〈小説〉
『所得課税第三部門にて。』
【第33話】
「新型コロナウイルスと給付金」
公認会計士・税理士 八ッ尾 順一
「10万円か・・・」
浅田調査官はそうつぶやくと、振り返って中尾統括官を見る。
中尾統括官は毎月の事務計画の策定で、電卓を叩いている。
「統括官。」
浅田調査官が、声をかける。
「・・・」
しばらくして、中尾統括官は、顔を上げる。
「なんだ?」
少し機嫌の悪そうな返事である。
「10万円の給付金ですよ・・・これってすべての国民が対象となっていますから、税務職員ももらえるのですよね?」
浅田調査官は、ニコニコしながら尋ねる。
「それは・・・新型コロナウイルスの感染拡大を受けて全国民に1人当たり10万円を配るという給付金だな。」
中尾統括官は、浅田調査官を見る。
「ええ。」
浅田調査官は大きく頷く。
「全国民なのだから、税務職員ももちろんもらえる・・・おまけに所得制限がないから、富裕層と言われる人にも支給される。」
中尾統括官は、「・・・年齢、職業も関係なく支給される」とさらに付け加える。
「・・・しかし、我々のような公務員は・・・今回の新型コロナウイルスで、それほど減収にならないのでは・・・」
浅田調査官は、真面目な顔になる。
「ところで統括官、日本の公務員の数をご存じですか?」
浅田調査官がおもむろに尋ねる。
「公務員の数?・・・国家公務員と地方公務員がいるよな・・・」
中尾統括官は思案顔になる。
「先ほどグーグルで調べたのですが・・・国家公務員が641千人、地方公務員が2,752千人で、およそ3,393千人いるらしいのです・・・」
浅田調査官は、スマートフォンを取り出して、あらためて確認する。
「この公務員3,393千人の平均世帯人数を3人と仮定すると約1,000万人になり、それに10万円を単純に乗じると、金額は1兆円ぐらいになります・・・」
浅田調査官は、机の上の罫紙に、ゼロを並べる。
「統括官・・・“1兆”って、ゼロが何個あるかご存じですか?」
罫紙にゼロを書きながら尋ねる。
「・・・兆は10の12乗だから・・・ゼロは12個だ。」
中尾統括官は、中学生レベルの質問に、憮然と答える。
「私は・・・実のところ、公務員の世帯には、給付金は渡さなくても良いと思っているんですが・・・統括官はどう思われますか?」
浅田調査官は中尾統括官を見る。
「まぁ・・・我々公務員の給与は・・・つまるところ、税金から出ているのだから・・・」
中尾統括官は、自虐的に言う。
「ところで新聞によれば、この10万円の給付金は、非課税にすると報道されていたが・・・君は・・・どう思う?」
今度は中尾統括官が質問する。
「そうですね・・・給付金は本来・・・一時所得に該当すると思います。・・・そして、一時所得であれば50万円の特別控除額があるから、実質的に課税されないのに・・・なぜ非課税にするのですか?」
浅田調査官は、頸を傾げながら、尋ねる。
「もし生命保険の一時金など他の一時所得があった場合に、50万円の特別控除額を超えて課税されることから、非課税としたらしい・・・と新聞に書いてあるが・・・」
中尾統括官は答える。
「そんな一時金を受け取るような人は、課税すればいいじゃないですか。」
浅田調査官は、反論する。
「私は・・・給付金を全国民に支給するならば、一時所得ではなく、雑所得として課税すると、別途、法律で規定すればいいと思います・・・もともと一時所得と雑所得は、利子所得から譲渡所得の8つの所得に該当しないもので・・・その中で、①非継続要件と、②非対価要件の2つを満たせば、一時所得であるされています。」
そう言いながら、浅田調査官は、罫紙に図を描く。
「この図から見てもわかるように、本来、給付金は一時所得に該当しますが・・・とりあえず法律で、給付金はすべて雑所得として、課税の対象とする、としたうえで・・・生活に困窮している人は、給付金の10万円を受けても、課税されない・・・また、そうでない人、すなわち新型コロナウイルスの影響を受けない納税者は、雑所得として税金を支払ってもらう・・・そうすることによって、財源として総額12兆6,000億円が必要といわれる給付金は、減少するのではないかと思うのです。」
浅田調査官の言葉は、力がこもる。
「なるほど・・・」
中尾統括官は、浅田調査官の爽やかな弁舌に、すこぶる感心する。
「・・・多くの国会議員や富裕層の人は、もちろん、給付金を受け取らないかもしれませんが、これも法律で、給付金を受け取らなくても、すべての納税者は、10万円の給付金を受け取ったものとして、所得税を課税(みなし所得課税)することも考えたらよいのではないかと思います・・・もっとも、給与所得のみの場合、所得税法121条で、他の所得が20万円以下であれば、申告する必要はないとされていますが・・・」
浅田調査官の説明に、中尾統括官は大きく頷く。
(つづく)
この物語はフィクションであり、登場する人物や団体等は、実在のものとは一切関係ありません。
「〈小説〉『所得課税第三部門にて。』」は、不定期の掲載となります。