公開日: 2015/03/05 (掲載号:No.109)
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〔小説〕『東上野税務署の多楠と新田』~税務調査官の思考法~ 【第6話】「崖っぷちの男」

筆者: 堀内 章典

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大 逆 転

家への帰路、そして翌朝の満員の京成電車の中で、多楠は新田が言った『取れるぞ。』の意味を何度も推し量っていた。

“調査先は粉飾していて実質赤字会社であると新田さんに説明した。もれている売上よりも計上していない仕入の額が多いのだから、差引でプラスにならないのは百も承知しているはずなのに、なぜ?”

疑問は解決されないまま、予定どおり今日も関東貿易商会へ向かった。

2日目、武淵社長は朝から出かけていなかった。多楠は前日と同様、他にも売上の計上もれはないかを調べ始めた。

慣れてきたとはいえ、調査1年目である。はた目で見ていても決して要領よく見えるわけがない。3時を回ったころ、鷺沼税理士が呆れた顔をして多楠に声をかけた。

「多楠さん、まだ調べるの? 昨日も言ったようにこの会社は実質赤字でネ・・・」

多楠はまったりと話す鷺沼の顔をぼんやりと見つめながら、やや疲れが出始めている脳内に“ある事”が頭にひらめいた。鷺沼の言葉を遮り、吉本経理部長に聴いた。

「ところで吉本部長、昨日話があった仕入に計上していない輸入バッグ1,200万円は、その後どうなったのですか。」

吉本
「確か期末仕入なので、そのまま原木中山の倉庫に預けておいたはずですよ。」

多楠はたたみかける。

「期末までに売れていないのですね。在庫で残っていたんですね。念のため期末の棚卸表を確認させてください。」

提示された棚卸表を確認した多楠は、思わず「ヤッタ!」と叫んでしまった。
驚く吉本と鷺沼を前に、深呼吸をして落ち着こうとする多楠は、必死になって頭の中で仕訳を描いていた。

本来の仕訳
①(3月29日) 仕入 1,200万円  前払金 1,200万円
②(決算修正)  商品 1,200万円  仕入  1,200万円

“確かに「①仕入」はもれているが、「②棚卸」ももれている。
マイナスとプラス同額で、この会社は粉飾決算をしていると思い込んでいるが、実は粉飾はしていないことになる!”

ようやく鷺沼も事態の重大さに気づいた様子だった。
勢いづく多楠は鷺沼に言った。

「先生、昨日粉飾をしているとおっしゃっていましたが、確かに仕入計上はされていません。しかし、期末在庫にも載ってないので、結局のところ粉飾はなかったことになりますね。」

鷺沼
「いやあの、その・・・」

夕方、所用を終わらせ会社へ戻った武淵社長に、多楠が問題となっている点を説明すると、武淵の顔が見る見るうちに赤鬼のような顔へ変わった。説明を続けながら、多楠はまともに正視できなくなった。

まさに“崖っぷちの男”になった瞬間であった。

武淵は大きな声で言った。

「経理体制ができていないって? ウチみたいな中小企業は必死に営業をして売上を上げるのが先決、経理の人間を雇うくらいなら営業を増やす。経理を増やしても、売上は伸びず経費が増えるだけで納める税金は少なくなるはず、それでも税務署は経理を増やせと言うのか!」

答えに窮した多楠に、武淵は今にも泣き出しそうな顔をしてたたみかけた。

「この年末、手形資金をひねり出すのが大変な時期に、税務署にさらに追い打ちをかけられた。これでウチの会社もいよいよ倒産だ。大企業ならともかく、ウチのような小さな会社が倒産しそうになっても、国や税務署が助けてくれない!」

そう言うと武淵社長は多楠には見向きもせず、ブツブツと何事かつぶやきながら会議室を出て行った。

▼   ▲   ▼

翌日、多楠はさっそく現金売上先であるTMカンパニー株式会社に取引確認のため反面調査に出向いた。出かけようとしていたTMの岩井社長に協力を願い出て15分間だけ引き留め、話を聞いた。武淵社長とは友人で“良い製品が安く入った”ということで上野の本店に買い付けに行き、直接武淵社長に現金を手渡したとのことであった。

岩井社長が出かけた後、引き続き経理の担当者から仕入帳を出してもらい調べたところ、過去3年間のうち、取引はこのときの1回だけであることが確認できた。

後日、武淵社長は用があるといって、鷺沼税理士が1人、今回の調査結果を聞きに東上野税務署の多楠を訪れた。

〈株式会社関東貿易商会の調査結果〉

  • 売上計上もれ過少対象:750万円(処分:売掛金)
  •     〃   重加対象:100万円(処分:社長に対する賞与)
  • 追徴税額:400万円(源泉所得税、加算税を含む)
  • その他に延滞税と地方税も追徴

すっかり意気消沈した様子の鷺沼税理士、あの後、武淵に散々怒られたらしい。

おそらくこんなことを言われたのだろう。

「あんたが赤字だと言うから信じて粉飾をしたのに、最初から黒字なのが分かっていればほかに手立てもあったはず!どうしてくれるんだ!」

消え入るような声で鷺沼が嘆願する。

「多楠調査官、売上計上もれ100万円の重加算税は何とかなりませんかね。単にうっかり現金を会社に入金するのを忘れただけで、故意に売上を漏らしたのではないんですから・・・」

“想定の範囲だ。” 立場が完全に逆転する中、興奮を抑えながら多楠は冷静に答えた。

「先生、それは難しいです。売上代金100万円を現金で受け取ったのは社長です。その100万円が会社のお金として受け入れられておらず、簿外の現金になってしまっている。経理がしっかりしていれば、売上がもれていたことがわかったはずですよね。」

鷺沼税理士は「そうだよなぁ」というふうに肩を落とし溜息をつきながらしみじみ言った。

「武淵社長はさすがです。粉飾をしていなくても、もともと黒字だったんですね。私の勘違いでした。」

「後は私が納税の猶予で、税務署の徴収担当に掛け合ってみるしかないか・・・」

こうして多楠が手がけた初の単独調査は、まずまずの結果で終わることができた。

▼   ▲   ▼

場面は変わって赤羽のスナック「かわばた」。

関東貿易商会の調査が税理士の了解により確定すると、田村統括官はフロア中に響き渡るような声で言った。

「調査1年目の多楠調査官が会社の粉飾決算がないことを見破り、しかも100万円の売上もれの不正まで見つけた!」

第1報で副署長の安倍に報告、その後法人課税5部門あげての大宴会を行うことになった。もちろん発案者は田村である。その席に副署長も加わり、田村はますますヒートアップ。

「我々5部門は東上野署で事績トップの部門です! それを率いている統括官は私、田村です! こんなめでたいことはない! 退職金が少し増えるかも!」

そんな盛り上がりをみせた部門の飲み会の後、多楠は新田にいつものように誘われ「かわばた」へ。

新田は多楠を誉めることもなく、いつものように話もせず、水割りを飲んではカラオケを熱唱している。

そんなときふとスナックの扉が開き、一人の中年男性が店に入ってきた。

京子ママ
「あら澤さん! 久しぶりじゃない!」

すると奥で熱唱していた新田は、その男性を見るなりカラオケのスイッチを切り、すぐさま男の前に直立した。

「澤村トッカン・・・お久しぶりです。」

“トッカン??”

多楠は新田とその男性を不思議そうに見ていた。

(続く)

この物語はフィクションであり、登場する人物や団体等は、実在のものとは一切関係ありません。

〔小説〕『東上野税務署の多楠と新田』は、毎月第1週に掲載されます。

〔小説〕

『東上野税務署の多楠と新田』

~税務調査官の思考法~

【第6話】

「崖っぷちの男」

税理士 堀内 章典

 

前回までの主な登場人物》

多楠調査官
東上野税務署に入って2年目、今回初めて調査部門である法人課税第5部門に配属。

新田調査官
多楠の調査指導役、調査はできるが、なぜか多楠には冷たく当たる、近づきがたい先輩調査官。

田村統括官
法人課税第5部門の責任者である統括官、定年まであとわずか、小太りで好人物。

法人課税第5部門のメンバー
・三浦上席調査官(淡路の調査指導役)
・小泉調査官(調査経験4年目、寡黙な調査官)
・淡路調査官(多楠と同じ調査1年目の女性調査官)

 

多楠の奮闘

前回までのあらすじ)

田村統括官の発案で株式会社関東貿易商会への単独調査を行うことになった多楠。不安を抱えながら10月のある日、同社に1人で臨場した。

会社に着くなり多楠は社長の武淵から、会社の資金繰りがあまりよくないので、気心の知れた業者仲間と“融通手形”をしていることをうち明けられる。

 

〈株式会社関東貿易商会の概要〉

  • 会社名:株式会社関東貿易商会
  • 社長:武淵逸男(48歳)
  • 業種:バッグ、革製品輸入販売
  • 決算:3月決算
  • 売上(最終期):1億8,000万円
  • 申告所得(最終期):800万円
  • 税理士:鷺沼信雄(非OB、試験組)
  • BS上やたら手形が多く資金繰りが悪いようだ。ここ5年間で売上は緩やかな右肩上がり、毎年申告所得500~800万円とそこそこの業績をあげている。

さらに武淵社長は眉間に深いしわを寄せ話し続ける。

「なので私は・・・業者仲間から“崖っぷちの男”・・・そう呼ばれているんです。」

多楠は鬼気迫る顔で話す武淵社長に何と言葉を返していいかわからない。

「調査官、私は所用があってしばし席を外しますが、経理部長の吉本が経理全般をやっておりますのでどうぞ調査を進めてください。」

武淵社長はそう言い残すと、会議室を出て行った。
社長が残した余韻が消え去るまでのしばらくの間、会議室内は沈黙が続いた。

“だ、黙っていても調査にならない!”

多楠は気を取り直して経理部長の吉本に対し、いつも新田の前でやっていたように事業の概況から聴き始めた。

武淵社長はもともとバッグの大手輸入商社に勤務、輸入業務を20年ほど担当していた。イタリアやフランスのメーカーと繋がりができたため、商社を辞めて独立し起業した。現在、会社の店舗はこの本店所在地のほか原宿に小さな支店が1店舗あるが、武淵社長は営業力もあるので、どちらかというと卸売をメインに経営をしているとのこと。

先ほど武淵社長が言ったように、イタリアやフランスのメーカーと繋がりがあるといっても、取引はシビアで、会社を作って間もないので信用がなく、常に製品の輸入(仕入)に当たっては前払で代金を支払わなくてはならず、資金繰りは厳しいとのことであった。

この会社が営業に力を入れ売上を伸ばし、利益を上げて資金を蓄え、L/C(信用状)で輸入取引ができるようになることが会社の目標であると吉本は語った。

ここで税理士の鷺沼が口を開いた。

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連載目次

筆者紹介

堀内 章典

(ほりうち・あきのり)

税理士
株式会社SKC代表取締役
堀内税理士事務所所長
東京新宿相続サロン主宰

昭和54年3月学習院大学経済学部卒
昭和54年4月東京国税局採用
33年間、国税局及び税務署に勤務
税務署24年(うち特別国税調査官7年)
国税局資料調査課6年
税務大学校簿記会計担当教育官3年
平成24年9月税理士開業
株式会社SKC設立、現在に至る。

◆株式会社SKC&堀内税理士事務所公式サイト
http://skc.jp.net/
~会社の節税、税務調査対策情報が満載~

◆東京新宿相続サロン
http://souzoku-salon.net/
~相続税の節税、納税、税務調査対策情報が満載~

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