公開日: 2019/04/11 (掲載号:No.314)
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酒井克彦の〈深読み◆租税法〉 【第75回】「国語辞典から読み解く租税法(その3)」

筆者: 酒井 克彦

酒井克彦の

〈深読み◆租税法〉

【第75回】

「国語辞典から読み解く租税法(その3)」

 

中央大学商学部教授・法学博士
酒井 克彦

《(その1)はこちら》

はじめに

1 長崎地裁平成28年5月10日判決

2 文理解釈

《(その2)はこちら》

3 長崎地裁への疑問

4 租税法律主義の観点からの検討―社会通念―

5 法の趣旨目的の観点からの検討―文字解釈―

6 辞書間における統一的意義

(1) 東京高裁平成14年2月28日判決

 

6 辞書間における統一的意義(承前)

(2) 国語辞典の編集方針

イ 実例主義と規範主義

辞書や辞典では、各々がそれぞれの編集方針を採用している。例えば、三省堂の国語辞典についていえば、「実例に基づいた項目を立てる」という前提の下で、編纂及び編集がされている(飯間・前掲書38頁)。

このような編集方針のことを「実例主義」という。同書の例でいえば、「専門知識を提供する辞書とは別に、『それは要するにどのようなものか』という、基本的なことを説明する辞書」としての役割を担おうとしているからこそ、「実例主義」を採用しているようである。

これに対して、「規範主義」という考え方がある。「今の日本語はこのように使われている」とするのが実例主義であると定義すれば、「この用語は正しくはこうです」と説明することに主眼を置くのが規範主義だという。すなわち、対象となる辞書が実例主義を採用しているのか、規範主義を採用しているのかによって後述するように語釈が異なることになるのである。

辞書が「現代日本語を鏡のように映し出す」役割を持つとした場合、実例主義が「鏡」であるのに対して、規範主義は「かがみ」でも、「手本」としての意味での「鑑」であると説明されている(飯間・前掲書31頁)。

もっとも、規範主義とはいっても、現代の「ことば」には多くの意味が包摂されているのが通例であるし、そもそも、何が正しくて何が誤りかという点自体が歴史と共に流動しているともいえる(この点については、神永暁『悩ましい国語辞典』(KADOKAWA2019)に詳しい。例えば、「辛党」の意味は本来「酒類を好む人」であるが、現在は「辛いものを好む人」という用例もあるというのである(同書96頁)。)。

なにしろ、国語辞典にいう「国語」という用語さえ、それ自身新しい漢語であって、古い用例をみると「日本語」という表現の方が古いようである(田中克彦『ことばと国家』110頁(岩波書店2006))。ドイツ言語学者のアウグスト・シュライヒャー(August Schleicher)は、ことばには生物と同様に祖親があり、それは繁殖によって進化をするというように、ダーウィンの進化論になぞって説明している(田中・前掲書150頁)。

ロ 平易的説明と専門的説明

前述の三省堂の国語辞典は、実例主義に立ちながら、更に、「中学生にでも分かる説明を心がける」という方針を採用しているという(飯間・前掲書39頁)。ここでもまた、平易な説明をする辞書と専門的な説明をする辞書に大きく分かれていることを意識しておく必要がある。

飯間『辞書を編む』には、この点についての好例が掲載されているので引用したい。

『三省堂国語辞典』〔第6版〕
あせ【汗】〔生〕暑いときや運動のあと、また緊張(キンチョウ)したときなどに、顔やからだから出る、塩けをふくんだ水。

これが平易的説明を採用する辞書による「汗」の定義である。

これに対して、専門的説明による辞書は次のように定義する。

『大辞林』〔第3版〕
あせ【汗】哺乳類の汗腺から分泌される分泌物。成分の99パーセント以上は水で、他は乳酸・塩化ナトリウムなど。体熱を放散させて体温の調節を助ける温熱性発汗と、興奮したときや感覚的な刺激を受けたときに起こる精神性発汗とがある。

このように平易的説明を採用する辞書と、専門的説明を採用する辞書との間には、説明の仕方に大きな違いを見せている。そうであるとすると、仮に、平易的説明をする辞書と専門的説明をする辞書を比較したとすれば、それらの辞書間に説明の仕方が異なるからという理由だけで、対象となっている用語について、明確な意義や外縁がみえないとする結論を導出すること自体に無理があるというべきであろう。

ハ 簡記主義と詳述主義

前述の平易的説明か専門的説明かに関係するところではあるが、分量として、簡単に記すか、詳しく記すかという編集方針に関しても違いがある。

これも、飯間『辞書を編む』が示すところであるが、以下引用したい。

『三省堂国語辞典』〔初版〕
ちゅうかんし【中間子】素粒子(ソリュウシ)の一つ。陽子と電子との中間の質量〔=電子の約2百倍〕をもつ。メソン。

このように簡記主義を採用する辞書がある反面、詳述主義を採用する辞書もある。

『広辞苑』〔初版〕
ちゅうかんし【中間子】(meson)素粒子の一。1935年湯川秀樹により原子核論とベータ(β)崩壊と統一的に説明するため理論的にその存在が予想され、実験的には一つはアンダーソンが1937年宇宙線の霧箱写真中に発見したもの(ミュー(μ)中間子、電子の約210倍の質量と、正または負の素荷電を持ち、約100万分の2秒で電子とニュートリノに崩壊する。透過力は極めて大)ともう一つはパウウェルが写真乾板中で確証したもの(パイ(π)中間子、電子の約280倍の質量と、正・負または零の素荷電を持つ)とがある。メソン。重電子。メソトロン。→素粒子。

ここに例を挙げたとおり、同じ用語でも、辞書によって説明文の分量が大きく異なる。かような面においても、辞書の編集方針が強く影響を及ぼしている。

ニ その他

その他にも、現代語限定かあるいは古語も含むかとか、採用語数を多くするかあるいは少なく留めるかという編集方針の違いもあるようである。もっとも、本稿における関心事項には直接関わりが少ないと思われるので、これらの点については割愛することとする。

(3) 語釈・手入れ

ところで、語句を解釈することや説明をすることを「語釈」という。

筆者としては、飯間『辞書を編む』を読んだ際、この語釈については、編纂者の「思い」がその辞書に相当盛り込まれるような印象をもった。他の出版社の出している辞書とは異なる説明を試み、より分かりやすい語釈を採用しようとする編纂者の苦労がここにはあるという。

この辺り、他の出版社の出す辞書と敢えて違う語釈を与え、より分かりやすい説明を施そうとする努力が編纂者にはあるのであろう。この点からすれば、むしろ、辞書や辞典によって、その語釈が異なるのは当たり前であり、編纂者としてはかえって同じ説明を行うという選択肢は選ばないというのである。

したがって、前述の長崎地裁が注目したとおり、辞書や辞典によってその説明が異なることは、むしろ当然であって、もちろん同じ用語の説明をする以上、そこに共通点は発見し得るであろうが、説明の仕方が必ずしも合致しない理由はこの語釈の取り方によっているのではないかと思われるのである。

もっとも、語釈は、編纂者の自由になされるものとする理解は必ずしも妥当せず、前述のとおり、編纂者が徹底した用例採集をした結果の結実であるとみるべきであって、いわば、編纂者の用例採集と編纂者の「思い」がその辞書独自の語釈に展開されているとみるべきであろう。

すなわち、語釈の違いは用例の取り方の違いでもあり、編纂者の思いや編集方針の違いでもあるのである。また、語釈についての手直しを「手入れ」というが、手入れにおいても編纂者の強い「思い」が反映しているといえよう。

 

7 語釈の違いと意味の違い

これらのことから、辞書や辞典には、それぞれの編集方針があり、その編集方針によって、採用項目や語釈に大きな違いあることが分かった。

このように考えると語釈には辞書や辞典ごとに独自のものがあることが判然とする。それは、これら語釈が編集方針に大きく左右されるものであるからである。したがって、辞書や辞典をいくら沢山並べてみても、そこに共通項を見出すこともあれば、見つからないことも当然にあるのである。

そうであれば、辞書や辞典のそれぞれの特徴を踏まえて解釈論に利用すべきことにもなろう。

上記を踏まえてもう一度長崎地裁判決を眺めてみたい。

すなわち、同地裁は、「サービス業」について、日本語大辞典(講談社)、社会科学総合辞典(新日本出版社)、精選版日本国語大辞典2(小学館)、日本国語大辞典5(小学館・第二版)、世界大百科事典(平凡社)、広辞苑(岩波書店・第六版)、大辞林(三省堂)のそれぞれの定義を踏まえた上で、次のように説示している。

辞書や辞典における「サービス業」の用法は「無形のサービスを生産・提供する産業の総称」、「第3次産業」、「非物質的生産物(サービス)を生産するあらゆる業務」など相当包括的である。さらに、「運輸・保管業、通信業、商業、広告・宣伝業、金融・保険業、不動産業なども、商品としてのサービスを提供するものとされ、政府統計などではこれらがしばしばサービス業に含められている。」とするものがある一方で「サービス業」を「日本標準産業分類の大分類の1つ」として「デザイン・著述・写真業などの専門サービス業、 学術・開発研究機関、洗濯・理容・美容・浴場業、その他の生活関連サービス業、娯楽業、 廃棄物処理業、自動車整備業、機械等修理業、物品賃貸業、広告業などからなる。」とするものがあり、サービス業に含まれるとされる事業は統一されておらず、日本語の通常の用語例として、「サービス業」の外縁が明確にされているということはできない。

ここで注意が必要なのは、長崎地裁判決が採用した辞書や辞典の用い方である。辞書や辞典に共通の説明がないからといって、概念の理解が統一されていないと結論付けるのは早計であると指摘できるのである。

その卑近な例として、例えば、「右」という用語の意味を考えてみたい。

前述の「改築」概念が争われた事例において、控訴審で税務署長側が採用した『新明解国語辞典〔第7版〕』(2011年)と『岩波国語辞典〔初版〕』(1963年)を引いてみることとしよう。

新明解国語辞典〔第7版〕
みぎ【右】アナログ時計の文字盤に向かった時に、1時から5時までの表示のある側。〔「明」という漢字の「月」が書かれている側と一致〕

岩波国語辞典〔初版〕
みぎ【右】相対的な位置の一つ。東を向いた時、南の方、また、この辞書を開いて読む時、偶数ページのある側をいう。↔左。

辞書や辞典によって語釈は異なることがあるのは前述のとおりであるし、上記のように極めて簡単な用語である「右」の語釈でさえ辞書によって異なっているのである。しかしながら、辞書や辞典によって「右」の語釈が異なるからといって、国民の間に、「右」自体の理解が統一していないということではないのである。

そうであるにも関わらず、長崎地裁は、辞書や辞典が統一的な語釈を採用していないことのみをもって、「日本語の通常の用語例として、『サービス業』の 外縁が明確にされているということはできない。」とするのであるが、同地裁の考え方によれば、辞書や辞典の語釈が異なることから、「右」という用語の「外縁が明確にされていることはできない」ということになるのであろうか。

この導出された結論が誤っていることは火を見るより明らかであるといわざるを得ない。つまり、辞書や辞典の語釈が異なるからといって、そのことから、用語の外縁が明確にされているか否かを判断することには無理があるのであって、語釈が異なるということは、そもそも、辞書や辞典の用例の取り方や、編纂者の思い、あるいは編集方針の違いが反映されたものであるということを忘れて、辞書や辞典の語釈の比較をしてはならないということを物語っているのである。

少なくとも、辞書や辞典の語釈を比較しただけでは日本語の通常の用語例の外縁が明確かどうかを決定することはできないというべきであろう(もちろん、参考の一つとして位置付けることまでをも否定するものではない。)。

 

8 辞書や辞典から租税法を読み解く(まとめ)

前述のとおり、辞書や辞典を解釈の資料として活用すること自体には問題がないが、辞書や辞典の使い方として、それぞれの辞書や辞典を並べて、共通の説明がないことを理由に一般概念を否定するような利用の仕方には強い疑問を覚えるところである。

そもそも、ウィスキーを飲んだことのない人にウィスキーの味をことばだけで伝えることができないのと同様、人それぞれの経験が異なっているので、ことばの「意味」を他人に伝達することはできないのである(鈴木孝夫『ことばと文化』95頁(岩波書店2018))。

もっとも、ことばの定義を伝えることは可能である。「しぶい」という言葉を、「渋柿を食べたときなどの、しびれるように舌を刺激する感じを与える。」と説明する辞書があったとすると、それは、どのような方法でその感覚を得ることができるかという、いわば「目的地に至るまでの道案内」を述べることによって、その先は同一(近似)の条件の下では、同一(近似)の体験を得ることができるという、証明不可能な直感的前提にいっさいを委ねることで、説明をすることに代えることができるのである。

これを定義といい、「対象そのものを教えるのではなく、対象の含まれる範囲を明確にすること」といってもよかろう(鈴木・前掲書96頁)。

そもそも、辞書や辞典の編纂者はことばの意味とことばの定義の区別をはっきりさせていないと指摘されているし(鈴木・前掲書86頁)、ことばを他のことばで置き換えて説明する方式を多用するが、それ自体は、ことばの意味を適切に示しているとはいえず、「ことばの置き換え方式は、いわゆる意味の説明を一段延期しただけ」であって、説明したことにはなっていないという循環論が多くの用語の説明においても散見されるのである(鈴木・前掲書88頁は、ある辞書が、「石」の意味を「岩より小さいかたまり」と説明しておきながら、「岩」の意味を「石のかたまり」と説明している循環論を例として掲げている。)。

このように考えると、辞書や辞典から言葉の意味を導き出すことは不可能であるといえよう。参考にするにしても、辞書や辞典を並べて、一般的な用語の意義が統一していないなどとの判示自体、まったく意味のないことを示しているといわざるを得ないのである。

 

結びに代えて

辞書や辞典にはそれぞれ顔がある。

本稿においてしばしば引用している飯間浩明『辞書を編む』によれば、「そのことばが正しいか間違いか、判断を求めたい人」にとっては、『岩波国語辞典』や『明鏡国語辞典』が向いているといい、「そのことばが、いつ頃から使われているかを知りたい人」にとっては、『新潮現代国語辞典』が、「そのことばについて、その辞書なりの解釈を知りたい人」には『新明解国語辞典』が向いていると論じている(同書230頁)。

なるほど、しばしば『新明解国語辞典』の語釈については、そのユニークさが面白がられて、興味本位に注目されることさえしばしばある。前述の東京高裁において、税務署長側が「改築」の意味を確定するために、『新明解国語辞典』を持ち出して主張している点についても、筆者は不安感を拭えないのである。

(了)

「酒井克彦の〈深読み◆租税法〉」は、毎月第2週に掲載されます。

酒井克彦の

〈深読み◆租税法〉

【第75回】

「国語辞典から読み解く租税法(その3)」

 

中央大学商学部教授・法学博士
酒井 克彦

《(その1)はこちら》

はじめに

1 長崎地裁平成28年5月10日判決

2 文理解釈

《(その2)はこちら》

3 長崎地裁への疑問

4 租税法律主義の観点からの検討―社会通念―

5 法の趣旨目的の観点からの検討―文字解釈―

6 辞書間における統一的意義

(1) 東京高裁平成14年2月28日判決

 

6 辞書間における統一的意義(承前)

(2) 国語辞典の編集方針

イ 実例主義と規範主義

辞書や辞典では、各々がそれぞれの編集方針を採用している。例えば、三省堂の国語辞典についていえば、「実例に基づいた項目を立てる」という前提の下で、編纂及び編集がされている(飯間・前掲書38頁)。

このような編集方針のことを「実例主義」という。同書の例でいえば、「専門知識を提供する辞書とは別に、『それは要するにどのようなものか』という、基本的なことを説明する辞書」としての役割を担おうとしているからこそ、「実例主義」を採用しているようである。

これに対して、「規範主義」という考え方がある。「今の日本語はこのように使われている」とするのが実例主義であると定義すれば、「この用語は正しくはこうです」と説明することに主眼を置くのが規範主義だという。すなわち、対象となる辞書が実例主義を採用しているのか、規範主義を採用しているのかによって後述するように語釈が異なることになるのである。

辞書が「現代日本語を鏡のように映し出す」役割を持つとした場合、実例主義が「鏡」であるのに対して、規範主義は「かがみ」でも、「手本」としての意味での「鑑」であると説明されている(飯間・前掲書31頁)。

もっとも、規範主義とはいっても、現代の「ことば」には多くの意味が包摂されているのが通例であるし、そもそも、何が正しくて何が誤りかという点自体が歴史と共に流動しているともいえる(この点については、神永暁『悩ましい国語辞典』(KADOKAWA2019)に詳しい。例えば、「辛党」の意味は本来「酒類を好む人」であるが、現在は「辛いものを好む人」という用例もあるというのである(同書96頁)。)。

なにしろ、国語辞典にいう「国語」という用語さえ、それ自身新しい漢語であって、古い用例をみると「日本語」という表現の方が古いようである(田中克彦『ことばと国家』110頁(岩波書店2006))。ドイツ言語学者のアウグスト・シュライヒャー(August Schleicher)は、ことばには生物と同様に祖親があり、それは繁殖によって進化をするというように、ダーウィンの進化論になぞって説明している(田中・前掲書150頁)。

ロ 平易的説明と専門的説明

前述の三省堂の国語辞典は、実例主義に立ちながら、更に、「中学生にでも分かる説明を心がける」という方針を採用しているという(飯間・前掲書39頁)。ここでもまた、平易な説明をする辞書と専門的な説明をする辞書に大きく分かれていることを意識しておく必要がある。

飯間『辞書を編む』には、この点についての好例が掲載されているので引用したい。

『三省堂国語辞典』〔第6版〕
あせ【汗】〔生〕暑いときや運動のあと、また緊張(キンチョウ)したときなどに、顔やからだから出る、塩けをふくんだ水。

これが平易的説明を採用する辞書による「汗」の定義である。

これに対して、専門的説明による辞書は次のように定義する。

『大辞林』〔第3版〕
あせ【汗】哺乳類の汗腺から分泌される分泌物。成分の99パーセント以上は水で、他は乳酸・塩化ナトリウムなど。体熱を放散させて体温の調節を助ける温熱性発汗と、興奮したときや感覚的な刺激を受けたときに起こる精神性発汗とがある。

このように平易的説明を採用する辞書と、専門的説明を採用する辞書との間には、説明の仕方に大きな違いを見せている。そうであるとすると、仮に、平易的説明をする辞書と専門的説明をする辞書を比較したとすれば、それらの辞書間に説明の仕方が異なるからという理由だけで、対象となっている用語について、明確な意義や外縁がみえないとする結論を導出すること自体に無理があるというべきであろう。

ハ 簡記主義と詳述主義

前述の平易的説明か専門的説明かに関係するところではあるが、分量として、簡単に記すか、詳しく記すかという編集方針に関しても違いがある。

これも、飯間『辞書を編む』が示すところであるが、以下引用したい。

『三省堂国語辞典』〔初版〕
ちゅうかんし【中間子】素粒子(ソリュウシ)の一つ。陽子と電子との中間の質量〔=電子の約2百倍〕をもつ。メソン。

このように簡記主義を採用する辞書がある反面、詳述主義を採用する辞書もある。

『広辞苑』〔初版〕
ちゅうかんし【中間子】(meson)素粒子の一。1935年湯川秀樹により原子核論とベータ(β)崩壊と統一的に説明するため理論的にその存在が予想され、実験的には一つはアンダーソンが1937年宇宙線の霧箱写真中に発見したもの(ミュー(μ)中間子、電子の約210倍の質量と、正または負の素荷電を持ち、約100万分の2秒で電子とニュートリノに崩壊する。透過力は極めて大)ともう一つはパウウェルが写真乾板中で確証したもの(パイ(π)中間子、電子の約280倍の質量と、正・負または零の素荷電を持つ)とがある。メソン。重電子。メソトロン。→素粒子。

ここに例を挙げたとおり、同じ用語でも、辞書によって説明文の分量が大きく異なる。かような面においても、辞書の編集方針が強く影響を及ぼしている。

ニ その他

その他にも、現代語限定かあるいは古語も含むかとか、採用語数を多くするかあるいは少なく留めるかという編集方針の違いもあるようである。もっとも、本稿における関心事項には直接関わりが少ないと思われるので、これらの点については割愛することとする。

(3) 語釈・手入れ

ところで、語句を解釈することや説明をすることを「語釈」という。

筆者としては、飯間『辞書を編む』を読んだ際、この語釈については、編纂者の「思い」がその辞書に相当盛り込まれるような印象をもった。他の出版社の出している辞書とは異なる説明を試み、より分かりやすい語釈を採用しようとする編纂者の苦労がここにはあるという。

この辺り、他の出版社の出す辞書と敢えて違う語釈を与え、より分かりやすい説明を施そうとする努力が編纂者にはあるのであろう。この点からすれば、むしろ、辞書や辞典によって、その語釈が異なるのは当たり前であり、編纂者としてはかえって同じ説明を行うという選択肢は選ばないというのである。

したがって、前述の長崎地裁が注目したとおり、辞書や辞典によってその説明が異なることは、むしろ当然であって、もちろん同じ用語の説明をする以上、そこに共通点は発見し得るであろうが、説明の仕方が必ずしも合致しない理由はこの語釈の取り方によっているのではないかと思われるのである。

もっとも、語釈は、編纂者の自由になされるものとする理解は必ずしも妥当せず、前述のとおり、編纂者が徹底した用例採集をした結果の結実であるとみるべきであって、いわば、編纂者の用例採集と編纂者の「思い」がその辞書独自の語釈に展開されているとみるべきであろう。

すなわち、語釈の違いは用例の取り方の違いでもあり、編纂者の思いや編集方針の違いでもあるのである。また、語釈についての手直しを「手入れ」というが、手入れにおいても編纂者の強い「思い」が反映しているといえよう。

 

7 語釈の違いと意味の違い

これらのことから、辞書や辞典には、それぞれの編集方針があり、その編集方針によって、採用項目や語釈に大きな違いあることが分かった。

このように考えると語釈には辞書や辞典ごとに独自のものがあることが判然とする。それは、これら語釈が編集方針に大きく左右されるものであるからである。したがって、辞書や辞典をいくら沢山並べてみても、そこに共通項を見出すこともあれば、見つからないことも当然にあるのである。

そうであれば、辞書や辞典のそれぞれの特徴を踏まえて解釈論に利用すべきことにもなろう。

上記を踏まえてもう一度長崎地裁判決を眺めてみたい。

すなわち、同地裁は、「サービス業」について、日本語大辞典(講談社)、社会科学総合辞典(新日本出版社)、精選版日本国語大辞典2(小学館)、日本国語大辞典5(小学館・第二版)、世界大百科事典(平凡社)、広辞苑(岩波書店・第六版)、大辞林(三省堂)のそれぞれの定義を踏まえた上で、次のように説示している。

辞書や辞典における「サービス業」の用法は「無形のサービスを生産・提供する産業の総称」、「第3次産業」、「非物質的生産物(サービス)を生産するあらゆる業務」など相当包括的である。さらに、「運輸・保管業、通信業、商業、広告・宣伝業、金融・保険業、不動産業なども、商品としてのサービスを提供するものとされ、政府統計などではこれらがしばしばサービス業に含められている。」とするものがある一方で「サービス業」を「日本標準産業分類の大分類の1つ」として「デザイン・著述・写真業などの専門サービス業、 学術・開発研究機関、洗濯・理容・美容・浴場業、その他の生活関連サービス業、娯楽業、 廃棄物処理業、自動車整備業、機械等修理業、物品賃貸業、広告業などからなる。」とするものがあり、サービス業に含まれるとされる事業は統一されておらず、日本語の通常の用語例として、「サービス業」の外縁が明確にされているということはできない。

ここで注意が必要なのは、長崎地裁判決が採用した辞書や辞典の用い方である。辞書や辞典に共通の説明がないからといって、概念の理解が統一されていないと結論付けるのは早計であると指摘できるのである。

その卑近な例として、例えば、「右」という用語の意味を考えてみたい。

前述の「改築」概念が争われた事例において、控訴審で税務署長側が採用した『新明解国語辞典〔第7版〕』(2011年)と『岩波国語辞典〔初版〕』(1963年)を引いてみることとしよう。

新明解国語辞典〔第7版〕
みぎ【右】アナログ時計の文字盤に向かった時に、1時から5時までの表示のある側。〔「明」という漢字の「月」が書かれている側と一致〕

岩波国語辞典〔初版〕
みぎ【右】相対的な位置の一つ。東を向いた時、南の方、また、この辞書を開いて読む時、偶数ページのある側をいう。↔左。

辞書や辞典によって語釈は異なることがあるのは前述のとおりであるし、上記のように極めて簡単な用語である「右」の語釈でさえ辞書によって異なっているのである。しかしながら、辞書や辞典によって「右」の語釈が異なるからといって、国民の間に、「右」自体の理解が統一していないということではないのである。

そうであるにも関わらず、長崎地裁は、辞書や辞典が統一的な語釈を採用していないことのみをもって、「日本語の通常の用語例として、『サービス業』の 外縁が明確にされているということはできない。」とするのであるが、同地裁の考え方によれば、辞書や辞典の語釈が異なることから、「右」という用語の「外縁が明確にされていることはできない」ということになるのであろうか。

この導出された結論が誤っていることは火を見るより明らかであるといわざるを得ない。つまり、辞書や辞典の語釈が異なるからといって、そのことから、用語の外縁が明確にされているか否かを判断することには無理があるのであって、語釈が異なるということは、そもそも、辞書や辞典の用例の取り方や、編纂者の思い、あるいは編集方針の違いが反映されたものであるということを忘れて、辞書や辞典の語釈の比較をしてはならないということを物語っているのである。

少なくとも、辞書や辞典の語釈を比較しただけでは日本語の通常の用語例の外縁が明確かどうかを決定することはできないというべきであろう(もちろん、参考の一つとして位置付けることまでをも否定するものではない。)。

 

8 辞書や辞典から租税法を読み解く(まとめ)

前述のとおり、辞書や辞典を解釈の資料として活用すること自体には問題がないが、辞書や辞典の使い方として、それぞれの辞書や辞典を並べて、共通の説明がないことを理由に一般概念を否定するような利用の仕方には強い疑問を覚えるところである。

そもそも、ウィスキーを飲んだことのない人にウィスキーの味をことばだけで伝えることができないのと同様、人それぞれの経験が異なっているので、ことばの「意味」を他人に伝達することはできないのである(鈴木孝夫『ことばと文化』95頁(岩波書店2018))。

もっとも、ことばの定義を伝えることは可能である。「しぶい」という言葉を、「渋柿を食べたときなどの、しびれるように舌を刺激する感じを与える。」と説明する辞書があったとすると、それは、どのような方法でその感覚を得ることができるかという、いわば「目的地に至るまでの道案内」を述べることによって、その先は同一(近似)の条件の下では、同一(近似)の体験を得ることができるという、証明不可能な直感的前提にいっさいを委ねることで、説明をすることに代えることができるのである。

これを定義といい、「対象そのものを教えるのではなく、対象の含まれる範囲を明確にすること」といってもよかろう(鈴木・前掲書96頁)。

そもそも、辞書や辞典の編纂者はことばの意味とことばの定義の区別をはっきりさせていないと指摘されているし(鈴木・前掲書86頁)、ことばを他のことばで置き換えて説明する方式を多用するが、それ自体は、ことばの意味を適切に示しているとはいえず、「ことばの置き換え方式は、いわゆる意味の説明を一段延期しただけ」であって、説明したことにはなっていないという循環論が多くの用語の説明においても散見されるのである(鈴木・前掲書88頁は、ある辞書が、「石」の意味を「岩より小さいかたまり」と説明しておきながら、「岩」の意味を「石のかたまり」と説明している循環論を例として掲げている。)。

このように考えると、辞書や辞典から言葉の意味を導き出すことは不可能であるといえよう。参考にするにしても、辞書や辞典を並べて、一般的な用語の意義が統一していないなどとの判示自体、まったく意味のないことを示しているといわざるを得ないのである。

 

結びに代えて

辞書や辞典にはそれぞれ顔がある。

本稿においてしばしば引用している飯間浩明『辞書を編む』によれば、「そのことばが正しいか間違いか、判断を求めたい人」にとっては、『岩波国語辞典』や『明鏡国語辞典』が向いているといい、「そのことばが、いつ頃から使われているかを知りたい人」にとっては、『新潮現代国語辞典』が、「そのことばについて、その辞書なりの解釈を知りたい人」には『新明解国語辞典』が向いていると論じている(同書230頁)。

なるほど、しばしば『新明解国語辞典』の語釈については、そのユニークさが面白がられて、興味本位に注目されることさえしばしばある。前述の東京高裁において、税務署長側が「改築」の意味を確定するために、『新明解国語辞典』を持ち出して主張している点についても、筆者は不安感を拭えないのである。

(了)

「酒井克彦の〈深読み◆租税法〉」は、毎月第2週に掲載されます。

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筆者紹介

酒井 克彦

(さかい・かつひこ)

法学博士(中央大学)。
国税庁等での勤務を経て、中央大学法科大学院教授として、法科大学院のほか税務大学校等でも教鞭をとる。
一般社団法人アコード租税総合研究所 所長、一般社団法人ファルクラム 代表理事。2025年5月13日、逝去。

一般社団法人ファルクラム https://fulcrumtax.net/
一般社団法人アコード租税総合研究所 http://accordtax.net/

【著書】
『「正当な理由」をめぐる認定判断と税務解釈―判断に迷う《加算税免除規定》の解釈』(2015年、清文社)
『「相当性」をめぐる認定判断と税務解釈―借地権課税における「相当の地代」を主たる論点として』(2013年、清文社)
『スタートアップ租税法〔第4版〕』(2021年)、『クローズアップ保険税務』(2016年)その他5冊のアップシリーズ(財経詳報社)
『裁判例からみる所得税法〔二訂版〕』(2021年)、『裁判例からみる法人税法〔三訂版〕』(2019年)、『裁判例からみる税務調査』(2020年)、『裁判例からみる保険税務』(2021年、大蔵財務協会)
『レクチャー租税法解釈入門』(2015年、弘文堂)
『プログレッシブ税務会計論Ⅰ〔第2版〕、Ⅱ〔第2版〕、Ⅲ、Ⅳ』(Ⅰ、Ⅱ 2018年、Ⅲ 2019年、Ⅳ 2020年、中央経済社)
『アクセス税務通達の読み方』(2016年)、『税理士業務に活かす!通達のチェックポイント -法人税裁判事例精選20』(2017年)、『同 -所得税裁判事例精選20』(2018年)、『同-相続税裁判事例精選20』(2019年、第一法規)
『30年分申告・31年度改正対応 キャッチアップ仮想通貨の最新税務』(2019年)、その他5冊のキャッチアップシリーズ(ぎょうせい)
その他書籍・論文多数

 

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