税理士が知っておきたい
不動産鑑定評価の常識
【第21回】
「評価方法の選定に影響を与える「特別の事情」とは何か」
~鑑定評価額が採用されたレアケース~
不動産鑑定士 黒沢 泰
前回は、財産評価基本通達(以下「評価通達」といいます)による評価方法によっては適正な時価を適切に算定することのできない特別の事情の存しない限り、相続財産の評価に当たっては、評価通達の定める評価方法によって評価を行うのが相当である旨、税務上取り扱われていることを述べました。すなわち、相続税の財産評価に用いる時価は評価通達により算定した評価額が原則であり、例外的に(すなわち特別の事情のある場合に限り)他の合理的な方法(鑑定評価等)による評価額が許容されるということです。
その際の「特別の事情」とは何かについては前回紹介したとおりですが、上記の考え方による限り、評価通達以外の評価方法による評価額が許容された事例は(筆者の調査による範囲では)事実上きわめて少ない傾向にあります。
前回、納税者と課税庁の間で評価額をめぐり争いとなった事例をいくつか掲げましたが、最後に鑑定評価の結果が活用されたケースとして東京地方裁判所令和元年8月27日判決(相続した不動産の時価について評価通達の定めによることなく鑑定評価額によって評価することが許されるとした事例)(※1)を簡単に紹介しました。この裁判例は、特別の事情の解釈を検討するに当たり、各方面から注目を浴びているということも耳にします。そこで、今回は、この事案の概要と争点、裁判所の判断について全体像を要約した上で、鑑定評価の位置付けに関し筆者なりのコメントを付しておきたいと思います。
(※1) 金融・商事判例No.1583(2020年2月1日号)、TAINSコード:Z888-2271。
1 東京地方裁判所令和元年8月27日判決のあらまし
この事案は、相続人が相続財産の時価を算定するに当たり評価通達に基づいて評価したところ、これが課税庁から否認されたというものです(本件裁判例では行政手続法との関連についても争点となっていますが、これについては割愛させていただきます)。
なお、本件はまだ最終的な確定に至っていないことを前提とした概要紹介という形で取り扱わせていただきます。
(1) 事実関係
① 被相続人は平成〇年〇月〇日に〇歳で死亡し、本件相続が開始しました。
② 被相続人の共同相続人は、被相続人の妻B(訴外)、長女X2、長男X1、二男C(訴外)及び養子X3の5名でした(以下、5名を総称して「本件共同相続人」といいます)。
③ 本件共同相続人は、被相続人の平成〇年〇月〇日付公正証書に係る遺言及び本件共同相続人の間で平成〇年〇月〇日に行った遺産分割に従って、本件相続に係る相続財産を取得しました。
〈被相続人の共同相続人〉
- 被相続人の妻(B)(訴外)
- 被相続人の長女(X2)
- 被相続人の長男(X1)
- 被相続人の二男(C)(訴外)
- 被相続人の養子(X3)
④ D社は、不動産の売買、賃貸借及び管理等を目的とする株式会社です。もともと被相続人が代表でしたが、X1が代表取締役に就任しました。
(2) 本件相続に係る相続財産等
本件各不動産は、養子であるX3が遺言により取得しています。また、X3は相続による取得後、本件乙不動産を5億1,500万円で売却しています。
(3) 課税庁(原処分庁)による更正処分と納税者からの訴訟提起
① X1及びX2及びX3(以下「Xら」といいます)は、相続税申告において評価通達の定める評価方法により評価しました(その結果、被相続人の購入額よりも課税価格が約4分の1と著しく低くなっています)。
② Xらは諸費用を控除の結果、相続税の納税額をゼロとして申告しました。
③ これに対し、課税庁(原処分庁)は更正処分を行いました。なお、課税庁の実施した鑑定評価の結果とXらの通達評価額(申告額)を対比させると以下のとおりです。
〈甲不動産〉
鑑定評価額 7億5,400万円 ⇔ 通達評価額(申告額)2億4万1,474円
〈乙不動産〉
鑑定評価額 5億1,900万円 ⇔ 通達評価額(申告額)1億3,366万4,767円
④ Xらは更正処分の全部の取消しを求めて審査請求をしましたが、国税不服審判所長はこれを棄却する旨の裁決をしました。そのため、Xらが本件訴えを提起したものです。
(4) 争点
本件の争点は、相続開始時における各不動産の時価であり、評価通達の定める評価方法によらない評価が許されるための「特別の事情」とはどのようなものか、そして本件の場合、このような事情が認められるか否かにありました。
これに関し、当事者双方からの主張がなされましたが、審理に当たった裁判所は以下の理由から通達評価額に替えて鑑定評価額を採用し、Xらの主張を棄却しました(下線は筆者によります)。
(5) 裁判所の判断
① 本件各通達評価額は鑑定評価額の約4分の1である。しかし、納税者(Xら)が本件各不動産を売買した際の価額は、本件甲不動産に関しては鑑定評価額より8,300万円も高額であり、乖離の程度が大きいものであった。また、本件乙不動産に関してはおおむね本件乙不動産鑑定評価額と同程度のものであった。
② これらに加え、被相続人又はX3の本件各不動産の売買につき、市場価格と比較して特別に高額又は低額な価格で売買が行われた旨をうかがわせる事情は見当たらない。さらに、本件各不動産はいずれも約40戸の共同住宅等として利用されている建物及びその敷地であるところ、本件各鑑定評価はいずれも原価法による積算価格を参考にとどめ、収益還元法による収益価格を標準に鑑定評価額を求めたものである。
③ 不動産鑑定士が不動産鑑定評価基準に基づき算定する不動産の正常価格は、基本的に、当該不動産の客観的な交換価値(相続税法第22条に規定する時価)を示すものと考えられる(地価公示法第2条参照)。このことも勘案すれば、本件各通達評価額が本件相続開始時における本件各不動産の客観的な交換価値を示していること(本件相続開始時における本件各不動産の客観的な交換価値を算定するにつき、評価通達の定める評価方法が合理性を有すること)については、相応の疑義があるといわざるを得ない。
④ 以上の事実関係の下では、本件相続における本件各不動産については、評価通達の定める評価方法を形式的に全ての納税者に係る全ての財産の価額の評価において用いるという形式的な平等を貫くと、本件各不動産の購入及び本件各借入れに相当する行為を行わなかった他の納税者との間で、かえって租税負担の実質的な公平を著しく害することが明らかというべきであり、評価通達の定める評価方法以外の評価方法によって評価することが許されるというべきである。
⑤ そして、本件全証拠によっても本件各鑑定評価の適正さに疑いを差し挟む点が特段見当たらないことに照らせば、本件各不動産の相続税法第22条に規定する時価は、本件各鑑定評価額であると認められる。
2 上記判決における鑑定評価の位置付け
本稿は、不動産鑑定士による鑑定評価の結果が相続税法上の時価として受け容れられるためには、単に不動産鑑定士が鑑定評価したというだけでなく、その前提として、評価の対象案件に関しどのような理由で評価通達の定めを適用することが不合理であるのかを論証する必要があるという点を模索しています。
通常の場合、暗黙の前提として、評価通達に基づいて算定した評価額が納税者の考える以上に高額であり、このことを立証する手段として納税者が不動産鑑定士による鑑定評価を求めるといった背景が思い浮かびます。しかし、本件の場合、不動産鑑定士に鑑定評価を依頼したのは課税庁側であり、課税庁において特別の事情の存在を根拠に、評価通達の定めを適用することが不合理であることを主張している点に特徴があります。すなわち、本件の場合、特別の事情の有無が争点となる典型的なパターンの逆のケースであるといえます。
固定資産税評価額と鑑定評価額及び特別の事情との関係について取り扱った最高裁平成25年7月12日判決の補足意見(※2)では次の見解が示されています。
(※2) TAINSコード:Z999-8323。
鑑定意見書等によっていきなり登録価格より低い価格をそれが適正な時価であると摘示された場合、その鑑定意見書等による評価の方法が一般に是認できるもので、それにより算出された価格が客観的な交換価値として評価し得るものと見ることができるときであったとしても、当該算出価格を上回る登録価格が当然に適正な時価を超えるものとして違法になるということにはならない。当該登録価格が、固定資産評価基準の定める評価方法に従ってされたものである限り、特別の事情がない限り(又はその評価方法自体が一般的な合理性を欠くものでない限り)、適正な時価であるとの推認が働きこれが客観的な交換価値であることが否定されることにならないからである。
このような捉え方は相続税の財産評価においても同じ傾向にあると思われます。
しかし、本件の場合、相続物件の実際の売却価額が通達評価額を著しく上回ったという事実が存在すること、その背景に相続税対策のための多額の借入行為が存在し、売却代金から借入金を返済していることが、課税庁から見て評価通達の定める評価方法以外の方法によって評価すべき特別の事情があると判定されたことが判決文から読み取れます。
財産評価における鑑定評価の位置付けを考える上できわめて示唆に富む判決であると思われます。
(了)
「税理士が知っておきたい不動産鑑定評価の常識」は、毎月第3週に掲載されます。