マスクと管理会計
~コロナ長期化で常識は変わるか?~
【第1回】
「予算編成、これからどうする?」
公認会計士 石王丸 香菜子
◇◆◇はじめに◇◆◇
新型コロナウイルス感染症の影響により、企業を取り巻く環境は大きく変化しました。今後の見通しは依然として不透明であることから、それぞれの企業が不確実な環境にどのように向き合うかを考える局面をむかえています。
本連載は、これまでの管理会計における常識を再検証し、新しい視点を取り入れるべき点などを解説します。PNザッカ社のメンバーと一緒に、管理会計を利用して不確実な環境に前向きに取り組む方法を探っていきましょう。
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〔登場人物〕
PNザッカ社は、キッチン雑貨や生活雑貨の製造・販売を手がける会社です。この数日、PNザッカ社の経理部ではフルタ部長がパソコン作業に没頭しています。
〈サキちゃん〉
フルタ部長、画面と顔が近すぎですよ。目を休めないと。
〈フルタ部長〉
最近Excelの小さい文字が見えにくいんだよ。
〈サキちゃん〉
うわ~、数字がびっしり!
来年度の予算ですね。
〈フルタ部長〉
出社している担当者とは資料を直接やり取りできるけど、リモートワークの担当者とはオンライン会議だし、全てをまとめて予算編成するのも一苦労なんだ。
〈サキちゃん〉
追い打ちをかけるようですけど・・・、先ほど社長から予算に関する手書きメモを預りましたよ。
〈フルタ部長〉
え~っ、手書きかぁ。またデータ修正だ・・・。
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新型コロナウイルス感染症は2019年12月に初の感染者が報告されてから、瞬く間に世界的な流行を引き起こし、私たちのライフスタイルや企業の経営環境は短期間で劇的に変化しました。常にマスクをつけた生活、あらゆる場面での急速なオンライン化、リモートワークの浸透、黙って食べることが習慣化した子どもたち・・・。数年前には想像できなかったことですね。
こうした変化を受けて、従来の常識の一部は、常識ではなくなりつつあります。一方で、従来の方法やスタイルが引き継がれている場面もあり、フルタ部長のように両者の狭間で苦労している方も多いのではないでしょうか。
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〈サキちゃん〉
フルタ部長はしょっちゅう予算関連の仕事をしていますよね。
予算はどう編成するんですか?
〈フルタ部長〉
うちの会社では、経営陣が中期経営計画に基づいて来年度の予算編成方針の大枠を示すんだ。それをもとに経理部で具体的な方針を立ててフォームを用意して、各部門に予算案の作成を依頼するんだよ。
〈サキちゃん〉
各部門が作成した予算案をまとめて全社予算になるんですね。
〈フルタ部長〉
そうなんだけど・・・。各部門の予算案を単に積み上げても、全社的な利益計画は達成できないことが多いんだ。だから、各部門の予算案を経営陣が検討して、各部門に戻して再検討のうえまた提出・・・、というのを繰り返しているんだよ。
〈サキちゃん〉
だから時間も手間もかかるんですね。
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予算編成の方法は企業によって様々ですが、“予算編成の主体がどこか"という観点からは、トップ・ダウン型の予算編成とボトム・アップ型の予算編成を想定することができます。
トップ・ダウン型の予算編成は、トップ・マネジメントの意向を反映して予算を編成し、各部門に執行を要請する集権的な予算編成方法です。一方、ボトム・アップ型の予算編成は、各部門に予算編成の権限を与えて、各部門から提出された予算案を積み上げて編成し、トップ・マネジメントがこれを承認するという分権的な予算編成方法です。
【トップ・ダウン型の予算編成】
【ボトム・アップ型の予算編成】
いずれの方法も一長一短があるため、実務上はトップ・ダウン型とボトム・アップ型の折衷型で予算を編成している企業が多いようです。
【折衷型の予算編成】
この方法で予算を編成する場合、調整に時間や手間がかかります。リモートワークの進む現在では、予算編成に関わる人々が一堂に集まる機会が減り、従来の予算会議などのスタイルで調整することが難しいケースが多いと考えられます。状況に応じて、調整の負担を減らせる方法や仕組みを検討してみるとよいでしょう。バラバラのファイルのやり取りでなく、オンライン上で各担当者が入力したり経営陣が承認したりできる仕組みなどがあればスムーズになることもあります。
また、このような予算編成プロセスは、経営陣と各部門という縦断的なコミュニケーションや、部門間の横断的なコミュニケーションを生み出す場として機能してきた一面もあります。オンライン化が進んでも、予算編成を通じてコミュニケーションやアイデアが生み出されるような場も設けられるとよいですね。
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〈サキちゃん〉
今後フルタ部長の負担が減らせるように、稟議用の承認システムを予算編成に応用できないか、システム部に相談してみますよ。担当者間で横断的に連絡できるように、チャットのルームを作るのもいいかもしれませんね。
〈フルタ部長〉
悪いね、ぜひ頼むよ。
〈アライくん〉
失礼します!
来週からこちらに配属になるアライです!
〈フルタ部長〉
やあ、アライくん!
第2事業部での引継ぎは済んだかい?
〈アライくん〉
はい! 経理は初心者なので、よろしくお願いします!
〈サキちゃん〉
同期のよしみでいろいろ教えてあげるね。
〈アライくん〉
よろしく!
ところで、サキちゃんに頼まれた「安心ストレージ・ボックス」を持ってきたよ。
〈サキちゃん〉
ありがとう~!
社員割で2割引き購入ね!
〈フルタ部長〉
「安心ストレージ・ボックス」?
〈サキちゃん〉
食料品をローリング・ストックするためのボックスなんです。普段から食料品を多めに買い置きして、使った分を新しく買い足していくことで、常に賞味期限内の食料品を一定量ストックできるんですよ。
〈アライくん〉
以前は売れ行きが悪かったんですけど、体調が悪くて外出できない時に備えて購入されるお客さんが急増しているんです。
〈フルタ部長〉
こんな地味な商品が大ヒットかぁ。少し先も読めない時代だな。
〈アライくん〉
第2事業部長は「おかげで実績が予算と大幅にずれちゃったよ」って、ご機嫌でしたよ。
〈サキちゃん〉
アライくん、フルタ部長は来年度の予算編成中なのよ。「予算と大幅にずれちゃった」って・・・。
〈アライくん〉
でも、第1事業部の「わいわいたこ焼きパーティーセット」は当初の予測がすっかり外れて、予算の2割しか販売できそうにないって・・・。第1事業部長は「当初の予算が環境変化とマッチしていない」とぼやいていましたよ。
〈フルタ部長〉
ええっ?!
〈サキちゃん〉
フルタ部長、今は環境の変化が早すぎて、期首に編成した予算が期中に陳腐化してしまうのかもしれませんね。
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企業を取り巻く環境は一層の不確実性に満ちあふれるようになりました。ライフスタイルの変化に伴い、思いがけないモノやサービスが爆発的に売れる、反対にこれまで順調に売れていたモノやサービスがさっぱり売れなくなるなど、多くの方が実感されていることでしょう。このように変化が激しい環境では、期首に編成した予算があっという間に環境にそぐわないものとなってしまう可能性があります。
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〈フルタ部長〉
でも、予算は会計年度の期首にその1年分を作るのが常識だろ。新入社員の頃からずっとそうしてきたぞ。
〈アライくん〉
へぇ、そうなんですか。4月から来年の3月末までの予算にこだわらなくてもいいような気もしますけど・・・。
〈フルタ部長〉
そう言われてみればそうだな。
〈サキちゃん〉
じゃあ、予算も「ローリング」したらどうかしら?
食べた分だけ食料品を追加するように、過ぎた期間だけ予算を追加していけば・・・。
〈フルタ部長〉
常に賞味期限内の予算を維持できるというわけか。
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不確実な状況に適した予算編成方式として「ローリング予算」があります。ローリング予算は一定期間ごとに転がし方式で編成する予算です。各期間末において、経過した期間の予算を計画から取り除き、同じ長さの期間について新しい予算を追加していきます。引き継ぐ期間については、必要に応じて確度の高い数値に修正していきます。
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このように予算を定期的に見直していくことで、環境変化に対応した予算を常に維持でき、経営管理に役立ちます。状況によっては、四半期よりも短い期間(月次など)で更新していく方法も考えられます。
ローリング方式の予算編成の場合、予算を更新する手間は増えるので、前述のように手間を削減する方法と組み合わせて予算編成の在り方を見直すと効果的です。
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〈アライくん〉
営業担当者は向こう3ヶ月分の受注データをシステムに入力しているから、向こう3ヶ月の売上予算についてはそれを利用できるはずですよ。
〈フルタ部長〉
なるほど。
手間を減らしつつ、環境に対応した予算をキープして経営管理に役立てられるよう、社長に提案してみよう。
(了)
「マスクと管理会計」は、毎月第3週に掲載されます。