公開日: 2026/02/26 (掲載号:No.658)
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谷口教授と学ぶ「税法基本判例」 【第56回】「「譲渡所得課税の趣旨」法理の「独走」とその解釈論的防止」-財産分与者譲渡所得課税[名古屋医師]事件・最判昭和50年5月27日民集29巻5号641頁-

筆者: 谷口 勢津夫

谷口教授と学ぶ

税法基本判例

【第56回】

「「譲渡所得課税の趣旨」法理の「独走」とその解釈論的防止」

-財産分与者譲渡所得課税[名古屋医師]事件・最判昭和50年5月27日民集29巻5号641頁-

 

大阪学院大学法学部教授
谷口 勢津夫

 

Ⅰ はじめに

今回は、前回にも言及した財産分与者譲渡所得課税[名古屋医師]事件・最判昭和50年5月27日民集29巻5号641頁(以下「昭和50年最判」という)を取り上げ、財産分与の場合における「譲渡所得課税の趣旨」法理(前回Ⅰ参照)の「独走」とその解釈論的防止について検討することにする。

本件において第一審・名古屋地裁から納税者の訴訟代理人を務められた竹下重人弁護士は、譲渡所得課税の本質を譲渡差益(譲渡益)に対する課税とみる考え方(以下「譲渡益課税説」という)を第一審から上告審まで一貫して主張された立場から、昭和50年最判が後記Ⅱ1で引用するとおり土地譲渡代金割賦弁済事件・最判昭和47年12月26日民集26巻10号2083頁(以下「昭和47年最判」という)を参照したことを、「増加益清算課税説といわれ」る「譲渡所得の本質論」の「独走」として、次のとおり批判された(竹下重人「判批」別冊ジュリスト79号(租税判例百選〔第2版〕・1983年)76頁、77頁。下線筆者。なお、増加益清算課税説が「譲渡所得課税の趣旨」法理に相当することについては前回Ⅰ参照)。

譲渡所得の実体は何か、それは何故課税の対象となりうるか、という議論としてであれば増加益清算課税説にしいて異を称えるものではない。しかし、本質的に所得といわれうるものを、現実の課税所得として捉えるためには課税標準算定へのすじ道が明文に示されているべきことは、租税法律主義にてらし、当然のことである。だからこそ、所得税法は33条1項で譲渡所得の定義を、同条3項で金額の計算を明記したのである。同条1項にいう「資産の譲渡は有償・無償を問わない」としても、その譲渡に収入金額が伴わなければ、現実の課税所得は存在しないことに帰する。

竹下弁護士の上記批判は、「譲渡所得課税の趣旨」法理に内在する「趣旨内競い合い」(前回Ⅱ参照)の観点からみると、(譲渡所得の本質的意義(理論[包括的所得概念論]的意義)に基づく)譲渡所得課税❶に異を称えるものではなく、財産分与の場合に(譲渡所得の実定法的意義に基づく)譲渡所得課税❷の根拠となる所得税法の規定の欠缺を問題にし、そのような所得税法の規定に基づくことなく財産分与に対する譲渡所得課税を認めることに対して、このことを譲渡所得の本質論(増加益清算課税説・「譲渡所得課税の趣旨」法理)の「独走」とみて、異を称えるものであると解することができよう。そうすると、この批判の当否は、結局のところ、昭和50年最判の判断を所得税法の解釈によって導き出したものと認めるか否かにかかっていることになろう。

昭和50年最判については、これまで様々な議論がされてきたが(最近における総括的な研究業績として佐藤英明「離婚時の財産分与をめぐる夫婦の課税関係」日税研論集86号(『金子租税法学の回顧と継承―金子宏先生追悼論文集―』・2025年)31頁参照)、筆者も拙著『税法基本講義〔第8版〕』(弘文堂・2025年)【278】における解説等を通じて「不思議判例」(拙著『税法基本判例Ⅰ』(清文社・2023年)はしがき)の1つとして検討を重ねてきたところである。今回は、前回検討した譲渡所得課税に関する「趣旨内競い合い」の観点から、昭和50年最判の意義を明らかにすることにしたい。

なお、財産分与の法的性質・内容について、民法では、「夫婦財産の清算的要素(清算的財産分与)」、「扶養あるいは補償的要素(扶養〔補償〕的財産分与)」及び「慰謝料的要素(慰謝料的財産分与)」に区分して解説・議論がされること(差し当たり島津一郎=阿部徹編『新版注釈民法(22) 親族(2)』(有斐閣・2008年)193-198頁[犬伏由子執筆]参照)から、以下の検討では、これに倣い、それぞれを清算的財産分与、扶養的財産分与及び慰謝料的財産分与と呼ぶことにする。

 

Ⅱ 「譲渡所得課税の趣旨」法理の「独走」の解釈論的防止

1 みなし譲渡課税に関する判示の趣旨

昭和50年最判を「不思議判例」と考える所以は、1つには、その冒頭の下記の判示(下線筆者)にある。同最判はその冒頭において、「譲渡所得課税の趣旨」法理を「当裁判所の判例」とした昭和47年最判を参照して同法理を判示し(石井健吾「判解」最判解民事篇(昭和50年度)217頁、222頁は「譲渡所得課税の趣旨」を「判例上は既に解決された問題」とする)、同法理に基づき「資産の譲渡」(所税33条1項)の意義を明らかにした。

譲渡所得に対する課税は、資産の値上りによりその資産の所有者に帰属する増加益を所得として、その資産が所有者の支配を離れて他に移転するのを機会に、これを清算して課税する趣旨のものであるから、その課税所得たる譲渡所得の発生には、必ずしも当該資産の譲渡が有償であることを要しない(最高裁昭和41年(行ツ)第102号同47年12月26日第三小法廷判決・民集26巻10号2083頁参照)。したがつて、所得税法33条1項にいう「資産の譲渡」とは、有償無償を問わず資産を移転させるいつさいの行為をいうものと解すべきである。そして、同法59条1項(昭和48年法律第8号による改正前のもの)が譲渡所得の総収入金額の計算に関する特例規定であつて、所得のないところに課税譲渡所得の存在を擬制したものでないことは、その規定の位置及び文言に照らし、明らかである。

上記の判示のうち「有償無償を問わず資産を移転させるいつさいの行為」を「資産の譲渡」と解する部分については、財産分与を有償譲渡とみるか又は無償譲渡とみるかが論点となる。この論点それ自体も筆者が昭和50年最判を「不思議判例」と考える理由の1つではあるが、上記の部分に続く「そして」以下の下線部分については、「そして」で接続することの意味も含めその部分を判示することの趣旨も俄には理解し難いように思われる。

ただ、本件当時の所得税法59条1項(「昭和48年法律第8号による改正前のもの」)においては、個人間の贈与もみなし譲渡課税の対象とされていたことからすると、前記の判示のうちみなし譲渡課税に関する判示(「そして」以下の下線部分)は、「資産の譲渡」(所税33条1項)に無償譲渡が含まれるというその前の部分の判示を前提にして、財産分与を贈与と同じく無償譲渡とみることにすれば、「譲渡所得課税の趣旨」法理の「独走」をみなし譲渡課税によって防止すること(前回Ⅱ参照)ができるのではないかという想定の下で示した判断であるという理解も成り立ち得るかもしれない。

しかし、財産分与と贈与が異なる概念(民768条、549条)であることは民法上は当然のことといってよいが、そうである以上、上記のような理解は、税法上は経済的実質主義(前掲拙著【42】【57】参照)によるのであれば格別、そうでなければ所得税法上も成り立ち得ないはずである。それでも、昭和50年最判後の改正により追加挿入された所得税基本通達33-1の4)の(注)1で、下記【ⓐ】のとおり(下線筆者)財産分与につき「贈与ではない」という当然のことが注記されたこと(相基通9-8本文も参照)からすると、昭和50年最判も、前記のような実質主義的な理解の可能性を認識しながらも(下記【ⓑ】【ⓒ】も参照)その理解によらず、むしろ財産分与に対するみなし譲渡課税を否定するという結論を先取りしその結論を暗黙の前提にして、「資産の譲渡」のうち無償譲渡の場合における譲渡所得課税の帰結として、前記判示中の下線部分の判示を行ったのかもしれない。

【ⓐ】

33-1の4 民法第768条《財産分与》(同法第749条及び第771条において準用する場合を含む。)の規定による財産の分与として資産の移転があった場合には、その分与をした者は、その分与をした時においてその時の価額により当該資産を譲渡したこととなる。(昭50直資3-11、直所3-19追加、平18課資3-6、課個2-11、課審6-5改正)

(注)

1 財産分与による資産の移転は、財産分与義務の消滅という経済的利益を対価とする譲渡であり、贈与ではないから、法第59条第1項《みなし譲渡課税》の規定は適用されない。

2 財産分与により取得した資産の取得費については、38-6参照

【ⓑ】

昭和50年最判の原々審・名古屋地判昭和45年4月11日民集29巻5号649頁には、請求の原因たる事実のうち当事者間に争がない事実として、下記のとおり(下線筆者)、本件原告の離婚調停において相手方代理人が慰謝料的財産分与を贈与と誤解していた事実や一般にもそのような誤解があったという事実が記載されているが、昭和50年最判もそれらの事実を考慮したのかもしれない。

右調停において原告は恭に対する慰藉料として現金1,450万円および長女由香子の養育費として現金360万円を分割して支払うこと並びに本件土地、建物を分与することを承諾したが相手方代理人から「慰藉料の支払を受けても税金はかからないが財産分与として受ければ贈与税が課税されるかもしれないから本件土地、建物の譲渡も慰藉料としてくれ。」と依頼されて調停調書の記載は一括して慰藉料と記載したに過ぎず、実質は財産分与である。右の相手方代理人の配慮は誤解に基づくものであって、慰藉料も財産分与もそれが相当な額でなされるかぎりその受益者について課税されることはなく、その相当な額を超えた場合にその超える部分については名目が慰藉料であっても財産分与であっても贈与による益として課税されることになるのである。一般にも右のような誤解があって離婚に伴う財産の清算を一括して慰藉料の支払と表示することが多いがこれは当事者間の協議の内容、結婚生活の実態、離婚原因に対する責任の度合等を勘案して実質的に慰藉料相当額、財産分与の額を判断すべきものであって、当事者が使用した用語や法律形式に拘泥すべきではない。

【ⓒ】

なお、昭和50年最判の後同年に公表された見解であるが、金子宏『課税単位及び譲渡所得の研究 所得課税の基礎理論 中巻』(有斐閣・1996年)102頁[初出・1975年]は、次のとおり、扶養的財産分与についてこれを贈与と解しみなし譲渡課税の対象とする旨を述べている。

離婚後の扶養のために財産が分与された場合は、資産が贈与されたものと解されるから、所得税法59条1項によって、時価による譲渡があったとみなされることになる。もちろん、この場合、一定の手続をとることによって、右の規定の適用は排除される(同2項)。

みなし譲渡課税に関する昭和50年最判の前記判示の趣旨を以上のように理解するにしても、その判示には別の趣旨もあるように思われるので、Ⅳの最後でその別の趣旨についても検討することにする。

いずれにせよ、財産分与の場合における「譲渡所得課税の趣旨」法理の「独走」をみなし譲渡課税によって防止することはできないという結論には、異論はなかろう。

2 「分与義務の消滅という経済的利益」の所得税法上の意味

では、昭和50年最判は財産分与の場合における「譲渡所得課税の趣旨」法理の「独走」を放置したのかというと、そうではなく、下記のとおり判示して(下線筆者)、その「独走」を防止するための所得税法上の根拠を「分与義務の消滅という経済的利益」という収入金額概念(所税36条1項括弧書)に見出したものと解される。

ところで、夫婦が離婚したときは、その一方は、他方に対し、財産分与を請求することができる(民法786条、771条)。この財産分与の権利義務の内容は、当事者の協議、家庭裁判所の調停若しくは審判又は地方裁判所の判決をまつて具体的に確定されるが、右権利義務そのものは、離婚の成立によつて発生し、実体的権利義務として存在するに至り、右当事者の協議等は、単にその内容を具体的に確定するものであるにすぎない。そして、財産分与に関し右当事者の協議等が行われてその内容が具体的に確定され、これに従い金銭の支払い、不動産の譲渡等の分与が完了すれば、右財産分与の義務は消滅するが、この分与義務の消滅は、それ自体一つの経済的利益ということができる。したがつて、財産分与として不動産等の資産を譲渡した場合、分与者は、これによつて、分与義務の消滅という経済的利益を享受したものというべきである。

この判示にいう「分与義務の消滅という経済的利益」を課税実務は「対価」(所基通33-1の4(注)1)と解し、学説の中にもこれと同様の理解を示す見解(佐藤英明『スタンダード所得税法〔第4版〕』(弘文堂・2024年)89頁等)がある。このような理解によれば、財産分与は有償譲渡として性格づけられることになる。昭和50年最判の調査官解説も、下記のとおり「財産分与の性質ないし内容」に関する解説を補って(下線筆者)上記の判示を敷衍した上で、「本判決は、以上のような観点から、財産分与としてされた資産の譲渡は分与義務の消滅という経済的利益の享受を伴うもの、すなわち、有償譲渡である、と解したわけである。」と解説している(石井・前掲「判解」225頁。下線筆者)。

民法は、夫婦が離婚したときは、その一方は他方に対し財産分与を請求することができる、と定める(768条、771条)。財産分与の性質ないし内容については多くの議論が存するところであるが、判例は、(イ)婚姻中に蓄積された夫婦共通財産の清算と(ロ)離婚後の生活に困窮する相手方配偶者の扶養とを中核的内容とし、このほかに、(ハ)離婚に基づく損害賠償(慰謝料)の要素をも含みうる、と解している。この財産分与の具体的内容、すなわち、分与の額及び方法は、当事者の協議、家庭裁判所の調停若しくは審判又は地方裁判所の判決によって確定されるが、財産分与の権利義務そのものは、離婚の成立によって発生し、実体的権利義務として存在するに至り、右当事者の協議等は、単にその内容を具体的に確定するものであるにすぎない。そして、財産分与に関し右当事者の協議等が行われてその内容が具体的に確定され、これに従い金銭の支払い、不動産の譲渡等の分与が完了すれば、右財産分与の義務は消滅するが、この分与義務の消滅は、それ自体一つの経済的利益ということができる。

ただ、上記の解説について注意すべきは、財産分与を有償譲渡とみるか又は無償譲渡とみるかという論点の設定に当たって、次のとおり述べていることである(石井・前掲「判解」224-225頁。下線筆者)。

論点の第2は、財産分与としての資産の譲渡は対価の受入れを伴うものといえるかどうか、すなわち、有償譲渡か、無償譲渡か、という点である。財産分与によって分与者が積極的に金銭、物又は権利を対価として取得するものでないことは、明らかである。そこで、問題は、財産分与によって分与者になんらかの経済的利益の享受があるといえるかという点にある。

この解説については、「積極的に金銭、物又は権利を対価として取得するもの」と「なんらかの経済的利益の享受」とを明確に区別していることが注目される。このことは収入金額(所税36条1項)の形態による区別を示したものにすぎないとみることもできるかもしれないが、ただ、前者について「取得」の根拠ないし態様を「対価として」に限定していることに加え、先の引用部分(「財産分与としてされた資産の譲渡は分与義務の消滅という経済的利益の享受を伴うもの、すなわち、有償譲渡である」)をも考え合わせると、調査官解説は、「積極的に金銭、物又は権利を対価として取得するもの」を伴わないが「なんらかの経済的利益の享受」を伴うものをも「有償譲渡」と呼んでいると解される。

「有償譲渡」に関するこのような用語法(以下「広義の有償譲渡」という)は、前記の課税実務や学説の用語法とは異なるものであるように思われる。「積極的に金銭、物又は権利を対価として取得するもの」を伴う譲渡を「有償譲渡」と呼ぶのが「有償譲渡」に関する通常の用語法(以下「狭義の有償譲渡」という)であると思われるが(前掲拙著【299】参照)、これと異なる調査官解説の用語法をいかに理解すべきであろうか。この点については、以下のように考えるところである。

調査官解説のいう「有償譲渡」(広義の有償譲渡)は、「対価」を伴わない譲渡をも含むものであるが、調査官解説が財産分与を「分与義務の消滅という経済的利益の享受を伴うもの」とみて「有償譲渡」と呼ぶ場合、それは「対価」を伴わない譲渡であっても「収入金額」(所税36条1項括弧書)は伴う譲渡であると解される。

そもそも、「対価」と「収入金額」とは所得税法においては異なる概念である(前掲拙著【299】参照)。「対価」は常に「収入金額」を構成するが、「収入金額」は、所得税法上「労務その他の役務の提供又は資産の譲渡の対価としての性質を有しない」一時所得(所税34条1項。下線筆者)についても観念し得るものとされていること(同条2項参照)からしても、「対価」を伴わない譲渡であっても「収入金額」を伴う場合があるのである。そのような場合における「資産の譲渡」は、通常の用語法(狭義の有償譲渡に対応する用語法)によれば、「無償譲渡」と呼ぶのが適切であるように思われるが、調査官解説は、通常の用語法によらず、そのような場合における「資産の譲渡」をも「有償譲渡」と呼んだものと解されるのである。

以上のように考えると、「有償譲渡」に関する用語法について特段の断りなく「有償譲渡」という語を用いている点では若干疑問は残るものの、その点は措くとして、昭和50年最判の理解については、調査官解説に従い、同最判は、財産分与が「資産の譲渡」(所税33条1項)に該当し、かつ、これによる所得(譲渡所得)に係る総収入金額(同条3項)に「分与義務の消滅という経済的利益」が該当する(所税36条1項括弧書参照)として、その経済的利益を「享受」(同条2項)する財産分与者に対する譲渡所得課税を認め(清永敬次『税法〔新装版〕』(ミネルヴァ書房・2013年)94頁参照)、もって財産分与の場合における「譲渡所得課税の趣旨」法理の「独走」を防止したものと解される。

このような理解によれば、昭和50年最判に対する竹下弁護士の批判(前記Ⅰ参照)の矛先が向けられた問題、すなわち、財産分与の場合に(譲渡所得の実定法的意義に基づく)譲渡所得課税❷の根拠となる所得税法の規定の欠缺の問題は、同最判による所得税法の解釈によれば、存在しなかったことになると考えられる。つまり、同最判においては、「譲渡所得課税の趣旨」法理の「独走」はなかったといってよかろう。既に述べたように、同最判は譲渡所得課税❷の根拠を所得税法36条1項の定める収入金額概念に見出し、財産分与の時における「分与義務の消滅という経済的利益」という収入金額の「享受」をもって財産分与者に対する譲渡所得課税❷を認めたものと解されるのである。

3 「分与義務の消滅という経済的利益」の法律構成

財産分与者に対する譲渡所得課税につき昭和50年最判のいう「分与義務の消滅という経済的利益」の所得税法上の意味を以上のように理解する場合、それをどのように法律構成するかも問題になる。

財産分与を「財産分与義務の消滅という経済的利益を対価とした有償譲渡」(佐藤・前掲書89頁)と解する佐藤英明教授は、その法律構成について、次のとおり説いておられる(佐藤・前掲論文44-45頁。下線筆者。渋谷雅弘「離婚時における財産分与と課税」野田愛子=梶村太市総編集・小田八重子=水野紀子編『新家族法実務大系 第1巻 親族[Ⅰ]―婚姻・離婚―』(新日本法規出版・2008年)526頁、529頁も参照)。

ここで昭和50年最判のロジックを確認すると、「離婚の成立によつて発生し、実体的権利義務として存在するに至」った財産分与債務の、「不動産等[ママ]の譲渡等の分与の[ママ]完了」による消滅を経済的利益と考えるのであるから、それは、離婚により成立した(1個の)法定債務たる財産分与債務の不動産の引き渡しによる消滅を経済的利益としていることになる。この考え方は、資産の引き渡しによる財産分与を、いわば法定債務の代物弁済と構成するものと言えよう。

以上の検討から、昭和50年最判は法定債務の代物弁済的構成により財産分与から譲渡所得が発生するものとしたものであり、解釈論として成立しうる考え方であると評価できよう。

確かに、財産分与債務は佐藤教授の説かれるとおり法定債務である。このことは、昭和50年最判も「右[財産分与に係る]権利義務そのものは、離婚の成立によつて発生し、実体的権利義務として存在するに至[る]」として判示するところである。

しかし、法定債務の代物弁済的構成は、民法が定める代物弁済(482条)の構造(「債務者の負担した給付に代えて他の給付をすること」)に照らしてみると、そもそも論理的に成り立たないように思われる。すなわち、法定債務としての財産分与債務において「債務者の負担した給付」とはどのような給付をいうのか、及び「当事者の協議、家庭裁判所の調停若しくは審判又は地方裁判所の判決をまつて具体的に確定される」(昭和50年最判)財産分与債務に係る給付が「不動産の譲渡等の分与」(同)であるとして、これを「他の給付」といえるかどうかという点を考えると、前者の「債務者の負担した給付」は抽象的・不確定な意味での財産分与であり、これが具体的に確定されて行われた「給付」(具体的・確定的な意味での財産分与)が「不動産の譲渡等の分与」であるから、これを「他の給付」ということはできないように思われるのである。抽象的・不確定な債務を、これを具体的に確定した債務に係る給付によって消滅させることは、「代物弁済」とはいわないであろう。

しかも、法定債務には、約定債務とは異なり、対価支払債務の履行を要求する意思の要素は含まれておらず、それ故、そのような意思の拘束力からの解放に伴う「代償」すなわち対価を観念することはできないのであるから、財産分与は、経済的利益発生の構造の点では、代物弁済ではなく債務免除と比較すべきであり、後者に類する構造に基づく法律構成(債務免除的法律構成)により「分与義務の消滅という経済的利益の享受」の意味を明らかにすべきであろう(前掲拙著【278】参照)。

この点については、「法定債務の消滅に『対価』を観念しえないとしても、資産を手放して債務の消滅益を受ける点で、財産分与は、債権者の一方的意思表示によって行なわれる債務免除よりも、代物弁済に似ているように感じられる。」(佐藤・前掲論文45頁脚注(28))との感じ方もあるが、民法が離婚に伴う義務として法定した財産分与債務(768条1項)の履行につきその枠組み・手続を「一方的に」法定していること(同条2項・3項)からして、その枠組み・手続に従って行われる「不動産の譲渡等の分与」は、代物弁済(民482条)のように当事者の自由意思による双務契約に基づくものというよりは、債務免除という片務行為としての構成に馴染みやすいように感じられる。

 

Ⅲ 清算的財産分与の「資産の譲渡」該当性否定説と夫婦別産制

ところで、昭和50年最判の調査官解説は、先に引用したとおり、「財産分与の性質ないし内容については多くの議論が存するところであるが、判例[=最判昭和46年7月23日民集25巻5号805頁]は、(イ)婚姻中に蓄積された夫婦共通財産の清算と(ロ)離婚後の生活に困窮する相手方配偶者の扶養とを中核的内容とし、このほかに、(ハ)離婚に基づく損害賠償(慰謝料)の要素をも含みうる、と解している。」(石井・前掲「判解」225頁)と述べているが、その上で、「このうち扶養及び慰謝料の性質を有する財産分与の場合資産の移転が存することについては異論がない。問題は、清算の性質を有する財産分与の場合であり、肯定・否定の両説がある。」(同226頁)と述べ、清算的財産分与の「資産の譲渡」(所税33条1項)該当性に関する否定説を検討し、肯定説を支持する旨を述べている(同226-227頁参照)。

そこで否定説として検討されている金子宏教授の見解(以下「金子説」という)を原典に即してそのまま引用すると、次のとおりである(同・前掲書102-103頁[初出・1975年]。下線筆者。同『租税法〔第24版〕』(弘文堂・2021年)267-268頁参照)。

我妻栄博士が指摘しておられるように、民法768条の財産分与の請求は、夫婦共通財産の清算、離婚による損害の賠償、離婚後の扶養の3つを含むと解される。このうち、離婚による損害の賠償、すなわち慰謝料の意味でなされる財産の分与が資産の譲渡に当り、譲渡所得を発生させることは、前述のとおりである。また、離婚後の扶養のために財産が分与された場合は、資産が贈与されたものと解されるから、所得税法59条1項によって、時価による譲渡があったとみなされることになる。もちろん、この場合、一定の手続をとることによって、右の規定の適用は排除される(同2項)。これに対し、夫婦共通財産の清算の意味で財産が分与された場合は、その実質は共有財産の分割であって、資産の譲渡に当らないと解される。右に引用した最高裁判所の判決[=昭和50年最判]は、財産の分与によって分与義務の消滅という経済的利益が生ずることを強調している。これは、資産の譲渡が仮にあったとした場合に、それが有償であるかどうか、有償であるとした場合に譲渡による収入金額はいくばくであるか、を論ずる上では必要なことであるが、しかしその前提として、この場合に資産の譲渡があるといえるのかどうかが、まず検討されなければならないのである。婚姻係属中に蓄積された財産は、夫婦のいずれの名義になっていても,実質的には夫婦の共有とみるべきものである。したがって、夫の名義となっている財産に対して、妻は潜在的な持分をもっていると考えてよい。夫婦共有財産の清算の意味における財産分与は、この潜在的持分に着目し,潜在的持分に応じて共有財産を分割する手続にほかならないと考えられる。とするならば、この場合、形式的には、夫の所有する財産が妻に移転するように見えても、その実質は、妻の潜在的権利を顕在化させ、それを正式に妻に帰属させることであるから、そこには資産の譲渡は存在しないと解すべきではなかろうか。我妻博士も、財産分与請求権の中心的思想が「夫婦共同生活中において夫婦が協力して取得した資産は共有とみなしてこれを清算すべしとする思想」であることを強調しておられる。その意味で、右の最高裁判所の判決には問題が多いと思われる。

尤も、このように解した場合に、分与された財産のうち、どれだけがこの意味における分与であるかを判定することは、決して容易ではない。何らかの立法的手当が必要であろう。

金子説は、その後、学説上多くの支持を集めてきた(佐藤・前掲論文31頁、渋谷・前掲論文529頁、遠藤みち『両性の平等をめぐる家族法・税・社会保障 戦後70年の軌跡を踏まえて』(日本評論社・2016年)71頁、浅妻章如「離婚・死別と租税法」金子宏監修・中里実ほか編集代表・佐藤英明ほか編『現代租税法講座 第2巻 家族・社会』(日本評論社・2017年)89頁、99頁等参照)。ただ、そうはいっても、「金子説の残した問題」として、「今後変わる見込みのない確立した判例を前提とした、財産分与時の課税関係のあり方に関する議論が進みにくい状況が出現していたこと」(佐藤・前掲論文40頁)は認めざるを得ないであろう。

このように昭和50年最判が「今後変わる見込みのない確立した判例」といわれるのは、民法762条1項(夫婦別産制)とこれを合憲とした最大判昭和36年9月6日民集15巻8号2047頁(以下「昭和36年最大判」という)の存在によるものと思われる。この判決は、憲法24条を「民主主義の基本原理である個人の尊厳と両性の本質的平等の原則を婚姻および家族の関係について定めたもの」、「夫と妻との間に、夫たり妻たるの故をもつて権利の享有に不平等な扱いをすることを禁じたもの」、「継続的な夫婦関係を全体として観察した上で、婚姻関係における夫と妻とが実質上同等の権利を享有することを期待した趣旨の規定」と解した上で、民法762条1項について次のとおり判示した(下線筆者)。

次に、民法762条1項の規定をみると、夫婦の一方が婚姻中自己の名で得た財産はその特有財産とすると定められ、この規定は夫と妻の双方に平等に適用されるものであるばかりでなく、所論のいうように夫婦は一心同体であり一の協力体であつて、配偶者の一方の財産取得に対しては他方が常に協力、寄与するものであるとしても、民法には、別に財産分与請求権、相続権ないし扶養請求権等の権利が規定されており、右夫婦相互の協力、寄与に対しては、これらの権利を行使することにより、結局において夫婦間に実質上の不平等が生じないよう立法上の配慮がなされているということができる。しからば、民法762条1項の規定は、前記のような憲法24条の法意に照らし、憲法の右条項に違反するものということができない。

昭和50年最判の判断対象である財産分与に関して昭和36年最大判を判示をみると、同最大判は、財産分与を「夫婦間に実質上の不平等が生じないよう」にするための「立法上の配慮」措置として捉えているが、その趣旨を受けて、「確かに、離婚の際は、財産分与の清算的要素に関して、・・・・・・実質的共有説に基づき、夫の給料であろうと婚姻中に形成・蓄積されたものは、夫婦財産として清算対象(分割割合は2分の1)とする家裁実務が定着している」(犬伏由子「判批」別冊ジュリスト239号(民法判例百選Ⅲ 親族・相続〔第2版〕・2018年)22頁、23頁)といわれている。

しかし、そのような家裁実務は「あくまでも家庭裁判所の裁量性に委ねられた結果にすぎない」(犬伏・前掲「判批」23頁)のであって、それが依拠する実質的共有説も、「別産別管理制のもとで、夫の収入は夫のものであるという原則を覆すものではない」(松川正毅「離婚は愛の終焉か」家族〈社会と法〉41号(2025年)1頁、4頁)のである。

このことを昭和36年最大判に立ち返っていえば、同最大判のいう「民主主義の基本原理である個人の尊厳と両性の本質的平等の原則」は、民法762条においては、「人の財産的独立という財産法的規律」(松川・前掲論文4頁)ないし「個を中心にした冷徹な法」(同5頁)として具体化され、その結果、「財産関係に関して夫婦の生活の共同性と平等性は、個人の自立性や独立性の背後に隠れてしまっている。民法典の中では財産法的な、人(個人)の自律性、独立性を前提とした規律と、団体の法の規律二分の中にあって、夫婦として、また家族としての愛情に基づくまとまり(団体)としての特質への配慮が、わが国の民法では疎かになっているように思われる。」(同4頁)といってよかろう。

金子説については、「民法(家族法)の分野の学説が指向していた離婚時の『妻』の保護の拡充を租税法の分野でも支持することに、もっとも大きな意義があったと思われる」(佐藤・前掲論文39頁)という積極的かつ肯定的な評価がされているが、ただ、民法762条は「夫婦財産関係にかんして完全な別産制を採用し、財産法的帰属原理を修正するものではないと一般に解されている」(青山道夫=有地亨編『新版注釈民法(21) 親族(1)』(有斐閣・1989年)458頁[有地亨執筆])以上、これと適合的な所得税法上の個人単位主義(昭和36年最大判参照)の下では、「離婚時の妻の経済的立場を強化しようとした金子説の実践的な意図」(同40頁)に基づき所得税法33条の解釈により清算的財産分与の「資産の譲渡」該当性を否定するのは困難であり、租税法律主義の下では、やはり、その旨の別段の定めが必要であろう(清永・前掲書96頁注(12)も参照)。

ただ、清算的財産分与として不動産等の資産が分与される場合、当該資産に増加益(キャピタル・ゲイン)が含まれている場合があることを考慮すると、清算的財産分与の「資産の譲渡」該当性否定説をそのまま実定法化することは、立法政策として妥当でないであろう。「譲渡所得課税の趣旨」法理という確立された判例法理を立法論においても尊重するのが妥当であることからすると、「結局のところ、財産分与がキャピタルゲインに対する課税タイミングとして適当であるか否かという実質論が、重要なのではないか。」(渋谷・前掲論文530頁)という指摘は、立法論において傾聴すべきものである。

そうすると、立法論においては、清算的財産分与の「資産の譲渡」該当性肯定説の立場に立ちつつ、財産分与の内容(清算的財産分与、扶養的財産分与及び慰謝料的財産分与)の区分の困難性、扶養義務者相互間における扶養義務の履行としての金品の給付及び慰謝料に対する現行所得税法上の非課税措置(所税9条1項15号柱書、同項18号・所税令30条1号)とのバランス、さらには「『財産を分与した(手放した)側に課税される』という昭和50年最判と課税実務の結論は、一般の納税者の意識と相当程度食い違っており、この点を是正する(制度の姿を納税者の一般的な理解に近づける)ことの利点は大きいと思われる」(佐藤・前掲論文46頁)ことをも考慮して、財産分与を「全体として『1個の』法定債権(債務)」(同43頁)として、個人間の贈与(所税60条1項1号)と同じく課税繰延べの対象とするのが妥当であるように思われる(佐藤・前掲論文46頁参照)。

 

Ⅳ おわりに

以上、今回は、昭和50年最判に対して竹下重人弁護士が譲渡所得の本質論・増加益清算課税説(筆者のいう「譲渡所得課税の趣旨」法理)の「独走」として展開された批判を受けて、譲渡所得課税に関する「趣旨内競い合い」の観点から同最判を検討した。その結果、昭和50年最判は、譲渡所得の本質論の「独走」を放置したものではなく、「分与義務の消滅という経済的利益」を収入金額として「享受」する財産分与者に対する譲渡所得課税を認め、もって財産分与の場合における「譲渡所得課税の趣旨」法理の「独走」を防止したものであると結論づけた。

そうすると、昭和50年最判に対する竹下弁護士の上記の批判は的を射たものとはいえないことになるが、それでも、竹下弁護士が上告理由の中で財産分与を「片務・無償行為」として捉えた理解は、同最判を支持する課税実務や学説による「有償譲渡」とする理解や「代物弁済的構成」とは異なり、正鵠を射たものであると考えるところである。今回の検討により、財産分与は、無償行為であるが「分与義務の消滅という経済的利益」という収入金額を伴うものであり、その「経済的利益」の法律構成としては財産分与を片務行為とみる債務免除的構成が妥当であることを明らかにした(前記Ⅱ2・3参照)。

そうすると、財産分与を「片務・無償行為」とする理解は、昭和50年最判に対する批判の決定的な論拠とはならないように思われる。そのような理解が昭和50年最判に対する批判の論拠として妥当性を欠いたのは、むしろ、竹下弁護士が譲渡所得の本質論を譲渡益課税説に基づいて捉えた上で、資産の譲渡に関する所得税法33条1項=有償譲渡・59条1項=無償譲渡という理解に基づき論旨を展開したからではないかと考えられる。

資産の譲渡に関する上記の理解は、「譲渡所得課税の趣旨」判決・最判昭和43年10月31日訟月14巻12号1442頁(以下「昭和43年最判」という。前回Ⅰ・Ⅱ参照)の下記の判示(下線筆者)を受けて示された理解(岡村忠生「判批」別冊ジュリスト120号(租税判例百選〔第3版〕・1992年)60頁、61頁のほか、同最判の原々審・浦和地判昭和39年1月29日行集15巻1号105頁に関する吉良実「判批」別冊ジュリスト17号(租税判例百選〔初版〕・1968年)82頁、83頁も参照)と同様のものであるように思われる。

ところで、譲渡所得に対する課税は、原判決引用の第一審判決の説示するように、資産の値上りによりその資産の所有者に帰属する増加益を所得として、その資産が所有者の支配を離れて他に移転するのを機会に、これを清算して課税する趣旨のものと解すべきであり、売買交換等によりその資産の移転が対価の受入を伴うときは、右増加益は対価のうちに具体化されるので、これを課税の対象としてとらえたのが旧所得税法(昭和22年法律第27号、以下同じ。)9条1項8号[現行33条1項]の規定である。

そして対価を伴わない資産の移転においても、その資産につきすでに生じている増加益は、その移転当時の右資産の時価に照らして具体的に把握できるものであるから、同じくこの移転の時期において右増加益を課税の対象とするのを相当と認め、資産の贈与、遺贈のあった場合においても、右資産の増加益は実現されたものとみて、これを前記譲渡所得と同様に取り扱うべきものとしたのが同法5条の2[=現行59条1項]の規定なのである。されば、右規定は決して所得のないところに課税所得の存在を擬制したものではなく、またいわゆる応能負担の原則を無視したものともいいがたい。《以下略》

しかし、資産の譲渡に関する所得税法33条1項=有償譲渡・59条1項=無償譲渡という理解は、上記最判の判示内容の理解としては正確さを欠くように思われる。このことは、昭和50年最判の調査官解説による下記の解説(石井・前掲「判解」223-224頁。下線筆者)から読みとることができるように思われる。

しかしながら、右59条1項は、同法36条1項にいう「別段の定め」として、譲渡所得等についてその所得金額の計算上総収入金額に算入すべき金額の算定方法の特例を定めた規定である。このことは、右59条1項が同法第2章第2節第5款「資産の譲渡に関する総収入金額・・・・・・の計算の特例、、、、、」(傍点は筆者)中に位置していること及び同条項中に「譲渡所得の金額・・・・・・の計算について、、、、、・・・・・・みなす」(傍点は筆者)との文言があることに照らし明らかである。そして、同法36条1、2項とあわせ理解するならば、右59条1項が同項1号所定の事由による資産の無償譲渡があった場合には時価による譲渡があったものとみなす旨を定めている趣旨は、同法33条1項にいう「資産の譲渡」は有償譲渡のみならず無償譲渡をも含むものであり、無償譲渡の場合にも譲渡所得が発生することを前提として、ただ、無償譲渡の場合には、収入すべきもの、すなわち、対価として受け入れるべきものがないため、右36条1、2項の規定によっては譲渡所得の金額の計算上総収入金額に算入すべき金額を算定することができないところから、当該譲渡が時価によってされたものとみなして総収入金額を算定すべき旨を定めたもの、すなわち、総収入金額に算入すべき金額を擬制したものと解するのが、その文理にもっともよく即した解釈であると思われる。本判決が「右59条1項・・・・・・が譲渡所得の総収入金額の計算に関する特例規定であって、所得のないところに課税譲渡所得の存在を擬制したものでないことは、その規定の位置及び文言に照らし、明らかである。」と判示しているのも、以上の趣旨を述べたものと理解される。

上記の解説にいう「有償譲渡」は広義の有償譲渡、すなわち、対価は伴わないが収入金額を伴う譲渡を意味するものと解されることについては前記Ⅱ2で述べたところであるが、この理解によれば、上記の解説にいう「無償譲渡」は、対価だけでなく収入金額も伴わない譲渡を意味することになる。このような用語法は、収入金額の有無と切り離して「資産の譲渡」の意義を理解する考え方に基づくものであると考えられ、筆者の用語法とは異なるものである。筆者は、「有償譲渡」に関する通常の用語法に従い、対価を伴う譲渡を「有償譲渡」と呼び、これに呼応して、対価を伴わない譲渡を「無償譲渡」と呼ぶことにした上で、「無償譲渡」のうち収入金額を伴うものを所得税法33条1項が規定し、収入金額を伴わないものを同法59条1項が規定していると解するものである(前記Ⅱ2、前掲拙著【278】参照)。

このようにみてくると、調査官解説と筆者は、「有償譲渡」及び「無償譲渡」に関する用語法を異にするものの、共に、竹下弁護士による資産の譲渡の理解(資産の譲渡に関する所得税法33条1項=有償譲渡・59条1項=無償譲渡という理解)とは異なり、所得税法33条1項にいう「資産の譲渡」に「無償譲渡」が全部(調査官解説)又は一部(筆者)含まれると理解するものであり、同法59条1項については有償譲渡擬制説ではなく収入金額擬制説の立場に立つものである(筆者については前掲拙著【285】参照)といってよかろう。

最後に、調査官解説について附言すると、前記引用の末尾における解説は、みなし譲渡課税に関する昭和50年最判の判示の趣旨には、前記Ⅱ1で筆者の理解として述べた趣旨とは別に、「譲渡所得課税の趣旨」法理と「資産の譲渡」に関する適用法規との関係について昭和43年最判が示した考え方に関する竹下弁護士の上告理由にみられるような「誤解」を解消する趣旨が含まれていることを示そうとするものであると解される。すなわち、昭和50年最判は、そのような「誤解」を解消するために、所得税法33条1項にいう「資産の譲渡」に「無償譲渡」が含まれることは「譲渡所得課税の趣旨」法理からの帰結であること及び同法59条1項は「無償譲渡」につき収入金額を擬制する規定であることを示そうとしたものであると解されるのである。

なお、ここで示された「無償譲渡」の意義に関する理解は、昭和48年改正によってみなし譲渡課税の対象から除外され取得費等の引継規定の対象とされた「贈与」(所税60条1項1号)には、贈与者に経済的な利益を生じさせる負担付贈与は含まれないとした最判昭和63年7月19日判時1290号56頁において、踏襲されているように思われる。この判決は、みなし譲渡課税に関する収入金額擬制説を前提にして、これと表裏の関係にある取得費等の引継規定にいう「贈与」について、収入金額に該当する経済的利益を伴わない「無償譲渡」に限る旨の解釈を示したものと解される。

(了)

この連載の公開日程は、下記の連載目次をご覧ください。

谷口教授と学ぶ

税法基本判例

【第56回】

「「譲渡所得課税の趣旨」法理の「独走」とその解釈論的防止」

-財産分与者譲渡所得課税[名古屋医師]事件・最判昭和50年5月27日民集29巻5号641頁-

 

大阪学院大学法学部教授
谷口 勢津夫

 

Ⅰ はじめに

今回は、前回にも言及した財産分与者譲渡所得課税[名古屋医師]事件・最判昭和50年5月27日民集29巻5号641頁(以下「昭和50年最判」という)を取り上げ、財産分与の場合における「譲渡所得課税の趣旨」法理(前回Ⅰ参照)の「独走」とその解釈論的防止について検討することにする。

本件において第一審・名古屋地裁から納税者の訴訟代理人を務められた竹下重人弁護士は、譲渡所得課税の本質を譲渡差益(譲渡益)に対する課税とみる考え方(以下「譲渡益課税説」という)を第一審から上告審まで一貫して主張された立場から、昭和50年最判が後記Ⅱ1で引用するとおり土地譲渡代金割賦弁済事件・最判昭和47年12月26日民集26巻10号2083頁(以下「昭和47年最判」という)を参照したことを、「増加益清算課税説といわれ」る「譲渡所得の本質論」の「独走」として、次のとおり批判された(竹下重人「判批」別冊ジュリスト79号(租税判例百選〔第2版〕・1983年)76頁、77頁。下線筆者。なお、増加益清算課税説が「譲渡所得課税の趣旨」法理に相当することについては前回Ⅰ参照)。

譲渡所得の実体は何か、それは何故課税の対象となりうるか、という議論としてであれば増加益清算課税説にしいて異を称えるものではない。しかし、本質的に所得といわれうるものを、現実の課税所得として捉えるためには課税標準算定へのすじ道が明文に示されているべきことは、租税法律主義にてらし、当然のことである。だからこそ、所得税法は33条1項で譲渡所得の定義を、同条3項で金額の計算を明記したのである。同条1項にいう「資産の譲渡は有償・無償を問わない」としても、その譲渡に収入金額が伴わなければ、現実の課税所得は存在しないことに帰する。

竹下弁護士の上記批判は、「譲渡所得課税の趣旨」法理に内在する「趣旨内競い合い」(前回Ⅱ参照)の観点からみると、(譲渡所得の本質的意義(理論[包括的所得概念論]的意義)に基づく)譲渡所得課税❶に異を称えるものではなく、財産分与の場合に(譲渡所得の実定法的意義に基づく)譲渡所得課税❷の根拠となる所得税法の規定の欠缺を問題にし、そのような所得税法の規定に基づくことなく財産分与に対する譲渡所得課税を認めることに対して、このことを譲渡所得の本質論(増加益清算課税説・「譲渡所得課税の趣旨」法理)の「独走」とみて、異を称えるものであると解することができよう。そうすると、この批判の当否は、結局のところ、昭和50年最判の判断を所得税法の解釈によって導き出したものと認めるか否かにかかっていることになろう。

昭和50年最判については、これまで様々な議論がされてきたが(最近における総括的な研究業績として佐藤英明「離婚時の財産分与をめぐる夫婦の課税関係」日税研論集86号(『金子租税法学の回顧と継承―金子宏先生追悼論文集―』・2025年)31頁参照)、筆者も拙著『税法基本講義〔第8版〕』(弘文堂・2025年)【278】における解説等を通じて「不思議判例」(拙著『税法基本判例Ⅰ』(清文社・2023年)はしがき)の1つとして検討を重ねてきたところである。今回は、前回検討した譲渡所得課税に関する「趣旨内競い合い」の観点から、昭和50年最判の意義を明らかにすることにしたい。

なお、財産分与の法的性質・内容について、民法では、「夫婦財産の清算的要素(清算的財産分与)」、「扶養あるいは補償的要素(扶養〔補償〕的財産分与)」及び「慰謝料的要素(慰謝料的財産分与)」に区分して解説・議論がされること(差し当たり島津一郎=阿部徹編『新版注釈民法(22) 親族(2)』(有斐閣・2008年)193-198頁[犬伏由子執筆]参照)から、以下の検討では、これに倣い、それぞれを清算的財産分与、扶養的財産分与及び慰謝料的財産分与と呼ぶことにする。

 

Ⅱ 「譲渡所得課税の趣旨」法理の「独走」の解釈論的防止

1 みなし譲渡課税に関する判示の趣旨

昭和50年最判を「不思議判例」と考える所以は、1つには、その冒頭の下記の判示(下線筆者)にある。同最判はその冒頭において、「譲渡所得課税の趣旨」法理を「当裁判所の判例」とした昭和47年最判を参照して同法理を判示し(石井健吾「判解」最判解民事篇(昭和50年度)217頁、222頁は「譲渡所得課税の趣旨」を「判例上は既に解決された問題」とする)、同法理に基づき「資産の譲渡」(所税33条1項)の意義を明らかにした。

譲渡所得に対する課税は、資産の値上りによりその資産の所有者に帰属する増加益を所得として、その資産が所有者の支配を離れて他に移転するのを機会に、これを清算して課税する趣旨のものであるから、その課税所得たる譲渡所得の発生には、必ずしも当該資産の譲渡が有償であることを要しない(最高裁昭和41年(行ツ)第102号同47年12月26日第三小法廷判決・民集26巻10号2083頁参照)。したがつて、所得税法33条1項にいう「資産の譲渡」とは、有償無償を問わず資産を移転させるいつさいの行為をいうものと解すべきである。そして、同法59条1項(昭和48年法律第8号による改正前のもの)が譲渡所得の総収入金額の計算に関する特例規定であつて、所得のないところに課税譲渡所得の存在を擬制したものでないことは、その規定の位置及び文言に照らし、明らかである。

上記の判示のうち「有償無償を問わず資産を移転させるいつさいの行為」を「資産の譲渡」と解する部分については、財産分与を有償譲渡とみるか又は無償譲渡とみるかが論点となる。この論点それ自体も筆者が昭和50年最判を「不思議判例」と考える理由の1つではあるが、上記の部分に続く「そして」以下の下線部分については、「そして」で接続することの意味も含めその部分を判示することの趣旨も俄には理解し難いように思われる。

ただ、本件当時の所得税法59条1項(「昭和48年法律第8号による改正前のもの」)においては、個人間の贈与もみなし譲渡課税の対象とされていたことからすると、前記の判示のうちみなし譲渡課税に関する判示(「そして」以下の下線部分)は、「資産の譲渡」(所税33条1項)に無償譲渡が含まれるというその前の部分の判示を前提にして、財産分与を贈与と同じく無償譲渡とみることにすれば、「譲渡所得課税の趣旨」法理の「独走」をみなし譲渡課税によって防止すること(前回Ⅱ参照)ができるのではないかという想定の下で示した判断であるという理解も成り立ち得るかもしれない。

しかし、財産分与と贈与が異なる概念(民768条、549条)であることは民法上は当然のことといってよいが、そうである以上、上記のような理解は、税法上は経済的実質主義(前掲拙著【42】【57】参照)によるのであれば格別、そうでなければ所得税法上も成り立ち得ないはずである。それでも、昭和50年最判後の改正により追加挿入された所得税基本通達33-1の4)の(注)1で、下記【ⓐ】のとおり(下線筆者)財産分与につき「贈与ではない」という当然のことが注記されたこと(相基通9-8本文も参照)からすると、昭和50年最判も、前記のような実質主義的な理解の可能性を認識しながらも(下記【ⓑ】【ⓒ】も参照)その理解によらず、むしろ財産分与に対するみなし譲渡課税を否定するという結論を先取りしその結論を暗黙の前提にして、「資産の譲渡」のうち無償譲渡の場合における譲渡所得課税の帰結として、前記判示中の下線部分の判示を行ったのかもしれない。

【ⓐ】

33-1の4 民法第768条《財産分与》(同法第749条及び第771条において準用する場合を含む。)の規定による財産の分与として資産の移転があった場合には、その分与をした者は、その分与をした時においてその時の価額により当該資産を譲渡したこととなる。(昭50直資3-11、直所3-19追加、平18課資3-6、課個2-11、課審6-5改正)

(注)

1 財産分与による資産の移転は、財産分与義務の消滅という経済的利益を対価とする譲渡であり、贈与ではないから、法第59条第1項《みなし譲渡課税》の規定は適用されない。

2 財産分与により取得した資産の取得費については、38-6参照

【ⓑ】

昭和50年最判の原々審・名古屋地判昭和45年4月11日民集29巻5号649頁には、請求の原因たる事実のうち当事者間に争がない事実として、下記のとおり(下線筆者)、本件原告の離婚調停において相手方代理人が慰謝料的財産分与を贈与と誤解していた事実や一般にもそのような誤解があったという事実が記載されているが、昭和50年最判もそれらの事実を考慮したのかもしれない。

右調停において原告は恭に対する慰藉料として現金1,450万円および長女由香子の養育費として現金360万円を分割して支払うこと並びに本件土地、建物を分与することを承諾したが相手方代理人から「慰藉料の支払を受けても税金はかからないが財産分与として受ければ贈与税が課税されるかもしれないから本件土地、建物の譲渡も慰藉料としてくれ。」と依頼されて調停調書の記載は一括して慰藉料と記載したに過ぎず、実質は財産分与である。右の相手方代理人の配慮は誤解に基づくものであって、慰藉料も財産分与もそれが相当な額でなされるかぎりその受益者について課税されることはなく、その相当な額を超えた場合にその超える部分については名目が慰藉料であっても財産分与であっても贈与による益として課税されることになるのである。一般にも右のような誤解があって離婚に伴う財産の清算を一括して慰藉料の支払と表示することが多いがこれは当事者間の協議の内容、結婚生活の実態、離婚原因に対する責任の度合等を勘案して実質的に慰藉料相当額、財産分与の額を判断すべきものであって、当事者が使用した用語や法律形式に拘泥すべきではない。

【ⓒ】

なお、昭和50年最判の後同年に公表された見解であるが、金子宏『課税単位及び譲渡所得の研究 所得課税の基礎理論 中巻』(有斐閣・1996年)102頁[初出・1975年]は、次のとおり、扶養的財産分与についてこれを贈与と解しみなし譲渡課税の対象とする旨を述べている。

離婚後の扶養のために財産が分与された場合は、資産が贈与されたものと解されるから、所得税法59条1項によって、時価による譲渡があったとみなされることになる。もちろん、この場合、一定の手続をとることによって、右の規定の適用は排除される(同2項)。

みなし譲渡課税に関する昭和50年最判の前記判示の趣旨を以上のように理解するにしても、その判示には別の趣旨もあるように思われるので、Ⅳの最後でその別の趣旨についても検討することにする。

いずれにせよ、財産分与の場合における「譲渡所得課税の趣旨」法理の「独走」をみなし譲渡課税によって防止することはできないという結論には、異論はなかろう。

2 「分与義務の消滅という経済的利益」の所得税法上の意味

では、昭和50年最判は財産分与の場合における「譲渡所得課税の趣旨」法理の「独走」を放置したのかというと、そうではなく、下記のとおり判示して(下線筆者)、その「独走」を防止するための所得税法上の根拠を「分与義務の消滅という経済的利益」という収入金額概念(所税36条1項括弧書)に見出したものと解される。

ところで、夫婦が離婚したときは、その一方は、他方に対し、財産分与を請求することができる(民法786条、771条)。この財産分与の権利義務の内容は、当事者の協議、家庭裁判所の調停若しくは審判又は地方裁判所の判決をまつて具体的に確定されるが、右権利義務そのものは、離婚の成立によつて発生し、実体的権利義務として存在するに至り、右当事者の協議等は、単にその内容を具体的に確定するものであるにすぎない。そして、財産分与に関し右当事者の協議等が行われてその内容が具体的に確定され、これに従い金銭の支払い、不動産の譲渡等の分与が完了すれば、右財産分与の義務は消滅するが、この分与義務の消滅は、それ自体一つの経済的利益ということができる。したがつて、財産分与として不動産等の資産を譲渡した場合、分与者は、これによつて、分与義務の消滅という経済的利益を享受したものというべきである。

この判示にいう「分与義務の消滅という経済的利益」を課税実務は「対価」(所基通33-1の4(注)1)と解し、学説の中にもこれと同様の理解を示す見解(佐藤英明『スタンダード所得税法〔第4版〕』(弘文堂・2024年)89頁等)がある。このような理解によれば、財産分与は有償譲渡として性格づけられることになる。昭和50年最判の調査官解説も、下記のとおり「財産分与の性質ないし内容」に関する解説を補って(下線筆者)上記の判示を敷衍した上で、「本判決は、以上のような観点から、財産分与としてされた資産の譲渡は分与義務の消滅という経済的利益の享受を伴うもの、すなわち、有償譲渡である、と解したわけである。」と解説している(石井・前掲「判解」225頁。下線筆者)。

民法は、夫婦が離婚したときは、その一方は他方に対し財産分与を請求することができる、と定める(768条、771条)。財産分与の性質ないし内容については多くの議論が存するところであるが、判例は、(イ)婚姻中に蓄積された夫婦共通財産の清算と(ロ)離婚後の生活に困窮する相手方配偶者の扶養とを中核的内容とし、このほかに、(ハ)離婚に基づく損害賠償(慰謝料)の要素をも含みうる、と解している。この財産分与の具体的内容、すなわち、分与の額及び方法は、当事者の協議、家庭裁判所の調停若しくは審判又は地方裁判所の判決によって確定されるが、財産分与の権利義務そのものは、離婚の成立によって発生し、実体的権利義務として存在するに至り、右当事者の協議等は、単にその内容を具体的に確定するものであるにすぎない。そして、財産分与に関し右当事者の協議等が行われてその内容が具体的に確定され、これに従い金銭の支払い、不動産の譲渡等の分与が完了すれば、右財産分与の義務は消滅するが、この分与義務の消滅は、それ自体一つの経済的利益ということができる。

ただ、上記の解説について注意すべきは、財産分与を有償譲渡とみるか又は無償譲渡とみるかという論点の設定に当たって、次のとおり述べていることである(石井・前掲「判解」224-225頁。下線筆者)。

論点の第2は、財産分与としての資産の譲渡は対価の受入れを伴うものといえるかどうか、すなわち、有償譲渡か、無償譲渡か、という点である。財産分与によって分与者が積極的に金銭、物又は権利を対価として取得するものでないことは、明らかである。そこで、問題は、財産分与によって分与者になんらかの経済的利益の享受があるといえるかという点にある。

この解説については、「積極的に金銭、物又は権利を対価として取得するもの」と「なんらかの経済的利益の享受」とを明確に区別していることが注目される。このことは収入金額(所税36条1項)の形態による区別を示したものにすぎないとみることもできるかもしれないが、ただ、前者について「取得」の根拠ないし態様を「対価として」に限定していることに加え、先の引用部分(「財産分与としてされた資産の譲渡は分与義務の消滅という経済的利益の享受を伴うもの、すなわち、有償譲渡である」)をも考え合わせると、調査官解説は、「積極的に金銭、物又は権利を対価として取得するもの」を伴わないが「なんらかの経済的利益の享受」を伴うものをも「有償譲渡」と呼んでいると解される。

「有償譲渡」に関するこのような用語法(以下「広義の有償譲渡」という)は、前記の課税実務や学説の用語法とは異なるものであるように思われる。「積極的に金銭、物又は権利を対価として取得するもの」を伴う譲渡を「有償譲渡」と呼ぶのが「有償譲渡」に関する通常の用語法(以下「狭義の有償譲渡」という)であると思われるが(前掲拙著【299】参照)、これと異なる調査官解説の用語法をいかに理解すべきであろうか。この点については、以下のように考えるところである。

調査官解説のいう「有償譲渡」(広義の有償譲渡)は、「対価」を伴わない譲渡をも含むものであるが、調査官解説が財産分与を「分与義務の消滅という経済的利益の享受を伴うもの」とみて「有償譲渡」と呼ぶ場合、それは「対価」を伴わない譲渡であっても「収入金額」(所税36条1項括弧書)は伴う譲渡であると解される。

そもそも、「対価」と「収入金額」とは所得税法においては異なる概念である(前掲拙著【299】参照)。「対価」は常に「収入金額」を構成するが、「収入金額」は、所得税法上「労務その他の役務の提供又は資産の譲渡の対価としての性質を有しない」一時所得(所税34条1項。下線筆者)についても観念し得るものとされていること(同条2項参照)からしても、「対価」を伴わない譲渡であっても「収入金額」を伴う場合があるのである。そのような場合における「資産の譲渡」は、通常の用語法(狭義の有償譲渡に対応する用語法)によれば、「無償譲渡」と呼ぶのが適切であるように思われるが、調査官解説は、通常の用語法によらず、そのような場合における「資産の譲渡」をも「有償譲渡」と呼んだものと解されるのである。

以上のように考えると、「有償譲渡」に関する用語法について特段の断りなく「有償譲渡」という語を用いている点では若干疑問は残るものの、その点は措くとして、昭和50年最判の理解については、調査官解説に従い、同最判は、財産分与が「資産の譲渡」(所税33条1項)に該当し、かつ、これによる所得(譲渡所得)に係る総収入金額(同条3項)に「分与義務の消滅という経済的利益」が該当する(所税36条1項括弧書参照)として、その経済的利益を「享受」(同条2項)する財産分与者に対する譲渡所得課税を認め(清永敬次『税法〔新装版〕』(ミネルヴァ書房・2013年)94頁参照)、もって財産分与の場合における「譲渡所得課税の趣旨」法理の「独走」を防止したものと解される。

このような理解によれば、昭和50年最判に対する竹下弁護士の批判(前記Ⅰ参照)の矛先が向けられた問題、すなわち、財産分与の場合に(譲渡所得の実定法的意義に基づく)譲渡所得課税❷の根拠となる所得税法の規定の欠缺の問題は、同最判による所得税法の解釈によれば、存在しなかったことになると考えられる。つまり、同最判においては、「譲渡所得課税の趣旨」法理の「独走」はなかったといってよかろう。既に述べたように、同最判は譲渡所得課税❷の根拠を所得税法36条1項の定める収入金額概念に見出し、財産分与の時における「分与義務の消滅という経済的利益」という収入金額の「享受」をもって財産分与者に対する譲渡所得課税❷を認めたものと解されるのである。

3 「分与義務の消滅という経済的利益」の法律構成

財産分与者に対する譲渡所得課税につき昭和50年最判のいう「分与義務の消滅という経済的利益」の所得税法上の意味を以上のように理解する場合、それをどのように法律構成するかも問題になる。

財産分与を「財産分与義務の消滅という経済的利益を対価とした有償譲渡」(佐藤・前掲書89頁)と解する佐藤英明教授は、その法律構成について、次のとおり説いておられる(佐藤・前掲論文44-45頁。下線筆者。渋谷雅弘「離婚時における財産分与と課税」野田愛子=梶村太市総編集・小田八重子=水野紀子編『新家族法実務大系 第1巻 親族[Ⅰ]―婚姻・離婚―』(新日本法規出版・2008年)526頁、529頁も参照)。

ここで昭和50年最判のロジックを確認すると、「離婚の成立によつて発生し、実体的権利義務として存在するに至」った財産分与債務の、「不動産等[ママ]の譲渡等の分与の[ママ]完了」による消滅を経済的利益と考えるのであるから、それは、離婚により成立した(1個の)法定債務たる財産分与債務の不動産の引き渡しによる消滅を経済的利益としていることになる。この考え方は、資産の引き渡しによる財産分与を、いわば法定債務の代物弁済と構成するものと言えよう。

以上の検討から、昭和50年最判は法定債務の代物弁済的構成により財産分与から譲渡所得が発生するものとしたものであり、解釈論として成立しうる考え方であると評価できよう。

確かに、財産分与債務は佐藤教授の説かれるとおり法定債務である。このことは、昭和50年最判も「右[財産分与に係る]権利義務そのものは、離婚の成立によつて発生し、実体的権利義務として存在するに至[る]」として判示するところである。

しかし、法定債務の代物弁済的構成は、民法が定める代物弁済(482条)の構造(「債務者の負担した給付に代えて他の給付をすること」)に照らしてみると、そもそも論理的に成り立たないように思われる。すなわち、法定債務としての財産分与債務において「債務者の負担した給付」とはどのような給付をいうのか、及び「当事者の協議、家庭裁判所の調停若しくは審判又は地方裁判所の判決をまつて具体的に確定される」(昭和50年最判)財産分与債務に係る給付が「不動産の譲渡等の分与」(同)であるとして、これを「他の給付」といえるかどうかという点を考えると、前者の「債務者の負担した給付」は抽象的・不確定な意味での財産分与であり、これが具体的に確定されて行われた「給付」(具体的・確定的な意味での財産分与)が「不動産の譲渡等の分与」であるから、これを「他の給付」ということはできないように思われるのである。抽象的・不確定な債務を、これを具体的に確定した債務に係る給付によって消滅させることは、「代物弁済」とはいわないであろう。

しかも、法定債務には、約定債務とは異なり、対価支払債務の履行を要求する意思の要素は含まれておらず、それ故、そのような意思の拘束力からの解放に伴う「代償」すなわち対価を観念することはできないのであるから、財産分与は、経済的利益発生の構造の点では、代物弁済ではなく債務免除と比較すべきであり、後者に類する構造に基づく法律構成(債務免除的法律構成)により「分与義務の消滅という経済的利益の享受」の意味を明らかにすべきであろう(前掲拙著【278】参照)。

この点については、「法定債務の消滅に『対価』を観念しえないとしても、資産を手放して債務の消滅益を受ける点で、財産分与は、債権者の一方的意思表示によって行なわれる債務免除よりも、代物弁済に似ているように感じられる。」(佐藤・前掲論文45頁脚注(28))との感じ方もあるが、民法が離婚に伴う義務として法定した財産分与債務(768条1項)の履行につきその枠組み・手続を「一方的に」法定していること(同条2項・3項)からして、その枠組み・手続に従って行われる「不動産の譲渡等の分与」は、代物弁済(民482条)のように当事者の自由意思による双務契約に基づくものというよりは、債務免除という片務行為としての構成に馴染みやすいように感じられる。

 

Ⅲ 清算的財産分与の「資産の譲渡」該当性否定説と夫婦別産制

ところで、昭和50年最判の調査官解説は、先に引用したとおり、「財産分与の性質ないし内容については多くの議論が存するところであるが、判例[=最判昭和46年7月23日民集25巻5号805頁]は、(イ)婚姻中に蓄積された夫婦共通財産の清算と(ロ)離婚後の生活に困窮する相手方配偶者の扶養とを中核的内容とし、このほかに、(ハ)離婚に基づく損害賠償(慰謝料)の要素をも含みうる、と解している。」(石井・前掲「判解」225頁)と述べているが、その上で、「このうち扶養及び慰謝料の性質を有する財産分与の場合資産の移転が存することについては異論がない。問題は、清算の性質を有する財産分与の場合であり、肯定・否定の両説がある。」(同226頁)と述べ、清算的財産分与の「資産の譲渡」(所税33条1項)該当性に関する否定説を検討し、肯定説を支持する旨を述べている(同226-227頁参照)。

そこで否定説として検討されている金子宏教授の見解(以下「金子説」という)を原典に即してそのまま引用すると、次のとおりである(同・前掲書102-103頁[初出・1975年]。下線筆者。同『租税法〔第24版〕』(弘文堂・2021年)267-268頁参照)。

我妻栄博士が指摘しておられるように、民法768条の財産分与の請求は、夫婦共通財産の清算、離婚による損害の賠償、離婚後の扶養の3つを含むと解される。このうち、離婚による損害の賠償、すなわち慰謝料の意味でなされる財産の分与が資産の譲渡に当り、譲渡所得を発生させることは、前述のとおりである。また、離婚後の扶養のために財産が分与された場合は、資産が贈与されたものと解されるから、所得税法59条1項によって、時価による譲渡があったとみなされることになる。もちろん、この場合、一定の手続をとることによって、右の規定の適用は排除される(同2項)。これに対し、夫婦共通財産の清算の意味で財産が分与された場合は、その実質は共有財産の分割であって、資産の譲渡に当らないと解される。右に引用した最高裁判所の判決[=昭和50年最判]は、財産の分与によって分与義務の消滅という経済的利益が生ずることを強調している。これは、資産の譲渡が仮にあったとした場合に、それが有償であるかどうか、有償であるとした場合に譲渡による収入金額はいくばくであるか、を論ずる上では必要なことであるが、しかしその前提として、この場合に資産の譲渡があるといえるのかどうかが、まず検討されなければならないのである。婚姻係属中に蓄積された財産は、夫婦のいずれの名義になっていても,実質的には夫婦の共有とみるべきものである。したがって、夫の名義となっている財産に対して、妻は潜在的な持分をもっていると考えてよい。夫婦共有財産の清算の意味における財産分与は、この潜在的持分に着目し,潜在的持分に応じて共有財産を分割する手続にほかならないと考えられる。とするならば、この場合、形式的には、夫の所有する財産が妻に移転するように見えても、その実質は、妻の潜在的権利を顕在化させ、それを正式に妻に帰属させることであるから、そこには資産の譲渡は存在しないと解すべきではなかろうか。我妻博士も、財産分与請求権の中心的思想が「夫婦共同生活中において夫婦が協力して取得した資産は共有とみなしてこれを清算すべしとする思想」であることを強調しておられる。その意味で、右の最高裁判所の判決には問題が多いと思われる。

尤も、このように解した場合に、分与された財産のうち、どれだけがこの意味における分与であるかを判定することは、決して容易ではない。何らかの立法的手当が必要であろう。

金子説は、その後、学説上多くの支持を集めてきた(佐藤・前掲論文31頁、渋谷・前掲論文529頁、遠藤みち『両性の平等をめぐる家族法・税・社会保障 戦後70年の軌跡を踏まえて』(日本評論社・2016年)71頁、浅妻章如「離婚・死別と租税法」金子宏監修・中里実ほか編集代表・佐藤英明ほか編『現代租税法講座 第2巻 家族・社会』(日本評論社・2017年)89頁、99頁等参照)。ただ、そうはいっても、「金子説の残した問題」として、「今後変わる見込みのない確立した判例を前提とした、財産分与時の課税関係のあり方に関する議論が進みにくい状況が出現していたこと」(佐藤・前掲論文40頁)は認めざるを得ないであろう。

このように昭和50年最判が「今後変わる見込みのない確立した判例」といわれるのは、民法762条1項(夫婦別産制)とこれを合憲とした最大判昭和36年9月6日民集15巻8号2047頁(以下「昭和36年最大判」という)の存在によるものと思われる。この判決は、憲法24条を「民主主義の基本原理である個人の尊厳と両性の本質的平等の原則を婚姻および家族の関係について定めたもの」、「夫と妻との間に、夫たり妻たるの故をもつて権利の享有に不平等な扱いをすることを禁じたもの」、「継続的な夫婦関係を全体として観察した上で、婚姻関係における夫と妻とが実質上同等の権利を享有することを期待した趣旨の規定」と解した上で、民法762条1項について次のとおり判示した(下線筆者)。

次に、民法762条1項の規定をみると、夫婦の一方が婚姻中自己の名で得た財産はその特有財産とすると定められ、この規定は夫と妻の双方に平等に適用されるものであるばかりでなく、所論のいうように夫婦は一心同体であり一の協力体であつて、配偶者の一方の財産取得に対しては他方が常に協力、寄与するものであるとしても、民法には、別に財産分与請求権、相続権ないし扶養請求権等の権利が規定されており、右夫婦相互の協力、寄与に対しては、これらの権利を行使することにより、結局において夫婦間に実質上の不平等が生じないよう立法上の配慮がなされているということができる。しからば、民法762条1項の規定は、前記のような憲法24条の法意に照らし、憲法の右条項に違反するものということができない。

昭和50年最判の判断対象である財産分与に関して昭和36年最大判を判示をみると、同最大判は、財産分与を「夫婦間に実質上の不平等が生じないよう」にするための「立法上の配慮」措置として捉えているが、その趣旨を受けて、「確かに、離婚の際は、財産分与の清算的要素に関して、・・・・・・実質的共有説に基づき、夫の給料であろうと婚姻中に形成・蓄積されたものは、夫婦財産として清算対象(分割割合は2分の1)とする家裁実務が定着している」(犬伏由子「判批」別冊ジュリスト239号(民法判例百選Ⅲ 親族・相続〔第2版〕・2018年)22頁、23頁)といわれている。

しかし、そのような家裁実務は「あくまでも家庭裁判所の裁量性に委ねられた結果にすぎない」(犬伏・前掲「判批」23頁)のであって、それが依拠する実質的共有説も、「別産別管理制のもとで、夫の収入は夫のものであるという原則を覆すものではない」(松川正毅「離婚は愛の終焉か」家族〈社会と法〉41号(2025年)1頁、4頁)のである。

このことを昭和36年最大判に立ち返っていえば、同最大判のいう「民主主義の基本原理である個人の尊厳と両性の本質的平等の原則」は、民法762条においては、「人の財産的独立という財産法的規律」(松川・前掲論文4頁)ないし「個を中心にした冷徹な法」(同5頁)として具体化され、その結果、「財産関係に関して夫婦の生活の共同性と平等性は、個人の自立性や独立性の背後に隠れてしまっている。民法典の中では財産法的な、人(個人)の自律性、独立性を前提とした規律と、団体の法の規律二分の中にあって、夫婦として、また家族としての愛情に基づくまとまり(団体)としての特質への配慮が、わが国の民法では疎かになっているように思われる。」(同4頁)といってよかろう。

金子説については、「民法(家族法)の分野の学説が指向していた離婚時の『妻』の保護の拡充を租税法の分野でも支持することに、もっとも大きな意義があったと思われる」(佐藤・前掲論文39頁)という積極的かつ肯定的な評価がされているが、ただ、民法762条は「夫婦財産関係にかんして完全な別産制を採用し、財産法的帰属原理を修正するものではないと一般に解されている」(青山道夫=有地亨編『新版注釈民法(21) 親族(1)』(有斐閣・1989年)458頁[有地亨執筆])以上、これと適合的な所得税法上の個人単位主義(昭和36年最大判参照)の下では、「離婚時の妻の経済的立場を強化しようとした金子説の実践的な意図」(同40頁)に基づき所得税法33条の解釈により清算的財産分与の「資産の譲渡」該当性を否定するのは困難であり、租税法律主義の下では、やはり、その旨の別段の定めが必要であろう(清永・前掲書96頁注(12)も参照)。

ただ、清算的財産分与として不動産等の資産が分与される場合、当該資産に増加益(キャピタル・ゲイン)が含まれている場合があることを考慮すると、清算的財産分与の「資産の譲渡」該当性否定説をそのまま実定法化することは、立法政策として妥当でないであろう。「譲渡所得課税の趣旨」法理という確立された判例法理を立法論においても尊重するのが妥当であることからすると、「結局のところ、財産分与がキャピタルゲインに対する課税タイミングとして適当であるか否かという実質論が、重要なのではないか。」(渋谷・前掲論文530頁)という指摘は、立法論において傾聴すべきものである。

そうすると、立法論においては、清算的財産分与の「資産の譲渡」該当性肯定説の立場に立ちつつ、財産分与の内容(清算的財産分与、扶養的財産分与及び慰謝料的財産分与)の区分の困難性、扶養義務者相互間における扶養義務の履行としての金品の給付及び慰謝料に対する現行所得税法上の非課税措置(所税9条1項15号柱書、同項18号・所税令30条1号)とのバランス、さらには「『財産を分与した(手放した)側に課税される』という昭和50年最判と課税実務の結論は、一般の納税者の意識と相当程度食い違っており、この点を是正する(制度の姿を納税者の一般的な理解に近づける)ことの利点は大きいと思われる」(佐藤・前掲論文46頁)ことをも考慮して、財産分与を「全体として『1個の』法定債権(債務)」(同43頁)として、個人間の贈与(所税60条1項1号)と同じく課税繰延べの対象とするのが妥当であるように思われる(佐藤・前掲論文46頁参照)。

 

Ⅳ おわりに

以上、今回は、昭和50年最判に対して竹下重人弁護士が譲渡所得の本質論・増加益清算課税説(筆者のいう「譲渡所得課税の趣旨」法理)の「独走」として展開された批判を受けて、譲渡所得課税に関する「趣旨内競い合い」の観点から同最判を検討した。その結果、昭和50年最判は、譲渡所得の本質論の「独走」を放置したものではなく、「分与義務の消滅という経済的利益」を収入金額として「享受」する財産分与者に対する譲渡所得課税を認め、もって財産分与の場合における「譲渡所得課税の趣旨」法理の「独走」を防止したものであると結論づけた。

そうすると、昭和50年最判に対する竹下弁護士の上記の批判は的を射たものとはいえないことになるが、それでも、竹下弁護士が上告理由の中で財産分与を「片務・無償行為」として捉えた理解は、同最判を支持する課税実務や学説による「有償譲渡」とする理解や「代物弁済的構成」とは異なり、正鵠を射たものであると考えるところである。今回の検討により、財産分与は、無償行為であるが「分与義務の消滅という経済的利益」という収入金額を伴うものであり、その「経済的利益」の法律構成としては財産分与を片務行為とみる債務免除的構成が妥当であることを明らかにした(前記Ⅱ2・3参照)。

そうすると、財産分与を「片務・無償行為」とする理解は、昭和50年最判に対する批判の決定的な論拠とはならないように思われる。そのような理解が昭和50年最判に対する批判の論拠として妥当性を欠いたのは、むしろ、竹下弁護士が譲渡所得の本質論を譲渡益課税説に基づいて捉えた上で、資産の譲渡に関する所得税法33条1項=有償譲渡・59条1項=無償譲渡という理解に基づき論旨を展開したからではないかと考えられる。

資産の譲渡に関する上記の理解は、「譲渡所得課税の趣旨」判決・最判昭和43年10月31日訟月14巻12号1442頁(以下「昭和43年最判」という。前回Ⅰ・Ⅱ参照)の下記の判示(下線筆者)を受けて示された理解(岡村忠生「判批」別冊ジュリスト120号(租税判例百選〔第3版〕・1992年)60頁、61頁のほか、同最判の原々審・浦和地判昭和39年1月29日行集15巻1号105頁に関する吉良実「判批」別冊ジュリスト17号(租税判例百選〔初版〕・1968年)82頁、83頁も参照)と同様のものであるように思われる。

ところで、譲渡所得に対する課税は、原判決引用の第一審判決の説示するように、資産の値上りによりその資産の所有者に帰属する増加益を所得として、その資産が所有者の支配を離れて他に移転するのを機会に、これを清算して課税する趣旨のものと解すべきであり、売買交換等によりその資産の移転が対価の受入を伴うときは、右増加益は対価のうちに具体化されるので、これを課税の対象としてとらえたのが旧所得税法(昭和22年法律第27号、以下同じ。)9条1項8号[現行33条1項]の規定である。

そして対価を伴わない資産の移転においても、その資産につきすでに生じている増加益は、その移転当時の右資産の時価に照らして具体的に把握できるものであるから、同じくこの移転の時期において右増加益を課税の対象とするのを相当と認め、資産の贈与、遺贈のあった場合においても、右資産の増加益は実現されたものとみて、これを前記譲渡所得と同様に取り扱うべきものとしたのが同法5条の2[=現行59条1項]の規定なのである。されば、右規定は決して所得のないところに課税所得の存在を擬制したものではなく、またいわゆる応能負担の原則を無視したものともいいがたい。《以下略》

しかし、資産の譲渡に関する所得税法33条1項=有償譲渡・59条1項=無償譲渡という理解は、上記最判の判示内容の理解としては正確さを欠くように思われる。このことは、昭和50年最判の調査官解説による下記の解説(石井・前掲「判解」223-224頁。下線筆者)から読みとることができるように思われる。

しかしながら、右59条1項は、同法36条1項にいう「別段の定め」として、譲渡所得等についてその所得金額の計算上総収入金額に算入すべき金額の算定方法の特例を定めた規定である。このことは、右59条1項が同法第2章第2節第5款「資産の譲渡に関する総収入金額・・・・・・の計算の特例、、、、、」(傍点は筆者)中に位置していること及び同条項中に「譲渡所得の金額・・・・・・の計算について、、、、、・・・・・・みなす」(傍点は筆者)との文言があることに照らし明らかである。そして、同法36条1、2項とあわせ理解するならば、右59条1項が同項1号所定の事由による資産の無償譲渡があった場合には時価による譲渡があったものとみなす旨を定めている趣旨は、同法33条1項にいう「資産の譲渡」は有償譲渡のみならず無償譲渡をも含むものであり、無償譲渡の場合にも譲渡所得が発生することを前提として、ただ、無償譲渡の場合には、収入すべきもの、すなわち、対価として受け入れるべきものがないため、右36条1、2項の規定によっては譲渡所得の金額の計算上総収入金額に算入すべき金額を算定することができないところから、当該譲渡が時価によってされたものとみなして総収入金額を算定すべき旨を定めたもの、すなわち、総収入金額に算入すべき金額を擬制したものと解するのが、その文理にもっともよく即した解釈であると思われる。本判決が「右59条1項・・・・・・が譲渡所得の総収入金額の計算に関する特例規定であって、所得のないところに課税譲渡所得の存在を擬制したものでないことは、その規定の位置及び文言に照らし、明らかである。」と判示しているのも、以上の趣旨を述べたものと理解される。

上記の解説にいう「有償譲渡」は広義の有償譲渡、すなわち、対価は伴わないが収入金額を伴う譲渡を意味するものと解されることについては前記Ⅱ2で述べたところであるが、この理解によれば、上記の解説にいう「無償譲渡」は、対価だけでなく収入金額も伴わない譲渡を意味することになる。このような用語法は、収入金額の有無と切り離して「資産の譲渡」の意義を理解する考え方に基づくものであると考えられ、筆者の用語法とは異なるものである。筆者は、「有償譲渡」に関する通常の用語法に従い、対価を伴う譲渡を「有償譲渡」と呼び、これに呼応して、対価を伴わない譲渡を「無償譲渡」と呼ぶことにした上で、「無償譲渡」のうち収入金額を伴うものを所得税法33条1項が規定し、収入金額を伴わないものを同法59条1項が規定していると解するものである(前記Ⅱ2、前掲拙著【278】参照)。

このようにみてくると、調査官解説と筆者は、「有償譲渡」及び「無償譲渡」に関する用語法を異にするものの、共に、竹下弁護士による資産の譲渡の理解(資産の譲渡に関する所得税法33条1項=有償譲渡・59条1項=無償譲渡という理解)とは異なり、所得税法33条1項にいう「資産の譲渡」に「無償譲渡」が全部(調査官解説)又は一部(筆者)含まれると理解するものであり、同法59条1項については有償譲渡擬制説ではなく収入金額擬制説の立場に立つものである(筆者については前掲拙著【285】参照)といってよかろう。

最後に、調査官解説について附言すると、前記引用の末尾における解説は、みなし譲渡課税に関する昭和50年最判の判示の趣旨には、前記Ⅱ1で筆者の理解として述べた趣旨とは別に、「譲渡所得課税の趣旨」法理と「資産の譲渡」に関する適用法規との関係について昭和43年最判が示した考え方に関する竹下弁護士の上告理由にみられるような「誤解」を解消する趣旨が含まれていることを示そうとするものであると解される。すなわち、昭和50年最判は、そのような「誤解」を解消するために、所得税法33条1項にいう「資産の譲渡」に「無償譲渡」が含まれることは「譲渡所得課税の趣旨」法理からの帰結であること及び同法59条1項は「無償譲渡」につき収入金額を擬制する規定であることを示そうとしたものであると解されるのである。

なお、ここで示された「無償譲渡」の意義に関する理解は、昭和48年改正によってみなし譲渡課税の対象から除外され取得費等の引継規定の対象とされた「贈与」(所税60条1項1号)には、贈与者に経済的な利益を生じさせる負担付贈与は含まれないとした最判昭和63年7月19日判時1290号56頁において、踏襲されているように思われる。この判決は、みなし譲渡課税に関する収入金額擬制説を前提にして、これと表裏の関係にある取得費等の引継規定にいう「贈与」について、収入金額に該当する経済的利益を伴わない「無償譲渡」に限る旨の解釈を示したものと解される。

(了)

この連載の公開日程は、下記の連載目次をご覧ください。

連載目次

谷口教授と学ぶ「税法基本判例」

第1回~第20回

第21回~

筆者紹介

谷口 勢津夫

(たにぐち・せつお)

大阪学院大学法学部教授

1956年高知県生まれ。京都大学法学部卒業、同大学大学院法学研究科博士後期課程単位修得退学。甲南大学法学部教授、大阪大学大学院高等司法研究科教授を経て2022年4月より現職。大阪大学名誉教授。ほかに大阪大学大学院高等司法研究科長・大阪大学法務室長、アレクサンダー・フォン・フンボルト財団奨励研究員(Forschungsstipendiat der Alexander von Humboldt-Stiftung)・ミュンヘン大学客員研究員、日本税法学会理事長、租税法学会理事、IFA(International Fiscal Association)日本支部理事、資産評価政策学会理事、司法試験考査委員、公認会計士試験試験委員、独立行政法人造幣局契約監視委員会委員・委員長、大阪府収用委員会委員・会長、大阪府行政不服審査会委員・会長、公益財団法人日本税務研究センター評議員・同センター理事・同センター「日税研究賞」選考委員・同センター編集委員会委員、公益財団法人納税協会連合会「税に関する論文」選考委員、公益社団法人商事法務研究会「商事法務研究会賞」審査委員、近畿税理士会・近畿税務研究センター顧問など(一部現職。ほか歴任)。

主要著書は『租税条約論』(清文社・1999年)、『租税回避論』(清文社・2014年)、『租税回避研究の展開と課題〔清永敬次先生謝恩論文集〕』(共著・ミネルヴァ書房・2015年)、『税法の基礎理論』(清文社・2021年)、『税法創造論』(清文社・2022年)、『税法基本判例Ⅰ』(清文社・2023年)、『基礎から学べる租税法〔第4版〕』(共著・弘文堂・2025年)、『税法基本講義〔第8版〕』(弘文堂・2025年)、『税法基本判例Ⅱ』(清文社・2025年)など。
 
   

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