の効果が発生する。これに対して「合意解約」の場合、会社が承諾した時点で退職の効果が発生するのが原則だ。 (3) 「辞職」と「合意解約」の申出の区別 裁判所では、従業員からの「辞職」と「合意解約」の申出はどのように区別されているのだろうか。 これまでの裁判例から、「会社から慰留(退職しないように説得)されても辞める」という従業員の確定的意思でなされた場合は「辞職」になるが、それ以外の場合は「合意解約」の申出となると言える(広島地判昭和60年4月25日、大阪地判平成10年7月17日)。 そして、裁判所では、退職の意向が従業員から表明された場合、「辞職」ではなく「合意解約」の申出と判断されるケースが多い。 2 【ケース①】について (1) 【ケース①】のLINEは辞職の申出と判断される可能性が高い まず前提として、【ケース①】のLINEが「辞職」か「合意解約」の申出かを検討したい。 結論から言えば、【ケース①】については「辞職」の申出と考えてよい。 【ケース①】では、LINEだけでなく、2週間以上出社せず連絡も取れないことから、「会社から慰留されても辞める」という確定的意思が従業員から示されたと言えるからである。 (2) 就業規則所定の手続に違反したLINEでの辞職の効力 本件のように、就業規則等で、「退職する1ヶ月前までに、退職願を直筆又は記名押印入りにて提出しなければなりません。」と定めている会社は多いと思われる。では、本件のように退職の時期や手続が就業規則で決まっている場合、就業規則違反を理由に辞職を認めないことはできるのだろうか。 結論から言えば、就業規則所定の手続に違反しても、LINEでの辞職は有効になる。 上記1のとおり、辞職の場合、民法627条1項が適用される。民法627条1項によれば、従業員は、「2週間」の予告期間をおけば「いかなる理由があっても」契約を終了させることができる。 民法で「いかなる理由があっても」契約を終了させることができるとされているので、退職届が提出されていないことを理由に、辞職が無効と判断されることはない。LINEやメールでの辞職も有効だ。 そして辞職の場合、民法で決められた2週間を超える期間を就業規則に定めても無効になる(東京地判平成28年2月19日)。 つまり、本件でも就業規則の手続が遵守されていないことを理由に、辞職の効力を否定することはできない。就業規則等で辞職の手続を定めても、2週間の予告期間を置いた辞職を禁止する法的効力はないのだ。 【ケース①】のような就業規則に違反するLINEでの辞職も、法的には有効である。会社として退職を承諾できない場合も、「もう出社できません。退職します。」というLINEが送られてから、2週間が経過することにより退職の効力が発生してしまう。 【ケース①】と同様の事案で、裁判所は、民法627条1項に反する就業規則の効力を認めず、退職する旨のメールを送った日から2週間を経過することによって、雇用契約は会社の承諾なしに終了すると判断している(東京地判令和4年2月9日)。 3 【ケース②】について (1) 【ケース②】のメールは「合意解約」の申出と判断されることを前提にする まず前提として、【ケース②】のメールが「辞職」か「合意解約」の申出かを検討したい。 結論から言えば、【ケース②】については、メールが送られた翌日の時点では「合意解約」の申出と判断されることを前提に検討を進めるべきである。 上記1のとおり、裁判所では、退職の意向が従業員から表明された場合、「合意解約」の申出と判断されることが多い。例えば、「会社を辞めたるわ」と発言して帰宅し、翌日も欠勤して、翌々日に復職の申出がされたケースでも、裁判所は「辞職」ではなく、「合意解約」の申出と判断している(大阪地判平成10年7月17日)。 本件でもメールの文面だけでは、「会社から慰留されても辞める」という確定的意思が従業員から示されたと判断するのは難しい。例えば、メールを送信した翌日欠勤して、翌々日に復職の申出がされた場合などは、上記大阪地判と同様に、「辞職」ではなく「合意解約」の申出と判断される可能性が高いだろう。 (2) 就業規則所定の手続に違反したメールでの「合意解約」の効力 次に、本件のように就業規則で退職届の提出が必要とされている場合でも、メールでの「合意解約」の申出は有効なのだろうか。 この点については、就業規則に定めた手続に違反する場合であっても、会社が退職の意思表示として受領し、承認すれば、合意解約の申出として有効になる(横浜地判平成23年7月26日)。つまり、退職届が提出されていなくても会社が承諾すれば、メールでの合意解約は有効になる。 (3) 退職してほしい従業員から合意解約の申出があった場合の対応 以上を前提に会社としての対応を検討しよう。 上記1のとおり、合意解約の場合、会社が承諾する前であれば、従業員側からの撤回は可能である。 そのため、退職してほしい従業員から退職の申出があった場合、会社としては速やかに退職を承諾する旨の連絡をして、撤回されることを防ぐのがよいだろう。合意解約の場合、会社が退職の承諾を通知した時点で退職が確定する。 メールが送られた日の翌日も出社せず従業員から連絡もない場合、会社としては速やかに退職を承諾する旨の通知をすることを検討した方がよい。 (4) メールでの退職承諾通知がお勧め では、会社側からの退職の承諾は、どのような方法で行えばよいのだろうか。 退職の承諾の方法に関して就業規則に定めがない限り、どのような方法で行うかは会社の自由である(最判昭和62年9月18日)。 一般的には書面で承諾することが多いと思われるが、書面の受取拒否や書面が到着するまでに撤回されることも考えられる。そこで筆者としては、メールで退職を承諾する旨返信する方法をお勧めしたい。裁判所でも、メールでの退職承諾通知が有効と判断されている(東京地判平成30年3月28日)。 承諾の通知は、承諾する権限がある者が行う必要がある。承諾権限について、常務取締役に退職を承諾する権限がないと判断した事例もある(岡山地判平成3年11月19日)。そのため、部長や課長など申出をした従業員の直属の上司の名前で退職の承諾をすることはお勧めできない。 雇用契約の終了日を記載した代表者名義の承諾通知書を作成して、PDFファイル形式で添付のうえ、メールで送信するのがよいだろう。 なお、メールと同時に書面を郵送することも考えられる。この場合、メールに添付したPDFファイルが原本で、郵送した書面が写しである旨を明らかにしておく必要がある。 (了)
〈小説〉 『所得課税第三部門にて。』 【第65話】 「超高額所得者に対する税負担の適正化」 公認会計士・税理士 八ッ尾 順一 「・・・そうか・・・」 浅田調査官は、令和5年税制改正大綱を見ながら、ため息をつく。 「・・・高額所得者になればなるほど、負担する税率が低くなり、税負担の公平性が保たれていない・・・その是正のための措置として『極めて高い水準の所得に対する負担の適正化』の規定が創られたのだろうが・・・3億3,000万円の控除は大きすぎるなあ・・・」 浅田調査官は、呟きながら、「3億3,000万円」の数字をじっと見つめる。 そこに、中尾統括官がニコニコしながら、やってくる。 「何を真面目に読んでいるの?」 中尾統括官は、浅田調査官の持っている税制改正の大綱を覗き込む。 「・・・この3億3,000万円・・・大きすぎませんか?」 浅田調査官は、大綱を差し出しながら、中尾統括官の顔を見る。 「・・・」 中尾統括官は、黙って読む。 「・・・例の・・・1億円の壁か・・・」 そう言うと、中尾統括官は、浅田調査官の肩をポンと叩く。 「・・・この改正案は、1億円の壁の問題を解決するために、今回の税制改正で、超高額所得者に対して、課税の強化を図ろうとしているのだろう・・・」 中尾統括官は、納得した顔をする。 「・・・つまり、所得1億円を境に、所得税の負担率が低下する傾向にあるといわれている・・・この主たる原因は、所得が1億円を超えるような高所得者の場合、それ以下の水準の人と比べて、金融所得の所得全体に占める割合が高くなっていると考えられている・・・そうすると、金融所得は、給与所得や事業所得(最高税率55%)に比べて、一律20%の税負担になっているから・・・税の負担が軽くなっていくということになる・・・」 中尾統括官の説明に、浅田調査官は、頷く。 「しかし、今回の税制改正では、基準所得金額が3億3,000万円を超えるものを課税の対象としています・・・これって、控除する金額が大きすぎませんか」 浅田調査官は、改正内容の算式を見る。 浅田調査官は、不満そうである。 「・・・ところで・・・大綱では『基準所得金額』とか、『基準所得税額』とか、あまり見慣れない用語が出てくるが、これは一体何?」 中尾統括官が尋ねる。 「大綱では、次のように説明しています」 浅田調査官は、大綱の一部を読み上げる。 「・・・所得金額に、分離課税の配当所得や上場株式等の譲渡所得を加え、そこから3.3億円を控除して、その超過分について、22.5%を乗じ、それが基準所得税額を超える場合に、その差額金額に相当する所得税を課するという、ややこしい計算になります」 浅田調査官は思案顔になる。 「1億円の壁を是正するために、申告不要制度を適用しないで、配当所得や上場株式の譲渡所得を合算して計算することから、この税制改正は、富裕層の課税の強化を意味しているのだが・・・3.3億円まで、今回の改正から除外するということについて、君は、高すぎると思うの?」 中尾統括官が尋ねる。 「ええ」 浅田調査官は頷く。 「・・・ところで、日本で、年収1億円以上の人が、何人いるか知っている?」 中尾統括官が再び聞く。 「・・・年収1億円以上の人ですか・・・」 そう言いながら、浅田調査官は、スマートフォンを手に取る。 「・・・約23,000人ぐらいですね・・・年収5億円であれば、6,000人ぐらい」 浅田調査官は、中尾統括官の顔を見る。 「富裕層といっても、日本には、それぐらいの人しかいないのだから、この大綱に書いてある内容もごく限られた納税者しか対象になっていない・・・したがって、その税収も知れているが・・・政府は、社会に対しては、1億円の壁を払拭するというアピールのために、今回の改正を考えたように思える・・・」 中尾統括官は、以前、読んだ日本経済新聞の記事の一部を思い出す。 「・・・所得が年30億円を超える人を対象にしているのですか・・・」 浅田調査官は、呟く。 「僕は、このような改正はしなくても良いと思う・・・大綱に記載している所得計算の内容も煩雑だし、こんな改正が度々なされると、益々、税法が複雑化し、納税者にとって、はた迷惑だと思う・・・また、税理士も困るだろう・・・」 中尾統括官は、大綱を見つめながら、言う。 「そう言えば、税理士からも税法が毎年複雑になって、申告書を作成するのが怖いという声をよく聞きます」 浅田調査官は、苦笑しながら、中尾統括官を見る。 (つづく)
《速報解説》 インボイス制度への円滑な移行に向けた関係府省庁会議が開催 ~負担軽減措置含めR5改正に関する情報もまとめられる~ Profession Journal編集部 いよいよ本年10月からインボイス制度が開始されるが、適格請求書発行事業者の登録が十分でないことや免税事業者が課税転換した際の税負担及び事務負担増大などをはじめとする中小規模事業者の負担が大きいといった理由から、昨年12月の令和5年度税制改正大綱では負担軽減措置が明記された。 まだ法案成立前ではあるものの、上記の影響を考慮してか、既報のとおり財務省HPでは令和5年度税制改正に関する情報がアップされ始めている。 あわせて、インボイス制度への円滑な移行にあたって、万全の準備を進める観点から、関係府省庁で連携して必要な取組みを行うことを目的に、関係府省庁会議が設置され、去る1月16日には第1回の会合が開かれた。 上記会合HPでは各議論にあたり、インボイス制度に関する基礎的事項や統計情報だけでなく、昨年末に各省庁が公表した資料とは別に、負担軽減措置等の令和5年度改正に係る資料も公表されている。 (了) ↓お勧め連載記事↓
《速報解説》 国税庁、「法人が保有する暗号資産に係る期末時価評価の取扱いのFAQ」を公表 ~「活発な市場が存在する暗号資産」の範囲をより具体化~ 弁護士 下尾 裕 国税庁は、令和5年1月20日付「法人が保有する暗号資産に係る期末時価評価の取扱いについて(情報)」(以下「本件FAQ」という)を公表した。 法人税法における暗号資産の期末時価評価については、令和4年12月22日付課税総括課情報第10号ほか5課共同「暗号資産に関する税務上の取扱いについて(情報)」の問3-3においても言及されていたが、本件FAQにおいては、「活発な市場が存在する暗号資産」の範囲をより具体化するとともに、DEXの取引対象となった暗号資産、ステーキングのためロックアップした暗号資産、貸付の対象となった暗号資産及び借入の対象となった暗号資産についてそれぞれ説明を加えている。 以下においては、本件FAQについて特に着目すべき点を取り上げる。 1 「活発な市場が存在する暗号資産」の範囲(本件FAQ問2) 本件FAQは、「活発な市場が存在する暗号資産」の判断基準について、「保有する暗号資産の種類、その保有する暗号資産の過去の取引実績及びその保有する暗号資産が取引の対象とされている暗号資産取引所又は暗号資産販売所の状況等を勘案し、個々の暗号資産の実態に応じて判断する」との考え方を示している。 また、当該判断基準については、「合理的な範囲内で入手できる売買価格等が暗号資産取引所又は暗号資産販売所ごとに著しく異なっていると認められる場合や、売手と買手の希望する価格差が著しく大きい場合には、上記①及び②の観点から、通常、市場は活発ではない」との具体的説明を加えている。 2 DEXにおいて取引される暗号資産(本件FAQ問3) 本件FAQにおいては、DEX(Decentralized Exchange。一般に中央に管理者のいない分散型取引所を意味する)についても、「活発な市場が存在する暗号資産」の判断における「市場」に含まれるとの解釈が示されている。これを踏まえ、DEXで上場されている暗号資産も「活発な市場」の判断基準を充足するかぎり、期末時価評価の対象となることが明らかになった。 3 ステーキングのためロックアップした暗号資産(本件FAQ問4) ステーキングとは、一定期間、対象となる暗号資産を保有してブロックチェーンのオペレーションに参加することにより、対価を得る取引であり、当該期間につき暗号資産の譲渡を禁止することを「ロックアップ」と呼んでいる。 本件FAQは、ロックアップ対象の暗号資産について、暗号資産保有法人の管理支配が制限されていることを理由に期末時価評価の対象から外れるかという点について、ロックアップ期間中にステーキング報酬を得ることができること、及び、その保有する暗号資産の将来的な価格変動リスク等を法人が負担していることを理由に、期末時価評価の対象になると結論付けている。 4 貸借の対象となった暗号資産(本件FAQ問5及び問6) 本件FAQは、まず、使用料を得るために相対で貸し付けた暗号資産につき、貸付期間中に使用料を取得できること及び賃貸人側が保有する暗号資産の将来的な価格変動リスク等を負担することに鑑み、貸付人側において期末時価評価の対象となると結論付けている。 一方、暗号資産交換業者以外の者から相対により暗号資産を借り入れ、これを借入期間が終了するまで貸付け等により運用するという事例については、一般的には自己の計算において暗号資産を有するとは言えないとして、原則として期末時価評価による評価額と帳簿価額との差額を益金の額又は損金の額に算入する必要はないとしている。 * * * なお、昨年12月に閣議決定された令和5年度税制改正大綱でも暗号資産の保有に係る期末時価評価課税に係る見直しについて記載がされている。そちらについては下記拙稿を参照いただきたい。 (了)
《速報解説》 財務省が「インボイス制度の負担軽減措置(案)の よくある質問とその回答」を公表 ~2割特例や少額特例等に関しR5税制改正大綱で不明確だった部分を明らかに~ 税理士 石川 幸恵 財務省は、令和5年1月20日時点の情報として「インボイス制度の負担軽減措置(案)のよくある質問とその回答」を公表した。 この資料は、財務省のホームページ内の「インボイス制度の改正案について インボイス制度、支援措置があるって本当!?」というページにリンクが付されている。このページは事業者に向けて、インボイス制度に関する支援措置をやさしく紹介するものであるが、リンク先であるこの資料「インボイス制度の負担軽減措置(案)のよくある質問とその回答」は、令和5年度税制改正(案)で示されたインボイス制度に対する負担軽減措置について質問とその回答として詳説しているもので、実務家レベルとなっている。 本解説では、「インボイス制度の負担軽減措置(案)のよくある質問とその回答」全21問のうちから注目すべきポイントをお伝えする。 なお、インボイス制度に関する令和5年度税制改正については、下記拙稿も参照されたい。 〇2割特例 (1) 税制改正(案)の概要 インボイス制度を機に免税事業者からインボイス発行事業者として課税事業者となった者を対象として、納付税額を課税標準額に対する消費税額の2割とする経過措置である。 (2) 本資料で明示された内容 ① 課税事業者選択不適用届出書の提出制限の緩和 下記【図表1】のように、免税事業者である個人事業者が登録申請書と課税事業者選択届出書を令和4年12月に提出した場合、令和5年1月から課税事業者となる。 【図表1】 ※画像をクリックすると、別ページで拡大表示されます。 税制改正(案)では、このように課税事業者選択届出書を提出したことにより令和5年10月1日の属する課税期間から事業者免税点制度の適用を受けられないこととなるインボイス発行事業者が、当該課税期間中に課税事業者選択不適用届出書を提出したときは、当該課税期間からその課税事業者選択届出書は効力を失うとされている。本資料で、具体的に令和5年については、1~9月分の納税義務免除、10月から12月については2割特例を選択できることが示された(問5)。 ② 2割特例と本則課税/2割特例と簡易課税の比較・選択が可能 簡易課税制度選択届出書を提出していない場合は2割特例と本則課税の比較・選択が可能、簡易課税制度選択届出書を提出している場合も、簡易課税が強制適用されるのではなく、2割特例と簡易課税の比較・選択が可能であると示されている(問6)。 ③ 簡易課税制度選択届出書の取下げ 下記【図表2】のように免税事業者である個人事業者が登録申請書とともに簡易課税制度選択届出書を提出していた場合に2割特例と本則課税を比較・選択したい場合には、令和5年12月31日までに簡易課税制度選択届出書の取下書を提出すれば、簡易課税制度選択届出書を取り下げることが可能と明示された(問7)。 【図表2】 ※画像をクリックすると、別ページで拡大表示されます。 〇少額特例 (1) 税制改正(案)の概要 経過措置として、一定規模以下の事業者を対象として、課税仕入れに係る支払対価の額が1万円未満である場合には、一定の事項が記載された帳簿のみの保存による仕入税額控除を認めるものである。 (2) 本資料で明示された内容 一回の取引の合計が1万円未満であるかどうかにより判定するので、1万円未満の商品を同時に複数購入して合計が1万円を超える場合(問11)や、月額200,000円(稼働日21日)の個人事業者への外注(問12)は対象とならない旨が明示されている。 このほか、少額な返還インボイスの交付義務免除や登録制度の見直しと手続の柔軟化についても実務における具体的な対応が示されている。 (了) ↓お勧め連載記事↓
2023年1月26日(木)AM10:30、 プロフェッションジャーナル No.504を公開! - ご 案 内 - プロフェッションジャーナルの解説記事は毎週木曜日(AM10:30)に公開し、《速報解説》は随時公開します。
これからの国際税務 【第35回】 「与党大綱が提案する第2の柱の国内法制化について」 千葉商科大学大学院 客員教授 青山 慶二 1 経緯 2021年10月に約140ヶ国に及ぶOECD/IFの国々が合意に達した2つの柱から成る国際課税の新ルールは、G20サミットのコミュニケで「より安定的で公平な国際課税制度を構築する歴史的成果」と評価され、その後、当初予定で2022年中の制度改正及び2023年からの実施を目指して、OECD/IFは、合意内容の実施のための国内法や租税条約の改正を指導するモデルルールや条約案の整備を進めてきた。 この間の経緯については、本稿【第32回】及び【第33回】でも触れた通りであるが、昨年12月の与党税制改正大綱では、OECD/IFで国内法改正のためのガイダンスが整った第2の柱(グローバルミニマム税構想)中の「所得合算ルール」の法制化が提案された。また、これに合わせて、多国籍企業の事務処理の増大に配慮して、外国子会社合算税制の一部見直しも提案されている。 以下においては、その内容を概観して改正案の意義を検討する。 2 与党大綱における第2の柱関係の税制改正提案 (1) 所得合算ルール(「各対象会計年度の国際最低課税額に対する法人税(仮称)」)の創設 イ 納税義務者 「特定多国籍企業グループ等(総収入金額が、7.5憶ユーロ相当額以上)に属する内国法人」と定義される法人で、当該グループの最終親会社法人に相当するもの、等。 (※) 7.5億ユーロ基準については、各対象会計年度の直前の4会計年度のうち2以上の対象年度で当該額を超えているものとされている。 ロ 税額の計算 各対象会計年度の「国際最低課税額」を最終親会社で課税。同税額は法人税と地方法人税の間で907:93の比率で案分。 (※) 「国際最低課税額」の計算方法については、大綱は言及しておらず、今後の改正法令で明らかにされる。財務省の解説では、国際合意に沿って、財務諸表の税引前利益をベースに一定の調整を加えて計算したグループ企業の国・地域別に算定された実効税率が15%に達しない部分となる予定。なお、一定の調整には、税務会計と財務会計の間の通常の調整に加えて、有形資産の簿価及び支払給与額の5%(導入当初は各々、8%と10%)を除外して計算する見込み。 (2) 外国子会社合算税制の改正 3 改正提案の特徴と今後の見通し (1) GloBEルールの中から、所得合算ルール(IIR)の先行法制化 イ 経緯 国際合意を得たGloBEルールの中で国内法改正に係る項目は、IIRの外に同じ国内法ベースの軽課税所得ルール(UTPR)がある。2022年中にはOECDでの実施細目の検討は後者について進捗しておらず、実施細目検討が一巡した前者のみの提案となった(IIRについては、昨年12月20日に実施細目が公表されている)。 なお、最終親会社においてIIRの国際最低課税額算定の最終段階で控除対象となりうる適格国内ミニマム課税(QDMTT)については、詳細設計の途中から仕組みの検討が始まったこともあり、OECDではUTPRと合わせて実施細則を検討中であるため、我が国での法制化も来年以降に繰り延べられた。 (※) QDMTTの登場により、軽課税国の多く(本来の軽課税国だけでなく、高税率国でも税制優遇措置を備えている国を含む)が同制度を導入することが見込まれている。このため当初モデルで想定した税収のシフト(軽課税国から親会社所在地国へ)は限定的とみられている(注1)。 (注1) OECD”Economic Impact Assessment of the Two-Pillar Solution”(2023.1.18 Webinar)。 ロ 我が国の法制化の特徴 (イ) BEPSプロジェクトの推進国としての迅速対応 BEPSプロジェクトは、財務官を務めた浅川氏がOECD租税委員会議長就任当時に進展したこともあって、BEPS1.0(2013~2015:2015「最終報告書」)及びBEPS2.0(2016~2021:2021「二つの柱の最終合意」)を通じて、その審議過程と執行段階で我が国政府は、常に指導的な役割を果たしてきた。今回の制度化も、昨年12月に指令案を最終決定したEU等と並んで、BEPS2.0推進のリーダーシップを発揮したものと評価できる。大綱では、今年我が国がG7議長国を務める点も積極対応の背景として言及している (ロ) QDMTTの採用 QDMTTについては、29.7%と見積もられる我が国法人税実効税率の高さから、導入不要との見方もあったが、我が国でも租特の優遇措置で15%を下回る実効税率の法人も見込まれることから、外国親会社に合算されることによる歳入漏れを防止するために、導入する方針が明示されている。なお、QDMTTは内国法人の所得をもとに課税するためIIRやUTPRと異なり応益性が認められるとして、地方交付税方式の分配を前提とした地方法人税に含めた制度設計が予定されている。 ハ 残された法制化項目の見通し 第2の柱のうち法制化が繰り延べられた項目については、「令和6年度改正以降の法制化」で対応と大綱は示している。ただし、OECDでの施行目標(UTPRは2024年等)及び、IIRルールに係る詳細設計過程(2021年12月のモデルルール公表後、パブコメを経て1年で同ルールの実施細目の公表)に鑑みると、来年の制度化が有力と思われるので、大規模多国籍企業においては、OECDにおける詳細設計にはパブコメへの参加を含め、その進展に注目する必要がある。 (2) 外国子会社合算税制(CFC税制)の改正 イ 改正の背景 IIRを中心とするGloBEルールは、グローバルミニマム税を、①国・地域別の財務会計データを出発点に算定した実効税率計算に基づく上乗せ課税方式とし、②各国が施行しているCFC税制と併存するものとして、制度設計されている。 従来と異なる手法で、かつ、従来制度と併存する方式で国際合意がなされたため、新制度に伴い多国籍企業の親会社に発生する事務負担について、我が国産業界からは、早くから下記(イ)(ロ)の2点で強い懸念が表明されていた。 また、経済産業省の研究会も、簡素化の必要性を強調するとともに、IIR導入効果はCFC税制が予定した国際的租税回避防止機能と重複している点に鑑み、将来の両制度間での調整の必要性も指摘していた(注2)。 (注2) 経済産業省研究会報告「最低税率課税制度及び外国子会社合算税制のあり方について(2022.9)」11頁。 (イ) 国別実効税率の算定の新たな負担 法人課税の基幹ルールをなす法人単位での課税ベースや実効税率の算定方式(我が国CFC税制も同様)から、過去に経験のない国・地域別単位での課税ベース・実効税率計算方式が追加的に入ることによる事務負担増加への懸念である。 経団連からは、実効税率算定におけるセーフハーバーなどを含むIIRの簡略化の制度設計を求める要請が行われていた。 (ロ) 30%の実効税率を閾値とする特定外国関係会社課税(平成29年度導入)の負担 BEPS1.0の行動3勧告を受けた特定外国関係会社(ペーパーカンパニー等)のCFC税制への取込み改正は、適用除外となる実効税率が30%と高く設定されたため、我が国多国籍企業からは、ほとんどの海外関係会社が該当することとなり、ネガティブ・チェック目的で毎年のCFC税制申告のためのコンプライアンス業務が飛躍的に増加したとの不満が、連年寄せられていた(注3)。 (注3) この不満は、CFC税制の経済活動基準の合理化と並んで、毎年の経団連税制改正要望に反映されている(経団連「令和5年度税制改正に関する提言(2022.9)」33頁)。 この負担についての緩和なく、新たなIIR導入による業務が追加されることがないようにとの要望であった。 ロ 特定外国関係会社課税における閾値の引下げ 大綱は、CFC税制の租税回避要請措置としての重要性に鑑み、第2の柱の合意通り、IIRと併存するとの確認を行っている。IIRが、軽課税国へのBEPS防止を15%というグローバルミニマム課税により実現させ、昨今の「法人税率をめぐる底辺への競争」に終止符を打つことを目的としていることからすると、それとは独自に各国が租税回避目的で設定するCFC税制との統合論などは、視野にないことを確認したものと思われる。 改正案では、IIRの導入に伴う追加事務負担を軽減するため、ペーパーカンパニー対応の特例適用の閾値を従来の30%から27%に引き下げている。OECDの各国データ統計(注4)によれば、この税率引下げ範囲(27~30%)に自国の法人税率が入る国・州は、独、伊、韓国、米国(ニューヨーク州等)など我が国企業が関係会社を多数保有している国が含まれており、経済産業省の調査では、それらの関連法人が課税の検証対象から外れるため、一定の効果があるとしている。 (注4) OECD,”Tax Database key tax rate indicators”(2022.12) Table Ⅱ.1 Statutory Corporate Income Tax Rate。なお、当OECDデータでは、我が国からの直接投資が多いアジアの主要国は27%未満と報告されている。 なお、大綱では、CFC税制について「令和6年度税制改正以降に見込まれる更なる『第2の柱』の法制化を踏まえて、必要な見直しを検討する」としているが、どの方向での見直しになるのかは、現時点では明らかではない。 OECDも注目しているQDMTTの実施状況を含めて、新制度の執行でモニタリングする事項も多々あるため、予見はできないが、毎年のように経済活動基準などの適用要件に関して経済実態に即した改正要望を受けてきたCFC税制にとっては、GloBE税制の導入に伴うグローバルビジネスの変動等との調整も中期的な検討課題として避けられないと思われる。 (了)
谷口教授と学ぶ 税法基本判例 【第22回】 「個別分野別不当性要件の統一的解釈」 -ヤフー事件最判とユニバーサルミュージック事件最判- 大阪学院大学法学部教授 谷口 勢津夫 Ⅰ はじめに 前々回は、未処理欠損金額引継規定濫用[ヤフー]事件・最判平成28年2月29日民集70巻2号242頁(以下「ヤフー事件最判」という)を「租税回避の意義と類型」に関して検討したが、今回は、組織再編成に係る行為計算否認規定(法税132条の2)の不当性要件についてヤフー事件最判が採用した判断枠組みと基本的には同じものと解される判断枠組みを、デット・プッシュ・ダウン(debt push down)借入利息損金算入否認[ユニバーサルミュージック]事件・最判令和4年4月21日民集76巻4号480頁(以下「ユニバーサルミュージック事件最判」という)が同族会社の行為計算否認規定(法税132条1項)の不当性要件について採用したものとする理解(個別分野別不当性要件の統一的解釈。拙著『税法基本講義〔第7版〕』(弘文堂・2021年)【71】参照)の下に、両最判の判断枠組みを比較検討することにする。 なお、法人税法132条1項及び132条の2の定める「法人税の負担を不当に減少させる結果となると認められるもの」という要件は、「不当減少要件」(田中治「判批」税研224号(2022年)92頁)あるいは「不当減少性要件」(太田洋=増田貴都「判批」国際税務42巻7号(2022年)72頁、太田洋=伊藤剛志共編著『企業取引と税務否認の実務〔第2版〕』(大蔵財務協会・2022年)22頁[太田・増田執筆]、35頁[同])と呼ばれることもあるが、筆者は、従来から、上記の要件を「不当性要件」と「負担減少結果要件」に区分し、前者は、「不当に」という不確定法概念(前掲拙著【33】参照)に対する税法的評価を内容とする規範的要件であるのに対して、後者は、「通常用いられる、すなわち、正常な」行為計算によって生ずる法人税負担と「通常用いられない、すなわち、異常な」行為計算によって生ずる法人税負担との結果比較要件であると理解した上で、そのような用語法によっている(拙著『税法創造論』(清文社・2022年)295-308頁[初出・2017年]参照)。 また、「判断枠組み」という語は、必ずしも一致した理解の下で用いられているとは限らないように思われるが、筆者はこの語を、規定ないし要件の解釈によって定立した規範を当該事案に適用するために行う判断の準則という意味で用いることにしている。 Ⅱ ヤフー事件最判とユニバーサルミュージック事件最判の判断枠組み まず、組織再編成に係る行為計算否認規定(法税132条の2)の不当性要件について、ヤフー事件最判は次のとおり判示したが(下線・【ⓐ】【ⓑ】【Ⓒ】筆者)、それは下線部ⓐⓑⒸから成る判断枠組みを示したものと解される。 次に、同族会社の行為計算否認規定(法税132条1項)の不当性要件について、ユニバーサルミュージック事件最判は次のとおり判示したが(下線・【㋐】【㋑】筆者)、それは下線部㋐㋑から成る判断枠組みを示したものと解される。 Ⅲ 租税回避の類型論・手段論・否認論の観点からの比較検討 1 不当性要件に関する2つの規範 不当性要件について、ヤフー事件最判は下線部ⓐで、ユニバーサルミュージック事件最判は下線部㋐で、それぞれ当該規定(法税132条の2、132条1項)の趣旨解釈によって、その意味内容(規範)を明らかにしている。なお、筆者は、規定の趣旨・目的を参酌して行う解釈を目的論的解釈と呼び(前掲拙著『税法基本講義』【45】参照)、これを趣旨解釈と基本的に同じ意味に理解しているが(金子宏「租税法解釈論序説-若干の最高裁判決を通して見た租税法の解釈のあり方」同ほか編『租税法と市場』(有斐閣・2014年)3頁、9頁以下における「趣旨解釈」も同様の理解に基づく用語法であると解される)、不当性要件の解釈に当たって、ヤフー事件最判が法人税法132条の2の「趣旨及び目的からすれば」と説示しているのと異なり、ユニバーサルミュージック事件最判が法人税法132条1項の「趣旨及び内容に鑑みると」(下線筆者)と説示していることから、ここでは趣旨解釈という用語を用いることにした。それは、目的規定と趣旨規定との(一応の)区別に関して後者を、「法律の内容を要約したもので、制定の目的よりも、その法律で定める内容そのものの方に重点がある」(坂本光「目的規定と趣旨規定/法律のラウンジ〔78〕」立法と調査282号(2008年)69頁)との理解の下で使用する用語法があることを考慮し、そのようなニュアンスを込めるためにそのようにしたものである。 ヤフー事件最判とユニバーサルミュージック事件最判はこのようにそれぞれ不当性要件の解釈によって規範を定立しているが、下線部ⓐで定立された規範は制度濫用基準と呼ばれ、下線部㋐で定立された規範は経済的合理性基準と呼ばれる(谷口教授と学ぶ「税法の基礎理論」第10回Ⅲ参照)。これらの規範は、一般化すれば、租税回避の類型別に定立された否認規範であるといえよう。すなわち、制度濫用基準は税法上の課税減免規定の濫用による租税回避に関する否認規範であり、経済的合理性基準は私法上の形成可能性の濫用による租税回避に関する否認規範であるといえよう(租税回避の類型論については第20回Ⅲ参照)。 2 私法上の形成可能性の濫用による租税回避と経済的合理性基準 租税回避について、伝統的には、主として私法上の形成可能性の濫用による租税回避という類型が、租税回避の定義に関連して、論じられてきた。例えば、金子宏教授は我が国の税法の代表的体系書『租税法』(弘文堂)の初版(1976年)以来第21版(2016年)まで租税回避の定義について基本的に次のような解説(次の引用は第21版125頁。下線筆者。初版では105頁参照)をしておられた。 この解説は、租税回避の定義について「課税要件アプローチと行為態様アプローチとの相互補完による定義」を示したものと解されるが、第22版(2017年)では次のとおり(126-127頁。下線筆者。第24版(2021年)では133-134頁)「行為態様アプローチによる定義」に依拠した解説の仕方に変更された(租税回避の定義アプローチについては第20回Ⅱ参照)。 このような解説の仕方の変更(筆者は解説内容の変更ではないと理解している)は、第22版で上記の定義の直後に租税回避の「類型」に関する次の解説(127頁。下線筆者。第24版では134頁参照)を挿入するために、行われたものと解される。というのも、租税回避の「類型」に関する次の解説は、行為態様アプローチによる定義と同じく、租税回避の「手段」に着目するものであるからである(谷口教授と学ぶ「税法の基礎理論」第10回Ⅱ参照)。 以上で引用した金子教授の各解説の中の下線部、すなわち、「私的経済取引プロパーの見地からは合理的理由がないのに、通常用いられない法形式を選択すること」(初版~第21版)、「私法上の形成可能性を異常または変則的な態様で利用すること(濫用)」(第22版~第24版)及び「合理的または正当な理由がないのに、通常用いられない法形式を選択すること」(同)はいずれも、表現の違いはあれ、最後の引用中の下線部にいう「私法上の形成可能性を濫用(abuse; Missbrauch)すること」すなわち私法上の形成可能性の濫用を意味するものである。 私法上の形成可能性は私的自治の原則ないし契約自由の原則の下で認められるものであることから、私法上の形成可能性の濫用は、私法上の形成(各種の経済取引等)に「私的経済取引プロパーの見地からは合理的理由がない」(初版~第21版下線部)ことと言い換えることができようが、そのことはまさしく経済的合理性基準の内容である経済的合理性の欠如を意味するのである。 要するに、私法上の形成可能性の濫用による租税回避は、私法上の形成に関する経済的合理性の欠如(経済的合理性基準)を定める明文の規定に基づき否認されることになるのであるが、そのような明文の否認規定のうち我が国で長い歴史をもつ同族会社の行為計算否認規定が定める不当性要件について、判例及び学説がその意味内容を経済的合理性基準として形成し展開してきたことは、我が国における租税回避論の到達点を示すものとして高く評価すべきである(判例及び学説における経済的合理性基準の形成・展開については、谷口教授と学ぶ「税法の基礎理論」第35回参照)。 3 税法上の課税減免規定の濫用による租税回避と制度濫用基準 ところで、金子教授は、前記の最後の引用箇所の中で、租税回避のもう1つの類型として「租税減免規定の趣旨・目的に反するにもかかわらず、私法上の形成可能性を利用して、自己の取引をそれを充足するように仕組み、もって税負担の軽減・排除を図る行為」を挙げ、これも私法上の形成可能性の濫用によるものと解説しておられる。この解説はヤフー事件とりわけ同最判を契機として追加されたものと推察されるが、同最判とは租税回避の「手段」の捉え方を異にする(谷口教授と学ぶ「税法の基礎理論」第22回Ⅲ参照)。 ヤフー事件最判は、制度濫用基準を説示するに当たって、「組織再編税制に係る各規定」(具体的には資産の簿価や未処理欠損金額の引継ぎに係る課税減免規定)を租税回避の「手段」として捉えているのに対して、金子教授の上記解説は、それらの規定を充足するために利用される私法上の形成可能性を租税回避の「手段」として捉えている。つまり、ヤフー事件最判は租税回避の「直接的手段」に着目しているのに対して、金子教授の上記解説は租税回避の「間接的手段」に着目しているのである(第20回Ⅲ参照)。 租税回避の手段論の観点からのこのような比較検討を確認した上で租税回避の否認論の観点からの比較検討に移ると、税法上の課税減免規定の濫用による租税回避の否認については、租税回避の「手段」に関する上記のいずれの捉え方に基づいても、法律構成をすることが可能である。すなわち、税法上の課税減免規定の濫用による租税回避の否認に関するアプローチには、直接的手段否認アプローチと間接的手段否認アプローチがあり、後者は「間接的手段を否認した結果として直接的手段が否認される」という二段階の法律構成を採る点に着目すると二段階構成否認アプローチと呼ぶこともできよう(谷口教授と学ぶ「税法の基礎理論」第28回Ⅲ参照)。ここで注意すべきは、いずれのアプローチによって否認規定を解釈するにしても、その要件事実は否認の(直接的)対象となる「手段」に即して記述されるということである(この点については後の4参照)。 金子教授は、租税回避の否認について次のとおり述べておられること(第22版128頁。第24版では135頁)からすると、税法上の課税減免規定の濫用による租税回避の否認については間接的手段否認アプローチ(二段階構成否認アプローチ)を採用する立場に立っておられるものと解される。 ヤフー事件最判も、確かに、次の判示のうち法人税法132条の2の趣旨(内容)に関する部分(筆者による下線部)からすると、間接的手段否認アプローチを採用するものと解することができそうであるが、それはその前の部分でいう「租税回避の手段」が「組織再編成」(前述の租税回避の手段論に即していえば組織再編成に係る私法上の形成可能性)であることを前提とした理解である。 しかし、ヤフー事件最判は、上記判示に続けて下線部ⓐで制度濫用基準を規範として定立するに当たっては、「租税回避の手段」が「組織再編税制に係る各規定」であることを前提にして不当性要件の解釈を行っていることからすると、税法上の課税減免規定の濫用による租税回避の否認について直接的手段否認アプローチを採用したものと解するのが相当である。 そうであるからこそ、ヤフー事件最判は、「組織再編税制に係る各規定を租税回避の手段として濫用すること」による租税回避(組織再編成の分野における税法上の課税減免規定の濫用による租税回避)の否認要件としての不当性要件について、制度濫用基準という規範を定立した上で、その要件事実として下線部Ⓒを判示したものと解されるのである。この点については、次の4で引き続き検討することにする。 4 濫用要件(制度濫用基準)の要件事実と間接事実 ヤフー事件最判の判示のうち下線部Ⓒは、制度濫用基準にいう「濫用」の有無の判断に当たっては、「当該行為又は計算が、組織再編成を利用して税負担を減少させることを意図したものであって、組織再編税制に係る各規定の本来の趣旨及び目的から逸脱する態様でその適用を受けるもの又は免れるものと認められるか否かという観点から判断する」とするが、これは、制度濫用基準という規範を含む不当性要件(以下では「濫用要件」という)について、これを「濫用」に対する税法的評価を含む要件(規範的要件)とみて、その要件事実を示したものと解される(谷口教授と学ぶ「税法の基礎理論」第10回Ⅲ参照)。 下線部Ⓒは、これを分節すると、前半は「租税回避の意図」を、後半は「趣旨目的からの逸脱」をそれぞれ説示したものであるが(徳地淳=林史高「判解」最判解民事篇平成28年版84頁、110頁)、租税回避の意図については、下線部Ⓒの説示から明らかなように組織再編成という間接的手段に即して記述されており(このことの意味については後の6で更に検討する)、「客観的な事情から租税回避の意図があると認められれば足りると考えられ(・・・・・・)、前述[=下線部ⓑ]の①及び②の考慮事情において、法人の行為・計算が不自然であり、かつ、そのような行為・計算を行うことの合理的な理由となる事業目的等が存在しない場合には、上記の租税回避の意図の存在を推認し得るのが通常であると解されよう。」(同111頁。下線筆者)と解説されている。 この解説は、租税回避の意図が要件事実であり、下線部ⓑの①及び②の考慮事情が間接事実であるとの理解を前提とするものであると解される。ここで、租税回避の意図を濫用要件の要件事実とする理解は、次の解説(徳地=林・前掲「判解」110-111頁。下線筆者)から読み取ることができる。 この解説によれば、ヤフー事件最判は租税回避の意図を「制度の濫用と評価するために」要求したものと考えられていることから、租税回避の意図は、濫用要件という規範的要件の評価根拠事実としてその要件事実となると理解することができる。評価根拠事実とは、規範的要件において「規範的評価を成立させるためには、その成立を根拠づける具体的事実が必要である」(司法研修所編『増補 民事訴訟における要件事実 第一巻』(法曹会・1986年)30頁)が、そのような事実をいい、それが規範的要件の要件事実とされる(同31頁参照)。 そうすると、前記の解説において「法人の行為・計算が不自然であり、かつ、そのような行為・計算を行うことの合理的な理由となる事業目的等が存在しない場合には、上記の租税回避の意図の存在を推認し得るのが通常である」と解されるところの、下線部ⓑの①及び②の考慮事情は、租税回避の意図という評価根拠事実(要件事実)の主観的要素(主観的要件事実)に係る間接事実ということになると考えられるのである。 下線部Ⓒの前半で説示されている租税回避の意図は、このように下線部ⓑの①及び②の考慮事情から推認によって認定されるが、これだけで濫用要件の要件事実が認定されたことにはならず、これに加えて、趣旨目的からの逸脱(下線部Ⓒの後半)が認定されて初めて、濫用要件の要件事実が完全に認定されることになる。趣旨目的からの逸脱は、租税回避の意図が濫用の主観的要素であるのに対して、濫用の客観的要素ということができようが、この点はともかく、租税回避の意図と同じく濫用要件の評価根拠事実(要件事実)である。趣旨目的からの逸脱は、ヤフー事件最判が法人税法132条の「趣旨及び目的」を示している以上、これに照らして客観的に認定し得る事実(客観的要件事実)である。 ヤフー事件最判に関する以上の検討をまとめると、要するに、同最判は、法人税法132条の2の趣旨解釈によって不当性要件について下線部ⓐで制度濫用基準という規範を定立した上で、下線部Ⓒで濫用要件(制度濫用基準という規範を含む不当性要件)の評価根拠事実(要件事実)を示し、そのうち租税回避の意図という主観的要件事実を下線部ⓑの①及び②の考慮事情という間接事実から推認し、かつ、趣旨目的からの逸脱という客観的要件事実の認定と合わせて、濫用要件の要件事実を認定する、という判断枠組みを示したものと解される。 5 不当性要件(経済的合理性基準)の要件事実と間接事実 これに対して、ユニバーサルミュージック事件最判は、法人税法132条1項の趣旨解釈によって不当性要件について下線部㋐で経済的合理性基準という規範を定立し、下線部㋑でヤフー事件最判の下線部ⓑの①及び②の考慮事情と基本的に同じ考慮事情を判示している。 ここで両最判を比較してまず注目されるのは、ユニバーサルミュージック事件最判にはヤフー事件最判の下線部Ⓒに相当する判示がみられないということである。その理由は、両最判が定立した規範の違いにあると考えられる。つまり、下線部Ⓒは、前述のとおり、濫用要件という規範的要件の評価根拠事実(要件事実)を判示したものと解されるが、ユニバーサルミュージック事件最判は不当性要件という規範的要件について経済的合理性基準を規範として定立し、そこから経済的合理性の欠如という事実を評価根拠事実(要件事実)として導き出すことができるが故に、ヤフー事件最判の下線部Ⓒのような判示を必要としなかったと考えられるのである(経済的合理性の欠如を不当性要件の評価根拠事実とする理解については、谷口教授と学ぶ「税法の基礎理論」第10回Ⅲ、前掲拙著『税法創造論』345-355頁[初出・2016年]参照)。 このことを判決文に即してみると、ヤフー事件最判は下線部ⓑの①及び②の考慮事情に関する説示をするに当たって、その前に「その濫用の有無の判断に当たっては」と述べ、そこで「(組織再編税制に係る各規定の)濫用」という、税法的評価を内容とする評価概念を用いたので、下線部Ⓒでその評価を成立させるための具体的事実(評価根拠事実)を説示し、これを要件事実として示す必要があったのに対して、ユニバーサルミュージック事件最判は下線部㋑の①及び②の考慮事情に関する説示をするに当たって、その前に「当該一連の取引全体が経済的合理性を欠くものか否かの検討に当たっては」と述べ、そこで「当該一連の取引全体」の「経済的合理性」という、税法の適用・税法的評価を受ける前の(すなわちナマの)事実概念を用いたので、経済的合理性基準から直ちに経済的合理性の欠如という事実を評価根拠事実(要件事実)として導き出すことができたと考えられる。 このように考えると、下線部の㋑の①及び②の考慮事情は、経済的合理性の欠如という要件事実に係る間接事実として位置づけられることになろうが、そうすると、次のような疑問が生ずる。すなわち、ヤフー事件最判とユニバーサルミュージック事件最判とでは一見すると不当性要件に係る規範及び要件事実が異なるように思われるにもかかわらず、その間接事実はなぜ下線部ⓑの①及び②と下線部㋑の①及び②のとおり基本的に同じ考慮事情となるのか、という疑問が生ずるのである。この疑問を解消するために、次の6で、もう一度出発点に立ち返り、両最判が不当性要件の解釈によって定立した規範(制度濫用基準と経済的合理性基準)の関係について検討することとする。 6 制度濫用基準と経済的合理性基準との関係 ヤフー事件最判が制度濫用基準の要件事実として下線部Ⓒの中で説示した事実は、確かに、一見すると、経済的合理性基準の要件事実である経済的合理性の欠如とは関係のない事実であるように思われるかもしれない。 しかし、組織再編税制は、「近年、わが国企業の経営環境が急速に変化する中で、企業の競争力を確保し、企業活力が十分発揮できるよう、商法等において柔軟な企業組織再編成を可能にするための法制等の整備が進められてきている。」(税制調査会「会社分割・合併等の企業組織再編成に係る税制の基本的考え方」(平成12年10月3日)第一(1))ことを受けて、税制上も一定の組織再編成を経済的合理性のある行為として承認し、その承認のための適格要件を充足する組織再編成(適格組織再編成)について資産の譲渡損益の課税繰延べ、欠損金の引継ぎ等の措置を講じたものと考えられる。 したがって、下線部Ⓒの後半で説示された「組織再編税制に係る各規定の本来の趣旨及び目的から逸脱する態様」の行為は、内容的には、経済的合理性のない行為を意味すると解される。つまり、適格要件は、組織再編成について税制の観点から「経済的合理性のある行為」と「経済的合理性のない行為」とを切り分けるための要件であるということができるのである。 要するに、下線部Ⓒの中で説示された事実は、前述のとおり、濫用要件の要件事実であるが、この事実は、私人の実際の経済生活における多種多様な経済活動のうち組織再編成という活動の場面における経済的合理性を前提にして、そのような経済的合理性の欠如を示す事実であると解されるのである(谷口教授と学ぶ「税法の基礎理論」第10回Ⅲ参照)。 そうすると、制度濫用基準は、経済的合理性基準の一場合ないし組織再編成の分野における経済的合理性基準の現れであるといってよかろう。これを経済的合理性の欠如という要件事実の観点から表現すれば、経済的合理性基準は、経済的合理性というナマの事実概念(前記5参照)を前提として、ナマの経済的合理性の欠如を内容とする規範であるのに対して、制度濫用基準は、ナマの経済的合理性をそのままではなく組織再編税制の趣旨・目的の「フィルター」を通して法定した各規定(組織再編税制に係る各規定)の濫用を内容とする規範であるといえよう。 ナマの経済的合理性は、税法の適用・税法的評価を受ける前のいわば税法外在的概念であることから、前者を税法外在的経済的合理性基準と呼ぶとすれば、後者はナマの経済的合理性を政策的に課税要件の中に取り込み要件化したもの(経済的合理性の内在化立法)であるから、これを税法内在的経済的合理性基準と呼び、両者を合わせて広義の経済的合理性基準と呼ぶことができよう(前掲拙著『税法基本講義』【71】、拙著『税法の基礎理論』(清文社・2021年)第2章第3節【後記】参照)。 制度濫用基準と経済的合理性基準との関係を以上のように理解するに当たって、両者を媒介・連結する論理は、ヤフー事件最判の下線部Ⓒの中で説示された要件事実のうち租税回避の意図という主観点要素(主観的要件事実)が、租税回避の手段のうち組織再編成という間接的手段に即して説示されている点(前記4参照)に、見出すことができるように思われる。というのも、その間接的手段は、既に前記3でみた租税回避の手段論に即していえば、組織再編成に係る私法上の形成可能性であるが、私法上の形成可能性の濫用は、既に前記2でみたように、経済的合理性基準の内容である経済的合理性の欠如を意味するからである。つまり、制度濫用基準と経済的合理性基準とは、ヤフー事件最判の下線部Ⓒの前半で説示された租税回避の意図(「組織再編成を利用して税負担を減少させることを意図したもの」)によって、媒介・連結されていると考えられるのである。 Ⅳ おわりに 以上を要するに、ヤフー事件最判及びユニバーサルミュージック事件最判によって、組織再編成の分野と同族会社の分野において、租税回避の否認要件としての不当性要件は、広義の経済的合理性基準の枠内で統一的に解釈され(個別分野別不当性要件の統一的解釈)、それぞれの規範(制度濫用基準と経済的合理性基準)の適用のために基本的には同じ内容の判断枠組みが形成されたといってよかろう。 租税回避の類型については、既に述べたように(前記Ⅲ2参照)、伝統的には、主として私法上の形成可能性の濫用による租税回避が論じられてきたが、判例における個別分野別不当性要件の統一的解釈に基づく判断枠組みの形成過程においては、税法上の課税減免規定の濫用による租税回避に関する最高裁の判断がヤフー事件最判において先行した。このことは、近時の租税立法における経済的合理性の内在化立法の増加による課税要件法の「変質」を受けて租税回避の「変容」が徐々に明らかになり実際上問題化してきたこと(前掲拙著『税法創造論』273-277頁[初出・2017年]参照)による面もあろうが、ただ、ヤフー事件最判も、同族会社の行為計算の否認規定に関する判例及び学説における経済的合理性基準の形成・展開(谷口教授と学ぶ「税法の基礎理論」第35回参照)を踏まえたものであると解されること(同第10回Ⅲ参照)からすると、ユニバーサルミュージック事件最判がヤフー事件最判の判断枠組みと基本的には同じ内容のものと解される判断枠組みを採用したことも、その形成・展開の延長線上に位置づけられよう。 もっとも、ユニバーサルミュージック事件最判が定立した経済的合理性基準については、同事件に関する地裁や高裁の判断(その検討については、谷口教授と学ぶ「税法の基礎理論」第37回~第41回参照)を踏まえると、従来の判例における経済的合理性基準と比べて新たな観点から検討することができるように思われる。その検討は、別の機会に、「経営判断原則と租税法判断-租税回避否認要件に係る経済的合理性基準の研究-」(仮題)と題する論文において行うことにする。 (了)
「税理士損害賠償請求」 頻出事例に見る 原因・予防策のポイント 【事例118(消費税)】 税理士 齋藤 和助 《基礎知識》 ◆基準期間(消法2①十四) 個人事業者についてはその年の前々年をいい、法人についてはその事業年度の前々事業年度(その前々事業年度が1年未満である法人については、その事業年度開始の日の2年前の日の前日から同日以後1年を経過する日までの間に開始した各事業年度を合わせた期間(※))をいう。 (※) 具体例(令和5年3月期の前々事業年度が1年未満の基準期間の判定) ・その事業年度開始の日:令和4年4月1日 ・2年前の日の前日:令和2年4月1日 ・同日以後1年を経過する日:令和3年3月31日 ⇒令和2年4月1日から令和3年3月31日までに開始した事業年度を併せた期間が基準期間になる。なお、これにより基準期間が1年でない法人は、1年換算する必要がある。 (了)
〔事例で解決〕小規模宅地等特例Q&A 【第69回】 「相続発生後に賃貸併用住宅を建て替えた場合における 小規模宅地等の特例の適用の可否」 税理士 柴田 健次 [Q] 被相続人である甲(相続開始は令和5年1月21日)は、賃貸併用住宅(区分所有登記はされていません)とその敷地であるA土地を所有し、1階から4階までを賃貸用(8部屋で各部屋の床面積は同一、そのうちの4部屋は令和3年から空室で募集もしていません)として5階部分を甲とその配偶者である乙及び長男である丙の居住の用に供していました。 甲の相続人は乙及び丙の2人ですが、全ての財産及び債務は丙が承継しています。 賃貸の用に供して50年以上経過し建物も老朽化してきたため、相続によりA土地及び賃貸併用住宅を承継した丙は建替えを行うことにしました。建替え後の建物は、1階から3階までを賃貸用(6部屋で各部屋の床面積は同一)として4階は乙の居住用として、5階は丙の居住用として利用することになっています。 丙は、令和5年9月に工事請負契約を締結し、賃借人には立退料を支払い、10月中に建物の取り壊しを行っていますが、相続税の申告期限において建物は未完成です。 この場合におけるA土地に係る小規模宅地等の特例の適否はどうなりますか。 なお、甲はA土地及び建物以外は貸付事業を行っていませんので、事業的規模以外の貸付事業に該当します。 【工事請負契約の内容】 [A] 小規模宅地等の特例の適用は、下記のとおりとなります。 ◆ ◆ ◆[解説]◆ ◆ ◆ 1 一時的に賃貸されていなかったと認められる部分がある場合における貸付事業用宅地等の特例の適用 貸付事業用宅地等の特例については、課税時期の直前において貸付事業の用に供されていない部分は認められませんが、一時的に賃貸されていなかったと認められる部分については、貸付事業用宅地等に該当するものとされています(措通69の4-24の2)。 国税庁からの情報(資産課税課情報第9号 令和3年4月1日(事例6) 共同住宅の一部が空室となっていた場合(参考))においては、空室部分の特例が認められる場合として、下記のとおり説明がなされています。 (下線部は筆者による) 本問の場合においては、8部屋中4部屋については、長期間空室で入居者を募集していませんので、貸付事業用宅地等に該当しないことになります。したがって、相続開始直前において貸付事業の用に供されていた宅地等は、40㎡(80㎡×4/8)となります。 2 申告期限までに事業用建物等を建て替えた場合における小規模宅地等の特例の適用 特定居住用宅地等の特例で同居親族が取得した場合には、相続税の申告期限までの居住継続要件があります(措法69の4③二イ)。また、貸付事業用宅地等の特例にも相続税の申告期限までの貸付事業の継続要件があります(措法69の4③四)。 したがって、相続後、相続税の申告期限までの間に事業用又は居住用の建物等の建替えを行った場合には、上記の要件を満たさず、特例の適用を受けることができなくなってしまいます。 しかしながら、事業や居住の継続の観点から一時点で判断することは適当ではありませんので、相続税の申告期限までの間に建替え工事に着手された場合には、租税特別措置法関係通達69の4-19において救済措置があります。その内容は下記のとおりとなります。 租税特別措置法関係通達69の4-19(申告期限までに事業用建物等を建て替えた場合) (下線部分は筆者加筆) 上記通達の留意点は、下記のとおりとなります。 (1) 通達の緩和措置がある要件 上記通達で緩和措置があるのは、相続税の申告期限までの事業継続要件又は居住継続要件となりますので、具体的には下記のとおりとなります。 特定居住用宅地等の特例における配偶者及び別居親族については、相続税の申告期限までの居住継続要件はありませんので、準用の取扱いはありません。 (2) 適用範囲 小規模宅地等の特例は、相続開始の直前において、被相続人又はその被相続人と生計を一にしていたその被相続人の親族(以下「被相続人等」という)の事業の用又は居住の用に供されていた宅地等を対象としています(措法69の4①)。この相続開始の直前の要件を満たしているもののうち、事業の用又は居住の用に供されると認められる部分についてのみ適用を受けることができます。 例えば、相続開始の直前において、事業の用に供されていた宅地等の面積が50㎡で相続後の建替えで事業の用に供される見込みの宅地等の面積が70㎡である場合には、50㎡のみが特例の対象になります。反対に事業の用に供されていた宅地等の面積が80㎡で相続後の建替えで事業の用に供される見込みの宅地等の面積が60㎡である場合には、60㎡のみが特例の対象になります。 すなわち、相続開始の直前の事業の用に供されていた宅地等の面積を限度として、事業継続が認められる部分が特例の対象となります。 (3) 租税特別措置法関係通達69の4-5との違い 租税特別措置法関係通達69の4-5(事業用建物等の建築中等に相続が開始した場合)の取扱いについては、前回解説をしていますが、相続開始前に建替えを行った場合の救済措置であるのに対して、本問は相続開始後に建替えを行った場合の救済措置となります。 前者が相続開始時点における工事請負契約で建築される建物の利用見込状況に応じて判定することになるのに対して、後者は相続開始直前における建物の利用状況及び建替え後の建物の利用見込状況に基づき判定されます。 3 本問の場合の当てはめ (1) 特定居住用宅地等の特例の適用面積 相続開始の直前において居住の用に供されていた宅地等の面積(20㎡)と建替え後の居住用部分の宅地等の面積(40㎡)のいずれか低い方が特定居住用宅地等の特例の適用面積となります。 (2) 貸付事業用宅地等の特例の適用面積 相続開始の直前において貸付事業に用に供されていた宅地等(40㎡)と建替え後の貸付事業用宅地等(60㎡)のいずれか低い方が貸付事業用宅地等の特例の適用面積となります。 ★実務上のポイント★ 相続開始前に建て替えた場合(【第68回】で解説)と相続開始後に建て替えた場合(本問で解説)で取扱いが異なりますので、それぞれで適用される通達と特定居住用宅地等及び貸付事業用宅地等の要件等を確認しておきましょう。 (了)