小説 『法人課税第三部門にて。』
─新税務調査制度を予測する─
【第1話】 「事前通知」
公認会計士・税理士 八ッ尾 順一
ここは河内税務署。
「おーい、山口君」
渕崎統括官が山口調査官を呼ぶ。
法人課税第三部門は、この2人以外は全員税務調査に出ているため、誰もいない。
「・・・来週から調査に行く準備はできているのか?」
山口調査官は、先ほどから20分間余り、机の引き出しの中を一生懸命に探っている。
渕崎統括官の声で、手を止めて、顔を上げる。
「まだ・・・調査を選定してた相手先には、連絡していないのですが・・・」
山口調査官は、小さな声で返事をする。
渕崎統括官の顔が歪む。
「まだ?・・・一体、どういうことなんだ!」
小柄な渕崎統括官の高い声が、誰もいない部屋に響く。
「今日はもう木曜日だろう! 相手先に連絡して、来週の月曜日から税務調査をさせてくれと言っても、相手先が困るじゃないか。事前通知は余裕を持たなければ」
渕崎統括官は、山口調査官を睨みながら言う。
「・・・早く、調査予定の会社に連絡しろよ」
渕崎統括官は、黙って俯いている山口調査官を見ながら、少し、怒りすぎた自分を反省する。
「ところで君は、新しい税務調査の手続は知っているだろうな」
渕崎統括官は、山口調査官を見て、不安に思った。
「ええ、改正の国税通則法の研修は受けましたから、ある程度は知っていますが」
山口調査官は、自信のある声で応える。
「そうか。「事前通知」については、先行的な取組で、すでに10月から改正国税通則法に従って、実施しなければならないから」
渕崎統括官は、語気を強める。
「そうそう、事前通知をするのは、納税義務者と税務代理人だからな。分かっていると思うけれど・・・」
「税務代理人って、税理士のことですよね」
山口調査官が確認する。
「当たり前だ!」
渕崎統括官の声が高くなる。
「・・・しかし、税務代理人って、「税務代理権限証書」を税務署に提出した税理士等のことなんですよね」
いつの間にか、山口調査官は、改正された国税通則法の資料を持っている。
「確かに、そうだ」
渕崎統括官は小さく頷く。
「・・・ということは、この「税務代理権限証書」を提出していない税理士に対しては、事前通知をしなくてもよいのですね?」
今度は、山口調査官の声のトーンが若干高くなる。
渕崎統括官は、手元にある『税務六法』を見る。
「確かに、君の言うとおりだ。・・・しかし、今までは、申告書の「税理士署名押印」欄に記載があれば、それで連絡していたのだが・・・」
「ただしそれは、単に“申告書を作成した”というだけの意味しかない・・・つまり、通則法にいう税務代理人ではない・・・ですよね?」
山口調査官は意地悪そうに言葉を発する。
「そうだが・・・申告書の署名から税理士の関与が把握できるから、とりあえず納税者にその旨を確認して、了解を得てから、関与税理士に対して「税務代理権限書」を提出するように求めたらどうかね。今までの慣行を重んじて」
渕崎統括官は、子供を諭すように言う。
「それに・・・国税庁の公表している「税務調査手続に関するFAQ(一般納税者向け)」にも、次のように書かれている」
渕崎統括官は、プリントしたFAQを山口調査官に見せた。
今般の改正は、税務調査手続の透明性及び納税者の予見可能性を高め、調査に当たって納税者の方の協力を促すことで、より円滑かつ効果的な調査の実施と、申告納税制度の一層の充実・発展に資する等の観点から、調査手続に関する従来の運用上の取扱いを法令上明確化するものであり、基本的には、税務調査が従来と比べて大きく変化することはありません。
「・・・そうですね。それでは、まず納税者に連絡して、関与税理士が税務代理人であることを確認してから、税理士に連絡します。・・・確か、僕の税務調査を予定している会社の税理士は、なぜか「税務代理権限書」を提出していないケースが多いんです」
山口調査官は、机の上に積まれている法人税の申告書を見ながら、言う。
壁に掛けられている時計の針は、午後の3時を示している。
「・・・とりあえず、早く、納税者に税務調査に行くことを通知しなさい」
まだ、FAQを読んでいる山口調査官に、渕崎統括官は催促する。
「ええ・・・でも、その前に見つけないと・・・」
山口調査官は呟きながら、再び引き出しの中をまさぐり始めた。
「さっきから何を捜しているんだ?」
渕崎統括官は、怪訝そうに尋ねる。
「・・・ええ、私の・・・身分証明書と…質問検査章が見当たらないので・・・」
山口調査官は、頭を掻きながら、ボソボソと応える。
「何!?・・・そんな大事なものを・・・失ったら大変なことになるぞ・・・」
山口調査官は、渕崎統括官の言葉で一瞬、青ざめる。
「それがなければ、税務調査なんかできない!・・・始末書を書いてもらわなければ」
渕崎統括官が怒鳴った瞬間に、「統括官、ありました!」と山口調査官は大きく叫んだ。
「・・・・・・」
山口調査官のホッとした表情を見て、渕崎統括官は苦笑いをした。
(つづく)
この物語はフィクションであり、登場する人物や団体等は、実在のものとは一切関係ありません。








 
                                                         
                                                         
                                                         
                                                         
                                                         
                                                         
                                                         
                                                         
                                                         
                                                         
                                                         
                                                         
                                                         
                                                         
                                                         
                                                         
                                                         
                                                         
                                                        