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実務必須の
[重要税務判例]
【第49回】
「髙野歯科医師事件」
~最判平成2年6月5日(民集44巻4号612頁)~
弁護士 菊田 雅裕
-本連載の趣旨-
本連載は、税務分野の重要判例の要旨を、できるだけ簡単な形でご紹介するものである。
税務争訟は、請求内容や主張立証等が細かく煩雑となりやすい類型の争訟であり、事件の正確な理解のためには、処分経過の把握や判決文の十分な読み込み等が必要となってくるが、若手税理士をはじめとする多忙な読者諸氏が、日常業務をこなしつつ判例研究の時間を確保することは、容易なことではないであろう。他方、これから税務重要判例を知識として蓄積していこうとする者にとっては、要点の把握すら困難な事件も数多い。
本連載では、解説のポイントを絞り、時には大胆な要約や言い換え等も行って、上記のような読者の方に、重要判例の概要を素早く把握していただこうと考えている。
このような企画趣旨から、本連載における解説は、自ずと必要最低限のものとなり、基礎知識の説明、判例の繊細なニュアンスの紹介、多角的な分析、主要な争点以外の判断事項の紹介等を省略することも多くなると思われるが、ご容赦をいただきたい。
なお、より深い内容については、できるだけ論末において他稿をご紹介するので、そちらをご参照いただきたい。
▷今回の題材
髙野歯科医師事件
(最判平成2年6月5日(民集44巻4号612頁))
《概要》
歯科医師Xは、ある年度に関し、社会保険診療報酬について概算経費で経費を計上して所得税の確定申告をした。これは実額経費より概算経費の方が有利と判断したからであったが、実は計算誤りがあって実額経費を少なく算出したために、そのような判断となったのであって、実際には、実額経費の方が有利であった。
その後、Xは、自由診療収入の計上漏れと、上記計算誤りに気付き、自由診療収入を修正し、また、社会保険診療報酬については概算経費ではなく実額経費で経費を計上して修正申告をした。これに対し、Y税務署長は、社会診療報酬の必要経費を概算経費に改めて更正処分をした。そこで、Xは、更正処分の取消しを求めて提訴した。
《関係図》
▷争点
所得税の確定申告において、租税特別措置法26条により概算経費を計上した後、修正申告において実額経費に変更することができるか。
▷判決要旨
本件の事実関係の下では、修正申告において、概算経費から実額経費に変更することができる。
▷評釈
1 医業・歯科医業による収入は事業所得であり、経費の実額を必要経費とするのが原則であるが、社会保険診療報酬については、租税特別措置法26条により、実額経費に代えて概算経費を必要経費とすることができる。なお、概算経費を適用するためには、確定申告書に、概算経費にて必要経費を計算した旨を記載する必要がある。
2 一審は、租税特別措置法26条は確定申告後いかなる場合も概算経費の選択の変更を認めない趣旨であるとするには疑問の余地があるし、修正申告の要件を欠くともいえないとして、Xの主張を認めた。
これに対し、二審は、概算経費の選択は納税者の自由な選択に委ねられており、選択後はもはや実際に要した経費の額がどうであるかを問題にする余地はなく、実額経費に変更することを許容する根拠はないとして、一審判決を取り消し、Xの主張を排斥した。
3 最高裁は、まず、納税者である医師・歯科医師が、社会保険診療報酬について概算経費を選択する旨の意思表示をしている場合には、その概算経費が必要経費となるのであって、実額経費が概算経費を上回っているか下回っているかは、租税特別措置法26条の適用を左右しないという原則を指摘した(最判昭和62年11月10日(集民152号155頁))。
しかし、最高裁は、これに続けて、本件では、誤って実額経費より概算経費の方が有利であると判断して概算経費選択の意思表示をしたのであるから、その意思表示は錯誤に基づくとした上で、本件は、自由診療収入の計上漏れを修正し必要経費の計算の誤りを正せば、必然的に事業所得金額が増加するので、修正申告ができる場合に当たり、その限りにおいては、事業所得金額全体の計算誤りを是正する一環として、錯誤に基づく概算経費選択の意思表示を撤回し、実額経費を社会保険診療報酬の必要経費として計上できると判断して、修正申告は適法であり、これを認めなかった更正処分は違法であると結論付けた。
4 昭和62年の判例と本件とは結論が異なるが、昭和62年の判例は修正申告ではなく更正の請求の事案であり、本件に比して要件が厳格な部分があったこと、本件では、確定申告時までに実額経費を計算していて、ただ計算誤りに基づく錯誤のために選択の誤りがあったのに対し、昭和62年の判例の事案では確定申告時までにこれがきちんとなされておらず、錯誤といえるような事情がなかったことなどから、結論が分かれたものと考えられる。
▷判決後の動向等
本件は、本件のような修正申告の場合には昭和62年の判例の射程が及ばないことを明らかにした点で意義があると言われている。
なお、本件当時と異なり、現在では、確定申告書提出時に概算経費の選択をしていなかった場合でも、選択しなかったことについてやむを得ない事情があるときは、概算経費に変更できることとなっており(租税特別措置法26条4項)、多少柔軟な定めとなっている。
▷より詳しく学ぶための『参考文献』
- 最高裁判所判例解説民事篇(平成2年度)182頁
- 判例タイムズ734号61頁
- 金融・商事判例853号3頁
- ジュリスト965号69頁
- ジュリスト978号167頁
- 租税判例百選〔第5版〕186頁
- TAINSコード:Z176-6524
(了)
「さっと読める! 実務必須の[重要税務判例]」は毎月第2週に掲載されます。