ストーリーで学ぶ
IFRS入門
【第12話】
「金融商品会計はIFRSも難しい?」
仰星監査法人
公認会計士 関根 智美
連載の目次はこちら
● ○ プロローグ ○ ●
「ピリピリ!って音、しない?」
隣の席の橋本にいきなり話しかけられた伊崎は当惑した。橋本が何のことを言っているのか、さっぱり分からなかったからだ。伊崎のその表情を気にすることなく、橋本がさらに言う。
「ほら、向かいのあの2人の空気よ。年末からずっとあの調子じゃない。」
伊崎もその言葉で納得した。2人の対面の席には、経理部の若手コンビである藤原と桜井がいつものように和気あいあいと雑談することもなく、それぞれのPCに黙々と集中している。どうやら年末に2人の間でひと悶着あったようだった。
「伊崎さんは何があったか知っている・・・わけないわよね。」と橋本は、伊崎の顔をちらりと見てからため息をついた。
「第3四半期は年始休暇のせいで作業日程がいつもよりタイトだから、黙って仕事してくれる分にはいいんじゃないかな?」
伊崎は両手を後頭部で組み、背もたれに体を預けて軽く伸びをした。
ここは、東証一部に上場しているメーカーの経理部である。3月決算会社であるため、経理部は年明け早々から第3四半期決算のプチ繁忙期に入っていた。課長の倉田を始め、中堅クラスの伊崎、橋本、入社5年以下の若手である藤原、桜井、山口がそれぞれの分担を黙々とこなしている。この会社では今年の夏にIFRSを導入することを決定したのだが、この期間ばかりはIFRS導入プロジェクトも活動休止中だ。
「あら、職場の雰囲気って大事なのよ?私なんて繊細だから、この緊張感のある空気が気になっちゃって・・・」
「部署異動の希望を出そうかしら~」と、派遣社員を除く経理部の中で紅一点の橋本はしれっと言う。
「うーん、これ以上仕事が増えるのは困るなぁ。橋本さんがいないと、税金まで僕が担当することになりそうだ。」
橋本は、頬杖をついて伊崎の方に体を向けた。
「でしょう?だから、どうにかしてあの2人を和解させましょうよ。どうせ喧嘩の原因は藤原くんが作ったんでしょうけど。」
「だったら、僕は協力できないんじゃないかな?なぜか藤原君には嫌われているんだよね。」
伊崎は腕を組んで、橋本に言った。橋本は首を傾げながら頬杖をついている方の人指し指で、トントンと頬を叩く。
「うーん、伊崎さんの要領の良さが羨ましいからかしら?ほら、藤原君って不器用なタイプだから。」
そう言うと橋本は暫く沈黙し、再び口を開いた。
「ま、いいわ。私が藤原君に話を聞いてみるから、伊崎さんは桜井君をお願いね。」
橋本は伊崎ににっこりとほほ笑みかける。伊崎はやれやれと首を振りながらも、引き受けることにした。
翌日、早朝の冷気で頬を赤らめた桜井がオフィスに入ると、既に経理部に先客がいた。
「あれ?伊崎さん、おはようございます。今日は珍しいですね。」
桜井は伊崎の向かいの席に鞄を置き、コートを脱ぎはじめた。
「おはよう。偶然目が早く覚めちゃったから、仕事を片付けに来たんだ。来週中には数字を固めておかなきゃいけないからね。」
伊崎はほほ笑んで答えた。もちろんこれは方便で、本当は桜井と一対一で話をしたかったからだ。藤原と微妙な雰囲気にある桜井は、隣席の藤原を避けるためか、残業をほどほどにこなした後すぐ帰宅し、早朝に作業をしていた。
「桜井君は、進捗状況はどう?順調?」
「まぁまぁって感じです。今日から有価証券の予定です。」
桜井は作業管理表を確認して答えた。
「そっか。じゃ、すぐに終わりそうだね。今回特に問題のある有価証券もないし、いつも通りだから。ところで、藤原君に何を言われたんだい?」
「ええ・・・えっ!?」
仕事の話からいきなり切り替えられた話題に桜井は動揺した。
「ほら、何か君たち微妙な雰囲気になっているから、僕で良ければ相談に乗るよ?」
伊崎は先ほどからゆったりした笑顔を浮かべている。桜井は一瞬逡巡したが、もやもやした胸の内を誰かに、できれば優しそうな人に聞いてもらいたいという思いもあり、先月の藤原とのやり取りを話すことにした。
「・・・へぇ、なるほどね。」
一部始終を聞き終えた伊崎は、買ってきたばかりの缶コーヒーのうち1本を桜井に手渡し、自分の分のプルタブを開けた。桜井も伊崎の隣の席に腰かけ、お礼と共に受け取ったコーヒーを一口すする。
「はい・・・。いくら先輩だからって、あんなに偉そうに言う筋合いはないと思います。それに、IFRSだって僕から頼んで教えてもらっているわけじゃないし・・・」
桜井は溜めこんでいた鬱憤を吐き出して、少しすっきりしたようだ。
「そうかー。そういうことなら、今のままちょっと距離を置いていたらいいんじゃないかな。」
桜井は伊崎の意外な返答を聞いて、呆気に取られた顔をした。
「え?伊崎さんは僕たちを仲直りさせようとしているんじゃないんですか?」
伊崎はコーヒーを飲みながら言った。
「だって、少なくとも君は自分が間違っているって思ってないわけでしょ?」
「ええ、まぁ、そうですけど・・・」
「なら、折れる必要なんてないと思うよ。後輩だからとか、関係なく。」
「それでもいいんですか?」
「だって、必要最低限の業務連絡とかはしているわけでしょ?仕事に支障がないのなら、それでいいんじゃないかな。皆と仲良くなんて、無理だよ。」
桜井は、自分の意見が聞き入れられたことで肩すかしを食らった気分になった。心のどこかで自分が非難されるのでは、と予想していたからなのだが、すんなり受け入れられると、それはそれで漠然と不安な気持ちになる。
「でも・・・」
そこで伊崎は桜井の方に向き直った。
「そもそも、IFRSを教えてもらったことがきっかけなんだよね?それなら、僕が藤原君の代わりにIFRSを教えようか?」
さらに伊崎は、「もしかしたら、藤原君より上手いかもしれないよ?」とおどけた口調で付け加えた。
桜井は暫く黙って考え込んだ。桜井だって、せっかくIFRSの勉強を始めたのだから、このまま続けたいとは思っているのだ。しかし、自分から積極的に本を開くことはついつい後回しになっているし、今の気まずい状況で藤原に頭を下げて教えてもらうのも抵抗がある。伊崎の申し出は、桜井にとって願ったり叶ったりだった。
「では、IFRSのこと、伊崎さんにお願いしてもいいですか?」
桜井はおずおずと言った。
「もちろんだよ。」
伊崎は再び桜井に笑顔を向けた。
この記事全文をご覧いただくには、プロフェッションネットワークの会員(プレミアム
会員又は一般会員)としてのログインが必要です。
通常、Profession Journalはプレミアム会員専用の閲覧サービスですので、プレミアム
会員のご登録をおすすめします。
プレミアム会員の方は下記ボタンからログインしてください。
プレミアム会員のご登録がお済みでない方は、下記ボタンから「プレミアム会員」を選択の上、お手続きください。