酒井克彦の
〈深読み◆租税法〉
【第104回】
「節税義務が争点とされた事例(その7)」
中央大学法科大学院教授・法学博士
酒井 克彦
Ⅰ 事案の概要
1 概観
本件は、Xら(原告)の相続税申告に関し、税理士Y(被告)が、借入金債務の存在を念頭に置かないまま遺産分割協議書作成の事務を行ったことから、その結果、相続税法上の配偶者控除を限度額いっぱいに利用できず過大な相続税の納付等をすることになったとして、XらがYに対して損害賠償請求を行った事案である。
2 具体的事実
Xらは、税理士であるYに対し、平成6年2月頃、被相続人亡Aに関する相続税の申告手続を依頼した。その際、XらはYに対し、相続人間には遺産分割を巡って何らの紛争もないこと、別件の相続税の支払も残っているので、Xらとしては、今回の相続税額をできる限り低くしてもらいたいと考えていることを伝えた。
その後、Yは、相続税の申告手続の前提として、遺産分割協議書案を作成し、相続人全員の押印を得て、これを相続税の申告に使用した。
Xらは、Yが、かかる相続税申告書類を作成するに際し、2億円余の住宅金融公庫からの借入金債務の存在を念頭に置かないまま遺産分割協議書作成の事務を行った結果、相続税法上の配偶者控除を限度額いっぱいに利用できないこととなったと主張した。
Ⅱ 争点
Yが亡Aの相続税の申告手続を行った際に、借入金債務の存在を念頭に置かないまま遺産分割協議書作成の事務を行い、相続税法上の配偶者控除を限度額いっぱいに利用できないこととなったことにつき、Yの過失が認められるか否かが争点である(かかる行為に過失があったとした場合のXらの損害の額については本稿では触れない。)。
Ⅲ 判決の要旨
東京地裁平成10年9月18日判決(判タ1002号202頁)は、次のように、Yの職務上の義務を認めている。
Yは、右認定〔筆者注:Yの事務の履行補助者である職員が、借入金の入金や支払について記載された通帳の提出をXらから受け取っていたことの認定〕のとおり、Xらの側から、右借入金債務の存在を認識すべき明瞭な資料の提出を受けていたものであり、しかも、相続人間に遺産分割に関する争いがなく、Yの助言を受け入れうる態勢にあることを承知しており、また、Xらが当面の相続税の額をできる限り少なくしてもらいたいとの希望を持っていることも承知していたのであるから、対価を得て税務事務を行うYとしては、Xらが遺産分割協議をする際の資料ないし選択肢の一つとして、右借入金債務の存在を念頭に置いて、その場合にX1〔筆者注:亡Aの妻〕の配偶者控除をできる限り多く使えるような遺産分割協議の方法はどうであるかについて、遺産分割協議書案の提示又はそれに代わる助言をすべき職務上の義務があったといえる。
その上で、Yが、「Xらにとってより有利な遺産分割の案がありうることを提示ないし助言しなかった」として、Yには過失があると示す。
ところが、Yは、住宅金融公庫からの2億円余りの借入金債務の存在を現実に認識しておらず、その結果、少ない額の配偶者控除しか得られない遺産分割協議書案のみをXらに提示し、Xらにとってより有利な遺産分割の案がありうることを提示ないし助言しなかったのであり、これによって、Xらは、より有利な税務申告の方法を検討する機会を失ったものである。したがって、Yにはこの点について過失があり、Yの右過失のある事務は、Xらに対し、不法行為を構成するものというべきである。
もっとも、東京地裁は、次のように「配偶者控除が限度額いっぱい〔ママ〕使えるような遺産分割を勧めることが税理士の職務上の注意義務であるということはできない」とはしているものの、本件におけるYの過失は否定できないと判示した。
もっとも、弁論の全趣旨によれば、亡Aの遺産には不動産が多く、その中には空室の多い貸家等まで含まれているため、その評価について納税者の見解と税務署の見解が異なる現実のおそれがあったことが認められ、また、依頼者から当面の税額を少なく申告したいとの希望があったとしても、それでは後の税額が不相当に大きくなるような場合には、その旨の助言をするのが対価を得て税務処理を行う者としての務めであり、さらに、そもそも遺産分割をどのように行うかは相続人が各自の意思で決定することであることからすると、相続人に対し配偶者控除が限度額いっぱい〔ママ〕使えるような遺産分割を勧めることが税理士の職務上の注意義務であるということはできない。しかし、そうであるとしても、Yが本件税務申告事務を行うについて右のとおり過失があったことは否定できない。
Ⅳ 検討
Xらは、Yが遺産分割協議書作成に際して、住宅金融公庫からの借入金債務の存在を念頭に置いていなかったために、借入金全額をX1が負担するものとした結果、相続税法上の配偶者控除を限度額いっぱいに利用できなかったとして、Yを相手取り、これに基づく損害賠償を請求したのである。
これに対して、本件判決は、Yは、Xらが当面の相続税の額をできる限り少なくしてもらいたいとの希望を持っていることも承知していたのであるから、対価を得て税務事務を行うYとしては、Xらが遺産分割協議をする際の資料ないし選択肢の一つとして、借入金債務の存在を念頭に置いて、その場合にX1の配偶者控除をできる限り多く使えるような遺産分割協議の方法はどうであるかについて、遺産分割協議書案の提示又はそれに代わる助言をすべき職務上の義務があったといえるとしている。
すなわち、Yには、配偶者控除をできるだけ多く適用し得るような遺産分割協議の方法についての助言義務があったというのである。
そもそも、租税法の規定には、いくつかの許容された処理方法の中から、納税者がいずれかを選択して適用し得る場面がある。例えば、所得税法や法人税法であれば、棚卸資産の評価方法の選択や、青色申告の承認申請を行うか行わないかといった選択、消費税法であれば、簡易課税と本則課税のいずれを選択するかなど、納税者による選択の余地が認められている場面も多い。
いずれも法定されたものである以上、どの選択肢を採用した結果であっても、租税法上の適正な申告であることに変わりはないわけであるが、それを前提として、より租税負担の軽減される方法を選択すべきであるという意味での税理士の節税義務が論じられることがある。
他方、それとは別に、本件のように、租税法上の選択適用とは異なる領域において、より納税者の租税負担を軽減できるような方策があれば、それを納税者に助言することも、租税の専門家たる税理士に求められるという意味での節税義務が論じられることがある。本件はこの領域の議論であり、Yが税理士として、「Xらにとってより有利な遺産分割の案」を提示すべきであったか否かに焦点が当てられている。
このような場合は、節税義務というよりは、より積極的な事実行為に対するアドバイスが求められるものであり、それを職務上の義務としているという点では、「節税措置義務」という方がより本質を突く表現であると思われる。
税理士に、かような事実行為に対する、いわばコンサルタント的な意味における助言義務まで求めるとする考え方には、疑問の声も惹起されよう。租税専門家たる税理士は、申告納税制度の趣旨に則って適正な課税を実現する専門家であり、納税者の利益最大化に寄与しなければならないとする職務上の義務を、果たして税理士法から導出できるのであろうか。
そのような疑問に対して、一律の明解な解答は提示しづらい。これは、当事者間における委任契約の契約内容に沿って個々に検討をしなければならない問題であろう。すなわち、ここでは、当事者間において締結された契約の解釈問題が所在するというべきである。そして、その判断においては、当事者間における委嘱が締結された当時の状況や、当事者の意思などが総合的な判断材料となると解される。
この点、本件でいえば、他の別件相続税の支払も残っているので、「Xらとしては、今回の相続税額をできる限り低くしてもらいたいと考えていることをYに伝えた」という点や、Yが、「相続人間に遺産分割に関する争いがなく、Yの助言を受け入れうる態勢にあることを承知しており、また、Xらが当面の相続税の額をできる限り少なくしてもらいたいとの希望を持っていることも承知していた」と認定されている。かような事実認定が、Yの「助言をすべき職務上の義務」の肯定へと繋がったものと解すべきであろう。
したがって、このような節税措置義務ともいうべき助言義務が肯定され得るとしても、それは個々の事例ごとの契約内容によって異なるものと解されるのであるから、本件判決を杓子定規に解釈し、租税専門家たる税理士には事実行為に対する助言義務が求められるとか、一般的に節税措置義務が要求されると解するのは早計であるというべきであろう。
(了)
「酒井克彦の〈深読み◆租税法〉」は、毎月第2週に掲載されます。






















