社長のためのメンタルヘルス 【第9回】 「アルコール依存の問題」 特定社会保険労務士 第一種衛生管理者 産業カウンセラー 寺本 匡俊 1 今回の趣旨 前回の睡眠障害に引き続き、今回も業務及び私生活の両者が関連し得るメンタル不調の代表例として、「依存症」について取り上げる。特に、違法薬物のような働く人との関連性が薄いものと比べ、多くの社会人にとってリスクのある「アルコール依存」を中心とする。 論点は2つで、中心は①アルコール依存とメンタル不調の関係について、また、②コロナ禍における依存症の恐れについて触れる。後者はパンデミックが現在進行中であるため、執筆時点(2021年12月)での中間報告的なものとなることにご留意いただきたい。 2 アルコール依存とメンタル不調の関係について アルコール依存症は、精神疾患の病名(医学の学術用語)である。かつて庶民の間では、大酒に溺れるものは「アル中」と呼ばれ、だらしない、意思が弱いといった人格の問題として扱われがちだった。だが病名があるということは、医学の力で治療可能ということであり、予防もできる。 ちなみに、今でも急性アルコール中毒という言葉が使われているように、「百薬の長」である酒も一度に過度に飲むと、毒に中(あ)たることになり、命に係わることがある。本稿ではメンタルヘルスとの関わりを重視する観点から、「急性」には言及せず、「慢性」の依存について論考する。 医学には「病識」という専門用語がある。自分が病気であるという認識があるか否か、すなわち時間もお金もかかるが、医療の支援を受ける・受け続ける気になるか否かという点において重要である。一般に精神疾患は、このような意識を持つべき脳それ自体が不調であるため、病識を得にくいと言われている。特にアルコール依存症やうつ病のように、人によってはプライバシーに関わると考えられがちな疾病においては、「私はアル中じゃない」、「ただの疲れだ」というような主張を続けているうちに、病態が悪化する恐れがある。 このためには、本連載で扱ってきた「職業性ストレス簡易調査票」や「労災認定基準」が、うつ状態の予防に有効であるのと同様、アルコール依存症がどのような病状を示し、どれほど恐ろしい病であるかを弁えておくこと、また併せて、周囲の家族や同僚による観察(他覚)や対処も重要である。 アルコール依存症は、世界保健機構(WHO)の診断基準「ICD-10」にも、「F10 アルコール使用における精神および行動の障害」という項目で掲載されているが、ここでは一般向けに、まず厚生労働省ホームページの「依存症についてもっと知りたい方へ」をご案内する。アルコールのみならず薬物やギャンブルなども含め、依存症とは何かという基本的な内容について解説されている。 文中の要点をおさえておくと、依存症とは「やめたくても、やめられない、ほどほどにできない状態」であり、診断に際しては「特に大切なのは本人や家族が苦痛を感じていないか、生活に困りごとが生じてないか」という点、つまり飲酒が気分転換や交友の域を超えて、実生活に問題が生じている。具体的には、「依存症に共通することは、家族とのケンカが増える、生活リズムがくずれる、体調をくずす、お金を使いすぎるなど何かしらの問題が起きている」とされている。 これに加えて、アルコール依存症は、他の精神疾患を併発しやすい恐れがある。厚生労働省特設サイト「e-ヘルスネット」の該当ページ(アルコールと依存)も引用する。うつ病・自殺との強い関連性がデータで示されており説得力がある。 この文中にある「離脱症状」とは、一般に禁断症状といわれているもので、依存対象の効果が薄れてきたときに不安定な精神状態となり、時には依存の状態に戻そうとする行動に出るなど、煙草や酒を手放せない人に起こり得る。典型は「迎酒」で、昼間から酒を飲まずにいられない人は、即座に医療へのアクセス(専門医に相談すること)をお願い申し上げる。 また依存症のよく知られている特徴は、だんだんと効き目が弱くなり、摂取量が増えてくる。お金が減り、体調を崩し、二日酔いで仕事に穴をあけるというように、慢性の場合は徐々に進行する依存傾向のどこかで手を打つ必要がある。早期対処の二次予防である。 さらに、再燃・再発防止の三次予防も、極めて重要な領域である。離脱症状の辛さを乗り切れず、再び摂取した場合、今度は段階的どころか、即座に依存症に戻ると前掲「ICD-10」にも記載があり、禁酒・禁煙に失敗した経験のある方は、身に染みてご理解いただけるかと思う。しばしば聞くのは、やめる前より更に依存度が増したという経験談である。 3 健康日本21(第二次) 厚生労働省が公表している「健康日本21」は、行政文書上の正式名を「国民の健康の増進の総合的な推進を図るための基本的な方針」といい、平成14年に制定された。そして10年後の平成24年に改訂され、現在その改訂版(第二次)の終盤にある。基本方針は生活習慣病の予防にあり、スローガンは「健康寿命をのばそう」である。 その項目・対象は多岐にわたるが、ここでは「飲酒」の項目のみに着目する。第二次の「報告書」はPDFで158ページあり、そのうち「飲酒」は114ページから始まる。以下、次項で「コロナ禍」における現状・注意事項について触れる前に、そもそも「飲みすぎ」とはどれほどのことをいうのか、予防に必要な知識として、確かめておく。 報告書の文中、飲酒がもたらしかねない悪影響として、肝臓などの臓器障害や、アルコール依存症などの精神障害といった「健康問題」、さらに飲酒者本人のみならず、家族、親戚、同僚、知人など広範囲の他者に多大な迷惑、心配をかける「社会問題」を挙げている。後者の悲惨な例として、家庭内暴力や飲酒運転事故がある。 「健康日本21」は、目標の数値や期間を定めた学術的要素が大きい長期計画である。飲酒について、まず定義から入ると、「生活習慣病のリスクを高める飲酒量(純アルコール摂取量)について、男性で1日平均40グラム以上、女性20グラム以上と定義した」とあり、WHOのガイドラインに準拠した旨の記載がある。 女性は体格の差が大きく影響し、男性の半分の酒量で健康問題を起こすというのが通説となっている。最近の報道で、日本で女性の社長が急増しているというものがあり、それ自体は歓迎すべきことながら、経営者は強いストレスを受けることも多かろうし、接待や会食など断りにくい飲食の機会も多いはずだ。女性経営者には、くれぐれもご注意願いたい。 上記引用の「純アルコール摂取量」(男性40グラム、女性20グラム)は、具体的に各種酒類の量にあてはめると、いかほどになるか、報告書に表が掲載されている。 〈主な酒類の換算の目安〉 (出典) 厚生労働省ホームページ「健康日本21(第2次)の推進に関する参考資料」117ページ ビール中ビン1本で20グラム、率直に申し上げて、酒好きの人がここで止まるとは考えづらい。このため、「健康日本21」でも、「リスクを高める飲酒量」の表示だけでは済まさず、別途、より深刻な「多量飲酒者」という概念を設け、「1日平均60グラムを超える飲酒者」と定義した。 60グラムは上表の約3倍である。「1日平均」と断っているのは、毎日のように飲んでいることを前提としているはずだ。この量の飲酒が常態化している者が、健康問題・社会問題を起こす人たちに多く含まれると明言している。飲酒される方におかれては、健康管理と家内安全の目安として是非ご活用願いたい。 4 コロナ禍における現状と注意事項 最後に、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)のパンデミック下における、飲酒量の増加が報道等で懸念されているところ、関連のウェブ・サイトをご案内する。公的医療機関(独立行政法人)の「久里浜医療センター」は、横須賀にある総合病院であるが、特にアルコール依存症の分野で名高い。昭和38年に日本で初めてアルコール依存症専門病棟を設立し、平成元年にはWHOから日本で唯一のアルコール関連問題の施設として指定されている。 この久里浜医療センターに、NHKが取材した記事がインターネットに公表されている。報道機関の記事はリンク切れになることが少なくないため、印刷・保存することをお勧めする。見出しは、「コロナ禍で増加『アルコール依存』注意したいお酒の種類・予防のポイント」。 一般向けの分かりやすいサイトなので、社内でもご活用いただければと思う。ここでは最後に、特にコロナ禍に限らず、「飲酒量を減らすコツ」の5項目を引用する。記事文中に、コロナ流行拡大前と比べ電話相談が1.5倍に増え、特に女性からの相談が目立つとある。寒い季節を迎えていることもあり、依存対策に限らず、体調管理の一環としてご留意願いたい。 〈飲酒量を減らすコツ〉 (了)
税理士が知っておきたい 不動産鑑定評価の常識 【第25回】 「“実質賃料”と“支払賃料”の違い」 ~鑑定評価では“実質賃料”が基本~ 不動産鑑定士 黒沢 泰 1 はじめに 前回、前々回は収益還元法をテーマに解説しました。そこでは収益価格を求める基礎として、対象不動産に帰属する総収益を査定することから出発しました。ここで、あえて「総収益」ということばが使用されているのは、それなりの意味を含んでいます。 すなわち、総収益とは、借主から貸主に実際に支払われている賃料だけでなく、預かり敷金の運用益をはじめ実質的に貸主に帰属する経済的利益のすべて(=実質賃料)を指すからです。そして、鑑定評価において収益還元法を適用する際には、総収益が算定基礎とされます。それだけでなく、新規貸しの賃料を求める場合や契約が継続している状態での改定賃料(継続賃料)を求める場合も、実質賃料が先に決まり、これから敷金の運用益等を差し引いて支払賃料を求めるというステップを踏むこととなります。 このように、世間常識で捉える賃料と鑑定評価で基本とする(=鑑定評価の常識とされている)賃料との間には感覚的な隔たりがあるといっても過言ではないと思われます。そこで、今回は、実質賃料と支払賃料との相違について改めて考えてみます。 2 鑑定評価において実質賃料を先に求める理由 (1) 不動産鑑定評価基準の規定 不動産鑑定評価基準では、賃料を求める場合の一般的留意事項として次の規定を置いています(下線は筆者によります)。 一般的に賃料という場合、月々の支払賃料を指して用いられていることが多く、不動産取引においてもこれを基に賃貸物件の条件比較が行われている傾向にあります。しかし、賃貸借に際しては賃料の他に敷金(保証金)、権利金、礼金等の授受を伴うケースが多く、鑑定評価では敷金(保証金)、権利金、礼金等の運用益及び償却額をも含めたすべての経済的対価をもって賃料算定の基礎としていることは既に述べたとおりです。そのため、賃料の鑑定評価額として最初に導き出される金額は実質賃料ということになります。 ただし、一般の賃貸借の慣行を踏まえ、一時金の授受に関する条件が付されて支払賃料を求めることを依頼された場合には、実質賃料だけでなく支払賃料を求めることができることとされています。そのため、実際には、鑑定評価において実質賃料と併せて支払賃料を求めているケースが圧倒的に多いといえます。 (2) 実質賃料を先に求める理由 実質賃料を先に求める理由として、わが国では、宅地や建物の賃貸借に当たり、敷金(保証金)、権利金、礼金等の授受が行われているケースが多く、これらの金銭の授受の内容やその程度を考慮に入れなければ、使用収益にかかる経済的価値の適正な把握はできないことがあげられます。 上記慣行を考慮に入れた場合、借主にとって支払賃料は実質的負担の一部に過ぎず、その全部を捉えるためには実質賃料を把握する必要があるということになります。 さらに、実質賃料という概念が不動産鑑定評価基準に導入された背景には、次のような経緯があったことを知っておくことも、実質賃料の意義を考える上で参考になります。 (注) 鑑定セミナー「賃料鑑定評価基準ができるまで(上)」『不動産鑑定』(1966年8月号・住宅新報出版)15頁。当時の東京建物(株)阿部諄氏(不動産鑑定士)の発言内容を原文のまま掲載。 3 実質賃料と支払賃料 (1) 相互の関連 実質賃料と支払賃料は、次の点で相互に関連しています。 これらの関係を図示したものが下記となります。 (2) 実質賃料から支払賃料を求める方法 不動産鑑定評価基準では実質賃料を先に求めることとされているため、実質賃料から支払賃料をどのように求めればよいかが問題となります。これに関し、不動産鑑定評価基準では次の規定を置いています。 この考え方に基づき、実質賃料から支払賃料を求める計算例を下記に掲げます。 4 まとめ 実質賃料という概念や用語は、一般の人だけでなく税理士の皆様にとっても馴染みの薄いものと思われます。しかし、冒頭にも述べたように実質賃料を求めることは鑑定評価の常識とされており、これを念頭に置きながら鑑定評価書を読むことが、鑑定評価に対する違和感を解きほぐす重要な鍵となるといえます。 (了)
《速報解説》 国税庁より短期退職手当等を支給する場合の源泉徴収票等の記載例が示される ~勤続年数等を摘要欄に記載、重複勤続年数がある事例も~ Profession Journal編集部 令和3年度税制改正では役員等以外の者としての勤続年数が5年以下である者に対する退職手当等(短期退職手当等)について、退職金の額から退職所得控除額を控除した残額のうち300万円を超える部分について2分の1を乗じないこととされ、令和4年分以後の所得税(令和4年1月1日以後に支払うべき退職手当等)より適用されている。 この改正については既報のとおり、昨年10月に「短期退職手当等Q&A(令和3年10月)」が国税庁から公表されており、適用関係やパターンごとの源泉徴収税額の計算方法などが示されていた。 このたび適用開始に合わせ、国税庁は1月7日に「短期退職手当等及び特定役員退職手当等がある方の「退職所得の源泉徴収票・特別徴収票」について(令和4年1月)」(以下、本記載例)を公表、短期退職手当等を支給する場合の源泉徴収票・特別徴収票の記載方法について、事例をもとに周知を図っている。 本記載例はタイトルのとおり、短期退職手当等だけでなく、特定役員退職手当等を支給する場合の記載例も示している。後者については既に国税庁の「源泉徴収票等の法定調書の作成と提出の手引」において記載例が示されていたが、同一年に複数の会社から使用人としての退職金及び役員としての退職金の支給を受ける場合など、複雑な事例も紹介されている。 なお、いずれの事例も短期退職手当等の額や特定役員退職手当等の額、勤続年数、重複勤続年数などを様式の「摘要欄」に記入することとされている。本年からは退職手当等の支給にあたり、役員以外についても実務上、勤続年数(5年以下かどうか)の確認が必要となるため留意されたい。 (了) ↓お勧め連載記事↓
《速報解説》 昨年に続き、確定申告会場への入場には整理券が必須 ~LINEによるオンライン発行も可、現在の事前予約制度は今月以降、順次終了へ~ Profession Journal編集部 国税庁は、コロナ禍を受けて昨年より会場内の混雑緩和のため、確定申告会場への入場には、入場できる時間枠を区切った入場整理券を必要とする対応としていたが、本年も同様に入場整理券による申告相談体制とすることを、国税庁ホームページの「お知らせ」(令和4年1月4日付)にて周知している。 現在、入場整理券の入手方法は2通りとなっており、①各会場で当日配付する入場整理券を入手するか、②LINEを通じたオンライン事前発行で入手する必要がある。 ①に関し、当日の入場整理券の配付状況については、すでに名古屋局などホームページ上で公表しているところもあるが、今後、国税庁ホームページから確認できるようになるとのことだ。 また、②のLINEを通じたオンライン事前発行の詳しい方法については、下記のとおりとなっている。 (※) 名古屋国税局HP「確定申告会場等への入場には「入場整理券」が必要です」より一部抜粋。 なお、現在実施されている事前予約による申告相談は今月(令和4年1月)以降、税務署ごとに順次終了し、入場整理券による申告相談体制に移行するとしており、下記のとおりすでに移行が始まっている署もあるため留意されたい。 (了)
2022年1月13日(木)AM10:30、 プロフェッションジャーナル No.452を公開! - ご 案 内 - プロフェッションジャーナルの解説記事は毎週木曜日(AM10:30)に公開し、《速報解説》は随時公開します。
酒井克彦の 〈深読み◆租税法〉 【第103回】 「節税義務が争点とされた事例(その6)」 中央大学法科大学院教授・法学博士 酒井 克彦 Ⅰ 事案の概要 1 概観 本件は、土地の譲渡に伴う所得税について、税理士であるY(被告)の的確な助言があれば事業用資産の買換え特例を適用することにより土地譲渡に伴う所得税を一切負担しなくても済んだはずであるとして、X(原告)がYに対し、債務不履行による損害賠償としてXが納付した譲渡所得税、過少申告加算税及び延滞税の税額の合計相当額2,308万円余等の支払を求める事案である。 2 具体的事実 (1) 本件土地等の売買経緯 Xは、昭和61年6月3日、東京都M区においてかねてより訴外母甲や兄らと共有してきた土地(以下「本件土地」という。)を、同土地上に所在する建物(以下「本件建物」という。)と併せて、第三者に譲渡(以下「本件譲渡」という。)した。Xは、本件建物の一階部分について生計を一にする母甲とともに居住の用に供する一方、母甲は、本件建物の二階部分をアパートとして第三者に賃貸していた。その後、Xと母甲は、同年7月10日、本件土地及び本件建物に替わる居住用資産として、A県所在の宅地及び同地上建物(以下「本件A居宅」という。)を買い受けて、これを居住の用に供した。また、Xは、昭和62年7月、B県に所在するマンション(以下「本件Bマンション」という。)を買い受けた。 なお、Xは、昭和43年頃以降は専ら本件建物に母甲とともに居住していたが、住民登録上はその所有する東京都O区所在のマンションに居住していることになっていて、昭和61年4月に同マンションを売り渡し、これに伴う同年分の譲渡所得税の課税については、同マンションを居住用資産として租税特別措置法(当時)所定の居住用資産の譲渡所得の特別控除を受けており、本件土地及び本件建物の売買契約が締結された後の同年7月9日、本件建物の所在地へ転入したものとして転入の届出をしていたことが認められている。 (2) 確定申告等の経緯 Xは、昭和63年3月8日、所轄税務署長に対して、Xの依頼に基づいて税理士であるYが作成した確定申告書に基づいて昭和62年分の所得税の確定申告をしたが、そこではXについては本件土地全体を居住用資産とする前提に立ち、本件A居宅についてのみ租税特別措置法36条の2(昭和62年法律第96号による改正前のもの。本件における適用関係については以下*参照。)所定の居住用資産の買換え特例を適用して税額を算出し、これに基づいて分離課税の長期譲渡所得に係る譲渡所得税を納付した。 ところが、後日、Yの作成した上記確定申告書にはYの過誤による違算があり、譲渡所得税額が800万円過少であることが判明したため、Xは、平成2年6月19日に修正申告を行い、同日に、本税のほか過少申告加算税及び延滞税を納付した。 Xは、これらの過程において、Yに対して、税務相談を求め、確定申告書の作成を依頼するなどし、これに対する報酬を支払っていた。 *当時の租税特別措置法36条の2及び37条所定の譲渡所得課税の特例の適用にかかる課税実務の取扱いについて、裁判所は、これらの法条や、国税庁長官通達「租税特別措置法(山林所得・譲渡所得関係)の取扱いについて」(昭和46年8月26日付け)及び弁論の全趣旨によれば、本件におけるように、譲渡した特定資産がその所有者以外の者(筆者注:本件では母甲)の事業の用に供されていた場合であっても、その事業を営む者が特定資産の所有者と生計を一にする親族であって、かつ、その事業が不動産所得、事業所得又は山林所得を生ずべき事業であるときには、租税特別措置法37条所定の譲渡所得課税の特例の適用については、その特定資産は所有者にとっても事業の用に供していたものとして取り扱い、また、建物及びその敷地の用に供されている土地が事業の用に供されているとともに居住の用にも供されている場合においては、同法36条の2及び37条所定の譲渡所得課税の特例の適用については、右建物又は土地は、原則としてそれぞれの用に供されている部分の面積の比によって事業の用及び居住の用に供されているものとして、その割合に応じてそれぞれ右各法条による事業用資産の買換え特例及び居住用資産の買換え特例の適用を受けることができる対象資産として取り扱うのが課税実務の一般的な取扱いであったことを認めることができ、したがって、Xは、本件土地の譲渡に伴う譲渡所得税の課税については、買換資産としてそれぞれの所定の要件を充足する事業用資産及び居住用資産を取得することによって、事業用資産の買換え特例の適用とともに居住用資産の買換え特例の適用をも受けることができたとしている。 3 争点 4 判決の要旨 東京地裁平成4年7月31日判決(判時1463号88頁)は、「Xの昭和62年分の譲渡所得税の課税に関する限りにおいては、YがXに教示した助言等の内容が事業用資産及び居住用資産の買換えの特例を定めた租税特別措置法の前記各法条の法意やその下での課税実務の一般的な取扱いに適合するものではなかったことは確かである。」とするものの、次のように続けている。 また、東京地裁は、Xにとって、Yの提供する情報が唯一のものであったわけではなく、Yからの助言等に全面的に依拠していたともいえないとして、次のように説示している。 そして、結論として、Xの請求には理由がないと判示した。 Ⅱ コメント 本件判決は、YがXに教示した助言等の内容が「租税特別措置法の前記各法条の法意やその下での課税実務の一般的な取扱いに適合するものではなかったことは確か」であるとしつつも、Xの住民登録上の届出の状況等の諸事情に照らすと、本件土地の譲渡に伴う譲渡所得税の課税について、Xが事業用資産の買換え特例及び居住用資産の買換え特例の適用を受けることができるかについて「Yが懸念を持ったのはむしろ当然」のことであって、「必ずしもYのした助言等の内容が不適切なものであるということはできない。」として請求を棄却している。 このような判決が示すところを前提に考えると、税理士に節税措置義務が肯定されるとしても、特例の適用を受け得るかにつき不確実な状況である場合においてまで措定される義務ではないということができそうである。 では、不確実な状況とはどのようなものであろうか。少なくとも法律や通達において、明らかに選択適用が認められているような場合は、不確実性があるとは認められないと思われるが、税制上認められるかどうかが判然としないような場合は、どうであろうか。 一定程度の調査義務が税理士に課されていることを前提に考えると(※1)、税理士が行うべきある程度の調査によって不確実性を払拭することができるのであれば、その不確実性を払拭することをも含めて節税措置義務が措定されると考えることも、あながち税理士の責任レベルを高めているということにはならないであろう。 (※1) 酒井克彦「税理士の調査義務-大阪高裁平成8年11月29日判決を素材として-」税務弘報52巻12号97頁(2004)参照。ドイツにおいては、税理士は新規又は変更された法規範を調査しなければならないとする連邦通常裁判所決定、ツェレ上級地方裁判所決定がある(vgl. BGH. v. 30. 6. 1971, Ⅳ ZB 41/71, NJW 1971, 1704; v. 7. 3. 1978, Ⅵ ZB 18/77, NJW 1978, 1486; vgl. Auch OLG Celle, VersR 2001, 1437, 1438)。 かかる調査義務が具体的に問題となる場合として、文書回答手続の利用の有無を挙げることもできよう。税理士は、国税庁の実施する文書回答手続を納税者の代理人として利用することができるのであるから、税理士が文書回答手続を行うことができるのに、それを行わずにいたことで節税措置をする機会を逃したというようなケースにおいては、税理士の責任が追及されることもあり得ると解される(※2)。 (※2) なお、国税庁の文書回答手続は従来、節税に関する照会ができないこととされていたが、令和3年の改正により、節税照会を受けることが可能となった(国税庁長官通達(令和3年6月21日付け課審1-15ほか9課共同)「『事前照会に対する文書回答の事務処理手続等について』の一部改正について(事務運営指針)」)。この点については、酒井克彦「ソフトローによる予測の担保-文書回答手続の改正を契機に-」税務事例54巻1巻1号1頁(2022)参照。 もっとも、文書回答手続制度があるからといって、税理士の責任の範囲をむやみに広く捉えるものでは決してない。例えば、同制度を利用すべきであったのか否かといった税理士の責任を論ずるに当たっては、顧客である納税者と税理士が締結している契約の具体的な解釈如何によって判断がなされるべきであろう。また、少なくとも、現行の文書回答手続は、節税目的のみの照会を受け付けていないのであるから、節税策を考案した場合において、これを文書回答手続によって確認すれば不確実性が払拭できたはずであるなどとして、税理士の責任を問うべきことにはなりそうにないことを付言しておきたい。 (了)
令和3年分 確定申告実務の留意点 【第2回】 「令和2年分の改正事項等の再確認」 公認会計士・税理士 篠藤 敦子 令和2年分の確定申告においては、多くの改正事項が適用され、令和2年分から確定申告書の様式が一部変更されている。これらの改正事項や様式の変更は、令和3年分の確定申告においても重要である。 そこで、連載第2回は、令和2年分の改正事項等(住宅借入金等特別控除以外)の再確認を行うこととする。 【1】 令和2年分の所得税から適用されている改正事項 令和2年分の所得税から適用されている主な改正事項は、次のとおりである。 各改正事項について、確定申告で注意すべきポイントをまとめる。なお、各改正事項の詳細については、下記拙稿をご参照いただきたい。 ※画像をクリックすると、別ページで拡大表示されます。 【2】 様式の変更 令和2年分より確定申告書の様式が一部変更された。 (1) 第一表 ① 収入金額等の「給与」欄 収入金額等の給与欄に「区分」欄が設けられた。「区分」欄には、所得金額調整控除の適用がある場合に、次のとおり記入する。 ② 雑所得の区分 雑所得は、「公的年金等」、「業務」、「その他」の3つに区分された。各区分には、次の所得を記入する。 なお、「その他」に設けられている「区分」欄には、次のとおり記載する。 ③ 「寡婦、ひとり親控除」欄 ひとり親控除の創設及び寡婦控除の見直しにより、「寡婦、寡夫控除」欄から「寡婦、ひとり親控除」欄へ変更された。 なお、「区分」欄には、ひとり親控除の適用を受ける場合に「1」を記入する。 ④ 「公的年金等以外の合計所得金額」欄 公的年金等控除額は、公的年金等に係る雑所得以外の合計所得金額に応じて金額が異なる。公的年金等の収入金額がある納税者は、公的年金等に係る雑所得以外の合計所得金額を本欄に記入する。 (2) 第二表 令和2年分以降、以下の各欄について様式が変更されている。詳細は、【1】に示している【参考記事】をご参照いただきたい。 * * * 次回(第3回)は、確定申告実務に関する留意点をQ&A方式で解説する予定である。 (了)
金融・投資商品の税務Q&A 【Q71】 「海外に所在する中古建物に係る不動産所得の計算」 PwC税理士法人 金融部 ディレクター 税理士 西川 真由美 ●○ 検 討 ○● 1 国外に所在する建物に係る不動産所得の金額の計算(本件新築マンション) 建物の賃貸に係る不動産所得の金額は、その年中の不動産所得に係る総収入金額から必要経費を控除した金額とされています。この必要経費には減価償却費が含まれ、原則として、法定耐用年数に応じて定額法で償却費の計算をすることとされています。本件新築マンションに係る不動産所得の金額は、下記のとおりです。 2 国外中古建物の不動産所得の金額の計算(本件中古居住用建物) 中古建物であっても、不動産所得の金額の計算は上記1と同様ですが、減価償却費の計算については、法定耐用年数ではなく、使用可能期間として見積もられる年数か、その見積りが困難である場合には、以下の簡便的な方法(簡便法)により算定した年数(1年未満の端数があるときはその端数を切り捨て、2年に満たない場合には2年とすることとされています)を用いることが認められています。 (1) 法定耐用年数の全部を経過した資産 法定耐用年数 × 20% (2) 法定耐用年数の一部を経過した資産 (法定耐用年数-経過年数)+ 経過年数 × 20% この簡便法を適用して計算した、本件中古居住用建物に係る不動産所得の金額は、下記のとおりです。 3 国外不動産所得の損失に係る損益通算制限 不動産所得の金額の計算上、国外不動産所得の損失の金額があるときは、当該国外不動産所得の損失の金額に相当する金額は、生じなかったものとみなすこととされています。国外不動産所得の損失の金額とは、国外中古建物の貸付けによる損失の金額のうち、当該国外中古建物の償却費の額に相当する部分の金額とされ、また、国外中古建物とは、不動産所得を生ずべき業務の用に供した国外にある中古の建物で、見積使用可能期間又は簡便法により算定した年数を用いて償却計算するものをいいます(ただし、見積使用可能期間を用いている場合で、当該期間が適当であることの確認ができるものを除きます)。 つまり、国外に所在する賃貸用の中古建物を取得し、減価償却費の計算に簡便法等を用いる場合にこの措置の対象となり、不動産所得に係る損失額のうち国外中古建物に係る償却費の額に相当する部分の金額は他の所得との損益通算が認められません。 本件中古居住用建物に係る不動産所得は損失が生じていますので、その損失の額は損益通算制限の対象となります。損益通算ができない国外不動産所得の損失の金額の具体的な計算は、下記のとおりです。 すなわち、本件では不動産所得の金額は0、他の所得と損益通算できる金額はなし、となります。 なお、確定申告をする際には、下記の付表を添付することとされています。 (了)
さっと読める! 実務必須の [重要税務判例] 【第71回】 「クラヴィス事件」 ~最判令和2年7月2日(民集74巻4号1030頁)~ 弁護士 菊田 雅裕 (了)
事例でわかる[事業承継対策] 解決へのヒント 【第37回】 「株式交付による持株会社への株式承継②(税務編)」 太陽グラントソントン税理士法人 (事業承継対策研究会) パートナー 税理士 梶本 岳 相談内容 私は、【第36回】で株式交付についてアドバイスをいただいたL社の代表取締役Fです。 当社の株主構成は、私が過半数の株式を保有し、残りを創業時からの役員・従業員5名が保有しています。 顧問税理士から提案を受けている株式移転による持株会社化については、他の株主の理解が得られそうにないため、株式交付により私が保有するL社株式51%だけを持株会社に移すことを検討したいと思います。 この場合、税務上の取扱いはどのようになるのでしょうか。 〈L社の株主構成〉 〈想定されるスキーム〉 ※画像をクリックすると、別ページで拡大表示されます。 (出所) 「令和3年度(2021年度)経済産業関係 税制改正について」(経済産業省)の17頁の図を筆者加工。 ■ □ ■ □ 解 説 □ ■ □ ■ [1] 税務上の取扱い (1) 令和3年度税制改正 令和3年度税制改正では、株式交付制度を活用して株式交付子会社の株式を譲渡し、株式交付親会社の株式の交付を受けた場合には、株式交付に応じた株主の譲渡損益を繰り延べる措置が設けられました。 具体的には、個人若しくは法人が、所有株式を株式交付により譲渡し、株式交付親会社の株式の交付を受けた場合(交付を受けた株式交付親会社の株式の価額が、当該株式交付により交付を受けた金銭の額及び金銭以外の資産の価額の合計額のうちに占める割合(株式交付割合)が100分の80に満たない場合を除く)には、個人については、その譲渡がなかったものとみなされ、法人については、譲渡損益の計上が繰り延べられることになります。 株式交付の対価として株式交付親会社の株式以外の金銭等の交付を受けた部分については、繰延べの対象となりません(措法37の13の3、66の2の2、措令25の12の3、法法61の2①)。 (2) 株式交付に応じた株主の譲渡損益の繰延べ 株式交換や株式移転など他の組織再編行為には、税制適格組織再編の要件として、金銭等不交付要件が定められており、対価として金銭を少しでも交付すれば税制非適格再編として譲渡損益の繰延べが認められませんが、株式交付については、株式交付親会社の株式以外の金銭等が対価の20%以内であれば、自社株式に加えて金銭を交付する、いわゆる混合対価の場合でも譲渡損益が繰り延べられます(株式交付の対価として株式交付親会社の株式以外の金銭等の交付を受けた部分については繰延べの対象となりません)。 また、株式交付には、株式交換や株式移転に求められる株式継続保有要件もありません。 本事例では、株式交付によりF氏が保有する51%のL社株式をY社に譲渡し、対価として株式交付親会社となるY社の株式だけが交付される見込みですので、F氏に課税関係が生じることなくL社株式をY社に移転することが可能です。 (3) 株式交付親会社の税務 ① 取得価額及び資本金等の額 株式交付親会社が株式交付により株式交付子会社の株式を取得した場合における取得価額は、株式交付に応じた株主の数に応じて、以下の金額となります(措令39の10の3④一、二)。 〈株式交付親会社の取得価額〉 また、株式交付親会社における資本金等の額の増加額は、株式交付により取得した株式交付子会社の株式の取得価額から株主に交付した金銭等の額を減算した金額となります(措令39の10の3④三)。 ② 株価算定時における現物出資等受入れ資産の取扱い 株式交付制度の創設に合わせて財産評価基本通達の一部改正が行われ、純資産価額(財基通185)の算定上、評価差額に対する法人税額等に相当する金額の計算における現物出資等受入れ資産の対象に「株式交付により著しく低い価額で受け入れた株式」が追加されました。 評価対象会社の資産の中に、現物出資若しくは合併により著しく低い価額で受け入れた資産又は株式交換、株式移転若しくは株式交付により著しく低い価額で受け入れた株式(現物出資等受入れ資産)がある場合には、現物出資等の時において当該現物出資等受入れ資産を財産評価基本通達に定めるところにより評価した価額から当該現物出資等受入れ資産の帳簿価額を控除した金額(現物出資等受入れ差額)を帳簿価額に加算することになります(財基通186-2)。 [2] 結論 本事例においては、F氏の保有するL社株式をF氏自身が新設する持株会社Y社に譲渡し、対価としてY社株式だけを取得するスキームが想定されているため、F氏に課税関係が生じることなくL社株式をY社に承継することが可能です。 L社における会社法上の手続きは譲渡制限株式の譲渡承認手続きだけとなりますので、株式移転や株式交換を選択する場合に比べて会社法上の手続きや課税の繰延べ要件などのハードルが比較的低いスキームといえるでしょう(会社法の取扱いについては【第36回】(①会社法・スキーム編)にて解説しています)。 具体的な対策については、税理士等の専門家と相談の上、実行されることをお勧めします。 (了)