日本の企業税制 【第32回】 「消費税率引上げ延期の影響」 -見直しが必要な関係法令- 一般社団法人日本経済団体連合会 経済基盤本部長 小畑 良晴 安倍首相は、6月1日、平成29年4月に予定されていた、消費税率の8%から10%への引上げについて、30ヶ月延期し、平成31年10月とすることを表明した。当初平成27年10月に予定されていた8%から10%への引上げは、これで当初の予定より4年間延期されることになる。 消費税率引上げを延期するためには関係法令の改正が必要であり、安倍首相は、「2019年10月からの引上げを明記した関連法案を秋の臨時国会で成立させたい」とした。 見直しが必要な関係法令を挙げると次の通りである。 1 消費税率・地方消費税率引上げの施行日 もともと、消費税率の平成26年4月と27年10月の二段階での引上げについては、平成24年8月に成立した「社会保障の安定財源の確保等を図る税制の抜本的な改革を行うための消費税法の一部を改正する等の法律」(税率は3条、その施行日は附則1条2号)及び「社会保障の安定財源の確保等を図る税制の抜本的な改革を行うための地方税法及び地方交付税法の一部を改正する法律」(税率は2条、その施行日は附則1条3号)において規定されていた。 前回の延期の際には、平成27年度税制改正に関する「所得税法等の一部を改正する法律」(18条)と「地方税法等の一部を改正する法律」(3条)において、もとの法律の施行日を定める規定(上記の附則)の改正が行われていた。今回も同様に、施行日を定める規定の改正が必要となる。 2 消費税率引上げに伴う経過措置 引き上げられた税率は、適用開始日以後に行われる資産の譲渡等、課税仕入れ及び保税地域から引き取られる課税貨物に係る消費税について適用され、適用開始日前に行われた資産の譲渡等、課税仕入れ及び保税地域から引き取られる課税貨物に係る消費税については、改正前の税率が適用されるが、適用開始日以後に行われる資産の譲渡等のうち一定のものについては、改正前の税率を適用することとするなどの経過措置が講じられている。 平成26年の8%への引上げの際の経過措置が、附則の読み替え規定によって10%への引上げ時にも準用されるのだが、この日付に関して、引上げ時期の延期に伴う修正が必要となる。 3 軽減税率の施行時期 消費税率の引上げ時期の延期と連動して、軽減税率の施行日も延期されることとなる。 平成28年度税制改正に係る所得税法等の一部を改正する法律の附則34条において、平成29年4月から適用される経過措置としての軽減税率制度が規定され、その施行日は平成29年4月1日とされている(同附則1条6号ヘ)ことから、施行日の変更が必要となる(【第29回】を参照)。 また、附則34条では軽減税率の対象となる資産の譲渡等を「29年軽減対象資産の譲渡等」と規定していることから、この文言の修正も必要である。 4 転嫁対策特別措置法 平成26年の8%への引上げに先立って平成25年10月に施行された「消費税の円滑かつ適正な転嫁の確保のための消費税の転嫁を阻害する行為の是正等に関する特別措置法」は、もともと10%への引上げ日(平成27年10月1日)から1年半後の平成29年3月31日を期限とする時限法であったが、前回の18ヶ月延期の際に期限が18ヶ月延長され平成31平成30年年9月30日とされている。 〔追記2016/6/17〕上記年表記に誤りがございました。お詫びの上、訂正させていただきます。 今回、さらに30ヶ月の延期となることから、この期限も30ヶ月延長し、平成33年3月31日とする必要があろう。 5 その他の税目 今回の消費税率引上げ延期は、消費税以外にも影響を及ぼすことが考えられる。 例えば、消費税率引上げを背景として平成29年4月に行われることとされている地方法人税率の引上げ(4.4%→10.3%)と法人住民税率の引下げ及び地方法人特別税の廃止と法人事業税(所得割税率2.9%分)への復帰の延期が予想される。 また、平成29年4月1日に廃止が予定されている自動車取得税と、同日から施行が予定されている、自動車税及び軽自動車税における「環境性能割」も、延期になるものと見られる。 さらに、平成27年度税制改正では、平成29年末までが適用期限とされていた最大50万円の所得税が減税される住宅ローン控除の適用期限を平成31年6月末まで18ヶ月延長したが(租税特別措置法41条1項・10項等)、今回の消費税率引上げ延期に伴い、この措置のさらなる延長も考えられる。 加えて、住宅ローン控除可能額のうち所得税において控除しきれなかった額を個人住民税から控除する制度の適用期限は、前回の引上げ延期の際に1年半延長され平成31年6月30日までの入居分とされていたところ(地方税法附則5条の4の2、45条)、この延長も必要であろう。 住宅取得等資金贈与の贈与税非課税特例も、平成29年4月1日の消費税率引上げに向けた契約締結の経過措置終了後(平成28年10月1日~)の反動減への対応として特別非課税限度額の創設が行われているが(租税特別措置法70条の2第2項6号・7号)、この措置についても適用時期を延期する必要がある。 (了)
平成28年度税制改正における 役員給与税制の見直し 【第1回】 「改正前の取扱いと過去の改正経緯」 公認会計士・税理士 鯨岡 健太郎 1 はじめに 平成28年3月31日に公布された平成28年度の改正税法では、かねてより改正要望の多かった役員給与に関する税制の見直しが盛り込まれた。 これに先立ち、平成27年12月16日に与党(自由民主党及び公明党)から公表された平成28年度税制改正大綱によれば、本年度の税制改正もまた、経済の「好循環」を確実なものとするため、企業が収益力を高めて前向きな国内投資や賃金引上げに一層積極的に取り組んでいくよう促す観点から引き続き成長志向の法人税改革が盛り込まれており、その一環として役員給与税制の見直しも織り込まれたものである。 そこで本稿では、役員給与に関する税制改正内容について整理するとともに、実務上の留意点についてとりまとめることとする。 あわせて、これまでの税制改正の経緯も振り返ることで、役員給与に対する法人税法上の考え方を明らかにしたい。 なお文中、意見にわたる部分は筆者の私見である。 2 平成28年度税制改正前における役員給与税制(条文番号は改正前) (1) 役員給与税制(役員給与の損金不算入) 内国法人がその役員に対して支給する給与(以下の(2)を除く)のうち、以下のいずれにも該当しないものの額は、損金の額に算入しない(法法34①)。 ① 定期同額給与 定期同額給与とは、その支給時期が1ヶ月以下の一定の期間ごとである給与(定期給与)で、その事業年度の各支給時期における支給額が同額であるものをいい、下表に掲げるものも含まれる(法法34①一、法令69①)。 【定期同額給与の範囲に含まれるもの】 ② 事前確定届出給与 事前確定届出給与とは、その役員の職務につき所定の時期に確定額を支給する旨の定めに基づいて支給する給与(定期同額給与及び利益連動給与を除く)をいい、同族会社に該当しない内国法人の非常勤役員に対して支給される給与を除き、納税地の所轄税務署長に対してその定めの内容に関する届出をしている場合におけるその給与に限る(法法34①二)。 下表に、届出手続の要否と期限についてまとめておく。 【届出の要否】 【届出期限】(法令69②) ③ 利益連動給与 利益連動給与とは、利益に関する指標を基礎として算定される給与をいい、損金算入される利益連動給与は、同族会社に該当しない内国法人がその業務執行役員に対して支給する利益連動給与のうち、以下に掲げる要件を満たすもの(他の業務執行役員のすべてに対して以下の要件を満たす利益連動給与を支給する場合に限る)をいう(法法34①三)。 【損金算入される利益連動給与の要件】(法令69⑦~⑩) (ア) 業務執行役員(法法34①三、法令69⑥) 対象となる業務執行役員は、利益連動給与の算定方法の決定又は手続(上表要件1-2)終了の日において、法人の業務を執行する次に掲げる役員に該当する者をいう。 取締役会設置会社における取締役 指名委員会等設置会社における執行役 上記に準ずる役員 (イ) 利益に関する指標 これは、有価証券報告書等に記載されている「営業利益」「経常利益」「税引前当期純利益」「当期純利益」といった「純粋な利益指標」を指すものである。 したがってそれ以外の指標(株価に関する指標、ROA等の利益に関連する指標)は対象とされていない。 (2) その他の役員給与税制 以下の①~④は、広義の役員給与に含まれるものの、(1)の役員給与税制の適用対象外とされるものであり、別の取扱いを受けることとなる(法法34①本文カッコ書き)。 このうち①~③については、原則として損金の額に算入されるものであるが、不相当に高額な部分とされる一定の金額は損金の額に算入されない(法法34②)。 また④については、その全額が損金不算入とされる(法法34③)。 3 法人税における役員給与の取扱いと過去の改正経緯 (1) 役員給与の取扱いの趣旨 法人税における役員給与の取扱いは、もともと、役員給与の支給の恣意性を排除して適正な課税を実現するという観点から設けられたものである。いうまでもなく、役員給与は役員の職務執行の対価であるから、支払われた役員給与の金額のうち、職務執行の対価として相当と認められる額に損金算入額を制限するという考え方である。 そのうえで、役員給与が職務執行の対価として相当か否かを個々の事例に応じて実質的に判断することが困難であることを踏まえ、平成18年度の税制改正前においては、この区別をもっぱら役員給与の外形的な支給形態に応じて行うこととし、定期に定額支給されるものを「報酬」として損金算入を認める一方、それ以外のものを「賞与」として損金不算入としてきた。 しかしこの区別については、基準としては明確なものである反面、画一的・形式的にすぎるといった指摘もあったところである。 (2) 平成18年度税制改正における見直し これを受けた平成18年度の税制改正では、会社法の制定(平成18年5月1日施行)や会計制度の改正等、周辺の制度が大きく変わる機会を捉えて、役員給与の損金算入のあり方を見直すこととなった。 具体的には、支給形態に着目するのではなく、「支給額に恣意性があるかどうか」との観点から損金算入の可否を判断することとし、恣意性の排除された「事前確定届出給与」及び「利益連動給与」について損金算入が認められることとなった。 しかしながら、特に利益連動給与については、法人の利益と連動して設定されるため課税上の弊害が最も大きいと考えられ、上表で触れたように、損金算入のための厳格な要件が付されているのである。 (3) 平成28年度税制改正へ向けた動き 利益連動給与については、この厳格な要件がネックとなって、経営者のインセンティブを確保するための柔軟な報酬設計が困難な状況となっているとの指摘がなされていた。平成27年8月25日に経済産業省より公表された「平成28年度税制改正に関する要望」においても、『役員報酬税制に関する上場企業の声』として、以下のような意見が紹介されていたところである。 さらには、平成27年6月より施行されているコーポレート・ガバナンス・コード(下参照)においても、経営者報酬について、中長期的な会社の業績等を反映させたインセンティブ付けを行うべきとされている。 (出典:『「攻めの経営」を促す役員報酬~新たな株式報酬(いわゆる「リストリクテッド・ストック」)の導入等の手引き~(平成28年6月3日時点版)』(経済産業省資料)p.4) (了)
裁判例・裁決例からみた 非上場株式の評価 【第9回】 「募集株式の発行等⑧」 公認会計士 佐藤 信祐 前回は、東京地裁平成4年9月1日判決、東京地裁平成6年3月28日判決について解説を行った。 【第9回】に当たる本稿では、東京地裁平成9年9月17日判決、千葉地裁平成8年8月28日判決、大阪高裁平成11年6月17日判決について解説を行うこととする。 12 東京地裁平成9年9月17日判決・判時1640号160頁 (1) 事実の概要 本事件は、株主総会の特別決議を得ずに新株の発行が行われ、発行済株式総数の51%を有していた株主の保有比率が33%まで減少したため、①株主総会及び取締役会の招集通知をしなかった、②有利発行に該当する、③会社支配のための不公正発行であるという点につき、それぞれ争われた事件である。 本稿は、非上場株式の評価についての連載であるため、②の争点についてのみ解説することとする。 (2) 裁判所の判断 (3) 評釈 このように、裁判所は、専門家の計算を求めることで、その結果が明らかに不合理である場合を除き、取締役は免責されると判断した。 なお、前年の路線価の使用、含み益に対する法人税額等相当額の控除などが不合理であったかどうかを検討した結果、明らかに不合理ではないと判断しているが、専門家でない取締役にそこまで技術的な判断を負わせる必要があったのかは疑問である。 実際は、専門家の計算を求め、かつ、その内容につき一応の説明を受けていれば、その内容が明らかに間違いでない限り、取締役は責任を負わないということになるのであろうか。この点については、取締役の損害賠償責任についての法務的な判断となるため、本稿では、これ以上は立ち入らないこととする。 13 千葉地裁平成8年8月28日判決・判時1591号113頁 (1) 事実の概要 本事件は、取締役が結託し、代表取締役を解任するとともに、公募により新株6万株を1株につき1,200円で発行したことに対し、①解任決議が不適法であること、②新株の発行が支配権獲得目的であり、かつ、有利発行に該当するものとして争われた事件である。 本稿は、非上場株式の評価についての連載であるため、後者についてのみ解説を行うこととする。 (2) 裁判所の判断 裁判所は、経営支配権獲得のための不公正発行であると判断したうえで、その損害額の算定につき、 と判示した。 (3) 評釈 このように、裁判所は、閉鎖的な中小会社であること、支配権争いの中での新株発行であることを理由として、時価純資産価額方式を採用した。なお、以前の裁判例(【第8回】参照)と異なり、非流動性ディスカウントは行われなかったようである。 14 大阪高裁平成11年6月17日判決・判時1717号144頁 (1) 事実の概要 本事件は、経営権争いがなされている株式会社が、反対派株主に株主総会招集通知をしないで、第三者に対し有利発行を行ったことにつき、取締役の損害賠償責任が争われた事件である。 本事件は、差戻前控訴審(大阪高裁平成5年11月18日判決)で取締役の義務違反がないとしたが、上告審(最高裁平成9年9月9日判決・判時1618号138頁)では取締役の義務違反があったとされたため差し戻された事件である。 本稿では、損害額の算定についてのみ解説を行うこととする。 (2) 裁判所の判断 (3) 評釈 このように、裁判所は、類似業種比準方式を2、時価純資産方式を1の割合で按分して株価の算定を行っている。この按分割合が妥当かどうかという点は疑問があるが、このような不可解な按分はいくつかの裁判例で見受けられるところであり、あまりその点は気にする必要はないと思われる。 本事件では、支配株主にとっての株式価値で評価がなされて、新株発行前の株価と新株発行後の株価との差額を損害額として認定しているという点のみを理解しておけば十分であると考えられる。 なお、本連載でも触れていくが、譲渡制限株式の譲渡についての売買価格決定の申立ての事件での最近の潮流はDCF方式、収益還元方式であり、本事件のような時価純資産方式と類似業種比準方式の按分というやり方はあまり採用されておらず、もし、本事件が最近の事件であれば、損害の算定方法は変わっていた可能性もあるという点にご留意されたい。 次回では、アートネイチャー事件(最高裁平成27年2月19日判決)について解説を行う予定である。 (了)
理由付記の不備をめぐる事例研究 【第13回】 「交際費と外注費」 ~外注費ではなく交際費等に該当すると判断した理由は?~ 中央大学大学院商学研究科 博士後期課程 (酒井克彦研究室所属) 泉 絢也 今回は、青色申告法人X社に対して、外注費を否認して、交際費等に該当するものとした法人税更正処分の理由付記の十分性が争われた那覇地裁平成15年12月24日判決(税資253号順号9498。以下「本判決」という)を取り上げる。 1 更正通知書に記載された更正の理由(本件理由付記) (注) 素材とした本判決の判決文から読み取ることができる理由付記の一部を筆者が加工している。 2 本件理由付記から読み取ることができる関係図 3 本判決の判断 本判決は、大要次のとおり、理由付記に不備はないと判断した。 (1) 求められる理由付記の程度 (2) 理由付記の十分性 4 私見 (1) 関係法令等の確認 本件更正処分は、X社がB社に対する外注費として計上した2,904万6,000円は、外注工事として施工した事実がなく支払ったものであり、本件防音工事の受注に際して便宜を図ってもらった謝礼として支払ったものと認められるから、租税特別措置法61条の4の交際費等に該当するものとして、損金算入を否認するものである。 一般に、次の3つの要件すべてを満たす支出は交際費等に該当すると解されている(東京高裁平成15年9月9日判決・判時1834号28頁等参照)。 ただし、「専ら従業員の慰安のために行われる運動会、演芸会、旅行等のために通常要する費用」など一部の費用については交際費等から除かれている(措法61条の4④一~三、措令37の5)。 (2) 求められる理由付記の程度 本判決も述べるとおり、本件更正処分は、X社が、帳簿上、本件機械室工事をB社に外注したものとして、同社に対する外注費として損金の額に算入した2,904万6,000円について、外注工事として施工した事実がなく支払ったものであり、本件防音工事の受注に際して便宜を図ってもらった謝礼として支払ったものであるとして、当該金額を交際費等の額に含めるものである。したがって、本件更正処分は、X社の帳簿書類の記載自体を否認して更正する場合に該当するものと考える。 したがって、理由付記の程度としては、 ことになる(最高裁昭和60年4月23日第三小法廷判決・民集39巻3号850頁等参照)。 (3) 理由付記の十分性 次のとおり、本件理由付記は、法の求める理由付記として十分なものであると考える。 ア 信憑力のある資料の摘示の有無 本判決も述べるとおり、本件理由付記は、本件金員が外注費であるという帳簿記載の事実を否認するに当たり、単に更正に係る勘定科目とその金額を示すだけではなく、本件理由付記の①ないし⑤のとおり、X社らJVの決算書、B社の帳簿、B社の代表取締役の供述、X社らJVの工事日誌などの資料(帳簿記載以上に信憑力のある資料)とこれらの資料に基づいて認定した事実を具体的に摘示している。 また、本件理由付記はこれらの資料に基づいて、B社が本件機械室工事を施工した事実はなく、X社がB社に支払った2,904万6,000円は本件防音工事の受注に際して便宜を図ってもらった謝礼として支払ったものと認定して、これを交際費等に算入した旨を更正の根拠として具体的に明示している。 以上からすれば、本件理由付記は、単に更正に係る勘定科目とその金額を示すだけではなく、更正処分の根拠を帳簿記載以上に信憑力のある資料を摘示することによって具体的に明示していると評価し得る。 イ 理由付記の趣旨目的との適合性 加えて、本件理由付記中の「本件防音工事の受注に際して便宜を図ってもらった謝礼として支払ったものと認められる」という記載は、結果論かもしれないが、上記《交際費等の3要件》のうち、【2】又は【3】の要件に対応するものである。本件更正処分において、課税庁が交際費等の要件をどのように解していたのかについて、直接的には明記されていないが、かかる記載部分は、少なくとも、課税庁が「工事の受注に際して便宜を図ってもらった謝礼として支払ったもの」は交際費等に該当するための要件ないし要素と解していたことを意味するのであろう。 これらの点からすれば、本件理由付記は、その記載内容から法令上の根拠が明らかになるものであり、かつ、法令上の要件に対応する具体的な事実を記載するものであり、これによって課税庁の判断過程が明らかとなるものであるから、更正処分庁の判断の慎重、合理性を担保してその恣意を抑制するとともに、更正の理由を相手方に知らせて不服申立ての便宜を与えるという理由付記の趣旨目的に適うものであると考える。 * * * 次回は、一部の役員及び従業員が酒食するために支出した費用を、福利厚生費ではなく交際費等に該当するものとした法人税更正処分の理由付記の事例を取り上げる。 (了)
税務判例を読むための税法の学び方【84】 〔第9章〕代表的な税務判例を読む (その12:「一時所得の計算における所得税法34条2項の 「その収入を得るために支出した金額」の範囲②」(最判平24.1.13)) 立正大学法学部准教授 税理士 長島 弘 5 裁判所の判断(福岡高裁平成21年7月29日判決)の判断) これは裁判所ホームページや税務大学校の税務訴訟資料にて判決が公開されているため、入手し、読んでいただきたい。 控訴審においても、 としながらも、 として、としている。 このように法律の文言上からは明らかにできない旨判示し、政令規定からこれを判断するしかないとして、政令の検討に移り、と判示する。 そしてまた通達についてもとする。また国が所得税法34条2項の「その収入を得るために支出した金額」として控除できる保険料等は、所得者本人が負担した金額に限られるとの解釈を前提に、通達を文言どおり解釈するのは誤りであると主張する点については、と判示する。 また国の「所得税基本通達34-4における所得者の一時所得の金額の計算上控除できる「支払を受ける者以外の者が負担した保険料又は掛金」は、当該保険料等につき一時金等の支払を受けた者に対し給与課税される等して、当該保険料の支払を受けた者が実質的に負担したものを指す」との主張に対しては、と租税法律主義の点からこれを否定している。 そして国の「本件満期保険金等に係る一時所得の計算上、法人損金処理保険料を控除できるとすることは、結論においても不合理である」との主張に対してはと判示し、原審を支持した。 6 裁判所の判断(最高裁第二小法廷平成24年1月13日判決)の判断) これは裁判所ホームページや税務大学校の税務訴訟資料にて判決が公開されているため、入手し、読んでいただきたい。なお、ここでは取り上げない須藤裁判官の補足意見は、租税法律主義を考える上で参考になるものがある(例えば「『疑わしきは納税者の利益に』との命題は、課税要件事実の認定について妥当し得るであろうが、租税法の解釈原理に関するものではない」と述べている)ので、是非一読してもらいたい。 最高裁は、第一審及び控訴審で、租税法律主義の点から納税者の主張を認めたのに対して、一転、国側の主張を認め、所得者以外の者が負担した保険料は控除できないとしたのであった。その理由は以下のとおりである。 (1) 一般的法命題 (2) 小前提 (3) あてはめ * * * 次回はこの事案を通じた考察を行う。 (続く)
ストーリーで学ぶ IFRS入門 【第3話】 「概念フレームワークを学ぶ(前編)」 仰星監査法人 公認会計士 関根 智美 今日は、IFRSの早朝勉強2回目の日だ。入社3年目の桜井は、同じ経理部の先輩である藤原にIFRSについて教えてもらうことになっている。桜井の勤める会社は規模こそ大きくないが上場会社であり、IFRSの導入を検討していることから、桜井もIFRSを勉強することになったのだ。 「どうした?難しい顔してるぞ。」 藤原よりも先に出社して、IFRSの本を読んでいる桜井の眉間に深い皺が寄っていた。 「あ、おはようございます。今日は概念フレームワークについて勉強するって言ってたじゃないですか。それで、予習しようとこの前買ったIFRSの入門書を読んでいたんです。」 「お前、真面目だな~」 「ありがとうございます。でも、この概念フレームワークの章を読んでも頭にすんなり入らなくて・・・。難解な日本語で説明しているわけじゃないんですが。」 どれどれ、と藤原が桜井の本を覗き込む。 「概念フレームワークは抽象的すぎるからな。しかも、『〇〇性』って用語がいっぱい出てきて、どれがどの要素かどんどん混乱していくんだよなぁ。そして睡魔に負けるってパターンだ。」 「仕事の後に勉強してたら、確実に熟睡してますね。」 「それだよな、早朝勉強の良いところ。その代わり、残業があると辛いんだけどさ。」 2人は暫く笑い合っていたが、藤原は「コホン」と咳払いすると、真面目な口調で話し始めた。 概念フレームワークの位置づけ 「だが、概念フレームワークは重要だから押さえておく必要があるぞ。ちなみに英語では、The Conceptual Framework for Financial Reportingと言う。」 「うっ、さっそく英語ですか・・・。でも、これってIFRSの基準ではないですよね。何か特定の会計処理を定めているわけではないですし、IFRSの基準や適用指針一覧表を見ても、見当たりませんよ。IFRS第1号は「国際財務報告基準の初度適用」となっています。」 「良いところに気がついたな。それは、概念フレームワークがIFRSの枠外で定められているためだ。」 藤原は、以前書いたIFRSの構成要素の図に「概念フレームワーク」のボックスを書き加えた。 「図で描くとするなら、こんな感じかな。IFRSには含まれていないけど、影響を与えているという関係だ。」 【概念フレームワークの位置づけ】 「あ、なるほど。」 「そもそも概念フレームワークは、財務諸表の作成及び表示の基礎を体系化したものだ。簡単に言うと、財務会計の前提や基礎概念についてまとめたものなんだ。 概念フレームワークを予め定めることで、新しい基準を開発する時や現行基準を改定する時の基礎を提供したり、個々の基準間の論理的整合性を確保している。」 「つまり、IFRSの屋台骨ってことですね。」 概念フレームワークと企業会計原則の違い 「と言うことは、概念フレームワークって日本の企業会計原則みたいなものなんですか?」 「いや、概念フレームワークは企業会計原則とは性質が違うんだ。」 「え?そうなんですか?」 「企業会計原則は概念フレームワークと違って、会計基準の1つだ。ちなみに、日本にも概念フレームワークはあるんだぞ。討議資料として2006年に公表されている。」 「あ!そう言えば、簿記の勉強の時に聞いた記憶があります。すっかり忘れてましたけど。」 「まぁ、いい。ここではIFRSのことに絞って説明しよう。企業会計原則は、『企業会計の実務の中に慣習として発達したもののなかから、一般に公正妥当と認められたところを要約したもの』と定義されていて、帰納的アプローチで作られている。ここまでは、いいか?」 「はい、大丈夫です。」 「一方、IFRSは、財務報告の目的や資産・負債などの重要概念を設定して、そこから個々の会計基準を設定していくという演繹的アプローチを採っている。その目的や重要概念を設定しているのが、概念フレームワークなんだ。 帰納法による会計基準の設定と演繹法による会計基準の設定をイメージで表すとこんな感じになる。」 「でも、なぜ帰納的アプローチじゃなくて、演繹的アプローチを採っているんですか?」 「帰納的アプローチだと、会計実務が前提となっているだろう?会計実務にない取引が発生したときに対応できないし、今までの会計実務が適切に経済的実態を表さない処理をしていた時に改善することが難しいといった問題が指摘されていたんだ。それに、それぞれの会計基準の間で整合性が取れていないということも言われていた。」 「なるほど。それで、まず概念フレームワークを設定して、そこから演繹的に会計基準を設定していくことにしたんですね。」 概念フレームワークの役割 「さっきも説明した通り、概念フレームワークは会計基準設定の指針となり、各会計基準間の整合性を取るという役割があるが、その他にも重要な役割があるんだ。」 「他の役割ですか?」 「そうだ。例えば、ある事象に対して、具体的に適用できる基準や解釈指針が存在しない場合だ。その場合、まず類似の事項や関連する事項を取り扱っている他のIFRSの定めを参照するんだが、それでも会計方針を決定できない時は、概念フレームワークで定めている定義や規準、概念を参照して、その適用の可否を検討することになる。」 「なるほど。だから、概念フレームワークを理解する必要があるんですね。」 藤原は頷くと、もちろん、とさらに言葉を続けた。 「概念フレームワークはIFRSを構成するものではないから、いわゆる規範性というものはない。だから、IFRSの基準で定められていることが、概念フレームワークと整合しない場合は、IFRSの規定が優先されることになる。」 「あれ?でも、さっきの説明では、概念フレームワークは会計基準と整合するんじゃないですか?演繹法を採用しているんですよね?」 「どうして概念フレームワークと会計基準が整合しないのか。それは、概念フレームワークが設定される前からIFRSやIASが先に策定されていたからなんだ。ただ、今後基準の見直しする際に概念フレームワークを指針とするから、そういった不整合は減少していくと言われているけどな。」 「そういうことですか。分かりました!」 「次に概念フレームワークの中身についての説明だ。概念フレームワークで扱っている事項は?」 桜井は藤原の言葉を受けて、本の該当ページを開く。 「それなら分かりますよ。概念フレームワークが取り扱っている事項は4つです。下にまとめてあります。」 「そうだな。とりあえず、上の項目のうち、1つ目と2つ目の項目を簡単に理解して、3つ目の構成要素の定義、認識及び測定の部分をしっかり押さえておけば大丈夫だろう。最後の資本及び資本維持の概念については、本を読んでおくくらいで大丈夫だ。」 「え、4つ目は、説明してくれないんですか?」 「今説明しても、お前には難しいからな。」 桜井はまだ納得していない様子だ。藤原はため息をついて簡単に内容を説明することにした。 「簡潔に言うとだな、4つ目の項目では、まず資本概念を定義して、そこから生じる資本維持の概念により何が利益とされるのか、利益が測定される評価の基準を示しているんだ。」 「・・・はぁ。」 「な?そういう反応になるだろ?現段階で知らなくても困らないし、今後必要になった時に詳しく説明してやるから心配するな。」 「はい。では、その時にお願いします。」 藤原の簡潔な説明でも全くピンと来なかった桜井は、素直に先輩の言葉に従うことにした。 財務報告の目的 「今日は、財務報告の目的と有用な財務情報の質的特性について勉強していこう。 さっそく、財務報告の目的について説明するぞ。概念フレームワークの範囲のうち、一番上の項目だ。」 「はい。緑色に網掛けしている項目ですね。」 「概念フレームワークでは、財務報告の目的(objective)は、現在の及び潜在的な投資者、融資者及び他の債権者(彼らを『主たる利用者(primary users)』という)が、(a)企業への資源の提供に関する意思決定を行う際に(b)有用な(useful)、報告企業についての(c)財務情報を提供すること、と規定されている。」 所々に英語が散りばめられた説明を聞いて桜井は一瞬ひるんだが、どの英単語も比較的難しくなかったため、すぐに気を取り直して藤原に質問した。 「下線が引いてある(a)、(b)、(c)がポイントになるんですよね?」 「その通りだ。」と藤原は桜井に向かって頷いた。 意思決定に役立つ情報とは 「まず(a)『企業への資源の提供に関する意思決定』に関する箇所だが、意思決定の際に主たる利用者が必要としているのは、将来の正味キャッシュ・インフローの見通しを評価するために役立つ情報だ。彼らの投資に対して期待するリターンを判断するためだな。」 「はい。」 財務情報には何が含まれるのか 「次の(b)『有用な(useful)』は次に説明する有用な財務情報の質的特性と内容が被るから、後でまとめて説明することにして、先に(c)財務情報の部分に移ろう。 概念フレームワークでは、財務報告は 企業の経済的資源(economic resources)と企業に対する請求権(claims)に関する情報 企業の経済的資源と企業に対する請求権を変動させる取引やその他の事象に関する情報 の2つの情報を提供するものと書かれてある。」 桜井はそこで手を少し上げて、藤原に質問した。 「経済的資源とは、つまり資産のことで、請求権というのは負債のことと捉えていいんですよね。ということは、1つ目の情報はいわゆる貸借対照表のことを指しているんですよね?」 「そうだ。ただ、IFRSでは貸借対照表ではなく、財政状態計算書(statement of financial position)という名称を使うことが一般的だ。 そして、2つ目に書かれている『変動させる取引に関する情報』には、企業が経済的資源つまり資産を使って生み出したリターンである財務業績(financial performance)と資本取引などの財務業績以外の事象や取引がある。また、キャッシュ・フロー計算書も主たる利用者が企業の将来のキャッシュ・インフローを生み出す能力を判断することに役立つことから財務報告に含まれている。」 「2つ目に規定されている情報とは、財務業績を表す計算書、資本取引などの財務業績以外の変動を表す持分変動計算書、キャッシュ・フロー計算書が含まれているんですね。 難しい言い回しですけど、よく見ると日本基準の財務諸表本表と同じものなんですね。」 「そう言えるな。ただ、IFRSに基づく財務諸表と日本基準の財務諸表には異なる点もあるから、今度改めて説明した方が良さそうだな。」 「よろしくお願いしまーす」と、調子よく答える桜井に苦笑しながら、藤原は次の項目の説明に移った。 有用な財務情報の質的特性 「では、続いて概念フレームワークの範囲の2つ目に挙がっていた有用な財務情報の質的特性とは何か、に入ろう。」 「はい、分かりました。」 「有用な財務情報の質的特性には大きく2種類の特性がある。1つは基本的質的特性(fundamental qualitative characteristics)、もう1つが補強的質的特性(enhancing qualitative characteristics)だ。 次の図が、有用な財務情報の質的特性についてまとめた図だ。」 桜井は藤原が新しく示した図表に目を移した。基本的質的特性と補強的質的特性の下にはさらにボックスが並んでいる。 「2種類の質的特性にはさらに細かな要件が示されているんだ。1つずつ見ていくことにしよう。」 「はい、お願いします。」 ◆基本的質的特性 「まずは、基本的質的特性(fundamental qualitative characteristics)についてだ。」 「上の図で言うと、左側にある緑色のボックスですね。」 「そうだ。財務報告の目的の中で、「(b)有用な(useful)」という条件があったろう?」 桜井は頷いた。 「財務報告が『有用』であるためには、いくつか要件があるんだ。そのうち、必ず満たす必要がある要件を基本的質的特性という。これには2つあり、『目的適合性』(relevance)、『忠実な表現』(faithful representation)が挙げられる。」 目的適合性の3つの特性 「さて、質問だ。『目的適合性』とは何か、分かるか?」 桜井はIFRSの本をめくると、眉間に皺を寄せながら本に書かれている目的適合性に関する文章をそのまま読み上げた。 「1つ目の特性である『目的適合性』を満たす情報とは、主たる利用者の意思決定に違いを生じさせることができる情報のことをいい、予測価値(predictive value)と確認価値(confirmatory value)の双方、もしくはどちらか一方を満たしているものを言う、と規定されているんですよね?」 「その通りだ。」と、藤原。 「・・・先輩、読み上げてはみたものの、実はこの文章を理解できていないんですが・・・」 「はは、まあそうなるよな。そのままだとちょっと難しいし、一つひとつ説明していこう。」 「お願いします。」 「まず、「予測価値がある」とは、その情報が、利用者が将来の予測を行う際にインプットとして使用できるということだ。そして、「確認価値のある情報」とは、過去に予測した評価のフィードバックをもたらす情報のことをいう。つまり、主たる利用者にとって将来の予測に利用したり、過去の予測を確認したりするために利用できる情報であれば、利用者それぞれの意思決定に違いを生じされることができ、そういった情報は目的適合性を満たすと書かれているんだ。」 「なるほど!そう噛み砕いて理解していけばいいんですね!」 「IFRSの他の基準でも言えることだが、基準を読んでもなかなか理解できない時は、原文に戻ると比較的理解しやすかったりするぞ。英語と言っても、専門用語さえ押さえてしまえば平易で明瞭な文章で書かれるように配慮されているから理解の一助になる。」 「えー、また英語ですかぁ?英語の会計基準なんてハードルが高すぎますよ~」 藤原は、あからさまに不平を言う桜井の頭を軽く小突く。 「こら、まだ『目的適合性』についての説明は終わってないぞ。」 「え?他にも『目的適合性』に関して規定があるんですか?」 「重要性(materiality)だ。概念フレームワークでは、重要性はこの『目的適合性』の1つの側面として捉えているんだ。」 「重要性も『目的適合性』に含まれるんですか?でも、さっきの確認価値とか予測価値の話とは関係ないように思えますけど・・・」 「まぁ、聞け。概念フレームワークによると、ある情報が重要かどうかは、それが脱漏したり、誤表示されることで財務報告利用者の意思決定に影響する可能性があるかどうかで判断する、とある。」 「それは感覚的に理解できますね。その情報が重要でないなら、抜けていたり、間違っていても意思決定に影響は与えませんから。・・・あ、なるほど。」 藤原は片眉を上げて、桜井に先を促す。 「『利用者の意思決定に影響を与えるかどうか』という共通項で、重要性も『目的適合性』に含まれるんですね。」 「そういうことだ。ちなみに、重要性に関して、統一的な数値範囲を明示することや、特定の状況で何が重要性があるものとなり得るかを前もって決定できないとも書かれている。 つまり、ある事象が重要かどうかは、個々の会社ごとにその状況に応じて、その情報が脱漏したり、誤表示されることで利用者の意思決定に影響を与えるかという観点から自分たち判断することになる、ってことだ。」 「自分たちで重要かどうかを判断する、ですか。原則主義のIFRSらしい規定ですね。」 「だな。」 忠実な表現の3つの特性 桜井は次の基本的質的特性の項目に目を移した。 「2つ目の特性は「忠実な表現」ですか。これなら僕も説明できますよ。 情報が忠実に表現されるには、3つの特性を満たす必要がある、とあるんですよね。つまり、完全性(complete)、中立性(neutral)、そして誤り(free from error)がないこと。」 桜井は、続けてその一つひとつの項目の定義を指を折りながら読み上げていく。 「・完全性とは、描写された事象を利用者が理解するのに必要なすべての情報を含んでいること ・中立性とは、財務情報の選択や表示に偏りがないこと ・ある現象の記述や財務報告の作成プロセスにおける選択とその適用に誤りがないこと 以上の3点です。 この部分は、ばっちりです。」 「ちゃんと勉強しているじゃないか。」 感心している藤原に桜井はニヤリと笑い返した。 ◆補強的質的特性 「先輩、次は右側のボックスにある補強的質的特性(enhancing qualitative characteristics)についてですね。」 「この特性は、基本的質的特性と違って、情報が有用であるために必須とされているわけではない。名称に『補強』とあるように、基本的資質的特性が満たされていることを前提に、より情報の有用性を高める特性を持つものを言うんだ。補強的質的特性は、『比較可能性』(comparability)、『検証可能性』(verifiability)、『適時性』(timeliness)、そして『理解可能性』(understandability)の4つが列挙されている。」 「どの特性もそのまま理解できそうですね。」 桜井は安心した表情だ。 4つの補強的特性の定義 「一応確認のために各特性を簡単に説明すると、こんな感じだな。 『比較可能性』は、項目間の類似点と相違点を利用者が識別し、理解することを可能にする特性のことだ。企業間比較や時点間比較などがある。 『検証可能性』とは、知識の有する独立した別々の観察者が直接的または間接的に検証することで、特定の描写が忠実な表現であるという合意に達し得るということを意味する。 『適時性』は利用者の意思決定に影響を与えることができるように適時に情報を利用可能とすることだ。一般的に情報が古くなればなるほど、有用性は低くなる。 『理解可能性』とは、情報が分類、特徴づけされ、明瞭かつ簡潔に表示されていることをいう。」 「なるほど。これらの4つの特性は満たせば、利用者にとって情報がより役立つものになるというわけですね。そして、補強的質的特性を満たしていても、基本的質的特性である目的適合性が欠けていたり、情報が忠実に表現されていないのであれば、そもそもその情報は有用とは言えないということですね。」 「なかなか理解が早いじゃないか。」 「ええ。これなら僕でも大丈夫です。」 コストの制約 「でも、先輩、こんなに沢山ある質的特性を満たして利用者が満足する財務情報を作るのは大変そうですね。」 「そうなんだ。それにコストの制約(cost constraint)がある。」 「コストの制約?何ですか、それは?」 「財務報告の有用性を高めるにはコストをかける必要がある。コストとは、財務情報の収集、加工、検証及び配布に費やす労力のことだ。ここまでは、大丈夫だな?」 「はい。分かります。」桜井は頷いた。 「一般にコストをかければかけるほど、情報の有用性は高まる。つまり、利用者がより満足する情報提供ができるという関係がある。そして、有用な財務情報を提供することは利用者のより的確な意思決定に役立つという意味で資本市場の機能の効率を高め、経済全体の資本コストを低くするという便益が生じる。さらに、個々の利用者にとってもより詳しい財務情報が得られるという便益も発生する。」 「コストをかければ、いいことだらけじゃないですか。」 しかし、と藤原は続けた。 「企業が有用な情報を提供するためにかけたコストは、結局利用者に企業のリターンの低下、という形で帰ってくるんだ。それに、利用者がその提供された財務情報を分析するコストもかかってくる。さらに必要な情報が提供されない場合には、他から情報を入手したり見積もったりするための追加的なコストも生じる。 だから、財務報告することによる便益がその情報を提供及び利用するたに生じるコストを正当化できるか、ということが重要となるってわけだ。」 「そういうことですか。コストをかけたのに、それに見合う便益が得られないのであれば、経済合理性に欠けるということですね。」 「何事もバランスが大事ってことだな。」 * * * 「今日はここまでだ。最後に今日教えたことをまとめた図を載せておくから、きちんと復習しておくように。」 「はい、分かりました。」 桜井にとっては長い一時間の授業が終わった。 (了)
〔会計不正調査報告書を読む〕 【第46回】 株式会社日本ハウスホールディングス 「調査委員会報告書(平成28年4月13日付)」 税理士・公認不正検査士(CFE) 米澤 勝 【調査委員会の概要】 【株式会社日本ハウスホールディングスの概要】 株式会社日本ハウスホールディングス(旧社名:東日本ハウス株式会社。以下「ハウスHD」と略称する)は、昭和44年設立。住宅の請負建築事業を中核に、ホテル事業、ビール事業、太陽光発電事業を行っている。連結売上高50,165百万円、経常利益3,282百万円。従業員数1,473名(数字はいずれも平成27年10月期)。本店所在地は岩手県盛岡市であるが、本社機能は東京都千代田区にある。東京証券取引所一部上場。 不適切な会計処理が発覚した株式会社銀河高原ビール(以下「ビール」と略称する)は平成6年11月設立の東日本沢内総合開発株式会社がその前身であり、平成22年2月に現社名に変更、平成23年12月、ハウスHDの完全子会社となっている。ビール単体の売上高は1,057百万円、経常利益64百万円、従業員数は19名(平成27年10月期)。 ハウスHDは、平成6年から地ビール製造に参入してきたが、ビール業界における競争激化などを理由に新設した4か所の工場のうち3か所を操業停止して、その経営母体を清算してきた。 【調査委員会報告書の概要】 1 不適切な会計処理が発覚した経緯 平成28年2月25日、平成28年10月期第1四半期レビューにおいて、ハウスHDの会計監査人である優成監査法人から、ビールについて「第1四半期の売上高と比較して、第1四半期末の売掛金残高が大きすぎる。滞留債権があるのではないか」との指摘があり、ハウスHDの連結決算担当者が、ビール管理部副課長(以下「ビール副課長」と略称する)に問い合わせた。 3月2日になって、監査法人がビール副課長より入手した売掛金明細の合計額に不一致があることを発見し、資料に改ざんの疑いがあることを経理部長・常勤監査役に報告した。これを受けて、常勤監査役は、経理・財務の責任者であるビール工場長に調査を指示した。 ビール工場長は、当初、ビール管理部主任(以下「ビール主任」と略称する)が、個人的な売上高の集計ミスを隠蔽するために行ったと説明したが、常勤監査役・経理部長・監査法人で現地に赴いて調査を行った結果、3月5日、組織的な利益の過大計上であったことが判明し、翌6日、臨時取締役会を開催して、調査委員会が発足した。 2 不適切な会計処理の概要 ビールにおける不適切な会計処理は大きく4つに分類され、それぞれが損益に与えた影響額は以下の表のとおりである。 (1) 売上・売掛金の過大計上 販売管理システムから出力したエクセルデータには、現在取引のない得意先名も表示されていたため、ここに実在しない売上を記入して、架空の売上計上を行っていた。監査法人による往査に際しては、売掛金明細表上の「当月発生額」と「当月回収額」に任意の数字を書き込み、滞留債権ではないように偽装するとともに、合計金額を直接入力することにより、請求一覧表などの数値と合致させていた。また、売掛金残高確認の対象となることを避けるため、多数の得意先に分散して、架空売上を計上していた。 (2) 棚卸資産の過大計上 棚卸資産管理はエクセルで行っていたため、エクセル上の在庫数量及び単価を操作することによって、在庫の過大計上を行っていた。監査法人の実地棚卸では、実際は空のタンクにビールが貯蔵されているように見せかけるためメータの細工を行ったこともあり、また、倉庫業者の在庫証明は、偽造して数量を水増ししたものを監査法人に提出していた。 (3) 売上原価・販管費計上の次期繰延 受取済みの請求書を意図的に決算に織り込まずに、次期に繰り延べるため、項目別・相手先別にエクセルで集計、管理していた。 3 関与者 調査委員会が認定した関与者は以下の5人である。 不適切な会計処理を始めたのは工場長と管理部副課長であり、管理部副課長が、会社計画と実績の差をどのような操作で埋めるかを計画し、工場長がこれを承認、他の関与者には、管理部副課長が伝達していた。 4 不適切な会計処理に至った背景と目的 ビールの業績は長期間にわたり低迷してきたが、平成23年10月期は、東日本大震災により大手メーカーの供給量が減少したことを受けて、黒字化した。翌期の業績は、震災以前の水準に戻ることが予想されたが、ハウスHDの意向を反映して、利益計画は小幅減の水準とされたことから、利益の過大計上を行うに至った。 また、ビール代表取締役は、業績低迷時に、「赤字が継続した場合はビール事業撤退の意思決定」がハウスHDにより下される可能性があると全従業員に伝達していたため、利益計画立案と決算の取りまとめを行うビール工場長には心理的な圧力が加わっていた。 当初、ビール工場長は、過大計上分を翌期に取り消す予定であったが、売上が増えず、さらに返品などのトラブルが発生し、前年計上分を取り消せないばかりか、過大計上額が年々増えていくこととなった。 5 発生原因 調査報告書には、発生原因として以下の6項目が挙げられている。 調査委員会は、ビールにおいては、営業部門に売上計画・利益計画の策定能力がなく、管理部門が利益計画の策定・業績責任を負っていたため、責任と権限が工場長に集中し、ビール代表取締役及び取締役営業部長による内部統制は機能しなかったことが、長期間にわたり不正が行われた原因であると分析している。 また、営業部門の内部統制が機能しなかったことについては、以下のような記述がある。 営業部門については、「顧客ごとの売上計画・実績管理」を行っていないこと、「出荷量を伸ばすことに専念」していたことが明らかになっているが、取締役営業部長プラス3名の営業部員が、売上の水増し計上に全く関与していない(関与できない)という社内体制が問題であったことは間違いないと言えよう。 6 再発防止に向けた改善策 調査委員会による改善策の提言は以下のとおり、8項目にわたっている。 注目されるのは、(7)合理的な根拠に基づく連結子会社の利益計画策定、である。 調査委員会は、連結子会社の利益計画が、親会社(ハウスHD)の要求水準に基づき策定され、計画数値が独り歩きすることが連結子会社役員及び従業員に過度な心理的負担を与えているという事実を認めた(上記5(4)とも関連する)。そのうえで、新設の「グループ管理部」が一連の予算設定プロセスを管理指導することによって現実的な計画を策定するとともに、「不合理な利益計画の押し付け」は「内部通報制度の対象となる旨、周知する」ことを提言している。 また、(8)では、内部統制の評価範囲を全連結子会社に拡大し、内部監査室の人員を現在の3名から1名増強して、連結子会社の内部統制の整備及び運用サポート等に充てるよう提言を行っている。 【調査報告書の特徴】 地ビールブームは、1994(平成6)年の酒税法改正という規制緩和によって、小規模事業者の市場参入が可能となったことに起因したものであることは周知の事実である。その中でも「銀河高原ビール」は、コンビニエンスストア等でも入手可能な、比較的知名度が高い銘柄であり、その生産拠点で行われていたのが、不適切な会計処理であった。 本件は、図らずも、地ビール生産業者の業績が芳しくないことを露呈したものとなった。 以下に、本調査報告書の特徴をいくつか検討したい。 1 発覚から公表までの期間が非常に短いこと 調査報告書17ページ以下の「発覚した経緯」によれば、監査法人からの問い合わせが2月25日、ヒアリングの結果、不適切な会計処理に加わっていた工場長以下が組織的な利益の過大計上を認めたのが3月5日、翌6日調査委員会設置が決議されたということである。 その後、約1ヶ月の調査期間を経て、結果の適時開示が4月13日であり、同日において、過年度損益の訂正まで発表するというのは、非常に短期間での調査、結果の公表であったということができよう。 2 内部統制の有効性の評価範囲 ハウスHDにおける連結売上高が約500億円、その中に占めるビール事業の売上高は約10億円であるから、「全社的な内部統制の有効性の評価範囲」に含めないという判断は、それだけでは不合理なものとは言えない。 とはいえ、近時の子会社による会計不正事件では、傍流の子会社、地理的に離れて存在する子会社による事件が頻発していることを鑑み、かつ、ハウスHDによる内部監査が「法定帳票などの保管整備状況の確認、諸会議体に係る議事録の確認、現金・重要物の管理状況の確認が中心」であったこと、経理部による査閲が、「外部証憑などの裏付資料を入手して報告の信頼性を確かめる実証的な手続は実施していない」こと(以上、調査報告書21ページ)を勘案すれば、全社的な内部統制の有効性について評価がなされていれば、工場長に対する権限の集中、営業部門による牽制機能の欠如など、会計不正の端緒を把握することが可能であったかもしれない。 3 手口は決して複雑なものではなかったこと 調査期間が非常に短時日で終わった背景には、不適切な会計処理を行っていた工場長以下従業員がそれを認めていたことに加え、不正の手口が非常に単純なものであったことが挙げられよう。 例えば、期末決算において、経理部が、売上計上の根拠となる外部証憑(倉庫に対する出荷指示書や顧客からの注文書・物品受領書)を徴求することを日常化していれば、こうした書類の偽造が疑われる事象が発覚し、より早期に不正が暴かれた可能性も否定できない。 上記2の内部統制の有効性の評価の範囲外にしたことと同様、ハウスHD管理部門におけるビールの重要性の過小評価が、不正発覚を遅らせた一因と言えよう。 4 「工場」という閉鎖環境で働く従業員に内部通報は可能か 組織図(調査報告書5ページ)によれば、ビール本社・醸造所の人員は、工場長以下従業員が16名、パート4名となっている。こうした小さな組織で、トップである工場長以下幹部社員が不正行為を働いていた場合に、果たして内部通報は有効に機能するのであろうか。この点、調査報告書は、「連結子会社従業員などによる内部通報が十分に行われていなかった」としか記述しておらず(調査報告書24ページ)、なぜビール従業員から内部通報がされなかったかについての原因分析はない。 調査委員会は、社外取締役である弁護士を外部通報窓口とし、トップメッセージによる内部通報制度の利用励行の発信などを通じて、通報しやすい制度運用を行うとともに、運用状況の評価・分析により定期的な制度の見直しを行うことを提言しているが、これで十分なのかどうか、疑問が残るところである。 ビール従業員は、「赤字が継続した場合は(親会社による)ビール事業撤退の意思決定」があるというビール代表取締役の言葉を聞いていた。自分たちの職場を守るためには、工場長以下の不正についても見て見ぬふりをし、あるいは指示に従うことが必要であるという心理が働いたのではないかと思料される。であれば、経営トップが発するメッセージは、「ビール事業からの撤退は考えていない」であり、「雇用は必ず守る」というものでなければならないのではないか。そのうえで、「ビール事業の採算性を上げていくためには、疑問に感じたことは通報してほしい」という形になるのではないだろうか。 (了)
経理担当者のための ベーシック会計Q&A 【第117回】 引当金の会計処理⑤ 「訴訟損失引当金」 仰星監査法人 公認会計士 渡邉 徹 〈事例による解説〉 〈会計処理〉(単位:百万円) (X2年3月決算時) 事件の概要、相手方等及び損額賠償額等について、偶発債務として注記することが必要な場合がある(財務諸表等規則ガイドライン58-1)。 (X3年3月決算時) 〈会計処理の解説〉 我が国では、引当金について、企業会計原則注解18(以下「注解18」という)にその計上基準が示されています。企業会計基準委員会及び日本公認会計士協会から、個別の会計事象等について、会計基準や監査上の取扱い等が公表されていますが、引当金に関する包括的な会計基準は設定されていません。 そのため、会計事象について「注解18」に示されている引当金の計上基準を満たす場合には、引当金を計上する必要があると考えられます。 なお、発生の可能性の低い係争事件に係る賠償義務等の現実に発生していない債務については、引当金を計上することはできないとされています。 この場合は、偶発債務として当該事件の概要及び相手方等を示し、その金額を注記することが求められる場合があります。 ただし、重要性が乏しいものについては、注記を省略することができます(財務諸表等規則第58条、同ガイドライン 58-1)。 (1) 訴訟損失引当金の計上要件 会計上、「注解18」に示されている引当金の計上基準を訴訟損失引当金に当てはめると以下のような計上要件になると考えられます。 (2) X2年3月決算時の会計処理 裁判の判決が確定しておらず、和解も確定していないので、当然ながら当社は、未だ賠償金の支払いをしていません。また、訴訟は当社の製品Bの製造技術についてのものであり、当期以前の事象を対象としていると考えられます。 しかし、X2年3月決算時点では、当社は、敗訴し損失が発生する可能性は低いと判断していますので、引当金を計上することはできないと考えられます。 また、損害賠償金額が5,000百万円であるので、一般的に重要性が乏しいとは考えられません。よって、偶発債務として財務諸表に注記することが求められる場合があると考えられます。 (3) X3年3月決算時の会計処理 X3年3月期決算時点で、当社は第1審で敗訴したことを受けて、訴訟損失の発生する可能性が高いと考えています。また、判決の内容から訴訟損失額を合理的に見積もることができると考えられます。よって、訴訟損失引当金の計上が必要になると考えられます。 (了) ※7月はソフトウェア会計を取り上げます。
「確定拠出年金等改正法」の成立について 特定非営利活動法人確定拠出年金総合研究所(NPO DC総研) 理事長 秦 穣治 【はじめに】 厚生労働省は、公的年金制度の見直し等に合せて企業年金制度の改正を目指し、2013年10月に社会保障審議会企業年金部会を立ち上げ、計15回に及ぶ部会審議の後に、2015年4月に「確定拠出年金法等の一部を改正する法律案」を提出した。 しかしながら、以前に成立した同種の法案同様、今回も国会審議が捗らず継続審議扱いとなっていたが、今年5月24日に衆議院にて再可決成立し6月3日に公布された。日頃より気を揉んでいた多くの関係者は一様に安堵したわけだが、ここからいよいよ改正法の具体化の問題が発生する。 現段階では関連する政省令等は一切出ておらず、より詳細な具体化の方向は必ずしも充分に見えてこないが、取り敢えず、今言えることを手短に解説する。 1 確定拠出年金(DC)法案の概要 ※画像をクリックすると、別ページで拡大表示されます。 改正法は大きく下記の4つの分野に分かれており、公的年金の目減り部分を私的年金(企業年金及び自助努力)の強化により補てんしようとの方向感が明確に出ている。 詳細は、昨年本誌に寄稿した「確定拠出年金制度の改正をめぐる今後の展望(【第1回】~【第6回】)」を参照されたいが、本表のうち、具体的内容に関わらない留意点は以下の通り。 2 現時点で検討すべきこと DC導入企業及び導入予定企業が、今般の改正法に関連して、至急検討しておくべきポイントは次のとおりである。 3 今後について 現段階では不明な点が多く、多くの皆様が関心のある 拠出限度額の年管理とは具体的にどうすればよいのか 商品数の上限はいくつになるのか 継続教育はどうすれば法律違反にならないのか デフォルト商品(指定された運用方法)の設定は本当に必要なのか 運営管理機関の評価義務は具体的にはどうすればよいのか など、おそらく9月以降に具体的な姿が見えてくる項目が多々ある。したがって、それらがある程度明確になり次第、また、本誌上において解説する予定にしている。 (了) ↓お薦め連載記事↓
「従業員の解雇」をめぐる 企業実務とリスク対応 【第3回】 「解雇紛争の手続」 ~解雇紛争はどのように争われるのか~ 弁護士 鈴木 郁子 1 はじめに 前回説明したように、解雇の有効・無効をめぐっては、最終的には訴訟において①復職、②バックペイ及び遅延損害金の支払いの有無に帰着することになるが、実務的には、解雇に一旦踏み切ったとしても、それまでの間に、従業員と会社の間に何らかの金銭支払等の合意ができ、解決されるケースが大半である。一度こじれた会社・従業員間の関係が復職により修復することは事実上困難だからである(会社と従業員の解雇の問題はその意味で夫婦の離婚に似ている)。 どのタイミングで、どのような内容の合意をすればよいのか、それとも訴訟も辞さず判決を得た方がよいのかを判断するためには、解雇が一般にどのような手続・経過を経て訴訟による判決に至るのかについて、押さえておく必要がある。 2 交渉段階 (1) 解雇理由書の作成・交付と従業員の疑義の表明 会社が従業員を解雇するにあたっては、会社が解雇通知書等により、従業員に対し解雇の意思表示を行う。 これに対し、従業員が解雇に納得していない場合には、まず、会社に対し解雇理由書の交付を求めるのが通常であるので、会社は、解雇理由書(なお、解雇通知書と解雇理由書は兼ねることができる)を作成しこれを交付する(解雇理由書の作成方法、その他の解雇に必要な手続の説明は【第4回】を予定)。 従業員に解雇への疑義があれば、通常、解雇を争う旨の内容証明等が会社宛てに送られてくるのが一般的である。そして、従業員・会社間での交渉が始まる。 (2) 交渉 交渉では、双方もしくは片方に弁護士がつく場合とつかない場合がある。 従業員側の弁護士は、この時点では、会社の出方を探り、また会社の解雇理由に関する不用意な言動を期待して、従業員のバックで法律相談等の形で助言等は行っていても、表には出てこないことがある点、注意が必要である。 3 労働審判 (1) 労働審判とは 交渉で解決しなかった場合、従業員側は訴訟提起の前に、裁判所に労働審判を申し立てることが多い。 労働審判とは、原則として3回以内の期日(申立てから約3ヶ月程度以内)で、裁判所が事件を審理し、調停(和解)の成立による解決を試み、解決に至らない場合には裁判所(裁判官1名と労働者側・使用者側の委員各1名で構成される労働審判委員会)が審判(一定の判断)を行うという手続である。 これに応じず出席しない場合には、会社側は不利益な判断をされるため、会社側は事実上これに応じざるを得ない。 なお、労働審判においては、訴訟と同様、法を踏まえた主張を行うことが求められるため、弁護士に依頼せずにこれを進めていくことは事実上困難である。 (2) 労働審判の期日と準備について 第1回目の期日までの間に、会社は主張書面や証拠を提出する必要がある。第1回期日は申立てから約40日後に指定され、書面等の提出はその7日~10日前に指定される。 第1回目の期日では、通常、裁判所は、事前に提出された主張書面・証拠等を踏まえ、当事者双方に対し口頭で言い分・事実関係を質問し確認する。その後、評議(労働審判委員会内部での打ち合わせ)を経て、裁判所なりの事件に対する心証を形成し、その心証を元に、従業員・会社の双方に対し調停(和解)を試みる。 このように、裁判所は第1回目の期日で心証をほぼ固めるため、会社は、第1回目の期日までに、訴訟における最終準備書面に近い、すべての会社側の言い分を尽くし従業員側の反論を踏まえた書面(答弁書)や証拠を用意することが必要となる。 会社は1ヶ月程度でその準備を行わなければならないが、その準備のために費やさなければならない時間・作業量は極めて膨大であること(弁護士との数回の打ち合わせのほか相当の調査・作業量がある)は覚悟しておいてほしい。 (3) 調停(和解)・審判、解雇の場合の特殊な要素 前述のとおり、労働審判の期日は原則として3回であるが、第3回目の期日まで至らずに、第1回目や第2回目の期日で調停(和解)が成立することが多い。また、申し立てられたもののうち7割程度が審判に至らず、調停(和解)成立で終わるとのデータがある。 調停(和解)が成立しない場合には審判がなされるが、ここで解雇の場合には注意が必要な点がある。 それは、労働者側が復職を希望しない場合には、裁判所は、事案に照らし解雇の有効・無効を必ずしも判断せずその十分な理由を摘示することなしに、退職の確認と会社に対し一定の金員の支払いを命じる審判ができる、ということである(訴訟ではあくまで解雇の有効・無効を判断する)。 要するに、訴訟で解雇無効との判断がなされる可能性の高い案件でも、従業員が復職を希望しない場合には、裁判所が全体的解決の見地から、少額ではあっても会社に対し一定の金員の支払いを命じることがあるのである(だからこそ、従業員側は、復職を希望せず、解雇無効が微妙な事案については、訴訟ではなく労働審判を申し立てることが多い)。 なお、裁判所が支払いを命じる金員の額(給与の何ヶ月分が相当かという形で議論されることが多い)は、訴訟になった場合の解雇の有効・無効の見通し、解雇の違法性の程度、会社のこれまでの対応、会社が従業員に辞めてもらいたい気持ちの強さ、従業員が会社に復職したい気持ちの強さ、従業員の勤続期間、再就職の容易性、会社・従業員のそれぞれの経済状況、年齢等を総合考慮して判断されているものと思われる。 (4) 異議申立てと訴訟への移行 審判の結果、2週間以内に、当事者の少なくとも一方が異議を申し立てた場合には、訴訟に移行する。 4 仮処分 訴訟による判決を待っていたのでは、従業員の生活が脅かされる可能性がある場合には、従業員により、裁判所に対し賃金の仮払いを求める仮処分の申立てがなされることがある。 従業員が多額の預貯金等を持っており生活に困らないと思われる場合には、仮払いは認められない。 5 訴訟 (1) 訴訟での判断内容 訴訟では前述のように、判決までに和解が成立しない限り、原則として地位確認等請求事件として、裁判所により、解雇の有効・無効、すなわち、地位の確認(復職)・バックペイ及び遅延損害金が認められるか認められないかとの二者択一の判断がなされる。 なお、訴訟まで至ってしまった場合には、解雇から時間が経過し従業員が他社で就労していることも多いので、他社での就労の有無等を確認し、中間利益(中間収入)の主張をすることを忘れないようにしたい(詳細は【第2回】参照)。 (2) 訴訟手続 手続としては、約1ヶ月に1回の期日が開かれ、その都度、当事者双方が交替で主張書面や証拠を提出し、双方の主張が尽きたところで、証人尋問(通常、従業員本人と解雇理由に最も近い立場にある会社関係者)を行い、判決がなされる。 地裁判決(第一審)までは短くとも10ヶ月近くかかり(平均審理期間1年4ヶ月)、これに控訴を経ての高裁判決(第二審)までとなると、地裁への提起から2年程度かかると見込んでおく必要がある。 なお、判決まで至ってしまった場合には、事件名に会社名が付いた上で(「〇〇会社解雇事件」等)、判例誌などの公刊物に掲載されるという信用リスクがある点にも注意が必要である。 6 合意・和解について (1) 合意・和解の時期・内容について 訴訟の判決が確定に至るまで、いつでも、従業員側との話し合いにより、何らかの形で解雇紛争を決着させることは可能である。 しかしながら、合意・和解をするのであれば、できるなら交渉段階で行うことが望ましい。これまで説明したように、労働審判・訴訟の手続的・費用的コストは非常に大きく、この初動対応の如何によって(その対応の判断要素は【第2回】の記述を参照)、当該解雇紛争解決にかかるコストが大きく変わってしまうからである。 筆者も、労働審判や訴訟が申し立てられた後に、会社側から相談や代理人就任の依頼を受けることがあるが、交渉の初期段階から相談をしてくれていれば、ここに至る前にうまく解決できていたはずなのにと思うことも多い。それほど、この交渉段階での対応のあり方は重要であることを心に止めておいていただきたい。 訴訟の手続中においても、和解の話し合いは可能である。しかしながら、解雇無効判決が確実視される案件では、従業員側は、それまでのバックペイ分の支払いは当然の前提として、これに加え、これまでの手続に費やした弁護士費用分、退職と引き替えのプラスα分の支払いがなければ、和解に納得せずに、そのまま判決を求めることが多い。くれぐれも早期に和解することを考えたい。 (2) 合意・和解の条項について 合意・和解の条項については専門的な内容となるため、以下では要点のみ記載する。 ① 復職の合意・和解 復職を内容とする場合には、解雇の撤回、復職日の確認、復職までの賃金等の処理及び復職後の雇用条件等の再確認、その他解決金の支払いがある場合は、これを定めることが多い。 ② 退職の合意・和解 解雇の撤回と合意退職の確認、解決金の支払いがある場合は解決金の支払条項が設けられることが多い。 なお、退職日を解雇日ではなく和解日とすると、それまでの間の賃金(税金・社会保険も含む)の処理の問題が発生し、また、従業員が失業保険の仮給付を受けている場合にはこれを返還しなければならないため、実務上は、解雇日を退職日とする扱いが選択されることが多い。 また、失業保険給付の関係から、従業員自身が、解雇のままもしくは会社都合退職の形にしてほしいと希望することもある。 会社側の希望により守秘義務条項が設けられることもある。 (了)