〈小説〉
『所得課税第三部門にて。』
【第8話】
「株主優待乗車証と雑所得」
公認会計士・税理士 八ッ尾 順一
「統括官は株主優待乗車券を持っていますか?」
浅田調査官は中尾統括官の背後から急に声をかけた。
「・・・株主優待乗車券?」
昼休みに新聞を読んでいた中尾統括官は、驚いたように振り返る。
浅田調査官は笑っている。
「ええ、例えば・・・私鉄の優待乗車券など・・・」
浅田調査官は中尾統括官の顔を覗きながら尋ねる。
「近鉄の優待乗車券は持っているけど、株主優待乗車証はもちろん持っていないよ。」
中尾統括官はぶっきらぼうに答える。
「株主優待乗車証って、定期みたいなものですよね・・・6ヶ月間の・・・」
浅田調査官は確認する。
「そうだね・・・近鉄の場合、5,100株以上持っていなければ貰えない。」
「そうすると、今、近鉄の株価は4,200円だから・・・」
浅田調査官は暗算する。
「21,420,000円を持っていなければ・・・貰えない・・・ところで、統括官は何株持っているのですか?」
浅田調査官は再び尋ねる。
「・・・1,000株だよ。・・・だから優待乗車券は4枚しか貰えない。」
中尾統括官は、さらにぶっきらぼうに答える。
「中尾統括官は奈良にお住まいですから、この河内税務署までは近鉄電車で通勤しているのですよね。」
浅田調査官は確認する。
「・・・そうだよ。」
中尾統括官は、再び新聞の記事を読み始める。
「もし、統括官が株主優待乗車証を持っていて・・・それを通勤で使用するとしますよね。一方、国からは定期代を貰っている・・・これって、どうなるのですか?」
浅田調査官は思案顔になる。
「・・・君は、株主優待乗車証を持っている場合には、定期代を貰ってはいけないと言うのか?」
中尾統括官は驚いた様子で、浅田調査官の顔を見る。
「・・・いえいえ、そういう意味ではなく・・・」
浅田調査官は苦笑する。
「それでは、どういう意味だ。」
中尾統括官は、真剣な顔になる。
「課税関係なのですが・・・」
浅田調査官は、中尾統括官の気迫に押されて、小声になる。
「株主優待乗車証は、もちろん配当所得にはなりませんよね。」
浅田調査官は、通達集をめくって調べる。
「・・・『法人が株主等に対してその株主等である地位に基づいて供与した経済的な利益であっても、法人の利益の有無にかかわらず供与することとしている次に掲げるようなものは、法人が剰余金又は利益の処分として取り扱わない限り、配当等には含まれないものとする』・・・と、所得税基本通達24-2に書かれています。そして、次に掲げるものとして、株主優待乗車券等が(1)に掲げてある・・・」
(1) 旅客運送業を営む法人が自己の交通機関を利用させるために交付する株主優待乗車券等
「そして、株主優待乗車証は、金券ショップでは、おおよそ10万円ぐらいで売買されているのですが・・・」
浅田調査官は、言葉を続ける。
「年2回、配当時に、株主優待乗車証が株主に交付されることを考えると、20万円になる・・・これって、この通達の注記に書いてあるように、株主優待乗車証は、雑所得として申告しなければならないのですよね。」
浅田調査官は、所得税基本通達24-2の注記を見る。
(注) 上記に掲げる配当等に含まれない経済的な利益で個人である株主等が受けるものは、法第35条第1項《雑所得》に規定する雑所得に該当し、配当控除の対象とはならない。
「・・・しかし、株主優待乗車証って、雑所得で申告している人がいるのでしょうか・・・私は今まで、所得税の確定申告書で見たことがないのですが・・・」
浅田調査官は頸を傾げる。
「もちろん、給与が年収2,000万円以下のサラリーマンの場合、20万円以下の所得については、申告する必要はない・・・」
中尾統括官は、税務六法を開く。
所得税法121条(確定所得申告を要しない場合)1項1号
一 一の給与等の支払者から給与等の支払を受け、かつ、当該給与等の全部について第183条(給与所得に係る源泉徴収義務)又は第190条(年末調整)の規定による所得税の徴収をされた又はされるべき場合において、その年分の利子所得の金額、配当所得の金額、不動産所得の金額、事業所得の金額、山林所得の金額、譲渡所得の金額、一時所得の金額及び雑所得の金額の合計額が20万円以下であるとき。
「・・・しかし、多くの株式を所有している資産家は、この所得税法121条の規定には該当せず、本来であれば、雑所得として申告すべきでしょうが・・・なされていない・・・これって、所得の課税漏れということなのでしょうか・・・」
浅田調査官は不満そうに言う。
「まあ僕の場合、1,000株しか持っていないし、もちろん所得税法121条に該当するから、申告する必要はないけどね。」
中尾統括官は自嘲気味にニヤリと笑う。
(つづく)
この物語はフィクションであり、登場する人物や団体等は、実在のものとは一切関係ありません。
「〈小説〉『所得課税第三部門にて。』」は、不定期の掲載となります。