被災したクライアント企業への 実務支援のポイント 〔税務面(所得税)のアドバイス〕 【第3回】 「源泉所得税の取扱い②」 ~災害見舞金等の取扱い~ 公認会計士・税理士 篠藤 敦子 被災時には、自社の役員や従業員(以下、従業員等という)に対して、災害見舞金を支給したり、生活再建に向けた様々な支援をすることがある。このような場合における源泉所得税の取扱いについて以下に解説する。 なお、各取扱いについては、国税庁のホームページに公表されている「災害に関する法人税、消費税及び源泉所得税の取扱いFAQ」が参考になる。 【1】 災害見舞金の支給 (1) 被災した従業員等へ支給する災害見舞金 心身又は資産に加えられた損害について個人が支払を受ける相当の見舞金に、所得税は課されない(所法9①十七、所令30三)。 企業が被災した従業員等に対して、損害の程度に応じて金額を決める等、一定の基準で支給する災害見舞金は「相当の見舞金」に該当すると考えられる。したがって、損害の程度に応じた一定の基準で支給額を定めている場合で、基準に基づいて支給する常識的な範囲の災害見舞金であれば、給与として源泉徴収する必要はない。 (2) 従業員等の家族が被災したときに支給する災害見舞金 個人が支払を受ける葬祭料、香典又は災害等の見舞金は、その金額が受け取った人の社会的地位、支払者との関係等に照らして社会通念上相当と認められるものであれば所得税は課されない(所基通9-23)。 したがって、従業員等の親族が被災した場合に、企業から従業員等に対して災害見舞金を支給するときには、次の要件を満たしていれば給与として源泉徴収する必要はない。 【2】 生活資金の無利息貸付け 災害や疾病により臨時的に多額の生活資金を要することとなった従業員等に対し、企業が資金を無利息又は低利で貸し付けることがある。この場合、返済に要する期間として合理的と認められる期間内に従業員等が受ける経済的利益(適正な利息と無利息又は低利の利息との差額)には、課税しなくても差し支えないこととされている(所基通36-28(1))。 したがって、被災した従業員等に対して、企業が損害の程度に応じた合理的な返済期間を定め、生活に必要な資金を無利息又は低利で貸し付ける場合には、利息相当額の経済的利益について給与として源泉徴収する必要はない。 【3】 社宅の無償貸与 心身又は資産に加えられた損害について、個人が支払を受ける相当の見舞金に所得税は課されない(所法9①十七、所令30三)。 被災した自宅を修繕し再居住できるようになるまでの期間、又は被災してから新たな住居に入居できるまでの期間、企業が従業員等に対して無償で社宅を貸与することがある。この場合、従業員等が貸与期間に受ける家賃相当額の経済的利益は、企業から受ける「相当の見舞金」に該当すると考えられる。したがって、家賃相当額の経済的利益に対して給与として源泉徴収する必要はない。 【4】 他の交通手段による交通費の支給 給与所得者が、勤務する場所を離れてその職務を遂行するため旅行をした場合、その旅行のために支給される金品で、旅行について通常必要と認められるものに所得税は課されない(所法9①四)。 従業員等が、災害により通常の交通手段で通勤することができないため、他の交通機関を利用したときに支給を受ける交通費は、次の要件を満たすものであれば上記の旅費に準じて非課税になると考えられる。したがって、要件を満たす交通費は、給与として源泉徴収する必要はない。 また、交通手段が遮断されたため、ホテルや旅館に宿泊している従業員等に実費で支給する宿泊費用についても、同様の理由から給与として源泉徴収する必要はないと考えられる。 (了)
平成29年3月期決算における会計処理の留意事項 【第4回】 (最終回) 仰星監査法人 公認会計士 西田 友洋 Ⅷ 公共施設等運営事業における運営権者の会計処理 平成23年に民間資金等の活用による公共施設等の整備等の促進に関する法律(平成11年法律第117号)(以下、「PFI法」という)が改正され、管理者等(PFI法第2条第3項に規定する公共施設等の管理者である各省各庁の長等をいう)が所有権を有する公共施設等(PFI法第2条第1項に規定する道路、空港、水道等の公共施設、庁舎等の公用施設、教育文化施設等の公益的施設等をいう。以下同じ)について、公共施設等運営権(PFI法第2条第7項に規定する公共施設等運営権をいう)を民間事業者に設定する制度(以下「公共施設等運営権制度」という)が新たに導入された。 この公共施設等運営事業(PFI法第2条第6項に規定する公共施設等運営事業をいう。以下同じ)における運営権者(PFI法第9条第4号に規定する公共施設等運営権を有する者をいう。以下同じ)の会計処理等について、実務上の取扱いを明らかにするために、実務対応報告公開草案第48号「公共施設等運営事業における運営権者の会計処理等に関する実務上の取扱い(案)(以下、「公開草案48号」という)」が公表されている。 【公共施設等運営権制度のイメージ】 (出所) 実務対応報告公開草案第48号「公共施設等運営事業における運営権者の会計処理等に関する実務上の取扱い(案)」の公表【参考資料】 公開草案48号では、運営権者と管理者等の間の対価の支払に関する会計処理についてまとめられている。 1 会計処理 公共施設等運営権では、以下の会計処理等の検討が必要である。 (1) 当初の会計処理 (2) 減価償却方法 (3) 重要な見積りの変更の会計処理 (4) 更新投資に関する会計処理 (5) プロフィットシェアリング条項に関する会計処理 (6) 減損 (7) 注記 (1) 当初の会計処理 ① 会計処理 運営権者は、公共施設等運営権を取得した時に、管理者等と運営権者との間で締結された実施契約(PFI法第22条に規定する公共施設等運営権実施契約をいう)において定められた公共施設等運営権の対価(以下、「運営権対価」という)について、合理的に見積られた支出額の総額を無形固定資産として計上する(公開草案48号3)。 実施契約において、運営権対価が固定額ではなく、将来の業績等の指標に連動する形式で定められる場合も、公共施設等運営権を取得した時に合理的に見積られた運営権対価の支出額の総額を無形固定資産として計上する(公開草案48号29、30) また、運営権対価を分割で支払う場合、資産及び負債の計上額は、運営権対価の支出額の総額の現在価値による(公開草案48号4)。割引率及び利息法について、以下の規定がある(公開草案48号5)。 《割引率》 運営権対価の支出額の総額の現在価値の算定にあたっては、運営権者の契約不履行に係るリスク(運営権者の信用リスク)を割引率に反映させる(公開草案48号5)。例えば、以下のような利率を割引率に用いることが考えられる(公開草案48号33)。 実施契約において明示される利率 運営権設定期間における運営権者の追加借入に適用されると合理的に見積られる利率 《利息法》 運営権対価の支出額の総額とその現在価値との差額については、運営権設定期間(PFI 法第17条第3号に規定する公共施設等運営権の存続期間をいう)にわたり利息法により配分する(公開草案48号5)。 (注) なお、公共施設等運営権の取得は、企業会計基準第13号「リース取引に関する会計基準」に定めるリース取引に該当しない(公開草案48号7)。 ② 表示 公共施設等運営権は、無形固定資産の区分に、公共施設等運営権などその内容を示す科目をもって表示する(公開草案48号16)。 運営権対価を分割で支払う場合に計上する負債は、貸借対照表日後1年以内に支払の期限が到来するものを流動負債の区分に、貸借対照表日後1年を超えて支払の期限が到来するものを固定負債の区分に、公共施設等運営権に係る負債などその内容を示す科目をもって表示する(公開草案48号18)。 (2) 減価償却方法 無形固定資産に計上した公共施設等運営権は、原則として、運営権設定期間を耐用年数として、定額法、定率法等の一定の減価償却の方法によって、その取得原価を各事業年度に配分する(公開草案48号8)。 なお、実施契約において、一定の条件の下で運営権設定期間を延長することができる条項(延長オプション)が定められる場合、運営権者が当該条項を行使する意思が明らかな場合を除き、延長可能な期間は公共施設等運営権の耐用年数に含めない(公開草案48号9)。 (3) 重要な見積りの変更の会計処理 合理的に見積られた運営権対価の支出額に重要な見積りの変更が生じた場合、当該見積りの変更による差額は、上記(1)①で計上した資産及び負債の額に加減する(公開草案48号6)。そして、減価償却を通じて残存耐用年数にわたって費用配分を行う(公開草案48号37)。 (4) 更新投資に関する会計処理 ① 会計処理 (ⅰ) 更新投資の実施内容の大半が、管理者等が運営権者に課す義務に基づいており、かつ、運営権者が公共施設等運営権を取得した時に、更新投資のうち資本的支出に該当する部分(所有権が管理者等に帰属するものに限る)に関して、運営権設定期間にわたって支出すると見込まれる額の総額及び支出時期を合理的に見積ることができる場合 取得時に、支出すると見込まれる額の総額の現在価値を負債として計上し、同額を資産として計上する(公開草案48号12(1))。 そして、運営権設定期間を耐用年数として、定額法・定率法等の一定の減価償却の方法によって、その取得原価から残存価額を控除した額を各事業年度に配分する(公開草案48号15(1))。 (※) 更新投資の実施内容の大半が、管理者等が運営権者に課す義務に基づく場合の一例としては、実施契約や要求水準書等において、更新投資の実施時期及び実施内容があらかじめ具体的かつ定量的な数値によって示されている場合が考えられる(公開草案48号51)。 また、以下の点に留意する必要がある(公開草案48号13~14)。 負債を計上する場合、現在価値の算定に用いる割引率は、運営権対価の支出額の総額の現在価値の算定に用いたものと同じ利率とする(上記(1)①参照)。 更新投資について支出すると見込まれる額の総額とその現在価値との差額については、運営権設定期間にわたり利息法により配分する。 資産及び負債を計上する場合、運営権設定期間にわたって支出すると見込まれる額及び支出時期に重要な見積りの変更が生じたときは、当該見積りの変更による差額を資産及び負債の額に加減する。 (ⅱ) 上記(ⅰ)以外の場合 上記(ⅰ)以外の場合、更新投資を実施した時に、当該更新投資のうち資本的支出に該当する部分に関する支出額を資産として計上する(公開草案48号12(2))。 当該更新投資を実施した時より、当該更新投資の経済的耐用年数(当該更新投資の物理的耐用年数が公共施設等運営権の残存する運営権設定期間を上回る場合は、当該残存する運営権設定期間)にわたり、定額法、定率法等の一定の減価償却の方法によって、その取得原価から残存価額を控除した額を各事業年度に配分する(公開草案48号15(2))。 ② 表示 更新投資に係る資産は、無形固定資産の区分にその内容を示す科目をもって表示する(公開草案48号17)。 上記①(ⅰ)に基づき計上した更新投資に係る負債は、貸借対照表日後1年以内に支払の期限が到来するものを流動負債の区分に、貸借対照表日後1年を超えて支払の期限が到来するものを固定負債の区分に、その内容を示す科目をもって表示する(公開草案48号19)。 (5) プロフィットシェアリング条項に関する会計処理 実施契約において、運営権対価とは別に、各期の収益があらかじめ定められた基準値を上回ったときに運営権者から管理者等に一定の金銭を支払う条項(「プロフィットシェアリング条項」)が設けられる場合、当該条項に基づき各期に算定された支出額を、当該期に費用として処理する(公開草案48号11)。 (6) 減損 公共施設等運営権は「固定資産の減損に係る会計基準」の対象となる(公開草案48号10)。 減損会計の適用において、減損損失の認識の判定及び測定において行われる資産のグルーピングは、原則として、実施契約に定められた公共施設等運営権の単位で行う(公開草案48号10)。 ただし、管理会計上の区分、投資の意思決定(資産の処分や事業の廃止に関する意思決定を含む)を行う際の単位、継続的な収支の把握がなされている単位及び他の単位から生じるキャッシュ・イン・フローとの相互補完性を考慮し、公共施設等運営事業の対象とする公共施設等ごとに合理的な基準に基づき分割した公共施設等運営権の単位でグルーピングを行うことができる(公開草案48号10)。 (7) 注記 運営権者は、以下の事項を公共施設等運営事業「ごと」に注記する(公開草案48号20)。 ① 運営権者が実施する公共施設等運営事業の概要(公共施設等運営事業の対象とする公共施設等の内容、実施契約に定められた運営権対価の支出方法、運営権設定期間、残存する運営権設定期間、プロフィットシェアリング条項の概要等) ② 公共施設等運営権の減価償却の方法 ③ 更新投資に係る事項 (ⅰ) 主な更新投資の内容及び投資を予定している時期 (ⅱ) 運営権者が採用した更新投資に係る資産及び負債の会計処理の方法 (ⅲ) 更新投資に係る資産の減価償却の方法 (ⅳ) 上記(4)①(ⅱ)に基づき更新投資に係る資産を計上する場合、翌期以降に支出すると見込まれる更新投資のうち、合理的に見積ることが可能なキャッシュ・フローの金額及びその内容 2 適用時期 公開草案48号は、公表日以後適用する(公開草案48号21)。 公共施設等運営権制度は、実際の運用の開始から間もないことを踏まえ、特定の経過的な取扱いを定めずに、公開草案48号を過去の期間のすべてに遡及適用する(公開草案48号59)。 したがって、既に公開草案48号と異なる会計処理を行っている会社の場合、遡及適用により事務処理負担が重くなる。 Ⅸ 短信及び有価証券報告書の改正 平成28年4月18日に金融審議会「ディスクロージャーワーキング・グループ」報告が公表された。当該報告を受けて、平成29年2月14日に「企業内容等の開示に関する内閣府令」の改正が公表されている。また、東京証券取引所より、平成29年2月10日に「決算短信・四半期決算短信作成要領等」の改訂、有価証券上場規程の一部改正が公表されている。 (1) 有価証券報告書の改正 決算短信の記載内容とされていた「経営方針」について、決算短信ではなく有価証券報告書において開示するため、有価証券報告書の記載内容に「経営方針」を追加している。 そして、「経営方針」は、第一部企業情報の第2【事業の状況】の3【経営方針、経営環境及び対処すべき課題等】に記載する。表題も【対処すべき課題】から【経営方針、経営環境及び対処すべき課題等】へ改正されている。 当該改正は、平成29年3月31日以後に終了する事業年度に係る有価証券報告書から適用する。 (2) 決算短信の改正 以下の改正が行われている。 ※画像をクリックすると、別ページで拡大表示されます。 当該改正は、平成29年3月31日以後に終了する事業年度に係る決算短信から適用する。 Ⅹ 金融庁の平成27年度有価証券報告書レビューの審査結果 平成28年3月25日に「平成27年度有価証券報告書レビューの重点テーマ審査及び情報等活用審査の実施結果について(以下、「レビュー結果」という)」が公表されている。具体的には、以下のテーマについて公表されている。 1 退職給付 2 セグメント情報 3 その他 レビュー結果の内容は、上場会社のみならず、非上場会社の平成29年3月期決算においても参考となる箇所がある。 1 退職給付 退職給付の開示について、以下のような事例が確認され、また、留意点が挙げられている(レビュー結果3.(1))。なお、以下の内容は、基本的に有価証券報告書で留意する必要がある項目であるが、計算書類においても留意する必要がある項目もある。 2 セグメント情報 セグメントの開示について、以下のような事例が確認され、また、留意点が挙げられている(レビュー結果3.(2))。なお、以下の内容は、有価証券報告書のみで留意する必要がある項目である。 3 その他 その他に以下のような事例が確認され、また、留意点が挙げられている(レビュー結果3.(3))。なお、以下の内容は、有価証券報告書及び計算書類ともに留意する必要がある項目である。 (連載了)
計算書類作成に関する “うっかりミス”の事例と防止策 【第18回】 「監査等委員会設置会社への移行後に起きるミス」 公認会計士 石王丸 周夫 1 今回の事例 計算書類のドラフトにはうっかりミスがつきものです。 たとえば、こんなミスをよく見かけます。 【事例18-1】 この会社に存在しない会社機関が載っている。 【事例18-1】は、計算書類の個別注記表の一部を抜粋したものです。 この中に1ヶ所、うっかりミスがあります。 どこだかわかりますか? ヒントは、この事例の前提として示した「この会社は監査等委員会設置会社である。」という一文にあります。 監査等委員会設置会社にはどのような会社機関があるか、考えてみてください。 【事例18-1】には、実はこの会社にないはずの機関が記載されているのです。 2 監査等委員会設置会社とは さっそく、答えを見てみましょう。 解答のとおり、「取締役及び監査役に対する金銭債権及び金銭債務」は「取締役に対する金銭債権及び金銭債務」としなければなりませんでした。 つまり、「監査役」を削除する、ということです。 このミスに気づくためには、監査等委員会設置会社がどのような機関設計なのかを知らなければなりません。 監査等委員会設置会社は、平成26年の会社法改正で導入された制度なので、読者の皆さんの中にもまだなじみのない方がいるのではないでしょうか。 「監査等委員会設置会社」とは、3人以上の監査等委員により構成される「監査等委員会」を置いた会社のことです。監査等委員会の役割は、取締役の業務執行の適否を判断すること等です。 監査等委員は取締役であり、その過半数は社外取締役です。 監査等委員会設置会社には、監査役は置きません。 以上のような特徴があります。 3 監査役だった人が監査等委員になった場合は要注意 監査等委員会設置会社が導入された背景には、上場会社において求められている社外取締役の選任に際して、「社外取締役候補がなかなか見つからない」という事情がありました。 企業にとっては、社外監査役との重複感もあったようです。上場会社の多くは「監査役会設置会社」という機関設計を採用しており、その場合、社外監査役に加えて社外取締役を選任しなければならないからです。 これに対して監査等委員会設置会社の場合、監査役は置かれないため、社外役員は監査等委員である取締役のほうだけ考えればよく、社外役員の数が少なくて済みます。 監査役会設置会社から監査等委員会設置会社に移行した会社の中には、それまで社外監査役だった人を監査等委員に横滑りさせる人事が行われたところもあります。 その場合、社内的な感覚では、「監査等委員というのは監査役のようなものだ」と受け止められてしまう可能性があります。 「監査等委員が取締役である」にもかかわらず、です。 【事例18-1】は、そうした深層心理が「うっかりミス」という形で顕在化したのでしょうか。 すでに監査役という機関は自社にはないにもかかわらず、監査役を務めていた人物が引き続き監査等委員となって、今までと同じように時折会社に顔を出す。だから、「取締役及び監査役に対する金銭債権及び金銭債務」というタイトルの注記が記載されていても、おかしいとは感じなかったのです。 人間の犯すミスというのは、そうした心理と深く関わっています。 いずれにしても、制度が変わって新しい事柄が出てきたときは、ミスが起きやすいものです。その意味で、これはこの連載の【第13回】で紹介した『ファーストタイム・ミス』に分類されるミスです。 人間は、過去の経験やこれまで蓄積してきた知識に照らし合わせて物事を処理しようとするクセがあります。だから制度変更時にミスが発生するのです。 3月決算会社に関しては、2016年6月の定時株主総会で、監査役会設置会社から監査等委員会設置会社に衣替えした会社が相当数あったようです。それらの会社では、2017年3月期の会社法計算書類の作成時にこうしたミスがないか、注意してください。 4 制度変更時の類似事例 参考までに、制度変更時に起きたミスを2つほど紹介しておきましょう。 【事例18-2】 数値が発生していない科目であるにもかかわらず、項目だけ掲載されている。 【事例18-2】は、連結損益計算書におけるミスの事例です。 【第15回】で述べましたが、連結損益計算書類では会計基準の変更により、「非支配株主に帰属する当期純利益」という科目が2016年3月期から登場しています。 この会社では、それを受けて「非支配株主に帰属する当期純利益」という科目を設けていますが、該当する数値は発生しなかったようです。 その場合、「-」で表示するのではなく、科目自体を削除してしまってよいのですが、そうしていないという事例です。 【事例18-3】 当期純利益が表示されていない。 【事例18-3】も連結損益計算書に関するミスです。 こちらは、当期純利益が表示されていないという事例です。連結損益計算書の末尾部分は、会計基準の改正により、2016年3月期から以下のように科目名が大幅に変更されました。 【事例18-3】も、この改正に際して間違えてしまったファーストタイム・ミスです。 〈今回のまとめ〉 監査等委員会設置会社に移行した会社は、移行後の会社法計算書類の中で「監査役」という文言が使用されている場合、適切かどうか確認する必要があります。 (了)
2017年株主総会における実務対応のポイント 三井住友信託銀行 証券代行コンサルティング部 担当部長 斎藤 誠 本年の株主総会では大きな制度改正対応は見当たらない。2015年5月より施行された改正会社法(以下、単に改正会社法という)も適用から2年を経過し、その対応についても安定しつつあると思われる。 2015年6月から適用開始となったコーポレートガバナンス・コード(以下、CGコードという)の影響もあって、昨年はCGコードを意識した株主総会運営事例がみられた。引き続きガバナンスについての関心も高いことから、本年もCGコードを踏まえた総会準備について、ブラッシュアップを検討していくこととなろう。 本稿では、これらを踏まえた2017年株主総会の実務対応について解説する。 なお、文中意見にわたる部分は、筆者の私見であることをあらかじめお断り申し上げる。 1 招集通知関係 (1) 発送前開示 CGコードでは、招集通知に記載する情報を、招集に係る取締役会決議から招集通知発送までの間に、TDnetや自社のウェブサイトに公表する発送前開示が求められている(補充原則1-2②)。これを受け、昨年6月総会で発送前開示を実施した会社は8割弱に達することとなった。 今年も実施会社がさらに増加することが想定されるが、昨年は発送日の1日前の日に開示した会社が最も多かったことから、本年はさらに開示日の前倒しが期待されるところである。 (2) 英訳 CGコードでは、自社の海外投資家比率等を勘案して議決権行使電子化プラットフォームの採用や、招集通知の英訳が求められている(補充原則1-2④)。招集通知を英訳した会社は3割程度となっているが、これもここ数年で増加している。英訳の対象となっているのは狭義の招集通知と株主総会参考書類が最も多い。 今年も英訳を実施する会社はさらに増加すると思われる。 (3) 記載の工夫 CGコードでは、株主が適切な判断を行うことに資すると考えられる情報について、必要に応じて的確に提供すべきことが求められている(補充原則1-2①)。CGコードに適応した追加の情報として、経営理念や経営戦略、経営計画等を事業報告に記載することが考えられる(原則3-1(ⅰ))。 今後の業績や事業戦略についての株主の関心が高まっている状況において、中期経営計画の内容や進捗状況について事業報告に記載し説明することは、株主の満足度を高める上でも有効と考えられる。事業報告の「対処すべき課題」は、まさしく今後の事業戦略等についての会社の方針、考え方を記載する部分であるので、「対処すべき課題」の記載を充実させることが考えられる。 そのほか経営陣幹部・取締役等の報酬決定・指名等の方針・手続きについての開示も要請されていることから(原則3-1(ⅲ)・(ⅳ))、事業報告での「役員の状況」や役員報酬議案・役員選任議案において当該方針・手続について説明している事例もみられる。 (4) 役員選任議案 役員選任議案に記載される情報は年々増加しており、CGコードでは取締役・監査役候補の指名を行う際の、個々の選任・氏名についての説明の開示が求められている(原則3-1(ⅴ))。役員選任議案で社内役員候補者の個々の選任理由についても記載している事例が過半となっており、記載していないのであれば本年は記載について検討すべきであろう。 そのほか、候補者のふりがなの記載、独立役員である旨、新任候補者である旨の表示等についても一般的となりつつある。また、役員候補者の顔写真を記載する事例も徐々にではあるが増えつつある。 総会においても役員の選任理由や活動内容等についての質問が増えていることから、これに対応して役員選任議案の記載を充実させることが考えられる。 2 機関投資家対応 大手議決権行使助言会社であるISSは、本年の議決権行使助言方針において、相談役・顧問制度を新たに定款に規定しようとする場合、その定款変更に反対を推奨することとした。新たに相談役・顧問制度を定款変更により規定する事例はかなり少ないと考えられるので、その影響はきわめて限定的であろう。 グラスルイスについては、監査役会設置会社における独立性基準(取締役会のみでなく取締役会と監査役会の合計の3分の1以上の独立役員)、取締役または監査役の兼務基準(業務執行者は2社まで・非業務執行者は5社まで)、株式報酬制度等について改定されている。それぞれ、議決権行使助言方針が開示されているので、詳細はそちらを参照されたい(※1)。 なお、スチュワードシップ・コードおよびCGコードのフォローアップ会議においては、機関投資家の議決権行使において従来の議案ごとの開示に代えて、個別企業・議案ごとの議決権行使結果の開示が提言されており、国内機関投資家の議決権行使対応の動向が気になるところである(※2)。 3 売買単位の統一 売買単位の100株への移行期限が2018年10月1日と決定されたことから、単元株式数が1,000株の会社は期限までに100株へ移行しなければならない(※3)。 単純に単元株式数を1,000株から100株へ変更するだけであれば株主総会決議は不要であるが(会社法195条1項)、投資単位として望ましい水準を踏まえ株式併合を実施することも考えられる。 なお、株式併合には株主総会特別決議が必要なので、100株への移行に際しては株式併合の必要性の有無について確認が必要である。 4 監査等委員会設置会社対応 監査等委員会設置会社に移行した会社は本稿執筆時点、すでに700社を超えており、上場企業の2割を占めるに至った。移行した会社では監査役会ではなく、監査等委員会による監査となるので、監査報告はもとより、招集通知の作成や議事進行シナリオを中心とした議事運営についても見直しが必要である。招集通知関係や議事進行シナリオについては「監査役会・監査役」との記載について、適宜、「監査等委員会・監査等委員」と置き換えることが必要である。 監査等委員会設置会社は、監査等委員以外の取締役の選任・解任・辞任およびその報酬等について、株主総会における意見陳述権が付与されている(会社法342条の2第4項、361条6項)。議案においては、監査等委員を除く取締役選任議案を毎年上程することとなるため、この意見陳述権の行使のあり方について検討が必要である。 監査等委員以外の取締役の選任議案において、監査等委員会の意見があるときは、その意見の内容の概要を参考書類に記載することとされており(会社法施行規則74条1項3号)、その記載に際しては監査等委員会としての意見を形成しておく必要がある(※4)。 5 商業登記規則の改正 商業登記規則の改正により、登記すべき事項に株主総会の決議を要する場合には、登記申請書に議決権数上位10名の株主または、議決権割合が3分の2に達するまでの株主のいずれか少ないほうの株主について、その氏名または名称および住所、有する株式数および議決権数ならびに議決権割合を証する書面(いわゆる「株主リスト」)の添付が求められることとなった(※5)。定款での事業目的の変更や、役員選任等の登記に際しては注意したい。 (了)
家族信託による 新しい相続・資産承継対策 【第8回】 「よくある質問・留意点③」 -受託者による権限濫用を抑止するための仕組み- 弁護士 荒木 俊和 - 質 問 - 家族信託により財産を受託した受託者が、その権限を濫用するような恐れはないか。 成年後見人が選任された場合に、後見人の財産を横領することがあるような話を聞いたことがあるが、家族信託においては、そのような恐れはないか。 受託者の権限濫用を防ぐ仕組みをどのように作れるかを聞きたい。 1 問題の所在 家族信託は受託者に財産の管理処分を委ねる制度であるが、あくまでも委託者と受託者との信託契約に基づくものであり、信頼関係によるものであることから、受託者が契約に反して権限を濫用する可能性がある。 現に家族信託と一部類似する成年後見制度のもとでは、親族である後見人ばかりか、専門家後見人である弁護士や司法書士による横領事例も公表されているという状況がある。 これに対して、家族信託では、誰が、どのような監督権限を持つこととなっており、権限濫用を防ぐことができるか。また、監督権限を強化する方法としてどのようなものがあるかという点について解説する。 2 受益者による監督 まず、信託財産の実質的な権利者である受益者が、受託者に対する監督権限を持つ。 受益者の持つ主な監督権限としては、以下のようなものがある(以下、条文番号はすべて信託法におけるものを指す)。 以上のことから、受益者としては、 ① 受託者からの報告、資料の開示を受けて情報収集し ② 違法で著しい損害が発生する恐れがあれば差止めを求め ③ 権限違反行為等を行っていれば取消しを行い ④ 損害が残るようであれば損害賠償を求め ⑤ それでも不満が残るようであれば委託者と合意の上で解任する といったような監督を行うことができる。 家族信託においても原則的には、受益者がこのような権限を駆使して適正な監督を図ることが予定されている。 3 委託者による監督 上記のとおり、受託者に対する直接的な監督権限は原則的に受益者にあるが、委託者としても信託の目的設定者として信託の目的達成には相応の利害関係を有することから、報告請求権(第36条)、受託者の選解任等(第58条第1項、第62条第1項)に関する権限を有している。 また、信託契約において定めることにより、委託者にも受益者が保有する上記の各監督権限について留保させることができるものとされている(第145条第2項)。 いわゆる親亡き後の子問題(高齢の親の子の心身に障害があるため、その子を保護する必要ある場合)などに関して家族信託を利用する場合、受益者である子に十分な監督能力がないケースも多く、このような場合には委託者である親が監督する必要が認められることもある。 4 付加的な監督権限の付与 (1) 概要 上記のように信託法の原則からすると、受益者や委託者が受託者を監督することとなっているが、家族信託においては元々資産を保有していた者が委託者兼受益者となることが多く、年数の経過とともに判断能力が低下していってしまうことが通常である。 このため、受益者又は委託者だけの監督では不十分なケースが発生することから、外部の第三者に監督権限を委ねる必要性が生じる。 信託法上、第三者に監督権限を委ねるオプションとして、「信託監督人」と「受益者代理人」が存在する。 (2) 信託監督人による監督 信託監督人は、受益者が存在するものの、認知症等により十分な監督機能が果たせない場合に(備えて)選任されるもので、自己の名をもって受託者を監督するものである。 「自己の名をもって」とは、監督権限が受益者や委託者の権限を引き継ぐものではなく、独自の権限を持つものであるとの意味である。 監督権限の範囲は、上記の受益者の権限すべてを含む。 家族信託においては、信託契約において当初より定められることが多いと想定され、弁護士や司法書士等の専門家としての知見を期待されて、これらの者が信託監督人になることも多いものと考えられる。 また、(特に弁護士や司法書士等が信託監督人に就任した場合には)信託監督人に信託財産から一定の報酬が支払われることになっているケースもある(なお、信託業法における規制の範囲外であるため、信託監督人に就任するに当たっては、特段の免許等は不要である)。 (3) 受益者代理人による監督 受益者代理人は、受益者が存在するものの受益者の多数性・変動性等により、意思決定が困難な場合に選任され、受益者を代理(代表)して監督するものである。 受益者代理人は、受益者の代理人として行動する以上、独自の権限ではなく、受益者固有の権限を代理して行使することになる。 監督権限の範囲は、上記の受益者の権限すべてを含むものであることから、監督機能だけを見ると、信託監督人との違いはほとんどない(信託監督人が監督機能だけを有するのに対し、受益者代理人は受益者の権利のほぼ全部を有するという違いがある)。 家族信託において、受益者代理人は不動産の共有化対策(不動産の相続が想定される場合に、不動産を予め信託しておくことにより不動産の持分を相続させるのではなく、受益権を分割して相続させるスキーム)等において、相続発生後の受益者間の意思統一を図るために用いられることがある。 報酬に関しては、信託監督人の場合と同様である。 一部では監督機能を持たせる目的で、受益者代理人に第三者である専門家を選任している例があるようであるが、監督機能を持たせるためとしては権限が大きすぎるように考えられ、慎重な検討が必要であると思われる。 5 まとめ 以上のことから、受託者の監督に関しては ① 受益者が行うことが原則であり ② 受益者が十分に監督を行うことが期待できないスキームの場合には委託者が行い ③ 委託者も難しいような場合には信託監督人又は受益者代理人として(専門家を含めた)外部の第三者に委ねることを検討する ということが基本的な流れであるといえる。 (了)
〔新規事業を成功に導く〕 フィージビリティスタディ10の知恵 【第12回】 (最終回) 「公的支援制度を上手く活用するには(後編)」 中小企業診断士 西田 純 前回は、特に海外でフィージビリティスタディを実施するために役立つ各種公的支援制度のご紹介と、採択確率を上げるためのノウハウについてお伝えしました。最終回の今回は、公的支援制度に採択された後の実施段階で気を付けるべき点についてお伝えします。 * * * 日頃の学会活動や自腹を切っての現地調査、現地エージェントとの関係作りなどが奏功し、厚みのある企画書が評価されて無事公的支援制度で採択されたとします。採択される企業(案件)の数は制度によっては2~3社(件)だけという場合もありますし、逆に10社を超える企業からの提案が一度に採択される場合もありますので、採択後の事務手続きは制度によってバラつきがあるようですが、どれも一様に報告書の作成と提出締切スケジュールが最初から決められている、と考えておいて間違いはありません。 この報告書が成果物として扱われるケースが多いですので、それを目指して決められた期間のうちに何度か現地を訪問し、現地でセミナーを開き、短期研修生を日本に受け入れ、さらに事業の実証試験を現地と日本で実施する、というようなプロセスを踏むことになります。 これら活動の記録が最終的には報告書の骨子となるのですが、実施機関との契約交渉もそれを前提に進められます。JICAの案件などでは分厚い契約書が出来上がってきますが、先方にはこれまで数多くの企業と実施してきた知見が溜まっていますので、いったん業務がスタートすれば思いのほか早く書類手続きが進められていきます。 さて契約が無事に整い、いよいよF/S事業の実施が始められるところまで来たとします。これまでお話してきた技術的な知恵に加えて、以下のような点に気を付けてスタートさせると円滑で有意義な事業が実施できると思います。 ▷ 実施機関に「ファン」を作る JICAにしても各省庁にしても、実施機関にはそれぞれ独自の政策課題というものが存在しています。彼らからすれば、公的支援制度を実施することで実現したいゴール、のようなものですが、採択された事業にもさまざまなものがあり、必ずしもすべての案件が上手く政策課題を満足させるというわけではなかったりします。同じ制度で採択した案件でも「良い子・悪い子・普通の子」がいるというわけですね。 最初の評価がどうあれ、事業の実施を通じて最終的には彼らの政策課題に貢献するような流れに持って行ければ、担当者は必ずファンになってくれるのですが、そうすると政策担当者として持っている情報の中から実際の事業展開に役立つような情報を教えてくれるようになったりします。 そのために心がけるべきことは、円滑で密度の濃いコミュニケーションを取る努力、でしょうか。 単に面談するだけでなく、必ずパワーポイントの資料を用意し、それが内部の説明資料などに転用しやすいように配慮する、契約上要求されていなくても、現地調査の前後には必ず短時間報告できる機会を設ける、ウェブサイトを頻繁にチェックし、支援制度や採択案件に近いと思われる情報は把握しておくなどの努力により、「この人は自分たちの事業の意義について理解してくれている」と担当者に思わせることができればしめたものです。 ▷ 実施機関の現地関係者を大事にする 多くの場合、各種支援制度は実施機関の本部(=東京)を中心に運営されており、現地事務所や大使館などにとっては、あくまで進捗を把握しておくだけの対象と認識されている場合が多いようです。 ところがビジネスを進める立場から言えば、F/Sを実施すればそれで終わりというわけではなく、むしろ実際に事業が進み出した後の現地における橋頭堡(きょうとうほ)作りが課題となってくるわけですから、F/S段階とはいえ現地関係者とのチャネルをしっかり作っておくことに越したことはありません。 あまり頻繁に報告に行くのもためらわれるかもしれませんが、プロジェクトリーダーが出張した際には必ず現地事務所を訪問する、など対応のルールを決めておき、たとえ挨拶だけであっても現地のオフィスを訪れ、進捗に関わる報告をしておくことをお勧めします。 ▷ 現地パートナー企業とのチャネルをできるだけ太くする F/S段階を経て実際の事業展開を進めるために何よりも重要なのは、現地パートナー企業との太くて活動的なチャネルを持つことでしょう。公的支援制度を使って調査を実施できることの大きなアドバンテージとして、このチャネル作りにしっかりと時間を使えることが挙げられます。現地での調査活動、セミナー実施、実証試験そして日本への受入研修など、さまざまなフェーズで先方とのチャネルが強化できる機会があるので、ぜひそれらを活用して複合的なチャネルづくりを心掛けてください。 他方で、報告書作成については本連載の1回目から10回目にかけてお話したように、「市場予測」に軸足を置いた「収益予測」を行う中で、「リスク対応策」をしっかり提案し、それを「見える化」できれば報告書の中で「仮説検証」プロセスの結果を伝えやすくなります。そのために重要な「現地調査」を円滑に進めるには、出発前の「事前調査」が重要だということもお伝えしましたね。「社内の立ち位置」にも配慮しつつ、御社の将来にとって有意義な新規事業の提案を進めて行くために、公的支援によるF/S事業は重要な役割を果たします。 提案が採択された暁にはこれらの技術的な視点をしっかり保ちつつ、実施機関とのコネクションを活かして事業推進に役立つフィージビリティスタディを実施されることをお祈りします。 * * * さて、これで私のフィージビリティスタディに関するお話はおしまいです。一年間ご愛読いただき、どうもありがとうございました。 (連載了)
顧客との面談が“ちょっと”苦手な 税理士のための面談術 【第8回】 (最終回) 「お見送りまで完璧にできれば、“苦手意識”からはもう卒業です」 有限会社コーディアル 代表取締役 坪田 まり子 皆さん、こんにちは。坪田まり子です。 いよいよこの連載も最終回となりました。 書き始める段階ではいつも最後まで完結できるだろうかと不安ですが、書き進めていくうちに、あれも伝えたい、これも伝えたいと、どんどんイメージが膨らんできます。 特にこのようなウェブ上の連載の場合には、皆さんがどれくらいご覧くださっているかがすぐに分かります。嬉しいことにこの原稿を執筆中に、第1回目の週間の閲覧回数が第2位というご一報をご担当者様から伺いました。 実務に関することが第一だとお考えの方が多い中、ソフト面に位置する接客や面談にご興味をお持ちくださることが何よりもありがたく思いました。嬉しくてつい容量が多くなりすぎて、自分をセーブすることもしばしばありました。 この連載の執筆を通して、私なりに改めて感じ入ることもたくさんあり、読者の皆さんに心から感謝しています。ありがとうございます。 さあ、いよいよ最終回。今回は、上手なクロージングと次につなげるお見送りについて、心を込めてお話します。 ◆ ◆ ◆ 前回は論理的で分かりやすい話し方について解説しました。当たり前のことですが、「話す」ということは常に「話し終わり」という場面が必要です。その話し終わりをクロージングと位置付けていますが、ただ終わるだけではもったいないのではないでしょうか。 分かりやすく解説して終わりではなく、次につなげることが士業者に必要な真のクロージングだと私は考えています。 クロージングにたどり着く前のプロセスをイメージしてみましょう。 「提案」を上手にすることが、良いクロージングへとつながっていきます。 では、良い提案をするためのコツとは何でしょうか。 それは前回もお話した、 相談者は予め自分なりの要望を持っている。 ということを忘れないことです。 その要望をどれだけ満足させる提案ができるかどうかが、次のステップである「受任」の可否につながります。 依頼者の要望の中には、士業者である皆さんの立場からは受け入れがたい内容もあろうかと拝察します。それでも相手の気持ちを尊重するなら「それは無理です」と頭ごなしに否定するだけではダメだということもご理解いただけるはずです。 それでもときには、きっぱりと「それはいたしかねる」と正し、それをしっかり理解してもらう努力も必要でしょう。そのためにも、第1回目からお話してきた相手と良好な関係をいち早く築いておくことが重要になってきます。 法律を重んじ、それに基づく提案と解決をしなければならない皆さんにとって、ここが顧客満足の難しさでもあります。 ◆ ◆ ◆ このような難しい場面は、『焦らない提案』をすることで解決できるのではないでしょうか。 新規相談の場合には、早く受任に持ち込みたい気持ちは分かりますが、次の2つのプロセスを踏まれるのはいかがでしょうか。 〔プロセス①〕 「相手が望む方法で解決する手段」と、「税理士である皆さんがベストだと考える手段」の両方を提案する。 前回もお話したように、皆さんの専門的な見地からの提案は重要ですが、相談者の気持ちにそぐわないやり方だけでは、相手の心の中に不満が芽生えてしまいます。 ですから、両方を提案することにより、どちらが相談者にとってより良い解決方法であるのか、相手に選択させることも一案なのです。 相談者は自分なりの要望があるとはいえ、その根底には「今よりも良くしたい」という気持ちがあるはずですから、相手の要望や気持ちを逆なでせず、相手の意向を十分認めた上での、専門的かつ現実的な提案であれば、きっと相手もしっかり悩み、的確な判断を下してくれるはずです。 また、このように両方を提案し、相手に選択させることで、「押しつけられた」というイメージを避けることができます。 “誰に依頼するかを決めるのはお客様である”と、この連載を通して言い続けてきました。どんなに相手のために良いアドバイス、提案であったとしても、依頼するかどうかを決めるのは皆さんではなく、相談者なのです。 選択権は相手にあることを決して見失わないようにしましょう。 〔プロセス②〕 相談者の気持ちを無視しない上手なクロージングをすること。 提案の結果、クロージングの場面が当然必要です。面談はエンドレスではなく、1時間とか2時間とか、互いの時間をやりくりした中で行われるものだからです。 これまでもお話してきましたが、面談では第一印象という最初が肝心であったことと同じくらい、この締めくくりの場面も、皆さんの腕の見せ所です。 相手に敬意を表し、頑張って傾聴をしました。そのうえで、相手の意向を十分に理解した上で、皆さんなりの提案をしました。 その後のクロージングのコツは、 この3つだと考えています。 出逢った以上、話を聞いた以上、受任につなげたいという皆さんのお気持ち、私には分かります。しかしながら、相談者側には、皆さんからの提案に乗りたいけれど、即決できない事情もあるはずです。それは、相談者が必ずしも決裁権をもった立場であるとは言えないからです。 皆さんからのご提案が最もだと思った場合にも、「社長に相談しなければ」「家族の意見も聞かなければ」などという諸事情もあるはずです。ですから、そんな相手の気持ちを無視して受任を急がせることはもってのほか、ということになります。 このような相手の迷いは、言葉にしなくても表情から察することもできるはずです。さりげなく相手の表情を見て、相手の感情を上手に理解できるようにしたいものです。 ◆ ◆ ◆ 留意すべきは、面談の結果、相手の意向にそぐわない方向がベストであると相手も判断し納得したようなときです。 それでも、相手の要望は当初、確かにあったことは事実ですから、クロージングの場面では、相手に敬意を表して、皆さんの方からこんなお言葉をかけてみてはいかがでしょうか。 初めての相談者にとって一番不安なことは、相談した以上、受任を迫られるということではないかと思います。だからこそ、迫ることの反対で、「じっくり考えてみてください」という皆さんのスタンスは、心からありがたいと思ってくださるはずです。 誠実な相談者であれば、「無料でアドバイスをもらえてラッキー!」と思う人は少ないと信じたいものです。当初の相談者の要望とはかけ離れた結果になりそうだとしても、皆さんのこのような声かけにより、「相談者の意向と気持ちをないがしろにしない素晴らしい先生だ」という気持ちを持ってくれるのではないでしょうか。 こんな小さな感動が、きっと次につながるはずです。 まずはスポット案件から始まり、それから先は長いビジネスパートナーになる。長い道筋であるからこそ、手柄を焦らないこと、誠実且つ丁寧に一つひとつお客様と向き合う意識と姿勢が大切だと私は考えていますが、いかがでしょうか。 ◆ ◆ ◆ さあ、いよいよお見送りです。まさか皆さんは、会議室や応接室の中だけで挨拶してお別れしてはいませんよね。エントランスまで結構遠い。。。という広いオフィスで執務していらっしゃる方でも、船に乗り飛行機に乗るほど遠いはずはありません。 ほんのちょっとだけ、相手と並んで歩くことが大切なのです。 受任を迫るためではありませんよ。最後は笑顔で別れるために、です。 エントランスまで歩きながら、たとえば、「雨はやみましたでしょうか」「かなり時間をとっていただきました。この後のお時間は大丈夫ですか」など、労いの言葉をかけることもできるはず。または、相手がゴルフ好きなど、相手の興味や関心事を知っている場合には、「その後、ゴルフはいかがですか」など、雑談を始めることもできるはずです。 自分の話をするのではなく、最後まで相手に関心を寄せること。そしてその際には決して馴れ馴れしい口調ではなく、最後まで爽やかであることが大切です。爽やかではなく、ねちっこくて感じが悪ければ、しつこく迫っている印象しか与えないからです。 ◆ ◆ ◆ さあ、エントランスまで着きました。どんなふうにお見送りをしましょうか。 まずは皆さんがイメージしてくださいませ。 当然、頭を下げお辞儀をなさると思いますが、その際のお辞儀、余韻を残せるように頑張ってみてください。まずはイメージを持っていただくために、次のステップとイラストをご覧ください。 (※) 拙著『士業者が身につけたい顧客をつかむ面談術』(清文社)p79より このセリフの「ありがとうございました」は、飲食店で言われるイメージとは違います。活気あふれるというよりも、丁寧に誠実に、が大切です。 「ありがとう」は相談者が先生方である皆さんに言うべきものであり、相談を受けアドバイスをする士業者は言うべきではないと思う方も中にはいらっしゃるようです。士業者のビジネスシーンこそ、接客力や面談力が重要であると考えている私にとって、極めて残念なことだとつくづく思います。 今や士業者もサービス業という観点を忘れてしまっては、顧客満足とはほど遠い、“してやっている”“教えてやっている”という傲慢で感じが悪いイメージにしかなりえません。 出逢ったことに感謝、相談をするためにわざわざ皆さんの下に尋ねてきてくださったことに対する感謝の気持ちを相手に素直に表現することは、士業者である以前に、人間として当たり前のことなのです。 当たり前のことが普通にできる士業者だからこそ、「士業者はなんだか偉そう」という先入観を持っている一般の方々にとっては、感動を覚えるのかしれませんよ。 ◆ ◆ ◆ どうか皆さん、国家試験で見事に資格を取得され、ようやくお客様の前に立ち皆さんの知識と持てる力を発揮できる面談の場面こそ、皆さんの知識と実力いうハード面だけでなく、感じの良い接客=面談力がいかに大切であるかをご理解いただけましたら嬉しく思います。 この連載を通して、偉そうなこと、失礼なことを随分と申し上げてきました。その最たるものが、「相談者にとって依頼する相手は誰でもいいのです。誰を選ぶかは自由」という言葉ではなかったかと拝察します。 こんな補足をしてもよろしいでしょうか。 現在の皆さんは、たくさんいらっしゃる税理士の中のOne of themなのです。その中から“〇〇先生、あなたにお願いしたい”と言われたときにはじめて、その相談者にとってのOnly oneになることができるはずです。 皆さんの専門性と理想と夢を、これから先、大きく膨らませていただくためにも、ヒューマンスキルに関わる面談力を、ビジネスマナーの魔法を使うことで向上させていただけることを心から願っています。 また機会があれば、さらなるトピックで皆様にご覧いただけるような連載をさせていただきたいと思います。こんな私ですが、心のどこかに覚えておいていただけましたら幸いです。 また、この連載の機会を与えてくださいました株式会社プロフェッションネットワークの皆様、そして連載のきっかけを作っていただいた株式会社清文社の皆様に、改めて心から御礼申し上げます。 皆様との出逢いに心から感謝しています。 継続して、最後までご覧くださり、ありがとうございました。 またきっと再会できますように。 (連載了)
《速報解説》 4月1日スタートの中小企業経営強化税制についてポイントを確認 ~固定資産税の軽減措置特例では対象外のB類型も対象範囲に Profession Journal編集部 平成29年度税制改正で創設される「中小企業経営強化税制」(※1)は、3月末日で廃止される「中小企業投資促進税制の上乗せ措置」(生産性向上設備等に係る即時償却等)(※2)を改組し、対象設備及び指定事業を拡充した設備投資減税だ。 (※1) 税制改正法案では「中小企業者等が特定経営力向上設備等を取得した場合の特別償却又は法人税額の特別控除」(新措法42条の12の4(個人は新措法10条の5の2))として規定されている。 (※2) 上乗せ措置以外の中小企業投資促進税制は対象資産から器具備品を除外した上で適用期限が平成31年3月31日まで2年延長される。 中小企業経営強化税制は平成29年4月1日から平成31年3月31日までの間に取得等し事業供用した後述する対象設備について即時償却又は税額控除(7%又は10%(※3))(※4)が受けられるもので、制度開始は間近となっている。 (※3) 資本金3,000万円以下もしくは個人事業主は10%。 (※4) 控除額の上限は当期法人税額の20%、控除限度超過額は1年間の繰越し可。 そこで、政省令が明らかとなっていない現時点で制度の全容は不明だが、適用開始を前に、法案や大綱及び各公表資料等によりそのポイントを確認してみたい(以下、法人を対象とする)。 * * * まず本制度の対象となるのは、①中小企業投資促進税制(措法42の6)又は②商業等活性化税制(措法42の12の3)に規定された中小企業者等とされており、対象となる業種(指定事業)についても両制度の指定事業の用のいずれかに規定されたものに限るとされていることから、中小企業投資促進税制と商業等活性化税制のいずれかが適用可能な企業は、本制度対象の中小企業者等になるといえよう。 (※5) 中小企業投資促進税制の指定事業は[こちら] (※6) 商業等活性化税制の指定事業は[こちら] ただし、この中小企業者等のうち、後述するように中小企業等経営強化法に定める経営力向上計画の認定を受ける必要があり、昨年度改正で創設された固定資産税の軽減措置特例と同じ制度下に置かれることになる点が、上記①②の制度とは大きく異なる。 なお、今回の改正に対応した「中小企業等経営強化法施行規則」及び経営力向上計画に係る認定申請書の様式などを規定した「経営力向上に関する命令」の改正案は共に2月16日付けでパブコメに付されており、すでに3月1日で意見募集が締め切られている。政省令を含む改正税法と同日の3月31日付け官報での公布、翌4月1日施行が予測される。 (※) 〔2017/3/14追記〕 上記の省令及び命令の一部改正は3月14日付で公布され、翌3月15日の施行となります。 * * * 次に対象となる設備については、税制改正法案(新措法42条の12の4第1項)において次のように規定されている(一部抜粋)。 規定の内容を個別に確認すると次の通り。 (1) 事業の用に直接供される設備(生産等設備)を構成するものであること 例えば事務用器具備品、本店、寄宿舎等に係る建物附属設備等は対象外となる。 (2) 設備の種類が①機械・装置、②工具、③器具・備品、④建物附属設備、⑤ソフトウェアであること 中小企業投資促進税制の上乗せ措置の対象設備に、器具・備品、建物附属設備等が加わっている。なお、大綱では「全ての器具備品及び建物附属設備を対象とする」とあるが、上記の中小企業等経営強化法施行規則の改正案(以下、改正強化省令案)では、「医療保健業を行う事業者が取得又は製作(建設)をするものを除く」といった除外規定が設けられている。 (3) 中小企業等経営強化法に規定する「経営力向上設備等」であること 経営力向上設備等については、税制改正大綱の記述を引用すると次の通り。 冒頭の制度創設趣旨(上乗せ措置の改組)からすると、生産性向上設備投資促進税制におけるA類型・B類型と考えがちだが、この制度は3月末をもって廃止されるため、中小企業等経営強化法におけるA類型(生産性向上設備投資促進税制のA類型のうち最新モデル要件を除外したもの)及びB類型の規定による。現行の上乗せ措置とはこの点が異なる。 また、固定資産税の軽減措置特例は、B類型(投資計画における年平均の投資利益率が5%以上となることが見込まれるもの)が除外されているが(地方税法施行規則附則6条76項)、本制度では適用対象となっている(※7)。この投資計画は経済産業局の確認を必要とするため、生産性向上設備投資促進税制と同様に、事前に投資計画案の確認を公認会計士・税理士に依頼することになると考えられる。 (※7) B類型の場合、固定資産税の軽減措置特例は受けられないが、経営力向上設備等には該当するため、経営力向上計画の認定を受ければ、金融支援等その他の支援措置を受けることができる。 なお、生産性向上設備(A類型)については生産性が旧モデル比年平均1%以上改善することについて工業会等から証明書(上乗せ措置に係る証明書とは様式が異なる)の発行を受ける必要がある。 (4) 「経営力向上設備等」のうち「特定経営力向上設備等」であること 大綱の記述では、上記(3)の「経営力向上設備等」のうち、①経営力向上に著しく資する一定のもので、②その法人の認定を受けた経営力向上計画に記載されたものが「特定経営力向上設備等」とされている。この点からみて、固定資産税の軽減措置特例と本制度は、重複する部分は多いものの、完全に一致するわけではないことが分かる。 (※8) 経営力向上設備等は「経営力向上に特に資するもの」とされており(中小企業等経営強化法13条4項、改正強化省令案8条1項)、特定経営力向上設備等は「経営力向上設備等のうち経営力向上に著しく資する設備等」(改正強化省令案8②)とされている。 (※9) 上記の通り税制改正法案では「経営の向上に著しく資するものとして財務省令で定めるもの」との規定があるが、改正強化省令案8条2項において「経営力向上に著しく資する設備等」が規定されており(上述の医療機器等の除外規定)、この点については今後の租税特別措置法施行規則の改正内容と合わせて確認する必要がある。 (5) 認定を受けた経営力向上計画に記載されたものであること (3)の通り、A類型・B類型の取得等にあたっては ・A類型は工業会等への証明書の発行依頼⇒取得 ・B類型は①公認会計士・税理士への投資計画案の事前確認書の確認依頼⇒発行、②経済産業局への申請書提出⇒確認書の発行 という手続をそれぞれ経る必要があると考えられるが、その後は事業分野別指針に沿って「経営力向上計画」を作成し、各事業分野の主務大臣による認定を受け、設備を取得等し事業供用するという流れになろう。 上乗せ措置と比べて経営力向上計画の作成→申請→認定という手順が増えることとなるため、申告期限までに余裕を持った手続等のスケジュールを立てる必要がある。 なお、経営力向上計画の申請に当たっては、認定を受けた経営革新等支援機関のサポートが求められており、本制度の適用に当たっては税理士が活躍する場面が多くなる。 (6) 一定規模以上のものであること 規模要件は政令規定だが、税制改正大綱の記述は次の通り。 (7) その製作若しくは建設の後事業の用に供されたことのないもの 中古資産・貸付資産でないこと。所有権移転外リースにより取得した特定経営力向上設備等は適用外となる。 * * * このように現行の設備投資減税との接点の多い特例措置ではあるが、その相違点を把握しておかなければ、計画立案や提出書面の準備に手間取ったり気づかなかったりすることで、結果として適用不可となる恐れもある。現行制度との比較を含め慎重に確認・対応したい。 また、①中小企業投資促進税制、②商業等活性化税制及び③中小企業経営強化税制の控除税額については、これらの制度の税額控除における控除税額の合計で、当期の法人税額の20%が上限とされる点にも留意しておきたい。 (了)
2017年3月2日(木)AM10:30、 プロフェッションジャーナル No.208を公開! プロフェッションジャーナルのリーフレットは 全国のTAC校舎で配布しています! -「イケプロが実践するPJの活用術」「第一線で活躍するプロフェッションからPJに寄せられた声」を掲載!- - ご 案 内 - プロフェッションジャーナルの解説記事は毎週木曜日(AM10:30)に公開し、《速報解説》は随時公開します。
monthly TAX views -No.50- 「シムズ論-時代の変わり目に出現するいかがわしい論説」 中央大学法科大学院教授 東京財団上席研究員 森信 茂樹 またぞろ、奇妙奇天烈な論理がマスメディアでもてはやされ始めた。それは、ノーベル賞学者でプリンストン大学教授のシムズ氏の議論(以下、シムズ論)である。 この論がわが国で拡散したのは、リフレ派の代表的学者でアベノミクスの理論的支柱である浜田内閣官房参与が、「通貨供給量を増やせばインフレになるという考え方は間違いであった」と認めた際、このシムズ論を引用しつつ、「今後は減税も含めた財政の拡大が必要、消費税10%の引上げは延期すべきし」という主張を展開したことに始まる(16年11月15日付日経新聞)。 * * * 「シムズ論」を簡単に要約すると、以下のようなものである。 前提にするのは、「名目国債残高を物価水準で割ったものは、将来の財政黒字の累計値の現在価値に等しくなる」という恒等式である。これは「物価水準の財政理論(FTPL=Fiscal Theory of the Price Level)」と呼ばれ、10年ほど前にも学会で話題となったものである。 シムズ論では、これに基づき、「政府が財政責任を放棄して、これまでの借金(国債)を返済する予定はない、と宣言すれば、国債価格が暴落することを恐れて人々は国債を売り民間投資や消費に振り向ける。そして人々はインフレが起きるとの期待を抱くので、デフレから脱却できる。インフレにより政府の借金は実質的に少なくなる」という政策提言が導かれることになる。そのうえで、「物価上昇率が2%に達すれば、段階的に消費税率を引き上げていけばよい」という。なお、シムズ論の詳細については、東京財団 税・社会保障調査会のホームページから入手することが可能。とりわけ、一橋大学佐藤主光教授の論考「物価の財政理論(FTPL)と財政再建」を参照されたい。 * * * しかし誰もが抱く疑問だが、財政責任の放棄が明白になると、国債は投機の対象となり、国家がデフォルトする可能性も出てくる。デフォルトすれば国債の価値はゼロになるので、上述の恒等式は成り立たない。 デフォルトの前に、国債の価値が暴落すれば、大量の国債を保有する金融機関は経営が困難になり、貸し渋りだけでなく、貸しはがしもしなければならず、実体経済は大混乱する。国債を保有する個人は、巨額の損失を被る。 そもそも、いったん財政責任を放棄した国家が、「インフレ率2%を達成した時点で財政規律を取り戻す政策に戻ります」と言っても、マーケットがそれを信じる保証はない。 * * * このように暴論とも言える「シムズ論」だが、安倍政権の思惑は、この論理をうまく活用しようとたくらんでいる(のではないか)。 すでに2020年プライマリーバランスの黒字化という公約を達成するには、8.3兆円のギャップを埋める必要があり、マーケット関係者の多数は、達成できないと認識しつつある。それでも国債マーケットに何ら変化の兆しが見えないのは、日銀の大量国債購入のおかげだ。しかし、2、3年後には、日銀が購入する国債がなくなってくる、という状況が生じる。 これらのことは誰もが認識しているが、そのことの意味を今考える人はいない(考えたくない不都合な事実)。 安倍政権はこれまでノーベル賞学者のアドバイスを政治的に利用し、消費増税を2度延期してきた。今回、浜田参与がこの論を支持し、消費税率10%への引上げの再々延期を主張し始めている。 現下のわが国の最大の問題は、消費が伸びないことだが、背景には、若者を中心とした将来不安がある。長寿化の進む中で、医療・年金・介護・子育て、どれをとっても不安だらけだ。 消費増税を法律通り行い、彼らの不安を払しょくすることこそ、最大の経済対策ではないか。 (了)