〈ベテラン社員活躍のための〉 高齢者雇用Q&A 【第3回】 「同一労働同一賃金と定年後再雇用時の賃金の考え方」 Be Ambitious社会保険労務士法人 代表社員 特定社会保険労務士 飯野 正明 ― 解 説 ― 1 同一労働同一賃金とは 「同一労働同一賃金」とは、同一の企業内で同じ仕事をしている労働者には、雇用形態にかかわらず同じ賃金を支払うという考え方です。 同一労働同一賃金は、正規雇用労働者(無期雇用フルタイム労働者)と非正規雇用労働者(有期雇用労働者・パートタイム労働者・派遣労働者)との間の不合理な待遇差を解消し、労働者がどのような雇用形態を選んでも納得して働くことができる環境を整備することを目的とします。 この対象となるのは、基本給や賞与、手当などの賃金だけでなく、福利厚生や教育訓練の機会も含まれます。 また、同じ仕事かどうかについては、①職務の内容(業務内容・責任の程度)、②職務の内容と配置の変更の範囲を比較して判断します。①②の両方とも同じであれば、同じ仕事ですので同じ待遇「均等・待遇」が求められます。 ①②のいずれも異なる場合またはいずれかが異なる場合であっても、その違いに応じた待遇「均衡・待遇」を適用する必要があります。 つまり、均等待遇であれば「=」ですし、均衡待遇であっても「バランスのとれた待遇」ということです。 2 再雇用後の働き方の現状 少し前の調査にはなりますが、独立行政法人労働政策研究・研修機構(JILPT)で実施した「高年齢者の雇用に関する調査(企業調査)」(2020年公表)によると、60代前半の継続雇用者(60歳に到達するまで正社員として勤続し、60歳以降も雇用され続けている従業員(正社員または非正社員))の仕事内容について、定年前からどのように変化したかを尋ねたところ、1番多い回答は「定年前とまったく同じ仕事」(44.2%)で、次いで「定年前と同じ仕事であるが、責任の重さが軽くなる」(38.4%)となっています。一方、「定年前と一部異なる仕事」「定年前とまったく異なる仕事」と回答したのは6.1%とかなり少数となっています(【図表1】参照)。 規模別に見ると、従業員数の少ない企業の方が「定年前とまったく同じ仕事」と回答している割合が高いようです。 【図表1】定年前後での仕事の変化(従業員規模別) (出所) 独立行政法人労働政策研究・研修機構「高年齢者の雇用に関する調査(企業調査)」をもとに作成 60代前半のフルタイム勤務をしている継続雇用者の年収については、【図表2】の通り、企業の規模を問わず300万円から400万円が最も多い層となっており、全体の年収の平均値は、374.7万円となっています。 なお、ここでいう年収には、賃金に加えて企業年金と公的給付が含まれており、給与の占める割合の平均値は94.8%となっています。先ほどの年収の平均値からすると、355.2万円が賃金となる計算になります。 また、同調査によると、60歳直前の賃金を100とした場合の61歳時点の賃金の平均的な水準は78.7%となっており、企業規模が小さい方が、その数字は大きくなっています。 【図表2】60代前半のフルタイム勤務・継続雇用者の平均的な年収の分布(従業員規模別) (出所) 独立行政法人労働政策研究・研修機構「高年齢者の雇用に関する調査(企業調査)」をもとに作成 なお、賃金額等について別の調査を見てみると、厚生労働省の「賃金構造基本統計調査」では、以下の通りとなっています。【図表1】、【図表2】とおおむね同様の数字です。 【図表3】50代後半の賃金と60代前半の賃金の比較(月収) (出所) 厚生労働省「賃金構造基本統計調査」をもとに作成 3 同一労働同一賃金と再雇用後の賃金 再雇用は、有期雇用契約となっていることが多く、その場合いわゆる「非正規労働者」に位置付けられます。したがって、同一労働同一賃金の適用を受けるのが原則です。そうなると、同一労働であれば均等待遇でなければならず、同一労働でなくても均衡待遇でなければなりません。 この点については、賃金が定年前と比較して60%未満となったケースを違法とした一審、二審判決を最高裁が破棄した事例があります(差し戻し審議中)。「何%未満は違法」といった基準は出ていませんが、賃金額だけを比較して「定年前の〇%」とするのは避けるべきと考えます。 なお、非正規労働者に対して「諸手当の支給はない」というこれまでの慣例は完全に否定されていると考えるべきです。基本給以外の諸手当については、支給基準が明確になっているものであることから、支給基準を満たしている場合には、定年退職後も当然に支給するべきと考えます。 同一労働でなくても均衡待遇が求められるわけですから、定年前に支払われていた手当が、同じ状況にあるのに、定年後は一切支払われないというのは、均衡待遇とはいえないでしょう。職務や責任の違いに応じた支払いを検討すべきです。 4 まとめ ご質問のケースのように、定年後再雇用時の賃金を一律7割とするのではなく、再雇用後の職務や責任の程度等を考慮したうえで、賃金を決定すべきであると考えます。 再雇用後の働き方が定年前と大きく変わることがなければ、賃金は「=」が望ましいですが、少なくとも「バランスのとれた待遇」が求められ、相場は「定年前の8割程度」となっていることを考慮すべきでしょう。 なお、これに加えて【第2回】でお話ししたように、高年齢雇用継続給付の支給率の上限が15%から10%へ低下することに伴い、公的給付による賃金の補填が受けづらくなってきていることも考慮する必要があります。高年齢雇用継続給付の支給の対象となるのは、賃金が定年前の75%未満になった場合です。これを上回ることが1つの目安となるでしょう。 人手不足の中、シニア世代のベテラン社員が気持ち良く働ける制度を構築すべきと考えます。 (了)
電子書類の法律実務Q&A 【第24回】 (最終回) 「ChatGPTは電子メール等のビジネス文書作成に使えるか」 弁護士法人 咲くやこの花法律事務所 弁護士 池内 康裕 〔Q〕 ChatGPTを、電子メール等のビジネス文書作成に使用する場合の注意点を教えてください。 〔A〕 ChatGPTは、標準的なビジネス文書作成を補助するツールとしては優秀です。ただし、リサーチ能力は優れていません。リサーチのツールとして使うには、自分で正しい情報かどうかを判断できることが前提となります。また、個人情報保護法違反、著作権侵害、秘密漏洩など一定のリスクがあるので、企業内で使用する場合、ルール作りが必要です。 これらの限界とリスクを踏まえたうえで、積極的に活用した方がよいというのが筆者の意見です。 ● ● ● ● 解 説 ● ● ● ● 1 ChatGPTとは ChatGPTは、OpenAI社が開発した対話型の生成AIである。2022年11月にリリースされた。 ChatGPTでは、電子メール等のビジネス文書の作成を行うことができる。そのため、企業がChatGPTを活用する場面が増えている。 2 ChatGPTの活用 筆者がChatGPTを使い始めたのは、2024年8月だ。現在、月額20ドルの有料プランを利用して約2ヶ月が経過している。短い使用期間による見解にはなるが、ChatGPTの長所と短所について触れてみたい。 (1) 一般的なビジネス文書の作成 ChatGPTは、ビジネスメールなどのたたき台を素早く作成できる。 例えば、本連載の締め切りまでに原稿提出が間に合わない場合に、「忙しくて電子書類の法律実務Q&A【第24回】の執筆が締め切りまでに終わらない。出版社宛にお詫びメールを作って」と指示したとする。そうすると、約10秒で、以下のようなメールのひな形を作ってくれる。 若干手直しが必要だが、ゼロから自分で作るより効率的だ。 「これまで何回も締め切りに遅れているので、もっと丁寧に」と指示することもできる。その場合、以下のような修正がなされる。 (2) 書籍の誤字脱字チェック・セミナーの台本作成 ChatGPTは、書籍の誤字脱字チェックやセミナーの台本作成にも利用できる。 ただし、誤字脱字のチェックに利用するには工夫が必要だ。修正箇所を明示するように指示しなければ、どの部分が修正されたか分からなくなる。また、単純な誤字脱字のチェック以外に、「法律の知識がない人でも分かりやすく」「1文を短く」「ですます調にする」などの指示にもある程度対応可能だ。 カスタマーハラスメントに関するセミナーで話す内容について、ChatGPTを利用したこともある。まず、ChatGPTにセミナー用のパワーポイントを読み込ませる。次に、スライド番号を指定して話す内容を入力し、助言を依頼すると、台本が作成される。ただし、方向性や話す内容については詳細な指示が必要だ。ChatGPTの能力をフルに活用するには、部下に指示を出すときと同様に、細かい指示が必要である。 (3) 法的なリサーチ 他方、法的なリサーチ能力に関しては、極めて不十分だ。 例えば、労働者派遣法についてChatGPTに質問した際、労働者派遣法26条1項の内容として、「派遣先は、当該派遣労働者が就業する業務に従事する期間において、当該派遣労働者を、次に掲げる業務に従事させてはならない」と回答された。しかし、実際の労働者派遣法26条1項には、「労働者派遣契約(当事者の一方が相手方に対し労働者派遣をすることを約する契約をいう。以下同じ。)の当事者は、厚生労働省令で定めるところにより、当該労働者派遣契約の締結に際し、次に掲げる事項を定めるとともに、その内容の差異に応じて派遣労働者の人数を定めなければならない」と記載されている。 このように、ChatGPTは一見正しそうな回答を作るのが得意だが、内容の正確性に欠ける場合がある。もちろん不正確な回答をするのは、人間も同じだ。大切なのは、ChatGPTの能力を信用しすぎないことだ。実際、ブラジルでは、裁判官がChatGPTで事件に関連する判例を探し、誤った判例を引用して判決文を執筆したという事件が起こった。 自分で内容の正誤が判断できない場合には、リサーチのツールとして、ChatGPTを活用することは難しい。 なお余談だが、滋賀・近江八幡エリアの小旅行プランを立ててもらうと、以下のようにもっともそうな案が提示される。 しかし、「赤こんにゃく八幡屋」という店舗を検索しても出てこない。さらに、長濱蒸溜所からヒトミワイナリーは、電車で2時間程度かかるので、30分で移動するのは困難だ。このプランを採用して旅行すると、ランチは食べられないし、ヒトミワイナリーでワインを飲むこともできない。 (4) 弁護士業務 弁護士業務における事件処理では、守秘義務との関係で問題があると考えられるため、筆者はChatGPTを活用していない。 仮に守秘義務の問題がクリアされても、現状、ChatGPTの法律文書作成能力は低い。法的なリサーチ力に問題があることについては、既に指摘したとおりだ。 もう1つの問題として、ChatGPTは法律用語を十分に学習していない点が挙げられる。この点については、ChatGPTが分厚い法律用語辞典を学習すれば、法律文書作成能力は飛躍的に向上する可能性があるだろう。 3 ChatGPTの法的問題点 ここからは、法的な問題点について解説しよう。より詳しい内容は、本稿の最後にまとめた【参考文献等】をご参照いただきたい。 (1) 著作権 ChatGPTが出力した文章について、OpenAI社は著作権を主張しないとしている。そのため、現状では、OpenAI社との関係で、著作権が問題となる可能性は低い。 また、ChatGPTが出力した文章が第三者によって無断で使用された場合に、ChatGPTの利用者が著作権侵害を主張することは難しいと考えられている(※1)。 (※1) 田中浩之ほか『ChatGPTの法律』74頁 問題は、ChatGPTが作成した文章が、既存の著作物と類似してしまった場合、著作権侵害となるかどうかである。一定の場合、著作権侵害になるとする見解が多い。しかし、どのような場合に著作権侵害になるかについて、統一した見解はない。少なくとも、契約書や一般的なビジネス文書を作成する場合には、著作権侵害の可能性は低いと考えてよいだろう。 (2) 個人情報保護 個人情報保護法により、個人情報取扱事業者は原則として、本人の同意を得ないで、個人データを第三者に提供してはならないとされている(個人情報保護法27条1項)。 個人情報をChatGPTに入力する行為が、個人データの第三者提供に当たるかどうかについては、争いがある。少なくとも個人データを構成する個人情報を入力する行為については、第三者提供に当たると判断される可能性がある(※2)。したがって、個人データを構成する個人情報については、同意なしに入力するのは控えるべきだ。 (※2) 松尾剛行『ChatGPTと法律実務』79頁 そして、OpenAI社は海外法人であるため、第三者提供に当たるとすると、単に本人から同意を得るだけでは不十分である点も押さえておきたい。個人情報取扱事業者は、外国にある第三者への提供を認める旨の本人の同意を得ようとする場合、当該第三者が講じる個人情報保護に関する情報等を、あらかじめ本人に提供しなければならない(個人情報保護法28条2項、個人情報保護法施行規則17条2項)。 (3) ルールを決めることが重要 サムスン電子では、エンジニアが社内機密のソースコードをChatGPTにアップロードし、誤って流出させたことを受け、「生成AI」ツールの使用禁止を社内に通知した。 企業内でChatGPTを使用する場合には、入力可能な情報の種類、学習機能・履歴等の設定、登録アドレスについてルールを設ける必要がある。 4 将来的な予測 これまで、ChatGPTの不十分な点も指摘してきた。しかし、今後技術革新が進むことで、やがて、これらの不具合は解消されるだろう。 松尾剛行弁護士は、2040年にはChatGPTを使えないのはパソコンを使えないのと同じ意味を持つようになると予測する(※3)。 (※3) 松尾剛行『ChatGPTと法律実務』264頁 積極派の急先鋒は、孫正義氏である。講演等において、ChatGPT等の生成AIが危険だから使わないのは、自動車が危険だから使わないのと同じで、ChatGPTを仕事で使わない人は、「人生を悔い改めた方がよい」とまで発言している。さらに孫氏は、「AGIは10年以内に実現される」と予測する。孫氏によれば、AGIとは「全人類の叡智の総和の10倍の人工知能」である。この予測が正しいかどうかは分からないが、ChatGPTは有益な技術なので、今のうちから使える範囲で使っておくというのは、賛成だ。 5 これまでの連載の「値打ち」 9月に亡くなった文芸評論家の福田和也氏の代表作の1つに、現役作家の著書を100点満点で採点する『作家の値うち』という本があった。 本連載は今回が最終回である。そこで、過去23回の本連載の「値うち」を100点満点で、ChatGPTに採点してもらうことにする。筆者としては、承服しがたい評価もあるのだが、皆さんからするといかがだろうか。 (連載了)
空き家をめぐる法律問題 【事例61】 「宅地建物取引業者の人の死に関する事案の調査説明義務」 弁護士 羽柴 研吾 - 事 例 - 当社は、相続財産清算人から空き家の媒介を頼まれ、販売活動をしております。相続財産清算人によると、当該建物内で所有者が亡くなっていたとのことですが、次の事実がある場合に、買主に対して伝える必要がありますか。 ① 建物内で病死していた場合 ② 建物内で自殺していた場合 ③ 建物から転落死していた場合 1 検討の視点 宅地建物取引業者が不動産売買の媒介を行う際に、当該不動産において人の死に関する事案が発生していたことを把握する場合がある。人の死に関する事案の有無は、売買契約の当事者が契約を締結するかどうかの考慮要素になりうるものであるため、説明を受けていなかった買主が、宅地建物取引業者に対して説明義務違反を問うこともある。そこで、本事例では、人の死に関する事案に関する宅地建物取引業者の説明義務の有無について検討する。 2 宅地建物取引業者の一般的義務と調査説明義務 (1) 宅地建物取引業者の一般的義務 宅地建物取引業者が買主との間で媒介契約(準委任契約)を締結している場合、宅地建物取引業者は、買主に対して善管注意義務を負っている。また、宅地建物取引業者が売主との間でのみ媒介契約を締結している場合(相続財産清算人案件はこのケースが多いと思われる)のように、買主との間に媒介契約がない場合でも、宅地建物取引業者は、当該宅地建物取引業者の介入を信頼して取引をなすに至った第三者一般に対しても、業務上の一般的注意義務があるものと解されている。 (2) 宅地建物取引業者の調査説明義務 上記(1)の義務に関して、宅地建物取引業法(以下「宅建業法」という)第35条は、宅地建物取引業者に、宅地建物取引士をして、少なくとも同条に規定する事項(重要説明事項)について書面を交付して説明させる義務を負わせている。また、同法第47条は、宅地建物取引業者の相手方等の判断に重要な影響を及ぼすこととなるもの(以下「重要影響事項」という)に関して、宅地建物取引業者が故意に事実を告げず、不実のことを告げる行為を禁止している。 これらの義務は、買主等の利益を保護する観点から義務付けられているものであるため、宅地建物取引業者の業法的規制にとどまらず、民事上の調査説明義務の根拠となりうるものである。 3 人の死に関する事案の調査説明義務 (1) 人の死に関する事案の特徴 過去に発生した人の死に関する事案は、買主に不安感や嫌悪感を与えうるものであるため、宅建業法第47条の重要影響事項に該当することもある。もっとも、人の死の原因には、老衰、病死のような自然死の場合もあれば自殺の場合もあり、仮に人の死に関する事案が買主の判断に影響を及ぼすとしても、その影響の継続性は、事案の態様、時間の経過、周知性等や当該物件の立地等の特性によって異なり、時代や社会の変化に伴って変遷する可能性もある。 また、宅地建物取引業者が人の死に関する事案を把握して買主等に説明の必要性を感じた場合でも、本人や遺族の名誉・プライバシー保護や個人情報保護との兼合いもあり、その調査にもおのずから限界がある。そのため、宅地建物取引業者が、どのような場合にどのような方法で人の死に関する事案の調査説明義務を負うかを、上記の特徴を踏まえて、できる限り明確にしておくことが望まれる。 (2) 国土交通省のガイドラインによる類型化 国土交通省は、令和3年10月に「宅地建物取引業者による人の死の告知に関するガイドライン」(以下「告知ガイドライン」という)を公表している。告知ガイドラインは、居住用不動産を対象として、宅地建物取引業者が人の死に関する調査説明義務を負う場合を整理したものである。なお、告知ガイドラインは指針を示したものであり、宅地建物取引業者の民事上の責任の有無は、事案ごとに判断されるため留意が必要である。 ① 人の死に関する事案の調査義務 告知ガイドラインによれば、宅地建物取引業者は、販売活動・媒介活動に伴う通常の情報収集を行うべき業務上の一般的な義務を負っているところ、人の死に関する事案が生じたことを疑わせる特段の事情がない限り、人の死に関する事案が発生したか否かを自発的に調査すべき義務まではないものとされている。 この点に関し、宅地建物取引業者は、売主等に対して告知書(物件状況等報告書)その他の書面(以下「告知書等」という)を交付して様々な情報収集を行っているところ、人の死に関する事案の有無の記載も含まれている。告知ガイドラインは、告知書等の授受をもって、宅地建物取引業者の通常の情報収集義務は履行されたものと整理している。 また、告知書等に記載されなかった事案が後日に判明しても、当該宅地建物取引業者に重大な過失がない限り、人の死に関する事案に関する調査は適正になされたものとされ、売主等から不明との回答がされた場合や回答がなかった場合であっても、宅地建物取引業者に重大な過失がない限り、調査は適正になされたものとされている。もっとも、告知ガイドラインでは、売主等から回答がない場合でも、人の死に関する事案の存在を疑う事情があるときは、売主等に確認する必要があるともされており、確認の有無は、上記重大な過失の判断にも影響しうるものと考えられる。 ② 人の死に関する事案の説明義務 宅地建物取引業者が、通常の情報収集の過程において、売主等から、過去に人の死に関する事案が発生したことを知らされた場合や、自ら事案が発生したことを認識した場合に、この事実が取引の相手方等の判断に重要な影響を及ぼすと考えられるときは、宅地建物取引業者は、買主等に対してこれを告げなければならないものとされている。 上記を前提に、告知ガイドラインでは、宅地建物取引業者が告知をしなくてもよい場合が次のように類型化されている。 4 本件において (1) 建物内で病死していた場合 建物内で病死していた事実がある場合、宅地建物取引業者は、買主に対してこの事実を説明する義務は負わないが(上記➊)、特殊清掃等が行われていたときは、買主に重要な影響を及ぼす可能性があるため、事案に応じて当該事実を説明する義務を負う(上記➍)。 (2) 建物内で自殺していた場合 建物内で自殺していた事実は、買主に重要な影響を及ぼす可能性があるため、宅地建物取引業者は、買主に対して、事案に応じて当該事実を説明する義務を負う(上記➍)。 (3) 建物から転落死していた場合 建物から転落死した場合、死亡した場所は建物内ではないが、一般的に、買主は、転落した建物内の場所に対して不安感や嫌悪感を抱くものと考えられるから、建物内での死亡と同様に扱うことが相当である(心理的瑕疵の有無に関する東京地判令和5年3月23日判例秘書等)。転落した原因が日常生活内の不慮の事故である場合には上記➊に従って対応し、自殺のような場合は上記➍に従って対応することになると考えられる。 (了)
〈小説〉 『所得課税第三部門にて。』 【第86話】 「年末調整の廃止」 公認会計士・税理士 八ッ尾 順一 「そうか・・・年末調整の廃止ねえ・・・」 中尾統括官は、新聞を見ながら、呟く。 新聞の片隅には、次の「年末調整」の解説がある。 新聞の第1面には、「自民総裁選で河野氏提起『年末調整の廃止』はあるのか」と見出しが載っている。 「僕は、賛成ですね」 傍らにいた浅田調査官は、中尾統括官の呟きを聞いたのか、即答する。 「ほう・・・君は賛成か?」 中尾統括官は、浅田調査官の顔を見る。 「ええ、だって、憲法30条に納税は国民の義務と書いてあるでしょう、その納税の大前提である確定申告の手続きを、本人がせずに源泉徴収義務者に任せるというのは・・・どうも納得できません」 浅田調査官は、真面目な顔で言う。 「そうか・・・」 中尾統括官は、少し考える。 「しかし、3,000万人以上いる給与所得者の確定申告書の提出を想像すると、かなりの事務量になる・・・特に、われわれ所得課税部門は大変なことになる・・・」 中尾統括官は、渋い顔になる。 「・・・国税庁の報告によると、令和5年度の確定申告のオンライン利用率は、全体の3分の2を占める水準になっているようです」 浅田調査官は、自信たっぷりに言う。 「・・・それに・・・給与所得者は、ほとんど概算控除の給与所得控除額を適用しますから、所得計算は簡単で・・・基礎控除、扶養控除、医療費控除など所得控除についても複雑といわれていますが、1度、確定申告書を作成すれば、次回からは、それほど時間はかからないと思います・・・」 浅田調査官は、中尾統括官の顔を見る。 「そうかなあ」 中尾統括官は、首を傾げながら、疑わしそうな眼差しをする。 「特に・・・若いサラリーマンだったら、スマートフォンで、時間をそれほど費やさずに確定申告することができると思います・・・そして、多くの納税者が、e-Taxを活用すれば、新聞で騒ぐほど、税務署も手間はかからないのではないですか・・・僕は、事業者などに負担させている『源泉徴収義務』をできるだけ軽減させて、事業者が本来の営業活動に専念できるような環境を創るべきだと思うのです・・・」 浅田調査官は、現行の源泉徴収制度に批判的である。 「・・・それに、国はe-Taxを推進するために、e-Taxを利用した納税者には10万円のe-Taxの所得控除を認めたり、税理士に確定申告を依頼した場合には、その費用を給与所得控除額とは別枠で控除を認めたりしたらよいと思います」 浅田調査官のアイデアは豊富である。 「しかし、そんなに上手くいくだろうか?」 中尾統括官は、まだ思案顔である。 「中尾統括官は、『記入済み申告書』制度というものを知っていますか?」 突然、浅田調査官が中尾統括官に尋ねる。 「記入済み申告書?」 中尾統括官は、首を横に振る。 「課税庁が、雇用主・銀行・証券会社・保険会社・医療機関などから所得等に関するデータを集めて、それをあらかじめ記入した申告書を作成し、納税者がその内容を確認する仕組みです・・・これによって、納税者の事務負担が軽減されるというものです」 浅田調査官は、罫紙に図を描く。 「デジタル化が進み、課税庁がデータを収集する範囲が広がると、課税庁の作成する確定申告書の精度は高くなります」 「そういえば・・・国税庁も令和6年分の確定申告では、給与所得(源泉徴収票)も自動入力対象になったと言っていたが・・・」 中尾統括官は、小声で言う。 「それに・・・最近では、サラリーマンに副業や兼業を認める会社が増えたでしょう・・・この前も、某都市銀行が銀行員の副業を認めると報道されていましたが・・・このように副業が増加すると、多くのサラリーマンは確定申告することになります・・・」 浅田調査官は、続ける。 「すなわち、給与所得以外に年間20万円以上の所得があれば、確定申告をする義務が生じます・・・このようにサラリーマンで確定申告をする人が増えれば、年末調整をする必要がなくなります・・・源泉徴収義務者である会社に、わざわざ年末調整の事務を負担させる意味がなくなるのです」 中尾統括官は、小さく頷く。 「なるほど・・・社会の変化だな・・・」 中尾統括官は、浅田調査官の真剣な顔を見る。 「最後にもう1つ」 浅田調査官がそう言うと、「まだあるの?」と中尾統括官が驚く。 「これは、結構重要なことなんです」 そして、浅田調査官は、小さな声で言う。 「個人情報の保護です・・・」 浅田調査官は、中尾統括官を見る。 「・・・年末調整では、社員の個人情報が知られるということです・・・すなわち、年末調整の事務担当者は、当然、社員の家族状況、例えば、障害者の子供がいるとか、住宅ローンであれば、銀行からの借入金の金額などを知ることになります・・・これらの他人にあまり知られたくない情報が、洩れてしまうという可能性があります・・・自分で確定申告をする場合には、そのような心配はありません」 中尾統括官は、「なるほど」と言って、大きく頷く。 (つづく)
《速報解説》 ASBJ、2024年年次改善プロジェクトによる企業会計基準等の修正を公表 ~金融商品会計基準含む多数の基準等を修正するも会計処理等の実質的な変更はなし~ 公認会計士 阿部 光成 Ⅰ はじめに 2024年11月1日、企業会計基準委員会は、「2024年年次改善プロジェクトによる企業会計基準等の修正について」として、企業会計基準、企業会計基準適用指針、実務対応報告及び移管指針の修正を公表した。多くの企業会計基準などが修正されている。 文中、意見に関する部分は、私見であることを申し添える。 Ⅱ 主な内容 「金融商品に関する会計基準」(企業会計基準第10号)、「固定資産の減損に係る会計基準の適用指針」(企業会計基準適用指針第6号)、「連結財務諸表における資本連結手続に関する実務指針」(移管指針第4号)など多くのものが修正されている。 修正内容の一覧が公表されている。 本修正は、会計処理及び開示に関する定めを実質的に変更するものではないとのことである。 例えば、臨時償却に関する記述を削除したり、移管指針の名称に修正したりすることが行われている。 Ⅲ 適用時期等 本修正は、公表と同時に適用する。 (了)
2024年10月31日(木)AM10:30、 プロフェッションジャーナル No.592を公開! - ご 案 内 - プロフェッションジャーナルの解説記事は毎週木曜日(AM10:30)に公開し、《速報解説》は随時公開します。
谷口教授と学ぶ 税法基本判例 【第43回】 「心理的所得概念と課税所得」 -フリンジ・ベネフィット通達事件・大阪高判昭和63年3月31日訟月34巻10号2096頁- 大阪学院大学法学部教授 谷口 勢津夫 Ⅰ はじめに 本連載は、基本的には、拙著『税法基本講義〔第7版〕』(弘文堂・2021年)で参照している(あるいは参照する予定の)判例の中から、同書における叙述の順に従って「税法基本判例」を取り上げ検討するものであるが(第1回Ⅰ参照)、前回までで同書第2編(税法通則)の参照判例の検討を一先ず終えて、今回からは同書第3編(所得課税法)の参照判例の中から「税法基本判例」を取り上げ検討していくことにする。 今回は、前掲拙著第3編第1章(課税物件としての所得(課税所得))の第2節(包括的所得概念と市場)で検討した心理的所得概念(同書【175】)を問題にしたものと解されるフリンジ・ベネフィット通達事件・大阪高判昭和63年3月31日判タ675号147頁(以下「昭和63年大阪高判」という)を検討することにする。 Ⅱ 心理的所得概念と貨幣的所得概念 金子宏教授は、わが国における税法学の発展の基礎を築いた「租税法における所得概念の構成」という画期的な論文(同『所得概念の研究 所得課税の基礎理論 上巻』(有斐閣・1995年)1頁所収[初出・1966年~1975年])において、「わが国の租税法において従来研究の遅れていたのは、この基礎理論-特に租税実体法に関する基礎理論-の分野であり、それが結局は個々の問題の解決について無用の混乱をひき起こす理由となっているとも考えられるのである。」(同書9頁)と述べ、「そのような基礎理論的研究の第一歩として、本稿では所得概念の問題をとり上げることにした。」(同頁)と述べられた上で、その当時の所得概念をめぐる議論の状況について、「所得(income, Einkommen)の意義は、一見明白なようでありながら、決してそうではない。何が所得であり何が所得でないかについての判断は、多くの場合、常識、、によって支えられているにすぎない、というのが実情である。」(同書10頁。下線・傍点筆者)と述べておられた。 そして、金子教授は所得概念の研究の出発点について、経済学をも踏まえて、次の整理を示された(同・前掲書13頁。下線筆者)。 上記の整理に従い、筆者は、「財貨の利用やサービスから得られる効用(utility)ないし満足(satisfaction)」という「心理的な何物か」で表現される所得概念を「心理的所得概念」、「理的何物かを可能にする金銭-万人に共通な価値の単位-」で表現される所得概念を「貨幣的所得概念」と呼んでいる(前掲拙著【175】参照)。 金子教授が前記の整理の中で述べておられるように、「所得税の課税の対象としての所得」すなわち課税所得の概念構成は貨幣的所得概念によらざるを得ないが、しかし、だからといって、課税所得の概念構成において心理的要素が完全に排除されるわけではない(前掲拙著【176】参照)。このことは実定所得税法の解釈においても問題になることがある。この点について、次のⅢで、昭和63年大阪高判の判断に即して検討することにしよう。 Ⅲ 海外慰安旅行フリンジ・ベネフィットの課税所得該当性 1 昭和63年大阪高判による課税所得該当性の判断 昭和63年大阪高判の争点のうち、従業員の2泊3日の香港慰安旅行費用(その額は1人当たり8万2771円)のうち会社が負担した部分(同2万9578円)から従業員が受ける経済的利益(フリンジ・ベネフィット)が所得税法上課税対象としての課税所得に該当するかどうかについて、同大阪高判は次のとおり判示した(下線・傍点筆者)。 ここでは、本件通達が使用人らのレクリエーション行事費用の使用人負担により使用人らが受ける経済的利益を「課税しなくて差支えない」とする取扱い(これと講学上の非課税所得との関係については前掲拙著【192】参照)について、3つの実質的根拠が説示されているが、それらのうち、課税所得該当性の判断において心理的要素を考慮して当該経済的利益が課税所得に該当しないとしたものと解されるのは①である。「必ずしも希望しないままレクリエーシヨン行事に参加せざるを得ない」が故に、当該行事への参加には心理的満足を観念し得ず、また、「その経済的利益を自由に処分することができるわけでもないこと」からして、当該経済的利益には消費による心理的満足を観念し得ないことになるので、いずれにせよ当該経済的利益は課税所得に該当しないというのが、①の意味するところであろう。これに対して、②は上記の取扱いの根拠を、少額不追求や評価の困難さという税務執行上の考慮に求めるものと解される。 問題は③をどのように理解すべきかである。この点については、前記の判示を「第一審被告の当審における主張」と比較することによって、その答えを見出すことができるように思われるので、まず、その「主張」を昭和63年大阪高判の中から以下に引用しておこう(下線・傍点筆者)。 以下では、前記判示と上記「主張」における〇囲み数字を区別するために例えば「判示①」「主張①」という表記を用いることにして議論を整理すると、判示①は主張②及び主張④に対応し、判示②は主張①及び主張③に対応するが、一見したところ、「第一審被告の当審における主張」には判示③に対応する主張がないように思われる。しかし、上で「第一審被告の当審における主張」として引用した部分の2つ目の段落をみると、そこの下線部には判示③の内容が含まれていると解される。 そうすると、「第一審被告の当審における主張」の前記引用のうち2つ目の段落が主張①~主張④からの帰結を述べている部分となることから、判示③は、本件通達の取扱いについて判示①及び判示②とは異なる実質的根拠を述べたものではなく、判示①及び判示②からの帰結を述べそれらの実質的根拠のいわば「まとめ」を示す部分にすぎないという理解が成り立つように思われる。 このような理解によれば、本件通達にいう「レクリエーシヨンとして社会通念上一般に行われている慰安旅行」(本件通達の文言に忠実にいえば「役員又は使用人のレクリエーシヨンのために社会通念上一般的に行われていると認められる会食、旅行、演芸会、運動会等の行事」)についてその判断の基準とされている「社会通念」の内容は、本件との関係では、判示①及び判示②によって形成されることになると考えられる。 2 課税所得該当性の判断における「社会通念」の意義 ところで、司法判断における「社会通念」の意義について、中里実教授は「租税法における社会通念」(同『租税史回廊』(税務経理協会・2019年)282頁[初出・2011年])に言及し場合によってはこれを「判断の決め手」(同頁)とした判例を整理された後、次のとおり述べておられる(同291頁。下線筆者。なお、税務官庁の判断における「社会通念」の意義については、所基通(直審(所)30(例規)(審)昭和45年7月1日)の前文参照)。 中里教授によれば、「『社会通念』という概念を用いた司法判断」は、「個別具体的な事情に応じて裁判所が判断するということ」であり、「法律の定めが不明確であるというのとは次元の異なる問題」であるが、そうすると、昭和63年大阪高判の判示③は「社会通念」を「国民感情」と同じ意味で用いていると解されることになるように思われる。ここでいう「国民感情」は、いわゆる感情法学(Gefühlsjurisprudenz)のいうような感情を問題とするものではなく、「法における常識(common sense in law)」を意味するものと解されるのであるが、これについては古くから次のとおり説かれてきた(末延三次=伊藤正己訳『P.G.ヴィノグラドフ 法における常識〔改訂版〕』(岩波書店・1963年)2-3頁。下線筆者)。 ここでいう「法の世界における人間の心の動き」には立法は勿論のこと法解釈も事実認定も含まれると解されるが、それらは「常識に基礎をおくもの」である(立法についていえば、税法における常識が帰属所得を課税所得から除外することに影響を与えていることについては、金子・前掲書88頁参照)。したがって、「『社会通念』という概念を用いた司法判断」は「常識に基礎をおく」司法判断と言い換えることができるように思われる。 そうすると、昭和63年大阪高判は、「『社会通念』という概念を用いた司法判断」であり、したがって、「常識に基礎をおくもの」であるといえよう。これを本件についてみると、「『社会通念』という概念を用いた司法判断」について「法律の定めが不明確であるというのとは次元の異なる問題」といえるのと同様に、「常識に基礎をおく」司法判断については「普通の知性と教育のある人が、この心の動きをたどることは決して困難ではない」といえるのであるから、海外慰安旅行フリンジ・ベネフィットの課税所得該当性に関する昭和63年大阪高判の判断は、その妥当性の法的根拠を社会通念ないし常識に、そしてその妥当性の実質的根拠を前記の判示①及び判示②に、それぞれ見出すことができるといえよう。 この点については、前記Ⅱの冒頭で引用したように、金子宏教授が所得概念の研究に当たって当時の議論の状況について「何が所得であり何が所得でないかについての判断は、多くの場合、常識、、によって支えられているにすぎない、というのが実情である。」(同・前掲書10頁。傍点筆者)と述べておられたことを想起すると、「社会通念」に基礎を置いた昭和63年大阪高判の判断は、「常識によって支えられている」といってもよかろう。 Ⅳ おわりに 以上、今回は、課税所得の概念構成において心理的要素が完全に排除されているわけではないことを、海外慰安旅行フリンジ・ベネフィットの課税所得該当性をめぐる所得税法36条1項の解釈に関する昭和63年大阪高判の判断に即して、検討してきた。その検討により、海外慰安旅行フリンジ・ベネフィットに関する心理的満足の欠如が(少額不追求や評価の困難さとともに)、「社会通念」という概念のフィルターを通して、所得税法36条1項の解釈において考慮される、という判断構造を明らかにすることができたと考えるところである。その判断構造において、「社会通念」は法的判断の基礎となる法概念の役割を担っているのである。 今回の検討を通じて、「社会通念」という概念は、「常識」という概念と同じく、あらゆる法的判断の基礎にある法概念であると考えるに至ったが、「社会通念」ないし「常識」を基礎として法的判断を行うということは、中里教授の前記の見解で述べられているように「法律の定めが不明確であるというのとは次元の異なる問題」であると考えるべきである。「社会通念」ないし「常識」は「法律で書かれていないこと」ではあるが、租税法律主義を最大限重視・尊重しつつもそのような「法律で書かれていないこと」を探究すること、すなわち、筆者のいう「創造的研究」(拙著『税法創造論』(清文社・2022年)はしがきⅳ頁)の重要性を、昭和63年大阪高判の検討を通じて、改めて認識した次第である。 (了)
〔令和6年度税制改正における〕 外形標準課税制度の見直し 【前編】 辻・本郷税理士法人 税理士 安積 健 本稿では令和6年度税制改正のうち、外形標準課税に関する部分について前・後編の2回にわたって解説する。 1 改正前の概要と改正趣旨 (1) 改正前の概要 外形標準課税は、次に掲げる法人以外の法人について適用される。 (2) 改正趣旨 外形標準課税の対象となる法人数は、平成18年度をピークに減少傾向が続いている。その理由としては、①資本金の額を1億円以下に減資する、②分社化や持株会社化などの際に、子会社の資本金を1億円以下にすることが指摘されていた。 外形標準課税は、法人事業税の税収を安定化させるという目的があり、実際のところ、所得割に比べて、付加価値割や資本割は安定的に推移していることから、令和6年度税制改正において、外形標準課税の対象から外れている実質的に大規模な法人を対象に見直しがされた。 2 改正内容 《減資への対応》 (1) 内容 外形標準課税の対象となる法人は、改正前と同様、資本金1億円超の法人が対象となる。ただし、当分の間、次に掲げる要件を全て満たす法人については、外形標準課税の対象とされることになった(地法附則8の3の3①、地令附則6(令和8年4月1日以後開始事業年度は地令附則5の7)、地規附則2の6の3)。 (※) 払込資本の額とは、資本金及び資本剰余金の合計額。 前事業年度に外形標準課税の対象となっており、かつ、当該事業年度終了の日の資本金が1億円以下であることから、当該事業年度中に、減資により資本金を1億円超から1億円以下にしていることが前提である。 払込資本の額とは、上記の通り、資本金及び資本剰余金の合計であるため、株式会社の場合は、資本金、資本準備金及びその他資本剰余金の合計となる。 なお、電気供給業のうち、小売電気事業等、発電事業等及び特定卸供給事業を行う法人についても本改正の対象となる点に留意が必要である。 (2) 適用時期 令和7年4月1日以後に開始する事業年度について適用される。 (3) 経過措置(改正地法附則7②) 最初事業年度(令和7年4月1日以後最初に開始する事業年度)については経過措置が設けられている。この経過措置は、上記(1)②の要件に関するものである。すなわち、原則は、「前事業年度」が外形標準課税の対象となっているかどうかで判定するところ、最初事業年度については、「公布日(令和6年3月30日)を含む事業年度の開始の日の前日から最初事業年度の開始の日の前日までの間に終了したいずれかの事業年度分」の事業税が外形標準課税の対象となっているかどうかで判定する。 これは、本改正が令和7年4月1日以後開始事業年度から適用されるため、最初事業年度開始日の前日までに減資を行った場合、改正の意味がなくなってしまうことから設けられたものと考えられる。 ただし、次の全ての要件を満たす場合には、原則通り、前事業年度が外形標準課税の対象となっているかどうかで判定する。 これは、改正法の公布日以降に減資を行い改正法の適用を免れようとする行為は認めないが、公布日の前日までに減資を行った場合には規制はしないという趣旨だと思われる。 3月末決算法人の最初事業年度について具体例を示すと以下の通りである。 設例1:公布日以後に減資する場合 設例2:公布日前に減資する場合 (【後編】に続く)
〔令和6年度税制改正における〕 賃上げ促進税制の拡充及び延長等 【第2回】 公認会計士・税理士 鯨岡 健太郎 ←(前回) | (次回)→ 4 令和6年度の税制改正の概要 (1) 改正のあらまし 令和5年11月2日に閣議決定された『デフレ完全脱却のための総合経済対策~日本経済の新たなステージにむけて』(以下単に「総合経済対策」という)では、わが国経済がコロナ禍の3年間を乗り越え改善しつつある一方、輸入物価の上昇に端を発する物価高の継続が国民生活を圧迫し、回復に伴う生活実感の改善を妨げているとの現状認識のもと、賃金と物価が好循環する絶好の機会を確実なものとするために、適用期限の到来を迎えようとする「賃上げ促進税制」を強化する方針が示された。 この「総合経済対策」は5本の柱(※4)から構成されているが、そのうちの「第2の柱」の施策の一環として「賃上げ促進税制について、物価高に負けない賃上げを実現できるよう強化する。その際、中小企業等について、赤字法人においても賃上げを促進するための繰越控除制度を創設するとともに、措置の期限の在り方等を検討する。併せて、マルチステークホルダーとの適切な関係の構築に向けた方策を講じる」ことが示された。さらに「第4の柱」の施策の一環として「仕事と子育ての両立や女性活躍支援を促進するため、賃上げ促進税制を強化する」ことが示された。 (※4) 「総合経済対策」で示された「5本の柱」は以下のとおりである。 このような背景を踏まえ、物価高に負けない構造的・持続的な賃上げの動きを広めるため、本税制が強化することとされたものである。 (2) 改正の内容 令和6年度の税制改正により、本税制を以下の3類型に区分し、それぞれに応じた適用要件及び税額控除率(及び上乗せ措置)が設けられることとなった。 それぞれの詳細については、【第3回】以降の記事を参照されたい。 ① 適用要件の見直し (a) 賃上げの要件 給与等支給額にかかる要件については、特に改正されていない(下表参照)。 (b) マルチステークホルダー方針公表・届出要件 「マルチステークホルダー方針の公表・届出要件」が必要とされる法人の範囲が見直され、適用事業年度終了の時においてその法人の常時使用従業員数が2,000人を超える法人が追加された(措法42の12の5①)。 この取扱いは資本金の額の規模を問わないから、たとえその法人が中小企業者等に該当するものであっても、適用事業年度終了時における常時使用従業員数が2,000人を超える法人であれば、マルチステークホルダー方針の公表と届出が必要とされるのである。 さらに、作成される「マルチステークホルダー方針」の中で適切な関係の構築の方針を公表する対象である「下請事業者その他の取引先」に、消費税の免税事業者が含まれることが明確化された。これは、上述した「総合経済対策」において、インボイス制度に関し「マルチステークホルダーとの適切な関係の構築に向けた方策を講じる」と述べられたことを踏まえた改正である。 ② 上乗せ控除(税額控除率の上乗せ)の見直し 改正前の制度では、「継続雇用者給与等支給額の増加に伴う上乗せ措置」、「教育訓練費の増加に伴う上乗せ措置」の2つが定められていたが、本年度の改正に伴い「厚生労働省の認定制度の適用による上乗せ措置」が新たに創設され、あわせて上乗せ控除のための要件について、企業規模に応じて下表のとおり見直された。 【継続雇用者給与等支給額の増加に伴う上乗せ措置】 〈大企業向け〉 〈中堅企業向け〉 【雇用者給与等支給額の増加に伴う上乗せ措置】 〈中小企業者等向け〉 【教育訓練費の増加に伴う上乗せ措置】 〈大企業向け〉 〈中堅企業向け〉 〈中小企業者等向け〉 【厚生労働省の認定制度の適用による上乗せ措置】(新設) 〈大企業向け〉 詳細については、【第3回】の記事を参照されたい。 〈中堅企業向け〉 詳細については、【第4回】の記事を参照されたい。 〈中小企業者等向け〉 詳細については、【第5回】の記事を参照されたい。 ③ 「他の者から支払を受ける金額」の見直し 雇用者給与等支給額等(※5)の算定の基礎となる「給与等の支給額」からは、「その給与等に充てるため他の者から支払を受ける金額」を除くこととされているが、「他の者から支払を受ける金額」のうち役務の提供の対価として支払を受ける金額は、給与等の支給額から控除しないこととされた。 (※5) 具体的には、以下の金額の算定にあたり適用される取扱いである。 これにより、改正後の制度では、「他の者から支払を受ける金額」のうち「雇用安定助成金額」及び「役務の提供の対価として支払を受ける金額」の2つを除いたものについて、「補塡額ほてんがく」という別の用語として整理されることとなった(措法42の12の5⑤四~六、九、十一)。 なお、この「役務の提供の対価として支払を受ける金額」の取扱いは、令和6年4月1日前に開始し、かつ、同日以後に終了する法人税について適用することも差し支えないこととされている(※9)。 (※9) 経済産業省『「賃上げ促進税制」御利用ガイドブック(令和6年8月5日公表版)』p.14 ④ 税額控除限度超過額の繰越控除制度の創設 中小企業者等のみ 中小企業者等に限り、ある適用年度における税額控除限度額がその年度の控除上限を超える場合、その超過額を最長5年間繰り越して翌年度以降の税額控除に使用することができる措置が講じられることとされた。 具体的には、青色申告書を提出する法人の適用年度に「賃上げの要件」を満たしている場合において「繰越税額控除限度超過額」を有するとき、これをその適用年度の法人税額から控除するというものである(措法42の12の5④)。 詳細については、【第5回】の記事を参照されたい。 (【第3回】に続く)
学会(学術団体)の税務Q&A 【第10回】 「学術集会の共催セミナー(法人税)」 公認会計士・税理士 岡部 正義 ▲▼▲[解説]▲▼▲ 1 収益事業に該当するか否か 学術集会においては、企業と共催でセミナーを開催し、共催セミナー費を受け取るケースが多い。このような共催セミナー費に関して、実務上は、法人税法上の収益事業(席貸業)として扱っているケースと、扱っていないケースが混在しており、法人税法上の収益事業(席貸業)に該当するか否かに関しては、議論があるところである。 (1) 法人税法上の収益事業に該当すると考える場合 一般的に、共催セミナー費の内容は、会場費や音響設備や照明設備等の付帯設備の利用料である。共催セミナー費は、一定の場所を利用するための対価として受領しているものであるため、法人税法上の収益事業(席貸業)に該当すると考えられる(法令5①十四)。 (2) 法人税法上の収益事業に該当しないと考える場合 共催セミナー費の内容は、会場費や音響設備や照明設備等の付帯設備の利用料であるものの、企業が会場を借りて講演を行うわけではない。そのため、共催セミナー費は、会場利用料という名目であるものの、実質的には学会がセミナーを開催するにあたり、企業に対して負担金(寄付)を求めているものであると考えることができる。そのため、法人税法上の収益事業(席貸業)に該当するものではないと考えられる。 また、企業がセミナー開催にあたっての費用を負担するのは、企業の広告活動の一環であり、共催セミナー費は一種の広告料と考えることもできる。広告業は、収益事業の34の特掲事業に含まれていない以上、仮に負担金(寄付)ではなく、広告料と考えたとしても、法人税法上の収益事業に該当するものではないと考えられる。 2 実務上の対応 上記のように、共催セミナー費に関しては、収益事業に該当するという考え方と該当しないという考え方があると思われるが、私見としては、収益事業(席貸業)に該当すると考える。 なぜなら、収益事業に該当しない考え方として、「共催セミナー費=負担金(寄付)」という考え方があるが、共催セミナー費は、通常、課税取引扱いとなっているため、負担金(寄付)であるために収益事業に該当しないという説明は難しいと考えるためである。 また、共催セミナーが課税取引であるのは、一種の広告料であり、広告料は収益事業となる34の特掲事業(法令5①)に該当しないため、収益事業に該当しないという考え方があるが、共催セミナーの内容は広告料ではなく、会場利用料である。 共催セミナーに関して、「企業が会場を借りて講演をしているわけではないため、実質的には会場利用料ではない」という見方もあるが、その一方で、「セミナーのテーマや演者に関しては、企業の希望に基づいて選定し、セミナー開催のための運営費用(演者の謝礼・交通費、弁当代、ポスター印刷費など)は企業が負担している以上、企業が希望するセミナーを開催するための会場利用料を支払っている」という見方もできる。仮に、企業が自社の製品や研究に関連するテーマのセミナーを開催することが企業にとっての広告目的であったとしても、「企業が共催セミナー費を支出する実質的な目的が広告であるから、広告料として認定する」のも難しいと考える。 少し例は異なるが、たとえば、広告宣伝用の看板を設置するために、ビルの屋上の使用料を受領した場合は、仮にビルの屋上を使用するための目的が広告であったとしても、取引の内容としては、あくまで不動産の使用料となるため、不動産貸付業に該当することになる(法基通15-1-17)。 そのため、共催セミナー費が収益事業に該当するか否か判断するにあたっては、「相手方が何の目的のために支払った対価なのか」という点に着目して判断するのではなく、共催セミナー費の具体的な内容に基づいて、席貸業に該当するか否かを判断すべきであり、共催セミナー費の内容が会場利用料である以上、席貸業に該当すると考える。 3 公益法人の学会が公益目的事業の一環として実施される場合 公益法人の学会が、公益目的事業の一環として学術集会を開催する場合は、たとえ席貸業に該当する事業であっても、法人税法上の収益事業から除外される(法令5②一)。 (了)