谷口教授と学ぶ
税法基本判例
【第26回】
「合法性の原則の内在的制約」
-スコッチライト事件・大阪高判昭和44年9月30日判時606号19頁の新たな読み方-
大阪学院大学法学部教授
谷口 勢津夫
Ⅰ はじめに
本連載は、基本的には、拙著『税法基本講義〔第7版〕』(弘文堂・2021年)で参照している判例の中から、同書における叙述の順に従って判例を取り上げ検討してきたが(第1回1参照)、今回と次回で同書第1編(税法の基礎理論)の参照判例の検討は一先ず終えることにする。その前に今回と次回は、合法性の原則の制約について、租税平等主義と信義則に関する判例を取り上げることにする。
今回は、古い裁判例ではあるが、スコッチライト事件・大阪高判昭和44年9月30日判時606号19頁(以下「本判決」という)を取り上げ、租税平等主義との関係で合法性の原則の制約を検討しながら、本判決の「新たな読み方」を提示することにしたい。まず、その検討に関連する本判決の判示を以下に引用しておこう(下線・傍点筆者)。
憲法84条は租税法律主義を規定し、租税法律主義の当然の帰結である課・徴税平等の原則は、憲法14条の課・徴税の面における発現であると言うことができる。みぎ租税法律主義ないし課・徴税平等の原則に鑑みると、特定時期における特定種類の課税物件に対する税率は日本全国を通して均一であるべきであつて、同一の時期に同一種類の課税物件に対して賦課・徴収された租税の税率が処分庁によつて異なるときには、少くともみぎ課・徴税処分のいづれか一方は誤つた税率による課・徴税をした違法な処分であると言うことができる。けだし、収税官庁は厳格に法規を執行する義務を負つていて、法律に別段の規定がある場合を除いて、法律の規定する課・徴税の要件が存在する場合には必ず法律の規定する課・徴税をすべき義務がある反面、法律の規定する課・徴税要件が存在しない場合には、その課・徴税処分をしてはならないのであるから・同一時期における同一種類の課税物件に対する2個以上の課・徴税処分の税率が互に異なるときは、みぎ2個以上の課・徴税処分が共に正当であることはあり得ないことであるからである。そしてみぎ課税物件に対する課・徴税処分に関与する全国の税務官庁の大多数が法律の誤解その他の理由によつて、事実上、特定の期間特定の課税物件について、法定の課税標準ないし税率より軽減された課税標準ないし税率で課・徴税処分をして、しかも、その後、法定の税率による税金とみぎのように軽減された税率による税金の差額を、実際に追徴したことがなく且つ追徴する見込みもない状況にあるときには、租税法律主義ないし課・徴税平等の原則により、みぎ状態の継続した期間中は、法律の規定に反して多数の税務官庁が採用した軽減された課税標準ないし税率の方が、実定法上正当なものとされ、却つて法定の課税標準、税率に従つた課・徴税処分は、実定法に反する処分として、みぎ軽減された課税標準ないし税率を超過する部分については違法処分と解するのが相当である。したがつて、このような場合について、
課税平等の原則は、みぎ法定の課税標準ないし税率による課・徴税処分を、でき得る限り、軽減された全国通用の課税標準および税率による課・徴税処分に一致する
ように訂正し、これによつて両者間の平等をもたらすように処置することを要請しているものと解しなければならない。
・・・・・・、当時は、大蔵省関税局、全国の各税関および本件物品と同種の物品の輸入業者の多数の傾向としては、みぎ物品に対する関税の税率は別表7014号により20%であると観念され、且つその取扱いをしていたのであつて、ひとり本件物品に対する神戸税関の課・徴税処分のみが、30%の税率によつたものと認められるのである。
みぎ事実関係の下では、別表および通則の施行された昭和36年6月1日から、大蔵省関税局長から各税関長宛に本件物品と同種物品の税率を30%とする旨の通達があつた昭和38年10月14日までの間は、租税法律主義ないし課・徴税平等の原則の適用によつて、本件物品と同種の物品の関税の税率は、実定法上全国統一的に20%であつて、その期間中に本件物品に対して30%の関税を賦課徴収した神戸税
関の課・徴税処分は、結局において、超過した10%の限度において法律に基づか
ない違法な課・徴税処分に当ると言うことができる。
Ⅱ 伝統的・通説的な読み方-対立思考と合法性の原則の外在的制約-
本判決は、当初から、税法の執行の場面における租税法律主義(税法における法律による行政の原理すなわち合法性の原則)と租税平等主義ないし租税公平主義との対立ないし抵触の問題を後者の優先により解決した判決として、理解されてきたように思われる。本判決に関する評釈は多くはないが最初のものと思われる判例評釈では次の理解が示されていた(吉良実「判批」シュトイエル94号(1970年)9頁、15-16頁。下線筆者。なお、吉良教授は本判決の結論に反対の立場である)。
租税法律主義を徹底せしめた場合と、租税平等主義を徹底せしめた場合とでその結論が異なるような問題が生じた場合、つまり両者が結果的に相対立することとなるような問題が生じた場合にもその何れを優先せしめて問題の解決をはかるべきであろうか。本件判決は、誤った事実認定および成文法の解釈・適用による先例・慣行(横浜税関、大阪税関等の課・徴税処分)等との公平をはかるために、正しい事実認定および成文法の解釈・適用(神戸税関のそれ)による課・徴税処分を違法としたのであるから、租税平等主義を租税法律主義に優先せしめて問題の解決をはかつているものといえよう。けだし租税法律主義を租税平等主義に優先せしめるからには、たとえ今までにどのような先例・慣行が通用していようとも、それが成文法の規定どおりに課・徴税処分をすべきであることは明らかであり、その結果がたとえ課・徴税の不平等を来たすようなことになつても、それは租税法律主義の立場から当然是認されるべきものであつて、そのような課・徴税処分が違法となるようなことはないはずであるからである。
本判決に関する評釈は、その結論に賛成か反対かはともかく(賛成の立場に立つものとして大林正平「判批」愛知大学法経論集法律篇84号(1977年)107頁、119頁、反対の立場に立つものとして吉良・前掲「判批」16頁、市原昌三郎ほか編『ワークブック行政法』(有斐閣・1976年)8頁[市原執筆]参照)、本判決が解決すべき問題を税法の執行における租税法律主義と租税平等主義との対立として捉えている点では、共通していたように思われる(以下ではそのような問題の捉え方を「対立思考」という)。
対立思考に基づき本判決を理解しようとする見解は、今日でも、税法及び行政法の学説にも広くみられるところである。例えば、清永敬次教授は「税法の執行上の原則としての租税平等主義」について、次のとおり述べて(同『税法〔新装版〕』(ミネルヴァ書房・2013年)33-34頁。下線筆者)、その第2文及び第3文で財産評価を取り上げ対立思考に基づく解説をし、その第4文及び第5文で、本判決を念頭に置いたものと解される解説をしておられる(その文末に【重要判例】として本判決を掲載しておられる。金子宏『租税法〔第24版〕』(弘文堂・2021年)96-97頁も参照)。
税法の執行上の原則としての租税平等主義は、例えば、通達の適用との関係で問題になるであろう。財産の評価が、ある通達(例、財産評価基本通達)によって一般的に行われているようなときに、ある特定の納税者については特別の事情がないにもかかわらず別の基準による評価がなされるような場合である。その特定の納税者に対する別の評価基準の適用がむしろ税法令の定めるところに合致するような場合でも、この場合は税法令への適合性の要請は退き、租税平等主義により、特定の納税者に対する別の評価基準の適用は恣意的な差別として許されないというべきであろう。通達という形式のものが存在しない場合でも、一般的にほぼ同一の取扱いが税務行政上行われているような場合、ある特定の納税者に対するこれと異なる取扱いは特に異なる取扱いを正当化する特別の事情が存在しない限り、租税平等主義により許されないものといわなければならない。租税平等主義に反する課税処分は違法な処分となる。
行政法の分野でも、例えば、宇賀克也教授は、「行政法の一般原則」の1つとして「平等原則」を説明する旨を述べ(同『行政法概説Ⅰ 行政法総論〔第7版〕』(有斐閣・2020年)49頁、65頁参照)、その上で、対立思考に基づき「法律による行政の原理と平等原則とが抵触する場合にいずれを優先させるかは困難な問題である」(同65頁)と述べつつも、本判決が「租税平等原則が租税法律主義に優先する場合があることを明言した」(同67頁)との理解を示しておられる(同「判批」租税判例百選〔第3版・1992年〕18頁、19頁~同〔第6版・2016年〕21頁、22頁も同旨。同様の理解を示すものとして大橋洋一『行政法Ⅰ 現代行政過程論〔第4版〕』(有斐閣・2019年)50-51頁等のほか、巽智彦「判批」租税判例百選〔第7版・2021年〕21頁、22頁も参照)。
以上でみたように、対立思考は、税法の執行上の原則としての租税平等主義を租税法律主義の外部にある要請として捉え、この外在的要請による租税法律主義の制約によって両者の対立を解消しようとするものであることから、その制約は租税法律主義の妥当範囲について外在的制約を構成するといってよかろう(以下「合法性の原則の外在的制約」という)。
Ⅲ 新たな読み方-調和思考と合法性の原則の内在的制約-
ところで、対立思考に基づき本判決を合法性の原則の外在的制約を認めた裁判例として理解してきた伝統的・通説的な読み方に対して、近時、本判決を租税法律主義(合法性の原則)と租税平等主義・租税公平主義とのいわば「調和」の中で理解しようとする新たな読み方が登場してきた。そのような理解の仕方を「調和思考」と呼ぶとすれば、それには以下のとおり「合法性の原則『出自』見直し説」と「『合法課税』適用違憲説」ともいうべき2通りの考え方があるように思われる。
1 合法性の原則「出自」見直し説
まず、筆者が「合法性の原則『出自』見直し説」と呼ぶ考え方を説かれるのは、佐藤英明教授である。佐藤教授は本判決について次の理解を示しておられる(同「租税法律主義と租税公平主義」金子宏編『租税法の基本問題』(有斐閣・2007年)55頁、63-64頁。下線筆者。同『スタンダード所得税法〔第3版〕』(弘文堂・2022年)491頁も参照)。なお、佐藤教授の見解を肯定的に捉えるものとして巽・前掲「判批」22頁、中里実ほか編『租税法概説〔第4版〕』(有斐閣・2021年)23-24頁[藤谷武史執筆]参照)。
この判決は課税処分を平等取扱い原則違反で違法とした(ただし無効ではないとした)のであるが、その前提として、
「憲法84条は租税法律主義を規定し、租税法律主義の当然の帰結である課・徴税平等の原則は[、]憲法14条の課・徴税の面における発現であるとい[ママ]うことができる。」
と述べ、平等取扱い原則の根拠として憲法14条のみならず、84条をも引用しているのである。
このように租税法律主義と租税公平主義を直結させる際の論理は、おそらく、合法性の原則の強調であろう。課税行政庁が法律の規定によることなく課税できないばかりか、法律の規定によることなく課税を差し控えることも許されないために、結果として、すべての納税者が同じように取り扱われ、形式的に平等な結果が得られると考えられるのである。
佐藤教授は、本判決に関する上記の理解から、「裁判例において合法性の原則が租税法律主義と租税公平主義とを結ぶものとして重視されていることをどのように評価すべきか」(同・前掲論文64頁)という問題を検討課題として導き出された上で、合法性の原則の位置づけに関する検討結果として次のとおり述べておられる(同・前掲論文69頁。下線筆者)。
この説明から明らかなように、実質的な面での合法性の原則の「出自」は租税公平主義にある。そう考えれば、この原則が租税法律主義に位置づけられることによって、租税法律主義と租税公平主義とが結びつけられていた裁判例の理解は容易である。それとともに、課税要件法定主義と予測可能性原則とに二層化された租税法律主義の中には合法性の原則の居場所をみつけることは困難になる。
佐藤教授は、このように、実質的な面での合法性の原則の「出自」を租税公平主義に認め、その「出自」をもって租税法律主義と租税公平主義とを結びつけ(筆者の表現によれば「調和」させ)、さらには「合法性の原則を租税法律主義の内容から除外し」(同・前掲論文69頁)た上で、そのような調和思考に基づき本判決の理解を試みておられるものと解される。
佐藤教授のこのような考え方は、確かに、論理的には十分成り立ち得るものである。しかし、わが国における租税法律主義が明治憲法下で法律による行政の原理とりわけ侵害留保原理として出発し、佐藤教授が租税法律主義の「中核」に据えておられる課税要件法定主義(同・前掲論文64頁参照)は、現行憲法下で財政民主主義(83条)を具体化するものとして租税法律主義の内容に追加されたもの(租税法律主義の民主主義的再構成)であるという沿革からすると、歴史的には成り立たないように思われる(拙著『税法創造論』(清文社・2022年)45-46頁[初出・2020年]のほか8-14頁[同]参照)。
そうすると、佐藤教授は上記のような沿革から離れて合法性の原則の「出自」を見直されたものと解されるが(このような理解に基づき筆者は佐藤教授の考え方を「合法性の原則『出自』見直し説」と呼ぶのである)、その見直しの際援用された「この説明」(前記引用文)は、金子宏教授による下記の説明(同ほか編『租税法講座―第1巻 租税法基礎理論―』(帝国地方行政学会・1974年)231頁[同『租税法理論の形成と解明 上巻』(有斐閣・2010年)61-62頁収録]。下線筆者)である。
この[=合法性の原則の]実質的根拠は、このように解さなければ、租税法の執行にあたって不正が介在するおそれがあるのみでなく、納税義務者によって取扱いが区々になり税負担の公平が維持できなくなる、ということに求めることができる。
金子教授はこの説明を、当初は次のような表現で行っておられた(同「租税法律主義について」税経通信20巻5号(1965年)21頁、22頁。下線筆者)。
これ[=合法性の原則]によると、租税を減免したり、その徴収を猶予するためには、法律の根拠がなければならないことになるが、これは、租税法規は画一・強制的に執行されるべきであり、相手方によって取扱いを区々にすることは許されない、という考え方の表明であろう。
ここで述べられている「考え方」は、金子教授が「租税法規の特色」の1つとして「強行性」について次のとおり述べておられる考え方(同・前掲『租税法』31頁。下線筆者)であると解される。
(2) 強行性 租税法は、原則として、強行法の性質をもつ。租税法は、多数の納税義務者にかかわりをもつから、相手方の意思いかんにかかわらず画一的に(すなわち同一の状況にある者は同一に、そして同一の状況にある事実は同一に)取り扱うのでなければ、その適用がまちまちになり、納税者間の公平を維持することが困難になる。ここに、租税法が強行法の性質をもつゆえんがある。したがって、法律上の根拠なしに、納税義務の全部または一部を免除し、あるいは納税義務の範囲や履行方法について和解をすることは認められない(この点については、さらに本編第4章第1節2(3)[=合法性の原則]参照)。
このようにみてくると、佐藤教授が合法性の原則の「出自」を見直すに当たって援用された金子教授の考え方は、税負担の公平の維持を租税公平主義の観点からではなく租税法規の強行性の観点から説くものであると解されるので、合法性の原則の「出自」を租税法律主義ではなく租税公平主義にあるものとして見直すための根拠としては、適切でないように思われる
そうすると、合法性の原則「出自」見直し説は、本判決の読み方としても妥当でないように思われるが、だからといって、調和思考も妥当でないとはいえないように思われる。この点については、合法性の原則「出自」見直し説のように合法性の原則を租税公平主義と結びつけその枠内に「包摂」(佐藤・前掲論文70頁)するのではなく、以下で述べる「『合法課税』適用違憲説」とでもいうことができる考え方によって、合法性の原則の内部に租税平等主義による制約(合法性の原則の内在的制約)を設定するという論理構成をもって、合法性の原則と租税平等主義との調和を図るのが相当であると考えるところである。
2 「合法課税」適用違憲説
租税平等主義ないし租税公平主義は「租税の領域にあらわれた平等原則」(清永・前掲書32頁)であるが、憲法14条1項の定める平等原則については、その意義をめぐる議論が法適用平等説(立法者非拘束説)から法内容平等説(立法者拘束説)へと展開されてきたところである(差し当たり長谷部恭男編『注釈日本国憲法(2) 国民の権利及び義務(1) §§10~24』(有斐閣・2017年)169頁[川岸令和執筆]参照)。
今日の通説・判例というべき法内容平等説は、「正確にいえば法内容・適用平等説」(内野正幸『憲法解釈の論点〔第4版〕』(日本評論社・2005年)49頁)であるが、ただ、「法令違憲の場面に関心を集中させてきた憲法学」(原田大樹「平等原則と比例原則」法律時報90巻8号(2018年)16頁、21頁)においては平等原則のうち「法内容平等」の側面が重視されてきたのに対して、行政法学においては行政法の一般原則としての平等原則(前記Ⅱ参照)について「法適用平等」の側面が重視されてきたように思われる。
このような学問状況の中で、税法学は租税平等主義について「法内容平等」及び「法適用平等」の両方の側面を重視してきたが(例えば、清永・前掲書32-34頁、金子・前掲『租税法』90-97頁参照)、このことは税法学の特色といってもよかろう(この点について、宍戸常寿「租税立法の合憲性審査の基準」日税研論集77号(2020年)221-222頁も参照)。とはいえ、税法学は、租税平等主義の上記の両方の側面を重視してきたものの、それらの側面の相互関係やその意味内容を明らかにはしてこなかったように思われる。
もっとも、この点については、「法内容平等」と「法適用平等」とを媒介する論理が暗黙ないし当然の前提として措定されてきたと考えることができるように思われる。その媒介論理は、「法内容平等」の要請を満たす法律規定においてはその内容を当該規定の実際の適用上も平等に実現するための措置が講じられているはずであり、講じられていなければならない、というような考え方である。そのような措置は、何よりもまず、「法内容平等」を実現するのに必要かつ十分な規律密度・明確性を確保した形で当該規定を定めることであるが、これも「法内容平等」の一環としてあるいはその延長線上において当該規定に内在する立法の問題である。
このような媒介論理を措定する可能性・必要性を示唆してくれたのは、ドイツ連邦憲法裁判所2014年12月17日判決の次の要旨及び判示である(BVerfG v. 17.12.2014 - 1 BvL 21/12, BVerfGE 138, 136, Ls.5, Rz.254. 下線筆者。この判決については前掲拙著『税法創造論』284-285頁[初出・2017年]も参照)。
【Ls.5】
租税法律が目的としない、かつ、平等権に照らして正当化することができない租税負担軽減を受けることを可能にするような取引形式を、当該租税法律が許容する場合、当該租税法律は違憲である。
【Rz.254】
租税法律が設定した目的に反して租税負担を軽減する形成を相当な範囲で(in erheblichem Umfang)許容する場合、当該租税法律は初めから違憲であり得る。租税法律がはっきりと認識できる形で目的とせず、かつ、平等権に照らして正当化され得ないような租税負担軽減、に帰着する形成を当該租税法律が納税義務者に許容する場合、当該租税法律が初めから違憲であることは明らかである。まさに税法において広く流布され原則として受け入れられるべきであるのは、租税負担軽減を関連する要件要素のこれに相応する形成によってできる限り要求し、あるいはこれに準ずる方法で租税負担を回避するように私的自治の枠内で自己の法律関係を形成しようとする試みである(参照BVerfGE 9, 237<249 f.>)。そのような形成は、租税基本法(Abgabenordnung)42条にいう濫用に該当しない限りは、許容され[課税上も]考慮されるべきである。確かに、そのような形成は、その動機及び目的であるそのときどきの法律規定の効力を―課税根拠規定の場合は―制約し、あるいは―課税減免規定の場合は―拡張し、もって当該法律の目的が不平等取扱いの正当根拠としての適格性を失うようにしてしまう。ただし、租税上の形成は、それが非典型的な個別事例に明白には限定されていない場合のみ、ある規定の効力に関連性をもつようになる。換言すれば、法の濫用でないとしても望ましくはない個別事例形成は、ある規定の憲法適合性に関わりをもたないのである。
この判決は事業承継税制に関する相続税の課税減免規定を平等権侵害で違憲(法令違憲)としたが、その意味するところは、租税基本法42条という一般的否認規定によって否認されないが望ましくはない(課税上の不平等取扱いをもたらす)租税上の形成を、当該課税減免規定が「相当な範囲で」許容する場合には(勿論、その許容が非典型的な個別事例にとどまる場合は格別)、当該課税減免規定それ自体には、そのような租税回避の試みを阻止し課税の公平を確保するのに必要かつ十分な規律密度・明確性が欠如しているとみて、その結果「相当な範囲で」課税の不平等が生じ得ることを理由に、当該課税減免規定を違憲と判断したものであると解されるのである。
さて、本判決は、前記Ⅰ引用部分の第1段落の後半部分において「租税法律主義ないし課・徴税平等の原則」を援用して、「法定の課税標準、税率に従つた課・徴税処分」につき「実定法に反する処分」、「違法処分」という、一見すると相矛盾する表現で判断を示しており、そうであるが故に、伝統的・通説的には対立思考に基づく読み方がされてきたのであろうが、しかし、以上の検討を前提にして本判決を改めて読み直してみると、上記の部分に「したがって」で続けて述べられている次の判示(下線筆者)が注目される。
このような場合について、課税平等の原則は、みぎ法定の課税標準ないし税率による課・徴税処分を、でき得る限り、軽減された全国通用の課税標準および税率による課・徴税処分に一致するように訂正し、これによつて両者間の平等をもたらすように処置することを要請しているものと解しなければならない。
ここで注目されるのは、①他の箇所では「課・徴税平等の原則」という言葉を用いながら「課税平等の原則」という言葉を用いていることと、②同原則が「みぎ法定の課税標準ないし税率による課・徴税処分を、でき得る限り、軽減された全国通用の課税標準および税率による課・徴税処分に一致するように訂正し、これによつて両者間の平等をもたらすように処置することを要請しているもの」と解していることである。
まず上記の①について、「課・徴税平等の原則」は「課税」と「徴税」の両面について平等取扱いを要請するものであるが、そのうち「徴税」の面での平等取扱いは専ら税法の執行における法適用平等を意味するのに対して、「課税」の面での平等取扱いは、「徴税」と対比される「課税」が納税義務の確定を意味するものと解される以上、確定の対象となる成立した納税義務の内容における法内容平等とその納税義務の確認における法適用平等の両方を含むものと解される。
そうすると、「課税平等の原則」は、納税義務の内容を定める税法(課税要件法。本件では関税定率法)に関する法内容平等を、その適用上も実現するための措置を要請するものと解されるが、本判決はその措置を前記②すなわち「みぎ法定の課税標準ないし税率による課・徴税処分を、でき得る限り、軽減された全国通用の課税標準および税率による課・徴税処分に一致するように訂正し、これによつて両者間の平等をもたらすように処置すること」として捉えていると解される。
そして、前記②にいう「訂正」は、本件における「法定の課税標準ないし税率による課・徴税処分」のうち「軽減された全国通用の課税標準および税率」を超える部分を違憲(関税定率法の適用違憲)とする措置を意味するものと解される。そうすると、本件においてはその超過部分について課・徴税処分の根拠となる関税定率法の規定が存在しないこととなるので、本判決は前記Ⅰ引用部分の末尾で「神戸税関の課・徴税処分は、結局のところ、超過した10%の限度において法律に基づかない違法な課・徴税処分に当ると言うことができる。」(下線筆者)と判示したものと解されるのである。
なお、前記のドイツ連邦憲法裁判所判決は相続税の課税減免規定を平等権侵害で法令違憲と判断したが、本判決は本件物品に係る関税定率法の規定の内容それ自体を不平等と判断したのではなく、その規定に関する神戸税関長の解釈適用が関税定率法上正しいと判断しつつ、「できる限り」(前記②)法定の課税標準ないし税率による課・徴税処分を、軽減された全国通用の課税標準および税率による課・徴税処分に一致するように訂正するために、適用違憲という判断手法を用いたものと解される。このような理解によれば、昭和38年10月14日に示された大蔵省関税局長の通達は、本件物品に係る関税定率法の規定の適用違憲を回避する限りにおいて、その規定の規律密度・明確性の不足を補完するものと評価することができよう。
以上を要するに、本判決は、税法の不平等な適用による課・徴税処分を租税平等主義により「法律に基づかない」課・徴税処分とみて合法性の原則の枠外に位置づけたものと解される。その位置づけに当たって、法内容平等の観点からは問題のない規定に基づく「合法課税」を、その規定に適合しない課税が広範に行われ法適用平等が阻害されている場合には、租税平等主義により適用違憲とする判断手法を用いたものと解される(「合法課税」適用違憲説)。
「合法課税」適用違憲説は、租税平等主義を法内容平等それ自体の要請として問題とするのではないが、法内容平等を実現するのに必要かつ十分な規律密度・明確性の確保の観点から適用違憲の根拠として援用するものである。したがって、この説で租税平等主義は、執行上の原則としての租税平等主義ではなく、税法の執行をも視野に入れた立法上の原則としての租税平等主義であるといってもよかろう。
このような意味での租税平等主義によれば、税法の不平等な適用は、その限りにおいて適用違憲の故に法律に基づかない課税として、合法性の原則の内在的制約を構成すると考えられる。この意味において、合法性の原則と租税平等主義とは調和すると考えられるのである(調和思考)。
Ⅳ おわりに
今回は、本判決について、対立思考に基づき執行上の原則としての租税平等主義を合法性の原則の外在的制約として捉える伝統的・通説的な読み方を確認し、さらに、調和思考に基づく新たな読み方として合法性の原則「出自」見直し説を検討した後、平等原則を法内容・適用平等説(通説・判例)の暗黙・当然の前提にまで立ち返って検討した上で、「合法課税」適用違憲説により別の調和思考に基づく新たな読み方を提示した。この読み方は、筆者がこれまで示してきた読み方(谷口教授と学ぶ「税法の基礎理論」第2回Ⅳ、前掲拙著『税法基本講義』【81】、同『税法創造論』46頁注(134)[初出・2020年]参照)を補足・補正するものである。
今回の検討は、筆者が実質的租税法律主義(基本的人権保障に抵触する租税立法の禁止。前掲拙著『税法基本講義』【11】参照)の内容の1つとして租税平等主義を論ずる場合に前提とする公平観(含み公平観)を、合法性の原則と租税平等主義との関係を検討する場面で、展開しようとするものでもある。
含み公平観は、租税負担の公平は租税法律の中で考慮され租税法律を通じて実現されなければならず、租税法律を離れて実現されてはならない、要するに租税法律に含まれている、という考え方であるが(前掲拙著『税法基本講義』【21】参照)、今回、本判決の新たな読み方を提示するに当たって前提にした調和思考も、税法の適用の場面における含み公平観に基づくものである(同【81】参照)。
(了)
この連載の公開日程は、下記の連載目次をご覧ください。
























