酒井克彦の
〈深読み◆租税法〉
【第70回】
「社会通念から読み解く租税法(その1)」
中央大学商学部教授・法学博士
酒井 克彦
はじめに
租税法の解釈適用において、しばしば「社会通念」による判断が示されることがある。この社会通念に従う判断とはどのようなものであろうか。
一般的に、「社会通念」とは、「社会一般に通用している常識または見解。法の解釈や裁判調停などにおいて、一つの判断基準として用いられる。」などと説明されることが多いように思われる(デジタル大辞泉)。
例えば、法人税基本通達の前文「法人税基本通達の制定について」を確認してみよう。
この通達の具体的な運用に当たっては、法令の規定の趣旨、制度の背景のみならず条理、社会通念をも勘案しつつ、個々の具体的事案に妥当する処理を図るように努められたい。いやしくも、通達の規定中の部分的字句について形式的解釈に固執し、全体の趣旨から逸脱した運用を行ったり、通達中に例示がないとか通達に規定されていないとかの理由だけで法令の規定の趣旨や社会通念等に即しない解釈におちいったりすることのないように留意されたい。〔下線筆者〕
なお、所得税基本通達前文でも、「この通達の具体的な適用に当たっては、法令の規定の趣旨、制度の背景のみならず条理、社会通念をも勘案しつつ、個々の具体的事案に妥当する処理を図るよう努められたい。」とされている。
さて、社会通念によって判断するということはいかなる意味を有するのであろうか。今回の連載では、社会通念に焦点を当てて租税法を読み解くこととしたい。
Ⅰ 社会通念とは何か
はじめに述べたとおり、社会通念によって法的判断が示されることは少なくない。
例えば、表現の自由について争われたいわゆるチャタレー事件最高裁昭和32年3月13日大法廷判決(刑集11巻3号997頁)では、「本被告事件において問題となっている『チャタレー夫人の恋人』が刑法175条の猥褻文書に該当するか否か。これについて前提問題としてまず明瞭にしておかなければならないことは、この判断が法解釈すなわち法的価値判断に関係しており事実認定の問題でないということである。」とした上で、社会通念について次のように示している。
*なお、チャタレー事件とは、イギリス人作家であるD・H・ローレンス(D.H.Lawrence)の『チャタレー夫人の恋人』を日本語訳した作家と出版社社長につき、刑法175条《わいせつ物頒布等》の罪が問われた事件である。この事件では、猥褻と文芸作品としての表現の自由の関係が議論された。
著作自体が刑法175条の猥褻文書にあたるかどうかの判断は、当該著作についてなされる事実認定の問題でなく、法解釈の問題である、問題の著作は現存しており、裁判所はただ法の解釈、適用をすればよいのである。このことは刑法各本条の個々の犯罪の構成要件に関する規定の解釈の場合と異るところがない。この故にこの著作が一般読者に与える興奮、刺戟や読者のいだく羞恥感情の程度といえども、裁判所が判断すべきものである。そして裁判所が右の判断をなす場合の規準は、一般社会において行われている良識すなわち社会通念である。
しかしこの社会通念は、「個々人の認識の集合又はその平均値でなく、これを超えた集団意識であり、個々人がこれに反する認識をもつことによって否定するものでない」こと原判決が判示しているごとくである。かような社会通念が如何なるものであるかの判断は、現制度の下においては裁判官に委ねられているのである。社会における個々の人について、また各審級の裁判官、同一審級における合議体を構成する各裁判官の間に必ずしも意見の一致が存すると限らない事実は、他の法解釈の場合と同材である。これは猥褻文書であるかどうかの判断の場合のみではなく、これを以て裁判所が社会通念の何たるかを判断する権限をもつことを否定し得ないのである。
従って本著作が猥褻文書にあたるかどうかの判断が一部の国民の見解と一致しないことがあっても止むを得ないところである。この場合に裁判官が良識に従い社会通念が何であるかを決定しなければならぬことは、すべての法解釈の場合と異るところがない。これと同じことは善良の風俗というような一般条項や法令の規定する包括的な諸概念の解釈についてとくに問題となる。これらの場合に裁判所が具体的の事件に直面して判断をなし、その集積が判例法となるのである。
そして、本件において争点となっている猥褻と社会通念については、「性一般に関する社会通念が時と所とによって同一でなく、同一の社会においても変遷がある」とし、「男女の交際や男女共学について広く自由が認められるようになり、その結果両性に関する伝統的観念の修正」が要求されてきている等、「往昔存在していたタブーが漸次姿を消しつつあることは事実である」としつつも、以下のとおり判断している。
しかし性に関するかような社会通念の変化が存在しまた現在かような変化が行われつつあるにかかわらず、超ゆべからざる限界としていずれの社会においても認められまた一般的に守られている規範が存在することも否定できない。
この点〔筆者注:性行為の非公然性の原則〕に関する限り、以前に猥褻とされていたものが今日ではもはや一般に猥褻と認められなくなったといえるほど著るしい社会通念の変化は認められないのである。かりに一歩譲って相当多数の国民層の倫理的感覚が麻痺しており、真に猥褻なものを猥褻と認めないとしても、裁判所は良識をそなえた健全な人間の観念である社会通念の規範に従って、社会を道徳的頽廃から守らなければならない。けだし法と裁判とは社会的現実を必ずしも常に肯定するものではなく、病弊堕落に対して批判的態度を以て臨み、臨床医的役割を演じなければならぬのである。
以下では、そうした社会通念が、租税訴訟において顔を出しているいくつかのケースをみてみよう。
Ⅱ 租税法と社会通念
1 興銀事件
債権放棄に係る貸倒損失の損金算入の可否が争われた事件として、いわゆる興銀事件がある。
興銀事件では、高裁判断と最高裁判断とが分かれたが、原審東京高裁平成14年3月14日判決(民集58巻9号2768頁)は、次のとおり判断し、X社(原告・被控訴人)の請求を棄却している。なお、A社は住宅金融専門会社(いわゆる「住専」)であり、X社はその母体行である。
X社は、A社の設立時からX社が平成8年3月29日に本件債権を放棄するまでの間に、X社を含む母体行のA社に対する債権は、非母体行の債権に対し、その弁済順序において劣後することが段階的に顕在化し、本件債権は、平成8年3月末までの間に、関係金融機関の合意又は社会通念により、弁済順序において最劣後のものとなっていた旨を主張するが、X社は、・・・母体行として、社会的、道義的責任を負っていたことは否定できないし、・・・社会的、道義的にみて本件債権を行使し難い状況が生じつつあったとはいえても、法的にみて本件債権が劣後化していたとまでいうことはできない。
さらに、X社は、本件債権を行使することは、社会全体を敵に回すに等しく、社会的存在としての銀行としてはこの上なく有害な行為であって、本件債権は、本件事業年度において、社会通念上回収不能の状態にあったものである旨を主張するが、そもそも、債権の全額が回収不能であるとは、・・・債務者の実際の資産状況、支払能力等の信用状態から当該債権の資産性が全部失われたことをいうのであって、責任財産がありながら、債権行使に対する社会的批判等の他事を考慮して債権者が当該債権を行使しないこととしたような場合などは、これに当たるものではない。
これに対して、最高裁平成16年12月24日第二小法廷判決(民集58巻9号2637頁)は、次のとおり、原審の判断は是認できないとしてX社の主張を認めている。
法人の各事業年度の所得の金額の計算において、金銭債権の貸倒損失を法人税法22条3項3号にいう「当該事業年度の損失の額」として当該事業年度の損金の額に算入するためには、当該金銭債権の全額が回収不能であることを要すると解される。そして、その全額が回収不能であることは客観的に明らかでなければならないが、そのことは、債務者の資産状況、支払能力等の債務者側の事情のみならず、債権回収に必要な労力、債権額と取立費用との比較衡量、債権回収を強行することによって生ずる他の債権者とのあつれきなどによる経営的損失等といった債権者側の事情、経済的環境等も踏まえ、社会通念に従って総合的に判断されるべきものである。
〔筆者注:住専処理計画において〕X社においてせいぜい修正母体行責任しか主張することができない情勢にあったことをも考慮すると、仮に住専処理法及び住専処理に係る公的資金を盛り込んだ予算が成立しなかった場合に、X社が、社会的批判や機関投資家としてX社の金融債を引き受ける立場にある農協系統金融機関の反発に伴う経営的損失を覚悟してまで、非母体金融機関に対し、改めて債権額に応じた損失の平等負担を主張することができたとは、社会通念上想定し難い。
以上によれば、X社が本件債権について非母体金融機関に対して債権額に応じた損失の平等負担を主張することは、・・・平成8年3月末までの間に社会通念上不可能となっており、当時のA社の資産等の状況からすると、本件債権の全額が回収不能であることは客観的に明らかとなっていたというべきである。
なお、興銀事件最高裁判決以前においても、東京地裁平成12年11月30日判決(訟月48巻11号2785頁)などが、社会通念による貸倒損失の認定を認めていたところであるが、同判決は、以下のように判示している(この判断は、控訴審東京高裁平成13年7月5日判決(税資251号順号8943)も維持している。)。
〔筆者注:法人税法33条2項が金銭債権の評価損計上を禁止していることに鑑みると〕金銭債権が回収不能になったことによって損金の額に算入することができるのは、金銭債権の全額が回収不能である場合に限られるものと解される。法基本通達9-6-2もこのことを明らかにしているものと解される。そして、回収不能になったものと認められるかどうかの判断については、債務者の資産状況その他の状況からみて、支払能力がなく、債権の回収が客観的に不能と認められる場合・・・などのほか、これに準じ、債務者の負債及び資産状況、事業の性質、債権者と債務者との関係、債権者及び債務者が置かれている経済的状況等諸般の事情を総合的に考慮したときに、社会通念上債権の回収が不能であると認められる場合には、金銭債権が回収不能になったものとして、当該事業年度において損金に算入することができるものと解すべきである。
(続く)
「酒井克彦の〈深読み◆租税法〉」は、毎月第2週に掲載されます。






















