会計上の『重要性』 判断基準を身につける ~目指そう!決算効率化~ 【第10回】 「重要性判断の実践事例①」 ~未払計上の要否はベンチで考える 公認会計士 石王丸 周夫 今回は期末の未払費用の計上について、重要性判断との関係を考えてみます。 まず手始めに、以下の問題にチャレンジしてみてください(解答は問題のすぐ下にあります)。 いかがでしたか。正解できたでしょうか。 未払費用をどこまで厳密に計上するかは、決算早期化にも関係する大事な話です。 以下、この解答について触れながら、解説していきます。 《未払費用はやっかいな科目》 まず、未払費用の定義を確認しておきます。 企業会計原則注解では、次のように説明されています。 この定義からもわかりますが、未払費用というのは、支払が役務提供の事後に行われるという特徴があります。期末月に提供された役務については、請求が役務提供後遅滞なく行われたとしても翌月の初め、つまり翌年度が始まってからになるので、代金決済も同じく翌年度になるのです。 これが未払費用のやっかいなところです。 未払費用を計上する側は、期末日を過ぎて請求書が届くまで、会計処理できません。相手が速やかに請求してくれればまだしも、そうでなければ相手次第で、いつまでも待たされる羽目になります。 未払費用と似た科目に前払費用がありますが、これは未払費用とは逆に、支払が役務提供に先行します。前払費用は期末日以前に支払が終了しているので、期末日を迎えれば、相手のことを気にせずに会計処理可能です。 決算早期化との関係で見ると、ネックになるのは未払費用のほうです。これを早めに処理できるかどうかが早期化のポイントになってきます(⇒したがって、問題10のアの記述は正しいです)。 《遅れて届いた請求書は翌年度に先送りでよいか》 期末月に係る費用の請求書は、通常、翌年度のはじめに届きます。3月決算であれば4月のはじめ頃です。企業会計では、費用の計上は発生主義によって行うので、届いた請求書(3月分)に基づいて未払費用を計上します。 この請求書が4月の上旬に届けばよいのですが、相手によっては遅れるところもあります。しかし、3月分の請求書がすべてそろうまで、決算を締めずに待っているわけにもいきません。 たいていの会社では、期限を区切って、その日までに届いた請求書を未払計上します。それ以後届いたものは翌年度の費用にします。実務上、そうせざるをえないので、あまり疑問に感じることもないのでしょうが、会計的には理屈が通りません。 というのは、遅れて届いたとはいえ、「3月末までに発生した費用は3月までの費用に計上すべき」というのが会計のルールだからです。 届くのが遅かったからといって翌年度の費用にしてしまうと、当年度の決算上は未計上債務(計上漏れ)という扱いになります(⇒したがって、問題10のイの記述は誤りです)。 遅れて届いた請求書は翌年度の費用に先送りせざるをえないという扱いは、実務的には理解できますが、そこには会計的にもきちんと説明できる理由が欲しい。 重要性判断というのは、こうした場面で大事な役割を果たします。 《金額的重要性により請求書を振り分ける》 【第2回】で述べましたが、未払費用は、重要性が乏しければ計上しないことができます。「重要性の原則」です。このルールを使って未払費用を計上するかどうかを判断すれば、きちんとした説明ができます。 一定の期日を過ぎて到着した請求書について、重要性の乏しいものは未払費用の計上対象とはせずに、翌年度の費用に先送りするのです(⇒したがって、問題10のウの記述は誤りです)。期日だけでなく、「金額的重要性」という観点からも請求書を選り分けるのです。 問題は、その重要性の「しきい値」をいくらにするかでしょう。 考えられる基準としては2つあります。 税引前利益の5%によって求められる「重要性の基準値」か、そのさらに5%程度以下として求められる「明らかに僅少な額」です。 実務的に考えると、後者の「明らかに僅少な額」が適当です。請求書の未払計上に関する重要性判断を行う場合、その判断は担当者に相当程度任されます。「明らかに僅少な額」による重要性判断は、個々の担当者が機械的に行うことができる判断なので、こういう場面で採用しやすいでしょう。 《経常的に発生する費用かどうかも判断の参考に》 「明らかに僅少な額」による重要性判断は、運用しやすいというメリットがある反面、そのしきい値が小額であるため、重要性が乏しいと判定される取引が少なくなるというデメリットがあります。翌期に届いた請求書のほとんどについて、未払費用の計上が必要であるという結果になるかもしれません。 そこで決算早期化という観点からは、もう1つ、考慮に入れておきたいことがあります。 それは、「その費用が、毎月ほぼ同額、経常的に発生しているかどうか」という点です。 下図は、ある経費が毎月ほぼ同額発生している場合に、現金主義(支払時に費用計上)で費用計上するケース(3月決算会社)のイメージです。 ① 支払い時に費用計上(現金主義) ※画像をクリックすると、別ページで拡大表示されます。 現金主義なので、*1年4月から*2年3月までに支払った額を年度の費用(ベンチに乗っている分)としています。合計で「1,110」です。*2年3月の費用は*2年4月支払となるため、費用計上はされていません。 これを発生主義(消費の発生時に費用計上)に修正すると、以下のようなイメージになります。 ② 発生時に費用計上(発生主義) ※画像をクリックすると、別ページで拡大表示されます。 ①の現金主義のベンチで一番左に乗っていた「90」がストンと地面に落ち、代わりにベンチの右横に置いてあった「100」がベンチの上にのっかります。その結果、ベンチの上に乗っかっている費用は発生主義ベースに変わります。合計で「1,120」です。 ①と②の差額は10です。ベンチから落ちた費用と新たにのっかった費用の差になります。この差額10が損益に与える影響であり、これが「明らかに僅少な額」以下であるなら、現金主義計上が容認できます。 毎年ほぼ同額が経常的に発生している場合には、この差は少額になるはずですから、損益に与える影響はほとんどないでしょう。 (了)
経理担当者のための ベーシック会計Q&A 【第92回】 人件費に関する会計処理③ 「従業員への給与の支払(社会保険料、源泉所得税含む)」 仰星監査法人 公認会計士 竹本 泰明 〈事例による解説〉 〈会計処理〉 [ケース①の月末日] (※1) 給与手当に係る未払費用(当月1日~当月末分) (※2) 会社負担の法定福利費に係る未払費用(当月1日~当月末分) [ケース①の給与支払日] (※3) 月末日(給与手当に係る未払費用の計上時)に計上することもあります。 [ケース②の給与支払日] (※4) 前月末に計上した給与手当に係る未払費用(前月16日~前月末分) (※5) 当月1日~当月15日分の給与手当 (※6) 会社負担の法定福利費に係る未払費用(当月1日~当月15日分)・・・納付時に取り崩します。 [ケース②の月末日] (※7) 給与手当に係る未払費用(当月16日~当月末分) (※8) 会社負担の法定福利費に係る未払費用(当月16日~当月末分) なお、月末日の会計処理について、実務的には本決算においてのみ経過勘定を計上し、月次決算においては経過勘定の計上は行わず、支払ったときに費用計上する会計処理が一般的です。 〈会計処理の解説〉 発生主義に基づき費用計上するため、給与の締日や支払日にかかわらず、給与手当と法定福利費(会社負担分)は毎月1ヶ月分が計上されます。 給与は総額(額面)で費用計上します。社会保険料のうち会社負担分は「法定福利費」で費用計上し、従業員負担分については“会社は預かって代わりに納付する”だけであるため「預り金」に計上します。源泉徴収税額についても同様に預り金に計上します。 社会保険料については、原則として一定の日に会社負担分・従業員負担分を合わせて納付するため、納付日に未払費用と預り金が取り崩されることとなります。 * * * 次回は、人件費に関する会計処理のうち、労働保険料の会計処理について解説します。 (了)
社外取締役の教科書 【第6回】 「『コーポレート・ガバナンスの実践』 (経済産業省報告書)が示すもの(その2)」 クレド法律事務所 駒澤大学法科大学院非常勤講師 弁護士 栗田 祐太郎 1 他社の「プラクティス」に着目することの重要性 【第5回】では、経産省の研究会による「コーポレート・ガバナンスの実践」から、総論的な考え方とそれを具体化する4つの柱を紹介した。 今回は、その柱の4つ目である「具体的な取組み(プラクティス)と制度双方の検討の必要性」という点に関連して、我が国の企業が「コーポレートガバナンス」についてどのような実践を重ねてきたか、その具体的な事例を紹介する。 これらは、上記報告書の「別紙1 我が国企業のプラクティス集」として整理されているものである。 一口に「コーポレートガバナンスは重要だ」、「社外取締役が監督機能を果たすべきだ」と言ってみても、では自社ではどこから取り組んでいくのか、現状のどの点に改善の余地があるのかを具体的に計画していくことは、相当な困難を伴う。 その中で、他社における具体的な事例を確認しておくことは、現場でのイメージをつかむためにも、また自社での議論を活発化させるためにも極めて有効である。 前記報告書が取り上げている事例は膨大であるため、以下では、社外取締役に関して特に参考となると思われる事項をピックアップし、紹介する(下線は、筆者が付したものである)。 2 【場面その1】 社外取締役の情報収集に関するプラクティス 「社外」にその本籍を置く取締役は、社内の人材に比べ、当該企業の実情に関して持ち合わせている情報が少ないことは当然である。 そのため、下記のような工夫により、社外取締役自身が、経営監督に必要となる各種の情報を十分得られるような環境を整える必要性は高い。 3 【場面その2】 取締役会参加の実効化に関するプラクティス 社外取締役制度を導入しても、その主要な活躍の場であるはずの取締役会における議論が活発化せず、社外取締役がただ儀式的に参加しているに過ぎないようでは、監督機能の強化は果たせない。 そのため、社外取締役が取締役会に積極的に参加し、議論が真に充実化するために、以下のような取り組みをしている事例がある。 4 【場面その3】 経営者選任への効果的関与に関するプラクティス 社外取締役の“究極の役割”が、「現経営陣に会社経営を任せることの可否」を判断すること、すなわち、必要な場合には経営陣に“引導を渡す”ことであることは、【第4回】でも触れたとおりである。 それを実効化あらしめるために、以下のような取り組み例がある。 5 自社においてまず取り組むべき事項は何か? この「プラクティス集」では、以上に取り上げたものも含め、実に326の事例が紹介されている。 掲載された事例はどれも具体的であり、参考になる点が多々ある。そのため、今後必要に応じて「プラクティス集」記載の各事例そのものを参照していただきたい。 その中で、「プラクティス集」では、コーポレート・ガバナンス強化に関して、自社のあり方を検討すべき項目を整理しているので、本稿を終えるにあたり紹介しておきたい。これらを軸に、自社の実情に応じた効果的なガバナンスシステムのあり方を議論していく必要がある。 (了)
従業員等からの 『マイナンバー』入手の手順 【第5回】 「取引先など外部の個人からのマイナンバーの入手」 仰星監査法人 公認会計士 岡田 健司 【第2回】、【第3回】で「本人確認」の方法について詳しく解説を行い、前回(第4回)は従業員及びその扶養親族(配偶者含む)からのマイナンバーの入手について解説を行った。 【第5回】となる本稿では、前回と異なり企業外部における個人(例えば業務委託先(個人、個人事業主)、地主・家主、株主など)からのマイナンバーの入手について解説する。 企業外部の個人からのマイナンバーの入手は、日常の接点の多寡からして、いわば身内ともいえる従業員とは同じようにいかないことが想定される。このため、円滑に制度の運用に乗るためには、いかに周到に準備を行い、できるだけ事前に、彼らに対しマイナンバーの提供についての理解を得ておくことがポイントである。 1 取引先などからマイナンバーを入手する際に必要な対応 前回の従業員等からのマイナンバーの入手と重複する点もあるが、企業が外部の個人からマイナンバーを入手する際に、以下の事項について対応・決定ができているか、確認していただきたい。 ①から⑤は従業員等からのマイナンバーの入手と重複することから、並行して検討すればよいが、⑥及び⑦については冒頭で申し上げたとおり、慎重かつ十分な検討が必要である。 上記7項目について、以下で詳しく解説する。 ① 利用目的の洗い出しと、通知や公表のための方法を検討し、決定する ①について、読者におかれては、筆者作成による以下の【図1】を参考に、利用目的の洗い出しと並行して、マイナンバーを入手すべき個人の洗い出しも網羅的に行われているかを改めて検討・確認されたい。 なお、利用について本人の「同意」は不要とされており、通知または公表すればよいとされている(ガイドラインQ&A1-4参照)。 【図1】 マイナンバーを入手すべき個人とその範囲並びにその利用目的(例示) ※画像をクリックすると、別ページでPDFファイルが開きます。 (※1) これらの金額は、通常消費税及び地方消費税の額を含めて判断するが、消費税及び地方消費税の額が契約書等で明確に区分されている場合には、その額を含めないで判断しても差し支えないとされている。 (※2) 「要」:取得する必要がある。「不要」:取得してはならない。 (※3) 株式管理事務、株主管理を信託銀行等の株主名簿管理人に委託せず、自社で行っている場合を想定する。 (※4) なお、番号法の施行日(2015/10/5)において既に氏名及び住所を事業者に告知している既存の株主については、マイナンバーを記載して調書を提出するのに3年間の経過措置が定められており、特にマイナンバーの収集に困難が予想される株主について一定の配慮がなされている。 (※5) この他には、新株予約権の行使に関する調書作成事務、株式無償割当てに関する調書作成事務なども考えられる。 ② 本人確認の方法を検討し、決定する ②についての詳細は本連載の【第2回】【第3回】を参照されたい。 なお、従業員と異なり、取引先などの外部の個人について直接対面で本人確認を行うのは実務上相応のコストを要すること、直接的な接点をもつことが困難であることが予想される。 そこで、実務的には、【第3回】で【図4】(郵送による方法)、【図5】(電子メール等の電子的な方法)として紹介した方法を中心に本人確認を行うとともにマイナンバーを取得することになると思われる。つまり、郵送あるいは電子メール等の電子的な方法でマイナンバーを取得することを前提に、下記⑥に列挙したマイナンバーの提供をお願いする方法を検討するのが実務的であると考えられる。そして、これらを③のマニュアルに落とし込んでいくことになる。 ④ 取引先などの外部の個人について、特定個人情報等に係る「安全管理措置」の体制を整備する 特定個人情報等に係る安全管理措置の内容については、従業員に係る特定個人情報等の安全管理措置と異なることはないため、マイナンバーを取得する前に厳格な情報管理体制を整備し具体的な対策を図っていく必要がある。 ⑤ 取引先などの外部の個人から、個人番号を「いつ」取得するかを決定する この点は従業員のケースと若干異なる。というのも、マイナンバーの取得の時期については、平成28年1月以降に具体的に関係事務が発生したときに個人番号の提供を求めるのが原則的な考え方であるが、実務的には、当該個人番号を用いて、平成28年1月以降の関係事務を処理することが予想される時点で個人番号を取得するのがよいと考えられるためである(ガイドライン4-3-(1)に同趣旨の規定がある)。 そこで、上記【図1】のとおり、想定される取得時期に個人番号を取得できるよう、事務フロー等の見直しを行う必要がある。 具体的には、不動産の使用料等の支払調書(所得税法225条1項9号)を提出する必要があるのは、年間の賃料の支払額が15万円を超える場合であるが、通常地主・家主等への賃料は年間で定額であり、契約時点で予め年間の賃料の支払額は予測できるものと思われる。そこで、地主や家主に係るマイナンバーの取得の要否は不動産賃貸借契約書等の締結時点で判断するのが通常である。 また、年間の賃料の支払額が明らかに15万円以下となる見込みであり、不動産の使用料等の支払調書の作成を要しない相手先については個人番号を取得してはならない。 このように、企業の実務としては、地主や家主については一律にその個人番号を取得するのではなく、年間の賃料の支払見込額に応じて取得の要否を判断する必要があり、そのように実務への落とし込みを行う必要がある。 ⑥ 「マイナンバーの提供のお願い」をどのようにして行うかを検討し、決定する 従業員であれば社内のイントラネットや社内メール・社内通達あるいは事前の説明会でマイナンバーの提供を一斉にお願いすることが可能であろう。しかしながら、取引先等は同じようにはいかない。必ずしも、すべての取引先等がインターネットを使用できる環境にあるわけがないことから、ホームページによって提供をお願いする旨や利用目的を周知することはできないと考えるべきである(※)。 (※) 個人情報についての各省庁のガイドラインにおいても、電子メールやインターネットを常時使用する者でない者に対して、電子メールを送信したり、インターネットにおいて掲示することは、本人に通知しているとはいえないとされる例がある。 よって、取引先等については、個々の取引先の属性(年齢、緊密度合い、企業との力関係等)を踏まえ、マイナンバーの提供をお願いする方法とコンタクトの方法を考えなければならない。既述のとおり、郵送、電子メールによる方法を中心に、場合によっては、直接訪問してマイナンバーの提供をお願いするということも視野に入れておかなければならない。 ⑦ ⑥と並行して「マイナンバーの提供をお願いする書面」を作成し、手渡しあるいは郵送する。そのうえで、提供についての事前の理解を得ておく 取引先などの外部の個人へ伝えるべき事項をまとめると、以下のようになる。 以上のことを踏まえて、取引先等の外部の個人に対してマイナンバーの提供をお願いする書面の例示すると、以下のようになる。 〈例示〉 マイナンバー制度の開始のお知らせと、個人番号の提供に関するお願い文案 2 よくある質問 3 最後に 本稿では、前回までの解説と理解を前提に、取引先等の外部の個人からのマイナンバー取得に向けた準備を中心に解説を行った。最終回となる次回では、これまでに紹介できなかったその他のよくある質問について解説を行い、本連載の総括を行いたい。 (了)
税理士ができる 『中小企業の資金調達』支援実務 【第2回】 「資金調達支援における税理士の役割(その1)」 ~税理士の立ち位置は仲介者~ 公認会計士・中小企業診断士・税理士 西田 恭隆 1 資金調達支援における税理士の立ち位置 具体的な資金調達支援の内容に入る前に、支援における税理士の立ち位置について説明する。税理士は、会社と金融機関との間で、「仲介者」としての役割を果たす。責任関係に影響する可能性があるので、仲介者としての立場を明確にしておくことは重要である。 さて、「税理士が資金調達支援を行う」といった場合、次のようなイメージを持つ方がいるのではないだろうか。 どちらのケースも、「融資交渉の主役としての税理士」というイメージである、だが、実際には、このようなケースはほとんどない。 まず、《イメージ1》であるが、税理士の同行・交渉が融資判断に大きく影響することはない。むしろ逆効果になることが多い。 というのも、金融機関は、会社および社長を信用して融資を行うわけであるから、社長自身が資金調達の必要性や目的、返済について説明するのが筋である。当然金融機関側も、社長の言葉を直接聞きたいと思っている。ここで、事業や返済に責任のない税理士がいくら説明しても説得力はなく、時間の無駄である。 むしろ、税理士が前面に出すぎると、社長の信用が落ち、融資判断にマイナスとなることすらある。「本来、社長自身が説明すべきなのに、外部の人間に説明させている」「社長は会社の事業内容を理解していない、責任感の薄い人物である」と思われてしまうからである。 つまり、税理士が交渉に関与することは、悪い影響はあっても、良い影響はない。金融機関に税理士が同行しても、社長とは別室に案内され、交渉に何も参加できなかった、というケースもある。 筆者も、社長の融資交渉に同行したことはほとんどない。交渉面談に同席したこともないわけではないが、交渉にはほとんど参加することはなかった。だが、ほとんどの場合で融資はまとまった。 次に《イメージ2》であるが、「決算書を操作して、通常は得られない融資を得た」というケースも、実際にはほとんどない。会社の実態をより適切に表すために勘定科目の整理を助言することはある。しかし、利益額が大きく動くようなものではなく、それにより融資判断に影響が出ることもない。粉飾操作による架空利益の計上は論外である。 2 仲介者としてどのようなスタンスで臨むべきか それでは税理士は何ができるのだろうか。それは、「社長と金融機関の間に立ち、融資交渉がスムーズに進むよう、仲介者の役割を果たすこと」である。 融資判断には、会社の状況や事業内容に関する財務情報が必要である。そこで、税理士は決算書などの財務関係資料を用いて、両者の情報共有を促す。通訳者のようなイメージと言えばわかりやすいだろうか。 もちろん、仲介者といっても、公正中立という意味ではない。税務顧問報酬を頂いている社長寄りに立つのは当然である。 例えば、融資判断に不利になるような事実がある場合、全ての事実を金融機関に伝える必要はない。社長と相談して、開示する情報を取捨選択すべきである。事実をねつ造するという意味ではない。「伝える必要のないものは伝えない」ということである。 3 仲介者としての立場を逸脱することのリスク では、仲介者としての役割を果たすとして、その中で税理士が負うリスクはないのか、希望する融資が得られなかった場合、責任を追及されるおそれはないのだろうか。 上記のとおり、税理士はあくまで当事者間の交渉を円滑に進める仲介者である。その立ち位置を事前に社長に説明し、仲介者としての役割を果たせば責任問題にならない。希望する融資が得られなかったとしても、むしろ支援の姿勢を評価してもらえることが多いだろう。 しかし仲介者としての立場からさらに踏み込んで、「私が金融機関からお金を引っ張ってきます」などと社長に言った場合には、当然、結果責任を負うことになる。融資判断は金融機関が行うのであるし、銀行や信用金庫、支店、担当者によっても判断は異なるため、軽率な発言は控えるべきであろう。 * * * 今回は資金調達支援において、税理士は、社長と金融機関の間に立つ仲介者であるということについて述べたが、次回はその仲介者としての具体的な支援内容について、事業計画書や資金繰り表、決算書などの記載例を用いて解説していく。 (了)
〔小説〕 『東上野税務署の多楠と新田』 ~税務調査官の思考法~ 【第12話】 (最終回) 「明かされた真実」 税理士 堀内 章典 多楠が見せた意地 反面調査2日目、4時過ぎに臨場した三本木商会で、経理課長の峰岸から提示を受けた経費帳をさっそくチェックする多楠。手元にある丸誠の売上管理用Excel写しと入念に突合したが、すべての売上と経費帳の計上額が合致した。 “やはりダメか・・・丸誠は岩井上席が言うところの「例外の会社」だったのか。” 多楠はガックリと肩を落とした。 多楠がその場から引き上げようとカバンに手をかけたとき、峰岸がポツリ、 「そうそう、今見せた帳簿は第1営業部のもの。5年前にできた第2営業部も確か丸誠と取引があったはずだよ。確か4年ぐらい前からかなぁ。」 と記憶をたどるように話をした。 「えっ!」 驚く多楠、体内に稲妻が走ったような衝撃を受けた。 そしてこの峰岸の機転が、思わぬ展開をもたらすことになった。 ▼ ▲ ▼ 丸誠のExcelには毎月三本木商会の売上が計上されている。先ほど峰岸から提示された第1営業部の経費帳の計上額と丸誠の売上がすべて合致していることをすでに確認している。 “まだほかに売上があるというのか・・・” 心がはやる多楠であったが、肝心の峰岸は気になる発言をした後、事務室に戻ったきり一向に姿を現そうとしない。 イラ立つ多楠であったが、協力してもらっている以上、下手に事務室に踏み込んで不興を買い、協力を得られなくなったら元も子もなくなる。ここはひたすら我慢を決め込むと腹を決めた多楠であったが、5分が30分、10分が1時間にも感じていた。 やがて峰岸が帳簿を抱えてパーティション内に戻ってきた。 「お待たせ。第2営業部の帳簿を付けている者が出かけていたので、帰ってくるのを待って経費帳を出してもらいました。とりあえず、すぐ出るのはこちらも最終期の1年間だけど・・・」 もったいぶったように帳簿を提示する峰岸。目の前にある経費帳の打ち出しへの興味をおさえられない多楠は、早く見たいと覗き込んだ。 さっそく多楠は、提示された最終期の第2営業部の経費帳を確認した。 丸誠のExcelには・・・第1営業部の売上しか載っていない。 “錯覚じゃないよな。” 多楠は信じられないといった面持ちで、何度もまぶたをこすった。 “・・・間違いない! 売上に載っていない!” それはまさに、多楠が第2営業部の売上すべてを除外している事実をつかんだ瞬間であった。 ▼ ▲ ▼ 峰岸は言った。 「第1営業部はアメ横内の小売店舗の統括と近隣の学校などの大口購入者を対象に営業をしている部署、第2営業部はアメ横以外の地域に販路を広げようと5年前に新設したもの。ウチの支払は原則振込なんだけど、丸誠の専務から頼まれて第2営業部は現金で決済しているみたいだよ。最近では、第1営業部よりも取引が多くなっているでしょ。でも、現金決済はいろいろとリスクがあるから、なるべく振込にしたいところなんだけど・・・」 そんな峰岸の言葉を聞いているのかいないのか、多楠の手は興奮でブルブルと震えていた。 「これは何かあったな」と察知した峰岸であったが、そ知らぬふりをして聞く。 「何か、不審なところでもありますか?」 多楠は落ち着こうと自分に言い聞かせ、ひと呼吸おいた後、峰岸に依頼する。 「遅くまでお付き合いいただいて恐縮なんですが、第2営業部で保管している丸誠からの請求書や領収証を見せていただけますか。それと、取引が始まったときからの経費帳もお願いします。」 もし、第1営業部と第2営業部の請求書や領収証の様式が異なるようだったら、かなり手の込んだ不正になる。丸誠は事務用品販売業だから、その気になれば印刷会社に依頼して別様式を作成できるはずだと、多楠は考えたのである。 峰岸 「え・・・いつからだって?」 多楠 「取引が始まったときからです。」 峰岸 「・・・う~ん、さすがに今日は無理だな。ウチの会社は決算が終わると、打ち出した経費帳や、請求書とか領収証を武蔵村山の倉庫に保管しているのでね。誰かを取りに行かせないといけないのよ。人が常駐している倉庫じゃないからさ・・・・」 専務が第2営業部においてどんな請求書や領収証を発行しているか早く確認したい多楠であったが、無予告で三本木商会に臨場してからすでに時計は午後6時をまわっており、これ以上峰岸に協力を求めるのは難しいと判断、数日内に倉庫から経費帳などの帳簿書類をこちらの本社事務所に持ってきてもらうように依頼した。 「丸誠に何かおかしなところがあったんですか。4年も遡って書類を見るなんて、今まであまり聞いたことないけど。」 “そうなんです! 実は問題があるんですよ!” などとは、多楠も立場上、絶対に言えない。 「・・・いえ、単に確認が必要なだけです。これが私の仕事でして。」 峰岸は中野中央税務署の調査を何回も受けているので、多楠の態度を見て“何かあったな”と感づいていた。 “何だか若い調査官が熱心に調査をしている。月末で忙しいけど、何かがありそうな気がしたんで、ついつい協力してしまった。でも丸誠は支払先で、ウチに累が及ぶわけではないし、ウチが悪いことをしたわけでもない。まぁいいか。ただ、丸誠について一言フォローだけはしておこう。” 「そうですか。丸誠の専務も見るからに真面目そうな人ですものね。それでは書類が届いたら調査官に連絡します。少々時間をください。」 ▼ ▲ ▼ 峰岸と次回の段取りをして、事務所を出た多楠、JR中野駅に向かう路上で、通行人が大勢いるのもはばからず、思わず大きな叫び声を上げ、飛び上がった。 「ヒャッホー!ヤッター!! ついに見つけたっ! このときを待ってたんだ!!」 みぞれが雪になった夕暮れの中、人が行きかう駅前通りで声を上げて青年が叫んでいる姿を見た通行人たちは、誰もが怪訝な顔をし、見て見ぬ振りをしていた。 東上野署に戻る電車の中、早く署に帰って田村に報告したいと、はやる多楠。すでに田村には遅くなる旨の連絡を入れていたが、三本木商会で起きたことはまだ何も報告していない。 多楠は上野駅に着くなり、大粒の雪の中、足元が悪いにもかかわらず白い息を弾ませ、東上野署まで走った。 途中、台東区役所の角を曲がったところで小柄な男に声をかけられた。 「お疲れ。」 ギョッとする多楠、それは傘を差して帰る途中の新田であった。 “あれ? 新田さんて、こんなに小柄な人だったっけ?” 最近新田と一緒に調査に行かなくなったせいかもしれないが、心なしか新田を小さく感じた。 新田には調査着手後の丸誠や反面調査の話を一切していない。まだ何も話をしていない後ろめたさを感じる反面、たった今多額の不正を見つけたことを口にしたかった多楠だが、ここは路上、しかもタイミングが悪すぎる。 「お、お疲れ様です。失礼します・・・」 とあいさつを返すのが精一杯であった。 言い終えた多楠は逃げるように、東上野署の方角へ走っていった。 新田は怪訝な表情で多楠の後姿を少し目で追った後、何もなかったようにまた帰途についた。 ▼ ▲ ▼ 部門に戻ると、一人、田村だけが多楠の帰りを待っていた。 さっそく多楠は三本木商会第2営業部の経費帳の写しを見せながら、早口で三本木商会の反面調査の報告をした。 「確かにおかしいね。きっとこれは売上をごまかしているよ。ついにやったね、多楠君! ところで請求書とか、領収証はどうなっていた? 第1営業部と第2営業部のものと同じものだったのかな。」 田村もこの点、多楠と同じことを想定していた。多楠は、峰岸が言ったことを田村にそのまま伝えた。 「決算が終わると書類を倉庫に送ってしまうようで・・・」 ベテラン統括官の田村は(そんななずはない)とニヤニヤしながら 「でも、決算終了後の進行期の請求書や領収証は本社にあるだろう。去年7月からの分、まさか倉庫に運んでないと思うけど?」 「あっ!・・・」 多楠はそのまま黙ってしまった。 「・・・・・・」 田村 「まぁ、三本木商会は協力的なようだから、次回行ったときに出してもらえばいいよ。」 “・・・確かにそうだ。それに気がつけば、今日のうちに進行期の第2営業部の請求書や領収証が確認できたのかもしれないのに。 失敗した!!” 悔しい表情を浮かべる多楠に、田村が笑いながら諭す。 「請求書のことは次から気をつければいいさ。だけど、よく諦めずに反面調査を続けて不正を見つけたね。一時はどうなることかと心配したけど、大変なお手柄だよ。ところで、三本木の方は連絡待ちで良いとして、明日から現金決済の得意先に重点を置いて反面をしてみたらどうかな?」 田村はそう言い終わるとすぐに、背中を少し丸め、腰をさすりながら安倍副署長室に入って行った。多楠の事案を早くも安倍に報告しているようだ。 ▼ ▲ ▼ 多楠は誰も残っていない部門のデスクで今日の書類の整理を行い、しばらく今日の反面先であった出来事の余韻に浸っていた。 “たぶん、これは峰岸課長が言うように丸誠の専務主導による売上除外に違いない。やはり岩井上席の説は正しかったんだ。だけど、いつどこで事案がひっくり返るかわからない。明日の反面調査と残りの三本木商会の帳簿を確認してから新田さんに話をしても遅くないだろう。” その後の反面調査で、専務の売上除外の手口が判明した。 まったく売上に載せていなかったのは三本木商会の第2営業部だけで、そのほかの現金決済の売上は隔月、あるいは3ヶ月に1回程度、売上から除外するといった手口で行われていた。残念ながら、第2営業部の請求書や領収書は、第1営業部と同じ様式で特に使い分けはしていなかった。 手の込んだ不正ではないにせよ、第2営業部の売上だけで4年トータル1,500万円ほどある。 これは多額な不正だ。 ▼ ▲ ▼ 2月中旬、所得税の確定申告で忙しいという三村税理士に何とか日程調整を依頼し、事の真偽を質すため多楠は一人、例の天井の低い丸誠の事務室に赴いた。田村からは、新田か自分が同行すると言われたが、多楠は最後まで一人で調査を続行したいと主張する。 「多楠君、せっかく良いところまで行ったんだ。ここは功を焦らず新田先輩に任せた方が無難じゃないかな。」 と田村はやんわりと助言したが、多楠は言うことを聞かない。結局田村が根負けして、それを認めることになった。 かなり前からこのときに備えて、いろいろな想定問答を考えてきた多楠は、まず最初に三本木商会の取引から質問を切り出し、次に、他の現金売上が計上されていない取引について質問した。 すると、丸野専務は平然とこう答えた。 「私は体調の思わしくない義父から会社を預かっている身です。売上をごまかしたりするはずがありません。三村先生にも毎月伝票をお渡しして、ちゃんと試算表を組んでもらっています。」 これだけの証拠を突きつけてもシラを切る専務。しかも今まで同様に落ち着き払っている様子だ。 多楠は食い下がる。 「売上に載っているとおっしゃるのなら、どこに載っているのか確認させてください。」 表情一つ変えずに専務 「わかりました。それでは調べて後日また報告します。それで良いですよね、三村先生。」 三村 「専務もこう言っているので、多楠調査官、こちらで調べてご連絡します。」 シラを切っているとわかっていても、あれだけ堂々と落ち着いていられると、調べる側も(どこかに異なる名義でしっかり売上や雑収入に載っているのでは?)と疑心暗鬼になる。やはりダメなのかと心がグラグラ揺れ動く。あるいは多楠が若い調査官だからと舐めてかかって、何とか理由を付けて言い逃れようとしているのか。やはり素直に田村統括の助言を聞いて、新田さんに応援を頼むべきだったか。 だが多楠の杞憂は、そう長くは続かなかった。 (次ページへ) (前ページへ) 1年目調査官が残した大きな結果 丸誠を辞して1時間ほどが過ぎたころ、署に戻った多楠に丸野専務から電話が入った。どこから電話しているのか、携帯電話の周りからはひっきりなしに車の走る音が聞こえ、かなり騒々しい。聴き取りにくい中、多楠は懸命に耳を凝らして聴き取ろうとした。 電話越しの声は、丸誠で会ったときの専務とは打って変わり、弱々しく、心なしか涙声、うろたえている様子で、まったく別人のようであった。 その電話で、専務は行っていた売上除外の事実、すべてを認めた。 そのあと、専務が必死になって多楠に懇願する。 「社長や妻にバレたら大変なことになります。何とか、何とかしてください、多楠調査官! 自分が悪いことしたのは・・・重々わかってますが、そこを何とか! お願いします、上司の方に相談してみてください!!」 結局、専務は三村税理士にすべてを打ち明け、調査の終結と社長への弁明も三村に任せた。専務が営業でまわっている得意先のうち、現金で支払う先の売上をごまかしていたらしい。現金売上のみをごまかしたのは、振込や小切手の売上を漏らすと預金から足がついてしまうからである。 金の使い道はまさに岩井説のとおり、自分の自由になる金欲しさ、飲食代や趣味である海釣りに使っていたものらしい。 三本木商会の第2営業部の売上、他の現金売りの得意先について隔月で売上をごまかしていたのは、次のような理由からである。それは、丸々売上をごまかしてしまうと、得意先から注文があるのに売上がないことが社長や社員にバレるので、一部だけを漏らしていたというもの。シンプルな手口だが、専務1人が営業にまわっている先なので、社内的にもバレにくいのは確かである。 肝心の社長や奥さんのへの弁明だが、修正申告の時、1人やって来た三村税理士から聞いた話によると、社長には相当お目玉を食らったが、そこは同族会社。専務は元商社マンで営業力があり、丸誠にとって貴重な戦力である。ヒラの取締役に降格という形で収束、首になることはないようだ。ただ、しばらくは奥さんに頭が上がらないであろうとのこと。 こうして丸誠の調査は、4期不正所得2,200万円、処分(売上の相手科目)は全額専務への貸付金という形で終了したのであった。 ▼ ▲ ▼ 新年は早くも3月に入っていた。 ポカポカ陽気の日曜日、多楠は久々に愛犬のキチとララを引き連れて行田公園に来ていた。 春の陽気のせいか、今日の行田公園はやたらカップルが多い。いわゆる「税大カップル」と言われる、昨年4月から行田公園に隣接する税務大学校東京研修所で研修を受けている普通科採用の研修生たちだ。 淡路とご主人、10年以上前の新田、かなり前の安倍も、そしてさらにその前の田村も通称“東研”と言われている、この東京研修所の卒業生である。 高校を卒業し、普通科採用(初級)で税務職員になるルートと、多楠、小泉、三浦のように大学卒で採用になる専科採用と、税務職員になるには2つの採用経路がある。財務省(旧大蔵省)や国税庁に採用されるキャリアと呼ばれる上級採用とは別で、いわいるノンキャリと呼ばれる採用である。 多楠の家を訪れる親戚の人々は、いつも閑散として静かなこの施設を見て、年配の人は昔の陸軍中野学校、そうでない人はCIAのスパイ養成所のような施設と思ってしまうようだ。多楠も国税の職場に入る前は同じような印象を持っていたが、調査1年目研修などをこの研修所で受けたとき、その印象はまるで違っていた。 ここにいる研修生たちは、研修施設内で人とすれ違うとき、相手が見知らぬ人であっても“おはようございます”、“こんにちは”と礼儀正しくあいさつをする。もちろんそういう教育訓練を受けているからだ。 その光景に、専科生で初めてこの研修所に来た人は皆が面食らう。普通科生で久々に東研を訪れた人ですらも、現場に出て久しいため、研修生当時、自分もあいさつしていたことをすっかり忘れていて、いきなり研修生から 「こんにちは。」 と声をかけられ、慌ててあいさつを返すのであった。 高校を卒業し、普通科生として採用され、約1年間の税大教育で短大卒業並みの学力を身に付け、第一線の税務署に配属になる。80年近くなるこの普通科採用制度は、約1年間の全寮制生活の中、同じ釜の飯を食うことで強い連帯意識と結束力がもたらされ、長く国税の屋台骨を支えてきた。 40年ほど前から女子も採用になり、女性の方が学業も優秀と聞く。どこの職場でも同じように、女性が活躍する時代の波がここにも来ている。 18歳から20歳の年ごろの男女が親元を離れ、1年以上も全寮制でひとつ屋根の学寮で生活をし(もちろん男女の仕切りはしてある)、研修施設で学業を共にするのであるから、カップルがたくさんできても不思議ではない。 この手の情報は決まって淡路から入る。その淡路はあるとき多楠に言った。 「税大カップルは税大を卒業するまでよ。税務署に配属になってからも交際を続けて結婚に至るカップルは1割も満たないようね。」 淡路とご主人も同じ普通科生だが、同期ではない。ご主人の方が2つ上だから、税大カップルではないのだ。 多楠は冷やかし半分に、淡路に聞いてみた。 「淡路さん、税大にいたときはたいそうモテたでしょう。何人ぐらいの人と付き合ったんですか。」 「何バカなことを言ってるの、そんなにはモテなかったわよ。私の期は特に美人が多くて、“当たり年”なんて言われてね。」 と、言葉とは裏腹にまんざらでもない様子の淡路であった。 ▼ ▲ ▼ 多楠の目の前でイチャイチャする税大カップル数組を尻目に、多楠は散歩をおねだりする2匹の犬に誘われて公園のベンチを立った。 “もうすぐ卒業だね。税大カップルさん。卒業後もご縁が続くといいね。” と妬み半分の気持ちを抑えながら、いつもの散歩道を歩き出す多楠であった。 歩きながら思い出す。 “それにしても昨日の飲み会は凄かったなぁ。法人課税第5部門に来て、あんなに飲んだのは初めてだ。” まず、一次会。安倍副署長を筆頭に、田村統括官以下部門の全員で多楠の署長報告会ご苦労さん会を行った。本当に飲み会の好きな部門である。部門の全員、そして安倍までもが多楠の労苦をねぎらってくれた。多楠の署長報告会とは、言わずもがな“丸誠紙業”の報告会のことである。 報告会で多楠の説明を聞いた署長の源田は、思わず田村や多楠に聞いた。 「この事案、本当に多楠調査官が1人でまとめたのかい? なぜ、新田調査官に手伝ってもらわなかったんだ?」 源田がいぶかるのも不思議ではない。 普通いくらデキる1年目調査官でも、実のところ、ここまでできる者はまずいないのだ。 ガラッパチ系でざっくばらんな源田は続けた。 「俺なんか、局の総務部が長いもんだから、調査に出てもまったく使い者にならんよ。ぜひ機会があったら多楠調査官に調査方法を教わらないといけないなぁ。」 と、さかんに多楠を褒めちぎる。そんな機会あるわけはないが、源田も今年の7月で定年退職の身である。税理士を開業するにしても、調査経験、特に会社の調査経験がないと、OB税理士としての迫力は少々辛いものがある。 一次会では、田村が酔った勢いでおどけながら源田署長のガラッパチ風の物言いのマネをした。安倍以下部門の皆が腹を抱えて大笑いした。 “俺なんか、局の総務部が長いもんだから~” 多楠が事績を挙げたことで、これだけ盛り上がってくれる上司や先輩たち。だが一方で、新田はニコリともせず、小泉は表情を崩していたがいつものように寡黙。 しかし、2次会でこの2人が主役に替わることになるのだった。 ▼ ▲ ▼ 上野駅で散会した面々のうち、新田と多楠、そしてこの日は小泉もタクシー乗り場に集合、すっかり酔いがまわった3人だったが、当たり前のように“スナックかわばた”へ向かった。 タクシーを降り、かわばたのドアを開けて店の中に入る。今日はほかの客はいない貸切り状態だ。3人を見て京子ママ、 「あら新田ちゃんとタクちゃん、いらっしゃい。あら“こいさん”まで一緒なの!?」 え! あの “鯉さん? 恋さん?” 前に京子ママが言っていた、このスナックに新田と仲良く一緒に来ていた“こいさん”とは、小泉のことだったのだ。 “確かに言われてみれば、“こいさん”と呼んでもおかしくはないけど・・・” 京子ママは続ける。 「こいさん、久しぶりね~。今日は皆さんおそろいで、いったいどうしたの?」 その“こいさん”が京子ママに言う。 「ママ、お久しぶり。僕は去年から新田さんと多楠君と、東上野税務署で同じ部門なんですよ。今日は多楠君が調査で手柄を立てたので、部門の皆でお祝いをしたんです。」 京子ママは“あら!それは良かった。”とうれしそうな顔をして多楠を見つめた。昨年11月、1人でしょんぼりして来たなんて野暮なことは一切触れず、新田と多楠の関係が修復したんだと思いながら 「やったわね、タクちゃん! 新田ちゃんの言うとおりにすれば間違いなく成績が上がるのよ。何しろ東京国税局で新田ちゃんより右に出る調査官はいないんですもの!」 そんな会話で盛り上がっていると、5分も経たないうちに、もう一人、強烈なメンバーが店にやって来た。 「やぁやぁやぁ。」 新田、小泉の元上司、澤村特別調査官(トッカン)であった。 店で待ち合わせをしていたかのような絶好のタイミングでやって来た澤村であったが、単なる偶然、鉢合わせのようだ。 すでにかなり酔っているらしく呂律が少々怪しい澤村 「よっ! 東上野の精鋭の皆さんがおそろいだね! おや珍しい、こいさんまで。」 小泉が照れくさそうに言う。 「澤村トッカン、ご無沙汰しております。相変わらずお元気そうで何よりです。」 少々目も座り気味の澤村 「元気? ちっとも元気じゃないよ。「是認」が3回も続いたんで、池袋の“前田屋”で憂さ晴らしをしてきた帰りさ。ハァー、「付き上席」のデキが悪いもんだから、本当は飲みながら説教をしたいところなんだけど、素直に言うことを聞くような奴じゃないし、飲みに誘っても、危険を察知して絶対来ない。仕方ないからトッカン同士でヤケ酒さ。」 税務調査で何も問題がなかったときのことを「是認」と言う。「付き上席」とは、特別調査官に部下として付いている上席調査官を指すのだ。 奥の席で4人と京子ママによるカラオケ大合戦が始まった。 新田と小泉は一次会とは別人のように飲み歌い、大声で話し始めた。やがて、新田と京子ママがデュエットを歌い始めたところで、澤村がこっそり多楠にたずねた。 「多楠君、何か良いことがあったのかな? ずいぶん盛り上がっているみたいだけど。」 これには多楠でなく、横で聞いていた小泉が答えた。 「多楠君が大きな事績を挙げたんです。 不正2,200万円、1年目調査官が、しかも自力で。それで今日、署長報告会があって、そのお祝いの二次会なんです。」 澤村は何やら思い出した風に 「東上野の署長? あぁ源さんね、局の会計課長だった。あの人は会計畑で局の総務部が長かったから、調査にはあまり詳しくないはずだ。源田さんはガラッパチだけど人柄も良いから説明はしやすいはずだよ。マルサやリョウチョウ出身の署長だと、知ったかぶりして何やかんやうるさいし、必ずと言っていいくらい、昔自分がやった事案の自慢話になるからな。」 国税局の経験も長い澤村、やたら局署幹部の人事に詳しい。多楠にとって源田署長はそんなに親しい間柄ではないが、澤村にあけすけに言われて、何と言っていいか言葉に窮した。 澤村は続ける。 「多楠君、このあいだ君に会ったとき、僕は言ったよね。“新田に必死に食らいついて行けば、必ず良いことがある”って。新田という男は、そういう奴なんだ。」 京子ママと同じようなことを言い出したが、ここで澤村の表情は一変、今度はこめかみに怒りを込めながら、人が変わったように 「ただ、上が新田をきちんと評価しないのが悪いんだ。残念でならない・・・」 ▼ ▲ ▼ カラオケも一段落した後、今度は新田と澤村が話に夢中になっていた。京子ママも一人でやって来たなじみ客の相手をしている。 このタイミングで小泉は多楠を手招きして、店のカウンターへと誘った。 「多楠君、実は前から君に話しておきたかったことがあるんだ。良い機会だから、今話すね。」 「えっ・・・な、何の話ですか?」 そのあと小泉の口から出てきた話は、多楠の想像をはるかに超えるものだった。 それは、新田の過去だった。 (次ページへ) (前ページへ) 新田調査官の過去 澤村が統括官、部下に新田、小泉調査官がいた当時の三田税務署の特調部門は、国税局管内でもダントツ1位の事績を挙げた部門であった。素晴らしい事績を挙げた新田は、その年の異動で国税局の法人課税課に行くのではと、もっぱらの噂だった。 しかしその結果は、残留。 理由は不明。澤村は墨田税務署の法人課税第1統括官に栄転、小泉も渋谷西税務署の総務課に異動した。 部門に残った新田は翌年も素晴らしい事績を挙げ、国税局入りが確実視されていたが、ここで事件に遭遇する。 2月に着手した不動産会社の事案でトラブルが発生。 この会社の女性社員が、自殺したのである。 当時新田は、その会社の調査で給与がおかしいと目をつけ、徹底的に調べ上げた。新田は勤務実態のない、社長より30歳も若い女性社員に給与を支払っていることを発見したのだ。実はその女性社員、社長の特殊関係人(つまり愛人)であった。 結局、架空の給与ということで事案は終了したが、その社員の存在が社長の妻に発覚し、妻は厳しくその女性を追及、大学生や高校生など多感な社長の子供たちを巻き込んで家庭内トラブルへと発展した。その挙句、女性は自殺したそうだ。 本来であれば、新田は調査で不正を見つけただけで、直接このトラブルには関係ないはずだが、社長が新田を逆恨みして、三田署の幹部にプレッシャーをかけてきた。そのような事態において、幹部は慌てることなく冷静に対応すればよかったのだが、社長が知合いの代議士に話を入れるという脅しに屈して結局謝罪。新田の栄転は取り消されてしまった。 多楠が先ほど見た澤村の怒りは、この当時を思い出してのものだったのだ。 さらに時を同じくして、プライベートで新田と妻の確執がピークに達しており、子供の親権をめぐる離婚調停と重なっている時期だった。小泉は離婚の理由について語ろうとしなかったが、結局公私ともにダメージを受けた新田は2年間、築地署の特調部門で待機、ほとぼりが冷めたころ国税局に送り込むという内々の約束で、事態の収拾が図られたのだった。 しかし、2年経っても新田は国税局に異動しなかった。 その理由は、その当時の担当統括官と折り合いが悪かったせいだ。 小泉が言う。 「だから一昨年、東上野署、しかも特調部門でなく一般部門に配属になったことで、新田君の怒りはピークに達したようだ。「約束が違う」って。悪いことに、いつもひょうきんな田村統括との組み合わせも良くなかったと聞いている。」 昨年の7月、東上野署に転勤した小泉が久しぶりに見た新田は、全くの別人のようになっていた。かなり荒れていたのだ。 見かねた小泉は、昔の上司である澤村に相談をした。 幸い澤村と安倍副署長は昔、リョウチョウで主査と実査官のコンビとなって一緒に仕事をしており、かなりの事績を挙げた間柄であった。 またこれも偶然だが、リョウチョウの主査になる前年、澤村が国税局の実査官から小岩税務署の新任統括官に昇任した時、隣の部門の統括官が田村で、その頃すでに統括官7年目だったベテランの田村に澤村はいろいろと教えを乞い、それ以来の飲み友達で大の仲良しとの情報をつかんだのだ。 小泉は新田の近況を異動直後、澤村に伝え、その後、澤村が安倍と田村に手をまわしたようである。どおりで昨年あれだけ口論ばかりしていた田村と新田が、今年は1回もぶつかっていない。 ▼ ▲ ▼ “なるほど・・・新田さんにはそんな過去があり、小泉さんはそんな新田さんのことを思いやって、澤村トッカンを動かしたんだ。” “なんとその3人が偶然、『スナックかわばた』に集まるなんて。” 小泉はさらに多楠に言った。 「去年の7月、新田君は僕にこうも言った。」 『久々に活きの良い、若い奴と組むことになった。』 『昔の自分を見ているような生意気な奴だけど、見どころがありそうだ。ああいう生意気な奴こそ、伸びシロがあるんだ。』 『アイツとなら、面白い調査ができそうだ。』 多楠は言葉が出なかった。 “京子ママの言うとおり、新田さんは僕に好意というか、それ以上の思いを持っていたんだ・・・” そして小泉はきっぱりと言った。 「僕は信じている。新田君が立ち直るきっかけを作ったのは多楠君、君とペアを組んだからだ。新田君は少しずつ、昔の彼に戻りつつある。」 意外な真実が明らかになった。 ▼ ▲ ▼ その晩、京成電車に揺られ、夜遅く帰宅したが、多楠は興奮のあまり眠ることができなかった、というより眠くならなかった。 去年7月、念願の調査部門に配属になったものの、言葉少なくやたら厳しい新田と組むことになり、毎日が憂鬱で仕方がなかった。新田の調査振りには目を見張るものがあったが、新田は調査に同行しても、多楠に対しては調査について何ひとつ教えようとしない。 “いったいこの人は何なんだ?” そう多楠が思うのも当然である。そしてすし勢の事件。今思えば、あのときが一番苦しい時期だった。今はどうだろう。それらの出来事ははるか昔の懐かしい思い出になりつつある。 そして丸誠の事案で、多楠は1年生ながら調査官の意地を見せた。 新田のおかげで多楠は、「一人の調査官」として歩み始めることができたのだ。 人と人が織りなす生き様は、何とドラマチックで逆説的なドラマを生み出すのだろう。禍福はあざなえる縄のごとしともいう。 まさか苦しい境遇の新田に立ち直りのきっかけを作ったのは紛れもない、新人で右も左もよくわからない、未熟で生意気な、自分だったとは。 ▼ ▲ ▼ 多楠は自宅近くのいつもの散歩道を“キチ”と“ララ”と歩きながら、心の内で思った。多楠の今の部門への配属を決めたのは安倍副署長だが、それはまったくの偶然だ。部門がこのような組織になるなんて、さすがの安倍もそこまで読んでいたわけではないであろう。小泉の心遣いもあったが、まさに運としか言いようがない。 “しかし、5部門に配属になって本当に良かった。” 多楠は感じた。良い上司、先輩たちに囲まれて自分は幸せだと。ユーモアたっぷりの田村、温厚で思いやりのある小泉、いつも話相手になってくれる美形の人妻淡路、そして厳しい敏腕調査官新田。そんな皆への感謝の気持ちが湧き出してやまない。 安倍、田村、小泉そして新田も気づいているが、多楠はまだ気づいていない。 1年足らずの間に他の1年目調査官の誰よりも多楠が成長していることを。 「調査」というものについて一切語ることがなかった新田とのコンビが、多楠に化学反応ともいえる劇的な成長をもたらしたことを。 そして、新田さえもまだ気づいていないことがあった。 多楠との化学反応は、腐りかけていた新田を心の闇から解放させ、諦めかけていた次の大きな飛躍が間近に迫っていることを。 多楠は数えきれないくらいたくさんの失敗をした。部門の皆にも迷惑をかけ、一方でお世話にもなった。しかし、新田と一緒に調査をすることで、多楠自身が考え、行動する癖が自然に身についていたのだ。そして三本木商会の峰岸経理課長がもたらしたラッキーもあったが、年明けついに、すし勢の雪辱も果たした。 「一人前の調査官になるには、もっともっといろいろなことを学ばなければならない。よし!これからも奢らずに、気を引き締めて頑張るぞ!」 わがままな子犬たち“キチとララ”に引っ張られながら、心も新たに誓う多楠がそこに立っていた。 (終わり)
プロフェッションネットワーク主催の税理士 笹岡 宏保氏による【1日で理解する】セミナーシリーズ。 10月25日(日)開催のお申込み受付を開始しました! 前回に続き、笹岡氏の著書『平成27年3月改訂 これだけはおさえておきたい 相続税の実務Q&A』が特別割引でご購入いただけるお得なセットお申込みプランがございます! ★セミナー内容の詳細やお申込方法など、くわしくは下記からご覧ください。
2015年8月27日(木)AM10:30、 プロフェッションジャーナル No.133を公開! プロフェッションジャーナルのリーフレットは 全国のTAC校舎で配布しています! -イケプロが実践するPJの活用術、第一線で活躍するプロフェッションからの声を掲載!- - ご 案 内 - プロフェッションジャーナルの解説記事は毎週木曜日(AM10:30)に公開し、《速報解説》は随時公開します。
山本守之の 法人税 “一刀両断” 【第14回】 「収益・費用の認識基準をどう考えるか」 -設計業務の場合- 税理士 山本 守之 1 認識基準の考え方 収益の認識基準(いつ売上げに計上するか)については、次の4つの基準がありました。 しかし、「所得税法及び法人税法の整備に関する答申」(税制調査会・昭和38年12月)では、上記4つのうち、「法的基準は所有権の移転又は役務の提供があったとしながらも、具体的な運用は引渡し又は同時履行の抗弁権を失ったときとすることに近くなる」としたのです。 所有権の移転は「売りましょう、買いましょう」という意思表示をしたときですが、品物を引き渡す前に代金を払えというと、相手方は品物を引き渡さない限りは代金を払わないという「同時履行の抗弁権」を主張します。そこで、品物の引渡し時に売上げに計上すべきだという考え方もできます。 このような考え方を前提として法人税基本通達等において個別的な認識基準を定め、さらに、昭和55年に企業の取引実体に即応する改正を行って現在に至っているのです。 特に現行通達のなかには、「客観的にみてそこで収益が実現したといえるような状態があり、しかも会計の面からみて、これを会計事実として記帳するに適した状態というのは一体どういった状況のことをいうのか、といった面から考えるべきこと」とする態度が貫かれているように思われます。 2 基本通達の仕組み 現行の法人税基本通達では、収益・費用の認識基準は次のような仕組みから成り立っています。 3 設計事務所の事例 〔事 例〕 当社は建物の設計業務を営んでいますが、このほど税務調査を受けました。 ここで問題になったのは、設計を終了し、設計図を相手方に引き渡したものがあり、その設計内容に相手方から問題を指摘され、比較的大きな点(耐震基準)に変更があり、期末までに変更業務が終了していないので当期の売上に計上していないものについて、調査官は次の通達を基準として当期の売上げに計上するように要求しています。 つまり、設計業務は物の引渡しを要するものではないから業務が終了していれば売上げに計上すべきだというのです。 〔検 討〕 請負契約は、当事者の一方が仕事の完成を約し、相手方がその約した仕事の結果に対して報酬を支払うことを約する契約です。 請負に関する報酬の請求権は、仕事を完成してその目的物を相手方に引き渡した時(物の引渡しを要しないときは、約した仕事を完了した時)に発生することとされています(民法632-633)。 法律的には諾成契約であり、建設請負、運送等が典型的なものですが、他人の委託を受けて行う測量、設計、企画、試験研究等が含まれ、有形であると無形であるとを問いませんが、完成された仕事の結果を目的とする点で雇用・委任の各契約とは異なります。 法人税法では、前述した報酬の請求権という法的基準の影響が強く、収益の計上は次のように取り扱われています(法基通2-1-5)。 これは、いわゆる「完成基準」と呼ばれるものです。 4 技術役務の提供の場合 技術役務の提供も請負の一形態にすぎませんから、これによって受ける報酬も、その約した役務の提供の全部の提供が完了した時点で収益計上するのが原則です。 しかし、人的役務の提供の場合等は、派遣技術者の数や滞在日数等で、いわゆる人月計算や人日計算をしている例も少なくありません。また、設計の請負などについても、基本設計に係る報酬と部分設計や実施設計に係る報酬とがそれぞれ独立して計算し、その都度支払を受けることもあるでしょう。 そこで、次に掲げるように、その提供が部分的に完了した都度その部分について報酬の支払を受けるような事実関係にある場合には、全体の役務提供の完了を待たずに、その部分的に支払が確定した報酬につき、その都度収益計上すべきものとしています(法基通2-1-12)。 上記の(イ)、(ロ)は、民法上の報酬後払いの原則からみれば、やや「きつすぎる」という批判もありましょう。 通達といえども人間が定めたものです。取扱いに「やや、きついな」と思う部分があれば、これを緩和する取扱いも考えるものです。 次に述べる技術役務提供の原価(法基通2-2-9)は、全体として取扱いのバランスを取るために置かれたものです。通達をみていて納得ができない部分があれば、「納得できない!」と叫んでください。バランスを取るための取扱いがあるものです。 5 技術役務提供の原価 技術役務報酬に対応する原価については、その性質からみて個々の報酬ごとにその原価を客体対応させることが困難な場合が多いものです。このため、税務では、継続適用を要件として、次のものについては支出時損金として原価に含めないで計算することを容認しています(法基通2-2-9)。 ここでは、厳密な収益対応計算を要求しないで、変動費のうち一般管理費的要素を持つものを除いた金額だけで原価計算を行い、その他の費用については支出の都度、損金算入するという経理基準の採用を認めているのです。 このような割切りをしたのは、技術役務に係る報酬の収益計上時期(法基通2-1-12)と重要な関わりを持っています。すなわち、収益計上時期については、一種の部分完成的な要素を加味して益金の額に算入することを要求しているので、原価についてもあまり厳密な対応計算を要求しないで、できるだけ期間費用として認めることにしたものです。 つまり、収益計上時期を定めた法人税基本通達2-1-12と原価に算入しないことのできる費用を定めた法人税基本通達2-2-9とは一体として機能するものなのです。もっとも、報酬と直接対応関係にある変動費で、その金額が大きなものは原価外処理することは適当ではないので、これについては原則どおり収益との対応計算を要求しています。 これらの取扱いをまとめると、次の図のようになります。 ※画像をクリックすると、別ページで拡大表示されます。 手作業で設計をする場合の原価はエンピツと紙と人件費ぐらいのものでしょう。このうち大部分を占める人件費は固定費ですから、原価外処理として「未成製図支出金」として資産に計上しないで、支出の都度損金とすることができます。 一方、売上げはすべての作業が終了してから計上できますから、費用が先、売上げが後から計上できて有利です。 売上げについて「きつい」取扱いを置いているので、原価については「やわらかい」取扱い(中元通達又はお歳暮通達)を置いてバランスを取っているのです。 6 事例はどうなるか 事例のように、物の引渡しを要しない請負契約に分類される調査、設計についても、相手方の検査(検収)という行為が予定されているものがありますが、この場合に引渡しという事実認定基準が適用される余地はないのでしょうか。 この点について注目すべき判示(平成元年9月29日札幌地裁、平成3年2月19日同高裁)があります。 ここでは、法人税基本通達2-1-5を一般論として支持しつつも、測量、設計及び調査における収益計上時期について、測量、設計及び調査等の結果を係争事業年度に引き渡したことが確認できるとして、その日を含む事業年度の収益として更正処分を支持しています。 結果としては原処分を支持しているものの、物の引渡しを要しない請負収益の計上時期を役務完了の時として捉えるのではなく、引渡しという事実を認定して収益計上時期を判定しているところに着目したいものです。 事例の設計のように相手方の検査(検収)が予定されている場合には、「役務提供の完了」という通達上の収益計上基準のなかに、役務提供の成果が相手方に提示され、しかも、検査を受けていることを要するという解釈が入る余地が十分にあるということです。 この意味からすれば、物の引渡しを要しないとされる請負契約においても、一種の検収基準を適用できるといえましょう。 技術役務の提供について通達上は検収基準を置いていませんが、実務上は検収基準を適用することが正しいようです。 (了)
消費税の軽減税率を検証する 【第6回】 「執行コストの増大と事業者の優遇措置としての効果」 税理士 金井 恵美子 【2】 複数の税率の存在は執行コストを増大させる 1 対応に追われる国税庁通達とQ&A 軽減税率の実施に当たっては、膨大な通達が必要になる。近時、国税庁は新しい制度についてQ&Aを公表するのが常となっており、その策定も求められよう。 そしてこれらは、実務からの要請で見直され、複雑化していくことになる。 企業が日々商品開発を行う中、軽減税率が適用されるのか、標準税率が適用されるのか、判断が難しい限界事例は後を絶たず、したがって、法律の改正がなくとも、通達やQ&Aの更新が必要であり、審理事案も増加する。 これが国税庁のランニングコストに加わることとなる。 新しい商品が続々と開発される中、これに即応して法律を改正することが不可能であることは、物品税の経験から明らかである。 しかし、そもそも、法律制定時に想定されていなかった新しい商品について、納税者が納付する税額を決定する「適用税率」の判断を国税庁の通達やQ&Aに委ねることが、租税法律主義において許容されるのかといった本質的な疑問も生じるのである。 2 適用税率と税務調査 売上側が軽減税率を適用し、仕入側が標準税率を適用した場合には、その差額は、国庫の負担となってしまう。 単一税率にはない、新たな国庫負担の危険である。 EUでは、取引当事者の税率はインボイスによって一致させるのであり、インボイス方式は、事業者登録制度によって担保されている。事業者は、登録した事業者番号(VAT-ID)と連番のインボイス番号を付したインボイスによって納税の責任を明らかにしてこれを発行し、発行する側も受領した側も、インボイスに記載された税額を積み上げて申告の基礎とする。 EUの付加価値税は、インボイスによって納税の義務と控除の権利を授受するしくみであり、インボイスは、金券の役割を果たすことになる。しかし、このような事業者登録制度を基礎としていても、インボイスの不正発行、不正入手による脱税が問題となっている。 日本に消費税が導入されるころにはすでに、インボイスを偽造することのみを目的とした会社が次々と設立される(※1)という事態となっていたのである。 (※1) 増田英敏「付加価値税法(Value-Added Tax Law)におけるTax Evasionと税務調査(Ⅱ)-EC諸国の経験を踏まえて-」税経通信45巻10号16頁(1990年) 創設以来、事業者登録制度をもたない日本の消費税がEU型のインボイス方式に転換することは容易ではない。そこで、「検討資料」では、税率一致の方法の1つとして、事業者登録制度がないことを前提にVAT-IDを記載しない税額別記請求書等を納税額の計算基礎とする案が示されている。これは、納税の義務が担保されない金券の発行を認めるものであり、EU諸国の常識からは驚愕の妥協案ということになるが、現在のところ、EU型インボイスよりも実現の可能性は高いといえるだろう。 というのは、平成27年度改正において、国外事業者が行うデジタルコンテンツの提供に課税するため、内外判定の基準を変更しリバースチャージ方式を導入する改正が行われたが、リバースチャージ方式の対象となる取引であるかどうかは、国内事業者についての登録制度がないことを前提としており、提供される役務の性質や取引条件等によって判断することとされている(消法2①八の四)からである。 結局、税率の操作による脱税は、税務調査の機会を増やして抑止するしかない。 事業者に脱税の意図がなかったとしても、複数の税率が存在する場合、適用する税率を誤るケースは必ず発生する。税務調査では、単純なミスにせよ、脱税にせよ、売上側と仕入側との税率が一致して課税のチェーンが正しくつながっているかどうかを確認しなければならない。 矢澤富太郎氏は、1984年当時、アメリカで付加価値税を導入した場合には、立ち上がりの4年間で7億ドルの経費と2万人の人員を要するとの試算があり、ただし、その前提は、調査割合2.2%で、課税事業者1,000件につき税務職員1人を配置するものであり、欧州は課税事業者250人ないし150人につき1人の税務職員の配置で10%ないし15%の調査割合である、と報告している(※2)。 (※2) 矢澤富太郎「付加価値税と税務行政-欧州諸国の経験に学ぶ」税務弘報36巻7号16頁(1988年)。増田英敏「付加価値税法(Value-Added Tax Law)におけるTax Evasionと税務調査(Ⅲ)-EC諸国の経験を踏まえて-」税経通信45巻11号31頁(1990年)は、「大部分の国では登録済の納税義務者の15%から20%が、1年に調査対象となる」としている。 日本では税務調査の手続を法定する国税通則法の改正以後、実調率が低下している。平成24年度の実地調査件数は前年より3割程減少し、実調率は3.1%と過去最低となった(※3)。 (※3) 国税庁「平成24事務年度法人税等の調査事績の概要」 国税庁「税務行政の現状と課題」 3 税務争訟 適用税率に疑義がある場合は、その税率をめぐる税務争訟も生じよう。 EUでは、税率をめぐる訴訟が絶えない。 【3】 事業者に対する優遇措置としての効果がありロビー活動を誘発する 1 事業者に対する優遇措置としての効果 自由競争を基本とする経済においては、商品の種類や販売の方法によって異なる税率を適用することは、極力避けるべきである。軽減税率は、財の公平性を撹乱させ、取引や企業の業績に影響し、産業の自由な発達を阻害する危険がある。軽減税率の導入は、一般消費税の制度の中に、産業間の競争に対して非中立的という個別消費税の欠点を持ち込むものである。 需要と供給の均衡点が税率の引下げによって移動すれば、均衡取引量が増加する分だけ、事業者の利益は大きくなる。 また、軽減税率の適用が販売価額の引下げにつながるかどうかは不明であることは第4回で述べたが、消費者にとって、軽減税率適用という表示は、値引きの表示に等しい。販売価額が同じでも、定価が安く値引きのないものよりも、定価が高く値引きのあるものを購入したときの方が得をしたと感じるものである。 軽減税率は、適用対象となった商品の販売促進力となり、販売額を伸ばしてもそこから計算される事業者の納税額は標準税率のそれよりも小さく、したがって、軽減税率は、それが適用される物品またはサービスを提供する業界への優遇措置となる。 2 ロビー活動を誘発する 平成26年7月から8月にかけて与党税制協議会が行ったヒアリングでは、全国消費者団体連絡会、全国農業協同組合中央会、日本生活協同組合連合会、日本チェーンドラッグストア協会などが軽減税率の導入に賛成の意見を表明し、日本新聞協会は新聞に、住宅生産団体連合会は住宅に、日本薬剤師会は医薬品に、それぞれ軽減税率の適用を求めている。 日本新聞協会の主張は、新聞は、民主主義社会の健全な発展と国民生活の向上に寄与するものであり、知識への課税強化は文化力の低下をもたらすというものである(※4)。 (※4) 「新聞に消費税の軽減税率適用を求める声明」(日本新聞協会、2013年1月15日) 現在、非課税の対象となり、仕入税額控除が制限されている業界も、非課税から軽減税率への転換を求める可能性が高い。 例えば、日本医師会は、「社会保険診療は非課税なので、課税転化したときに、患者さんのことを考えて低い税率に抑える。・・・世の中の軽減税率とは違う議論で進めるよう、党税調に強く要望しています。」(※5)として、社会診療報酬を非課税から課税に転換し、軽減税率を適用することを求めている。 (※5) 今村聡「消費税率アップを目前にして~日本医師会の考え方~」月刊卸薬業37巻9号15頁(2013年) これらは、その分野の特殊性を前面に押し出しての主張である。しかし、どのような業界にも世に貢献しているという自負はあるだろうし、消費者を保護するために我々(が行う提供)に軽減税率が適用されるべきだという主張が存在するだろう。 現在、非課税の適用を受けるものが、こぞって課税への転換と軽減税率の適用を求めたならば、病院に仕入税額控除が認められ、学校に仕入税額控除が認められないといった状況を説明することは困難である。 生活必需品について軽減税率の適用を求める消費者の声は、各業界の「我々に軽減税率を」という要求となって制度の構築に反映されることになる。 軽減税率を獲得した事業者(業界)が、これを放棄することはあり得ない。軽減税率から標準税率への移行は、その業界にピンポイントで重課する決定に等しい変化を生じさせるからである。 軽減税率は業界の既得権となり、ロビー活動によって拡大してゆく恐れがある。平成16年9月の「税制調査会海外調査報告」では、スウェーデン財務省のコメントとして、 と報告されている。 (了)