公開日: 2023/11/22 (掲載号:No.545)
文字サイズ

谷口教授と学ぶ「税法基本判例」 【第32回】「納税申告義務の履行担保措置としての加算税」-「つまみ申告」重加算税賦課肯定判例と二重処罰禁止違反否定判例-

筆者: 谷口 勢津夫

谷口教授と学ぶ

税法基本判例

【第32回】

「納税申告義務の履行担保措置としての加算税」

-「つまみ申告」重加算税賦課肯定判例と二重処罰禁止違反否定判例-

 

大阪学院大学法学部教授
谷口 勢津夫

 

Ⅰ はじめに

前回は租税手続法の領域における税法基本判例として、申告納税制度の下で、納税義務の確定手続の最初の段階にある納税申告について、その効力に関する判例を取り上げ検討したが、今回は、納税申告義務という私人の公法上の義務の履行を担保するための措置としての加算税(税通65条以下。以下では国税の納付義務違反に対する不納付加算税は検討の対象としない)について、特に重加算税(同68条)の賦課要件の解釈適用をいわゆるつまみ申告に関して検討することにする。

「つまみ申告」とは、「主に課税実務で用いられている言葉で、納税者が自己の所得の一部を抽出して(つまんで)、税額を過少に申告すること」をいう(小貫芳信「判批」法務省訟務局内行政判例研究会編『平成6年行政関係判例解説』(ぎょうせい・1995年)110頁、112頁。同じ内容は同「連載課税訴訟研究 附帯税をめぐる訴訟(1)~重加算税の賦課要件を中心として」税理38巻14号(1995年)198頁、201頁以下にも収録されているが、以下の引用・参照は上記「判批」によることにする)。

つまみ申告は、特に会計帳簿を備え付けている納税者を念頭に置く場合には、「納税者において、正確に記載された会計帳簿に基づく真実の所得金額とは異なることを知りながら、所得金額又は収入の一部をつまみ出し(『つまみ行為』という。)、殊更過少に記載した納税申告書を提出する行為」(川神裕「判解」最判解民事篇(平成6年度)586頁、589頁。下線筆者)と表現され、「殊更の過少申告」と呼ばれることもある。なお、この点については、「『つまみ申告』等については、事実行為として理解し得るのであるが、『ことさらの過少申告』という用語にはそれ自体作為的な概念を有し、法68条に規定する『隠ぺい・仮装』との異同が問題となる。従って重加算税の賦課要件を論じるに当たっては、『ことさらの過少申告』というような中間的概念をあえて使用する必要もないように考えられる。」(品川芳宣「判批」TKC税研情報5巻6号(1996年)1頁、7頁)との指摘もある。

殊更の過少申告は、最判昭和48年3月20日刑集27巻2号138頁(以下「昭和48年最判」という)によって、所得税の逋脱罪の構成要件である「偽りその他不正の行為」に該当すると判断されたが、最判平成6年11月22日民集48巻7号1379頁(以下「平成6年最判」という)は、「前記会計帳簿類から明らかに算出し得る所得金額の大部分を脱漏し、所得金額を殊更過少に記載した内容虚偽の確定申告書を提出したこと」が殊更の過少申告として重加算税の賦課要件である「税額等の計算の基礎となるべき所得の存在を一部隠ぺいし、その隠ぺいしたところに基づき納税申告書を提出した場合」に該当すると判断し、この判断に関して昭和48年最判を参照した。

つまみ申告ないし殊更の過少申告は、従来から、「不申告・虚偽申告・虚偽答弁等」の「必ずしも積極的な不正工作を伴わない行為」のカテゴリーに属する行為として重加算税の賦課要件を充足するか否かが議論されてきた(この議論については差し当たり品川芳宣『附帯税の事例研究〔初版〕』(財形詳報社・1989年)264頁以下参照。なお、同書264頁は見出しを「不申告・虚偽申告・虚偽答弁等」としていたが、平成6年最判の後改訂された同書の新版(1996年)279頁では見出しを「不申告・虚偽申告・つまみ申告・虚偽答弁等」としてその中に「つまみ申告」を明記するようになった。第4版(2012年)349頁も同じ)。

当時の議論の状況は、平成6年最判に関する調査官解説の中で次のように整理されている(川神・前掲「判解」594頁。小貫・前掲「判批」113-114頁、武田昌輔監修『DHCコンメンタール国税通則法』(第一法規・加除式)3643の5-3643の7頁も参照)。

(1) 最も厳格な消極説は、国税通則法68条1項の文理上、納税申告とは別個に隠ぺい又は仮装の事実が存在することが必要であり、それに基づき納税申告書を提出したことを要件としている以上、単なる申告書への過少記入、虚偽記入は隠ぺい又は仮装に含まれないとし、そう解さないと重加算税制度が過少申告加算税に対する特別加重である趣旨を不分明にすると主張する。

これに対し、(2) 虚偽申告行為自体は隠ぺい等に当たらないが、申告書提出後に隠ぺい行為等がされた場合には、これと過少申告との間に因果関係が認められるならば、重加算税を課し得るとする見解があり、また、(3) 重加算税の意義ないし制度趣旨から、より積極的に、申告行為の前後の事情から作為的に行われていると推認できるときは、殊更過少な確定申告書を提出する行為自体が隠ぺい等に当たるとする見解、さらに、(4) 申告書提出前の申告書作成行為又はつまみ行為が隠ぺいに当たり、これに基づいて申告書が提出されているとして重加算税の賦課要件を満たすとする見解がある。

ここでは、上記の各見解を説く論者及び文献として上記の調査官解説が注で参照しているもののうち、以下の叙述との関係で必要な限りにおいて、(1)の見解については碓井光明「重加算税賦課の構造」税理22巻12号(1979年)2頁、5頁、(2)の見解については品川・前掲書(初版)283頁、(3)の見解については小貫・前掲「判批」116頁を挙げておこう。

他方、国税の課税実務や国税不服審判所の裁決例、さらには判例はつまみ申告につき重加算税の賦課要件該当性を肯定し積極説の立場を採ってきたが(川神・前掲「判解」594-597頁、岩橋健定「判批」法学協会雑誌114巻4号(1997年)462頁、466頁等参照)、そのような状況の下で、平成6年最判の原審・大阪高判平成5年4月27日訟月40巻4号856頁は、消極説の立場から次のとおり判示し、「右租税実務取扱を正面から否定するとともに、隠ぺい・仮装行為と過少申告との間に因果関係が主張・立証されなければならないという新しい判断を示した点で注目され」(岩﨑政明「判批」ジュリスト1069号(1995年)153頁、154頁)、「大きな話題」(岩橋・前掲「判批」467頁)となった。

重加算税を課すためには、納税者が故意に課税標準等又は税額等の計算の基礎となるべき事実の全部又は一部を隠ぺい、仮装し、右行為に基づいて過少申告の結果が発生することが必要であり、事実としての隠ぺい、仮装行為と過少の納税申告書の提出行為とは別々であることが必要であるとともに、隠ぺい、仮装行為と過少申告行為が存在しているだけで重加算税の要件を充足するものではなく、右両者の間に因果関係が存在することが必要である。

この判断を受けて、最高裁はこの問題にいわば本腰を入れ、最判昭和52年1月25日訟月23巻3号563頁や最判昭和63年10月23日税資166号370頁のような単なる原審判断是認のいわゆる例文判決ではなく、平成6年最判で明示的に理由を示して積極説の立場を判示し、さらに最判平成7年4月28日民集49巻4号1193頁(以下「平成7年最判」といい、平成6年最判と合わせて「『つまみ申告』重加算税賦課肯定判例」という)で積極説に関する一般論を判示した。

「つまみ申告」重加算税賦課肯定判例については、「過度に厳格な解釈をすることにより重加算税制度の趣旨に反する結果となることを避けるため、文理に完全には反しない限度で国税通則法68条1項の合目的的解釈をしたものと解されるが、他方、その趣旨とするところを超えて重加算税の賦課対象が安易に拡大されることは避けなければならないであろう。」(川神・前掲「判解」607頁。下線筆者)と解説されているところであるが、以下では、この解説を踏まえてそれらの判決を検討することにしたい。

すなわち、この解説は、重加算税の賦課要件について「文理解釈」(川神・前掲「判解」597頁)、「実質論」(同599頁)及び「ほ脱罪との関係」(同600頁)に関する議論をみた後、「以上の議論を前提として、文理上の問題点を意識しつつ、文理に反しない限りで、重加算税制度の制度趣旨等に照らして妥当な解釈が考えられないかどうかが問題となる。」(同601頁)として問題を設定した上で、行われたものであることをも踏まえて、以下では、税法の解釈論の観点から平成6年最判と平成7年最判を比較検討した上で、両判決を重加算税と刑罰との併科が二重処罰の禁止に違反しないものとする判例(最大判昭和33年4月30日民集12巻6号938頁、最判昭和45年9月11日刑集24巻10号1033頁等。以下「二重処罰禁止違反否定判例」という)との関係で位置づけ、それらの射程を明らかにすることにしたい。

 

Ⅱ 「つまみ申告」重加算税賦課肯定判例の解釈論

1 平成6年最判の立場

まず、平成6年最判の判決理由は次のとおりである(下線筆者)。

原審の確定した前記事実関係によれば、亡勝男は、会計帳簿類や取引記録等により自らの事業規模を正確に把握していたものと認められるにもかかわらず、確定申告において、3年間にわたり最終申告に係る総所得金額の約3ないし4パーセントにすぎない額(差額で約8億円ないし16億円少ない額)のみを申告したばかりでなく、その後2回ないし3回にわたる修正申告を経た後に初めて飛躍的に多額の最終申告をするに至っているのである。しかも、確定申告後の税務調査に際して、真実よりも少ない店舗数や過少の利息収入金額を記載した本件資料を税務署の担当職員に提出しているが、それによって昭和55年分の総所得金額を計算すると、最終修正申告に係る総所得金額の約17パーセントの額(差額で約14億円少ない額)しか算出されない結果となり、本件資料の内容は虚偽のものであるといわざるを得ない。その後右職員の慫慂に応じて修正申告をしたけれども、その申告においても、右職員から修正を求められた範囲を超えることなく、最終修正申告に係る総所得金額の約7ないし13パーセントにとどまる金額(差額で約7億7600万円ないし15億2000万円少ない額)のみを申告しているにすぎない。

右のとおり、亡勝男は、正確な所得金額を把握し得る会計帳簿類を作成していながら、3年間にわたり極めてわずかな所得金額のみを作為的に記載した申告書を提出し続け、しかも、その後の税務調査に際しても過少の店舗数等を記載した内容虚偽の資料を提出するなどの対応をして、真実の所得金額を隠ぺいする態度、行動をできる限り貫こうとしているのであって、申告当初から、真実の所得金額を隠ぺいする意図を有していたことはもちろん、税務調査があれば、更に隠ぺいのための具体的工作を行うことをも予定していたことも明らかといわざるを得ない。以上のような事情からすると、亡勝男は、単に真実の所得金額よりも少ない所得金額を記載した確定申告書であることを認識しながらこれを提出したというにとどまらず、本件各確定申告の時点において、白色申告のため当時帳簿の備付け等につきこれを義務付ける税法上の規定がなく、真実の所得の調査解明に困難が伴う状況を利用し、真実の所得金額を隠ぺいしようという確定的な意図の下に、必要に応じ事後的にも隠ぺいのための具体的工作を行うことも予定しつつ、前記会計帳簿類から明らかに算出し得る所得金額の大部分を脱漏し、所得金額を殊更過少に記載した内容虚偽の確定申告書を提出したことが明らかである。したがって、本件各確定申告は、単なる過少申告行為にとどまるものではなく、国税通則法68条1項にいう税額等の計算の基礎となるべき所得の存在を一部隠ぺいし、その隠ぺいしたところに基づき納税申告書を提出した場合に当たるというべきである(最高裁昭和46年(あ)第1901号同48年3月20日第三小法廷判決・刑集27巻2号138頁参照)。

この判決理由については、前記Ⅰでみた議論状況を踏まえて、次の解説がされている(川神・前掲「判解」604-605頁)。

本判決は、一般論を示しておらず、消極説を採用しなかったことは明らかであるが、前記[の(2)(3)(4)]のいずれの考え方に立つのか、あるいは、その他の考え方に立つのかは、必ずしも明らかではない。しかしながら、少なくとも、本判決が、外形的、客観的に隠ぺいの意図の表れと明らかに認められる行動を挙示した上、これらの行動からすれば、当初から真実の所得金額を隠ぺいしようという確定的な意図をもって作為的な虚偽申告をし、事後的にもその意図を貫こうとする行動をとっているという評価がされざるを得ないことを重視して、重加算税の賦課要件を満たすと判断していることは明らかである。

この解説(特に「少なくとも」以下)は、平成7年最判に関する調査官解説の中で平成6年最判と合わせて「『事実関係総合判断説』とでもいうべき見解・・・・・・に近い見解を示したもの」(近藤崇晴「判解」最判解民事篇(平成7年度)471頁、481頁)と解する解説と基本的に同じ内容を説くものと解される。ここでいう「事実関係総合判断説」は前記の(3)の見解であり、その主唱者は次のように説いている(品川・前掲書(初版)283頁、同(第4版)380頁。伊藤暢男「判批」月刊税務事例25巻5号(1993年)27頁、30頁も参照)。

[不申告あるいは虚偽申告につき]かかる種々の態様の存在を考慮した場合、税法や事実関係の不知から生じた単なる一部申告漏れや無申告という不申告行為及び計算違い等による虚偽申告行為が隠ぺい又は仮装行為でないことは、国税通則法68条の立法趣旨や文言解釈から首肯し得ることが当然であるとしても、事実関係全体からみてその不申告や虚偽申告が課税を免れることを意図して作為的に行われていると推認できるときは、これを1つの隠ぺい又は仮装行為と認定すべきであろう。

平成6年最判の前記判決理由については、事実関係総合判断説に基づく理解を前提にして次のような厳しい批判が加えられた(岡村忠生「判批」民商法雑誌113巻1号(1995年)96頁、108-109頁。下線筆者)。平成6年最判の本質的問題点を鋭く抉り出す批判であるから、少し長くなるが主な部分を引用しておこう。

総合判断に取り込まれるものは、法定納期限後の行為だけではない。最高裁判決は、「殊更」という語に向けて、「所得の大部分を脱漏し」という記述にみられる真実の所得額との格差とともに、「必要に応じ事後的にも隠ぺいのための具体的工作を行うことをも予定」、「真実の所得の調査解明に困難が伴う状況を利用」といった、納税者の心理、特に「真実の所得金額を隠ぺいしようという確定的な意図」を強調する。つまり、事実関係から総合判断されるのは、実質的には、隠ぺい行為ではなく、隠ぺいの意図なのである。したがって、本判決自体は、格差が大きく、かつ、その格差を設け、維持しようとする確定的意図があるものは、「殊更」に当たると読むことも一応できるであろうが(逆命題が成立するとは限らない)、ここで唯一やや客観的に現れている格差という点すら、納税者の意図を判断する1つの徴表に過ぎないという読み方も可能であろう。そして、この「確定的な意図」を「総合判断」する過程では、過少申告行為の背後にある主観的状況が間接事実として無限定に取り込まれ、最終的には、税法の遵守意識、税務行政への不信感や反感、公徳心や租税倫理といった納税者の人格までが射程に入り得るであろう。

こうして納税者の心理にある「確定的な意図」を強調してゆくことは、重加算税賦課の判断を主観化し、これもやはり最高裁が避けている言葉であるが、納税者の悪質性といった判断基準を連想させる。そこでこの語を使うと、要するに、この判決は、仮想上の行為を推認することによって、事実認定のレベルで実定法との文言の衝突を強引に回避しようと試みながら(しかし、少なくとも「基礎となる事実」については抵触が残る)、過少申告を巡る事実関係や主観的状況を間接事実と位置づけ、無限定に判断基準に取り込むことにより、悪質だと総合判断される納税者には重加算税を課す(逆に、協力的で従順な納税者は過少申告で済ます)という、裁量による主観的な当罰性判断を先行させた重加算税賦課の新たな構造を認めるものといえる。単純過少申告との差異を、外形的・客観的には捨象しながら、「課税当局の賢明な法の適用」により、選択された納税者に不利益処分を課し、同時に他の納税者を威嚇するという図式こそ、課税庁がこの判決から引き出し、今後の課税実務を動かそうとする方向なのである。

この批判の核心にあると解される重加算税賦課判断の「主観化」は、平成6年最判が先に引用した判決理由の末尾の括弧書で昭和48年最判を参照しているところからも、窺い知ることができる。この点について次の指摘(住田裕子「判批(下)」商事法務1420号(1996年)9頁、11頁)は正鵠を射たものといえる(川神・前掲「判解」611頁(注24)も参照)。

刑事判例であるにもかかわらず、このように民事判例上に参照判例として掲げたことに、最高裁の考え方がうかがわれる。判例法理は、重加算税に過少申告の故意は要件とは不要であるとしつつも、実質は、ほ脱犯(=故意犯)の故意の考え方と同様である、ないしは参考とし得るとするものではないだろうか。

きわめて大雑把ではあるが、ほ脱犯が認定される場合は、ほ脱の故意が認定される事実関係が認められるのであるから、当然、重加算税も認定し得る関係にあるとしてよいと思われ、本最判は、刑事判例を参照判例とすることによって、その関係に言及したものといえよう。

平成6年最判は、このように重加算税賦課の判断を「主観化」し、もってつまみ申告をもその対象に取り込み重加算税の賦課対象を拡大したものと解されるが、ただ、そのための一般論まで示すものではなく、その判断は「本件事案に応じた事例判断」(川神・前掲「判解」605頁)すなわち事例判決と解されている(岩﨑・前掲「判批」155頁は「本判決によっては、右の論争点に関する最高裁としての具体的見解ないし方針が示されているとは解されないのである。」とする)。

2 平成7年最判の立場

これに対して、平成7年最判は、次の「三」のとおり重加算税の賦課要件の解釈に関する「一般論」(近藤・前掲「判解」481頁)を判示し、税理士による確定申告書の作成・提出の事案ではあるが広い意味でつまみ申告に属する事案(「税理士に対する秘匿行為の評価」については同484頁、住田・前掲「判批(下)」13頁参照)について、次の「四」のとおり重加算税の賦課要件該当性を肯定した。

三 過少申告をした納税者が、その国税の課税標準等又は税額等の計算の基礎となるべき事実の全部又は一部を隠ぺいし、又は仮装し、その隠ぺいし、又は仮装したところに基づき納税申告書を提出していたときは、その納税者に対して重加算税を課することとされている(国税通則法68条1項)。この重加算税の制度は、納税者が過少申告をするについて隠ぺい、仮装という不正手段を用いていた場合に、過少申告加算税よりも重い行政上の制裁を科することによって、悪質な納税義務違反の発生を防止し、もって申告納税制度による適正な徴税の実現を確保しようとするものである。
 したがって、重加算税を課するためには、納税者のした過少申告行為そのものが隠ぺい、仮装に当たるというだけでは足りず、過少申告行為そのものとは別に、隠ぺい、仮装と評価すべき行為が存在し、これに合わせた過少申告がされたことを要するものである。しかし、右の重加算税制度の趣旨にかんがみれば、架空名義の利用や資料の隠匿等の積極的な行為が存在したことまで必要であると解するのは相当でなく、納税者が、当初から所得を過少に申告することを意図し、その意図を外部からもうかがい得る特段の行動をした上、その意図に基づく過少申告をしたような場合には、重加算税の右賦課要件が満たされるものと解すべきである。

四 これを本件について見ると、上告人は、昭和60年から62年までの3箇年にわたって、被上告人に所得税の確定申告をするに当たり、株式等の売買による前記多額の雑所得を申告すべきことを熟知しながら、あえて申告書にこれを全く記載しなかったのみならず、右各年分の確定申告書の作成を顧問税理士に依頼した際に、同税理士から、その都度、同売買による所得の有無について質問を受け、資料の提出も求められたにもかかわらず、確定的な脱税の意思に基づいて、右所得のあることを同税理士に対して秘匿し、何らの資料も提供することなく、同税理士に過少な申告を記載した確定申告書を作成させ、これを被上告人に提出したというのである。もとより、税理士は、納税者の求めに応じて税務代理、税務書類の作成等の事務を行うことを業とするものであるから(税理士法2条)、税理士に対する所得の秘匿等の行為を税務官公署に対するそれと同視することはできないが、他面、税理士は、税務に関する専門家として、独立した公正な立場において納税義務の適正な実現を図ることを使命とするものであり(同法1条)、納税者が課税標準等の計算の基礎となるべき事実を隠ぺいし、又は仮装していることを知ったときは、その是正をするよう助言する義務を負うものであって(同法41条の3)、右事務を行うについて納税者の家族や使用人のようにその単なる履行補助者の立場にとどまるものではない。
 右によれば、上告人は、当初から所得を過少に申告することを意図した上、その意図を外部からもうかがい得る特段の行動をしたものであるから、その意図に基づいて上告人のした本件の過少申告行為は、国税通則法68条1項所定の重加算税の賦課要件を満たすものというべきである

平成7年最判が判示した上記の「一般論」については次の解説(近藤・前掲「判解」481-482頁。下線筆者)が加えられている(川神・前掲「判解」606-607も参照)。

この問題について、本判決は、「過少申告行為そのものとは別に、隠ぺい、仮装と評価すべき行為が存在し、これに合わせた過少申告がされたことを要する」が、「右の重加算税制度の趣旨にかんがみれば、架空名義の利用や資料の隠匿等の積極的な行為が存在したことまで必要であると解するのは相当でなく、納税者が、当初から所得を過少に申告することを意図し、その意図を外部からもうかがい得る特段の行動をした上、その意図に基づく過少申告をしたような場合には、重加算税の右賦課要件が満たされるものと解すべきである。」との一般論を示している。〔判例④[=平成6年最判]〕と異なり、「殊更の過少申告」という言葉は用いていないが、その意味を敷衍したものであると解されよう。

すなわち、過少申告の意図を実現するための特段の行動があり、その行動によってその意図が外部からもうかがい得るような場合には、隠ぺい、仮装と評価すべき行為が存在するものとして、重加算税の前記賦課要件が満たされるとするものであるが、これは、従前の判例・学説を踏まえながら、いたずらに厳格な解釈をして重加算税制度の趣旨を没却する結果となることを避け、他方、重加算税の賦課対象が不当に拡張されることを防止することを目的として、国税通則法68条1項の合目的的解釈を試みたものであるということができる。もっとも、「・・・・ような場合には」という表現が用いられているところからすると、完結的に必要十分条件としての賦課要件を示したものではなく、本件を解決するのにな必要な限度で十分条件のみを示したものと理解すべきであろう。

この解説によれば、「本判決[=平成7年最判]は、重加算税の賦課要件について一般論を示してはいるが、既に述べたとおり完結的にその必要十分条件を明らかにしているものではなく、基本的には、〔判例④=最三小判平成6・11・22民集48巻7号1379頁〕と同様に事例判決の性質を有するものである。」(近藤・前掲「判解」485頁)ということになろうが、その点はともかく、平成7年最判が示した一般論は、同最判が基本的には平成6年最判と同じく事実関係総合判断説に近い立場に立ちつつも、重加算税賦課判断の「主観化」に対して一定の歯止めをかけようとしたものであると解される(そうであるからこそ、平成7年最判は、基本的には同じくつまみ申告の事案でありながら、平成6年最判を参照しなかったのではないかと考えられる)。

その歯止めは、第1に、「重加算税を課するためには、納税者のした過少申告行為そのものが隠ぺい、仮装に当たるというだけでは足りず、過少申告行為そのものとは別に、隠ぺい、仮装と評価すべき行為が存在し、これに合わせた過少申告がされたことを要するものである。」という判示に見出すことができる(岡村忠生「判批」税法学534号(1995年)110頁、114頁参照)。ここでは、「隠ぺい、仮装と評価すべき行為」(これは「架空名義の利用や資料の隠匿等の積極的な行為」に限らない)と「過少申告行為」は別の行為として把握され、しかも後者は前者に「基づき」されたものであることまでは要しないものの「合わせた」ものであることを要するものとされている。

第2の歯止めは、平成6年最判が強調した「真実の所得金額を隠ぺいしようという確定的な意図」がある場合を、「納税者が、当初から所得を過少に申告することを意図し、その意図を外部からもうかがい得る特段の行動をした上、その意図に基づく過少申告をしたような場合」(下線筆者)と表現し直すことによって、「その意図」を推認するための総合判断の対象を「特段の行動」に限定し(住田・前掲「判批(下)」11頁参照)、かつ、「その意図」と「過少申告」との因果関係を要求したものと解される点に、見出すことができる。この点について補足しておくと、平成7年最判が前記の「合わせた」という表現を用いたのは、「過少申告」が「基づく」のが「特段の行動」(これは「隠ぺい、仮装と評価すべき行為」を意味すると解される)ではなく「その意図」であるという論理構成に基づき、重加算税の賦課要件としての因果関係(「基づき」)について、「・・・・ような場合には」という表現とも相俟って、「いたずらに厳格な解釈」(近藤・前掲「判解」482頁)ではなく「国税通則法68条1項の合目的的解釈」(同頁)を行った結果であると解される。

問題は、平成7年最判が平成6年最判の打ち出した重加算税賦課判断の「主観化」の方向に対して一定の歯止めをかけようとしたのはなぜかである。この問題を解く手がかりは、重加算税と逋脱罪との関係をどのように考えるかにあるように思われるので、その関係について次のⅢで検討することにする。

 

Ⅲ 重加算税賦課判断の「主観化」に対する二重処罰禁止違反否定判例の意義

平成6年最判に関する調査官解説では、「ほ脱罪との関係について」(川神・前掲「判解」600頁)次のように述べられている(同601頁。下線筆者)。

「偽りその他不正の行為」と、「隠ぺい」、「仮装」とは、厳密には別個の概念であり、その機能する場面が異なることから、ある行為が一方に該当し、他方に該当しないということも当然あり得るところであり、また、一般的には、前者が、後者を含み、これよりも広い概念であると解されている。しかしながら、いずれも適正な申告納税制度に反する納税義務違反に対する制裁にかかわること等から、多くの場合相互に一致して重なり合うことも否定できず、したがって、殊更の過少申告行為が刑罰の適用要件である「偽りその他不正の行為」に当たる以上、多くの場合、「隠ぺい」、「仮装」にも当たると解すべきであると考えることにも自然な面がある。消極説のように、申告前の帳簿操作等がない限り一切「隠ぺい」には当たらないと解することには、両者の均衡、重加算税制度の趣旨に照らして首肯し難い面があることは否定できない。

この解説の最後の1文は、つまみ申告の重加算税賦課要件該当性に関する消極説に反対する論拠として「両者の均衡」と「重加算税制度の趣旨」を援用しているが、前者すなわち「偽りその他不正の行為」と「隠ぺい・仮装」との均衡は、事実関係総合判断説に基づく重加算税賦課判断の「主観化」を支持する論拠となり得るかもしれない。というのも、「偽りその他不正の行為」に関する判例において「逋脱の意図」(最大判昭和42年11月8日刑集21巻9号1197頁等)という主観的要素を重視する傾向が定着してきた中で、重加算税賦課判断の「主観化」及びこれによる重加算税の賦課対象の拡大は、「偽りその他不正の行為」と「隠ぺい・仮装」との均衡の観点からみると、次の見解(佐藤英明『脱税と制裁〔増補版〕』(弘文堂・2018年)397-398頁[初出・2000年]。傍点原文、下線筆者)の説くように、「自然なこと」、「必然的なもの」であるという理解も論理的には成り立ち得るからである(もっとも、後述するように、そのような理解は妥当でないと考えるところである。なお、次の引用文中の「制度としての統一性と一体性」は、同391頁にいう「脱税に対する租税制裁制度の統一性」と同義であり、加算税と租税犯を「『脱税に対処するための制度』として統一的に考察する」(同13頁[初出・1989年])「『租税制裁法』という機能的な考察の枠組み」(同14頁)に基づく観点である)。

逋脱犯に関するこのような現在の判例[の主観的要素重視]の状況は、言うまでもなく、重加算税の対象を拡大する要素となると考えられる。もしも、確定的な逋脱(脱税)の意図の下に行われる「つまみ申告」を重加算税の対象としないならば、それは、逋脱額、逋脱割合等を考慮した適正な裁量にもとづいて起訴された場合には刑事罰の対象となる行為が、そのような刑事起訴―日本では脱税で起訴されることはきわめて稀である―がなければ、過少申告加算税を除き、何らの実効的な制裁の対象ともならないことになるからである。この状況は、単に制裁の規定が不十分で対象に含めるべきものが含められていないという、水平的な不均衡を超えて、[脱税に対する租税制裁]制度としての統一性と一体性を損ない、その合理性を毀損する事態であるとすらいいうるであろう。

このように考えれば、逋脱犯の処罰範囲を拡大してきた判例が・・・、その延長線上に、重加算税の課税対象の拡大を認めたのは自然なことであり、その意味で、逋脱犯の成立要件を満たすと考えられる事案に関する最判平成6年11月22日と最判平成7年4月28日の二つの最高裁判決は、その論理はともかく、重加算税の賦課を認めるという結論は必然的なものであったと考えられるのである。

これに対して、後者すなわち「重加算税制度の趣旨」は、事実関係総合判断説に基づく重加算税賦課判断の「主観化」に対して一定の歯止めをかける論拠と考えるべきである。というのも、「重加算税制度の趣旨」は、二重処罰禁止違反否定判例において次の判示(最判昭和45年9月11日刑集24巻10号1033頁。下線筆者)のとおり刑罰との併科による二重処罰の禁止違反を否定する論拠(の1つ)として援用されていることからすると、重加算税賦課判断の「主観化」を、逋脱犯に関する「逋脱の意図」という主観的要素重視の傾向の延長線上に展開するための論拠とすることはできず、むしろそのような傾向とは異なる意味であるいは一線を画する形で展開するための論拠とすべきであると考えられるからである。

所論は、重加算税のほかに刑罰を科することは、憲法39条に違反する旨主張する。

しかし、国税通則法68条に規定する重加算税は、同法65条ないし67条に規定する各種加算税を課すべき納税義務違反が課税要件事実を隠ぺいし、または仮装する方法によつて行なわれた場合に、行政機関の手続により違反者に課せられるもので、これによつてかかる方法による納税義務違反の発生を防止し、もつて徴税の実を挙げようとする趣旨に出た行政上の措置であり、違反者の不正行為の反社会性ないし反道徳性に着目してこれに対する制裁として科せられる刑罰とは趣旨、性質を異にするものと解すべきであつて、それゆえ、同一の租税ほ脱行為について重加算税のほかに刑罰を科しても憲法39条に違反するものでないことは、当裁判所大法廷判決の趣旨とするところである(昭和33年4月30日大法廷判決・民集12巻6号938頁参照。なお、昭和36年7月6日第一小法廷判決・刑集15巻7号1054頁参照。)そして、現在これを変更すべきものとは認められないから、所論は、採ることができない。

重加算税賦課判断の「主観化」を上述のような意味あるいは形で展開するものと解される見解として、その「主観化」を重加算制度と過少申告加算税制度との区分(実質上・制度趣旨上の区分と要件上の区分)の文脈で展開する次の見解がある(①=住田裕子「判批(上)」商事法務1419号(1996年)2頁、5頁、②=同6頁。下線筆者)。

【①】

私見においても、この2つの制度の区分における実質的な差異は、申告納税制度を支える最重要基盤である「正直な申告」に違反するか否かによるものと考える。すなわち、重加算税は申告税額が過少であることについての認識がある場合、いわば、「故意行為」であり、一方、過少申告加算税はその認識がない場合、いわば、「過失行為」と位置づける。

【②】

このように、行政制裁の要件を定立する場合は、制度上、できるだけ主観面を排した客観的な行為を対象としたものとする必要がある。すなわち、重加算税制度が、過少申告行為の故意の存在を念頭に置いた制度であるとしても、その要件を定めるに当たっては、故意を要件とすることは相当ではない。これはとりも直さず、現行法上の隠ぺい・仮装要件の解釈においても、過少申告の故意を要件とすることは考えられないことになる。

このような視点について、これまで明確に論じたものがなかったように見受けられるが、私見の故意不要説の最大の論拠であり、かつ、判例法理の根底にあるものを理解する上でも、この点を抜きにすることはできないものと思われる。なお、品川氏は、重加算税が刑罰でないことの外、故意の立証を要求することは課税の実務に即していないことなど、主として実務上の査察事件の処理能力の観点から、不要説を採られる。私見は、これを一歩進め、行政制裁としての本質・制約からの当然の要請であるとする。

この見解は、重加算税と過少申告加算税とを実質上・制度趣旨上は過少申告の認識・意図(故意)の有無により区分しながら、要件上は「納税者の過少申告の意図を外部からうかがい得る特段の行動」、「過少申告の意図を認定・推認し得る客観的事実」、「過少申告の意図を推認し得る間接事実としての行為」(以上は住田・前掲「判批(下)」11頁)の有無により区分するものと解される。この見解は上記②の引用にもあるように「故意不要説」と自称しているが、それは、「その隠ぺい、仮装行為を原因として過少申告の結果が発生したものであれば足り、それ以上に、申告に際し、納税者において過少申告を行うことの認識を有していることまでを必要とするものではない」(最判昭和62年5月8日裁判集民151号35頁)とする判例の立場を踏まえたものと解される(住田・前掲「判批(上)」5頁、同「判批(下)」11頁等参照)。

以上のように検討してくると、このⅢの冒頭で取り上げた調査官解説の「消極説のように、申告前の帳簿操作等がない限り一切『隠ぺい』には当たらないと解することには、両者の均衡、重加算税制度の趣旨に照らして首肯し難い面があることは否定できない。」(下線筆者)という1文は、二重処罰禁止違反否定判例との関係を重視し「両者の均衡」よりも「重加算税制度の趣旨」に重点を置いた上で、理解するのが妥当であると考えられる。そして、そのような理解に基づき、前記の見解(住田裕子説)を重加算税賦課判断の「主観化」に対する歯止めの論拠として支持しておきたい。

もっとも、租税法律主義の下での税法の解釈論(拙著『税法基本講義〔第7版〕』(弘文堂・2021年)【44】以下参照)の観点からは、侵害規範である租税法規の中でも制裁の要素が強い重加算税の賦課要件については特に厳格な解釈が要請されることを考えると、重加算税賦課判断の「主観化」とこれによる重加算税賦課範囲の拡大に対しては、解釈上の歯止めだけでなく、むしろ手続的統制(差し当たり佐藤・前掲書403頁以下参照)も含め立法による歯止めこそが必要であると考えるところである(前掲拙著【128】参照)。

 

Ⅳ おわりに

今回は、納税申告義務の履行担保措置としての加算税のうち重加算税の賦課要件の解釈適用をつまみ申告に関して検討することとし、平成6年最判が重加算税賦課判断の「主観化」の方向を打ち出したこと、平成7年最判がこれに一定の歯止めをかけたこと及びその歯止めについては二重処罰禁止違反否定判例が重要な意味をもつことを明らかにした。

最後に、平成7年最判に関する調査官解説で従来の最高裁判例を総合して示された「判例理論」を以下に引用しておこう(近藤・前掲「判解」480頁。下線原文。判例①=最判昭和45年9月11日刑集24巻10号1333頁、判例②=最判昭和58年10月27日民集37巻8号1196頁、判例③=最判昭和62年5月8日裁判集民151号35頁、判例④=平成6年最判、判例⑤=昭和48年最判)。

重加算税制度は、課税要件事実を隠ぺいし、又は仮装する方法という不正手段を用いたとの特別の事由が存する場合に、過少申告の認識の有無にかかわらず〔判例③〕、過少申告加算税よりも重い制裁を課することによって、納税義務違反の発生を防止し、もって徴税の実を挙げようとする趣旨によるものであり〔判例①②〕、隠ぺい、仮装行為を原因として過少申告の結果が発生したものであることを要する〔判例③〕が、納税者が、真実の所得の調査解明に困難が伴う状況を利用し、真実の所得金額を隠ぺいしようという確定的な意図の下に、必要に応じ事後的にも隠ぺいのための具体的工作を行うことをも予定しつつ、所得金額を殊更過少に記載した内容虚偽の確定申告書を提出したような場合には、殊更の過少申告として重加算税の賦課要件が満たされる〔判例④⑤〕。そして、どのような場合に殊更の過少申告として重加算税の賦課要件が満たされるかについては、更に事例の積み重ねを要する。

この「判例理論」では平成7年最判が考慮されていないが、これを「判例⑥」として、「納税者が、・・・・・・ような場合には、殊更の過少申告として重加算税の賦課要件が満たされる〔判例④⑤〕。そして、どのような場合に殊更の過少申告として重加算税の賦課要件が満たされるかについては、」の部分を、「納税者が、・・・・・・ような場合には、重加算税の賦課要件が満たされる〔判例④⑤〕。ただし、納税者が、当初から所得を過少に申告することを意図し、その意図を外部からもうかがい得る特段の行動をした上、その意図に基づく過少申告をしたような場合に限る〔判例⑥〕。そして、それが具体的にはどのような場合であるかについては、」と加筆修正することによって、平成7年最判が重加算税賦課判断の「主観化」に一定の歯止めをかけたことを明示すべきであろう。

(了)

この連載の公開日程は、下記の連載目次をご覧ください。

谷口教授と学ぶ

税法基本判例

【第32回】

「納税申告義務の履行担保措置としての加算税」

-「つまみ申告」重加算税賦課肯定判例と二重処罰禁止違反否定判例-

 

大阪学院大学法学部教授
谷口 勢津夫

 

Ⅰ はじめに

前回は租税手続法の領域における税法基本判例として、申告納税制度の下で、納税義務の確定手続の最初の段階にある納税申告について、その効力に関する判例を取り上げ検討したが、今回は、納税申告義務という私人の公法上の義務の履行を担保するための措置としての加算税(税通65条以下。以下では国税の納付義務違反に対する不納付加算税は検討の対象としない)について、特に重加算税(同68条)の賦課要件の解釈適用をいわゆるつまみ申告に関して検討することにする。

「つまみ申告」とは、「主に課税実務で用いられている言葉で、納税者が自己の所得の一部を抽出して(つまんで)、税額を過少に申告すること」をいう(小貫芳信「判批」法務省訟務局内行政判例研究会編『平成6年行政関係判例解説』(ぎょうせい・1995年)110頁、112頁。同じ内容は同「連載課税訴訟研究 附帯税をめぐる訴訟(1)~重加算税の賦課要件を中心として」税理38巻14号(1995年)198頁、201頁以下にも収録されているが、以下の引用・参照は上記「判批」によることにする)。

つまみ申告は、特に会計帳簿を備え付けている納税者を念頭に置く場合には、「納税者において、正確に記載された会計帳簿に基づく真実の所得金額とは異なることを知りながら、所得金額又は収入の一部をつまみ出し(『つまみ行為』という。)、殊更過少に記載した納税申告書を提出する行為」(川神裕「判解」最判解民事篇(平成6年度)586頁、589頁。下線筆者)と表現され、「殊更の過少申告」と呼ばれることもある。なお、この点については、「『つまみ申告』等については、事実行為として理解し得るのであるが、『ことさらの過少申告』という用語にはそれ自体作為的な概念を有し、法68条に規定する『隠ぺい・仮装』との異同が問題となる。従って重加算税の賦課要件を論じるに当たっては、『ことさらの過少申告』というような中間的概念をあえて使用する必要もないように考えられる。」(品川芳宣「判批」TKC税研情報5巻6号(1996年)1頁、7頁)との指摘もある。

殊更の過少申告は、最判昭和48年3月20日刑集27巻2号138頁(以下「昭和48年最判」という)によって、所得税の逋脱罪の構成要件である「偽りその他不正の行為」に該当すると判断されたが、最判平成6年11月22日民集48巻7号1379頁(以下「平成6年最判」という)は、「前記会計帳簿類から明らかに算出し得る所得金額の大部分を脱漏し、所得金額を殊更過少に記載した内容虚偽の確定申告書を提出したこと」が殊更の過少申告として重加算税の賦課要件である「税額等の計算の基礎となるべき所得の存在を一部隠ぺいし、その隠ぺいしたところに基づき納税申告書を提出した場合」に該当すると判断し、この判断に関して昭和48年最判を参照した。

つまみ申告ないし殊更の過少申告は、従来から、「不申告・虚偽申告・虚偽答弁等」の「必ずしも積極的な不正工作を伴わない行為」のカテゴリーに属する行為として重加算税の賦課要件を充足するか否かが議論されてきた(この議論については差し当たり品川芳宣『附帯税の事例研究〔初版〕』(財形詳報社・1989年)264頁以下参照。なお、同書264頁は見出しを「不申告・虚偽申告・虚偽答弁等」としていたが、平成6年最判の後改訂された同書の新版(1996年)279頁では見出しを「不申告・虚偽申告・つまみ申告・虚偽答弁等」としてその中に「つまみ申告」を明記するようになった。第4版(2012年)349頁も同じ)。

当時の議論の状況は、平成6年最判に関する調査官解説の中で次のように整理されている(川神・前掲「判解」594頁。小貫・前掲「判批」113-114頁、武田昌輔監修『DHCコンメンタール国税通則法』(第一法規・加除式)3643の5-3643の7頁も参照)。

(1) 最も厳格な消極説は、国税通則法68条1項の文理上、納税申告とは別個に隠ぺい又は仮装の事実が存在することが必要であり、それに基づき納税申告書を提出したことを要件としている以上、単なる申告書への過少記入、虚偽記入は隠ぺい又は仮装に含まれないとし、そう解さないと重加算税制度が過少申告加算税に対する特別加重である趣旨を不分明にすると主張する。

これに対し、(2) 虚偽申告行為自体は隠ぺい等に当たらないが、申告書提出後に隠ぺい行為等がされた場合には、これと過少申告との間に因果関係が認められるならば、重加算税を課し得るとする見解があり、また、(3) 重加算税の意義ないし制度趣旨から、より積極的に、申告行為の前後の事情から作為的に行われていると推認できるときは、殊更過少な確定申告書を提出する行為自体が隠ぺい等に当たるとする見解、さらに、(4) 申告書提出前の申告書作成行為又はつまみ行為が隠ぺいに当たり、これに基づいて申告書が提出されているとして重加算税の賦課要件を満たすとする見解がある。

ここでは、上記の各見解を説く論者及び文献として上記の調査官解説が注で参照しているもののうち、以下の叙述との関係で必要な限りにおいて、(1)の見解については碓井光明「重加算税賦課の構造」税理22巻12号(1979年)2頁、5頁、(2)の見解については品川・前掲書(初版)283頁、(3)の見解については小貫・前掲「判批」116頁を挙げておこう。

他方、国税の課税実務や国税不服審判所の裁決例、さらには判例はつまみ申告につき重加算税の賦課要件該当性を肯定し積極説の立場を採ってきたが(川神・前掲「判解」594-597頁、岩橋健定「判批」法学協会雑誌114巻4号(1997年)462頁、466頁等参照)、そのような状況の下で、平成6年最判の原審・大阪高判平成5年4月27日訟月40巻4号856頁は、消極説の立場から次のとおり判示し、「右租税実務取扱を正面から否定するとともに、隠ぺい・仮装行為と過少申告との間に因果関係が主張・立証されなければならないという新しい判断を示した点で注目され」(岩﨑政明「判批」ジュリスト1069号(1995年)153頁、154頁)、「大きな話題」(岩橋・前掲「判批」467頁)となった。

重加算税を課すためには、納税者が故意に課税標準等又は税額等の計算の基礎となるべき事実の全部又は一部を隠ぺい、仮装し、右行為に基づいて過少申告の結果が発生することが必要であり、事実としての隠ぺい、仮装行為と過少の納税申告書の提出行為とは別々であることが必要であるとともに、隠ぺい、仮装行為と過少申告行為が存在しているだけで重加算税の要件を充足するものではなく、右両者の間に因果関係が存在することが必要である。

この判断を受けて、最高裁はこの問題にいわば本腰を入れ、最判昭和52年1月25日訟月23巻3号563頁や最判昭和63年10月23日税資166号370頁のような単なる原審判断是認のいわゆる例文判決ではなく、平成6年最判で明示的に理由を示して積極説の立場を判示し、さらに最判平成7年4月28日民集49巻4号1193頁(以下「平成7年最判」といい、平成6年最判と合わせて「『つまみ申告』重加算税賦課肯定判例」という)で積極説に関する一般論を判示した。

「つまみ申告」重加算税賦課肯定判例については、「過度に厳格な解釈をすることにより重加算税制度の趣旨に反する結果となることを避けるため、文理に完全には反しない限度で国税通則法68条1項の合目的的解釈をしたものと解されるが、他方、その趣旨とするところを超えて重加算税の賦課対象が安易に拡大されることは避けなければならないであろう。」(川神・前掲「判解」607頁。下線筆者)と解説されているところであるが、以下では、この解説を踏まえてそれらの判決を検討することにしたい。

すなわち、この解説は、重加算税の賦課要件について「文理解釈」(川神・前掲「判解」597頁)、「実質論」(同599頁)及び「ほ脱罪との関係」(同600頁)に関する議論をみた後、「以上の議論を前提として、文理上の問題点を意識しつつ、文理に反しない限りで、重加算税制度の制度趣旨等に照らして妥当な解釈が考えられないかどうかが問題となる。」(同601頁)として問題を設定した上で、行われたものであることをも踏まえて、以下では、税法の解釈論の観点から平成6年最判と平成7年最判を比較検討した上で、両判決を重加算税と刑罰との併科が二重処罰の禁止に違反しないものとする判例(最大判昭和33年4月30日民集12巻6号938頁、最判昭和45年9月11日刑集24巻10号1033頁等。以下「二重処罰禁止違反否定判例」という)との関係で位置づけ、それらの射程を明らかにすることにしたい。

 

Ⅱ 「つまみ申告」重加算税賦課肯定判例の解釈論

1 平成6年最判の立場

まず、平成6年最判の判決理由は次のとおりである(下線筆者)。

原審の確定した前記事実関係によれば、亡勝男は、会計帳簿類や取引記録等により自らの事業規模を正確に把握していたものと認められるにもかかわらず、確定申告において、3年間にわたり最終申告に係る総所得金額の約3ないし4パーセントにすぎない額(差額で約8億円ないし16億円少ない額)のみを申告したばかりでなく、その後2回ないし3回にわたる修正申告を経た後に初めて飛躍的に多額の最終申告をするに至っているのである。しかも、確定申告後の税務調査に際して、真実よりも少ない店舗数や過少の利息収入金額を記載した本件資料を税務署の担当職員に提出しているが、それによって昭和55年分の総所得金額を計算すると、最終修正申告に係る総所得金額の約17パーセントの額(差額で約14億円少ない額)しか算出されない結果となり、本件資料の内容は虚偽のものであるといわざるを得ない。その後右職員の慫慂に応じて修正申告をしたけれども、その申告においても、右職員から修正を求められた範囲を超えることなく、最終修正申告に係る総所得金額の約7ないし13パーセントにとどまる金額(差額で約7億7600万円ないし15億2000万円少ない額)のみを申告しているにすぎない。

右のとおり、亡勝男は、正確な所得金額を把握し得る会計帳簿類を作成していながら、3年間にわたり極めてわずかな所得金額のみを作為的に記載した申告書を提出し続け、しかも、その後の税務調査に際しても過少の店舗数等を記載した内容虚偽の資料を提出するなどの対応をして、真実の所得金額を隠ぺいする態度、行動をできる限り貫こうとしているのであって、申告当初から、真実の所得金額を隠ぺいする意図を有していたことはもちろん、税務調査があれば、更に隠ぺいのための具体的工作を行うことをも予定していたことも明らかといわざるを得ない。以上のような事情からすると、亡勝男は、単に真実の所得金額よりも少ない所得金額を記載した確定申告書であることを認識しながらこれを提出したというにとどまらず、本件各確定申告の時点において、白色申告のため当時帳簿の備付け等につきこれを義務付ける税法上の規定がなく、真実の所得の調査解明に困難が伴う状況を利用し、真実の所得金額を隠ぺいしようという確定的な意図の下に、必要に応じ事後的にも隠ぺいのための具体的工作を行うことも予定しつつ、前記会計帳簿類から明らかに算出し得る所得金額の大部分を脱漏し、所得金額を殊更過少に記載した内容虚偽の確定申告書を提出したことが明らかである。したがって、本件各確定申告は、単なる過少申告行為にとどまるものではなく、国税通則法68条1項にいう税額等の計算の基礎となるべき所得の存在を一部隠ぺいし、その隠ぺいしたところに基づき納税申告書を提出した場合に当たるというべきである(最高裁昭和46年(あ)第1901号同48年3月20日第三小法廷判決・刑集27巻2号138頁参照)。

この判決理由については、前記Ⅰでみた議論状況を踏まえて、次の解説がされている(川神・前掲「判解」604-605頁)。

本判決は、一般論を示しておらず、消極説を採用しなかったことは明らかであるが、前記[の(2)(3)(4)]のいずれの考え方に立つのか、あるいは、その他の考え方に立つのかは、必ずしも明らかではない。しかしながら、少なくとも、本判決が、外形的、客観的に隠ぺいの意図の表れと明らかに認められる行動を挙示した上、これらの行動からすれば、当初から真実の所得金額を隠ぺいしようという確定的な意図をもって作為的な虚偽申告をし、事後的にもその意図を貫こうとする行動をとっているという評価がされざるを得ないことを重視して、重加算税の賦課要件を満たすと判断していることは明らかである。

この解説(特に「少なくとも」以下)は、平成7年最判に関する調査官解説の中で平成6年最判と合わせて「『事実関係総合判断説』とでもいうべき見解・・・・・・に近い見解を示したもの」(近藤崇晴「判解」最判解民事篇(平成7年度)471頁、481頁)と解する解説と基本的に同じ内容を説くものと解される。ここでいう「事実関係総合判断説」は前記の(3)の見解であり、その主唱者は次のように説いている(品川・前掲書(初版)283頁、同(第4版)380頁。伊藤暢男「判批」月刊税務事例25巻5号(1993年)27頁、30頁も参照)。

[不申告あるいは虚偽申告につき]かかる種々の態様の存在を考慮した場合、税法や事実関係の不知から生じた単なる一部申告漏れや無申告という不申告行為及び計算違い等による虚偽申告行為が隠ぺい又は仮装行為でないことは、国税通則法68条の立法趣旨や文言解釈から首肯し得ることが当然であるとしても、事実関係全体からみてその不申告や虚偽申告が課税を免れることを意図して作為的に行われていると推認できるときは、これを1つの隠ぺい又は仮装行為と認定すべきであろう。

平成6年最判の前記判決理由については、事実関係総合判断説に基づく理解を前提にして次のような厳しい批判が加えられた(岡村忠生「判批」民商法雑誌113巻1号(1995年)96頁、108-109頁。下線筆者)。平成6年最判の本質的問題点を鋭く抉り出す批判であるから、少し長くなるが主な部分を引用しておこう。

総合判断に取り込まれるものは、法定納期限後の行為だけではない。最高裁判決は、「殊更」という語に向けて、「所得の大部分を脱漏し」という記述にみられる真実の所得額との格差とともに、「必要に応じ事後的にも隠ぺいのための具体的工作を行うことをも予定」、「真実の所得の調査解明に困難が伴う状況を利用」といった、納税者の心理、特に「真実の所得金額を隠ぺいしようという確定的な意図」を強調する。つまり、事実関係から総合判断されるのは、実質的には、隠ぺい行為ではなく、隠ぺいの意図なのである。したがって、本判決自体は、格差が大きく、かつ、その格差を設け、維持しようとする確定的意図があるものは、「殊更」に当たると読むことも一応できるであろうが(逆命題が成立するとは限らない)、ここで唯一やや客観的に現れている格差という点すら、納税者の意図を判断する1つの徴表に過ぎないという読み方も可能であろう。そして、この「確定的な意図」を「総合判断」する過程では、過少申告行為の背後にある主観的状況が間接事実として無限定に取り込まれ、最終的には、税法の遵守意識、税務行政への不信感や反感、公徳心や租税倫理といった納税者の人格までが射程に入り得るであろう。

こうして納税者の心理にある「確定的な意図」を強調してゆくことは、重加算税賦課の判断を主観化し、これもやはり最高裁が避けている言葉であるが、納税者の悪質性といった判断基準を連想させる。そこでこの語を使うと、要するに、この判決は、仮想上の行為を推認することによって、事実認定のレベルで実定法との文言の衝突を強引に回避しようと試みながら(しかし、少なくとも「基礎となる事実」については抵触が残る)、過少申告を巡る事実関係や主観的状況を間接事実と位置づけ、無限定に判断基準に取り込むことにより、悪質だと総合判断される納税者には重加算税を課す(逆に、協力的で従順な納税者は過少申告で済ます)という、裁量による主観的な当罰性判断を先行させた重加算税賦課の新たな構造を認めるものといえる。単純過少申告との差異を、外形的・客観的には捨象しながら、「課税当局の賢明な法の適用」により、選択された納税者に不利益処分を課し、同時に他の納税者を威嚇するという図式こそ、課税庁がこの判決から引き出し、今後の課税実務を動かそうとする方向なのである。

この批判の核心にあると解される重加算税賦課判断の「主観化」は、平成6年最判が先に引用した判決理由の末尾の括弧書で昭和48年最判を参照しているところからも、窺い知ることができる。この点について次の指摘(住田裕子「判批(下)」商事法務1420号(1996年)9頁、11頁)は正鵠を射たものといえる(川神・前掲「判解」611頁(注24)も参照)。

刑事判例であるにもかかわらず、このように民事判例上に参照判例として掲げたことに、最高裁の考え方がうかがわれる。判例法理は、重加算税に過少申告の故意は要件とは不要であるとしつつも、実質は、ほ脱犯(=故意犯)の故意の考え方と同様である、ないしは参考とし得るとするものではないだろうか。

きわめて大雑把ではあるが、ほ脱犯が認定される場合は、ほ脱の故意が認定される事実関係が認められるのであるから、当然、重加算税も認定し得る関係にあるとしてよいと思われ、本最判は、刑事判例を参照判例とすることによって、その関係に言及したものといえよう。

平成6年最判は、このように重加算税賦課の判断を「主観化」し、もってつまみ申告をもその対象に取り込み重加算税の賦課対象を拡大したものと解されるが、ただ、そのための一般論まで示すものではなく、その判断は「本件事案に応じた事例判断」(川神・前掲「判解」605頁)すなわち事例判決と解されている(岩﨑・前掲「判批」155頁は「本判決によっては、右の論争点に関する最高裁としての具体的見解ないし方針が示されているとは解されないのである。」とする)。

2 平成7年最判の立場

これに対して、平成7年最判は、次の「三」のとおり重加算税の賦課要件の解釈に関する「一般論」(近藤・前掲「判解」481頁)を判示し、税理士による確定申告書の作成・提出の事案ではあるが広い意味でつまみ申告に属する事案(「税理士に対する秘匿行為の評価」については同484頁、住田・前掲「判批(下)」13頁参照)について、次の「四」のとおり重加算税の賦課要件該当性を肯定した。

三 過少申告をした納税者が、その国税の課税標準等又は税額等の計算の基礎となるべき事実の全部又は一部を隠ぺいし、又は仮装し、その隠ぺいし、又は仮装したところに基づき納税申告書を提出していたときは、その納税者に対して重加算税を課することとされている(国税通則法68条1項)。この重加算税の制度は、納税者が過少申告をするについて隠ぺい、仮装という不正手段を用いていた場合に、過少申告加算税よりも重い行政上の制裁を科することによって、悪質な納税義務違反の発生を防止し、もって申告納税制度による適正な徴税の実現を確保しようとするものである。
 したがって、重加算税を課するためには、納税者のした過少申告行為そのものが隠ぺい、仮装に当たるというだけでは足りず、過少申告行為そのものとは別に、隠ぺい、仮装と評価すべき行為が存在し、これに合わせた過少申告がされたことを要するものである。しかし、右の重加算税制度の趣旨にかんがみれば、架空名義の利用や資料の隠匿等の積極的な行為が存在したことまで必要であると解するのは相当でなく、納税者が、当初から所得を過少に申告することを意図し、その意図を外部からもうかがい得る特段の行動をした上、その意図に基づく過少申告をしたような場合には、重加算税の右賦課要件が満たされるものと解すべきである。

四 これを本件について見ると、上告人は、昭和60年から62年までの3箇年にわたって、被上告人に所得税の確定申告をするに当たり、株式等の売買による前記多額の雑所得を申告すべきことを熟知しながら、あえて申告書にこれを全く記載しなかったのみならず、右各年分の確定申告書の作成を顧問税理士に依頼した際に、同税理士から、その都度、同売買による所得の有無について質問を受け、資料の提出も求められたにもかかわらず、確定的な脱税の意思に基づいて、右所得のあることを同税理士に対して秘匿し、何らの資料も提供することなく、同税理士に過少な申告を記載した確定申告書を作成させ、これを被上告人に提出したというのである。もとより、税理士は、納税者の求めに応じて税務代理、税務書類の作成等の事務を行うことを業とするものであるから(税理士法2条)、税理士に対する所得の秘匿等の行為を税務官公署に対するそれと同視することはできないが、他面、税理士は、税務に関する専門家として、独立した公正な立場において納税義務の適正な実現を図ることを使命とするものであり(同法1条)、納税者が課税標準等の計算の基礎となるべき事実を隠ぺいし、又は仮装していることを知ったときは、その是正をするよう助言する義務を負うものであって(同法41条の3)、右事務を行うについて納税者の家族や使用人のようにその単なる履行補助者の立場にとどまるものではない。
 右によれば、上告人は、当初から所得を過少に申告することを意図した上、その意図を外部からもうかがい得る特段の行動をしたものであるから、その意図に基づいて上告人のした本件の過少申告行為は、国税通則法68条1項所定の重加算税の賦課要件を満たすものというべきである

平成7年最判が判示した上記の「一般論」については次の解説(近藤・前掲「判解」481-482頁。下線筆者)が加えられている(川神・前掲「判解」606-607も参照)。

この問題について、本判決は、「過少申告行為そのものとは別に、隠ぺい、仮装と評価すべき行為が存在し、これに合わせた過少申告がされたことを要する」が、「右の重加算税制度の趣旨にかんがみれば、架空名義の利用や資料の隠匿等の積極的な行為が存在したことまで必要であると解するのは相当でなく、納税者が、当初から所得を過少に申告することを意図し、その意図を外部からもうかがい得る特段の行動をした上、その意図に基づく過少申告をしたような場合には、重加算税の右賦課要件が満たされるものと解すべきである。」との一般論を示している。〔判例④[=平成6年最判]〕と異なり、「殊更の過少申告」という言葉は用いていないが、その意味を敷衍したものであると解されよう。

すなわち、過少申告の意図を実現するための特段の行動があり、その行動によってその意図が外部からもうかがい得るような場合には、隠ぺい、仮装と評価すべき行為が存在するものとして、重加算税の前記賦課要件が満たされるとするものであるが、これは、従前の判例・学説を踏まえながら、いたずらに厳格な解釈をして重加算税制度の趣旨を没却する結果となることを避け、他方、重加算税の賦課対象が不当に拡張されることを防止することを目的として、国税通則法68条1項の合目的的解釈を試みたものであるということができる。もっとも、「・・・・ような場合には」という表現が用いられているところからすると、完結的に必要十分条件としての賦課要件を示したものではなく、本件を解決するのにな必要な限度で十分条件のみを示したものと理解すべきであろう。

この解説によれば、「本判決[=平成7年最判]は、重加算税の賦課要件について一般論を示してはいるが、既に述べたとおり完結的にその必要十分条件を明らかにしているものではなく、基本的には、〔判例④=最三小判平成6・11・22民集48巻7号1379頁〕と同様に事例判決の性質を有するものである。」(近藤・前掲「判解」485頁)ということになろうが、その点はともかく、平成7年最判が示した一般論は、同最判が基本的には平成6年最判と同じく事実関係総合判断説に近い立場に立ちつつも、重加算税賦課判断の「主観化」に対して一定の歯止めをかけようとしたものであると解される(そうであるからこそ、平成7年最判は、基本的には同じくつまみ申告の事案でありながら、平成6年最判を参照しなかったのではないかと考えられる)。

その歯止めは、第1に、「重加算税を課するためには、納税者のした過少申告行為そのものが隠ぺい、仮装に当たるというだけでは足りず、過少申告行為そのものとは別に、隠ぺい、仮装と評価すべき行為が存在し、これに合わせた過少申告がされたことを要するものである。」という判示に見出すことができる(岡村忠生「判批」税法学534号(1995年)110頁、114頁参照)。ここでは、「隠ぺい、仮装と評価すべき行為」(これは「架空名義の利用や資料の隠匿等の積極的な行為」に限らない)と「過少申告行為」は別の行為として把握され、しかも後者は前者に「基づき」されたものであることまでは要しないものの「合わせた」ものであることを要するものとされている。

第2の歯止めは、平成6年最判が強調した「真実の所得金額を隠ぺいしようという確定的な意図」がある場合を、「納税者が、当初から所得を過少に申告することを意図し、その意図を外部からもうかがい得る特段の行動をした上、その意図に基づく過少申告をしたような場合」(下線筆者)と表現し直すことによって、「その意図」を推認するための総合判断の対象を「特段の行動」に限定し(住田・前掲「判批(下)」11頁参照)、かつ、「その意図」と「過少申告」との因果関係を要求したものと解される点に、見出すことができる。この点について補足しておくと、平成7年最判が前記の「合わせた」という表現を用いたのは、「過少申告」が「基づく」のが「特段の行動」(これは「隠ぺい、仮装と評価すべき行為」を意味すると解される)ではなく「その意図」であるという論理構成に基づき、重加算税の賦課要件としての因果関係(「基づき」)について、「・・・・ような場合には」という表現とも相俟って、「いたずらに厳格な解釈」(近藤・前掲「判解」482頁)ではなく「国税通則法68条1項の合目的的解釈」(同頁)を行った結果であると解される。

問題は、平成7年最判が平成6年最判の打ち出した重加算税賦課判断の「主観化」の方向に対して一定の歯止めをかけようとしたのはなぜかである。この問題を解く手がかりは、重加算税と逋脱罪との関係をどのように考えるかにあるように思われるので、その関係について次のⅢで検討することにする。

 

Ⅲ 重加算税賦課判断の「主観化」に対する二重処罰禁止違反否定判例の意義

平成6年最判に関する調査官解説では、「ほ脱罪との関係について」(川神・前掲「判解」600頁)次のように述べられている(同601頁。下線筆者)。

「偽りその他不正の行為」と、「隠ぺい」、「仮装」とは、厳密には別個の概念であり、その機能する場面が異なることから、ある行為が一方に該当し、他方に該当しないということも当然あり得るところであり、また、一般的には、前者が、後者を含み、これよりも広い概念であると解されている。しかしながら、いずれも適正な申告納税制度に反する納税義務違反に対する制裁にかかわること等から、多くの場合相互に一致して重なり合うことも否定できず、したがって、殊更の過少申告行為が刑罰の適用要件である「偽りその他不正の行為」に当たる以上、多くの場合、「隠ぺい」、「仮装」にも当たると解すべきであると考えることにも自然な面がある。消極説のように、申告前の帳簿操作等がない限り一切「隠ぺい」には当たらないと解することには、両者の均衡、重加算税制度の趣旨に照らして首肯し難い面があることは否定できない。

この解説の最後の1文は、つまみ申告の重加算税賦課要件該当性に関する消極説に反対する論拠として「両者の均衡」と「重加算税制度の趣旨」を援用しているが、前者すなわち「偽りその他不正の行為」と「隠ぺい・仮装」との均衡は、事実関係総合判断説に基づく重加算税賦課判断の「主観化」を支持する論拠となり得るかもしれない。というのも、「偽りその他不正の行為」に関する判例において「逋脱の意図」(最大判昭和42年11月8日刑集21巻9号1197頁等)という主観的要素を重視する傾向が定着してきた中で、重加算税賦課判断の「主観化」及びこれによる重加算税の賦課対象の拡大は、「偽りその他不正の行為」と「隠ぺい・仮装」との均衡の観点からみると、次の見解(佐藤英明『脱税と制裁〔増補版〕』(弘文堂・2018年)397-398頁[初出・2000年]。傍点原文、下線筆者)の説くように、「自然なこと」、「必然的なもの」であるという理解も論理的には成り立ち得るからである(もっとも、後述するように、そのような理解は妥当でないと考えるところである。なお、次の引用文中の「制度としての統一性と一体性」は、同391頁にいう「脱税に対する租税制裁制度の統一性」と同義であり、加算税と租税犯を「『脱税に対処するための制度』として統一的に考察する」(同13頁[初出・1989年])「『租税制裁法』という機能的な考察の枠組み」(同14頁)に基づく観点である)。

逋脱犯に関するこのような現在の判例[の主観的要素重視]の状況は、言うまでもなく、重加算税の対象を拡大する要素となると考えられる。もしも、確定的な逋脱(脱税)の意図の下に行われる「つまみ申告」を重加算税の対象としないならば、それは、逋脱額、逋脱割合等を考慮した適正な裁量にもとづいて起訴された場合には刑事罰の対象となる行為が、そのような刑事起訴―日本では脱税で起訴されることはきわめて稀である―がなければ、過少申告加算税を除き、何らの実効的な制裁の対象ともならないことになるからである。この状況は、単に制裁の規定が不十分で対象に含めるべきものが含められていないという、水平的な不均衡を超えて、[脱税に対する租税制裁]制度としての統一性と一体性を損ない、その合理性を毀損する事態であるとすらいいうるであろう。

このように考えれば、逋脱犯の処罰範囲を拡大してきた判例が・・・、その延長線上に、重加算税の課税対象の拡大を認めたのは自然なことであり、その意味で、逋脱犯の成立要件を満たすと考えられる事案に関する最判平成6年11月22日と最判平成7年4月28日の二つの最高裁判決は、その論理はともかく、重加算税の賦課を認めるという結論は必然的なものであったと考えられるのである。

これに対して、後者すなわち「重加算税制度の趣旨」は、事実関係総合判断説に基づく重加算税賦課判断の「主観化」に対して一定の歯止めをかける論拠と考えるべきである。というのも、「重加算税制度の趣旨」は、二重処罰禁止違反否定判例において次の判示(最判昭和45年9月11日刑集24巻10号1033頁。下線筆者)のとおり刑罰との併科による二重処罰の禁止違反を否定する論拠(の1つ)として援用されていることからすると、重加算税賦課判断の「主観化」を、逋脱犯に関する「逋脱の意図」という主観的要素重視の傾向の延長線上に展開するための論拠とすることはできず、むしろそのような傾向とは異なる意味であるいは一線を画する形で展開するための論拠とすべきであると考えられるからである。

所論は、重加算税のほかに刑罰を科することは、憲法39条に違反する旨主張する。

しかし、国税通則法68条に規定する重加算税は、同法65条ないし67条に規定する各種加算税を課すべき納税義務違反が課税要件事実を隠ぺいし、または仮装する方法によつて行なわれた場合に、行政機関の手続により違反者に課せられるもので、これによつてかかる方法による納税義務違反の発生を防止し、もつて徴税の実を挙げようとする趣旨に出た行政上の措置であり、違反者の不正行為の反社会性ないし反道徳性に着目してこれに対する制裁として科せられる刑罰とは趣旨、性質を異にするものと解すべきであつて、それゆえ、同一の租税ほ脱行為について重加算税のほかに刑罰を科しても憲法39条に違反するものでないことは、当裁判所大法廷判決の趣旨とするところである(昭和33年4月30日大法廷判決・民集12巻6号938頁参照。なお、昭和36年7月6日第一小法廷判決・刑集15巻7号1054頁参照。)そして、現在これを変更すべきものとは認められないから、所論は、採ることができない。

重加算税賦課判断の「主観化」を上述のような意味あるいは形で展開するものと解される見解として、その「主観化」を重加算制度と過少申告加算税制度との区分(実質上・制度趣旨上の区分と要件上の区分)の文脈で展開する次の見解がある(①=住田裕子「判批(上)」商事法務1419号(1996年)2頁、5頁、②=同6頁。下線筆者)。

【①】

私見においても、この2つの制度の区分における実質的な差異は、申告納税制度を支える最重要基盤である「正直な申告」に違反するか否かによるものと考える。すなわち、重加算税は申告税額が過少であることについての認識がある場合、いわば、「故意行為」であり、一方、過少申告加算税はその認識がない場合、いわば、「過失行為」と位置づける。

【②】

このように、行政制裁の要件を定立する場合は、制度上、できるだけ主観面を排した客観的な行為を対象としたものとする必要がある。すなわち、重加算税制度が、過少申告行為の故意の存在を念頭に置いた制度であるとしても、その要件を定めるに当たっては、故意を要件とすることは相当ではない。これはとりも直さず、現行法上の隠ぺい・仮装要件の解釈においても、過少申告の故意を要件とすることは考えられないことになる。

このような視点について、これまで明確に論じたものがなかったように見受けられるが、私見の故意不要説の最大の論拠であり、かつ、判例法理の根底にあるものを理解する上でも、この点を抜きにすることはできないものと思われる。なお、品川氏は、重加算税が刑罰でないことの外、故意の立証を要求することは課税の実務に即していないことなど、主として実務上の査察事件の処理能力の観点から、不要説を採られる。私見は、これを一歩進め、行政制裁としての本質・制約からの当然の要請であるとする。

この見解は、重加算税と過少申告加算税とを実質上・制度趣旨上は過少申告の認識・意図(故意)の有無により区分しながら、要件上は「納税者の過少申告の意図を外部からうかがい得る特段の行動」、「過少申告の意図を認定・推認し得る客観的事実」、「過少申告の意図を推認し得る間接事実としての行為」(以上は住田・前掲「判批(下)」11頁)の有無により区分するものと解される。この見解は上記②の引用にもあるように「故意不要説」と自称しているが、それは、「その隠ぺい、仮装行為を原因として過少申告の結果が発生したものであれば足り、それ以上に、申告に際し、納税者において過少申告を行うことの認識を有していることまでを必要とするものではない」(最判昭和62年5月8日裁判集民151号35頁)とする判例の立場を踏まえたものと解される(住田・前掲「判批(上)」5頁、同「判批(下)」11頁等参照)。

以上のように検討してくると、このⅢの冒頭で取り上げた調査官解説の「消極説のように、申告前の帳簿操作等がない限り一切『隠ぺい』には当たらないと解することには、両者の均衡、重加算税制度の趣旨に照らして首肯し難い面があることは否定できない。」(下線筆者)という1文は、二重処罰禁止違反否定判例との関係を重視し「両者の均衡」よりも「重加算税制度の趣旨」に重点を置いた上で、理解するのが妥当であると考えられる。そして、そのような理解に基づき、前記の見解(住田裕子説)を重加算税賦課判断の「主観化」に対する歯止めの論拠として支持しておきたい。

もっとも、租税法律主義の下での税法の解釈論(拙著『税法基本講義〔第7版〕』(弘文堂・2021年)【44】以下参照)の観点からは、侵害規範である租税法規の中でも制裁の要素が強い重加算税の賦課要件については特に厳格な解釈が要請されることを考えると、重加算税賦課判断の「主観化」とこれによる重加算税賦課範囲の拡大に対しては、解釈上の歯止めだけでなく、むしろ手続的統制(差し当たり佐藤・前掲書403頁以下参照)も含め立法による歯止めこそが必要であると考えるところである(前掲拙著【128】参照)。

 

Ⅳ おわりに

今回は、納税申告義務の履行担保措置としての加算税のうち重加算税の賦課要件の解釈適用をつまみ申告に関して検討することとし、平成6年最判が重加算税賦課判断の「主観化」の方向を打ち出したこと、平成7年最判がこれに一定の歯止めをかけたこと及びその歯止めについては二重処罰禁止違反否定判例が重要な意味をもつことを明らかにした。

最後に、平成7年最判に関する調査官解説で従来の最高裁判例を総合して示された「判例理論」を以下に引用しておこう(近藤・前掲「判解」480頁。下線原文。判例①=最判昭和45年9月11日刑集24巻10号1333頁、判例②=最判昭和58年10月27日民集37巻8号1196頁、判例③=最判昭和62年5月8日裁判集民151号35頁、判例④=平成6年最判、判例⑤=昭和48年最判)。

重加算税制度は、課税要件事実を隠ぺいし、又は仮装する方法という不正手段を用いたとの特別の事由が存する場合に、過少申告の認識の有無にかかわらず〔判例③〕、過少申告加算税よりも重い制裁を課することによって、納税義務違反の発生を防止し、もって徴税の実を挙げようとする趣旨によるものであり〔判例①②〕、隠ぺい、仮装行為を原因として過少申告の結果が発生したものであることを要する〔判例③〕が、納税者が、真実の所得の調査解明に困難が伴う状況を利用し、真実の所得金額を隠ぺいしようという確定的な意図の下に、必要に応じ事後的にも隠ぺいのための具体的工作を行うことをも予定しつつ、所得金額を殊更過少に記載した内容虚偽の確定申告書を提出したような場合には、殊更の過少申告として重加算税の賦課要件が満たされる〔判例④⑤〕。そして、どのような場合に殊更の過少申告として重加算税の賦課要件が満たされるかについては、更に事例の積み重ねを要する。

この「判例理論」では平成7年最判が考慮されていないが、これを「判例⑥」として、「納税者が、・・・・・・ような場合には、殊更の過少申告として重加算税の賦課要件が満たされる〔判例④⑤〕。そして、どのような場合に殊更の過少申告として重加算税の賦課要件が満たされるかについては、」の部分を、「納税者が、・・・・・・ような場合には、重加算税の賦課要件が満たされる〔判例④⑤〕。ただし、納税者が、当初から所得を過少に申告することを意図し、その意図を外部からもうかがい得る特段の行動をした上、その意図に基づく過少申告をしたような場合に限る〔判例⑥〕。そして、それが具体的にはどのような場合であるかについては、」と加筆修正することによって、平成7年最判が重加算税賦課判断の「主観化」に一定の歯止めをかけたことを明示すべきであろう。

(了)

この連載の公開日程は、下記の連載目次をご覧ください。

連載目次

谷口教授と学ぶ「税法基本判例」

第1回~第20回

第21回~

筆者紹介

谷口 勢津夫

(たにぐち・せつお)

大阪学院大学法学部教授

1956年高知県生まれ。京都大学法学部卒業、同大学大学院法学研究科博士後期課程単位修得退学。甲南大学法学部教授、大阪大学大学院高等司法研究科教授を経て2022年4月より現職。大阪大学名誉教授。ほかに大阪大学大学院高等司法研究科長・大阪大学法務室長、アレクサンダー・フォン・フンボルト財団奨励研究員(Forschungsstipendiat der Alexander von Humboldt-Stiftung)・ミュンヘン大学客員研究員、日本税法学会理事長、租税法学会理事、IFA(International Fiscal Association)日本支部理事、資産評価政策学会理事、司法試験考査委員、公認会計士試験試験委員、独立行政法人造幣局契約監視委員会委員・委員長、大阪府収用委員会委員・会長、大阪府行政不服審査会委員・会長、公益財団法人日本税務研究センター評議員・同センター理事・同センター「日税研究賞」選考委員・同センター編集委員会委員、公益財団法人納税協会連合会「税に関する論文」選考委員、公益社団法人商事法務研究会「商事法務研究会賞」審査委員、近畿税理士会・近畿税務研究センター顧問など(一部現職。ほか歴任)。

主要著書は『租税条約論』(清文社・1999年)、『租税回避論』(清文社・2014年)、『租税回避研究の展開と課題〔清永敬次先生謝恩論文集〕』(共著・ミネルヴァ書房・2015年)、『税法の基礎理論』(清文社・2021年)、『税法創造論』(清文社・2022年)、『税法基本判例Ⅰ』(清文社・2023年)、『基礎から学べる租税法〔第4版〕』(共著・弘文堂・2025年)、『税法基本講義〔第8版〕』(弘文堂・2025年)、『税法基本判例Ⅱ』(清文社・2025年)など。
 
   

関連書籍

現代税法入門塾

石村耕治 編

入門税法

公益社団法人 全国経理教育協会 編

図解 租税法ノート

八ッ尾順一 著

実務必須の重要税務判例100

弁護士 菊田雅裕 著

徹底解説 課税上のグレーゾーン

辻・本郷税理士法人 監修 辻・本郷税理士法人 関西審理室 編 税理士 山本秀樹 著

法人税の損金経理

税理士 安部和彦 著

わたしは税金

公認会計士・税理士 鈴木基史 著

税法基本判例 Ⅰ

谷口勢津夫 著

社長!税務調査の事前対策してますか

公認会計士・税理士 清原裕平 著

国税調査の舞台裏

税理士 小倉敏郎 著

税法の基礎理論

谷口勢津夫 著

質問応答記録書の実務対応

税理士 鴻秀明 著
#