ファーストステップ 管理会計 【第3回】 「原価計算はなぜ必要か」 ~寝かせるとおいしいシュトーレンの話~ 〔原価管理編②〕 公認会計士 石王丸 香菜子 管理会計を学ぶ時、切っても切れない分野があります。 それは「原価計算」です。 管理会計の基本を学ぶには、原価計算の大まかな仕組みを理解する必要があります。 今回は、財務会計や簿記の知識は前提とせず、原価計算の大枠を概説します。 ◆寝かせるとおいしいシュトーレン 読者の皆さんは、シュトーレンを知っていますか? ドイツでクリスマスに食べられるパンで、ドライフルーツやナッツ・バターをたくさん使ったものです。作ってすぐよりも、寝かせると熟成しておいしくなります。 ドイツでは11月中に作り、アドベント(クリスマス前の4週間)のあいだ、少しずつスライスして食べる習慣があります。最近は日本でもクリスマス前に見かけるようになりました。 さて、あるベーカリーでも、大量のシュトーレンを11月中に仕込んだとしましょう。ある程度寝かせておいしくなってから、12月に販売する予定です。もちろん、シュトーレン以外のパンの製造・販売も行っています。 11月末がこのベーカリーの決算日で、決算書を作ることになりました。この1年間の売上高は15,000,000円、パンを製造するのにかかった原価は、シュトーレンの分も含めて8,000,000円とします。 11月末では、シュトーレンはベーカリーの奥で熟成中ですので、売上高にシュトーレンの売上は含まれません。パンを製造するのにかかったすべての原価は8,000,000円ですが、これにはシュトーレンの分も含まれていますので、シュトーレンの原価を除いて売上原価を算定する必要があります。シュトーレンの原価がわからないと、決算書を作ることができませんね。 ここで、原価計算が必要になるのです。 原価計算の概要は後で説明するとして、原価計算の結果、シュトーレンの原価が300,000円と算定されたとします。この他に在庫はないとすると、決算書の概要は次のようになります。 ◆原価計算の目的 このように、決算書を作成するには原価計算が必要になります。財務諸表を作成するために行う原価計算は、財務会計と密接にリンクしています。 ただし、原価計算を行う目的は、外部の利害関係者に向けて財務諸表を作成するためだけではありません。 ◆原価計算を行うのは、企業自身のためでもある まず、シュトーレンの原価を把握することは、ベーカリーの原価管理に不可欠です。 また、原価計算は、ベーカリーの利益管理の面でも重要です。原価がわからないと、シュトーレンをいくらで販売すればいいかわかりません。 シュトーレンは、見かけの大きさのわりにはやや高めと感じる値段で売られていることが多いのですが、これは、ナッツやバターが多く使われていて、原価が高いことが理由の1つです。原価計算を行わず、適当にコッペパンと同じ販売価格にしていたら、赤字になってしまいます。 さらに、原価計算から得られた情報をもとに、ベーカリーの意思決定に役立てることもできます。例えば、一定条件でシュトーレンを一括購入したいという注文を受けるかどうかの意思決定をする場合などには、原価の詳細を把握している必要があります。 このような原価計算は、企業内部の経営者や管理者のためであり、管理会計と強く結びついています。 ◆原価計算はジグソーパズル 原価計算の目的がわかったところで、次に、原価計算の仕組みの大枠を見ていきましょう。 最終的には製品に原価を集計するのですが、バラバラの原価をいきなり製品に集計するのは難しいので、「費目別計算」・「部門別計算」・「製品別計算」という3つのステップで集計します(部門別計算は、小規模な企業や生産工程がシンプルな場合は、省略することもあります)。 ジグソーパズルの組み立てをイメージするとわかりやすいでしょう。ピースがバラバラの状態から、いきなり完成を目指して組み立てるのは難しいですね。ピースを分類したりまとめたりしながら、段階を踏んでパズルを組み立てるのと似ています。 ◆費目別計算-まずはピースを分類する 第1段階の「費目別計算」では、原価を材料費・労務費・経費に分類し、さらにそれぞれを直接費・間接費に分類します(この分類については【第2回】で解説しました)。 直接材料費・直接労務費・直接経費については、どの製品に生じたかがはっきり認識できるので、直接製品に集計します(これを「賦課」といいます)。ジグソーパズルで言えば、まずは端のピース(まっすぐの辺が含まれるピース)とそれ以外を分類し、端のピースについては、すぐに完成を目指して組んでしまうイメージです。 一方、製造間接費(間接材料費・間接労務費・間接経費)は、製品との関わりが直接認識できず、直接製品に割り付けることができないので、第2段階の部門別計算を行います。 ◆部門別計算-ピースをある程度まとめる 製造間接費は、直接製品に集計できないため、製品別計算の前に部門別計算を行います。「部門別計算」では、原価の発生場所ごとに原価を集計します。ジグソーパズルで言えば、端のピース以外を、同じ色や柄で分類して、ある程度のまとまりを作るのに似ています。 部門には、直接製造に当たる製造部門の他に、補助部門(例えば動力部や修繕部など)もあります。補助部門は直接製品の製造に当たるわけではないので、補助部門費を合理的に製品に直接集計するのは困難です。そのため、補助部門費は、一定の基準(例えば、動力使用料や修繕回数)を用いて、いったん製造部門に割り当てます(これを「配賦」といいます)。 ◆製品別計算-まとまりをつなげてパズルを完成させる 補助部門費を配賦した後の製造部門費を、適切な配賦基準(例えば、作業時間や機械運転時間)を用いて製品に配賦します。 ある程度のまとまりにしたピースをさらにつなげて、パズルを完成させる段階です。 ※画像をクリックすると、別ページで拡大表示されます。 ◆集計する単位による分類-総合原価計算と個別原価計算 原価計算の基本ステップは上記のようになりますが、企業の生産形態はさまざまですので、これに応じて原価計算にも違いがあります。 規格品を連続して大量生産する形態に用いられる方法は「総合原価計算」です。 同じ形の食パンを連続して大量生産しているベーカリーを考えると理解しやすいでしょう。機械や自動車、食品・衣料品など、多くの業種で採用される方法です。同種の製品を切れ目なく生産しているので、製品一つ一つに原価を集計するのではなく、一定期間で区切って、その期間内の原価を集計します。 これに対して、顧客から注文を受けて個別生産する企業も存在します。イメージとしては、オーダーメイドのウェディングケーキを専門に作るケーキ屋です。 こうした個別受注生産形態には、「個別原価計算」を用います。 個別生産なので、注文ごと(あるいは顧客やサービスごと)に原価を集計します。建設やシステムなどの業種や、コンサルティングなどのサービス業でも利用されます。 ◆集計する原価の性質による分類-実際原価計算と標準原価計算 前述のステップによる原価計算は、集計する原価の性質に着目すると、「実際原価計算」と「標準原価計算」に大別することもできます。 実際原価計算は、実際に発生した原価を用いて計算する方法です。シンプルでわかりやすい反面、原価の実績値が判明するまでに時間がかかる点と、原価のあるべき目標値がないため、有効な原価管理が行えない点が欠点です。 こうした欠点を解決するのが、標準原価計算です。原価の目標値である標準原価を設定し、これを用いて原価を集計します。予め設定した標準原価を用いて迅速に計算ができるうえ、標準原価と実際原価を比較して差異分析することで、原価管理を行うことができます。 こうした長所から、製造業の企業では6割以上が標準原価計算を採用しているというデータがあります。【第1回】【第2回】で取り上げた標準による管理は、この標準原価計算を利用したものです。 ◆集計する原価の範囲による分類-全部原価計算と直接原価計算 また、ここまで解説してきたように、発生したすべての原価を製造原価として集計するという考え方を、「全部原価計算」と呼びます。すべての原価を集計するので、平たく言えば当たり前の原価計算です。 これに対して、製造直接費だけを製造原価として集計し、製造間接費は期間費用として処理する考え方があり、これを「直接原価計算」と呼びます。 製品との関わりが明確でない製造間接費は、先述のように、一定の仮定のもと配賦計算せざるを得ません。こうした配賦計算には、完全な正確性は求められないので、そもそも配賦計算を行わず、製造間接費をそのまま期間費用としてしまう方法です。制度会計としては認められていませんが、企業の利益管理上は重要な発想になります。 この連載では【第7回】から始まる〔利益管理編〕で、直接原価計算の考え方を利用した利益管理を取り扱いますので、頭の片隅に入れておきましょう。 原価計算の大枠をおさえたうえで、次回以降は、製造間接費の管理について解説していきます。 (了)
〔事例で使える〕中小企業会計指針・会計要領 《外貨建取引等》編 【第2回】 「為替予約等が締結されている場合~振当処理」 公認会計士・税理士 前原 啓二 はじめに 【第1回】は為替予約等が締結されていない場合をご紹介しました。【第2回】と【第3回】は為替予約契約がある場合を取り上げます。 振当処理とは、為替予約等により確定している決済時の円貨額により外貨建金銭債権債務等を換算し、直物相場との差額を期間配分する方法です。今回は、この振当処理についてご紹介します。 1 一連の輸入取引に係る仕訳 〈×1年2月15日:輸入商品の受取り〉 〈×1年2月28日:為替予約の締結〉 〈×1年3月31日:決算日〉 〈×1年5月31日:代金の支払い〉 仕入については、取引発生日(×1年2月15日)の為替相場(@80円/ドル)により円換算(10,000ドル×@80円/ドル=800,000円)します(中小企業会計指針75)。 取引発生日以後に為替予約が締結された場合、取引発生時による円換算額(800,000円)と為替予約による円換算額(10,000ドル×@97円/ドル=970,000円)との差額(170,000円)のうち、為替予約の締結時(×1年2月28日)までに生じている為替相場の変動による額(10,000ドル×(取引発生時@80-為替予約の締結時@100)円/ドル=△200,000円、「直々差額」といいます)は予約日の属する期(×1年3月期)の損益として処理し、残額(10,000ドル×(為替予約の締結時@100-為替予約@97)円/ドル=30,000円、「直先差額」といいます)は予約日の属する期(×1年3月期)から決済日の属する期(×2年3月期)にわたって期間配分します(外貨建取引等の会計処理に関する実務指針8)。 2 決算書の金額 ① ×1年3月31日決算期 〈当期末貸借対照表〉 〈当期損益計算書〉 ② ×2年3月31日決算期 〈当期損益計算書〉 (了)
経理担当者のための ベーシック会計Q&A 【第123回】 退職給付会計⑪ 「大量退職」 仰星監査法人 公認会計士 永井 智恵 〈事例による解説〉 〈会計処理〉 ① 退職給付債務の減少に伴う処理 (※1) 移行前の退職給付債務400-移行後の退職給付債務220=180 (※2) 退職一時金の支払額150 (※3) 差額 ② 未認識過去勤務費用、未認識数理計算上の差異及び会計基準変更時差異の未処理額の移行時の処理 (※4) 9(※5)-18(※6)+36(※7)=27 (※5) 未認識過去勤務費用の費用処理額=未認識過去勤務費用20×A=9 (※6) 未認識数理計算上の差異の費用処理額=未認識数理計算上の差異40×A=18 (※7) 会計基準変更時差異の未処理額の費用処理額=会計基準変更時差異の未処理額80×A=36 (※8) 消滅した退職給付債務の比率A=(大量退職前の退職給付債務400-大量退職後の退職給付債務220)÷大量退職前の退職給付債務400=0.45 〈会計処理の解説〉 大量退職とは、工場の閉鎖や営業の停止等により、従業員が予定より早期に退職する場合であって、退職給付制度を構成する相当数の従業員が一時に退職した結果、相当程度の退職給付債務が減少する場合をいいます。このような大量退職における退職給付の支払等を伴う減少部分については、退職給付制度の一部終了に準じて会計処理します(適用指針第8項)。 (退職給付制度の一部終了の会計処理は本連載の【第121回】をご参照ください。) 退職給付債務の減少部分と支払額の差は、通常の退職の場合、数理計算上の差異として一定の期間にわたり規則的に費用として処理されますが、通常の退職率をはるかに超える大量退職があった場合(例えば、構成従業員が退職することにより概ね半年以内に30%程度の退職給付債務が減少するような場合)には、退職給付制度の終了に準じて、当該部分について退職給付債務の消滅を認識することが適当であると考えられます(適用指針第25項)。 本事例では、大量退職により、退職給付制度の終了に準じて、退職給付債務の消滅の認識が行われます。このため、終了した部分に係る退職給付債務180(=大量退職前の退職給付債務400-大量退職後の退職給付債務220)を損益として認識します(①の仕訳)。 また、未認識過去勤務費用、未認識数理計算上の差異及び会計基準変更時差異の未処理額は、終了部分に対応する金額を、終了した時点における退職給付債務の比率その他合理的な方法により算定し、損益として認識します(適用指針第10項(2))。 本事例では、未認識過去勤務費用20(借方)、未認識数理計算上の差異40(貸方)及び会計基準変更時差異の未処理額80(借方)は、消滅した退職給付債務の比率(=(大量退職前の退職給付債務400-大量退職後の退職給付債務220)÷大量退職前の退職給付債務400)で損益に認識しています(②の仕訳)。 なお、①及び②で認識される損益は、事業所の閉鎖による大量退職という同一の事象に伴って生じたものであるため、原則として、特別損益に純額で表示します(適用指針第10項(3))。 ※10月は金融商品会計を取り上げます。 (了)
被災したクライアント企業への 実務支援のポイント 〔労務面のアドバイス〕 【第1回】 「実際に災害が起きた場合、人事労務管理上すべきこと」 特定社会保険労務士・中小企業診断士 小宮山 敏恵 地震、火災、台風、豪雨などの災害は、地域の産業・経済、そして企業経営に大きな被害をもたらす場合がある。さまざまな災害とその程度を想定し、企業の被害を最小限に食い止め、被災した場合、迅速に対応するため社員一人ひとりの防災意識を高め、災害時に備える組織作りが必要となる。 災害発生時の初期対応が何より重要であり、事業活動の復旧と2次災害の回避に大きく影響する。こうした時こそ、社員全員がパニック状態に陥ることなく、冷静な状況判断ができるよう、日頃から災害意識を維持し、人命はもとより、企業に係る資産(施設・情報・財産等)を守る対応策を講じる「危機管理体制」の構築が重要である。 (1) 応急救護、初期対応、避難場所への誘導等 災害発生時に最優先すべきは、社員の「人命保護」である。素早い消火活動と迅速な避難場所への誘導が、社員の大切な命を守ることになる。 地震が起きた場合、作業を停止し、まずは自身の安全を優先する。怪我人がいる場合は、社員による応急手当や、救急車を要請し医療機関へ早急に搬送する。 なお、大規模災害の直後は、救急や医療機関が対応できないことが多いと考えられる。そのような事態を想定し、事前に「素人ができる医療行為」について、救急や医療機関に確認しておくことも必要である。 さらに火気使用場所を確認し、火災を発見した場合は、大声で周囲の人に知らせ、119番へ通報する。火災が大きくならないよう、初期消火(消火器・消火栓・水バケツ等)にも努めたい。 災害時に備え、日頃から周辺の避難場所を確認し、集合場所を決めておくことも重要である。市町村の防災マップなどに基づいて避難場所を決めておき、実際に歩いて経路や場所の確認を行っておきたい。 また、転倒物・落下物等の危険防止対策、消火装置の点検を定期的に行い、非常口や避難経路を確認するなど、地震・火災対策を立てておくことも重要となる。 (2) 災害対策本部の設置-情報の一元化とトップダウン 災害時においては、社内で「災害対策本部」を設置し、情報の収集・管理を一元化する必要がある。方針決定責任者(通常は社長)がトップダウンによる決定・指示・命令を速やかに行えるよう、組織体制を整えておきたい。 なお、責任者が不在あるいは負傷した場合の代行者についても決めておく必要がある。また対策本部の担当社員には、自宅から自転車や徒歩で会社へ到着できる人員を含めておくことが必要である。 対策本部では下記のような手順により、まず、社員の安否を確認し、被災社員とその家族の保護・援助をするとともに、2次災害の防止策や、企業資産の保護について対策を講じ、事業活動の早期復旧に向けて準備を行うことになる。 (3) 企業ホームページや掲示板へ最新の情報提供を掲載 対策本部が収集した企業の被災状況や、連絡が取れない社員の安否については、迅速に周知しなければならない。 この場合、企業のホームページや、社内掲示板(社内イントラ等)の開放が考えられる。 このため、日頃からホームページや掲示板は最新のものに整備し、対策本部の担当社員が更新の手続をできるようにしておくことが必要である。 (了)
「従業員の解雇」をめぐる 企業実務とリスク対応 【第9回】 「懲戒解雇をする際のチェックポイント」 弁護士 鈴木 郁子 1 はじめに ~懲戒解雇は難しい~ (1) 懲戒解雇と普通解雇 本連載の【第1回】で述べたとおり、解雇には、「普通解雇」と「懲戒解雇」の2種がある。両者は非違行為、企業秩序違反行為を対象とする点において重なるが、その性質は異なったものである。 【第4回】から【第8回】にかけて解説してきた普通解雇は、労務提供義務の不履行(不完全不履行)に基づく雇用契約の中途解約である。一方、懲戒解雇は、企業秩序違反に対する懲罰の一種である。また、普通解雇に比べて懲戒解雇の方が、求められる違法性の程度は高く、手続も厳格である。 一般に懲戒解雇と普通解雇の差は、解雇予告(解雇予告手当)の要否、退職金の不支給や減額の可否にあると思われており、この点、必ずしも間違いではないが、論理必然ではない。 すなわち、「労働者の責に基づく場合」は、除外認定を経た上で解雇予告(解雇予告手当の支払)が不要となるが(【第4回】参照)、懲戒解雇が有効・適法な場合は必ず除外認定が得られる関係にあるわけではない。 また、退職金の不支給や一部減額は、後述するように、退職金規程にそのような規定があることの効力によるものであるし、かかる規定があるからといって、規定どおりの不支給・減額が認められるわけでもない。 懲戒解雇と普通解雇の違いは、あくまでも性質上の違いにある。 (2) 懲戒解雇を行うには 懲戒解雇を行うには、①懲戒解雇が法的に可能な事案か否かを検討し、懲戒解雇できる事案であれば、②法に従った懲戒解雇手続を行うことになる。 以下、順に述べた上で、③懲戒解雇に特有の争点についても解説する。 2 懲戒解雇が法的に可能か否かの検討 (1) 就業規則上の懲戒解雇事由に該当すること 懲戒解雇をするためには、まず、就業規則上の懲戒解雇事由に該当する行為がなければならない。普通解雇の場合は、就業規則に普通解雇の定めがなくとも、その性質上解雇は可能であるが(【第4回】参照)、懲戒解雇の場合は、就業規則上の定めが必ず必要となる。 そして、就業規則上の懲戒事由の定めは、就業規則に定められているだけではなく、これが従業員に「周知」されていなければならない。 したがって、実務上の留意点としては、まず、①就業規則に懲戒解雇の定めがあるか否か、②これが周知されているかを確認する必要がある。 また、懲戒解雇が制限されないように、就業規則上、懲戒解雇事由が限定列挙となっておらず、③「その他これに準ずる事項」の包括的な条項があるか、確認した方がよい。 (2) 実質的該当性があること 形式的に懲戒解雇事由に該当するだけでは、懲戒解雇をすることはできない。これは労働契約法第15条において「使用者が労働者を懲戒することができる場合において、当該懲戒が、当該懲戒に係る労働者の行為の性質及び態様その他の事情に照らして、客観的に合理的な理由を欠き、社会通念上相当であると認められない場合は、その権利を濫用したものとして、当該懲戒は、無効とする。」と定められているからである。 実質的に該当するといえるかどうかは、以下のような点を総合考量する。 繰り返しになるが、懲戒解雇に求められる違法性の程度は非常に高いため、不正の程度が極めて高い横領、重大な機密情報の漏洩などの行為がない限り、一発での懲戒解雇(その行為だけでの懲戒解雇)は通常認められないとの認識が必要である。 また、従業員としても今後の転職等を考えた場合、懲戒解雇がなされると、転職活動において申告が求められる「賞罰」に影響してきたり、後述するように退職金に影響が出てくることがあるので、争われるリスクが高くなる。 したがって、判断に迷う場合には、退職勧奨を行い合意退職を成立させるか、普通解雇、あるいは出勤停止等の他の懲戒処分を検討すべきである。 (3) 解雇制限に違反しないこと また、懲戒解雇の場合も普通解雇と同様、解雇制限の規制が及ぶので、これに抵触しないか注意されたい(詳細は【第4回】参照)。 3 懲戒解雇の手続 (1) はじめに 懲戒解雇の手続については、普通解雇の場合と同様、①解雇通知の送付、②解雇理由書の交付、③解雇について協議事項がある場合の労働組合との協議を行うこととなる(詳細は【第4回】参照)。 以下、懲戒解雇において問題となりやすい特有の手続について解説する。 (2) 自宅待機処分について 懲戒解雇を検討するにあたって、対象者を自宅待機させ、その間に証拠保全を行い社内調査を行うことが必要となる場合があるが、会社が対象者に自宅待機処分を命じることはできるのだろうか。 この点一般的には、就業規則などに根拠条文がなくとも、自宅待機命令を命じることはできるが、必要性がないのに不当に長い自宅待機命令を出すことは違法とされている(2年で違法とされた裁判例がある)。 また、その間の賃金の不支給が許されるか問題となるも、この点は、就業規則などに、「自宅待機処分は無給とする」旨の根拠条項がないと許されないとされている。なお、根拠条項があったとしても、不支給は従業員に対し不利益を与えるため、違法性の程度が重く必要性が高い事案に限り、また、期間もせいぜい3週間以内程度に留め、その期間内に調査が終わらない場合には、以降は給与を支給すべきである。 (3) 弁明の機会について 懲戒処分を行うにあたり、就業規則や社内規程で、懲戒委員会を開催したり、本人に対する弁明の機会が付与されている場合には、これを必ず行う必要がある。 なお仮に、弁明の機会を付与する規定がない場合であっても、実務的には、懲戒処分を行う前に弁明の機会は与えておいた方がよい。 まず弁明の機会の付与により、会社の勘違いが判明することもあり、正しい処分、無駄な争いの防止につながる。また、争われるリスクが高い事案については、弁明の機会を与えることによって訴訟となった場合の反論内容を予め確認することができるし、弁明の機会の付与は初期供述の証拠化の良い機会ともなるからである(初期供述・初期の弁明は無防備なものであり、事実と整合することが多く、信用性が高いとされる)。 (4) 即時解雇について 懲戒解雇の場合は、性質上、30日前の解雇予告(30日分の解雇予告手当の支払)を行わずに、即時解雇が可能となる場合が多い(解雇予告の詳細は【第4回】を参照されたい)。 しかしながら、前述のとおり、即時解雇において必要とされる「労働者の責に基づく場合」は、予告制度による保護を否定されてもやむを得ないと認められるほど重大・悪質な場合をいい、懲戒解雇が可能な場合とは必ずしも同一ではないし、厳格に認定される。また、資料の提出、労基署の会社・本人に対する聴取など、除外認定の手続に伴う負担も大きい。 したがって、とりわけ争われるリスクが高いケースにおいて、即時解雇もしくは解雇予告手当なしの懲戒解雇を行うにあたっては、慎重な判断が必要である。 (5) 懲戒解雇事由の追加、普通解雇への転換、普通解雇の予備的主張の可否について 懲戒解雇通知や解雇理由書を作成するにあたっては、【第4回】で解説した事項のほか、以下の点に留意されたい。 まず、懲戒解雇事由に漏れがないか、他に懲戒解雇事由と言えそうなものがないか、十分にチェックする必要がある。懲戒解雇は普通解雇と異なり、解雇時点において、使用者が認識しているか否かを問わず、事後的に懲戒解雇事由を追加することはできないからである。 また、懲戒解雇の意思表示に加えて、普通解雇の意思表示もしないでよいのか、あわせて検討した方がよい。 前述のように、懲戒解雇の方が普通解雇より困難であるため、懲戒解雇としてなら無効であるが、普通解雇なら有効であるケースは多々ある。しかしながら、懲戒解雇としての意思表示をしておいて、事後的にこれは普通解雇の意思表示も兼ねていたとして、普通解雇として有効であるとの主張をすることはできない。 したがって、懲戒解雇が無効となる場合に備えて、そのような場合には「万が一懲戒解雇が無効となる場合であっても、本通知をもって予備的に普通解雇するものとします。」等記載して、普通解雇の予備的主張を行っておいた方がよい。 4 懲戒解雇において問題となりやすいその他の争点について (1) 退職金の不支給・減額について 前述のとおり、懲戒解雇が認められるからといって、直ちに、退職金の不支給・減額が有効となるものではない。退職金の不支給・減額を行うには、まず、就業規則、退職金規程、懲戒規程等に、「懲戒解雇となった場合には、退職金を不支給もしくは一部減額とする」等の規定が必要である。 もっとも、退職金の不支給・減額は、根拠条項があるからといって、直ちに認められるわけではない。退職金は、功労報償的性格(不支給・減額に結びつきやすい)のほか、賃金の後払的性格(不支給・減額に結びつきにくい)を持つため、会社の退職金の性質がどのようなものかを規程の内容等から検討しておいた方がよい。 また、近時の裁判例には、退職金を没収するには、懲戒解雇が有効なだけではなく、「長年の勤続の功を抹消してしまうほどの重大な不信行為」(功労抹消行為)を必要としているものがあり、退職金の不支給・減額には慎重である。 したがって、実務的には、根拠条項があったとしても、退職金を不支給としてよいのか、減額に留めるにしても減額幅は適当かについて、会社の退職金の性質、勤続年数、懲戒解雇事由の重さの程度、会社が受けた損害の程度等を考慮し慎重に判断すべきである。 (2) 従業員に対する損害賠償について 懲戒解雇の場合、横領等、懲戒解雇事由によっては、会社に金銭的な損害が発生していることもあり、従業員に対し懲戒処分を行うほか、損害賠償請求できないか問題となる。 そもそも、会社の従業員に対する損害賠償請求は、会社と従業員の経済力の差や報償責任の観点(従業員の労務提供により利益を得る会社はそこから生じるリスクも負担すべき)から、通常の場合より制限され、故意・重過失がないと認められないとされる(軽過失は免責される)。 また、従業員に責任が認められる場合でも、損害の公平な分担の見地から、その金額は、会社の事業の性格、規模、施設の状況、従業員の業務の内容、労働条件、勤務態度、加害行為の態様、加害行為の予防若しくは損失の分散についての会社の配慮の程度等に照らして、減額される。 なお、労働基準法における賃金の全額支払の原則から、その賠償額を給与や退職金から一方的に控除することはできない。したがって、従業員から被害金額の弁償等の申し入れがある場合には、相殺合意の合意書を取り交わすべきである。 (了)
税理士が知っておきたい [認知症]と相続問題 【第3回】 「『判断能力』・『意思能力』とは?」 -その具体的な意味内容- クレド法律事務所 駒澤大学法科大学院非常勤講師 弁護士 栗田 祐太郎 【第2回】では、認知症の進行により記憶や判断能力等に深刻な問題が生じることを説明した。 ここでも示されているように、「認知症により判断能力を失っている」というような言い方がよくなされるが、ではこの「判断能力」とは、法律学的にはどのように位置づけられ、具体的にはどの程度の能力を意味する概念なのであろうか。 今回はこの点につき説明したい。 1 いわゆる「判断能力」という言葉の意味するもの 「判断能力」という用語そのものは、一般的に広く用いられているものであるにもかかわらず、実は主だった法令には登場しない用語である。 代わりに、民法の教科書を読むと、「意思能力」という概念が登場する。 これもまた民法の条文上は直接には登場しない概念なのであるが、いわゆる「判断能力」とは、この「意思能力」の概念とおおむね重なりあうものとして理解されている。 その具体的な意味内容は、次のとおりである。 上記にもあるように、「ある程度」ということであるから、法律上の意味を理解していることを要すると言っても、法学部生が教科書で習うような正確な法律知識までを理解し、認識している必要はない(そのレベルまで要求したとしたら、世の中の法律行為の大半が無効となってしまうであろう)。 たとえば、自宅の売買契約を締結しようとしている売主の立場であれば、「ここにサインをしたら、自宅はもう他人の物になってしまうのだな」という程度の理解(小学生レベルの理解)ができるのであれば、意思能力はあると扱われるのである。 2 意思能力の有無の判断基準 以上の説明を聞くと、意思能力というのは、特定の時点において、その人において「ある」か「ない」かの2択であると理解するかもしれない。 しかし、それは誤りである。 意思能力は、問題となる行為や契約毎に、個別にその有無が判断されるのである。 つまり、たとえば同日のうちに締結した複数の契約が、ある契約においては意思能力があると判断され、別の契約においては意思無能力であると判断される可能性が十分あり得るということになる。 このように、意思能力は個別具体的な性格を有するので、その判断にあたっては、以下の要素を総合的に検討し、個別に判断していく必要がある。 【意思能力の判断にあたっての考慮要素】 判断能力、つまりは意思能力の有無が裁判で争われる場合には、双方の当事者は、以上の各要素に関連する自己に有利な事実関係を主張していくことになる。 それを踏まえ、最後は裁判官が結論を下すことになる。 このような個別具体的な場面における総合判断の側面が強いからこそ、当事者にとっても見通しが立ちにくく、厄介な問題なのである。 3 「判断能力」を欠く場合の結果の重大性-事例の紹介 では、裁判所が以上のような要素も考慮した上で、「判断能力」を欠いた状態、すなわち意思能力を欠いた状態で問題となる契約が締結されたと認定した場合、契約の効力はどうなるか。 これについても条文には直接の定めはないが、そのような契約は「無効」であると一般に理解されている。 具体的には、 という意味に理解されている(伝統的な理解による)。 (※)(2017/3/15追記) ただし、最近は、意思表示をした本人からしか無効を主張できないとする見解が主流である。 したがって、判断能力を欠いていたとして無効とされることによりもたらされる効果は、下記のケースを見てもわかるとおり、非常に強力である。 他にも、近時の参考になる裁判例として、有名百貨店の婦人服店舗において約4年間に実に約280点もの婦人服等を購入した女性につき、そのうちの一部の時期における購入についてはアルツハイマー型認知症に罹患したことによる意思無能力状態での購入であったとして無効主張を認め、百貨店側に代金の返金を命じた事案もある(東京地裁平成25年4月26日判決。この裁判例については、他の参考裁判例とともに国民生活センターのウェブサイトにおいて紹介されている)。 このようにして、判断能力を欠くとして意思無能力と認められた場合には、契約関係は無効とされ覆滅されることで劇的な効果が生じる。 つまり、それだけ認知症患者本人を救済するための非常に強力な手段となりうるのである。 ただし、急いで付け加えなければならない。それは、その立証の困難さである。 前述のように、意思能力の有無は様々な要素を考慮して個別具体的に判断されることから、画一的な基準がなく見通しが立ちにくい。 また、問題が「当の本人の頭の中の話」という側面があるため、客観的証拠が乏しいことも多い。仮に認知症の診断書を得ていたとしても、では問題となるその契約の当時に判断能力がなかったのかとなると、そう簡単には判断できないのである。 特に、高齢者本人が死亡後に不相当な契約が発覚し、遺族が契約の無効を主張するケース等では、契約書をはじめとした当時の客観的な資料が残っていないと、事実関係を正確に把握することすらできない。それがネックとなり、裁判等での被害回復が事実上困難となるケースも非常に多い。 判断能力を欠いていたことを証明するためにどのようなものが証拠になるのかについては、改めて別の回にて説明したい。 4 判断能力に乏しい者を保護するための法制度 以上に述べたような意思無能力の他にも、契約当時に十分な判断能力を有していなかった高齢者を救済するための法制度はいくつもある。 本稿を締めくくるにあたり、概観してみよう。 【認知症患者救済のために用いられる代表的な法制度】 (了)
《速報解説》 経産省、H29.3.31適用期限終了の中小企業向け各特例措置について 延長・拡充を要望 ~設備投資減税は器具備品・建物附属設備の一部を適用対象に Profession Journal編集部 前月末で締め切られた各省庁による「平成29年度税制改正要望」において、経済産業省は平成28年度末(H29.3.31)で適用期限が終了する税額控除・特別償却等の租税特別措置について、次のような延長・拡充を要望している。 すでに実務へ定着している特例も含まれていることから、今回の要望事項を含め、今後の動向には注視しておきたい。 〇中小企業投資促進税制、器具備品・建物附属設備の適用を要望 まず、平成29年3月31日で適用期間が終了する中小企業投資促進税制(上乗せ措置を含む)について、2年間(平成30年度末)の延長と、対象設備の追加が要望事項として示されている。 具体的には、現行では機械装置・ソフトウェア等が対象とされている本制度について、高効率の冷蔵陳列棚、省エネ空調等の器具備品・建物附属設備を追加するというもの。 中小企業の設備別投資割合によると、卸小売業やサービス業では現行税制の対象となっている機械装置以外(建物附属設備や器具備品)の設備投資が大きいことから、その必要を求めている。 経済産業省資料では、想定している器具備品・建物附属設備の例として、次のものが紹介されている。 例示のうち「ロボットスーツ」という聞きなれないものが含まれているが、これについては介護支援ロボットスーツ(介護業務の生産性向上と介護職員の負担軽減となるもの)が写真付きで示されている。 なお、平成28年度改正で創設された中小企業等経営強化法に係る固定資産税の特例措置(一定の経営力向上設備等を取得等した場合の固定資産税の3年間半減措置)についても、現行では対象設備が機械装置に限られているが、上記と同様の設備を追加するよう要望がなされている(ソフトウェアは対象外)。 【参考図】 (※) 経済産業省ホームページより 〇研究開発税制は「サービス開発」が試験研究の定義に 研究開発税制については、昨年度改正で本体(恒久措置)として総額型とは別枠でオープンイノベーション型が創設されたところだが、平成29年3月31日で上乗せ措置(増加型・高水準型)が適用期限を迎えることを踏まえ、下記4点が経済産業省・厚生労働省の共同要望とされている。 ①の「サービス開発」については、サービス産業の生産性を飛躍的に向上させることを目的に、第4次産業革命を強力に推進するため、AIやビッグデータ等を活用した高付加価値なサービス開発を支援するとしている。ちなみに「第4次産業革命」とは、IoT、ビッグデータ、ロボット、人工知能(AI)等による技術革新のこと。つまりこれらの技術を活用したサービス開発が想定されている。 なお、経済産業省資料ではサービス開発の例として飲食サービス、農業支援サービスにおける上記技術活用事例が紹介されている。 〇商業・サービス業・農林水産業活性化税制、中小企業の法人税率特例措置は延長要望 上記のほか、平成29年3月31日で適用期限を迎える商業・サービス業・農林水産業活性化税制(商業・サービス業・農林水産業を営む中小企業等が一定の経営改善設備を取得した場合の特別償却・税額控除)については、消費税率10%引上げの2年半延期を考慮して平成31年度末までの3年延長を、中小企業者等の法人税率の特例(中小法人(資本金1億円以下)の年800万円以下の所得金額について15%(本則19%))は平成30年度末までの2年延長をそれぞれ要望している。 〇所得拡大促進税制は中堅・中小企業の税額控除倍増を求める 所得拡大促進税制については平成26年度改正で適用期限が平成30年3月31日まで延長されているが、今回の要望において、中堅・中小企業の税額控除を雇用者給与等支給増加額の 20%(中堅企業は法人税額の 20%、中小企業は 40%が上限)とする要望が示された。さらに中堅・中小企業に対しては、賃上げのネックになっているとして、雇用者給与等の算定基礎に社会保険料(法定福利費)を含めることを求めている。 なお経済産業省資料によると、「中小企業」は資本金1億円未満、「中堅企業」は資本金1億円~10億円未満、「大企業」は資本金10億円超と定義されている。 (了)
2016年9月8日(木)AM10:30、 プロフェッションジャーナル No.184を公開! プロフェッションジャーナルのリーフレットは 全国のTAC校舎で配布しています! -「イケプロが実践するPJの活用術」「第一線で活躍するプロフェッションからPJに寄せられた声」を掲載!- - ご 案 内 - プロフェッションジャーナルの解説記事は毎週木曜日(AM10:30)に公開し、《速報解説》は随時公開します。
酒井克彦の 〈深読み◆租税法〉 【第45回】 「混沌とした租税回避論の再整理(その3)」 中央大学商学部教授・法学博士 酒井 克彦 3 課税要件の観点からの区別 (1) 租税回避の試みと租税回避 まず、租税回避の試みと、結果としての租税回避について考えてみよう。 これは「課税根拠要件の充足をしているか、していないか」という立場での議論である。 【図3】 租税回避の試みと租税回避 【図3】は、いわゆる我が国における従来からの租税回避論であり、課税要件の充足を免れるものが租税回避であると整理されてきたところである。 租税回避、すなわち租税回避の試みが成功したのであれば、課税根拠要件を充足していないため課税はなされない。 他方で、租税回避の試みが失敗し、課税根拠要件を充足することになれば、当然課税対象となるとの理解である。 したがって、租税回避の試みを行う納税者側としては、「課税根拠要件の充足はしていない」という主張をすることで租税負担の減少を図ろうとするであろう。すなわち、本件は「租税回避」であるという主張をすることになる。 これに対して、課税庁側は、本件は課税根拠要件が充足されている(課税根拠要件の充足を免れていない)ため「租税回避」ではない、したがって課税対象であるという主張を展開することになろう。 (2) 節税の試みと節税 次いで、節税の試みと、結果としての節税について考えてみよう。 これは「課税減免要件の充足をしているか、していないか」という立場での議論である。 【図4】 節税の試みと節税 【図4】は、上記りそな銀行事件(【第43回】参照)において議論されたような課税減免要件の充足が争われる事例がその典型であろう。 節税、すなわち節税の試みが成功したのであれば、法の規定に則り課税はなされない。 他方で、節税の試みが失敗し、課税減免要件を充足しないことになれば、課税対象となるとの理解である。 したがって、節税の試みを行う納税者側としては、「課税減免要件の充足をしている」という主張をすることで租税負担の減少を図ろうとするであろう。すなわち、本件は法の規定に則った「節税」であるという主張をすることになる。 これに対して、課税庁側は、本件は課税減免要件が充足されていないため「節税」ではない、したがって課税対象であるという主張を展開することになろう。 このように考えると、「租税回避の試み」と「租税回避」、「節税の試み」と「節税」は明確に区別して議論すべきであり、また、租税回避、節税、脱税という枠組みにおいてはその空白域が広すぎることは既述のとおりである(【第44回】参照)。 4 行為形態の観点からの区別 (1) 濫用という切り口 上記の課税根拠要件の充足の有無、あるいは課税減免要件の充足の有無で捉える課税要件からの視角とは別に、その行為形態に着目をした捉え方があり得る。 従来の租税回避の定義では、「私法上の選択可能性を利用」して租税負担の軽減を図る行為を租税回避と理解してきた。 これをやや強調して説明するとすれば、租税回避とは、いわゆる私法制度の濫用的行為による租税負担の軽減であるといってもよいであろう。 私法制度の濫用とは、要するにいかなる契約形態を採用するかについての濫用的行為のことを指す。例えば、先に確認した岩瀬事件(【第43回】参照)においては、交換契約か売買契約かという私法上の選択可能性を濫用したと整理することもできなくはない。 この点、いわゆる清水惣事件大阪地裁昭和47年12月13日判決(訟月19巻5号40頁)は次のように判示する。 もっとも、同判決は、私法形式の濫用が企図されたものでないとしても、経済的合理性を全く無視したものであると認められる場合には否認が許されるとの立場であるから、必ずしも私法制度の濫用だけを前提とした議論ではないとの評価もあり得るが、興味深い判示ではなかろうか。 【図5】 私法制度の濫用(岩瀬事件の場合) (※) 租税法を適用するためには、まず事実認定が必要であり、次に、認定された事実に法を適用することになる。すなわち、事実認定は私法に基づいて行われ(私法準拠)、そこに租税法を適用する。上の図にあるように、左側の私法領域が事実認定の話であり、右側の租税法領域が法の適用の話である(次の【図6】においても同じ)。 これに対して、前述のりそな銀行事件は私法制度の濫用ではなく、課税減免規定たる租税法制度の濫用に属するものと思われる。 すなわち、本来、法が予定していたであろう目的とは異なる形で租税法の適用を行ったケースと考えることもできる。 【図6】 租税法制度の濫用(りそな銀行事件の場合) このように、濫用という切り口から見たとき、課税根拠要件の充足の回避を行う租税回避と、課税減免要件の充足を行う節税は、前者は私法制度の濫用的行為、後者は租税法制度の濫用的行為と親和性を有するものとして整理することも可能ではなかろうか。 【図7】 濫用という切り口からみた租税回避と節税 (2) 議論の新たな展開と問題点 今日では、このように議論の対象を従来の「租税回避」に限定せず、「租税法制度の濫用的な節税」をも取り込む方向へとシフトしているものと考えられる。 例えば、今村隆教授は、租税回避という用語のもつ語義感、すなわち「回避」との用語に引きずられて、課税減免要件の充足の問題が欠落してきたこれまでの議論を強く批判される(今村隆『租税回避と濫用法理―租税回避の基礎的研究―』19頁(大蔵財務協会2015))。 そして、租税回避の場合には、私法制度の濫用ばかりが強調されてきたとして、これまでの学説に対する疑問を呈示されている(同書48頁)。 ただし、租税法制度の濫用があった場合にこれを否認できるとする実定法上の根拠規定は、現在の法人税法等わが国の租税法には存在しないという点に留意しておかなければならないであろう。 課税減免規定の濫用であれば、すなわち否認できるとの直接の法的根拠は乏しいといわざるを得ない。 たしかに、前述のりそな銀行事件において最高裁は、本件行為は「外国税額控除制度を濫用するものであり」許されないと説示している。 しかし、同最高裁が、本当に租税法制度の濫用であるがゆえに否認を判断したのかという点については学説上も争いがあり、あくまでも法人税法69条1項の制度趣旨に基づく目的論的解釈(縮小解釈ないし限定解釈)を行ったとみる見解もあることを指摘しておきたい。 結びに代えて 「租税回避」という用語は条文上の文言ではなく、その定義は必ずしも明確であるとはいえない。 今回は従来からの学説上の通説的理解として、金子宏教授や清永敬次教授の定義を紹介したが、論者によって種々の定義付けがなされているところである。 そうであるとすれば、積極的に租税回避を定義付けること自体に疑問を覚えなくもない。 では、これまでの租税回避の定義を巡る議論には意味がなかったのかというと、そのようなことは決してない。 租税回避がいかなる意味を持つのかという点を踏まえて、その定義に拘泥することなく、議論をより建設的なものに組み替えるべきではなかろうか。 例えば、解釈上課税されないとされる租税回避を、課税の対象とするための法を用意する必要性の判断として、あるいは、裁判所が租税回避事案の契約解釈をする際に参考にする道具と捉えるならば、それは有益な議論になるであろう。 不当な「租税回避」や不当な「節税」を課税対象に取り込むなど、いわば、法の潜脱ともいい得る租税回避の試みや、本来の法の目的とは異なる過度な節税の試みにどのように対応すべきかを検討するに当たり、混沌とした今日の租税回避論を改めて整理し直すことは非常に意味のあることではなかろうか。 (了)
さっと読める! 実務必須の [重要税務判例] 【第16回】 「更正処分取消訴訟係属中の相続事件」 ~最判平成22年10月15日(民集64巻7号1764頁)~ 弁護士 菊田 雅裕 (了)