基礎から身につく組織再編税制 【第52回】 「適格株式分配」 太陽グラントソントン税理士法人 ディレクター 税理士 川瀬 裕太 今回は、適格株式分配の要件について解説します。 1 適格株式分配の要件 適格株式分配の要件は、次の5つです。 2 株式按分交付要件 「株式按分交付要件」とは、完全子法人株式のみが移転する株式分配のうち、その株式が現物分配法人の株主の持株数に応じて交付されることをいいます(法法2十二の十五の三)。 下図のように、完全子法人株式(B社株式)が現物分配法人(A社)の株主の有する現物分配法人株式(A社株式)の数の割合に応じて交付されないときは、株式按分交付要件を満たしません。 (具体例) 3 従業者継続要件 (1) 「従業者継続要件」とは 「従業者継続要件」とは、株式分配直前の完全子法人の従業者((2)参照)のうち、その総数のおおむね80%以上に相当する数の者が株式分配後に完全子法人の業務に引き続き従事することが見込まれていることをいいます(法令4の3⑯三)。 (2) 「従業者」とは 「従業者」とは、役員、使用人その他の者で、株式分配の直前において完全子法人の事業に現に従事する者をいいます。 ただし、日々雇い入れられる者で従事した日ごとに給与等の支払を受ける者については、法人が選択により従業者の数に含めないことができます。 ① 出向により受け入れた者 出向により受け入れている者であっても、完全子法人の株式分配前に行う事業に現に従事する者であれば従業者に含まれます。 ② 下請先の従業員 下請先の従業員は、自己の工場内でその業務の特定部分を継続的に請け負っている企業の従業員であっても、従業者には該当しません。 4 役員継続要件 (1) 「役員継続要件」とは 「役員継続要件」とは、株式分配前の完全子法人の特定役員((2)参照)の全てが株式分配に伴って退任するものではないことをいいます(法令4の3⑯二)。 (2) 特定役員とは 「特定役員」とは、社長、副社長、代表取締役、代表執行役、専務取締役若しくは常務取締役又はこれらに準ずる者((3)参照)で法人の経営に従事している者をいいます。 (3) これらに準ずる者 「これらに準ずる者」とは、役員又は役員以外の者で、社長、副社長、代表取締役、代表執行役、専務取締役又は常務取締役と同等に法人の経営の中枢に参画している者をいいます(法基通1-4-7)。 分割型分割によってスピンオフを行う場合の経営参画要件(役員等又は重要な使用人が対象)と異なり、役員継続要件で求められている役員は、特定役員に限定されています。 5 事業継続要件 (1) 「事業継続要件」とは 「事業継続要件」とは、完全子法人の株式分配前に行う主要な事業((2)参照)が完全子法人において引き続き行われることが見込まれていることをいいます(法令4の3⑯四)。 (2) 「主要な事業」とは 完全子法人の株式分配前に行う事業が2以上ある場合には、そのいずれが主要な事業に該当するかは、それぞれの事業に属する収入金額又は損益の状況、従業者の数、固定資産の状況等を総合的に勘案して判定します(法基通1-4-5)。 6 非支配要件 (1) 非支配要件とは 「非支配要件」とは、株式分配の直前に現物分配法人と他の者との間にその他の者による支配関係がなく、かつ、株式分配後に完全子法人と他の者との間にその他の者による支配関係があることとなることが見込まれていないことをいいます(法令4の3⑯一)。 (2) 「他の者」に含まれるものとは 「他の者」には次のものが含まれます。 非支配要件は完全子法人が他の者に支配されずに独立して事業を行うことを求めるもので、分割型分割によってスピンオフを行う場合の要件と同様です。 ◆適格株式分配の要件のポイント◆ スピンオフ実施後に買収が予定されている(支配関係が生じる)場合には、非支配要件を満たさないこととなるため注意が必要です。 スピンオフの従業者継続要件及び事業継続要件は基本的に合併や分割における適格要件と同様ですが、連続再編があった場合の緩和措置がないため注意が必要です。 分割型分割でスピンオフを行う場合と異なり、役員継続要件で求められている役員は、特定役員に限定されています。 スピンオフ実施後に既存株主に対して株式を継続保有することは求められていません。 (了)
〈一角塾〉 図解で読み解く国際租税判例 【第16回】 「ガーンジー島法人所得税の「外国法人税」該当性 (地判平18.9.5、高判平19.10.25、最判平21.12.3)(その1)」 ~法人税法69条1項、法人税法施行令141条1項、2項、3項~ 税理士・米国公認会計士 金山 知明 1 事案の概要 本件は、英国王領チャネル諸島ガーンジー(ガーンジー島)に本店を有し、再保険を業とする法人であるB(Ark Re Ltd. 以下「B社」という)の発行済株式の全てを保有している原告X(損保ジャパン)に対し、所轄税務署長Yが、B社の負担するガーンジー島の法人所得税は法人税法69条1項に規定する「外国法人税」に当たらないため、B社は租税特別措置法(以下「措置法」という)66条の6第1項(タックス・ヘイブン対策税制)所定の特定外国子会社等に該当するとして、同項に規定する課税対象留保金額に相当する金額をXの所得の金額の計算上、益金の額に算入して本件各事業年度の更正処分等をしたことから、これを不服としたXが、その処分等の取消しを求めた事案である。 2 前提事実等 (1) ガーンジー島所得税法の規定等の要旨 事件当時、ガーンジー島に本店を置く法人については、①20%の標準税率課税、②所定の要件に基づく免税申請(※1)、③一定の所得に対する段階税率課税(※2)、のほか、④国際課税資格に基づく税率の選択申請課税が認められていた。 (※1) 免税を認められた法人は、毎年500ポンド(当時)の申請料を支払う必要がある(ガーンジー所得税法40A条、40B条)。 (※2) 株主持分から生じる投資所得及び保険非関連所得のみを課税対象所得として課税され、課税所得25万ポンドまでは20%により、それを超える部分には20%よりはるかに低い税率が適用されるという逆進的段階税率課税である(ガーンジー所得税法187A条)。 ④の国際課税資格(International Tax Status)によれば、法人が0%超30%以下の範囲内で選択した税率の適用を申請し、税務当局がこれを承認すれば、申請した税率で法人所得税が賦課されることとなっていた(ガーンジー所得税法188C条)(※3)。 (※3) 国際課税資格申請書には、適用申請する税率のほか、当該税率が申請者にとって適しており、ガーンジー島の経済的利益の観点からも妥当な水準であることに関する情報を記載し、ガーンジー税務当局は、国際課税資格の取得要件が満たされている場合には、資格申請を承認し、国際課税資格の証明書を発行することができる。税率の選択を認めていたガーンジー所得税法188C条以下は、2007年に廃止されている。 ガーンジー税務当局は、法人からの国際課税資格申請に対する承認又は拒絶の全面的な自由裁量権を有しており、資格申請を拒絶する場合には、申請者にその旨を通知するが、その拒絶理由を示す必要はなく、また、申請者は、その拒絶に対して異議を申し立てることができない(ガーンジー所得税法188C条、同法188D条)。 B社は、平成11年度から平成14年度の間、各適用期間を1年間とし、適用税率を26%とする資格申請をして認められ、適用税率26%の国際課税法人として賦課決定された外国税を納付している。 Yは上記期間にB社が納付したガーンジー島の法人所得税は外国法人税に当たらないため、B社はXの措置法66条の6第1項に定める特定外国子会社等に該当するとして、同項の課税対象留保金額に相当する金額をXの所得に加算して上記各事業年度の更正処分等をした。Xは、これを不服とし、それら更正処分等の取消しを求めて出訴した。 (2) 関係図 (3) 関係法令の定め 当時の措置法66条の6第1項において、タックス・ヘイブン対策税制の対象となる「特定外国子会社」とは、法人の所得に対して課される税が存在しない国又は地域に本店又は主たる事務所を有する外国関係会社(租税特別措置法施行令(以下「措置法施行令」という)39条の14第1項1号)、又はその各事業年度の所得に対して課される租税の額が当該所得の金額の100分の25以下である外国関係会社(同項2号)とされていた。 また、措置法施行令39条の14第2項1号において、外国法人税とは、法人税法69条1項(外国税額控除)に規定する外国法人税をいうものとされていた。その法人税法69条1項にいう「外国法人税」を定義するのが法人税法施行令141条1項であり、同項では外国法人税とは、「外国の法令に基づき外国又はその地方公共団体により法人の所得を課税標準として課される税とする」としていた。 さらに、これを具体化する形で外国法人税に含まれるものと、含まれないものを規定していたのが法人税法施行令141条2項と3項である。特に同3項では、外国法人税に含まれないものとして、「税を納付する者が、その税の納付後、任意に還付を請求することができる税(1号)、税の納付が猶予される期間を、納税義務者が任意に定めることができる税(2号)」などとしていた。なお、当該1号及び2号他は、平成13年の政令により追加されたものである。 3 争点及び主張 本件では、B社が原告の特定外国子会社等(措置法66条の6第1項)に該当するか否か、すなわちXの所得金額の計算上、B社に係る課税対象留保金額に相当する額を益金の額に算入することが適法か否かが争われたが、それを決定付ける直接の争点となったのは、B社がガーンジー島で26%課税を選択して負担している税が、法人税法69条1項の外国法人税に該当するか否かであった。 税務署長Yは、本来租税には、①非対価性、②公益性、③強行性、④応能負担、⑤金銭給付といった特徴があるが、このうち特に強行性について、納税者と国との間で、合意によってその内容を定め、課税の段階で納税者の広範な裁量が認められる租税は、強行性という租税の本質を欠き、ガーンジー島という国に対するいわば寄附金の性質を有するため、租税とはいえないと主張した。 またYは、法人税法施行令141条3項の平成13年改正について、当該改正は制度の趣旨、取扱いを明確化したものであり、それまでの解釈を変更したのでなく、明らかに外国法人税に含まれない租税を例示したに過ぎないから、同項各号に掲げる租税のみが外国法人税に含まれないものであるとはいえないとした(※4)。 (※4) 例示に過ぎないことの根拠の1つとしてYは、諸外国において採られている、又は今後採られるであろう我が国の法人税に相当しない租税の形態を網羅的に列挙することは不可能である点を主張している。 これに対しXは、本件外国税はYがいう租税の意義①ないし⑤の原則をすべて満たし、租税の強行性について、本件外国税は税率の選択申請が認められているとしても、B社が適用を受けている26%という税率は、ガーンジー税務当局に対しての申請が承認されたことに基づくもので、課税庁との合意によるものではないと主張した。 また、法人税法施行令141条3項は確認規定ではなく、二重課税の外国税額控除による救済範囲を限定した創設規定(限定列挙)であるとし、本件外国税についてはガーンジー税務当局が承認した税率について、Xは実質的に強制的税負担を負っているのであり、同項1号及び2号が規定する税とは明らかにその性質が異なると主張した(※5)。 (※5) この点につきXは、法人税法施行令141条3項1号及び2号が定める外国法人税に該当しない租税の性質として、①「実質的には法人税負担がない税」であり、②納付や還付に関し納税者の裁量が広範であるという要素を挙げ、ガーンジー島法人所得税はこのいずれにも当たらないと主張している。 さらにXは、B社の課税所得に対しガーンジー島で26%の法人所得税を納付しているのに、日本での本件更正処分等により当該所得にさらに30%の法人税が課され、不合理な二重の負担が生じているという点も強調している。 4 判決の要約 (1) 下級審の判断 東京地裁判決(平成18年9月5日)は、法人税法施行令141条2項、3項の規定は、同条1項の解釈規定であり、2項、3項各号の定めは、例示列挙と解するのが素直であるとし、実質的にみても、外国法人税に該当しない場合を網羅的に限定列挙することは不可能であることは明らかであると判示した。 また、租税該当性について、ガーンジー金融当局や税務当局が発行している説明書等に、国際課税資格に関する税率の「交渉(Negotiation)」や、「合意(Agreement)」という文言があることを挙げて、租税の一般的概念の観点から、税の強行性の概念とは相容れないところがあるとした。そして国際課税資格による課税は、税率の一定枠(上限30%及び下限0%超)を決めているだけで、その幅は広範であり、実質的には白地規定であるといわざるを得ず、我が国の法人税はもとより、一般的な租税概念にも相反するとした(※6)。 (※6) 判決書ではまた、OECDの1998年の報告書Harmful Tax Competitionにおいて、「もし、税率と(又は)課税ベースが交渉可能であるか又は投資家が居住者である場合に依存している税制であるならば、主催国の税制で創設された課税規定は、潜在的に有害である。」とされていることを挙げ、租税該当性を否定する理由を補強している。 さらに、当該説明書やB社担当者とガーンジー税務当局の間で交わされた文書に、B社が国際課税資格に基づき26%の税率の選択を希望する理由として、日本で新たな税負担をせずに済むことが記載されていることなどを挙げて、ガーンジー島において徴収される「税」なるものは、その実質は、タックス・ヘイブン対策税制の適用を回避させるというサービスを提供するための対価であるということも可能と認定し、Xの主張を退けた。 東京高裁判決(平成19年10月25日)も、ガーンジー島の税は、租税概念の基本である強行性、公平性ないし平等性と相容れず、実質的にタックス・ヘイブン対策税制の適用を回避させるというサービスの提供に対する対価ないし負担の性質を有すると判示した。そのうえで、これを租税とすれば、我が国の実効税率との差額に相当する税負担を免れる租税回避を許容して、納税者間の平等ないし税制の中立性の維持が不可能になり、我が国の財政主権が損なわれることとなるため、そのような結果は許容できないと述べ、Xの控訴を棄却した。 (2) 最高裁判決(平成21年12月3日) 上記の下級審の判断に対し、最高裁は大要以下のように述べて、裁判官全員一致の意見により一転してXの主張を容認し、原審判決を破棄し、更正処分等を取り消す判決を下した。 租税該当性について最高裁は、選択の結果課された本件外国税は、ガーンジー島がその課税権に基づき法令の定める要件に該当する者に課した金銭給付であるとの性格を有することを否定することはできない。本件外国税が、特別の給付に対する反対給付として課されたものでないことは明らかであるから、本件外国税がそもそも租税に該当しないということは困難であるとした。 外国法人税該当性については、法人税法施行令141条3項1号又は2号に規定する税のみならず、これらに類する税、すなわち税を納付する者がその税負担を任意に免れることができるような税は、外国法人税に含まれないものと解すべきと認めつつ、租税法律主義にかんがみると、その判断は、あくまでも同項1号又は2号の規定に照らして行うべきで、それら規定から離れて一般的抽象的に検討し、その外国法人税該当性を否定することは許されないと判示した。 そして本件外国税は結局、同項1号又は2号に規定する税のいずれにも該当しないとし、さらに、本件外国税は、その税率の決定についてはあくまで税務当局の承認が必要なものとされ、納税者の選択した税率がそのまま適用税率になるものではないこと、本件子会社は税率26%の本件外国税を納付することによって、実質的にみても税を現に負担しており、これを免れるすべはなくなっていることを挙げて、結局本件外国税が法人税に該当しないということは困難であると結論付けた(※7)。 (※7) 最高裁はこのほか、ガーンジー島において、所定の要件を満たす団体が免税の申請をした場合に、常にそれが認められるという事実は確定されていないことも述べて、法人税法施行令141条3項1号が挙げるものに含まれない根拠としている。 ((その2)へ続く)
法人税、住民税及び事業税等に関する 会計基準を学ぶ 【第1回】 「適用範囲と定義」 公認会計士 阿部 光成 Ⅰ はじめに 企業会計基準委員会から「法人税、住民税及び事業税等に関する会計基準」(企業会計基準第27号。以下「法人税等会計基準」という)が公表されている。 これは、次のものを基本的に踏襲した会計基準である。 本シリ-ズは、上記の実務指針等の基本的な内容を踏まえて、法人税等会計基準について、解説を行うものである。 前述のように、法人税等会計基準は、基本的に日本公認会計士協会の実務指針等の内容を踏襲しており、実質的な内容の変更を意図したものではない(法人税等会計基準41項)ことから、実務指針等の趣旨や公表時の背景、従来の実務慣行も引き続き、重要な側面があると思われる。 文中、意見に関する部分は、私見であることを申し添える。 Ⅱ 適用範囲 1 適用範囲の概要 法人税等会計基準は、主として法人税、地方法人税、住民税及び事業税に関する会計処理及び開示について規定している(法人税等会計基準1項)。 つまり、同会計基準の対象は、原則として、我が国の法令に従い納付する税金のうち法人税、住民税及び事業税等に関する会計処理及び開示ということである(法人税等会計基準2項(1))。 法人税等会計基準は、連結財務諸表及び個別財務諸表における次の事項に適用する(法人税等会計基準2項)。 2 適用範囲に関する留意点 次の税については、法人税等会計基準の対象外とされている(法人税等会計基準26項、27項)。 3 適用時期等 法人税等会計基準は、2017年3月16日に公表されており、その後、2022年10月28日に改正されている。 2022年の改正は、税金費用の計上区分(その他の包括利益に対する課税)に関して行われており、原則的な方法として、当事業年度の所得に対する法人税、住民税及び事業税等を、その発生源泉となる取引等に応じて、損益、株主資本及びその他の包括利益(又は評価・換算差額等)に区分して計上することが規定されている(法人税等会計基準5項、5-2項)。 同改正は、2024年4月1日以後開始する連結会計年度及び事業年度の期首からの適用であり、ただし、2023年4月1日以後開始する連結会計年度及び事業年度の期首から適用することができるとされている。 本シリーズでは、改正後の法人税等会計基準について解説しているので、2022年の改正に関する規定の適用時期に注意していただきたい。 なお、当該改正の解説については、次の解説をご参照いただきたい。 Ⅲ 定義 法人税等会計基準では次の定義を規定している(法人税等会計基準4項)。 Ⅳ 貸借対照表 貸借対照表においては、法人税、住民税及び事業税等のうち納付されていない税額は、貸借対照表の流動負債の区分に、未払法人税等などその内容を示す科目をもって表示するとされている(法人税等会計基準11項)。 Ⅴ 損益計算書 法人税、地方法人税、住民税及び事業税(所得割)は、損益計算書の税引前当期純利益(又は損失)の次に、法人税、住民税及び事業税などその内容を示す科目をもって表示するとされている(法人税等会計基準9項)。 また、事業税(付加価値割及び資本割)は、原則として、損益計算書の販売費及び一般管理費として表示し、ただし、合理的な配分方法に基づきその一部を売上原価として表示することができるとされている(法人税等会計基準10項)。 (了)
〈注記事項から見えた〉 減損の深層 【第12回】 「製粉事業が減損に至った経緯」 -減損発生を第三者が予測できるか- 公認会計士 石王丸 周夫 〈はじめに〉 減損損失の額は、多額に上ることがほとんどです。一時的であれ、会社の業績を圧迫します。 そのような減損損失について、発生を予測することができるのかというのが、今回のテーマです。事例として使用するのは、製粉会社の減損事例です。2020年より前に買収した海外事業について、2020年の新型コロナウイルス感染拡大等を背景に、のれんを中心に減損損失を計上しています。 さっそく事例を見ていきましょう。 〈今回の注記事例〉 (出所:2023年第3四半期報告書) (※) 下線は筆者 上記事例において、減損損失が発生したのは豪州における製粉事業とのことです。減損の要因は下線部に要約されており、2つあります。 第一は「需要の変化」です。会社の説明によると、「豪州における厳格なコロナ対策の影響による市場の変化」(2022年度第2四半期決算説明会資料4頁)とのことで、主要得意先のインストアベーカリー市場が低迷したことが大きかったようです。 第二は「コスト上昇」です。注記の下線部に記載されているウクライナ情勢によるコスト上昇は主に穀物価格のことを指していると読めますが、それだけでなく、「労働力不足による生産コストの上昇」(2022年度第2四半期決算説明会資料28頁)もあるようです。 以上により、同事業に係るのれんを始めとする固定資産について、500億円を超える減損損失を計上しました。当然ながら、社外の第三者は、減損の発生を会社が公表するまで知りえませんが、過年度の有価証券報告書には、減損の気配を感じることができる記載があります。以下ではそれを見ていきます。 〈減損の気配を感じ取る〉 「減損の気配」というのは、会計基準の用語ではありません。本稿で筆者が個人的に使用しているにすぎません。ところが、これに似た用語で、「減損の兆候」という会計用語はあります。これは非常に重要な用語で、減損処理の一連の手続きの第1段階ともいえる部分を指しています。 日本の会計基準において減損処理の手続きは、概ね次のようになっています。 まずは事前準備的な手続きとして、次の2つがあります。 この準備の後、減損処理の本格的な手続きに入ります。次のとおりです。 このうちの「①減損の兆候の把握」では、グルーピングされた各資産グループについて、経営環境の著しい悪化等の事実が発生していないかを確認します。①で兆候なしと判定されれば、その期は減損処理不要です。 ①で減損の兆候ありとなった場合は「②減損損失認識の要否の判定」に進みます。②では、減損の存在が相当程度に確実であると認められるかどうかを確かめます。具体的には、当該資産グループが、十分なキャッシュ・フローをもたらすかどうかを確かめます。十分なキャッシュ・フローをもたらし、減損損失認識不要と判定されれば、その期は減損不要ですが、認識必要となれば、「③減損損失額の測定」で減損損失の額を算定し、「④会計処理と情報開示」で所定の処理を実施します。 つまり、減損処理というのは段階を踏んで慎重に行われるものであり、ある時点において、どの段階まで進んでいるかがわかれば、その資産グループについて、減損が将来実施されるかどうかを感じ取ることができます。 〈重要な会計上の見積りの注記〔前年度〕〉 この連載の【第6回】で「重要な会計上の見積り」という有価証券報告書の注記事項について説明しました。その注記では、会計上どのような見積りが行われたかについて、翌連結会計年度の連結財務諸表に重要な影響を及ぼすリスクがある項目に関して説明がなされます。 事例の会社の場合、「重要な会計上の見積り」において、のれん等の評価という形で減損手続きに触れています。以下のとおりです。ただし、上記減損注記事例の前年度の有価証券報告書に記載されていた「重要な会計上の見積り」です。 (出所:2022年3月期有価証券報告書) (※) 下線は筆者 上記の注記で重要な点は下線部の2ヶ所です。第一は減損の兆候があると判断したこと、第二は減損損失の認識は必要ないと判断したことです。つまり、先述の減損処理手続きの「②減損損失認識の要否の判定」まで進んだものの、なんとか踏みとどまったというのがこの時点(減損実施直前事業年度末)の状態です。 〈重要な会計上の見積りの注記〔前々年度〕〉 さらに1年さかのぼります。 減損実施の前々事業年度における有価証券報告書で、「重要な会計上の見積り」の注記を確認してみます。やはりここでも豪州製粉事業への言及があります。 (出所:2021年3月期有価証券報告書) (※) 下線は筆者 この注記で重要な部分は、注記の最後にある下線部の「減損の兆候はないと判断しております」という部分です。つまり、先述の減損処理手続きの「①減損の兆候の把握」で問題なしとなり、②には進まなかったことがわかります。 以上を整理すると次のようになります。 (注) 2023年3月期第2四半期で減損実施 2021年3月期においては、減損の兆候はありませんでしたが、「重要な会計上の見積り」の注記に記載されたという意味で、翌連結会計年度の連結財務諸表に重要な影響を及ぼすリスクがあるということが発信されたことになります。 2022年3月期においては、減損損失の認識は不要との結論ですが、減損の兆候が「なし」から「あり」に変わっており、豪州製粉事業の収益性が前年度よりも後退したことを示唆しています。この変化は、連結財務諸表本体には表れませんので、「重要な会計上の見積り」がいかに重要な注記であるかがおわかりいただけると思います。 2023年3月期の減損実施は、このように段階を踏んで減損損失計上に至ったものであり、このケースに限っていえば、直前事業年度末には減損の気配を感じ取ることができたかもしれません。 〈補足〉 「重要な会計上の見積り」の記載内容は、会社によって差があり、本稿で取り上げた事例は丁寧に記載されている部類に入ると思います。すべての会社でこのような記載がなされているわけではありません。 また、経営環境急変により減損損失が突然発生してしまうケースもあり、過年度の「重要な会計上の見積り」の注記に本例のような言及が必ずあるわけでもありません。 減損損失の注記及び「重要な会計上の見積り」の注記は、将来予測に必要十分な注記ではありませんが、両方の注記を合わせ読むことにより、貴重な情報を得ることができることは確かでしょう。 (了)
〔会計不正調査報告書を読む〕 【第141回】 株式会社アイ・アールジャパンホールディングス 「第三者委員会調査報告書(2023年3月7日付)」 税理士・公認不正検査士(CFE) 米澤 勝 【株式会社アイ・アールジャパンホールディングス第三者委員会の概要】 【株式会社アイ・アールジャパンホールディングスの概要】 株式会社アイ・アールジャパンホールディングス(以下「アイ・アールジャパンHD」と略称する)は、旧株式会社アイ・アールジャパン(現在はアイ・アールジャパンHDの完全子会社。以下「アイ・アールジャパン」と略称する)の単独株式移転の方法により、2015(平成27)年2月設立。事業領域は、「IR・SR活動に専門特化したコンサルティング業(※1)」である。連結子会社2社を有している。売上8,402百万円、経常利益3,477百万円、資本金865百万円。従業員数203名(2022年3月期連結実績)。代表取締役社長・CEOの寺下史郎氏(報告書上の表記は「寺下氏」。以下、寺下社長と略称する)が発行済株式の50.97%を所有する大株主である。本店所在地は東京都千代田区。東京証券取引所プライム市場上場。会計監査人PwCあらた有限責任監査法人東京事務所。 (※1) アイ・アールジャパンHD「2022年3月期有価証券報告書」6ページより。「IR」を、「上場企業が広く投資家全般を対象として行うリレーション構築事業」、「SR」を「上場企業が自社の株主を対象として行うリレーション強化事業」として、それぞれ定義している。 【第三者委員会による調査報告書の概要】 1 第三者委員会設置の経緯 2022年11月10日、ダイヤモンド・オンラインにおいて、アイ・アールジャパンHDに関連した、「【スクープ】IRジャパン衝撃の『買収提案書』入手、東京機械の買収防衛でマッチポンプ疑惑」と題する記事(以下「本件記事」という)が掲載された。同記事のリード文では、アイ・アールジャパンHD及びアイ・アールジャパンの元代表取締役副社長・COO栗尾拓滋氏(報告書上の表記は「栗尾氏」。以下、栗尾元副社長と略称する)が2021年春頃、アジア開発キャピタル株式会社(報告書上の表記は「A1社」。以下「アジア開発キャピタル」と略称する)に対して、株式会社東京機械製作所(報告書上の表記は「TKS」。以下「東京機械製作所」と略称する)の買収提案を行っていたことが、ダイヤモンド編集部の取材で分かったとし、「東京機械の防衛アドバイザーを務めたアイ・アールジャパンのトップが、実はアジア開発キャピタルに東京機械の「乗っ取り」をけしかけていたという驚愕の事実が発覚した」と結ばれていた。 アイ・アールジャパンHDは、本件記事に関する事実関係の解明等を目的に、アイ・アールジャパングループから独立した中立及び公正な外部専門家のみで構成された第三者委員会を設置することとし、 2022年12月8日、弁護士4名によって構成される第三者委員会(当委員会)を設置した。 2 第三者委員会による調査の概要 第三者委員会は、本件記事で問題とされたアジア開発キャピタルによる東京機械製作所の買収案件に加えて、天馬株式会社(報告書上の表記は「D社」。以下「天馬」と略称する)の経営陣と創業家との対立にアイ・アールジャパンが関与した案件のほか、「M社案件」「P社案件」及び「R社案件」について調査を行い、アイ・アールジャパンによる営業提案が、不適切行為に当たるかどうかの評価を行っている。 本稿では、第三者委員会が、アイ・アールジャパンによる営業提案は「顧客の利益・信頼を不当に害することにはならない」という評価を下した、「M社案件」「P社案件」及び「R社案件」についての分析は割愛し、残りの2案件について、調査結果を検討したい。 3 アジア開発キャピタルによる東京機械製作所の買収案件(報告書上の表記は「TKS案件」) (1) 案件の概要 本件記事において、アイ・アールジャパンと東京機械製作所との間の契約締結に先立つ2021年春頃、当時の代表取締役副社長であった栗尾元副社長が、アジア開発キャピタルに対し東京機械製作所の買収を提案しており(以下「本件提案」という)、その構図からして、「マッチポンプ」の疑惑がある旨が報じられた。 第三者委員会は、「マッチポンプ」について、アイ・アールジャパンが、買収意思を持たない、又は買収意思が希薄である買収側に対して働きかけ、買収意思を惹起又は助長し、他方で、被買収側で、防衛アドバイス等の案件を獲得するというような、意図的に顧客の利益・信頼を犠牲にしつつ、自らのビジネスを創出する行為を指すものと定義したうえで、一連の行為により、アイ・アールジャパンが、東京機械製作所の利益・信頼を不当に害したかどうかが問題となるとしている。 (2) 調査の検討対象 第三者委員会は、下記の4点に関する事実関係を調査及び検討した。 (3) 第三者委員会による評価 第三者委員会は、事実関係の調査の結果、①栗尾元副社長が本件提案を行ったことを認め、②栗尾元副社長による本件提案は、アイ・アールジャパンの代表取締役の業務執行として行われた可能性が高いと判断したものの、③他のアイ・アールジャパン経営陣が、東京機械製作所との契約締結に際し、マッチポンプの意思を有していたとは認められず、また、栗尾氏による本件提案を認識したうえで、東京機械製作所との契約を締結したとは認められないとして、④アイ・アールジャパンの栗尾元副社長を含む経営陣にマッチポンプの意図は認められなかったが、客観的には、アイ・アールジャパンの一連の行為により、マッチポンプと見られる外形が作られたと認められるという評価を行っている。 そのうえで、アイ・アールジャパンの不適切行為として、栗尾元副社長以外のアイ・アールジャパン経営陣は、栗尾元副社長による本件提案の事実を把握できておらず、これを東京機械製作所に告知できなかったことから、東京機械製作所は、アイ・アールジャパンが、アジア開発キャピタルに本件提案を行った事実があることを知ったうえで、アイ・アールジャパンとアドバイザリー契約を締結するか否かを選択する機会を失ったといえることから、アイ・アールジャパンが、東京機械製作所に対して本件提案の事実を告知せずに、契約を締結した行為は、顧客である東京機械製作所の利益・信頼を不当に害したものであり、不適切行為であったと認められるという判断を示した。 (4) アイ・アールジャパンの利益相反管理体制の問題点 第三者委員会は、東京機械製作所買収案件から見る体制の問題点として、次の4項目を挙げている。 アイ・アールジャパンにおいて取引先管理が杜撰になっていた状況について、藤原豊取締役は、第三者委員会によるヒアリングに答えている。役職員が接触禁止となっていた取引先管理エクセルに「アジア開発キャピタル」が記載されていたにもかかわらず、栗尾元副社長以外にも社員が接触していたことを示す顧客コンタクト履歴が確認された原因として、「アイ・アールジャパンでは、ある会社から大量保有報告書が提出されたら、機械的に電話をすることとなっていた。上記接触も、営業の電話を掛けたのだと思う」と供述したという。 第三者委員会は、アイ・アールジャパンにおいては、社内ルールが徹底されておらず、社内ルールに抵触する営業活動等が日常茶飯事で行われていたにもかかわらず、社内ルールの仕組みそのものが漫然と信頼され、本来実施すべき手順でコンフリクトチェックが実施されなかったと結論づけている。 4 天馬経営陣と創業家の対立案件(報告書上の表記は「D社案件」) (1) 案件の概要 天馬では、2019年12月に発覚したベトナム現地法人における外国公務員贈賄事件(※2)を契機として、創業4兄弟の次男の孫に当たる金田宏常務取締役(当時)と、四男である司治名誉会長(同)が対立して、2020年6月の株主総会で、四男系の司一族(報告書上の表記は「E家側」)が、金田氏ら現経営陣の再任に反対する株主提案を行った。天馬経営陣による取締役選任議案と司家らによる株主提案との間で、委任状争奪戦が繰り広げられ、アイ・アールジャパンは本総会において、天馬経営陣を支援した。結果、株主提案による取締役選任は候補者全員が否決されたものの、経営陣の議案においても、金田宏常務取締役(当時)をはじめ3名の取締役選任が否決され、天馬から創業家出身の取締役は不在となった。アイ・アールジャパンと天馬経営陣との間の契約は、2020年6月30日の経過をもって、有効期間の満了により終了したものの、秘密保持義務は契約終了後から1年間有効に存続していた。 (※2) 事件の詳細については、本連載【第102回】天馬株式会社「第三者委員会調査報告書(2020年4月2日付)」参照。 その後、アイ・アールジャパンは、寺下社長が主導して、司家側と接触を行い、2021年3月頃までには、天馬2021年総会では、アイ・アールジャパンは司家側を支援する契約を締結することを決定したが、弁護士による「守秘義務に違反することがないよう、また、取得済の情報が不正に利用されることのないよう、情報管理の徹底を図ることが案件受任の必須条件である」との回答と社内議論を踏まえ、契約主体を別法人に変更し、かつ、案件対応を行うチームも変更することで利益相反を回避する方法が執られることとなった。最終的に契約当事者がアイ・アールジャパンHDの子会社である株式会社JOIB(以下、「JOIB」と略称する)に変更され、JOIBは、3月8日付で、司家側と契約を締結した。同年6月29日に天馬2021年総会が開催され、取締役(監査等委員である取締役を除く)選任議案については、天馬取締役会による提案が全て可決、司家側による提案が全て否決された。 (2) 第三者委員会による評価 第三者委員会は、事実関係の調査の結果、天馬案件においては、金田家(報告書上の表記は「F家」)と司家との間に極めて大きな利害対立が存在していたこと、天馬2020年総会と2021年総会は案件として実質的同一性が認められること、2020年総会後もアイ・アールジャパンと天馬経営陣との間には信頼関係が継続しており、天馬は、2021年1月頃においても、アイ・アールジャパンが2021年の株主総会において天馬との間の2020年契約と同様の役務提供をしてくれることを期待しており、かかる期待は合理的なものであったこと等、天馬案件特有の経緯及び事情に鑑みれば、天馬2020年総会後も、アイ・アールジャパンは天馬を顧客として扱うことが適切であったという見解を示した。 そのうえで、アイ・アールジャパンによる司家側との2021年契約の締結は、天馬に対して2021年総会においてアイ・アールジャパンから2020年契約と同様の役務提供を受けることができなくなるという不利益な結果をもたらし、また、天馬2020年総会における委任状争奪と実質的に同一又は関連する案件においては、少なくともアイ・アールジャパンが対立相手方である提案株主側の支援を行わないという天馬経営陣の合理的期待を裏切るものであったことから、2021年契約の締結はアイ・アールジャパンの顧客である天馬の利益・信頼を不当に害する可能性のある行為であったと結論づけた。 (3) アイ・アールジャパングループの問題点 第三者委員会は、天馬案件から見る体制の問題点として、次の3項目を挙げている。 第三者委員会は、「② 顧客の信頼を保護する視点の欠如」について、次のようにコメントしている(強調・下線は引用者による)。 そのうえで、寺下社長が司家側と契約を締結することを決めた後、アイ・アールジャパンにおいて行われた議論は、適法性の観点からの検討に止まり、顧客の信頼を保護する適切性の観点が欠如していたことを問題点として指摘している。 5 原因分析(調査報告書83ページ以下) 第三者委員会は、原因分析として、以下の項目について検討を行っている。 第三者委員会が特に問題視しているのが、寺下社長の存在である。すなわち天馬案件から認められる組織上の問題点は、「会社側が2021年総会も引き続きアイ・アールジャパンにPA業務を委託したい意向を持っている」という、利益相反管理において重大な意味を持つ情報が、アイ・アールジャパンの利益相反管理プロセスに共有されたにもかかわらず、誰も寺下社長の意向に反して深く実質的な議論を投げ掛けることができなかったという「内部牽制機能の不備」であり、この不備をもたらした原因として、寺下社長がアイ・アールジャパンHDの株式の過半数を保有する支配株主であり、代表取締役社長兼CEOという「絶対的権力者」であって、寺下社長の部下に当たる業務執行取締役による内部牽制機能には自ずと限界があることを指摘している。そのうえで、「内部牽制機能の不備」は、取締役会、社外取締役を中心とした監査等委員会、常勤監査等委員といったガバナンス機関による牽制の不全に原因があったと考えられると結論づけている。 6 再発防止に向けた提言(調査報告書92ページ以下) 第三者委員会は上記の原因分析を踏まえて、次の5項目に及ぶ再発防止に向けた提言を行っている。 ここでも、第三者委員会が提言した「寺下社長に対する牽制」について見ておきたい。第三者委員会は、社外取締役の果たすべき役割について、次のように述べている。 さらに第三者委員会は、調査報告書の最後「総括」の中でも、「再発防止策を実施するためのアイ・アールジャパンの土壌」という項目を設けて、社外取締役には、少数株主保護のためのリスクマネジメントに十分配慮することが期待されていると述べたうえで、アイ・アールジャパングループにはコーポレート・ガバナンスやリスクマネジメントヘの造詣の深い社外取締役が存在していることを挙げている。 【報告書の特徴】 ダイヤモンド・オンラインが「マッチポンプ」と評した記事を受けて設置された第三者委員会は、調査報告書の冒頭で、「マッチポンプ」の定義を広辞苑から引用するとともに、「顧客の利益・信頼を不当に害することは不適切な行為」であるという視点から、検討を行っている。第三者委員会による調査結果は、自らMBOによって会社のオーナーとなり、数々の成功体験を重ねてきた絶対的権力者である寺下社長が率いて、敵対的買収行為に対する唯一無二のコンサルティング会社とも目されてきたアイ・アールジャパングループの今後の経営戦略にどのような影響があるかも含めて、大いに注目を集めている事案である。 1 アイ・アールジャパンHDによる再発防止に向けた取組み (1) 再発防止委員会の設置 アイ・アールジャパンHDは、3月13日、「『再発防止委員会』の設置に関するお知らせ」をリリースして、第三者委員会からの調査報告書の提言を真摯に受け止め、再発防止に向けた具体的な取組内容を速やかに検討し、確実に実行していくため、「再発防止委員会」を設置したことを公表した。 再発防止委員会の構成は以下のとおりであるが、必要に応じて社外有識者(弁護士等)にオブザーバーとして参加してもらうことを考えているとのことである。 (2) 役員の異動―新任社外取締役(常勤監査等委員)候補者追加選任 次いで、3月30日、アイ・アールジャパンHDは、「役員の異動(新任社外取締役(常勤監査等委員)候補者追加選任)に関するお知らせ」をリリースして、コーポレート・ガバナンス体制の更なる強化を図ることを目的として、株式会社本田技術研究所で取締役管理担当兼コンプライアンスオフィサーを務めた経験のある木村晃氏を、新任の社外取締役(常勤監査等委員)とすることを公表し、2023年6月開催予定の定時株主総会の承認をもって、正式に決定するとした。 (3) 利益相反管理体制等 さらに、同日、アイ・アールジャパンHDは、「当社グループの利益相反管理体制等に関するお知らせ」をリリースして、再発防止策の検討過程、再発防止策の内容及びその実施状況を公表した。再発防止策の検討過程としては、上記(1)の再発防止委員会の開催状況などが説明され、再発防止策の内容及びその実施状況としては、次の2項目について詳細が明らかにされた。 2 役員報酬の減額 一連の再発防止策の公表と同日、アイ・アールジャパンHDは、「役員報酬の減額に関するお知らせ」をリリースして、第三者委員会の調査結果及び当期の一連の調査について真摯に受け止め、その経営責任を明確にするためとして、2023年4月から9月までの6ヶ月間、寺下社長の月額報酬を50%減とすることをはじめ、グループ各社を含めた役員報酬の減額を公表した。 3 第三者委員会委員長山口利昭弁護士へのインタビュー ダイヤモンド・オンラインは、5月5日、「IRジャパンの“闇”にメスを入れた第三者委員会委員長が激白!寺下社長「絶対的権力者」の実態」と題する記事を公開した。 記事では、山口弁護士が、栗尾元副社長の動機について、元副社長自身が「会社の事業のために行った」と言っていることや東京機械製作所は、栗尾元副社長がアジア開発キャピタルに買収提案していたことを知っていれば、アイ・アールジャパンにアドバイザリーを依頼することはなかったと明確に回答していることなど、報告書には明示されていない事実を答えている。 さらに、山口弁護士は、アイ・アールジャパンHDが公表した再発防止策について、「意思疎通を図ります」という言葉だけでは足りないことを指摘し、会社にとって不都合な情報も取締役会に開示するレポート体制をしっかり整えるべきで、再発防止策ではその点が不十分だという意見を表明している。 (了)
給与計算の質問箱 【第41回】 「給与明細の電子交付における注意点」 税理士・特定社会保険労務士 上前 剛 Q 当社では紙の給与明細書を従業員に渡していますが、給与計算ソフトを刷新して今後はWEB給与明細を交付(電子交付)する予定です。WEB給与明細を交付するにあたり注意点があればご教示ください。 A 注意点としては、以下のとおりである。 * * 解 説 * * 1 従業員からの事前承諾 会社は、従業員に給与明細を書面で交付するほか、従業員の事前承諾を得ることで電磁的方法により提供(以下、電子交付)することができる(所法231②)。 給与明細の電子交付について、会社が従業員に事前承諾を得る際の記載事項や書式等に法令上の定めはないが、次のような事項を従業員に示し、電子交付について承諾する旨、承諾日、氏名等を記入してもらう。 また、会社が承諾の期限を定め期限までに回答がなかった場合には承諾があったものとみなす旨を事前に通知することで、回答がなかった場合には承諾があったものとみなすことができる(所規95の2②)。 2 電子交付の要件 電子交付にあたっては、次の基準を満たしている必要がある。 3 従業員から書面交付の請求があった場合 会社は、従業員から給与明細を書面で交付するよう請求があった場合(例えば、2023年5月分の給与明細を書面でもらいたい、2023年6月分以後の給与明細は書面でもらいたい等)には書面で交付しなければならない(所法231②)。 (了)
税理士が知っておきたい 不動産鑑定評価の常識 【第41回】 「鑑定評価における条件とは」 ~条件の設定はどのような場合に許されるか~ 不動産鑑定士 黒沢 泰 1 はじめに 鑑定評価額は評価の前提条件により異なってくる場合があります。 同じ土地を評価するにしても、例えば、隣接土地の所有者が購入する場合とそれ以外の不特定の人が購入する場合とでは、価格が異なっても何ら不合理でないケースがあります。 仮に、評価対象地の隣接土地が形状の悪い土地であったとします。隣接土地の所有者が対象地を買い取って一体利用することにより、もともと所有していた土地が形状の良い土地の一部となり、使い勝手も著しく向上するということになれば、他の人よりも少々割高な価格で購入しても損はないといえます。 このように、「隣接者が購入することを前提とした場合の価格は〇〇〇〇万円」であるとか、「市場において不特定多数の人が購入を検討する場合の価格は〇〇〇〇万円」であるという具合に、条件次第で評価額が異なることがあり得る点に鑑定評価の特徴があります。 今までの連載では、「鑑定評価の条件」そのものに関しては立ち入った説明をしてこなかったため、今回、その意義を改めて振り返ってみたいと思います。 2 鑑定評価の条件とは 不動産鑑定評価基準(以下、「基準」と呼びます)では、「条件」そのものの定義は行っていませんが、実務的には(既に述べた内容からも察せられるとおり)鑑定評価額を求めるに当たっての前提という意味合いのものとなります。そして、基準では、「鑑定評価の条件」につき、次の3つの観点からその対象を捉えています(基準総論第5章第1節Ⅰ~Ⅲ)。 以下、それぞれについて解説を加えます。 3 対象確定条件 ~対象不動産の確定に当たって必要となる鑑定評価の条件 (1) 考え方 対象不動産の所在や面積、評価の対象範囲等を最初に確定させておく必要があります。 特に、評価の対象範囲については次の点が基本的かつ重要となります。 また、不動産には賃借権をはじめとする様々な権利が設定されていることがあるため、 鑑定評価に当たっては、これを所与とした(=現況どおりの)状態で評価するのか、権利が付着していない状態を前提として評価するのかを明確にしておく必要があります。 このように条件次第で価格の捉え方も異なることから、鑑定評価に条件を付す場合は、依頼者に誤解を与えたりその利益を害したりすることがないよう、鑑定評価の受付時に依頼者と協議の上、合理性を満たすものに限って付すべきものとされています。そして、不動産鑑定士にとっても、「このような前提条件で評価を行えば〇〇〇〇万円という評価額となる」という趣旨を鑑定評価書に記載することにより、責任の範囲を明らかにするという意味合いを有しています。 (2) 具体例 対象確定条件に関する具体例としては次のようなものがあります。 4 地域要因又は個別的要因についての想定上の条件 ~対象不動産にかかる価格形成要因についての想定上の条件 (1) 考え方 既に述べてきたとおり、鑑定評価の前提条件は必ずしも現況に一致しなければならないというわけではありません。このことは対象確定条件に限ったものではなく、これから述べる地域要因及び個別的要因に関しても同様です。ただし、それが合法性や実現性等の観点から妥当と認められ、鑑定評価の利用者の利益を害しないものであることが何よりも先に求められます。 例えば、都市計画の策定やこれに関する諸規制の変更、改廃に権能を有する公的機関(都道府県、政令指定都市等)の確定的な計画が存しないにもかかわらず、「用途地域が準工業地域から第2種低層住居専用地域に変更されることを想定して」というような条件を付した鑑定評価は合法性や実現性を欠くため、不適切なものとなります。 (2) 具体例 このほかに、鑑定評価で付す条件が不合理又は非現実的なものに該当するケースとしては、次のようなものがあげられます。 5 調査範囲等条件 ~対象不動産の価格形成要因についての調査の範囲にかかる条件 (1) 考え方 不動産鑑定士の通常の調査の範囲では対象不動産の価格への影響を判断するための事実の確認が困難な特定の価格形成要因が存在する場合、これについて調査範囲から除外して鑑定評価を行うことができることとされています(このような規定も平成26年基準改正時に新設されました)。ただし、調査範囲等条件を付した場合でも、例えば、対象地が土壌汚染対策法上の要措置区域(又は形質変更時要届出区域)に指定されているか否か等の役所調査を行った結果を鑑定評価書に記載しておくことが、不動産鑑定士にとって最低限求められています。 (2) 具体例 調査範囲等条件を付すことが許容される場合としては、次のようなケースがあげられています(不動産鑑定評価基準運用上の留意事項Ⅲ1(2)③ア)。 また、調査範囲等条件を設定しても鑑定評価書の利用者の利益を害するおそれがないと判断される場合の例としては、「不動産の売買契約等において、当該価格形成要因に係る契約当事者間での取扱いが約定される場合」をはじめ、いくつかのケースがあります(不動産鑑定評価基準運用上の留意事項Ⅲ1(2)③イ)。 6 まとめ 「鑑定評価の条件」などというと、いかにも形式的で堅苦しい印象で受け止められがちですが、今回の解説で少しでもイメージをつかんでいただければ幸いです。 鑑定評価書には、「条件」ということばが登場しても、改めてその解説がなされている ケースはむしろ少ないと思われますが、依頼者(あるいは鑑定評価書の読み手)にとっても、鑑定評価に「条件を付す」ことの意味を十分理解しておきたいものです。 (了)
〈知識ゼロからでもわかる〉 NFTとその利活用 【第2回】 「NFTの利用方法」 東京ハッシュ株式会社 代表取締役 段 璽 公認会計士・公認不正検査士 松澤 公貴 1 はじめに 本連載では、NFTの入門知識を整理している。【第1回】では、NFTの定義と性質、ブロックチェーンとの関係、長所と短所、NFTユーティリティとNFTコレクションについて解説した。今回は、若干の技術的背景も交えつつ、NFTを実際に利用する方法について解説する。 2 NFTのライフサイクル NFTのライフサイクルイベントとして、定義、発行(Mint)、移転(所有者の変更)、メタデータ変更、廃棄がある。 NFTはブロックチェーン上で発行されると、誰かがその所有権を持ち、自由に移転することができる。その後は、取引等を通じて移転が繰り返される。対応するメタデータが書き換えられることもある。ライフサイクルの終了は、誰も移転できない状態にNFTが置かれた場合に訪れ、技術的には可能だが、意図的に行うケースは少ない。 (1) 定義 ブロックチェーンはある種のコンピュータと捉えることができる。その中で特定の仕様に沿ったNFTを定義することができる。平たく言い換えれば、ブロックチェーンが特定のNFTの存在や仕様について「知っている」という状態である。 新しいNFTをブロックチェーン上で定義することは、基本的に誰でも可能である。ブロックチェーンによっては、プログラミングさえ必要としないほどに周辺ツールが揃っている。主な選択項目は、どのブロックチェーン上に発行するか、どのようなメタデータをどういった形で保管・提供するか、同じ銘柄のNFTをいくつ発行するか、どのような発行条件を定めるか等である。 ノーコードでNFTを定義するにしても、大抵の場合、実際にはNFTの仕様を体現する新たなスマートコントラクト(ブロックチェーン上で実行可能なコンピュータプログラム)にパラメータを与えて、そのコントラクトを実行可能な状態に置く操作(デプロイメント)を行う。デプロイメントに際しては、ブロックチェーン上での実行手数料として「トランザクション手数料」が課される場合がある。 メタデータは任意のデジタルデータであり、画像や音声、動画が代表的である。またNFTコレクションにおいては、「特性(Traits)」がメタデータとして設定されていることもあり、各NFTに個性を持たせるとともに、「レア度(Rarity)」の根拠にもなる(※1)。メタデータ自体は通常ブロックチェーンには記録されず、代わりにクラウドストレージに保管され、NFTのコントラクトにはリンクのみが書き込まれる。 (※1) 例えば、NFTコレクションの「Bored Ape Yacht Club」(BAYC)に属するNFTには、様々な特徴が設定されている。 (2) 発行 NFTのコントラクトには、いくつかの操作ができる「関数」が備わっている。その1つに「発行」があり、これを呼び出して実行に成功すれば、晴れて実際のNFTを誰かが所有することができる。技術的には、特定のNFTに対する所有者のID(アカウント/アドレス)がNFTのコントラクトに書き込まれる。 NFT発行の操作自体は、NFTの設計側が行うとは限らず、一定の条件をクリアした利用者に発行権利を付与するケースも多々ある。例えば、特定のTwitterアカウントをフォローする、特定のNFTコレクションを保有する等の条件がある。 (3) メタデータの変更 繰り返しになるが、NFTはメタデータに対する所有権であり、永続的であるのも所有権である。メタデータとしてのリンク先の画像データが永続的・変更不可能であるかは、また別の問題である。 前回紹介したCryptoKittiesではメタデータの変更は意図されていない。一方で、2021年に一世を風靡したNFTコレクション「Bored Ape Yacht Club (BAYC)」では、類人猿のイラストと特徴が主なメタデータとなっているが、メタデータの変更が積極的に設計意図として組み込まれている。例えば、NFTの所有者が「バイブス(Vibes;空気感、ノリ)」をメタデータの一部として設定できるような変更が、NFT発行後に導入されたことがある。また、福袋のように、メタデータが不明な状態でNFTを販売し、販売後しばらくしてからメタデータを明かす「リビール(Reveal)」という手法も1つの典型的なパターンである。 3 入手 利用者がNFTを入手するには、前述の通り発行権を取得して自ら発行するか、または有償/無償で譲渡を受ける。特定のNFTプロジェクトや知人から発行権またはNFTそのものを購入するケース、知人から譲渡されるケース、必ずしも知人でない者から、時に意向に関係なく譲渡を受けるケース(エアドロップという)がある。 いずれにしても、NFTを所有するには、ブロックチェーンのアカウント(あるいはアドレス)が必要になり、これを管理するツールとして「ウォレット」を利用する。 4 保管 NFTは他の暗号資産と同様にウォレットに保管する。ウォレットはブロックチェーンのアカウント/アドレスを安全に管理するための製品である。 NFT保管の原則は、NFTに対応し、かつ信頼できるウォレットを選択し、秘密鍵と回復フレーズを安全に管理するとともに、高価なNFTはハードウェアウォレットに保管することである。 5 おわりに 本稿では、NFTのライフサイクルを中心に、利用における仕組みを解説した。従来のモノやサービスとはかなり異なる部分があり、それらに注意を払うことで、新しい形のビジネスモデルや市場を効果的に捉えることができるため、是非基本知識として押さえていただきたい。 【第3回】(最終回)では、NFTのビジネスモデルと市場について解説する。 (了)
《顧問先にも教えたくなる!》 資産づくりの基礎知識 【第1回】 「ちょっとうんちく“NISAの歴史”」 株式会社アセット・アドバンテージ 代表取締役 一般社団法人公的保険アドバイザー協会 理事 日本FP協会認定ファイナンシャルプランナー(CFP®) 山中 伸枝 ◇◆◇連載開始にあたって◇◆◇ 本連載は読者の方のご自身の資産づくりはもちろんのこと、顧問先から何かと相談されることの多い税理士の方が、個人の資産づくりについて質問・雑談があった際に、お話の1つのテーマや参考として活用いただけるような資産づくりの知識を紹介する連載となっています。 今後、本連載ではNISAをはじめとした金融商品に関する基礎知識や知って得する情報、その他興味深い資産づくりの話題を取り上げていく予定ですので、気になるテーマがあればチェックしてみてくださいね。 〇はじめに 2014年に日本に導入されたNISAは、10年の時を経て2024年から新NISAとなり、さらにパワーアップします。岸田首相が打ち出す資産所得倍増計画の7つの柱の中でも、第1の柱に据えるのがNISAの拡充ですから、その重要性は想像に難くありません。 最近は、新聞や雑誌、あるいは街中であっても頻繁にNISAという言葉を目にします。「投資をした時に、税金が得する制度」といった認識はすでにお持ちであると思いますが、実際にNISAを活用している人は、それほど多くはありません。 しかし、NISAの歴史をひもとくと、数ある金融商品の単なるオプションではなく、すべての日本人にとって持つことが必須の金融口座であると理解できるでしょう。 〇NISA(少額投資非課税制度)にある2つのメッセージ まずNISAの名前の由来から見ていきましょう。NISAの日本語表記は「少額投資非課税制度」です。漢字表記の方が、意味が伝わりやすいと思いますが、この言葉には2つのメッセージが含まれています。 1つ目のメッセージは、投資はまとまった資金がある人だけがするものではなく、むしろ少額から投資をする方が良いのだということです。つまりお金持ちのための制度ではなく、普通の人が当たり前に投資を行い、豊かさを手に入れるための制度であるということです。 そして2つ目のメッセージは、投資における様々なハードルを非課税という特典を提供することで越えさせようという国の強い想いです。投資は市場の動きによりその価値が上がったり下がったりしますが、短期での運用を諦めるのではなく長期で資産を成長させる姿勢を促そう、そのために特典をつけようという工夫です。 「貯蓄から投資へ」というスローガンは、2000年に金融庁が設置されてすぐに掲げられました。まさに金融庁がスタートして以来、ずっと取り組んできたことがこの言葉に集約されているといってもよいでしょう。 〇間接金融から直接金融へ 「貯蓄から投資へ」を言い換えると、「間接金融から直接金融へ」となります。間接金融とは、銀行を通じた投資です。銀行の役割の1つとして企業への融資がありますが、この資金は私たちの預金です。つまり、私たちは銀行を通じて企業に投資をしていることになります。 戦後からバブル期における日本においては、この間接金融の仕組みが極めてうまく回っていました。銀行が成長の期待ができる企業に融資を行うことで企業が成長し、その恩恵として私たちはより便利な暮らしを手に入れました。また企業の成長は雇用を生み、賃金上昇をもたらし、私たちの暮らし向きはますます良くなりました。 〈間接金融のイメージ〉 しかし、時は流れバブルが崩壊すると、銀行が変わり始めました。小説などでもよく知られる「貸し剥がし」や「貸し渋り」が起こります。それにより、潜在的成長力を秘めた日本の企業へ適切な資金が回らなくなります。一方「晴れの日に傘を貸す」という言葉に代表されるように、安全性重視の融資が優先されることで、日本の経済成長率の低下が加速しました。 日本の経済成長が低迷しデフレが長引く中、日本では預金神話が根強く残りました。金利はすでにゼロであるにもかかわらず、バブル期の高金利のイメージが拭いきれず銀行なら大丈夫という根拠のない考えが継続しました。またそれは、デフレにより物の値段が下がったことで、預金の購買力維持につながり、結果的に預金至上主義を助長することにつながりました。 国際比較をするとこの間の日本人の経済力の低下は一目瞭然です。それを示すのが、金融庁が様々な場面で紹介する以下の図です。米国・英国と比較し日本の金融資産額においては運用リターンによって得た物が圧倒的に少ないことが見て取れます。 (※) 金融庁「人生100年時代における資産形成」の事務局資料より抜粋 要は日本人の資産は、預金に偏りすぎていて、適切な投資を行っていないため、増えなかったということです。ここでの投資を別の言葉で言い換えると「直接金融」となります。これは、個人が自身の考えで企業を選びそこに投資をすることで、その企業の成長の果実を得ることをいいます。 アメリカにおいては、人々が新しい技術やサービスを提供するベンチャー企業に直接投資をすることにより、経済がどんどん発展したという例がその効果を証明しているとも言えます。 〇NISAの原型となるイギリスの制度「ISA」 実際日本はアメリカの成功事例に習い、「401k」という老後の資産形成の仕組みを確定拠出年金として2001年に導入しました。こちらは厚生労働省管轄の私的年金制度なので、金融庁が注目したのはこれとは別のイギリスの制度である「ISA」でした。 ISAは正式には「Individual Savings Account」といい、1999年よりイギリス国民のお財布として普及してきた制度です。Savingsとは貯蓄という意味ですが、実際イギリスにおいては、ISAの対象となる金融商品は幅広く、株や投資信託といったもの以外にも預金や保険もISA口座での運用が可能で、そこで得た利益がすべて非課税となります。 貯蓄口座なので流動性も高く、いつでも引き出しが可能という点も国民からの支持を集めました。子どもの教育資金や住宅資金、あるいは家族のレジャー資金など用途や引き出し時期に制限がないため、「まずはISA口座を持つ」という意識が広がり普及したと言われます。 〇NISAをめぐる金融庁と金融機関のぶつかり合い 冒頭NISAは10年の時を経て新しいNISAに生まれ変わるとお伝えしましたが、もちろんこの10年は決して平坦なものではありませんでした。金融庁は、投資による国民の健全な資産形成を願いながら、しばしば金融機関と激しくぶつかり合いました。 当時低金利で「売り物がない」金融機関は、毎月分配型の投資信託で手数料を稼いでいました。利益の分配が行われることは普通ですが、金融庁が問題視したのは「毎月」という点です。特に「年金のように毎月分配金が入る」と謳い高齢者に販売している姿勢を批判したのです。 当時の毎月分配型の投資信託には、元本を取り崩して分配金を出すものもありました。利益の分配金は、「普通分配金」と呼ばれており、これはもちろん課税対象ですからNISA口座で購入をすれば非課税メリットを得ることができます。 一方で元本を取り崩して行われる分配金は「特別分配金」と呼ばれ、これをもNISA口座で購入すれば非課税メリットが受けられるから良いのだというシナリオを用いたのです。特別分配金というと、なにか得をしているように思いがちですが、要は損失です。最近では「元本払戻金」と呼ぶように指導されていますが、当時はNISAを隠れ蓑に金融機関が不適切な営業を展開しているのではないかと金融庁は強い言葉で批判していました。 そこで登場したのが2018年のつみたてNISAです。ここでは、金融庁があらかじめ販売できる投資信託を厳選し金融機関の都合で顧客に金融商品を売らないようにと牽制したのです。筆者がどこの金融機関にも属さない独立系ファイナンシャルプランナーとして金融庁より「有識者コラム」の連載執筆を求められたのはちょうどこの頃です。 少額投資非課税制度は、イギリスのISAに習い、日本の「N」を頭につけてNISAと名付けられました。2014年に一般NISAが始まり、2018年につみたてNISAが追加され、2024年からは新NISAとして2つのNISAが統合されます。この10年の歴史は、単なる政治的キャンペーンでも金融機関のトレンドでもなく、国民の豊かな暮らしを願う国と、それを支えようとする金融庁が、独自の利益追求に走りがちな金融機関と闘ってきた歴史だと思うと、少し興味もわくのではないでしょうか? NISAの口座開設で、この制度をご自身の人生に取り込んでみてください。 (了)
2023年5月11日(木)AM10:30、 プロフェッションジャーナル No.518を公開! - ご 案 内 - プロフェッションジャーナルの解説記事は毎週木曜日(AM10:30)に公開し、《速報解説》は随時公開します。